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こんにちは。
「大阪の事件」スレッドなどで、児童虐待に心を痛める人たちの色々な意見がかわされてきました。
「虐待防止のため、今なにができるか?」「虐待防止にのために、今の日本に足らない事柄は何か?」をテーマに、もう少し意見交換し、お話しをまとめたら、一般人の我々でもできることの、手がかりが、よりつかめるかもしれません。
こちらのスレッドで、もう少しみんなの意見を話し合い、まとめていくののはどうかしら?と思っております。よろしくお願いいたします。
- しつけの危うさ、里親、そしてC-Board - ツバメ号 - 2010年10月14日 23:47:16
- 出遅れましたが(汗) - まこ - 2010年10月14日 12:03:12
- 走れ!児童相談所 - ツバメ号 - 2010年10月11日 18:52:12
- 「司」と「士」の違い - ツバメ号 - 2010年09月19日 12:46:00
- 児童福祉司 - tokumei - 2010年09月16日 16:44:30
- 被虐待児を救い出しているのは、圧倒的にご近所 - ツバメ号 - 2010年09月16日 00:59:22
- 児童福祉司一人の担当区域は人口おおむね5万〜8万人 - ツバメ号 - 2010年09月14日 22:36:37
- 児童相談所へ行ってきました、その3、働く人数が少なすぎる!!! - ツバメ号 - 2010年09月14日 21:16:41
- 児童相談所へ行ってきました、その2 - ツバメ号 - 2010年09月14日 12:47:21
- 虐待防止チェックリスト - tokumei - 2010年09月11日 11:48:02
- よいとまけの唄 - わたげ - 2010年09月10日 18:03:39
- 児童相談所行ってきました、その1 - ツバメ号 - 2010年09月10日 17:49:41
- 追記 - ツバメ号 - 2010年09月10日 10:50:29
- tokumeiさまへ - ツバメ号 - 2010年09月10日 00:24:43
- 「凍りついた瞳」、あったかいおせっかいの想像力 - ツバメ号 - 2010年09月 9日 12:02:57
- 「群れをなす動物」そして不妊治療 - ツバメ号 - 2010年09月 9日 10:59:55
- 電話しました - tokumei - 2010年09月 8日 16:39:50
- 虐待って何ですか? - 五月雨 - 2010年09月 8日 13:53:40
- 明るいグレー色に進むこと - ツバメ号 - 2010年09月 7日 18:48:51
- 子どもの虐待防止センターはチェックしましたか? - メロン - 2010年09月 7日 14:39:51
- それは認識間違いです - ツバメ号 - 2010年09月 6日 00:24:48
- ひとつだけ - rinrirn - 2010年09月 5日 17:22:19
- 根深いけど、どんな人間にも魂があると思う。 - わた - 2010年09月 5日 13:34:16
- 補足 - ツバメ号 - 2010年09月 4日 23:02:27
- 特上カバチと、小学校の一実例 - りお☆ - 2010年09月 4日 22:57:04
- 虐待防止を考える入門の場 - ツバメ号 - 2010年09月 4日 11:29:38
- こんにちは - みらい - 2010年09月 4日 09:28:51
- 始めたばかりで - tokumei - 2010年09月 4日 00:06:27
- いずれは移転を - ツバメ号 - 2010年09月 3日 21:25:09
- ツバメ号さんへ、医師が通報する虐待の典型例 - わたげ - 2010年09月 3日 16:32:17
ツバメ号さん、こんにちは。
こちらのスレッドのことが気になりつつ、なかなかじっくりと読む時間が取れず…
まだ締められていないといいのですが。
遅ればせながら、昨日、ひまわり署名プロジェクトに署名してまいりました。
虐待に関しては、他人事と思えず、こうした事件を見聞きするたび、考えこんでしまうことが多いです。
こちらのスレッドで、「虐待に関しては、この場で語るのは難しいのでは」とか、「厳罰化が解決につながるのか?」と言った趣旨のご意見を拝読しました。
また、通報されたご経験のある、りおママさんの投稿も読ませていただき、思うところがありまして、私の考えを書かせていただきます。
まず…虐待というのは、決して特別なことではなく、ボーダーラインにいる親子は思いのほか多いのでは?ということです。
私自身、実父の理不尽な暴力に耐えかねて、15歳で家出を繰り返した体験があるのですが、未だに、「あれが虐待といえるのか?」決めかねています。
父の主観としては、しつけのためだと思いますし、犯罪行為として立件されるほど、ひどい暴力ではなかったと思います。
でも、私が家出せずに、暴力がエスカレートしたら、事件になったかもしれないです。
その他にも、プチ虐待とでもいうような、精神的ないじわるも、ずいぶんされましたが…
このあたりの線引きは、非常に難しく、あやういものだと感じています。
また、私には4歳と2歳の子供がおりますが、上の子が、とても「育てにくい」タイプの子です。
甘え下手で、愛情表現が屈折して反抗するタイプです。
それがわかっていて、普段は受け止めてあげられても、私のほうに余裕がなくなると、かなり危ういです。
手を挙げたことはありませんが、外に出すとか、言葉の暴力は何度もあります。
また、「セロテープがうまく切れない」などの些細なことで、ひんぱんに悲鳴のような声で泣くので、虐待を疑われてもおかしくない状況です。
仕事を抱え、下の子にも手がかかる中、しつこく反抗され、絡まれ泣き続けられると、正直、このままどこかへ逃げ出してしまいたいと思うことも、しばしばです。
また、感情を抑えられずに怒鳴りつけている自分の姿が、父の姿と重なって、はっとしたり…
りおママさんが、ご自身のショックを乗り越えられた上で、「通報は、したほうがよい」と書かれていて、とても感銘を受けましたが、私自身ならどうだろう…と考えてみました。
