VOICE(掲示板)
高齢出産VOICE

高齢出産の悩みや心配事、そして生んでよかったこと。

【その他】卒業します。
たんぽぽ -- 2007年10月 1日 11:04:52

 たんぽぽと申します。四年ほどこちらでお世話になり、色々と助けていただきました。私の場合、不妊で悩んでいましたが、同じような立場で頑張っておられる方がいることを知り、大変励まされました。

 私は、すでに48歳ですし、特に不妊治療もしていませんので、すでに諦めています。もはや、自分はプレママではないと感じるようになり、ここを訪れることもほとんどなくなっていました。最近、懐かしいお名前などみかけて書き込んだりしていましたが、ママでもなくプレママでもない私の気持ちは、もはやここに集う方々の気持ちとは遠いところにあることに気づきました。また、自分の発言が意図せぬところで人を傷つけるかもしれない、インターネットの世界の怖さも思い知りました。
 
 それで、ここを卒業することにしました。
 こういうことをわざわざ言う必要はないのですが、今までお世話になった方々に一言お礼が言いたかったのです。それに、最後に一言だけ、申し上げたいことがありました。

 日本のお母さんは、優しいと思います。それが、日本人の長所を育んできたのでしょう。日本人の情緒の細やかさ、気配り、感受性の豊かさなどは、世界に誇れるものだと思います。

 ただ、最近、子どもを愛しましょう、抱きしめましょう、受け止めましょう、などという言葉に、違和感を覚えるようになりました。
 他の人、たとえば父親でも義父母でも地域の人々でも学校でも、子どもをきちんとしつけてくれるところがあれば、母親は愛の基地として、子どもを受け止め抱きしめる役割をすればよいのだと思います。しかし、現状は、どうなのでしょうか。

 少子化は、深刻さを増してきています。子どもの教育に関わる機関(大学はその筆頭でもありますが)は、生き残りに必死なのです。学校間の競争が激化すればよい「教育」を提供しようとすると考える人もいます。
 教師の給与にメリハリをつければ、熱心な教師が増えるという人もいます。教育再生会議では、そうした議論がなされています。

 しかし、本当に? 本当に、そういう結果がでるのでしょうか?

 最近では大学などでも盛んにアンケートを行います。学生が教員を評価するのです。それは、点数となります。このような評価制度が小中学校でも導入されたらどうなるのでしょうか。

 私は塾で働いていましたので、その変化を実感しました。その塾は伝統のある塾で、長年教職にあって定年退職した方が講師の大半を占めていたような塾でした。尊敬すべき先生方に出会えて、そのことについては感謝しています。しかし、塾の体制が変わり、そうした評価が導入されると、先生方の「やる気」は、むしろ失われていきました。
 たしかにパリパリの塾講師というタイプの先生は、高い評価を目指して努力されるでしょう。それは、直接高収入に結びつきます。「商売」として、それは正しい姿なのかもしれません。しかし、根っからの教師タイプの先生にとって、それは屈辱でしかありませんでした。

 今や、子どもは「お子様」です。たとえば小論文の添削などをするにしても、お客様である高校生の心を傷つけぬように、細心の配慮をするようにと命じられます。学校は、保護者の批判やとんでもないクレームにさらされ、保身を第一に考えざるをえなくなっています。子どもを厳しく叱る先生は、減りました。面倒なことにまきこまれたくなくて、ことなかれ主義になっている人も多いと聞きます。

 私の現状分析は、間違っているかもしれません。私の勝手な思い込みかもしれません。しかし、本当に?
 
 どうでしょう。地域の大人は、学校は、先生は、子どもを愛をもって叱ってくれますか? しつけてくれますか? 人として、どう生きなければいけないか、教えてくれますか?

 自由や個性を重視する世の中で、「どうあるべきか」を教えることができないというのも事実です。信念をもって教育しても、「それが正解だとはいえない」と親に言われれば、教師は引くしかないでしょう。かつては、共有される倫理や道徳というものがありましたが、今では全員が認める道徳などないのです。

 しかし、それだけではなく、他者に関わって面倒なことになるのを恐れる風潮があることも否めません。電車の中で強姦事件がおこる世の中です。目の前で誰かが危険な目に遭っていても、知らん顔して何もしない人が多い世の中です。

 誰かが、子どもをしつけてくれますか? 誰かが子どもを教育してくれますか? 誰が子どもを「愛し」てくれますか?

 子ども同士のいじめなどはあるでしょう。でも、そんなところで世間の厳しさを知ってはいけないはずです。ルールやマナー、人としての心がけなどを教えるのは誰なのでしょうか。いったい、誰がやってくれるのでしょうか。

 私がいうことは、多くのお母さんを傷つけるかもしれません。そういう可能性があると判断された方は、どうか、ここでスルーしてください。もしお一人の方のお役に立つことができるならばとの願いを込めて、書きます。ここで受けた恩をお返しするつもりで、書きます。


 お母さん、子どもを守れるのは、お母さんだけではないのでしょうか。そして、この場合の「守る」とは、「抱きしめる」「全てを受け止める」ということではないと思うのです。トラウマを残さないように、心を傷つけないように、ということとは違うと、わたしは思います。
 おかしな心理学が横行し、少しずつ経験して対処法を覚えていかなければいけないようなことさえ、避けさせようとしているように思われます。そして、そういうことを続けていったときに、子どもは「心の傷のない健康で強い子」になるよりも、「何にでも傷つくプライドばかり高いひ弱な子」になる可能性の方が高いと、私は思います。

 人生には、必ず障害があります。傷つくことや苦しむことはあるでしょう。そういうときに、それに押しつぶされずに、その痛みを共感に変え、優しく強くなっていくことができるように、その基礎を築かなければいけないのではないでしょうか。そうしなければ、子どもは、本当に幸せな人生を全うすることはできないのではないでしょうか。

 子どもを守るために、子どもを「強く」育てなければいけません。子どもを守るために、社会のルールを教えなければいけません。子どもを守るために、人と信頼関係を築くすべを教えなければいけません。他者を愛する心を育てなければなりません。

 この難しい仕事を、今、誰が引き受けてくれるのでしょうか。この忍耐を必要とする仕事に誰が取り組んでくれるのでしょうか。

 親の多くは、自分の子どもが叱られることに耐えられません。しかし、親がそういう気持ちでいる限り、誰も子どもの教育に参加してくれません。他人を引き込んで、子どもをしつけなければいけないと、思うのです。他人にも叱ってもらいながら育てていかなければいけないのではないでしょうか。
 何をどうすればいいのか、私には分かりません。ただ、自分(親)が早く死んで一人になったとしても、きちんと人の助けを借りながら生きていけるように、そして余裕があるときは人を助けられるように、他者と愛のある関係を築けるように、人を、そして自分を信じることができるように育てなければ、子どもを守ることはできないと思います。

 お母さんが「抱きしめて」「受け止めて」守っていれば、社会が子どもを教育してくれるという時代は過ぎました。ある意味、それを壊したのです。

 これから、子どもを育てるということが、いかに難しいことになるか。学校までもが「子ども自身」ではなく、自分たちの保身にばかり心を砕くようになったとき、いかに「教育」することが難しくなるか、私は危惧します。

 すべて、阿呆のたわごとかも知れません。お笑いください。ただ、自分なりに、真剣に考えて書きました。

 いままでお世話になったみなさん。本当にありがとうございました。みなさんのお陰で、辛く苦しい時期を上手に乗り越えることができました。
 心からの感謝をこめて。そして、さようなら。


たんぽぽさんへ
ルビー -- 2007年10月19日 16:02:43

  ここ2年ほど訪れてはロムしている者です。
いつもたんぽぽさんのコメントに励まされてきました。
今回のお話も2歳になる娘と自分自身と格闘中の私にはずしんときました。
どうしようか迷っていたのですがやはりお礼がいいたくて…
たんぽぽさん、どうもありがとうございました。

どうかお元気で。

まるまるこさん、さっちーさん。
たんぽぽ -- 2007年10月19日 10:52:31

   まるまるこさん、さっちーさん、ご返信ありがとうございます。

 個人的な会話をしたり卒業宣言などというものをしたりしたのは、すべて私の我儘です。こういうスレッドを掲載してくれたvoiceのスタッフに感謝いたします。
 ありがとうございまいた。

卒業について
さっちー -- 2007年10月18日 06:09:23

  まずは、たんぽぽさんお疲れさまでした。

私は、たんぽぽさんがこの高齢ボイスにいらっしゃる前からこのサイトを見ていました。その頃は、私信を書くのはまだまだタブーでした。私は、その頃のほうが良かったなぁと思ってる(たぶん)少数派です。

常連さんがいるのは良いけれど、オフ会の話をここでわざわざ書かなくても良いのになぁと思っていました。また、「○○さん元気?」みたいなのって当事者にとっては楽しいかもしれないけど、関係の無い人にとっては何でここのサイトで書かなくてはいけないのかなぁと思ってしまうし・・・。

私は、こういったサイトで卒業とかしなくても良いのではと思います。書きたくなくなったら、書かなければ良いんだし。
だから、私はたんぽぽさんは別に卒業とかしなくても良いのではと思います。別に、書きたくなったらまた書けば良いのではないですか?

もっと、気軽に考えれば良いのではと思います。


くじらさん、かなさん、dendenさん、たれこげさん。
たんぽぽ -- 2007年10月16日 16:56:19

   くじらさん、ありがとうございます。

 くじらさんのお嬢さんの優しさには、驚きました。あのときは、一歳でしたよね。二歳手前だったのでしょうが、それにしても、優しいお嬢さんですね。小さな子どもが他者を思いやることは知っていましたが、それにしても一歳児で、他の子どもをあんなに自然に思いやるなんて、驚きです。泣いているお子さんに、クッキーを持ってきてくれたんですよね。私をつんつんつっついて、クッキーを差し出し、泣いているお子さんを指差してくれました。この子は泣いていてかわいそうだなあ、これを食べたら元気になるかなあ、なんて、頭の中で考えているんでしょうね。本当に驚きました。
 また、お会いしたいです。これからも宜しくおねがいします。芽衣さんと三人で昔話したいなあ。


 かなさん、ありがとうございます。
 かなさんは、上の会話なんか、やっぱりNGだっておっしゃるんでしょうね。私は、もう卒業ですので、そういうことはなくなると思いますが、そうなのかなあ、と思うのです。なんだか、仲良しグループを作っているような感じで、他の人を阻害しているように感じるのではないかと思います。ただ、実際にはそうではないと、思うのです。私が四年前から仲良くしていただいている方々は、初めての方の投稿にも、誠実に応えようとされていました。ともに考え、応援したり、励ましたりしておられたと思います。
 そういう思いやりの心が、この場に生きているかどうか、問題はそこにあるのではないかと思います。色んな人の「ルール」が全て守られたとして、ここは、暖かい場であり続けるのでしょうか。みんながこれはNG、これもNGと言い出して、何も言えなくなってしまうことはないでしょうか。
 私は、この場が「暖かい場」であるということが、一番大切なことのように思うのです。

 
 dendenさん、ご返信ありがとうございます。
 今はお辛い時期ですね。私は、「ちゃんとしつけなさい」なんて、言ってないんです。あんまりお辛いようならば、しつけ直すという道もありますよ、そういうことを言っている人もいますよ、とお伝えしたかっただけなのです。御自分に可能な道で、御自分が楽になれる道、お子さんの健康な成長を促すような道を探してください。どうぞ、お体を御自愛ください。まだまだ、子育ては始まったばかりですから、お子さんのためにも、御自分の心身の健康を気遣ってください。私が言いたかったのは、そういうことなのです。それ以外に他意はありません。他の人の協力も得られるといいですね。

 
 たれこげさん、ありがとうございます。
 たれこげさんとは、こういう形でお話させていただいたことはないんですね。そうかあ、よくお見かけしていて、なんだか近い方のように思っていました。たれこげさんもお元気で、また、いつかどこかでお会いできれば楽しいですね。ありがとうございました。

かなさんの意見に賛成!
まるまるこ -- 2007年10月15日 21:17:35

   ずっと傍観しておりましたが、かなさんの意見を支持したくて投稿しました。

 この「高齢出産VOICE」で知り合った方々が、オフ会を開き、さらに交流を深めていく・・・それはとっても素敵なことだと思います。10年・・いや5年前までは、考えられなかったことです。

 でも、その内容をこの「VOICE」で読む第三者にとっては、なぜか、違和感を覚えます。もちろん、そうは思わない、という人もいらっしゃるでしょう。

 この違和感は何?
自分でもうまく表現できませんが、この違和感は、かつてこのサイトがリニューアルされる前の、あの「子育て報告はブログで!」論争の時に感じた感覚にも似ています。

 あれ以来、なんとなくこのサイトにストレスを感じて、自然に遠のいていましたが、最近また、時々のぞいては、ひたむきに「生命」の誕生を願う方々の気持ちに触れ、ひそかに感動をもらっていたりしています。

 ストレス、違和感、それは、自分が勝手に感じているだけのことだと割り切ればいいのですが、「違和感を感じましたよ〜」ということもひとつの意見として聞いていただければ幸いです。

 今回の論争やたんぽぽさんの「卒業宣言」とははずれた意見で申し訳ありませんが。

お疲れ様でした
パラダイス -- 2007年10月15日 21:09:23

  はじめまして、たんぽぽさん。
パラダイスと申します。

たんぽぽさんとは直接やりとりさせていただいたことがないまま
卒業されるとのこと、残念に思います。
いつだったか、「赤ちゃんはとても賢い。赤ちゃんは親が思うより
たくさんのことをわかっている。」という助産師さんの話があり私はとても感銘をうけたのを忘れることができません。
あれは、たんぽぽさんのお母様のお話だったのですね。

あの話を私は常々思い出しながら娘と接するように心がけています。赤ちゃんだから、何もわからないから、ではなくていつも私を信頼し私を見つめている小さな心と向き合っていこうと思います。大げさですが無垢な魂に映る自分はどんなものだろうか、と、まるで娘と接するのは自分の生き方を見つめるようなものです。

私は人と人とのつながりっててときどき暗闇の中を稲妻が光るようなものだな、って思います。時々何かが光って人の姿が見えるんです。すぐにその姿も消えて、あぁ幻だっのか・・なんて思うんだけれど、それは確かにそこにあったんですね。その残像のようなものが美しければ私はそのあとまた暗闇に戻っても勇気をだして歩き続けていけます。

たんぽぽさんのお母様の言葉はたしかにそのようなものとして私の心に残りました。

たんぽぽさん、ありがとうございました。

お元気でいてください
たれこげ -- 2007年10月15日 13:17:22

  いろいろなご意見が交わされるなか、のほほんとしたご挨拶で申し訳ないのですが

たんぽぽさん、私は「議論」というのがあまり得意でも好きでもないので、あまり同じトピでお会いすることはありませんでしたが、いつもご意見は読ませていただいていました

たまにのぞくと、よく目にしていた「たんぽぽさん」がご卒業ということで、寂しい気がしてご挨拶に来てしまいました

もしかしたらいつか、お互い別の名前でどこかでお会いすることがあるかもしれません
そんな日が本当にくればな、と思います

これからもずっとお元気でいらしてくださいね

最後に、たんぽぽさんへ。
denden -- 2007年10月15日 12:56:49

  こういったコミュニケーションにお疲れという意味はとてもよくわかります。
それを4年間も続けていらしたことに対し、敬意を表します。

ここにたくさんのレスがついていることでも分かるとおり、たくさんの方から慕われていらっしゃるたんぽぽさんの『卒業』(ごめんなさい、私はこの表現も好きになれません。。。)を残念に思っていらっしゃる方もまたたくさんいらっしゃいます。

それでももうこういうことをやめたい、と思われる気持ちもよく理解できるつもりです。
私からはただ、お疲れ様でした、と言わせて下さい。

私は言いたいことはそのまま言ってしまうほうなので、論争になってしまうことも多いのですが、そのうち面倒になってきて、うわー始めなければよかったーと思うことも度々です。
でも自分がまいた種は刈り取る義務があるので、できるだけあきらめずに行くところまで行きます。

ネット上での論争は初めてのことで、ほんとにめんどくさいなと実感しております。
論争の相手とは違う人からもレスがつきますし、その都度論点に微妙な(ときには甚大な)ズレが生じます。
それに対してすべて対応していくのは、本筋だけを話したいものにとって、本当に面倒なことです。

たんぽぽさん、rinさんのスレッドでの私の発言も、たんぽぽさんにとってはそういうものだったのではないですか?
けれども、誠実に対応してくださった、そういうことですよね?
その面倒くささは容易に想像がつきます。

返す返すも、あの時たんぽぽさんが別スレッドを立ててくれさえいたら。。。と残念でなりません。

この発言に対してご返信は結構です。
これ以上、お疲れを増す原因をつくりたくありませんので。

ご多幸をお祈りいたします。

くじらさんへ。たんぽぽさん、横レス失礼します。
denden -- 2007年10月15日 12:51:05

  くじらさん、はじめまして。

> 看過できず軽く身体を震わせて書いています。

お怒りということでしょうか?

