(掲載:2015年5月・プロフィールは掲載当時)
Interview-8 小山 光子さん
バリバリの会社員時代
フリーランスとしてビジネス研修講師とキャリア・カウンセラーの仕事をする小山さんは、41才ではじめての出産をした高齢出産体験者。40才の時に、それまで20年間勤めていた外資系の会社を退職しました。結婚生活はすでに17年。子どものいない生活で、バリバリ仕事をこなしてきた小山さんですが、40才を機に今後の人生について考えてみた結果、退職という道を選んだといいます。妊娠を目指していたわけではありませんでしたが、それまでのハードな仕事生活を考えると、からだも気持ち的にも妊娠する環境にはなかったと振り返ります。
「外資系の会社だったので、仕事の成果に対して報酬が決められていた成果主義のシステムで、仕事は厳しくやりがいもありましたが、ストレスも多くありました。若いころは、まだゆとりのある時代でそれほど忙しくなかったのですが、経験を積むうちに部署が異動になり、広報の仕事につきました。求められる仕事の内容や量、スピード、責任も年々と上がっていき、広報時代は、毎日9時前に会社を出ることはなく、通勤に1時間半かかることもあり、帰宅は12時を過ぎることも珍しくありませんでした。そのかわり、頑張れば頑張るだけ報酬として見返りも受けていましたから、仕事帰りには頻繁にタクシーを利用しましたし、休日にはよく旅行に行っていました」
忙しい生活のストレス解消法は、ショッピングとグルメ、旅行。結婚生活も、独身者の共同生活のように自由に楽しんでいたと言います。
「まるで仕事人がふたりで同居しているような生活でしたね。平日は夕食もほとんどいっしょに食べることはありませんでしたし、互いに何時に帰ってくるか関与しない。休暇のスケジュールが合わないので、一時期は旅行も友人とばかり行っていましたから」
子どもは授かりもの・・・
小山さんが結婚したのは23才のとき。20代後半には、友人たちが次々妊娠、出産していくのを見て、自分の中で「出産ブーム」があったとか。
「結婚して何年もたっているのに妊娠しなかったので、検査を受けました。そのとき卵管造影をしたのがきっかけだったのか、その直後に妊娠しましたが、すぐに流産してしまって。29歳のときのことでした。妊娠して仕事をやめていく友人たちに口では『おめでとう』と言いながら、内心では落ち込みましたね。子どもをもつという女性の人生のレールからずれていくような感覚がありました」
そのとき、夫と話をする中で「ほんとうに子どもが欲しいのだろうか」という問いを自分にしたと言います。
「不妊治療を受けるという選択もありましたが、夫は『子どもは授かりもの。検査して何もかも明らかにしなくても、グレイゾーンがあってもいいんじゃないか』という意見でした。当時の私としては、みんなが子どもを産んでいるんだから私も同じでありたいという気持ちがどこかにあったんだと思います」
いつかできるかもしれないし、できないかもしれない。もし、授からなかったとしても、ふたりの人生を楽しもうと決意。不妊治療を受けることを選択しなかったのは、不妊治療について調べたときに、その治療にかかる費用と時間が膨大なもので、精神的にもかなりハードだという手記を読んだこともきっかけのひとつで、ならばお金と時間とエネルギーは自分自身のために使おうと思ったのだとか。それからさらに仕事に邁進する生活がはじまりました。
子どもが出会う"初めて"の瞬間をいっしょに過ごしたいから
それでも30代前半まで、比較的時間に余裕のある部署だったので、旅行やグルメに生活を謳歌していた小山さんですが、30代中頃に部署が異動になり会社が分割、合併した時期とも重なって、ますます忙しくなっていきました。会社の広報担当だったので、取材やマスコミ対応など、仕事の内容は充実していてやりがいはあったと言いますが、結果、体調を壊すことに。
「食生活の乱れで体重も今より5〜6キロ多かったし、ストレスのせいだと思いますが、白髪が増え、体調も悪くなっていきました。35才を越えて、やはりどこかで子どものことをあきらめきれていなかったのかもしれません。この体調では、妊娠できないだろうし、たとえ妊娠できたとしても、この働き方では育児との両立は無理だろうなあと漠然と思っていましたね。その頃、友人に『タイムリミットがあるから』と言われて、ドキッとしたこともあります」