やはり、私も、疑わしいならば通報するべきと思います。
虐待でないとしても、「しょっちゅう泣き声が聞こえる」「怒鳴り声が聞こえる」という状況は、母親にとって育児が大変であることを示していると思うからです。
私が通報され、訪問を受けた場合、ショックは受けると思いますが、話を聞いてもらってアドバイスをもらうのも、プラスになると思いますし、なんらかの解決策につながるかもしれないと思います。
また、「もしかしたら、手を挙げてしまうかも…」という危うさに、多少なりともブレーキがかかると思うのです。
私自身、一線を越える可能性がゼロとはいえません。
夫との不仲とか、経済的困窮とか、もう一つ要因が加わったら…
わかりません。
ですから、事件を起こした母親を、私は自分の延長線上に見てしまうのです。
「未来の、自分の姿かもしれない」と。
そして、力説したいのですが、私はその子を愛しています。
決して愛情がないのではありません。
それでも、放り出したくなるときがある…
そんなあやうさをかろうじてつなぎ止めているのは、やはり「理性」です。
どなたの言葉だったか、「この子は、私につながる者であっても、私の物ではない」という思い。
ひとりの人格を、私の都合で傷つけ損なうことは、犯罪であるという認識。
それがなかったら、感情の暴走を止めることは難しいです。
そういう意味で、私は、虐待致死の厳罰化は、おおいに意味があると思うのです。
あれだけの残虐な行為が殺人罪に問われないのは、「子供は親の所有物である」という認識が、社会に強く根付いているからではないでしょうか。
そういった認識のもと、虐待は起きるように思われます。
他人にふるったら傷害罪になる暴力が、家庭内では黙認される不条理。
これを法律で明文化することは、虐待の歯止めとしては有効だと思うのですが。
もちろん、罰するだけではダメで、育児に悩む親への、社会のサポートが一番重要なのは論を待ちません。
でも、法律が変わることで、人々の意識が変わることは、期待できるのではないでしょうか。
長々と個人的なことを書き連ねてすみません。
読んでいただきありがとうございました。
不幸な事件がなくなることを切に願っています。
署名という行動を起こすきっかけを与えてくださり、このような場を提供してくださったツバメ号さんに、心から感謝いたします。
大変に申し訳ありません。野田さんスレの様子であまりにドキドキしてしまい、本来の自スレの話が中断しておりました。 自分で立てたのに、大反省です。
「走れ!児童相談所」の本を読みました。
ある日、一人の公務員さんが職場の移動を言い渡される、そして、移動した先には、不思議に明るくバイタリティのある人たちがいた。それは、児童相談所であった。
そこに勤めている彼らは、日本という国に密かに点在する「家庭という名のアウシュビッツ」で、子供に行なわれているホロコーストに対して、時には冒刀チョッキを着て救出へ向かうこともある。
また、ある時はとんでもないネグレクトを行っている母を立ち直らせる事もある。
だから、深刻なケースに立ち向かう日常の仲で、性善説に基づき、さらにどこか鈍感力という力も備えながら、熱心に仕事をしているのだ、という本でした。
なかなか深い本でした。
しかし、この「点在するアウシュビッツ」が増えているという現状、しかし、それに取り組んでいる福祉司さん、ケースワーカーさん達が、専門職ではなく、過剰労働も精神的な達成感以外、報いられるものがないという現状は、なんかもう、どうしたらいいんだー!!!と海に向かって叫んでしましそうでした。
tokumeiさま>どうもありがとうございます。
司と士の違い、なんとなく知っているような、でも私ははっきりとはわかっておりません(爆)。
宜しかったら、教えて下さいませ。
それから、私は「走れ!児童相談所」の本をとりよせて読むことにしました。
ちなみに現在の児童相談所の構成要員の基準には「士」がほとんどいないみたいです。
(以下、厚生労働省のページからです。ABCは相談所の規模の違いです)
第3節 職員構成
1.規模別職員構成の標準
第1章に述べられている諸般の業務遂行のため、所長、次長(A級の場合)及び各部門の長のほか、次の職員を置くことを標準とする。
C級:教育・訓練・指導担当児童福祉司(スーパーバイザー)、児童福祉司、相談員、精神科を専門とする医師(以下「精神科医」という。嘱託も可。)、児童心理司、心理療法担当職員、その他必要とする職員
B級:C級に定める職員のほか、小児科を専門とする医師(以下「小児科医」という。嘱託も可。)、保健師
A級:B級に定める職員のほか理学療法士等(言語治療担当職員を含む。)、臨床検査技師
児童福祉司を国家資格に変えて児童福祉士とすれば、人数は集まるでしょうね。
今は地方公務員になった人の中から、大学時代に心理学や福祉を専攻した人の中から
希望者を募って決めているのが現状だそうです。
でもすごい激務のため、希望者は少ないと聞きます。
他の職員が9時5時で帰る中、自分だけが何十時間も残業では嫌になっても仕方ないですよ。
社会福祉士の国家試験は毎年1万2〜3千人が合格するらしいですね。
そのうちの何人が実際の職に就くのかわかりませんが、
とにかく全国にたった2,000人の児童福祉司に比べれば絶対に多いですよね。
児童福祉司さんの質の向上も大切だとは思いますが、増え続ける虐待に対応するためには
まずは専門職の人数を増やすということが重要じゃないかと思います。
もしも国家資格になれば受けてみたいです。
年齢が高くて未経験だと、頼りになるのは資格だけですから。
志の高い人が集まるような気がします。
わたげさま、tokumeiさま、メロンさま、皆さま、こんばんは
教師が生徒を殴れば、すぐに問題になり休職などになる。
なのに、子どもがその親に、傷だらけにされても、熱湯をかけられても、やせ細らされても、なかなか救出されない。
なぜなんだろう?と思いつつ、今まで私は、恥ずかしながら児童相談所にはあまり良いイメージがありませんでした。
事件の記事を読むたびに、「児童相談所は何度か面会を求めていたが会えずにいた」「こんな事になってからでは遅いと周辺住民は言っている」などという情報が載ります。