> たんぽぽさんはもうずっと前からこのスレッドでご自身が言われている理由で卒業を仄めかしていましたもの。あなとのやりとりがここを去る原因になったなんてそんなそんな…。責任の一端でも感じる必要はないとおもいます。

お気遣い頂き、ありがとうございます。
責任を感じているわけではなく、先のレスにも書きましたとおり、たんぽぽさんが私あてのレスの中で説明していらっしゃるので、そういう意図かと思ったまでです。

> ただdendenさんの言葉尻を捉えたような喧嘩腰のレス(私はそう感じました)では、「解かり合うことは難しい、、、残念」と書かれたのではないでしょうか?

喧嘩腰に感じられたなら多分そうだったのでしょう。
ネット上でのコミュニケーションは字面に現れることがすべてなので、そう感じられるといわれれば、否定のしようがありません。
下にも書きましたが、私はたんぽぽさんが別スレッドで言わんとしていることは理解しています。
問題は別のところにあります。
もうしつこくなるのでこれ以上は繰り返しませんが。

> 最後に、

 >>ですから、追いつめられている(とされる)母親に「少しでも楽になれればと思って」などと言わず、素直に「追いつめられてるなんて思わずに、子供が泣かないようにしつけなさい。それが母親でしょ」と言ってしまえば、たんぽぽさんも楽になれるのではないかと感じました。
たんぽぽさんこそ楽になってもいいのではないでしょうか。

> それ以前のやり取りを拝見していないので事情はよくわからないながら、
↑のような書き込みこそ人を傷付け疲れさすのではないかな?
正直驚きをかくせませんでした。

この言葉(に代表される私の一連の投稿)でたんぽぽさんが傷付き疲れてしまったのなら申し訳ありませんでした。>たんぽぽさん

このことに関してはそれ以前の経緯をすべて(私とたんぽぽさんのやり取りだけでなく)ご覧になってから発言していただきたかったとは思いますが、くじらさんがここだけをみてそう感じられたというのもひとつの事実ですから、重く受け止め、今後発言する際に留意したいと思います。

そもそも、別スレッドの内容を引きずった発言をここでしたことが間違いでした。
「スレッドのテーマに沿った投稿をするべき」という、自分でも提唱していることに反したことをしてしまい、反省しています。

たんぽぽさんへ
晶 -- 2007年10月15日 11:57:04

  連日の投稿本当にお疲れ様です。
私のことはどうかお気になさらないでください。
たんぽぽさんのお気持ちは、他の人へのコメントで充分伝わってきましたから。

実はあれから反省していました。
たんぽぽさんの投稿はすごく影響力があるので、思わず自分の気持ちをとうとうと書いてしまったのですが、それがたんぽぽさんを追いつめるひとつになったんじゃないかって。
でも、たんぽぽさんは、意見が対立するから敵味方という捕らえ方ではなく、伝えたいという気持ちを理解してくれたので、それが嬉しく思いました。

人が誰かに何かを伝えたいと思う時、その内容以上に、その人がどうしてそれを伝えたいのか、考えることはすごく大事ですよね。
そうすれば、言葉尻を捕らえた言い合いが少しは少なくなると思うのですが。

勉強になりました。
かな -- 2007年10月15日 11:17:20

  3年ぐらい前にこのサイトを知り、それからこちらで相談させていただいて精神的に助けていただいたり、いろいろなご意見に触れて勉強させていただいたりしています。
今回の一連の論議もとても考えさせられる内容が多く、改めてこのサイトをとても有意義に感じています。
たんぽぽさんのこれまでのご意見も、そのご意見に私自身賛成な時も反対な時もありましたが、その問題定義に自分自身で考える機会となり、大変ありがたく感じていました。
今回ご卒業される、ということでとても残念に感じます。こちらは「高齢出産」に関わる方たちのサイトではありますが、「高齢出産」の当事者同士の意見交換だけではなく、その問題にかかわる問題定義の場所としてでも是非存続していって欲しい、と勝手に思っています。
私がただひとつひっかかる点は、このサイトをずっと長く支えてくださっているような方々が、「身内意識」でたんぽぽさんを庇護されているようなレスを書かれていることです。(私がそう感じるまでで、心外だ、と強く思われる方がいらっしゃると思いますが、すみません。)こちらで匿名で出会った同士がチャットでもっとつっこんだ話ができることはすばらしいと思うし、意気投合した同士がメールフレンドになれることもすばらいしいことだと思います。
その方々が匿名をやめて実際に会われる事もいいでしょう。でも、「このあいだは楽しかったね。」みたいなことをこちらに書き込まれる事はとても疑問です。そういった内容はそちらのチャットやメールでやり取りされればいいのではないでしょうか?
以前にある方が、ここは本当に情報を必要としている方が訪れるサイトでもあり、そういう方のために個人的な内容で情報量のキャパを無駄に使われたくない、といったような内容を書かれていました。私もその意見に同感でした。
チャットやメールフレンドへのお誘いは大いに結構だと思いますが(私もやりたいな、とは思っているので..)その内容についてここでお話するのはNGではないでしょうか?

さむらいさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月15日 10:38:11

   さむらいさん、ご返信ありがとうございます。

 どうしてこんな「論争」の最中に卒業宣言をするのかとのことですが、実際のところ「行き違い」だと、私は思っています。前提とするところが異なるとコミュニケーションは難しくなるものだと、今更ながら思います。
 
 こういう行き違いは、日常茶飯事で、もう慣れていますから、私は別に傷ついてもいませんし、怒ってもいません。引用の件についてはきちんとマンゴぷりんさんにお尋ねして、考え方に相違があるということは確認しました。別に考え方が違うということは大きなことではないので、お互いに確認して、それでおしまいです。

 ただ、こういうインターネットの世界で見知らぬ人とコミュニケーションをとるということは、非常にエネルギーを要することだと思います。ここで多くの友人を得て、多くの方に応援していただき、多くのことを学ばせていただきました。四年の間、私はこのサイトに没頭し依存していたと思います。もうそろそろ卒業しなくてはいけないと思っただけなのです。

 八月にオフ会がありまして、実際にお仲間のみなさんにお会いしてお話しました。そのときに、「フェイドアウトするのはよくないよ、卒業するならきちんと挨拶しときなさい。」と言われたことも気になっていました。それくらい、ここで多くの方々とお話させていただいたのです。また、卒業宣言をしておけば、連絡がとれないままになっている「もみじ姉さん」や、「芽衣さん」が連絡を下さるかもしれないという期待もありました。

 どうしてこのタイミングなのかということについては、理由があります。さむらいさんは「論争」とおっしゃいますが、実際のところ、別に論争にはなっていないのです。私はトビ主さんの制止を振り切って立て続けに投稿したことになっていますが、あれは書き込んだ時間とアップされる時間のずれから生じた誤解です。田中喜美子さんの本を紹介した三つのレスは、もともと一つのものです。長くなるので一旦切ったところで、一番目の返信だけがすぐにアップされたのです。それに対するトビ主さんの御意見を読むことなく、三つのレスを一つのレスとして書かせていただきました。

 この三つのレスが物議をかもしたのだと思いますが、私としては誰を傷つけるつもりもなく、また誰かを論破しようなどという意図もありませんでした。ただ、「本当に育児に疲れている方、本当に行き詰って苦しんでいる方」に、別の考え方もあると紹介したかっただけです。

 虐待ということについても、たしかに「どうしようもない親」が虐待するということもあるでしょうが、子どもが全く言うことをきいてくれず、パニックになって手を上げる人が多いというのも事実だと思います。こういう場合、子どもとのコニュニケーションのとり方がわからずに起きている「虐待」ですので、上手にコニュニケーションがとれるようになれれば、問題が解決することもあります。最後にできるだけ誤解を解くことができるように努力したいと思っています。
 本当に困っていらっしゃるお母さんに、そしてこれからママとなられる方々に、「私の考えるところ」を述べたいだけです。これを掲載するかどうかはVOICEのスタッフの判断するところですし、これを読むかどうかお決めになるのは御本人だと思います。私は、最初に、このスレッドの内容が多くのお母さんを傷つける可能性があるものだとお断りしています。誰がどのように感じるか、私にはわかりません。

 もう一度確認させていただきますね。「論争」にはならなかったのです。トビ主さんからのお断りのレスがありましたので、私は「それでは本当に困っているお母さんはどうすればいいんですか。」とお聞きしました。それに対するお返事はなく、私の返信がこれ以上続くことは迷惑だとのことでしたので、自分でスレッドを立てただけのことです。

 このスレッドで、私は誰も非難するつもりはありません。「論争」がどうということはないのです。くじらさんがおっしゃってくださったように、この程度の行き違いは本当に日常茶飯事でした。
 今、「心の友」と私が慕う仲間の多くと、この程度の「論争」はしてきました。私自身が真っ赤になるほど恥ずかしいことをして謝ったこともありますし、真っ青になるほど申し訳なく思ったこともあります。こちらから「これはどういうことですか。」と問いただしたこともあります。sachiさん、未久さん、ぶうさん、トマトの気持ちさん、バンビさん、タクシー2さん、たとえばこういう方々です。トマトの気持ちさんとなんか、ケンケンガクガクやりあったものです。みなさん、大切な「心の友」です。

 一度も論破するために議論をふっかけたことはありません。少なくとも、私の意図としては、そうです。ここは一つのサロンでした。高齢で子どもを授かった方、子どもを望む方が、それぞれの理想を語り、現実の問題を語りあったものです。意見に相違があっても「より良く生きたい。」という願いをもって、語り合ってきました。そして、「より良く共に生きたい。」という願いをもって、他者の苦しみに耳を傾け、知恵を出し合ったものでした。そういう暖かさのなかで、何の解決も見えなくても、生きる力を取り戻すことができた、ここはそういう場だったのです。

 現実は難しい。一つ一つの問題は、簡単に解決できない。それでも、もし人間の幸福、より良い社会の実現を目指すのなら、本気でそれを目指すのなら、辛抱強く他者を理解する努力をし、辛抱強く現実を変える努力をしなければならないと思います。それ以外に方法はないと、私は思います。

 ここを卒業するのは、別にそういうことを諦めるということではありません。ママでもプレママでもなくなった今、とりあえずそういう意識が薄れてしまった今、私がいるべき場は、ここではないと思ったのです。「ママ」もしくは「プレママ」でなければ共感できないこともあります。私の見方は冷めたものになりつつあります。それは、この場にはよくないと思うのです。

 こういうことですので、どうか御理解ください。

フラメンコさん、クレヨンさん、りお☆さん、dendenさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月15日 09:41:30

   フラメンコさん、ありがとうございます。
 結婚も子どもを生むということも、縁なのだと思います。いい縁があるといいですね。う〜ん、「アブラカダブラー、フラメンコさんの夫さんと子どもさん、素敵な奥さんお母さんは、ここですよ〜。一直線に来てくださ〜い!」
 ごめんね、ふざけているんじゃなくて、くじらさんがお子さんを授かる前に、こんなこと言ってたもんですから。妊娠菌の飛ばしあいとか、よくやってました。でも、ここでお話させてもらった人の多くは実際に妊娠して無事出産されましたから、気楽なコミュニケーションをとることは、どうもいいみたいですよ。
 フラメンコさんのお幸せを祈って祈って祈っていますね!

