科学技術に囲まれた暮らしが日常的な社会では、「親になること」もまた、「自然のまま」というわけにはいきにくくなっている。生殖技術とそのマーケットは、インターネットの情報網によってグローバルに拡大し続け、不妊治療の領域はカップルの遺伝子継承に止まらず、卵子提供や精子提供など提供細胞による選択肢へと広がっている。さらに妊娠してからは、健康な赤ちゃんを産むために出生前検査という選択肢が待っている。
生殖技術を使って「親になる」とはどんな経験なのか。30年間に渡って生殖と医療技術をめぐるテーマを研究してきた著者が、卵子提供・出生前検査などの生殖技術について、インタビューやアンケート、フィールドワークを通して当事者の声に耳を傾け、その経験をフェミニスト的視点から描き出す。
生殖補助医療は年々その市場を広げ、少子化対策の救世主のように伝えられることもあるが、治療を受けた人の中で赤ちゃんが生まれる確率は5〜30%ほどとけして高いとは言えず、しかも高額な費用がかかる。一方、出生前検査を選ぶことにより、更なる不安や心配事を引き寄せることにもなっている。たとえばもし染色体異常の確率が高いと分かった場合、親はおなかで育っている胎児に対して「いのちの選択」を迫られる。現状の検査市場に相談できる専門家はいるのか、検査を受ける前にそうした決断をしなければならないときの心の準備について説明を受ける機会はあるのだろうか。目の前に提示される科学技術は簡単に買うことができるが、それによってまた別のリスクが増えるという側面があることはあまり知られていない。本書は生殖補助医療の背景にある医療ビジネスや、いのちの選別をめぐる論争、障がい者団体からの異論、製薬会社の巧みな宣伝など、さまざまな角度から実情を丹念に検証していく。
少子化対策の名目で、政府は今年4月から不妊治療を保険診療化した。それによって恩恵を受ける人がいる一方で治療を受けても子どもを得られない人はより見えにくくなり、病気や障がいのない子どもが生まれるリスクが減るわけでもない。生殖補助医療や出生前検査は、子どもを持つことを望む女性たちのニーズによって普及してきたと言われているが、その背景には女性は結婚し健康な子ども持つのが当たり前という従来通りのジェンダー規範の社会構造がある。
「この社会に必要なのは、生殖技術なのだろうか、社会を変えることだろうか。もし、生殖技術の方を手っ取り早い解決手段だからという理由で選ぶなら、私たちはずっとこの根幹にある問題を解決できないだけではなく、悪化させているということを認識しなければならない」。著者は、多様性や相互ケアが存在しない社会のあり方の方を変えるべきではないかと鋭く指摘している。
気候危機を持ち出すまでもなく、科学技術は文明発展の裏で生物をとり巻く環境に大きなリスクを負わせてきた。「親になる」という行為はいかにも個人的な問題のようでありながら、実は人類誕生を持続可能な社会でどう実現させていくのかという文明論的課題のひとつなのである。
(菊地 栄/立教大学大学院兼任講師)
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