また、虐待施設から逃げ出して実情を訴えた子たちを、その施設へそのまま送り返したり、里親さんの話では「子どもの紹介にだいぶ時間がかかった」というお話があったり。
でも、この根本的な人出不足、経験不足では、本当にどうにも手が回らないだろうなあ、と痛感いたしました。(恩寵園事件などは、それだけじゃないと思いますが)
それを数日前に思い知った自分は大変マヌケです。
しかも、「親権」という権力の前には、家の中に入れない、保護したのに連れ去られる、まさに、ないないづくしですよね。
警察が110番で駆けつけて保護しても、その子は一時保護所に送られ、その後は児童相談所が様子を見る。児童相談所の職員増加をしないと、漏斗の先が詰まったようになってしまう。この部分を政府はどうするのか、見守り訴えかけていく必要があります。有権者でもない一部の子どもの悲劇を、政治と行政は、長くないがしろにしてきた感じを受けています。速動してもらいたいですね。
相談所から、いただいてきた資料では、昨年の東京都での相談受理は24873件。
その中で虐待連絡は3369件、そのうち近隣知人からの通知が1167件。学校の328件や医療機関の108件よりずっと多いです。
被虐待児を救い出しているのは、圧倒的に「近所の力」のようです。
わたげさま>「あったかいおせっかい」の大切さを、改めて深く感じました。周囲の力で、なるべく問題が複雑化するまえに親の気持ちを解きほぐす。「虐待予防」が重要だと思いました。そして、それでも間に合わないときは通報をする。そんな近所の関心がとても大切と思います。
私達の生活はストレスが多いですから、気がつくとコミュニティで弱い者いじめをしているかもしれない、牙をむけられた人が、結果として、さらに弱い子どもへ牙をむく、負の循環をさせてはならないと、皆で対人関係をもう一度自省していなかければいけないですよね。
tokumeiさま>「ちゃいるどネット大阪」の「虐待防止チェックリスト」読みました。
私達にもとても参考になりますね。どうもありがとうございます。
特に、子どもの行動など、被虐待児はいつも哀れにしているわけではなく、注意が散漫だったり、しつこく甘えたり、友達へ攻撃的だったり、一見「問題児」に見えてしまう、というところなど、一般的な認識にしていきたいと感じました。
メロンさま>明るくコミュニティを作り相互で支え合う。自分が行き詰まりそうになったら視野を広げる。大切な「虐待予防」と思います。
それから、「子どもの虐待防止センター」チェックさせていただきました。ありがとうございます。
このように民間運動から福祉法人になって活動するなどの、ボトムアップ方式が、虐待防止において大きな力になっていますね。それについても書かせてください。(なんだかレスが遅れていて申し訳ありません)。
調べて愕然。
あまりにも基本的な事実を知らなかった、私は何をやっていたんだ・・・。
現行の児童福祉法施行令第2条
「児童福祉司一人の担当区域は、
法による保護を要する児童の数、交通事情を考慮し、
人口おおむね5万〜8万人」(平成17年4月から)
児童福祉司は、児童相談所の中核的な存在となっているそうです。
日本全体で2000人もいない。1,500人くらいかもしれない。
例えば、全国の消防職員数が、約157,000人(各担当の方が入ってますが)、
その1/100なんだ。
しかも、役所の中での移動もあるから、完全な専門職ではない。
「虐待防止のリーフレット」からも、福祉司さんの言葉からも、
「虐待かどうかの判断は児童相談所が行う、だから疑わしい場合は連絡して下さい」
ということだと思いました。
それは正しいと思いました。素人判断できる問題じゃないし。
たまたま近くに児童相談所があるので行ってみて、
「児童相談所」は、たくさんある場所のような気が瞬間したのですが、
そんなことはないですね。
都に在住なんですが、資料を見たら、東京都の児童相談所は全部で11カ所でした。
私が行った児童相談所には、20人以下くらいの方がいたでしょうか。
外観のちょっといかめしい感じと違い、働いている方達は優しかった。
でも、20以下くらい×11なので、
児童相談所勤務の人は、都全体で200人くらいかも・・・えっ!
これで、都民の約一千3百万人の人口に対応している。
単純に計算すると、
一人の担当人口、6万5千人。
6万5千の人たちの中に、どれくらいの割合で、問題家庭があるだろう。
児童相談所が担当しているのは、
発育障害の子達の援助や、保護者の病気のための子どもの一時預かりなどもある。
そのケースバイケースに、児童福祉司さん達が判断を求められる。
虐待は増加していて、これまでには予想できないような事態だってあるはず。
例えば、学校の保健室は、数百人に一人の保健師さんがいると思う。
「数万人に対し一人で、問題が起きたらケースバイケースを対応」なんて、
そんなの無理なんじゃないか!!!と素人の私は驚きました。
tokumeiさま、わたげさま>お返事どうもありがとうございます。
ちゃいるどネット大阪やよいとまけの歌の件、お返事したいです。
(あ、それから提供者は親族です、わかりにくい書き方でごめんなさいです)
メロンさま>子どもの虐待防止センターのことなど、次便でお返事したいです。
まず児童相談所にあった、簡単な「虐待防止リーフレット」の内容、書いてみます。
〜みんなの力で防ごう児童虐待〜
「虐待かな?と思ったら・・・気になることがあったら、
児童相談所にご連絡下さい。」
地域で
・虐待行為そのものの目撃
・子どもをたたく音や叫び声
・子どもの泣き声
子どもの様子
・不自然な傷が多い
・不自然な時間の徘徊が多い
・衣服や身体がいつも非常に汚れている
・いつもお腹をすかせている
親の様子
・地域の中で孤立している
・子どもがケガをしたり、病気になっても、医者に見せようとしない
・小さな子どもを置いたままでたびたび外出している
児童相談所は、連絡を受けた内容や、誰が連絡してきたかの情報を、
親などに教えたりすることはありません。
また、虐待かどうかの判断は児童相談所が行います。
もし虐待にあたらない場合でも、連絡した方の責任は問われません。
と言うことです。
すごくシンプルですね。
ご近所で「虐待かな?」と気がつく場合は、
「地域で」のところと、「子どもの様子」からが多いでしょうか?