 クレヨンさん、再度ご返信ありがとうございます。
 ひげさんも私も、あんまりイケるくちではないんです。ビールいっぱいで酔っ払いますので。実は、もっと歳をとったら、ひげさんとは縁側で渋茶をいただきながら落語のような会話を楽しみたいんです。ボケ対ボケで、ツッコミなしの。あ、関西人でないと分かってもらえないかもしれませんね。
 お幸せを祈っています。ありがとうございました。

 りお☆さん。
 ああ、ごめ〜ん。坊ちゃんの年齢を引くの忘れてた〜。未久さんのことも45歳で出産したから今も45歳とか思ってるし。お子さんが大きくなったらお母さんもその分歳をとるんですね。はは、当たり前なんだけれど。
 それにしても、みんなお若くて、歳が分からなかったわ。なんといってもチャンピオンはみわこさんですね。「実年齢より20歳若い」と、みんな言ってました。それって、聞いているだけだと「うそだろ〜。」と思いましたが、実際にお会いして、本当だということがわかりました。
 目指せ見た目20代、なんて、ちょっと無理がありますかね。
 これからも宜しくお願いします。

 dendenさん。
 もう、言葉を尽くしたつもりです。どうか御了承ください。

dendenさんへ
くじら -- 2007年10月14日 16:53:59

  しばらく振りにここへきたらたんぽぽさんのスレのレスが70を越えていてまずビックリ。
ちょうど一番上にdendenさんの投稿があったので読んで「?」何事かと思いさかのぼってあなたの一連の投稿を読ませて頂きました。看過できず軽く身体を震わせて書いています。
たんぽぽさんはもうずっと前からこのスレッドでご自身が言われている理由で卒業を仄めかしていましたもの。あなとのやりとりがここを去る原因になったなんてそんなそんな…。責任の一端でも感じる必要はないとおもいます。
思えばたんぽぽさんてよく論争になっていたのも事実。私も参加して(ロム専で)いろいろ学ばせて頂きました。ものすごいエネルギーを以って話し合い結局双方根底にある理想は一緒だったりして理解し合うことも多くありましたよね。
ただdendenさんの言葉尻を捉えたような喧嘩腰のレス(私はそう感じました)では、「解かり合うことは難しい、、、残念」と書かれたのではないでしょうか?
最後に、

>ですから、追いつめられている(とされる)母親に「少しでも楽になれればと思って」などと言わず、素直に「追いつめられてるなんて思わずに、子供が泣かないようにしつけなさい。それが母親でしょ」と言ってしまえば、たんぽぽさんも楽になれるのではないかと感じました。
たんぽぽさんこそ楽になってもいいのではないでしょうか。

それ以前のやり取りを拝見していないので事情はよくわからないながら、
↑のような書き込みこそ人を傷付け疲れさすのではないかな?
正直驚きをかくせませんでした。

たんぽぽさん
ご卒業へのメッセージもまだなのに失礼いたしました。
またあらためまして。

後悔しています。
denden -- 2007年10月14日 02:41:16

  やはり返信しなければよかったと後悔しています。

あれが最後と思って書いたのですが、スルーできない返信内容でしたので、もう一度書かせていただきます。

>  dendenさんには御理解いただけなかったでしょうが、私は、以前のスレッドで、dendenさんには誠心誠意向かいあったつもりです。

私はこういうことについて何も言ったつもりはありません。
こういうことを言われること自体が意外なことです。

別スレッドのレスでも申し上げていますが、私はそもそもたんぽぽさんが「私個人について」何か言った、とは思っていません。
「混同しないでください」と言われる前からもちろん混同してはいません。

たんぽぽさんのレスの内容が自分の状況にかぶるところがあったため、それを取り上げたまでで、「たんぽぽさんの発言で私は傷付いている」などと一度も言っていませんし、思ってもいません。
rinさんが、自分の立てたスレッドの中で傷付く人が出るのがいやだ、というようなことをおっしゃっていますが、それが私のことだとは私自身は思っていません。

繰り返しになりますが、私はここを大人の情報交換の場、意見交換の場、議論の場、ととらえ、利用させていただいています。
いろんな意見の人がいて当然で、意見のことなる人々がスレッドのテーマから外れずに有意義な議論を戦わせるのはよいことだと思っています。
そのためにこういう掲示板があると思っています。

たんぽぽさんは自分の意見を述べられた。
私もそうした。
それだけのことなんです。

>  真剣に、誠意をもってお返事したつもりです。通じ合えなかったことについては仕方のないことだと思います。

そうですね。
「私が何を言っているか」を分かっていただいていないと、この返信を読んで強く感じました。
私が「たんぽぽさんに対して」申し上げているのは、「スレ主の制止を振り切って矢継ぎ早の返信(しかもかなりの長さの引用文を含む)をしたのは少しやり過ぎだったのではないでしょうか」ということだけです。
「通じ合えな」いというのはそこの部分だと思います。

たんぽぽさんがあの一連の投稿で言わんとしていることはよく分かります。
同意できる部分もあり、できない部分もあり、あのスレッドのああいう状況でなければきっと有意義な議論ができたのではないかと思います。
私はあのスレッドであのまま続けるべきではないと判断しました。
それはこのスレッドでの最初の返信に書いた理由からです。

私はたんぽぽさん個人に対しては何の感情も持っていません。
最近ここを利用しはじめたばかりで、たんぽぽさんがどういう方かもよく存じ上げませんので。
ただ、あの投稿態度が適切ではないと思っただけです。

>  以前の私なら、まず「謝った」ことでしょう。

私に、ですか?
どうしてでしょう?
この発想自体がよくわかりません。
私は謝られるようなことは何もされていないのに。。。
こういう発想ではどんな議論も難しくなります。

> しかし、私は今回、「もう納得のいかないことで謝りたくない」と強く思いました。それが、ここを卒業しようと決めたきっかけでした。

納得のいかないことで謝り続けていらしたんですね。
そういうことであれば疲れてしまうのも無理もありません。
なぜ納得のいかないことで謝り続けていらしたのか、知る由もありませんが。。。

このことを私に対するレスの中でおっしゃる真意は、やはり原因は私とのやりとりにある、ということなのでしょうね。
私は「なぜ『卒業』されるのですか」と一言も尋ねていないのに、あえて私へのレスのなかにこう書かれたわけですから。

「もう納得のいかないことで謝りたくない」ということの対象にされてしまったことを非常に残念に思います。私自身はそんなこと思いつきもしていなかったので。
後味が悪いですが、仕方のないことだと思います。

たんぽぽさんはそう思われた。
そういうことですから。
おそらくたんぽぽさんを慕われている方々から、私は顰蹙を買うことと思います。
が、それも仕方のないことでしょう。

>  それはきっかけでしかありません。私はこのサイトで多くのことを学ばせていただきました。心から感謝しています。けれども、もうこういうコミュニケーションに疲れたというだけのことです。

そうですか。。。としか言いようがありません。。。
繰り返しになりますが、私は「なぜ『卒業』されるのですか」と一言も尋ねていないのです。。。

タイミングが・・。
さむらい -- 2007年10月14日 00:22:39

  たんぽぽさん、お疲れさまです。
ロムってた者ですが、色々とこのサイトでお疲れになったこともあったかと思いますが、「ママでもプレママでもなく・・」という理由なら、何故今このタイミングなのかなと思いました。
色々な論争があった後いきなりこういうのは、前トピを立てた方などにも後味が悪いと思いました。
偶然なのでしょうか?もう少し大人の対応や気遣いが欲しかったような気がして残念です。

偶然!
りお☆ -- 2007年10月13日 22:09:54

  たんぽぽさん、本筋とは違うことですが、おお!と思ったのでレスさせてくださーい。
はじめ「すみれ」にしようと思ったとのこと……私も最初、「スミレ」で一度書き込みして、「スミレさん」がすでにいらっしゃってハンドル変えたのです^^
昔からよく「スミレ」を使ってました(今も、他で形をかえて使っていることも…)
なんだかたんぽぽさんとの偶然が(私はカタカナだけど)嬉しかったのでレスさせてもらっちゃいました〜

お元気そうで何よりです
りお☆ -- 2007年10月13日 21:58:53

  たんぽぽさん、私は42歳で出産しました。
今妊娠できたら46での出産となりますが、まさにいま生理中です^^;
ほんと、自然妊娠はいつするかわからないですよね!
まだあきらめはせずにいきまーす!

ありがとう。そしてお元気で!
クレヨン -- 2007年10月13日 21:50:59

  たんぽぽさん、お礼を言うのは私のほうです。本当にありがとうございます。
 あれからまだわずかな期間ですが、私自身の次女に対しての態度が、落ち着きを取り戻したというほうがよいかもしれません。色んな感情が邪魔して、まっとうなコミュニケーションが失われていたと思います。娘も落ち着いてきました。

 感情、態度ともにニュートラルにして、今すべきこと、示すべきことを『通達』することは、親自身も自然と『愛する我が子』から適度な距離を取り冷静になれるので、振り回されて不必要なエネルギーを使うことも減ったし、手綱を取り戻せた感があります。
手綱なんて言うとまた、誤解されそうですね。子どもが親の「通達」を壁にして、強制でもなく、妥協でもなく、自立的に行動をとる子どもの様子を見て、待つことが出来るようになったのが本当に収穫です。対応の形だけでなく、考え方の変換が出来たことが大きかったです。

結局自分にあった問題なんですよね。現象になって、避けられない、言い訳がきかない、ごまかしようがない事態になってこないと、自分を省みることができないし、改めることもできないと、また、知らされています。家庭に問題が出たら、自分や家族にあったゆがみや間違いを直す機会が来たのだと思って、これから一つ一つやっていくしかないですね。

たんぽぽさん、「言葉は誰が言ったかが大事だ」と職場の尊敬する先輩が教えてくれました。これまでの数ヶ月、バックナンバーも含め数々のご意見を拝読させていただき、やっぱりたんぽぽさん!と快哉を叫ぶ自分がいました。お会いしたことはありませんが尊敬しております。たんぽぽさんとこの掲示板を通して少しでも交流できたことを感謝しています。

あと、突然ですが、ひげさんとビール飲むたんぽぽさんをこっそり見てみたいです。辛抱強く話の通じない相手に言葉を砕いては、最後までコミュニケーションを試みる姿勢がお二人に共通していて、飛ぶ話以来ひげさんのファンですし、ここで見つけた私にとっての二大巨匠だったので、その二人がビール挟んでどんな会話をするのかとっても気になりますが、きっといい時間になるでしょうね。私は身近な友とビールを飲むことにします。
たんぽぽさんのこれからがさらに幸多かれと祈念しています。それでは、またどこかで!

たんぽぽさんへ
フラメンコ -- 2007年10月13日 20:36:27

  お返事ありがとうございました。仕事でへこんでいたので、たんぽぽさんのお返事が本当に力となりました。毎日、子どもの問題にふりまわされ、ぐっすり眠る事ができない毎日ですが、逃げずにがんばります。こんな時、「結婚できていない自分」「子どもを産み育てたことのない自分」が情けなくみじめに思います。でも、とにかくがんばるしかないです。ありがとうございました。

晶さん、エリリンさん、かあなしさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月13日 13:04:44

   晶さん、何度もご返信いただきありがとうございます。

 真剣に考えて下さっているのが分かり、本当に嬉しいです。今、あんまり時間がないので、時間があるときにきちんとお返事書きます。今までの議論をまとめる形で、書きたいと思います。お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。心からの感謝をこめて。

 エリリンさん、ありがとうございます。

 あのときは、本当にひどかった。あれは、酷かったですねえ。本当に、どうしていいのか、私にも分かりませんでした。ただ、何か言いたくて、それだけでした。
 生きていると色々ありますね。嫌なこともあるけれど、嬉しいこともあります。お互いに頑張りましょうね。
 エリリンさんのお幸せを祈っています。

 かあなしさんへ

 すみません、かなあしさんじゃなくて、かあなしさんなんですね。お名前間違えてすみませんでした。

ぶうさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月13日 11:53:06

   ぶうさん、ご返信ありがとうございます。

 ぶうさんには、本当に教えられました。ここで、多くの方に出会い、多くのことを教えていただきましたが、最も強い印象を受けたのは、ぶうさんのお嬢さんのこと、ぶうさんのお嬢さんへの愛情でした。

 親になるとは、どういうことなのか、教えていただきました。私の気持ちは決まりました。「子ども」に対する気持ちを、定めることができました。

 実際にいないので、それは現実には経験できないことかもしれませんが、「親としての心構え」をはっきり定めることができたことは、本当に有難いことでした。

 子どもに障害があることが分かった場合どうするのか、そういうことで悩まれる方は、ここには多いと思います。それは、本当に辛いことですね。誰でも、子どもは元気で育って欲しい、そのことは、親として当然の人情だと思います。

 でも、「親」であるとは、どういうことなのか、「親」になることの厳しさ、崇高な事実、その責務、私はぶうさんがお嬢さんと共に生きられた数ヶ月にはっきりと見ることができました。今思い出しても感動で涙が出てきます。ぶうさん、あなたは、本当に立派だった。

 ぶうさんのようにできる人は多くはないでしょう。そのことについて言い過ぎることは他の人を傷つけるかもしれません。それでも、やっぱり、あなたは親として母として、あまりにも立派でした。

 ありがとうございました。心から、感謝いたします。そして、これからも宜しくお願いします。あなたは、私の「魂の師匠」です。

とくめいですさん、マーマレードキャットさん、タクシー2さん、かなあしさん、sachiさんへ。
たんぽぽ -- 2007年10月13日 11:28:01

   とくめいですさん、ありがとうございます。

 本当に、不妊というのは、複雑ですね。でも、妊娠って、してしまうと順調にいけば一年足らずで、「お母さん」です。ここで、何人も「もう諦める」といっていた人が妊娠して無事に出産される姿をみてきました。これだけは、本当に分からないです。でもね、私も本当に諦めてしまったわけではないんですよ。だって、来月になったら「陽性」反応が出て喜んでいるかもしれませんよ。気持ちを楽にもってくださいね。「神さま、仏さま、御先祖さま〜〜〜。」ですよね。でも、子どもがいなくても、十分幸せだとも思います。色んな人生がある、与えられるものがあれば与えられないものもある、それは仕方ないことだ、そんな風に思います。
 とくめいですさんは、私よりお若いのでしょう。まだまだですよ。がんばって〜。とくめいですさんのところに、可愛い赤ちゃんが来てくれますように祈っています。

 マーマレードキャットさん、ありがとうございます。

 以前、大変お世話になりました。本当に有難かったです。なんだかとっても心配して応援していただいて、ああ、本当に、色んな人に助けてもらって、色んな思い出があります。ありがとう、心から感謝です。
 私は、別の場所でも、「たんぽぽ」というハンドルネームを使い続けます。また、いつか、どこかで、ご縁があれば、きっとお会いできますね!

 タクシー2さん、ありがとうございます。

 タクシー2さんとも、ちょっと食い違いがあったことがありましたよね。何だったかな、今は思い出せないけれど。そのとき、タクシー2さんが、「個人的に話せば、きっと分かり合えると思う」というようなことをおっしゃったと思います。そして、今、タクシー2さんは、個人的な「心の友」です。いつもありがとう。ごめんね、心配ばっかりかけて。これからも宜しくお願いします。

 かなあしさん、二度目の投稿ありがとうございます。

 本当に、みんなすごいですね。こういう話をしていると、日本の未来は捨てたもんじゃないと思います。いつか、どこかで、またお会いできると嬉しいです。

 sachiさん、二度目の投稿ありがとうございます。

 いっつも心配ばっかりかけてごめんね。また、お会いしましょう。今度は、「東北」かな。楽しみにしています。ありがとう。

わんわんさん、おはなさん、kotoneさん、ほわいとちょこさん、いちじくさんへ。
たんぽぽ -- 2007年10月13日 11:02:52

   わんわんさん、ありがとうございます。
 
 また、別のところで、お会いできることがあればいいですね。私のハンドルネームは、常に「たんぽぽ」です。お言葉をかけていただき、ありがとうございました。また、いつか、どこかで。

 おはなさん、ありがとうございます。

 他の方のレスにも書いたのですが、私は、ちっとも優しくなんかないんです。おそらく、嫌なことをいっぱい書いています。ただ、誠実でいたいとだけは思っているのです。それは、他の方からどう見えるか分からないのですが、とりあえず「自分の気持ちとしては」そうなのです。しかし、そのために返って人を傷つけることも多かったと思います。う〜ん、どうすればいいんでしょうね。無関心でいることがいいのかな、それとも、別の方法があるんでしょうか。誰も傷つけないような書き方って、どんなものなのか、よく分からなくて、難しいですね。まあ、自分に力が足りないということです。勉強します。

 kotoneさん、ありがとうございます。

 kotoneさんの「たんぽぽさんのスレッドには『秩序』の必要性を問いかけるという1本の芯が通っているように感じ入っていました。秩序のもとでこどもの心を守り育てるという考えは、とても大切なことに思えます。」というお言葉、本当に有難いです。
 お一人でも、そんな風にとってくださった方がいたということ、そのように理解してくださった方がいたということが救いです。勇気をいただきました。本当に、ありがとうございました。

 ほわいとちょこさん、ありがとうございます。

 「たんぽぽ」について教えていただきありがとうございます。そうなんですか。実は、本当は「すみれ」にしたかったんです。でもその当時別の「すみれ」さんがいらっしゃることに気づき、「たんぽぽ」に変えたんです。要は草花の名前なら良かったというだけなんですよね。たんぽぽの根っこ、いつか見てみたいです。励ましていただいてありがとうございました。