そのころはすでに、ふたりだけの老後でもいいかなあと、漠然と将来の設計をしていたとか。
「何がなんでも産まなければという気持ちはありませんでしたが、40才を目前にして、これからの人生をこのまま今の仕事につっぱしることが果たしていいんだろうかと、からだのことも考え、少しペースダウンして何か別の仕事をするのも良いのではないかと思っていました」
ちょうどその頃、会社が合併になり、希望退職者を募っていた。これをむしろチャンスにできるかもしれないと決断し、手をあげることにしたと言います。
転職直後に突然の妊娠 〜流産の危機をのり越えて
退社してから、縁あってビジネス研修講師の仕事につきはじめた頃、妊娠したことが発覚。
「講師の仕事をしながらキャリア・カウンセラーの養成講座に通い、これからすべてをはじめようという矢先でまったく予想外のことでした。新しい仕事にやりがいを感じていましたし、仕事に慣れることに精一杯で、子どものことは忘れていたんですね。急に生理がこなくなって、はじめは更年期ではないかと思ったほどです」
自分で妊娠検査薬で検査してみたら、くっきり陽性反応が出た。しかもキャリア・カウンセラー資格試験の前日。ビジネス研修講師の仕事もそれなりに期待され、すでに半年先まで仕事が入っていました。
「『なんでこんなときに〜?』という感じでしたね。何よりも仕事先に迷惑をかけてしまうのが辛くて、正直、そのときはもろ手を上げて喜べる気にはなれなくて。でも夫に話したら、まんざらでもなさそうな顔で、素直に喜んでくれました。それで、私も喜ばしことなんだと肯定的に受け止めることができたんです」
それから契約先の研修会社と相談して、仕事を調整。とはいえ、妊娠中もいろいろなことがあったと言います。
「妊娠の初期と中期に出血して。以前流産の経験があったので、さすがに気持ちがブルーになりました。その都度仕事をキャンセルしたので、もう仕事はもらえないかもと弱気にもなりました。やっと落ち着いてから、マタニティ・クラスやヨーガクラスに通いました。高齢出産だったので、できることはなんでもやろうという気持ちでした。マタニティ・クラスでは友だちもできたし、楽しいマタニティライフを過すことができました。ただ、最後に血圧が上がり、最終的に帝王切開にすることに。医師とは妊娠中からかなり親密に話せる関係だったので、納得のいく結果だったと思っています」
いきいき生きる 〜目標をたててみる
産後、2ケ月ではじめての仕事に復帰した小山さん。その後もフルタイムで雇用されるのではなく、フリーで仕事をしています。
「子どもを産んでから、仕事に関して、今できる範囲のことをやろうという気持ちに切り替わりました。よくばらない、あきらめない。そうやって仕事をゼロにしてしまわず、少しずつでも長く続けていこうと思っています。今このときしか見られない子どもの成長を見ていきたいと思っているので、フリーの仕事でマイペースでいいかなと。
今は近所のファミリーサポートの人に、週1〜2回と実家の母にも週1回程度預けています。仕事がたてこんでいるときは、子どもといっしょに実家に1週間ほど帰り、実家から仕事に通うこともありますし、研修のピーク時には子ども1人だけ実家に泊まり、日曜日に送り金曜日に迎えに行きながら、何とか3週間乗り切れました。父母も、子どもといっしょにいることを楽しんでくれているので、私もそんな姿を見て幸せを感じることができますし」
そんな小山さんも、出産後1ケ月くらいのとき、夜中に授乳をしながらこれからの仕事をどうやっていこうかと不安になったことがあると言います。
「夫は子どもができても仕事のペースは変わりません。休日にはよく子どもの相手をしてくれますが、現実的には平日は時間の余裕がない。私のほうは朝から晩まで子育てに追われ、仕事に復帰できるのかどうか不安もありました。それで授乳しながら、目標をたてたんです。この1年間、勉強と単発の仕事を続けて、1年後に大きな仕事を受けられるようにしようと」
何もしないでいたら、仕事復帰への現状維持はできないという小山さん。キャリア・カウンセラーらしく、将来への展望をしっかりと考えながら、マイペースでいきいきと仕事と育児にとり組んでいます。