こんにちは。
児童相談所に直接行くなんて、なかなか勇気がいりますよね。
私は電話だけでもけっこう勇気がいりました。
もしかして私自身が虐待をしている人間と疑われるんじゃないかとか、
電話番号をメモされて、要注意のリストに入れられるんじゃないかとか
いろいろ考えてしまいました。
簡単なリーフレットということでしたが、たぶんそんなものだろうと思っていました。
あまり複雑に詳しく書いても、それのひとつにでも当てはまらないと
素人考えで通報をやめたり、そういうことを懸念して常識的なことが
書いてあるのかなと思います。
ちゃいるどネット大阪というサイトの中に、幼稚園の先生や保育士さん用の
虐待防止チェックリストというのがあります。
サイトの一番下のほうです。
ここにすごく細かいチェックが載っていますので、私たちにも参考になると思います。
ツバメ号さん、卵子提供のいきさつありがとうございました。
お知り合いの方からの提供というのは、日本では珍しいですね。
私はごくごく普通(?)にアメリカでの卵子提供でした。
ツバメ号さんのようなケースのほうが、日本では理解してもらいやすいと思いますよ。
結局金銭のやり取りが、日本人の感覚からすると受け入れにくいのではないかと思います。
人身売買的な嫌悪感を持ってしまうのでしょうね。
三輪彰宏さんが、昭和何年代だったか忘れましたが、
「よいとまけの唄」という歌を歌われていたことをご存知でしょうか?
その中である作業場(材木をチップにする)につとめる女性(昔は沢山の人がこれで生計をたてていたと思われますが)
の子供たちが傍で見ていたのです。
母親が夕方遅くまで働くのを子供たちは見守っているそういう場面です。
作業の合間に子供が鼻水を垂れていて、母親がその鼻水をすすってやるという場面があったのです。
(今ではティッシュでぬぐうのでしょうか)
母一人子一人の中で、とてつもない深い愛情を感じました。
現代の社会は複雑でそんな簡単なことばかりでは
ありませんが、動物(人間も含めて)の持つ本来の愛情が
少し薄れてきたのかなと思います。
また、これは私だけかもしれませんが、人はどの社会でもそのコミュニティのなかで、
強者と弱者を作りたがるというのも
強く感じています。虐待の根本はいろいろあると思いますが、
虐待する親も気がついて、そしてそこからまた始めればいいんだと思います。
ツバメ号さん、わたというハンドルネーム間違って入力してしまいました。わたげです。
tokumeiさま、皆さま>
話が横道へそれてしまい、申し訳ありませんでした。本道へ戻ります。
虐待の可能性を、どこへ伝えたらいいかわからない場合は、
「まず交番」なんですね。
交番なら、道を聞く時にも行けるところだから話しやすいですね!
>一般の人に向けて「こういう時はこうしてください」というような
>マニュアルはあるのですか?と聞いたところ、
>児童相談所や役所の福祉課のようなところに置いてあるそうです。
というお話を聞き、そうだ、そんなに遠くないところに児童相談所がある。
「虐待が疑わしいとき」のパンフをもらいに行こう、と出かけて行きました。
入るのがちょっとためらわれたのですが、思い切って入りました。
窓口脇にいっぱいリーフレットなどがあり、どれだろうと迷っていると、
職員さんが通りかかったので
「虐待かどうか迷った時へのマニュアルのようなパンフはありますか?
別に、今は該当した何かがあるわけではなく、もしもの時の備えにと思って」
と聞いてみました。
すると、すすすーと、席に案内され「そ、そんな恐れ多い」と思ったのですが、
数分間すわってお話しを聞きました。
「特に詳しく書いたものはないんです」と福祉司さんの言葉でした。
「この場合は疑わしい、この場合は緊急性は低いというように書いてしまうと、かえって、皆さんが虐待通知をためらわれてしまうので」ということでした。
「でも、夜泣きや、イタズラで叫ぶ子供とかで、誤報が増えたら、
お忙しさも増すし、間違いで福祉司さんが訪ねた場合に、そのお家の方が傷つくこともあるかと。」
と聞くと、
「わかります、そういう場合は本当にお気の毒と思います、
でも、ためらって見逃してしまう場合の方が怖いのです。」という事でした。
「疑わしいけれど、確信はもてないという場合も、その様子をそのまま、
何日泣き声が続くとか、大人の怒鳴り声もするとか、そのまま伝えてくれれば、
こちらで判断もできますし。
今まで、ご近所の様子には立ち入らないという感覚だったのが、
それではいけないと関心が高まっていることは良いことなんです。」
ということです。
ただ、余りにも過敏なのは問題なので、常識の範囲で判断してください
ということでした。
簡単なリーフに箇条書きはあったので、それなどを次便にて。
tokumeiさまへ 追記です。
自分も我が子がとっても可愛くて可愛くて、私の選んだことについて、その点では何の迷いもありません。自分のDNAだけが我が子じゃない、それは大前提で、tokumeiさまと同じと思います。
ただ、ボランティアも以前から始めていたため、少しばかりだけどたずさわらせていただいている、そこが違うだけ。そんな状況なんです。
こんばんは。マニュアルの件どうもありがとうございます。
それについてお話ししたいです。
その前に、最初のご質問のお答え。さらに細かいいきさつを書こうと決心いたしました。曖昧にしていると、自分の立ち居位置をお伝えできないように思って。
今更自分のことを言うのおかしいですね、全くごめんなさいです。
私は、なんとなく子供がいたらいいなあ・・・と思い始めた頃に、ボランティアを始めました。仕事が大好きでしたので、本当に自分の子が産めるという実感もなく、でも脇からでも子供達に接したいという感覚でした。週末に通い、食事の後片付けなどのお手伝いをしながら、赤ちゃんたちを見るのは楽しいことでした。
そのうち、自分の年齢が進むと本能なのでしょうか、すごく子供が産みたくなってきました。タイミングからIVFに進み、数回でやめるつもりが陽性反応が出たりするのでだんだん回数が増え、まだ可能性はあると言われつつも、精神的な疲れの方が大きくなってきました。
一方で、ボランティアは、少し成長した子供達にも接するようになり、こんな子供達と過ごさせてもらうのもいいな、そのうち週末里親とかにさせていただこうかな・・・なんて自分としてはうっすら思い始めました。(同時に、施設の中で被虐待という言葉に接するようになっていました。)でも、夫やその家族の気持ちは気がかりでした。