 いちじくさん、ありがとうございます。

 ママでもプレママでもなくなった、それがここを卒業しようと思うようになったきっかけです。もちろん、いつでも妊娠すれば生みますが、あまりそれに捉われたくなくなっただけなのです。いつか、どこかで、お会いできるといいですね。ありがとうございました。

にゃんこの気持ちさん、匿名匿子さん、りお☆さん、サリー紫さん、じぇんさん、チチェキさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月13日 10:30:54

   にゃんこの気持ちさん、ありがとうございます。

 39歳ですよね、若い! ほんっと、若いです! 夏にオフ会に言ってきましたが、そこに参加していた数名の人のうちお二人は46歳で出産されていましたよ。他にも46歳47歳で出産している方は、何名もいらっしゃいます。今では特別なことだとは思いません。もちろん、誰がその幸運に巡り合うかは、分かりませんが。それにしても珍しいことではなくなってきていると思います。
 教育については、まず「自分は未熟だ」と思えたら、かなりいいんじゃないでしょうか。だって、成熟した人なんていないでしょう。本当に、ごく稀に「この人は天使か」という人にお会いしますが、そういう人は、ほんっとに特別で、誰だって未熟でしょう?
 自分だけで育てると思うから辛くなるので、その時々で色んな人の手を借りればいいんじゃないでしょうか。子どもは、そういう人の中から、自分で援助者を選んでいけると思うんですね。自分は未熟だから、分からないことも多いから、人の手を借りよう、そんななかで子どもはバランス感覚を身につければいい、それでいいんじゃないでしょうか。絶対的に良い時代なんて、なかったし、これからもないでしょうから。
 にゃんこの気持ちさんのところに、可愛い赤ちゃんが来てくれるように祈っていますね。

 匿名匿子さん、ありがとうございます。

 「掲示板の文字だけでは本当にいいたいこと伝えたいことには限界があるんだと思います。」本当にね、この一言に尽きます。別にどなたがどうとか、そんなことじゃなくて、四年間のこと、人と意見が食い違いながら、何とか向き合おうとしてきたこと、そういうことの疲れが出てしまっただけなのです。インターネットだけのお付き合いには可能性もあるけれど、やっぱり限界もあるでしょうね。ありがとうございました。 

 りお☆さん、ありがとうございます。

 夏のオフ会、ありがとうございました。あれ、りお☆さんは何歳で出産されたんだったけ、やっぱり四十代半ばでしたよね、未久さんも45歳出産だったし、そうしたら、夏のオフ会は、四十代後半で出産された方は何人だったのかな。本当、四十代後半で出産された方たちは、このサイトの☆ですよ。みんなを励まして差し上げてくださいね。う〜ん、考えればすごいオフ会だったなあ。みんな若かったですねえ。

 サリー紫さん、ありがとうございます。

 サリー紫さんには、御心配ばかりかけてすみません。なんだか、最近とみにトラブルメーカーで、親しくさせていただいている方々に心配ばかりおかけしています。ごめんね〜〜〜〜〜。また、メールします。

 じぇんさん、ありがとうございます。

 仕事の方は落ち着かれましたか? じぇんさんは、次の世代のリーダーになられる方なのですから、今の怒りを「力」に変えていって、大学をよりよいものにしていってくださいね。期待しています。要は、一人一人の人間のあり方が重要ですね。私も頑張ります!

 チチェキさん、ありがとうございます。

 不妊治療を三年なさっているんですか。結果がでないと辛いですよね。私の場合、経済的な余裕がなく不妊治療はできませんでしたが、その分、気楽だったところもありました。でも、やっぱり可能性は高くなりますから、どうか、頑張ってくださいね。
 チチェキさんのところに可愛い赤ちゃんが来てくれることを祈っています。


 

フラメンコさん、カオリさん、パフェママさん、ゴーヤさん。
たんぽぽ -- 2007年10月12日 18:45:45

   フラメンコさん、ありがとうございます。
 すみれさんと連絡がとれるといいですね。教師も大変だと思いますが、人間の土台を作る崇高な仕事です。どうか、諦めずに頑張ってください。子どもの未来、日本の未来がかかっていますものね。
宜しくお願いいたします。

 カオリさん、ありがとうございます。
 百人百様、本当にそうだと思います。育児書どおりに育てられるわけでもないのも、本当にそのとおりです。ただ、一つの方向だけが示されているように思われたので、別の道も示したかっただけなのです。何度も例にさせていただいて申し訳ないのですが、「トマトの気持ち」さんの育児のようなものが、私が一つの理想とするものなのです。別に何かを強制するようなことではないのです。言葉が足らなくて申し訳ありません。いい足りないところを補っていただいて、ありがとうございました。

 パフェママさん、ありがとうございます。
 パフェママさんの子育ては素晴らしいですね。何の反論もありません。ただ、一つだけ違うとしたら、子どもがどんな状態になっても「抱きしめること」だけが解決の方法だと思い込むことは、お母さんたちを追い詰めることになるだろうと、私が思っていることです。乳幼児のしつけについては、トマトさんのレスかクレヨンさんのレスを読んでいただければ、イメージしていただけるのではないかと思います。何も残酷なこともない、ただ静かに語りかけるだけで済むことがほとんどです。添い寝や断乳など具体的なことはわかりませんが、それも含めて田中さんの考え方を紹介したかっただけなのです。そういう考え方が一般的なものではないので、そういう考え方も知って欲しかった、それだけのことです。
 時間があれば、もっとお話したかったのですが。どうもありがとうございました。勉強になりました。

 ゴーヤさん、ありがとうございます。
 私は、あんまり複雑な人間ではありません。ただ、「中庸」が大事だと思っているので、そこが分かりにくいかもしれません。色々なことを言いますのでね。
 mmさんに対していったことは、やはりmmさんを励ましたいという気持ちがあったのは事実です。ただ、自然妊娠に関しては、可能性はあると、今でも思っています。不妊治療を受けなかったのは、単に経済的な余裕がなかったからです。全然、そういう余裕がありません。夫を責めたのは、夫が現状をわかっていなかったからです。夫は十歳年下なので、そういうこともあります。まあ、夫婦で言いたいことが言えないと、ストレスが溜まりますので、最初はよく喧嘩をしました。最近は、まあ、こんなものかな、という感じで落ち着きましたが。
 ゴーヤさんのお幸せを祈っています。お子さんが来てくれるといいですね。

 

フクさん、にゃごさん、バンビさん、しゃびろさん、弥生さん、恵子さん、トラ子さん、パンセさん。
たんぽぽ -- 2007年10月12日 17:58:08

   フクさん、ご返信ありがとうございます。
 また、お会いできるといいですね。別の場所でも「たんぽぽ」というハンドルネームを使いますので、また、いつか、ですね。

 にゃごさん、ありがとうございます。
 お子さんには学籍がないのですか。何があったのかわかりませんが、運が悪かったとしかいえません。いい先生もいらっしゃるのですが、残念なことでしたね。今後のことを見据えて、いい方法を見つけていけるといいですね。子どもの「力」はすごいです。これから大変なこともあると思いますが、頑張ってください。

 バンビさん、ありがとうございます。
 実は、チャットの方は、もっと前に卒業したのです。私のメルアドを知っているひとは多いので、よかったらメールをください。バンビさんとも、本当に長いお付き合いです。色んなことがありましたよねえ。大阪オフ会、お会いできるといいですね。
 あ、それから、昔が良かったと思っているわけではないんです。今の方がいいことだって多いですからね。ただ、しっかり現状を見て、先のことを考えて、少しずつ子供の心を育てていかなければいけないというだけのことなのです。トマトさんの子育てはすごいです。トマトさんのように気をつければ、現代社会でも、十分に良い環境で育てることができると思います。
 いつかお会いしましょうね。

 しゃびろさん、ありがとうございます。
 しゃびろさんのことは、ずっと気になっていました。色々ありましたよね。

 しゃびろさんの「語弊があるかもしれませんが、時に私達は、『幸せ』ということに無上の価値を求め過ぎている気がしてなりません。もちろん幸せになるために皆、がんばっているのですが、何か歪みがあるような気がしてなりません。そして、自己責任という名のもとに、大切な何かが切り捨てられている気がしてなりません。」という言葉に共感します。「辛いときには助けを求め、余力があるときには手をさしのべる」ということも大切なことですね。
 また、いつかお話したいです。いつか、別の形でお話できるといいですね。

 弥生さん、ご返信ありがとうございます。
 弥生さんもお元気で、さようなら、ですね。お世話になりました。

 恵子さん、ありがとうございます。
 以前の恵子さんの文章に感心しました。本当にスレ主さんのことを考えて発言されていることがよく分かりました。
 恵子さんの「公園で本当に楽しそうに自分が子供であるかの様に子供と一緒に遊んでいるお母さん、英語教室で4歳くらいだった息子を英語を習う姿勢で授業を受けないなら運動教室に行った方が良いときちんと話してくださったイギリス人の先生、今年の夏休み水泳教室でつべこべ口を動かさないでやってごらんと息子のほっぺを引っ張った先生の最終日の成果を見ての笑顔、1歳から卒園まで担任して下さった先生の卒園式の泣き顔、今入部しているジュニアサッカーチームの監督・コーチの指導や台風後のグラウンドを早朝から整備して下さっている姿、夏休みラジオ体操に顔を出す町内のお年寄りの元気、学校図書ボランティアで子供への絵本の読み聞かせをするお母さん仲間、息子のちょっとした内面の成長振りを指摘してくれる息子の友人の親たち、もっと考えればいろいろな顔を思い出すと思います。」という言葉、本当にそうだと思います。

 ただ、「つべこべ口を動かさないでやってごらんと息子のほっぺを引っ張った先生の最終日の成果を見ての笑顔」というまっとうな愛情、まっとうな教育が、いつまで可能なのか、不安があるのです。あまりにも多くの保護者に「虐待だ」「いじめだ」などと責められたとき、上から教育的指導を受けたとき、その先生がどのように変るか、変らざるをえなくなるか、そこに不安を感じます。
 実際に、そういうことを経験してきましたし、そういう話をよく聞くのです。何とか、まっとうな教育を守りたいですね。
 本当に、ありがとうございました。勉強になりました。

 トラ子さん、ありがとうございます。
 トラ子さんは、不妊治療をおやめになるのですか。でも、自然妊娠ということもあります。私だって、一応諦めているのですが、心の底では、「まだまだ」と思っていますよ。自然妊娠なんて、いつするかわかりませんよ。明るい気持ちで生きていきましょう。ね!

 パンセさん、ありがとうございます。
 本当に、いつか、どこかで、お会いできるといいですね。ここでは色んな人から力をいただきました。感謝でいっぱいです。別の場所でも「たんぽぽ」のハンドルネームを使い続けます。いつか、どこかで、お会いしたいですね。

 


 

トマトの気持ちさん まさに、私が言いたかったのは、そういうことです!
たんぽぽ -- 2007年10月12日 16:51:31

   トマトの気持ちさん、ご返信ありがとうございます。

 トマトさんの子育ては芸術的です。できれば絵本にしてもらいたいくらいです。私に子どもができたら、トマトさんのブログをテキストにして勉強させてもらいます。

 まさに、私が言いたかったことが、トマトさんのレスにそのまま書いてあります。私がいう「乳幼児のしつけ」とは、そういうことなのです。何も残酷なことなどない、穏やかな語りかけ、ほとんどはそれで済むことです。

 トマトさんは、タータンが転んでも抱き起こさないとおっしゃっています。そこですよね。そうなんです、そこです。本当に痛いときは抱きしめる、だけど、我慢できる範囲だと判断したら、「痛いのは自分持ち、誰も変ってあげられないよー。」という。
 本当、そうなんです。

 素晴らしい。そうなんですよね。自分で我慢しなくちゃいけないところは、我慢させる。本当に手当てが必要なときは手当てをする。そういうかかわりの中で、親子の信頼関係を築き、耐えるべきことは耐えられる強さを身につけさせるんですね。

 トマトさんのブログに、タータンが自分から予防接種を受けに行くと言い出したというエピソードがありました。二歳児ですよ。二歳児が、注射してもらいに行くと自分から言う。そして、本当に注射をされてもぐっと我慢して泣くこともなかったと。
 それだけを聞けば、なんだか「いい子」になろうと無理しているようですが、ちゃっかり我慢したら「プリン」という約束まで取り付けて、注射が終った途端に「プリーン!」と叫んだとのこと、本当に感心しました。

 何を我慢しなければいけないのか、何を我慢しなくていいのか、何をしなければいけないのか、何をしてはいけないのか、二歳児にも理解させることができるんですね。「心」が育っているなあと感心しました。すごいです。

 トマトさんは、オフ会のときに、Kさんのお嬢さんが、私にクッキーを差し出してくれたこと御存知ですか。Sさんのお嬢さんが泣いて走り出したときに、私が抱きとめて私の腕の中で泣いていたときです。Kさんのお嬢さんがクッキーを持ってきてくれて、私をつっつくのです。そしてSさんのお嬢さんを指差すのです。「この子は泣いていて可哀想だから、このクッキーを上げて」ということですね。「この子に上げるの?」と聞いたらうなずいてくれました。一歳児ですよ。一歳で、そういう思いやりの心があるんですね。正直言ってびっくりしました。
 Kさんは穏やかな方なので、きっと優しく色んなことを言い聞かせているんでしょうね。

 他の人の力を借りて子育てするということに関しても、本当にそのとおりだと思います。ただ、親の力の差がでるのが、問題だと思うのです。親が、そういう環境を作ることになるので、そういう力がない、うまく人とコミュニケーションをとったり甘えたりすることができない人の場合、周囲は関わってくれないですよね。

 甥が「うつ」っぽくなったことについてはお話したと思いますが、多くの人が関わってくれて、うまく乗り越えることができたようです。妹夫婦は、他の人もたくさん助けているので、みんなが一斉に力を貸してくれたという感じでした。甘えるのもうまいんですね。
 従兄弟の話をしたことがあったでしょうか。従兄弟は弱視なのですが、今は38歳で家に引きこもっています。叔父夫婦はとてもいい人で、優秀な人たちなのですが、人に甘えるのが苦手でした。私もなんとか手伝いたかったのですが、叔母になんとなく拒否されることが多くて、気力を失ってしまいました。そんなこともあったので、甥のことはとても気になったのです。

 他の人の子育てに関わるのは難しいです。特にうまくいっていないときは、お母さんは自分の子育てに問題があるように思われることに、非常に敏感になられますので。本当に難しいです。

 トマトさんのように、人とうまく協力関係を作れる人は、いいんですよね。そうじゃない人でも、うまく他の人と協力できるように、そういう環境を作っていかないといけないですね。

 それから、学校などについては、「いい教師」にまで、子どもを叱るな子どもに好かれろというようなプレッシャーがかかっているのではないかと危惧しています。私たちのように塾の講師なら仕方ないのですが、それはどうも公立の学校にまで及んでいるようなのです。
 妹は小学校教諭ですが、「何度も言いますが、うちの子は幼いんです。ちゃんとみてあげてください!」などといわれると言っていました。そういう感じは、とてもよく分かります。ここ数年でも、本当に変りました。先生方が、さらに「ことなかれ主義」になる可能性は、やっぱり低くないと思います。
 
 トマトさんの子育てはすごいです。何といえばいいのか、ツボを押さえているというか、本当に、お手本です。もし、子どもが生まれたら、いっぱい教えてくださいね。
 

 

めっちゃ、出遅れました・・・
エリリン -- 2007年10月12日 13:54:32

  余りの反響にいささか尻込みしていましたが、たんぽぽさんには、ちゃんとお礼をしないと後悔しそうなので、「今更ながら」出てきました。

私は、以前自分のスレに「想像外」の返信を頂き、本当に本当に心がボロボロになった事がありました。他の方へのレスに迄追っかけられて、「お前がそんな事言うな!」みたいな事も書かれました。
その時、私を救ってくれたのは、たんぽぽさん、貴女です・・・

色々な考えはあって当たり前ですが、「優しい」とか「きつい」とかと言う事ではなく、ただ人として暖かかった。。。傷ついた体と心が元に戻せず、暗闇にポツンと一人にされた私を、貴女はただ、ただ抱きしめてくれた。。そんな気がしました・・・

ありがとうございました。。。
このサイトで貴女と出会えて良かった。。。
本当にありがとう。。。

くろずさん、マンゴぷりんさんへ 私は、一度も優しかったことはなかったのです。
たんぽぽ -- 2007年10月11日 18:36:24

   くろずさん、マンゴぷりんさん、ご返信ありがとうございました。

 お二人まとめてのご返信になることをお許しください。

 私の今回の発言が優しくないということでしたので、それに対してお返事させていただきます。

 おそらく、今まで私を「優しい」と思っていただいていたとしたら、それは、これまでは私の意見との間に違いがあまりなかったからだと思います。

 今までも、何度も「優しいと思ったのに実は優しくない」ということは言われてきました。そして、実際にそうなのです。

 私は、一度も「優しい」ことを言おうと思ったことはないのです。ただ、人間として誠実でありたかった、それだけなのです。

 意見が違う人に対しても、似ている人に対しても、できるだけ誠実でありたいと思います。そして、そうしてきたつもりなのです。それだけ、なのです。

 今、親しくしていただいている方々とも、何度も論争になりましたし、おそらく嫌なことも言っています。それでも、四年という歳月を費やして、友情を深めることができた方々がいらっしゃいます。心から感謝しています。そういう方々でも、私の発言に何度も傷つかれただろうし、意見が違うと思われたことでしょう。
 ただ、意見が違うということは、大したことではないので、お互いに理解する努力をしてきたのだと思います。

 マンゴぷりんさんが立てられたスレッドについては、どうして私がショックを受けたといったのか、マンゴぷりんさんのスレッドの方に説明させていただきました。別に、意見なんか違ってもいいのです。そういうことでショックを受けたと言っているのではないのです。
 引用するのなら出所を明確にして欲しかった。それだけのことです。その理由についてはマンゴぷりんさんのスレッドに書き込みましたので、割愛させていただきます。

 御意見いただきありがとうございました。
 

dendenさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月11日 17:48:46

   dendenさん、ご返信ありがとうございます。

 dendenさんには御理解いただけなかったでしょうが、私は、以前のスレッドで、dendenさんには誠心誠意向かいあったつもりです。

 真剣に、誠意をもってお返事したつもりです。通じ合えなかったことについては仕方のないことだと思います。

 以前の私なら、まず「謝った」ことでしょう。しかし、私は今回、「もう納得のいかないことで謝りたくない」と強く思いました。それが、ここを卒業しようと決めたきっかけでした。

 それはきっかけでしかありません。私はこのサイトで多くのことを学ばせていただきました。心から感謝しています。けれども、もうこういうコミュニケーションに疲れたというだけのことです。

 dendenさんと御家族のお幸せを祈っております。

クレヨンさん、号泣です。ありがとう!
たんぽぽ -- 2007年10月11日 17:37:54

   クレヨンさん、クレヨンさんの返信を読んで、号泣しました。よかった。たった一人の方であってもお役に立ててよかった。どれほど誤解されるか、どれほど非難されるか、覚悟の上での投稿でした。

 でも、言いたかった。たった一人の人のお役にでも立てるのなら、田中さんの本を紹介し、そういう考え方もあることをお知らせしたかったのです。

 私は、別に田中さんの意見の全てに共感しているわけではありません。しかし、学ぶべきところはあると思いました。実際に、これほど親が自分の子どもを愛情をもって育てた時代はないけれども、その育て方によって「ひ弱で生きる力のない子ども」が増えていることから目をそむけることはできない、という主張は、私の心に響きました。子どもを健康に育てるために、「本当に必要なこと」を、知らなければならない、そう思うのです。

 たとえば、子どもがわがままになってしまった場合、手に負えないような態度をとった場合には、とるべき対応は決まっていると、思います。小さな子どもは、決して親から離れません。たとえ虐待をする親であってもです。小さな子どもにとって親は絶対的な権力者なのです。まず、自信をもっていただきたいのです。
 子どもを思う通りに操作することなどできません。そういうことを言っているのではありません。しかし、「ここぞ」というとき、毅然とした態度をとれば、子どもは必ず親のいうことを聞きます。静かに毅然として一歩も引かずに親の「決定したこと」を「通達」すれば、子どもは必ず聞きます。大声を出さず、感情的にならず、本当に子どもの健康な成長を願って決めたことを「通達」すればいいのです。こういう関係ができれば、「ここぞ」というときには、親子できちんとしたコミュニケーションをとることができるようになると、私は思います。思うというか、多くの実例を知っていることもあり、確信しています。


 クレヨンさんが、

 「たんぽぽさんは母親を追い詰めているのは、子どもを抱くことでしか育てられないという思い込みで、抱くか行き詰って叩くか以外に試すべき母親の姿勢を示し、母親泥沼から我が子を守れと理解したのですが。その方法は一例であって、考え方や態度を参考に自分なりに応用すれば良いと思います。」

 とおっしゃっていますが、まさにそうです。

 人生の初期に母親的存在が赤ん坊を抱きしめるのは、非常に重要なことです。それなしには、赤ちゃんは生き残ることさえできません。ましてや、健康に発達することができないということは、すでに証明されていることです。(スピッツの研究など)

 しかし、小さな子どもの発達は著しいものです。親の側は子どもの発達に伴って、その時期に適当な態度をとらなければいけません。そこが理解されず、「抱きしめろ」「愛せ」ということばかりが絶対的な真実であるかのように言われることに、異議を申し立てたかったのです。

 クレヨンさん、本当にありがとう。救われました。よかった。たった一人の方のお役に立てただけでも、本当に嬉しいです。

 何度も何度も、ありがとう!

お疲れ様でした<m(__)m>
タクシー2 -- 2007年10月11日 17:26:59

  本当に、お疲れ様でした<m(__)m>という言葉と
ありがとうございます(*^。^*)という言葉と
さよならではないので、
これからもよろしくおねがいします(~o~)という言葉です。

たんぱぽさぁ〜んって、泣きそうなさびしさ(T_T)で
いっぱいですが・・・
また、ちがう所でメールさせてください。<m(__)m>

8日間留守にしていました。
たんぽぽ -- 2007年10月11日 16:38:42

   多くの方にご返信いただき、ありがとうございました。

 最後の返信に、留守をするということは書いていたのですが、わかりにくかったと思います。すみません。

 実は、小さな山の中の村にある妹夫婦の家に行っていました。以前、チャットの方で相談に乗っていただいたのですが、現在中学三年生の甥が「うつ」といえるような状態になり、大変心配していました。

 無表情で背中を丸めて力なく歩く姿、話すことといえば、「○○してくれてありがとう」「○○してごめんなさい」、ほとんどこれだけだったのです。どうしてそうなったのか、よくわからないのですが、誰がみても病的といえるような状態でした。

 私たちも心配して、色々声をかけましたし、義弟のお母さん、兄家族も心配して夏休みには来てくれたそうです。近所の人々、学校の先生、義弟の仕事関係の人など、みんなが甥のことを心配してくれました。

 私も、現在の様子を知りたかったので、「勉強を教える」という口実をつくり、この一週間甥につきっきりになりました。甘やかしすぎかもしれませんが、今はとにかく多くの人の力が必要なのだと思いました。

 甥の様子は、今年の正月とは全く違い、穏やかになっていました。周囲の人々が声をかけ、心配し、応援してくれたことで、少しずつ変わることができたようです。本当に有難いことです。

 とりあえず、そのような事情があり、留守にしておりました。お返事をすることができず失礼いたしました。これからできる限りお返事をさせていただきたいと思います。書き込みできる時間が限られていますので、時間がかかるかも知れませんがお許しください。
 

新しい形で、また発信して下さい。
マーマレードキャット -- 2007年10月 9日 01:47:40

  たんぽぽさん

今頃、すみません。 まだ載せて頂けるかしらん?
すっかりご無沙汰していて、卒業宣言の発見が遅れてしまいました。

たんぽぽさんの危惧されていること、共感しました。
時々、同年代の母親たちが「子供が先生を友達あつかいする」、「恐い存在がない」、
「大学はもはやサービス業、ここまでやるか」などと嘆いているのを聞くと、
もうちょっと生きるための訓練を積むというか、鍛えられる機会があったほうが、子供も緊張感があって楽しいんじゃないかな〜、と思ったりします。

私は未だに「子育て」 「しつけ」は他人事ですが(しゅ〜ん)、
もし子育てをしていたら、たんぽぽさんのように毅然とした態度で意見を言ってくれる「先生」を
きっと探すことでしょう。
横町の知恵袋、町のおせっかいオバサン、おっかない先生などなどが絶滅した現代、
ネットがその代わりになっている部分もありますよね。
たんぽぽさんが、背筋をのばして縁側に座るように、ネットのどこかに凛として端座し、
訪ねて来る人たちに愛情に満ちた厳しさ、強さを与えてくれたら、と思います。

どこかで、新しい形で、また会えますように。
ここに来る一人でも多くの人が、たんぽぽさんのサイトに駆け込むような「子育て」(わ〜ぉ♪)に
悩めるようになりますように。

“縁側” 開設されたら、検索方法だけは知らせに戻ってきて下さいね。母校訪問!
では、ご活躍をお祈りしています。お元気で。

むなしさについて
とくめいです -- 2007年10月 7日 08:44:54

  今年の5月ごろに、たんぽぽさんが


もう、子供をもつことはないだろうと思うと、なんだか最近とみに虚しく、生きる意味が見出せません。

 いつも前向きに、頑張っているみなさん。ときには、虚しさについて、語り合いませんか?


という投稿をされた時に、沢山のレスがついていましたが、「前向きにがんばって」というようなレスが多くて、気の毒に思っていました。人間、そんな前向きにがんばってばかりはいられませんよね。私も、これで最後と望んだ治療の結果が駄目でした。ずっと、いつか子どもができた時のためにと、おもちゃをいくつも大事に取っておいたり、妊娠・子育て関係の本も何十冊も買ったり読んだりしてました。我が家には子ども部屋もあります。でも、駄目だった。赤ちゃんのために、手づくりのよだれかけを作りたい、幼稚園の通園バッグを作りたいと思っていました。ベビースリングの作り方をネットで調べたりしてました。主人の親には、孫は一人もいません。主人には甥も姪もいません。そんな主人に、人生で一番幸せな瞬間は自分の子どもを初めて抱いたときだよ、なんて話したりしてました。そんなこと全部が叶わぬ夢。何年間もきっとできると信じてがんばってきて、でも、それは全部儚い夢。神だのみで、沢山の神社、お寺に参拝して、今年こそ妊娠するはずだから、と仕事にもつかずに何年も過ごしました。治療が駄目だった結果を知り、おもちゃを捨てました。昔買ったたまひよクラブの妊娠本も手放しました。でも、本屋に行くと、今日発売と書かれた、新しい妊娠本が目につきました。赤や黄色でカラフルな表紙のその本が、人生で一番買いたかった本。私にはその本を買う資格がない。たんぽぽさんの感じているむなしさとは違うかもしれませんが、私の感じたむなしさはそういうむなしさです。我が家の子ども部屋のようなからっぽの気持です。

maanee@pop02.odn.ne.jp
いちじく -- 2007年10月 6日 17:06:30

   たんぽぽさぁ〜ん。もう、卒業してしまいましたか?
 今朝、久々PCを立ち上げ、突然のたんぽぽさんの「卒業宣言」に戸惑っています。
 たんぽぽさんのご意見は、これから社会を担ってゆくであろう子供たちの将来を第一に考えていますよね。年齢や、子供がいるいないに関係なく、これから私たち大人が考え実行して行かなくてはならないことや、共感したり目からうろこのご意見をたくさんいただきました。これからもたんぽぽさんのご意見を聞きたいです。
 そしてこのサイトに集まる皆さんと一緒にこれからも意見交換しませんか...というか教えて頂くことの方が多いのですが。
 確かに「高齢出産」というテーマからは離れているかもしれません。
 が、このままたんぽぽさんのような聡明な方が去ってしまうのはあまりにも寂しすぎます。

たんぽぽさん、ありがとう!
ほわいとちょこ -- 2007年10月 6日 13:12:37

  はじめまして。
たんぽぽさん、まだこのサイトをご覧になって頂いているでしょうか?