そんな頃、思いがけない申し出がありました。「悩んでいそうだから私の卵子をあげようか?」。二組の夫婦で話し合いました。私としては、夫の家族も安心させ、また産まれる子にとっても、親族が重なっているという意味で、例えば自分が事故で死んだりしたら?という時にリスクが少なそうなこの方法は魅力的でした。ドナーの子供達の動揺もあるから、告知はしないで行こうという約束になりました。
ああ、施設の子を預からないんだ自分は、と後ろ髪も少し引かれながらの選択でした。ドナーを探すために苦労されている人達にも、なんだか申し訳ないような気持ちもしました。その数年後、この中途半端な私がおります。
数日前に「凍りついた瞳」を読み返しておりました。
知っている方が多いと思いますが、こども虐待のドキュメンタリーをマンガ化したもので、むごい描写は少なく、虐待に至った経緯や周囲の努力などが丁寧に描かれた良書です。
改めて、虐待をしてしまう親がいろいろな心を背負っていること、被害者となった子も、また困難な心を背負いながらそれを克服していこうとするんだなと感じました。
子育てに一生懸命かつ自身が体罰を受けて育った父が、いつしか子を殴りまくる暴父になる。以前の離婚で別れてしまった子に強い負い目を感じている母が、新しく生まれた我が子を抱けなくなりネグレクトに至る。などなど、人の心が背負ったものの大きさを感じます。
読んでいて、自分は改めてグラグラしたのですが、それは、自分が普段は無意識にしまい込んでいるいろいろな感情を思い出したためです。プチプチ虐待されたこととか、それにより過剰な恋愛をしたこととか。
みんな自分の「心の倉庫」にいろいろな気持ちをしまいこんでいる。倉庫にしまっておかなければ疲れてしまうから。そして、倉庫の深くにしまった感情は無意識となる。
友人が余りに子育てに熱心で、すこし関与が多すぎと思って、ちょっと注意したつもりで怒らせてしまった。そういえば、彼女は幼少時に自分の母にもっと関心を持ってもらいたかったと言っていたのに。その気持ちを心の底にしまっている彼女に対し、私は詰問口調になっていた。そんな事も思い当たりました。反省でした。
わたさまのおっしゃった、「育った環境が一人の人間の、人間性には大きく影響する分だけ、せめて温かい眼差しを忘れないようにしたい」という言葉の重さを強く感じます。いろいろな感情の渦巻きや弱者の心を、身近にしながら育ったというわたさんの言葉だからこそ、説得力があると思います。
「あったかいおせっかい」は相手の心を想像し、責めずに癒すこと、だから大切なんだと思います。
メロン様、tokumei様、レスは後ほどさせてくださいね。
いろいろ書き込みを、どうもありがとうございます。
レスの前に、ちょっとお話しがずれるのをお許し下さいませ。
動物の中で、群れをなして生活する種がいろいろあります。
その動物たちのグループの中では、幼い子を残してある母が急死するケースがあると、他の雌が、その残された子の養育をする場合があります。
自然の摂理では、「母を失った子」を「他の母あるいは、子を失った母」が育てる。
もしこれを人間に当てはめたとしたら、養子や里親は自然なものである。
不妊治療は、自然とは違う行いである。
そのために、母を失った子供の行き場が狭められているのではないか?
また、治療で生まれた子供は、本当に幸せと言い切れるのだろうか?
そう思うと、自分は己が選択してきた人生にジレンマを感じます。
一方で、群れをなす動物の中では、リーダーの雄が変わったとき、前リーダーの宿した幼い子達を、新しい雄が殺すことがあります。
一刻も早く自分の血を引いた子孫を沢山残すために。
そのような場合、自然の摂理はとても過酷です。
人間はいろいろな意味で、自然のまま生きる動物たちとは違う。
「母性」も「父性」も文化と言う面がある。
でも、私達の営みや感情が、完全に自然と違うとも断定できない。
人間は、とても複雑な生き物なのだと考え込みます。
その複雑さの中で、素晴らしく良好な親子関係も、バランスを欠いた親子関係も、築かれているんですよね。
ずれたお話しでどうもすいませんでした。次便でもっと近いことを書きたいです。
こんにちは。
児童相談所に問い合わせてみました。
例えば保育士さんや学校の先生に虐待発見のマニュアルがあるように、
一般の人に向けて「こういう時はこうしてください」というような
マニュアルはあるのですか?
と聞いたところ、児童相談所や
役所の福祉課のようなところに置いてあるそうです。
どの程度のものか見ていないのでわかりませんが。
それと例えば町で知らない子供だけど、虐待の可能性がありそうだ
と思った時には
交番に言ってほしいと言われました。
普通は通報先(児童相談所等)なんて知らないですもんね。
交番にと言われたのは、なるほどと思いました。
近所の子供の虐待を疑って通報した場合は、関係機関(その子の通っている学校等)に
問い合わせてから動くみたいなので、通報即訪問ということではなさそうです。
その話を聞いて、間違いかもしれないと躊躇するよりは、やはり通報するほうが
いいのかなと思えるようになりました。
いじわるで聞いているんじゃないんです。
今の世間一般の認識では、どういう事を
虐待と捉えているのでしょうか。
人間の行いには、完全な白も、完全な黒もないのでしょう。
完全な善も、完全な悪もないのでしょう。
「可愛いから愛され、愛されるから育てられる」、子どもという存在は愛を一番必要とするからこそ、愛という土台が崩れた時に、最ももろい立場となる。
そのもろさを危ぶむ私達も、また、完全な善でも、完全な悪でもない。
だから、少しだけ明るい方へ、少しだけ明るいグレー色をめざして進もうとする。
それが人間なのかも・・・。
私は、いつもつい感情的になってしまう。
妊娠を心がけている人もいるこの場で、むごい話は書かないようにと思っているのに。・・・ごめんなさいです。
りおさま>こんにちは。書き込みありがとうございます。
「あったかいおせっかい」はすごく大切なのではと私も思います。
旦那様と特上カバチ22巻を読み考える。素敵なご夫婦ですね。
そして、もしかしたら、あの子は?と思い巡らす。
直接関わるのは難しそうだけど、気になる。
もう、明るいグレー色の方に進んでいるのではないでしょうか?