いつもロムばかりだったのですが、
どうしてもひとことお礼が言いたくて出て来ました。

いつもたんぽぽさんの言葉に元気をもらっていました。
私が一方的に読むだけだし、
お会いしたことは勿論ないのだけれど、
文章の端々から感じる優しさや思慮深さみたいなものに
憧れていました。

卒業されるとのこと、
とてもとても淋しいです。
でもこれからも
明るくて黄色くてまあるい、
それでも
しっかり根っこのタンポポみたいな「たんぽぽさん」でいてください。
(たんぽぽの根っこってすっごく丈夫で太く長いのですよねー、
先日、国立科学博物館で土の中にしっかりと伸びている根っこの模型を見てびっくりしました。)

本当にありがとうございました。
どうぞお元気で。

卒業されるのですね
kotone -- 2007年10月 6日 03:49:38

  たんぽぽさん、
たんぽぽさんのスレッドにこうしてやっとご挨拶をする機会に恵まれて幸せです。
はじめまして、kotoneです。
あるときはふわっと包み込んでくださるような、またあるときは背筋が思わず伸びるような、本当にたくさんの心のこもったお話を届けてくださって、ありがとうございました。
毎回タイミングが悪くて、もうレスが一区切りついてしまっていることが多く、拝見するだけになっていました。今日はやっと書き込めます。

たんぽぽさんのスレッドには『秩序』の必要性を問いかけるという1本の芯が通っているように感じ入っていました。
秩序のもとでこどもの心を守り育てるという考えは、とても大切なことに思えます。「甘えさせる」のと「甘えられる」の大きな違いが見えたようなときもありました。

わたしは今47歳で、4年近く不妊治療を頑張ってみたものの、結果に結びつきません。その間には父を見送るという悲しい経験もありました。治療は4月から遠ざかったままです。ちょっと疲れたからひと休憩って思い始めたのと同じタイミングで、母の入退院が続くようになりました。以来、ここのVOICEにはもう以前ほどには来れなくなっています。
そんなこんなで今日はほんとに久しぶりの来訪でした。

10月は名残花の月で、いろんなお花が返り咲きをしてくれます。
たんぽぽさんという命名から、秋風に吹かれて、まあるいたんぽぽの綿毛がふわふわと空を舞って、舞い降りて、そこにまた新たないのちが継承される、そんな様子を思い描いています。
それはひとつには、たんぽぽさんの心に共感してきた自分の思いを折りに触れて反芻し、問いかけ、常にアンテナを張っておくことにも繋がります。
そうして同時に、たんぽぽさんの卒業と言う返り咲きに、心から拍手を送らせていただきたいと思います。
たんぽぽさん、どんな方なんだろう、お会いしたいなあ、と常から思っていました。
たんぽぽさんのご健康とお幸せを心からお祈りしています。

たんぽぽさんへ
おはな -- 2007年10月 6日 03:19:43

  はじめまして。不妊治療時代にここのサイトを知り、以来たびたびこちらにお邪魔しているものです。

私は投稿が苦手でいつも拝読ばかりでした。

でも今回だけはと勇気を出して投稿します。

たんぽぽさん、私はたんぽぽさんの投稿が好きです。
だって、優しいから。

つらいことや悲しいことがあった時、「たんぽぽさんなら、どうアドバイスしてくださるのかしら」なんて思うこともしばしば。

身近で誰かが困っていたら、たんぽぽさんのように優しい言葉で接してあげられるような、器量持ちになりたいなぁ〜とも思っております。

今までたくさんの人に支えられて生きてきた私ですが、その中にたんぽぽさんもいらっしゃいます。一度もお会いしたことも無いですが、とても大切な存在。

考え直していただきたいな。

ゆっくり休まれた方が・・
くろず -- 2007年10月 5日 16:40:23

  いつもロムしていました。
どなたかがおっしゃっていたように、何だか昔のたんぽぽさんとは違っているようにお見受けしました。
とても優しいと感じる時とそうでない時との差が激しくて、もしかしてちょっと浮き沈みがあってお疲れなのでは、と思いました。
主張や自分の意見を言うことはとても大事でそこに真摯な姿勢は感じますが、論破するよりも他人の意見も聞くことも同じように大事だと思いました。
これからもより良いサイトであってくれることを願います。
色々とお疲れさまでした。
そしてこれからの人生を大切に幸せに過ごせますように。

またお目にかかれることを望んでいます、
わんわん -- 2007年10月 5日 13:41:43

  たんぽぽさんはすでに「卒業」されてしまったかなぁ...

筆不精、文才もないので自分ではめったに投稿しないのですが、
こちらのサイトにはしょっちゅう伺っています。
時には難しいと感じたこともありますが、
たんぽぽさんのご意見や情報は貴重です!ためになります!
卒業されてしまうのは寂しいです!!
別の形での交流?ってあるのでしょうか。
マメじゃない私には個人的なメールのやり取りやチャットは
無理そうなので....

「子育てVOICE」とかあったらいいなぁ〜と思いました。
10代のお母さんとの交流も出来たら...立場の違いの対立も
ありそうですが、違いから変化や気づき、自信を深めたりor成長が
ありそうな気がします。







たんぽぽさんへ
チチェキ -- 2007年10月 5日 08:29:31

  はじめまして
赤ちゃんを授かったら、先輩方のお知恵を是非拝借した〜いと思いながら、早3年・・・
がんばっているのですが、全くトホホなチチェキと申します。

子供がいてもいなくても同じよ〜
私もたまたまできただけだからねえと言う友達がいました。
ある日のこと。
某占い師は最近よく子供達の未来について語っていますよね。
それを見て、子供を産んだこともないくせに何をえらそうにと
いいました。

つまりはそうゆうことなんだと哀しくなりました。

自分が経験したことではないので、何も言わなのが一番なんだと
いいきかせていました。
でも、たんぽぽさんのがんばっておられる姿勢に、気づかされ
ました。
知識を得て想像力を働かせることを。
無関心を装うことは、すべてにおいてダメなんだと。

ですから、同じ女性としていや人として、たんぽぽさんと触れ合いたいと思う人に、これからもわたげを飛ばして(手をさしのべて)
花を咲かして下さい。

ありがとうございました。
お元気で・・・

みなさん、すごっ!!!
かあなし -- 2007年10月 5日 06:21:39

  みなさん、それぞれの意見、ステキ!すごい!えらい!勉強になります。

なんか思うに、それぞれ価値観は違っても、子どもや、子を取り巻く社会の事を真剣に考えているんだなぁ、って感じます!

ちょっとこのところ、子どもに振り回され、凹むどころか、
なんか、感情をおもてに出す事すら億劫になるほどストレスがたまっていまして、
(人間、本当にいろいろありすぎると、怒ったり、笑ったりも面倒になるんだ…と最近体感しています…これが高じていくと「ウツ」とか言われる状態になるのかも…)
でもここは、
私のいま一番の関心事の、それでいて、なんだか、ちょっぴり別の世界のような……で、すこ〜し関わりたくなって書き込んじゃったりなんかして!!!(どうでもいいようなことばっかりですみません)
ここにくることがいまの私の「自分の時間」かな〜!
(そうじゃん!!!、みんないろいろ言ったって、ここに書き込んでいる時は、子どものため、っていうより自分の満足のために時間をさいているんじゃン!!!)
今は便利だね〜〜〜!
ここは何時でもOKだし!
一個人を誹謗中傷することがなければ、意見のぶつかりあいくらいではわだかまりもあまりないしね!

でも、こういった場所に私たち大人は適度に関わっていけるけど、成長途中の子ども達がのめりこむと………考えただけで怖いね
(新たな問題提起をしようと思っているわけではありませんよ〜、いま思いついた事をツラツラ書き込んでいるだけです)

おっと、そろそろ行動開始しないとじかんがなくなるぅ
ではまた!




すみれさんへ
フラメンコ -- 2007年10月 4日 21:37:58

  全部のレスを読んで、いろんな意見があることがわかりました。このサイトは、個人的にメールをする事はできないみたいですね。残念。時々、フラメンコの名前で投稿します。またお話してみたいです。運動会ごくろうさまでした。私は6年生担任なので、子ども達と、感動して泣いてしまいました。学校や教師に対する厳しい世の中ですが、がんばるっきゃないと思って毎日やっています。運動会では、人数が足りず、組み立ての土台になっていたので、首と背中がかなりおかしいです。膝に水もたまってしまいました。40歳過ぎると、この仕事はきついですね。では、今日は、この辺で。

ありがとうございました
じぇん -- 2007年10月 4日 20:57:29

  たんぽぽさん、

なんて書こうかなとずっと迷っている間に時間だけが過ぎてしまいます・・・。

うまく気持ちを表現できないので、これだけ言わせてください。

心の友のたんぽぽさん、本当に今までありがとうございました。色々とお世話になりました。たんぽぽさんのような方に、こちらでお知り合いになれて本当にありがたかったです。

お幸せを心からお祈りします。ありがとうございました。

じぇん

ありがとうございました。
ぶう -- 2007年10月 4日 16:54:12

  私はこのごろあまりこちらに来ていないので、たんぽぽさんの卒業宣言にびっくりしてます。
ものすごく出遅れてしまったので、コメントしようか悩みました。。。アドレス知ってるし…。しかし、大変たんぽぽさんにはお世話になったので、こちらできちんとお礼を言いたかった。

たんぽぽさん、本当にありがとうございました。
最後のお言葉は子育て世代のみんなに読んでもらいたいものです。
このまま、下のほうに行ってしまい、誰の目にも止まらなくなるのが惜しいです…。

親の世代に限らず、祖父母世代の中にも大人になりきれない人が多いんですよね…。
今の日本には大人が居ない。だから、叱れないし叱るとふてくされる。文句を言う。

でも、気がついた人から、直していけばいつか日本も良い国になると思います。
長い時間をかけて変な国になってしまったので、長い時間をかけて良い国にしていくしかないと思います。
なんて…、呑気でしょうかね。。。
でも、一発逆転ホームランはありえないと思うんです。

人に「ああしろ!こうしろ!」と言われても、自分で気が付かなければ直りません。
今の親世代である、私たち一人ひとりが気が付くべき。
未来は私たちの手にかかってるのもかもしれません。

長く書きすぎましたね。。。
お礼だけ書こうと思っていたのに…。

また、ゆっくりお話しさせてくださいね。

たんぽぽさん、約束ですよ!
サリー紫 -- 2007年10月 4日 14:49:21

  たんぽぽさん、アドバイスありがとう。本当にありがとう。
「一人前の大人として、自信もって送り出せるように」
「発達段階を見極めて、何が必要なのか考える」を肝に銘じて
これから子育てします。
やっぱり「高齢出産」の子ですからね、つい、過保護気味になって
しまいそうな自分に気がついてます。自らを律せねばなりませんね。
「だってかわいいんだもん」じゃ、許されませんね、この子の人生なんだから。
この子に強く、やさしく、柔軟で、素敵な大人に育って欲しい。
夢を大きくもって自分の信じる道を歩んで欲しい。
そんな私のそばにいて、びしびし意見してよぅ、たんぽぽさん!(甘えですね、こりゃ)
言葉がぼちぼち通じるようになったら、そろそろ、しつけを開始しますよ。
あと、2、3ヶ月かな。
(今の発達段階ではまだ「だめ」というコンセプト自体が理解できないからね。)
あいさつがきちんとできること。「ありがとう」と「ごめんなさい」がいえること。
そこからはじめよう。ぱいぱい飲んだら、「ごちそうさま」っていえるかな?
ご飯を食べ終えたらちゃんとおかがずけができること。
これについては、うちのだんなも一緒にしつけねば!

たんぽぽさん、これからも「別の形で交流」、絶対ですよ。約束ですよ!

たんぽぽさん、ありがとう
りお☆ -- 2007年10月 4日 13:37:59

  私はたんぽぽさんのお名前を見ると、「あ、たんぽぽさんだ!」と引き込まれて読んでいましたが、それは、たんぽぽさんが、自分では気づかない新たな視点とかを提示してくれていたからだと思います。
でも今回、それだけではないことに気づきました。
たんぽぽさんが、最近何度か「一生懸命生きたいと思っている」とおっしゃってるのを読んで、たんぽぽさんの文章にはそれが表れていると思いました。
その一生懸命の感じが、人を引きつけるのだと思います。

たんぽぽさんは過去にも、話が微妙なセンになってきたときなどに、(一度レスした)他の人がもう黙ってしまうところを、”しつこいけれど”と前置きしてまた真摯に意見を述べていることがたびたびあったと思います。
それは、「かかわらないでおこう」的現代人が多い中で、相手のことを考えて積極的に関わろうとする、たんぽぽさんの「一生懸命」がそのまま現れているように思います。

たんぽぽさん、今までいっぱいお話してくれてありがとう。
また別の場でお話を聞かせてもらえたら、とても嬉しいです^^

役立ちました!
クレヨン -- 2007年10月 4日 12:32:07

  以前、お声をかけていただいたことがあります、クレヨンです。
私は娘を二人持っています。今幼稚園の年長と年少です。来年から小学校にあがり、いよいよ学校生活に入ります。

私自身を言えば、6年前まで中学校で美術教師を勤めていました。
そのころ、年頃もあるのだと思いますが、傷つくのが怖くて仕方がなくて、傷つかないよう注意しているはずなのに、すぐに傷ついたり、人を傷つけたり、まるで因幡の白兎のような子どもたちにたくさん出会いました。
 その時から感じているのは、子どものうちに心に小さな擦り傷を恐れずに一杯作って、人に癒してもらったり、また、たった一人で傷に向かい自分で癒すことをたくさん体験したほうがいいということです。幼い頃から少しずつ癒えない傷を知り、傷を癒す方法を得ながら、強く優しく人関係を築ける大人になれるように思いました。

ですから、たんぽぽさんのお言葉、胸に響きます。

今回の一連のたんぽぽさんの文章全部を並べて通読しました。これほど、現代の母親と子どもたちの環境を思いやり、将来を心配して述べられた文はないでしょう。陰に隠れた私心など私は読み取れませんでしたが。

 精神科医斉藤学さんの著書『「家族」はこわい』の中で、現在の日本が構造的に「父親」の機能が不在になっていることに述べられています。生物的な父や家父長的な父ではなく社会的な指針を示す役割を果たす機能を「父親」と示しています。多くの家族の問題に関わってきた方ゆえに断言できる言葉の数々はのけぞるほど明快で、私は痛かゆい所に手が届いたような痛快さを感じました。
 
 その中で、親の仕事(機能)について述べられています。抱くこと(ホールディング)、子どもの行動に限界を設定(リミット・セッティング)して欲求不満を起こすこと、子別れ(デタッチメント)。「子育てというと、最初のホールディング機能(主に母親が担当する)ばかり強調され、2番目と3番目が無視されるためにおかしな議論が生まれるのです。」と述べられています。

 まさに、今回一連のスレッドの中でたんぽぽさんが危惧されて、提唱されていることと重なるのです。子育てを伝承として伝えられる機会のない現代の母親にホールディングしか術を示されない現代の風潮の危うさへの警鐘とこれまでの一般的とされる育児方法から見ると驚きますが、寝かせ付けを例にとった具体的な方法の提案は意識改革に役立つと思います。
母親は子にとって本当に特別な存在でその影響力は強大なことを自覚しなければならず、
その母親が愛情という言葉にすり替えて、幼い子どもを囲い込んでしまうことはとても危険なことで、その無自覚な囲い込みゆえに母親自身もおぼれていくし子どもも社会性をもてないままおぼれてゆく姿が確実に増えているのです。
 たんぽぽさんは母親を追い詰めているのは、子どもを抱くことでしか育てられないという思い込みで、抱くか行き詰って叩くか以外に試すべき母親の姿勢を示し、母親泥沼から我が子を守れと理解したのですが。その方法は一例であって、考え方や態度を参考に自分なりに応用すれば良いと思います。

実は私の4歳になったばかりの下の娘がまさに、「暴力夫化」しているのです。何においても自分が優先されなければ気がすまず、いつまでも母親や祖父を独占しようとして、しかも思い通りに対応してくれない時は豹変して暴れ、確信犯的に物を壊し家族に暴力を振るうようになって、脳の異常か何かあるのかと思うくらいでした。この子の親を試すような態度にどうこたえればいいか途方にくれながら、抱きとめれば抱きとめるほど際限がなくなる手ごたえに不安があったのです。叩き返したときもあるし、ガンジーのように気が済むまで叩かれてみたり、切々と言葉を連ねたときもありました。
 その渦中に行き当たったのが斉藤学さんの本と、今回のたんぽぽさんの投稿でした。

これまでも、毎日の中で子どもの欲求と私の応諾の線引きを図りながらダメだしをしていたつもりでしたが、それは上の娘の話で、下の娘に関してはまさに口封じに抱きすぎて、対応が面倒くさかったので要求に応え過ぎだったことに思い至りました。
下の娘の乳幼児期に二回の妊娠流産があり、子の春中期中絶にいたる妊娠があったわけで、子どもよりもわが身かわいい時間が多く、楽するため安易に子の要求を呑んでいた表れだと思いいたっています。