直接に怖そうな人に関わっていける正義の味方のような人なんて、そうそういないんじゃないでしょうか。
でも、そっと見ていたって、本当にその子が怪我したりフラフラしていたら、何かしてあげられるし。
数日前の夕方、買い物に行くと、お店の前で、じっとゲームをしている子がいました。なんだか痩せているように思え気になって見ていました。そうしたら、おそろいの服を着た兄弟が現れ、明るそうに話していたので、そしてその兄弟もスラッとした体型だったので、思い過ごしと感じて帰りました。
皆で、なんとなく近所の子供達の様子を気にかけていれば、無関心よりかなり良い事なのではないのかな?と自分は思うんです。
わたさま>今は時間切れなので、次便でお返事しますね。
どもの虐待防止センターのHPには次のように書かれています。賛同され賛助会員になると年4回会報が来ます。
*虐待はなぜ起きるのでしょう?
子育て中には様々な問題や悩みが起きてきます。
家族間のストレス、住居や経済的な問題、親子の孤立などさまざまなことが虐待の引き金になることもあります。
子育てをする中で生じる不安や寂しさといった感情も決して特別な
ものではないのです。
子どもの虐待の背景には家族間の葛藤や子育てにおける孤立に加えて社会的要因などがあるといわれています。
子どもの虐待は、どこの家庭にも起こり得ます。
虐待をしている親自身が悩み、やめたいと望んでいる場合も多いのです。
虐待をする親と子どもには周囲のあたたかい支えと適切な支援が必要です。
私見ですが、虐待というのはひとくくりにできないと思います。
あえて言えば、情報不足が原因かと。視野を広く持って欲しい。
高齢出産した第1子が赤ちゃんの時、私は散歩途中でいろんなママさんをナンパしました。うちに来ない。お茶しながらお話しよう、情報交換しようと。
同じ年頃の赤ちゃんがいるというだけの縁でしたが、そこは高齢ママの余裕!?で、楽しく過ごせましたよ。
あれから10年、仕事復帰して現在に至るも付き合いのある方もいるし、一過性だった方もいます。
こういうのもありかなと思います。
小学生を抱えるといじめの問題に注意がシフトしますが、これも、教室内学校内の狭い範囲で考えすぎることが原因となるケースもあります。
いかなる時も好奇心をもって広い世界に飛び出すチャンスをもって欲しい。
そういうわけにいかない時は、私は図書館で本を借りて読書します。
rinrirnさん>自分の子への殺人は、「殺人罪」と認められた裁判でも、10年前後の懲役が現実なんです。
同じ事の他人の子にしたら、とうてい無期懲役以上になるのでは?と思われるケースが、7年や12年くらいだったり。
その理由は、精神的に何らか追い詰められていた、というような事情を斟酌されているのですが。酌量されすぎて、「子の人権」の方が軽視されているのでは?という問いかけを「ひまわり署名プロジェクト」はしています。
法の不平等と思われる状態に、他人である女性が立ち上がったのです。炎天下に署名活動をしているのです。・・・なぜなら、本来は子の死を悼み法の改正を望むはずの遺族こそが加害者だから。
2000年に愛知で起きた事件では、普段から虐待を加えていた3歳の我が子を、段ボールに入れて、出れば殴り食事を与えず、うめき声を聞きながら「ようもつね」と言いながら数週間ミイラのようにして餓死させて、両親が懲役7年。これが現実です。
でも被害者の子としたら、このような酷い仕打ちを他人にされるの、実母実父にされるのと、どっちが悲しいでしょう?