毎朝、無理難題を言って登園準備をせず、登園させたい一心で駆け引きしながら準備させて、娘に振り回されていたのですが、今朝、ためしにたんぽぽさんの紹介した方式でやってみました。本当に今すべきことだけを駆け引きの余地のない態度で示し、甘えの言葉に対して「母さんはこれまで間違っていた。お前はもう赤ちゃんじゃないのに赤ちゃんのように接してきたから、心も赤ちゃんのままにしちゃったんだね」と淡々と言ったら、びよーんと背筋が伸びて、おしりもふいてご飯も食べて着替えてとっとと出かけて行ったのにはたまげました。何度か、こちらを試すようなことを言いましたが、のりませんでした。

これを嘘やつくりと思ってもらってもかまいません。私は、行き詰っていました。父性的な厳格さが私にも夫にも欠けていることは自覚がありましたが、どうすればよいかわからず、下の娘を叱ってばかりでした。そしてべたべた甘えてくる子を抱いていました。でも、この状況は変えたかったので斉藤学氏のリミット・セッティングをキーワードにして、感情操作をせず、また操作にのらず、出直してみようと思っています。暮らしはこれまでのように喜怒哀楽に満ちていていいと思っています。

たんぽぽさん、あなたが日本のどこかにおられると知っていることが嬉しいです。
私も卒業できそうです。ありがとうございました。

残念です。
匿名匿子 -- 2007年10月 4日 11:06:57

  たんぽぽさん はじめまして。
いつもはロムばかりなんですけど一言いいたくてでてききゃいました。
卒業されるということはここでたんぽぽさんにあえなくなっちゃうの?
残念です。
他の妊娠出産に関する掲示板たくさんありますけど私がここを好きなのは皆さん大人だから。
偏った見解ではなくいろんな経験された方のいろんな意見が聞けるから。
論争するの苦手な人種ですよね。日本人って。特に女性は。
いいじゃないですか。いろいろで。
ネット上難しい表現もあり誤解されることもあるかと思いますがいちいち気にしてたらきりがないような気がします。
掲示板の文字だけでは本当にいいたいこと伝えたいことには限界があるんだと思います。
たんぽぽさんのお人柄私は好きなんだけどな。残念だよ〜。
ここを訪れるようになってまだ2年ぐらいですけど常連の方々のお人柄や、この人とこの人は合わないんだなぁとか、この人いつもいばってるよなぁとか、わかるようになってきました。
一部の強い意見に流されるようになってしまわないように、あーでもないこーでもないともっと気軽に語り合えたらいいのにね。
楽天的な私なのですいません。
たんぽぽさんがいなくなっちゃうのが残念でならないだけです。

さみしくなりますね・・
にゃんこの気持ち -- 2007年10月 4日 10:22:48

   今回のこと残念です・・。私はこのサイトを見つけてからまだ日が浅いのですが、たんぽぽさんやたんぽぽさんが親しくされていらっしゃるであろう人のお話が大好きで、もう少し前の頃、良く見ておりました。最近は、私自身、心の葛藤があり、ここにくることが億劫になっておりました。やっとこのサイトを見ようかなと思った矢先に、たんぽぽさんの卒業・・本当に残念です・・。

 でも、今回のこのトピで、たんぽぽさんは私を救って頂きました。先程申した心の葛藤ですが、この時代に子供を産んでもいいのだろうか?!・・しかも自分のような捻くれた考えの者に子供を育てる資格はあるのか?!本当に捻くれた事ばかり考えてましたので、気が付くと泣いてるなんてこともあり、多分自分の良心がそうさせたのでしょうか。そうです、自分はまだ子供産んだことない39歳です。以前、たんぽぽさんに、39歳はまだお姉さんなんて言って頂きました。
うれしかったなぁ・・おっと、話それちゃう!

たんぽぽさんの今回の内容で、また皆さんがそれに対して意見されていることを見ている内に、捻くれた考え(毒素かな?)が飛んで行ってる?!なんて感じたのです!なんだか素直になったというのかな・・解放されたというか・・本当に感謝です!長い事悩んでましたから、こんなに悩みすぎると、阿呆になるんじゃないかとか思ってましたから・・一つの壁を突破したような、そんな感じです。
たんぽぽさん、本当にありがとうございました!

 たんぽぽさんのいろんな問題を提起している話はすごく勉強になりました!私は昨今の問題のことについては、きっと通り一遍のことしか言えませんが、たんぽぽさんの意見や考え方には芯が通っている、またたんぽぽさんの心の奥底に博愛精神のある魂を感じております。書かれている内容はもとより、人に対しての奥深い思いやり、普遍的な愛を感じました。
もちろんこのサイトに集ってる方、皆さんに感じることでもあるのです。
以前、私のわがままなトピに励ましの言葉を頂き、救われたことのある一人の者として、今回のこと残念です。
もし会員登録しましたら、お話できたらなぁ、なんて思っております。
たんぽぽさん、またいつか会える日を願って、どうかお元気で、お幸せに・・。

一年前に…
ゴーヤ -- 2007年10月 3日 22:22:33

  わたしがたんぽぽさんをこの掲示板で知ったのは、1年前の9月でした。mmさんが立てられたスレに、

「mmさん、生めますよ。

 私、今生む気満々です。全然諦めていませんよ。この間までアキラメモードだったのですが、最近は、「生めるかも?」と思っています。」

という返信をされていて、あまりにも自信にあふれていて、驚きました。そして、その言葉通りになるのかしら?と勝手に注目させていただいてました。また、たんぽぽさんの書き込みで、旦那さまと喧嘩した時には、

「私などは、夫に子供のことを言われることはないので、もっぱら責める方です。

 私も言いましたよ。もし、私と別れることがあったらパイプカットしろというくらいのことは、いくらでも言っています。本当、夫婦喧嘩って、凄いことを言ってますよ。」

という会話があったそうで、穏やかで明るいイメージのたんぽぽさんの、この投稿にもまたびっくり。

しかし、一番不思議に思ったのは、高度な不妊治療をされていないことです。なぜ、高度な不妊治療を全くされなかったのですか?
まあ、でも、高度不妊治療で年間100万円越えるお金を使って、結局結果がでなかった私の方がもったいないことしてると、はたからみたら思えるかもしれませんね。

私にとって、たんぽぽさんは謎がいっぱいの方でしたが、その謎が深まったままのお別れになったようです。
とにかく、卒業はさびしくて、そして未来への新しい一歩。これからの人生にたくさんの幸せと、たくさんの輝きがありますように。

人はいろいろで・・・
すみれ -- 2007年10月 3日 20:19:59

  人の考えはいろいろで、多様だからこそ世の中として成り立つんでしょうね。笑。
みなさんのレスを細かく読んでそう思いました。

ただ、多様の中にも、大きな流れっていうものがあるから、決め付けてもいけないし、批判もいけない。そんなこと、考えさせられています。

運動会も終わり、教員の私は、ひと段落。仕事が終わって、帰宅すると、やはりこの「高齢出産VOICE」を見てしまいます。

フラメンコさん、どうやってメールすればいいのでしょうか?まだ、やり方わかんないです。汗。

追伸
晶 -- 2007年10月 3日 18:31:49

  先程の文章で自分の主張ばかり書いてしまったのが気になったので追伸です。

たんぽぽさんが、田中さんの本を読んで目から鱗だったということ、赤ちゃんをどう育てていいか分からない人に対して、こういう考え方をすれば少しは楽になれるのにと思ったということ、そのたんぽぽさんの優しさはとても素敵なことだと思いました。
きっとたんぽぽさんなら、そういうアドバイスを愛情を持って、その人のために出来ると思いました。

田中さんもそのつもりであの本を書いたのでしょうか?
育児で困り果てているお母さんたちを純粋に救いたいと思ってあの本を書いたのでしょうか?
もし本当にそうなら、あの本に対する嫌悪感は、やはり私の複雑な生い立ちからきているかもしれないですね。
それならその方がいいです。
私はただあの本の犠牲になる子供たちが出ないことを祈るばかりです。
今度、勇気を出して田中さんの別の本も読んでみますね。

またね。
sachi -- 2007年10月 3日 18:22:06

  わかりました。 ここではもうたんぽぽさんとお話することはないのですね。 どこかでまた人生について話合おうね。
卒業ついでにこの上のレスの“うるるんさんと、、、”のレスにたんぽぽさんならどのように御返事なさるのか興味がありました。

ところで田中さんの本は読んではいませんが私が思うにイギリス式?と思いました。
アメリカのセレブの中で大人気のイギリス人の書いた本なのですが岡田美里が邦訳しています。
“魔法の育児書” 賛否はともあれとてもよくできたいい本です。
みなさんも気軽に読んでみてください。(どっちかってと乳児用)

何人か連れて大阪合宿を勝手に夢みています。
たんぽぽ先生、アメリカンキッズをしごいてみませんか?
また個人的にメールさせていただきます。

私の5年間、あなたと共にいろんなことに話し合えたこと一生忘れません。
あなたはずっと私の心にいる人です。
ずっと会いたかったのに会いにいけないまま亡くしてしまったNYの友人。 そのことがあって今回強行にたんぽぽさんと未久さんに会いにいけてほんとによかったです。
勝手に私は親戚とまで思っています。
うちの子が泣いたとき実母である私がそばにいるにかかわらずたんぽぽさんの大きな胸にすがって泣いていたとき“私の立場はー?”と思いましたがうちの子は本能的にきちんと受けてめてくれる人をあの場で判断したんだとわかっていました。
子どもってほんと天才。
私だったら“泣けばいいってもんじゃあない”っていつもどこかで娘を覚めた目で見ています。
私が泣いて勝ついやらしい妹だったもので。
またまた話がそれてしまいますがトマトさん風にひとつの時代が終わったと感じます。
たんぽぽさんも御仕事でお忙しくなると思いますがたまにはお話させてくださいね。
有難うございました。

たんぽぽさんへ
パフェママ -- 2007年10月 3日 14:04:27

  こんにちは。はじめまして。
私がレスをすることでたんぽぽさんが不快に思わないことを願いながらカキコさせていただきます。
恐らく私はたんぽぽさんのお考えとはかなり対極のものを持っていると思います。
「対極の意見」はとても大切なものだと思っています。
また私は自分が一番正しいとは思っていません。
間違いだらけで人生をあがいておりますので。。。

ですから先日の貴女のスレ・レスを読んで「衝撃」は受けましたが「キズつけられた」りはしていません。
衝撃を受けた理由は「お子さんを欲しいと心から願っている方でもこういった考え方をしている人がいる」ということを知ったからです。
文才がないために書こうとしている真意のすべてが伝わるとは思いませんがお付き合いください。

私は自分と異なる「考え方」自体を否定はしますが批判はしません。
 
躾についてですが「日本人は赤ちゃんを躾ない」と仰っていましたが、そうでしょうか?
確かに躾をしていないお母様方が多くいるのは同感です。
ですが躾をしているご家庭だって見えにくいだけで同じくらいあるのではないでしょうか?
我が家では息子達に「1歳になってだめなものは0歳でもダメ」をキーワードに躾をしてきました。
現在長男が3歳6ヶ月・次男は1歳1ヶ月です。
次男に今 課しているものとしては「机の上に登らない」「食事のときにはご挨拶をする」「外出時にはご挨拶をする」「大人が『いけません』と言ったことはしてはいけない」といった程度でしょうか?
まだまだ難語をしゃべっている次男ですが、「○くん、それはいけません」と言うと全身でニコニコ笑いながら「やっていない、やっていない」ポーズで手を横に振りながらしています。

たんぽぽさんのお母様が仰っているように私は「赤ちゃんは天才だから」と常に言うことを言うを心がけてきているためか少なくとも今時点ではこのような状態です。
長男の時には姑が「まだ1歳になってもいないのにそんなに締め付けちゃ可哀想じゃない。今からうるさく言い過ぎると変な子に育つわよ」なんて言われましたね。
ですが3歳6ヶ月になるまでの間 叩くことなく躾をすることが出来ています。
未だにスーパーで寝そべることも電車で席がないときに「座りたい」なんてごねることもありません。

母親の愛情については恐らく対極の考えなのでしょうか?
私は母親とは「子どもの甘えを享受する心」と「甘やかしをしない心」の両方を持ち合わせなければならないと思っております。
「子どもをギュッと抱きしめる」「添い寝をする」「手をつなぐ」「抱っこ・おんぶをする」「母乳を飲ませる」というのは子どもの甘えに対する対応ですよね?
「これ欲しい買ってに応える」「あれは好き・これは嫌いと食べ物を粗末にしていることを容認する」「悪いことをしているのに叱らない・注意しない」は甘やかしです。
これらを一くくりに考えられていませんか?
私もこの違いについては実際に我が子を持つまでわからなかった境界線が多いと思っております。
ただ本当の問題は「父性」なのでしょうね。
団塊の世代が家庭を顧みずに「企業戦士」として育児全般を母親に丸投げしてきた結果、「甘え」を受け止める母親と「厳しく強い」父親という構図が壊れてしまったように思います。
我が家では子ども達に「一番えらいのはパパ、一番強いのはママ」と教えています。
幼少時代の経験から『父親を尊敬出来ない子ども(私の弟のことですが)はろくな大人になれない』と思っているからです。

母親以外の躾についてはたんぽぽさんが仰るように本当に現在の日本では誰もしてくれていないのでしょうか?
少なくとも我が家の周りの方は子ども達に対して「躾」というものを意識し行動してくださっています。
持ち前の明るさから毎朝7時過ぎに元気に「おはようございます」の言える長男にご近所の年配の方は「君はとっても気持ちの良い挨拶が出来るね。もっと○○するとカッコよいよ」などとアドバイスくださいます。息子はそれを次回からはしっかり実施しています。
子ども達の保育園の保育士の先生方も「躾」「言葉遣い」については細心の注意を払ってくれています。
ただ、社会のルールを唱える大人が子どもに見せるのも恥ずかしいほどのルール違反をしている世の中です。
確かに頭の痛くなる事例も多くあります。
優先席で堂々と携帯電話でメールをしている健常者などに「躾とは・・・」なんて言われた日には鼻で笑ってしまいそう。
ですからこそ、意識のある大人が必要なのです。

たんぽぽさんは、ある意味非常に良い「近所のおばさん」だと思います。
出来ましたらお隣の小さなお子さんを抱えて引きこもっているママさんに「元気?何かあったら頼ってきてね。遠慮は要らないわよ」と声はかけてあげて欲しいと思います。
引っ込み思案な性格の方は自ら進んでご近所に挨拶をすることすら出来ないようですから。。。
私の場合、性格が社交的なのでこちらから積極的にご挨拶をしていきましたので皆さん気さくに声をかけてくださいます。
ですから息子達も元気に進んで挨拶が出来るわけです。
私は同じマンションの複数のご家庭(年配のご夫婦から少し大きなお子さんのいる家庭まで)から
「何かあったら遠慮なく声かけてきてね。少しの時間なら坊や達を見てあげることも出来るからね」と言っていただいています。
実際に預けたことはありませんが、こういった言葉を言ってくださるご近所がいるということは本当に心強く思っています。

最後に「乳児への躾」として「諦めること」を教えることを勧められていましたが、これは私の経験と学んできた学問的見解から否定させていただきます。
「親が甘やかすからキレる子が育つ」との持論から「諦めること」を勧めるとありましたが、逆に乳児期に「諦めること」に慣れきったお子さんの実態はご存知でしょうか?
私は学生時代に教員の免許を取るべく「教育心理学」「児童心理学」などの単位を取得しております。
今から15年以上前の話になりますが、すでにその時点で「諦めることになれている子」の心理というのは教育学では問題視されていました。
乳児期に一生懸命にママに泣いて「お腹が空いたよ」「抱っこしてよ」「一人にしないでよ」と訴えているのに相手にされず泣くのを止めたお子さんは成長して「努力をする」ということが苦手になるという傾向があるということです。
「一生懸命に勉強したってどうせ今は就職も出来ない時代じゃないか・・・」「自分ひとりがモラルを考えたってみんながしないのだから仕方が無い」なんて考え方はずばりこれらが成長した姿だと思いませんか?
私は自分にも言える事ですが子ども達は「人生諦めず一生懸命あがいて欲しい」と思っています。
ですから乳児期の躾でも「諦めさせる躾」ではなく「対話し理解してもらう(させるではありません)躾」を常に意識してきました。

大変失礼な言い方かもしれません。
たんぽぽさんが今こちらのカテを卒業されるのはまさに「諦める」なのではないですか?
今回の件で少しお疲れなのだとは思います。
少し休まれてからみなさんで意見を出し合いこの今の時代とこのカテで「あがいて」みませんか?