でも基本的に、成田さま達の活動は、厳罰化と言うより、「虐待」ということがしつけではなく「犯罪」なんだという認識を広げ、防止へつなげようと言うものと思います。
私が「多くの人が、虐待問題を入門的に知ることができる場所が必要では」と感じるのは、入門的な事が以外と知られていないからなんです。
(自分の知識もぜんぜん大したことないですけど)
少し知ると「虐待事件を忘れないように」と思うのではなく、「忘れようにも忘れられない」という気持ちになる・・・。
とりいそぎでした。
りおさま、わたさま>どうもありがとうございます。
明日晩レスさせてくださいませね。
ツバメ号さん、お忙しい中レスありがとうございました。
引っ越してはどうでしょう?なんて書いておきながら恐縮なんですが、いただいたレスの中でひとつだけ疑問に思ったことがありましたので書き込みさせていただきました。
>他の殺人にくらべて、我が子への殺人の量刑が軽いのはちょっとおかしいのかな・・、と自分は感じています。
たしかひまわりプロジェクトのHPにも同じようなことが書いてありましたね。
法律には疎いので間違った認識をしていたらすみません・・・
親に対する殺人についてはかつては尊属殺人罪というものもありましたが、子への殺人に対して量刑を軽くするという法はないですよね?我が子への殺人であっても殺意が認定されれば殺人罪に問われると思いますが(桜子ちゃん楓ちゃんの事件の母親は殺人罪が適用になりましたね)、問題は聖香ちゃんの事件の場合のように明確な殺意が認定できない場合ですよね。その場合は「傷害致死罪」または「保護責任者遺棄致死罪」になるのかと思いますが(聖香ちゃんの事件もそうなりましたね)、この罪は有期懲役の上限の定めがない・・・「我が子への殺人の量刑が軽い」と言ってもこれより重く、というと無期懲役または死刑ということになってしまうのかな、と?となると新たに「虐待致死傷罪」を新設することで「明確な殺意を認定できなくても、虐待によって子どもを死に至らしめた場合は無期懲役または死刑にすることもできるようになる」ということになってしまうのかな、と思ったのです。それはそれで難しい問題をはらみますよね?私の認識間違いでしたら本当に申し訳ありません。
こんな話題こそトピ違いでしたね。大変失礼しました。「凍りついた瞳」読んでみますね・・・暑いおりから、ご自愛下さいませ。
りお様や沢山のみなさんのメッセージを読んで
とても励まされました。
文字にすることは表面的ではあるけど、
それでも思いを伝えていきたいと思います。
私も育った環境は市内一番の飲食店街、男女の様々な恋愛模様が
渦巻くところでした。金銭的にはやくざと言われる人も
お客様なので頭を下げなければいけません。
そういう環境でありがならも、道をそれずにまっすぐこれたのは
両親はもちろんですが、やはり近所の人の温かいおせっかいがあったからじゃなかと思います。
りお様が言われるように
虐待されている子供の両親に近づくのは
とても勇気がいると思います。
一歩を踏み出すことがいいことかそれとも、見守ることがいいのか
正直私もわからなくなることがあります。
しかし、どんな人間にも生まれた時は純粋な魂があったはず、
それをどっかに置いてきただけじゃないかと思います。
育った環境が一人の人間の、
人間性には大きく影響する分だけ
せめて温かい眼差しを忘れないようにしたいと思います。
昨日の記述、わかりにくいですね。
こんなのが作れたらいいな、と思っているんです。
(以下の場という表現はネット上のフォーラムみたいなものとして考えて下さい。)
1:子ども虐待のことが心配な人が、あるていど気軽に基本知識を得られる場
2:そして、防止のために何ができるか意見交換する場、
実行したことの内容などを伝えあえる場
今の社会で足りていないことが何か、考えられる場
自分が育児に行き詰まった時にも、励まし合える場
3:でも、あくまでも素人がやっているので、謙虚な姿勢が基本で、
専門家の活動への窓口ともなるような場
ツバメ号さまみなさま、色々考えさせられる書き込みありがとうございます。
最近仕事に追われ、今日は小学校での母仕事出動??もあり、なかなか書けませんでした。
大阪の事件のあと、テレビでも紹介されていた、特上カバチ22巻、虐待をかなり赤裸々に扱った漫画を夫が買ってきて、読みました。
そこでは、母子家庭での兄妹の兄に対する虐待が描かれていたのですが、児童相談所もかなり積極的に動いていました。
近所に住む、過去に虐待を受けた男性が虐待に気付き、その家のドアをたたき、児童相談所に乗り込むところから虐待の周囲発覚がはじまるのですが、「幼い子供を無理やり母親と引き離してそれで解決すると思うのか」「幼い子供に一番大切なのは、ただ母親の愛情だけ」という男性の言葉に考えさせられました。
その話でも、お兄ちゃんは虐待を受けながらもお母さんを愛していた。そして、その男性を含めまわりのあったかいおせっかいで、離れていた実家ともつながり、解決していきました。
なかなかこうはいかないとも思うけど、やはりまわりの「あったかいおせっかい」が救うのかなあ。
身近なところで、息子の小学校1年の別クラスに、両親がいつもたばこをくわえていて、子供の兄弟に、夜遅くまで家に帰ってくるな!といって外に出していると聞く弟の方がいます。
そして、その子は入学からすでに問題児、同じマンションに住むお母さんたちもなるべくつきあいを避けている様子。
来年同じクラスになったら、どうなるだろ、これは虐待の要素もあるだろう、と夫。でも、たばこ片手に歩いてると聞くそのお母さんに直接関わる勇気?は、今のわたしにはないなあ。そのだんなさんがどんな人かもわからないし正直こわい。何ができるんだろ...
tokumeiさま>「虐待の可能性のある子供を発見したらどうすべきか?」
という件で、お問い合わせまでしていただけるとのこと、本当にありがとうございます。
みらいさま>来ていただけてとても嬉しいです。
皆さま>私達素人は、虐待のニュースを聞くたびにオロオロする。
しかし、どうしたらいいか中々わからない。
そして、虐待防止の活動をしている方達の、専門の場に知識を得に行くのも自分の未熟など考えためらわれてしまう。そもそも、どこに調べにいけばいいかもわからない。そういう場合が多いのではないでしょうか。
(tokumeiさまのご勇気にとても感謝しています。
わたげさま>後でゆっくりレスさせていただきますね。)
例えば、ご近所への気配りにしても、ほとんど多くの場合は「気にかけている」「心配している」という気持ちが、その親御さんにとっての癒しになるはずです。
でも、子どもへの虐待に至るかもしれない「複雑な心」「他者に頼れないと思い込んでいる悲しい経験」があるような人だった場合、この気配りの仕方は、いっそう慎重に行う必要があるかもしれません。
でも、どうしたらいいか、わからないです。
私は、「虐待防止を考え・意見を交わす入門の場」みたいなものがあったらいいのかな?と、なんなくイメージしているのですが、その具体的な方法について、まだ答えを探しているところです。
その入門の場では「はっきりとした答え」は見つからないでしょう。素人同士なんだから当然で「謙虚」であるべきです。しかし、もっと専門の場に、自分が何を知りたいのか調べに行くとか、本を読んでみるとかの「糸口」が見つかる、少なくとも「問題意識」をもてる、そういう場所があってもいいのかなあ・・と。
しばらくは、この掲示板で意見交換していくことをお許し下さい。
ツバメ号さん こんにちは。ご無沙汰しております。
訳あってPCを開く機会がなかなかなく、久しぶりにこのサイトにもお邪魔をしました。
私も微力ながら自分達でも虐待を防止できる何かはないか、いつも考えております。
子どもへの虐待も、ニュースにならなければ記憶の中から忘れ去られてしまいます。
ニュースになった時だけ関心を持つのではなく、虐待撲滅に向けて私たちなりに頑張っていきたいですね。
みなさんたくさん書き込みをされていらっしゃるので、後ほどゆっくり読ませていただいて、また書き込みをさせていただきます。
取り急ぎご挨拶にと思い、書き込みをさせていただきました。
ツバメ号さん、こんばんは。
私は心理学の勉強を始めたばかりで、心理学の立場としてこう思う
なんて発言ができるほどの者ではないのです。すみません。
保育士さん・小学校の先生・児童養護施設に係わる方・医療関係の方等は現実に
被虐待児と接することもあるかと思いますが、
私のような一主婦はニュースで虐待を知るのがせいぜいで、どうしても
虐待の可能性のある子供を発見したらどうすべきか?という具体案が思い浮かびません。
来週にでも児童相談所や役所に問い合わせてみようかと思います。
緊急性の判断の仕方とか、個人としてできることで最善と思われることは何かなどです。
わかったことはまた報告させてください。
私の現在の環境では周りに虐待を疑うような家庭はないのですが、
でもいつどこでそういう状況に遭遇するかもしれませんので、
その時のためにも知識として知っておくことは重要ですよね。
わたげさん>いつもどうもありがとうございます。&、試験お疲れ様でした。
お医者様のマニュアル情報どうもありがとうございます。
>問診で痛みのある検査に反応しない(虐待を受けてない子供は痛い検査は泣きます)
これも重い事実ですね。
皆様へ>いずれは、このスレは虐待防止専門スレとして、どこかへ引っ越すようにいたします。
1つには、りら様のご意見を尊重して。
もう1つは、テーマによっての検索や行き来がしやすい方が、より具体的な虐待防止という目的に合うと、自分にも感じられるからです。
その方法は少し待っていて下さいませね。
ツバメ号さん、今日まで定期試験があって、なかなかこちらにこれませんでした。すみません。
あざもいろいろありますが、病院で通報するマニュアルみたいなもの(明確なものと少しずれがあるかもしれませんが)には
CT、MRIによる脳出血や、レントゲンによる骨折です。
これは専門の人(医師)がみないとわかりませんよね。
でも、問診で痛みのある検査に反応しない(虐待を受けてない子供は痛い検査は泣きます)
重症でありながら、親が冷静である。など特徴的なものもあります。
私自身、子育ての中でちょっとしたけがは結構あります。
それでいちいち病院に行かないこともあります。もし
行ったとしてもあまりおおげさにしないことももあるので、
自分も虐待していると医師から思われているかも、とつい警戒しています。
しかしながら、虐待している親は素人がみても、そのけがの状態と親の態度でわかると思います。
ツバメ号さん、もしこの掲示板で何かお手伝いできることが
あったら言ってくださいね。
うちは主人も協力して、いろいろ話合っています。
みんなで協力していきましょう。
- ご利用に際してのルールとお願いを読む
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まこさま、皆さま、こんばんは。まこさまご署名どうもありがとうございます。
まず、この虐待防止についての話題の場につきまして、近々babycom内に新設される、C-Boardにそのうち移動するようにしたいと思っています。
問い合わせたところ、虐待防止の件などもC-Boardで話題にしてOKという事でした。
普通の人の子育てに身近な問題と思うので、(虐待防止のついての専門HPなどより)、出産や子育てについての意見が行き来するbabycomが、「まず一歩何ができるのか?」と、意見を交わす場にとしてふさわしいと自分は思っています。
ふさわしいわけは、まず、まこさんのお話のように、
>虐待というのは、決して特別なことではなく、ボーダーラインにいる親子は思いのほか多いのでは?
という事です。
また、虐待防止活動の基本が、ご近所同士の気配りや思いやりだからです。
それから、虐待から助け出された子達にとっての望ましい環境が、施設保育ではなく、里親さんのもとで育つことだからです。
大変なトラウマとなった子達は、経験値のある専門里親さんにケアされます。しかし、軽度の被虐待児を、普通の里親さんが授かることもある。
私達市民は、そして母という存在は、
1:虐待する側になる可能性も、
2:それをご近所として防いだり通報したりする可能性も、
3:癒す側になる可能性も、あると思うのです。
また、サバイバーと言われるような、本当に悲惨な虐待を生き延びた子達は、情緒に障害をうけてしまいます。彼らを支える為には、精神科医や心理士などの長い治療が必要なのですが、予算が足らず寄付を募っている場合もあるようです。
まこさんのご意見に話を元に戻すと、まこさんのおっしゃるように「しつけと虐待」とはボーダーに繋がりやすく、危ういものだと自分も思います。
そして「しつけ」という概念、親権における「親より子への懲戒権」こそが、虐待を「犯罪」としてとらえにくくし、だからこそ、訓練も受けていない児童相談所の職員さんが、被虐待児を助けに防刀チョッキを着て家に飛び込んで行くという、不条理が起きていると思います。
「過度なしつけは犯罪だ」とはっきり法で定義しなければなりません。
一方で母としての自分を鑑みると、我が子は比較的育てやすい子をなのにも関わらず、そしてとても愛していて、しかし、時には疲れによって必要以上にしかったりしていますし、また産後ウツの時期は、何をしてしまうかわかりませんでした。(ちなみに自分と子のDNAは、かなり一般の親子に近く繋がっています)
>あれだけの残虐な行為が殺人罪に問われないのは、
>「子供は親の所有物である」という認識が、社会に強く根付いているからではないでしょうか。
>そんなあやうさをかろうじてつなぎ止めているのは、やはり「理性」です。
>どなたの言葉だったか、「この子は、私につながる者であっても、私の物ではない」という思い。
>ひとりの人格を、私の都合で傷つけ損なうことは、犯罪であるという認識。
>それがなかったら、感情の暴走を止めることは難しいです。
このご意見に、まことにまことに共感いたします。