本当の愛
晶 -- 2007年10月 3日 13:08:24

  たんぽぽさん、先日は私のために貴重な時間を割いて頂きありがとうございました。
時間がありましたらもう少しお話させてください。

『母子密着と育児障害』は、ここでたんぽぽさんが紹介されていたので読みました。著者の田中さんがどういう人なのか白紙のまま読みました。正直、数十ページ位で気分が悪くなり、読むのをやめようかと思ったんですが、一応最後まで読みました。
何故そこまであの本に嫌悪感を持ったのか考えてみました。多分、直接的な一番の理由は、添い寝をやめさせられる子供に自分が感情移入してしまったのかもしれません。

我が家のことを書くのは恐縮なんですが、私が2歳位の頃、うちの母は膠原病を煩い、私はお手伝いさんに育てられ、その頃生まれた妹は子供のいない伯母の家に引き取られました。私はともかく妹は一番大事な時期に両親から離され、その出来事は彼女の人格形成に大きく影響したんだと思います。思春期から三十過ぎまでずっと彼女は苦み、出口を見つけるためにもがき続け、私はその姿を目の当たりにしてきました。あの時期に、自分のあるがままを親に受け止めてもらえなかった、親に抱きしめられなかったという事実は、その後の人生に確実に大きな影響を与えると私は思いました。

『母子密着と育児障害』は、その恐れがある本だと思いました。確固たる信念と愛を持って添い寝をやめていれば、一緒に寝なくても真実の愛が伝わり、子供は健全に育つでしょう。子育てに疲れた人が成る程と思い、子育てから解放されて気分が楽になり、子供に対して笑顔を向けられるようになれば、その方が子供にも良いでしょう。ただ、子供をしつけなければとそればかりが先に立って、自分の確固たる信念もないのに、マニュアル本を実践してしまう人がいるかもしれない。中にはその本を口実に自分の虐待(ネグレクト)を正当化する人が出てくるかもしれない。そうやって、子供が根本的な愛情の飢餓を感じてしまったらどうするのでしょう。著者は責任を取ってくれるのでしょうか。勿論それを選択したのは自分でしょうが、有り余る情報の中でワケが分からなくなって藁にもすがる思いでその本を実践した人もいると思うのです。余計に混乱して育児が分からなくなった人もいると思うのです。少なくとも私はそれを想定しない著者に怒りのようなものを感じました。

「子供を受け入れ、抱きしめる」と言う風潮ばかりがもてはやされているのが問題だとすれば、時代が変わり「子供は赤ちゃんの頃からしつけないとダメだ」という風潮が多数派になることも私は危惧します。しつけは諸刃の剣です。親子の信頼関係が固ければ素晴らしいものになると思いますが、威圧的なしつけは親の顔色を伺う子を生み出します。確かに甘やかされてプライドばかり高い子供が増えて欲しくはないと思いますが、私は親の顔色ばかり伺う表面的ないい子ちゃんが増える方がもっと怖いです。

誤解されたくないんですが、私もたんぽぽさんと同じようにただ甘やかすことが本当の親の愛ではないと思っています。自分の子供を贔屓しろと言ってきたり、子供の顔色を伺うのは本当の愛じゃないですよね。そもそも最初に「子供を受け入れよう。抱きしめよう」という論理を主張した人も甘やかし続けようとは言ってないと思うんですね(多分)。ある時期になったら自立させるために子供を突き放すことも親の愛だし、その点においては田中さんも皆さんも共通しているのはないでしょうか。

でも生まれて間もないあの時期にはやはりいっぱい抱きしめてあげてくださいと私は言いたいです。ある時期、無条件で愛されることを体験して、人は初めて人を愛することが出来ると私は思うんです。自分を信じてくれる人がいることを知って、初めて人は自分を信じられると思うんです。その確固たる愛は人を強くします。人を優しくします。そして、それらは決してしつけから生まれるものでは私はないと思っています。

ずらずらとまた理想論を並べてしまいました。
なるべく心や体で感じることを大切にして、頭で考えないようにしているんですが中々難しいですね。
運命が許してくれるならいつか子育てしてみたいです〜。
たんぽぽさんもまだまだ頑張ってくださいね〜。

私の思うこと
カオリ -- 2007年10月 3日 12:53:45

  昔は社会全体で子供を育てていたといいますね。
私の子供時代は、残念ながらもうそんな風潮はなかったように思います。
当時の小学校の先生達はいじめから目を背け、給食は職員室で食べて昼休みを過ごし、生徒達とコミニュケーションをとろうとはしていませんでした。

だから、私は自分の経験をふまえ、自分の子供の先生には期待をしていませんでしたが、子供の幼稚園では素晴らしい先生に出会えました。
年少時の担任の先生は私よりひと回り以上も年下でしたが、子供への愛が全身からあふれている先生でした。
年少ですから、順番を守らない、友達の使っている物をとりあげる・・いろんなトラブルがあります。
それをいつもきちんと叱り、正しい行動へと導いてくれていました。
子供はよく「先生に怒られた」と言っていましたが、私は「先生はお母さんと同じであなたが大好きだから、あなたに素敵な大人になってほしいから叱るのよ」と言っていました。
子供もそう実感しているようで、叱られても先生のことが大好きでした。

ちょっと話がズレるかもしれませんが、元ボクシング世界チャンピオンの辰吉丈一郎は中学時代かなりのワルだったそうですが、担任の先生の話だけは耳を傾けていたそうです。
彼が悪いことをした時、他の大人達は頭ごなしに叱るだけでしたが、担任の先生だけは、まず彼の言い分を聞いてくれたうえで、「お前の気持ちもわかるけど、それはしてはいけないだろう」と諭してくれたそうです。
そうすると、彼も冷静になって反省することができたそうです。
彼の担任の先生には、間違いなく受け止める愛があります。

親であれ、先生であれ、他人であれ、子供を叱る時、そこに愛がなければ子供の心には響きません。
私は子供の友達は本当にかわいいと思いますが、愛を持って叱れるかどうかは自信がありません。
自分の子供ですら、愛というよりも、その行動に対しての怒りが先行することも少なくないからです。
でも、親ですから、そのベースには愛がありフォローができます。
でも、親ですら怒りが抑えられない時があるのに、他人の子供を叱る時
「この子を社会の一員として育てて躾てあげよう」
と思う人はどれほどいるでしょうか。
根本にあるものは「親がきちんと躾ないから、私が不愉快な思いをした」という怒りからくるものが多いと思います。
このあたりは、晶さんの意見に似ています。
私もそんな言葉に何度か傷つき、外で他人に迷惑をかけないようにビクビクしていた時期がありました。

だから、子供の行動を大目に見てほしいと言っているのではありません。
子供は何度も同じことをするかもしれない、でも、親はそれを正すことに付き合っていくから、どうか「躾が悪い」と切り捨てないで、長い目で見てほしい・・と切に願います。

でも、私は社会にそれほど絶望していません。
私はお母さん達の中でも年上だけど、年下のお母さんの子育てに感心することも多いし、むしろ同世代のお母さん達の中に眉をひそめるような行動をする人もいます。
いつの時代も非常識な親はいます。
今は、インターネット等でよくも悪くも情報が普及するようになったこともあると思います。
悪い情報ほど人の心には残りやすいのです。

そして、最後に。
子供が100人いれば、100人の持って生まれた気質があり、100通りの育て方があります。
育児書通りに育てられる子などほんのひと握りです。
育てやすい子を見れば、自分に子供が生まれたらあんなふうに育てようと思うかもしれませんが、他人の育児の真似などできないのが子育てです。
こんな話がありました。
ふたりの子供のいるお母さん。上の子は聞き分けがよく、どこにいっても躾ができていると褒められる。
でも、下の子は自己主張が強くいくら言い聞かせても上の子のようにはならない。躾が悪いと何度も言われた。
子供をふたり育ててみて、やっと、子供には躾ではどうにもならない持って生まれた気質があるということがわかった・・と。
そして、小学校の先生に「○君のような子がいていいのですよ」と言われて救われた思いがしたと。
子供を受け止める・・とは、この気質の部分だと私は思います。

一つの時代が過ぎ行く時
トマトの気持ち -- 2007年10月 3日 02:33:45

  妙なタイトルですいません。

そして、たんぽぽさん、御疲れ様でした。
ここ高齢出産VOICEでのたんぽぽさんの存在は本当にいろんな方がおっしゃっているように、すばらしいものだったと思っています。

ヘンな例えで恐縮ですが、お酢のような存在だったようにトマトには感じます(^^;

ときに毒消しになり、時にこはだをしめるようにぴしっと、しゃきっとさせ、味付けのアクセントになり、隠し味になり・・・・
妊婦というココでの主役こそこなさなかったけれど、そこに居ることに存在意義を感じさせてくれていた。常にスレット主に寄り添い、時に議論をきちんとしてくれる、時にそっと包み込み、時にスレットから更なる広がりを与えてくれる。
トマトは、そんなたんぽぽさんが大好きでしたよ♪

いろんな御話をココで出来たこと、いろんな議論を自分の立ち位置を明確にした上で、する事が出来、意見交換が出来、どんなにかありがたかったことか・・・・。感謝でいっぱいです。

そして、あなたに出会えたこと・・・・・
コレに一番感謝します。

VOICEの中で頂いた言葉ではないけれど、私の中に「鬼の愛」という言葉をかけていただいたこと、感謝でいっぱいです。
私の中で、何かが変わり始めています。

さて、最後に、今回の最後の言葉・・・・について、私見ですが、そして散文ですが、少々かかせてくださいね。

子供を授かる前の経験です。比較的10代後半から20代前半の友人を数多く持っていました。そして、今も付き合いが残っている子たちもそろそろ三十路に近づいてきています。
そんな子供たちとまったくの同年代に近い意識で付き合ってきました。タメ口を聞き、仲間内で大笑いをし、我が家はオフがあれば、集合場所になり、そのまま年末年始、GW、夏休みには雑魚寝で大盛り上がりできる、そんな付き合いをしてきました。
時に、人生経験がちょっとだけある分、相談を持ちかける子も、時に1年ちょっとばかし、居候を決め込む子まで居ました。
いろんな若い子たちに触れて感じていたこと・・・それは
「傷つくことだけ一人前、やることは半人前」という感触です。
もちろん、そうじゃない子たちもたくさん居ます。でも、中にはそういう子がいて、その数は年々増えているように感じていたのです。
どうでしょう?まさにたんぽぽさんのおっしゃっていることに当てはまっていませんか?。
そういう育ち方をした子供たちの大人になりかけたときの姿です。
初めて社会の厳しさに触れ始める時、無防備なんです。
ものすごく、いろんな事を知識として知っています。
でも、肝心の心が無防備で思いっきりへこむんです。

その当時はまさか、自分に子供が出来るとは思っていなかったのですが、この経験は、私にはありがたいことになっています。

なので、今のトマトの子育ては少々変わっているタイプのものになってきています。たとえば、転んだ時、普通なら、1〜2歳の子が転べば、抱き起こし、傷が無いか見て、抱きしめ、なだめるのが普通だと思うのですが・・・。
トマトは一括して御仕舞いです。「痛いのは自分持ち、誰も変わってあげれないよー。」もちろん、傷の有る無し、手当ての必要の有る無し、などのチェックはしますけどね。
なので、転んで痛くないのに泣いたことが無いんです。
ただ、本当に痛いときは地団太踏んで痛がり、泣きます。その時初めてきちんと抱きしめます。(転ぶというよりは、コンクリートに頭をゴチンなんて時だけですけどね)

どこぞの教育ソフトで、柔らかいボールがぶつかっただけで、痛いよ〜〜と男の子がいい、それをみて、痛いの痛いの飛んでいけーーとやっているのを見て、これは違うなと違和感を感じるのです。

結局、そういう事なのではないでしょうか?

また、周りがしつけをしてくれないという御話、これも、マクロではそうでしょう。それが一般的だし、おこられたら、嫌がる母親も多いのも事実でしょう。
でも、ミクロな部分でいえば、世は高齢化社会、そして同年代は子育て一段落組みが多く、自分はそうならないとアピールすれば、いっぱい躾てくれたり怒ってくれたり、叱ってくれたりする方は居るのだと思います。
この親子は怒ってやっていい、叱ってやっていい、構ってやっていい、躾てやっていいと思ってもらえたらしめたもの!とってもありがたい環境を自身で作ることは可能なのだと、実践していて思います。自らが頭を下げてでも、お願いしてアピールするのです。
ママ友どうしにしても、宣言しちゃうのです。○○ちゃんもあたしはダメなものはダメって叱るよ。うちのもじゃんじゃん叱ってねと。それで、OKOK.お互いその方がいいね!と言ってくれるママさんは、けして高齢ママじゃなくても、いっぱいいるのです。
そのほうが、絶対イイと思っている方のほうが多いのです。

なかなか、閉じた輪を作りたい御時世であるのは間違いありません。でも、怖がっていてはダメなのだと、見えないから怖いのだと・・・。子育てする中で、自身のいる地域をいい意味でエゴイスティックに使うんだ!位の気持ちで巻き込んでもいいのではないでしょうか?それが出来ない場所ならば、あるいは本当に危険地帯に居るのかもしれません。我が子を育てる環境としてココはいいのか?を考えてみるのも一つではないか?と思うのです。

そんな意気込みで毎日自分の町内を闊歩して歩き、散歩をし、その行動範囲を広げてきたトマトの3年間です。
いまや、お買い物に行けば、誰かしら挨拶を交わす方と出会わない日の無いわたしです。そして、我が怪獣の名前もいろんな方から呼んでもらえています。地域の目で見守ってもらっていると思えます。

たんぽぽさん
>お母さんが「抱きしめて」「受け止めて」守っていれば、社会が子どもを教育してくれるという時代は過ぎました。ある意味、それを壊したのです。

なんてことないんです。壊したのなら、そういう時代を知っている方がまだ居る今だからこそ、それをしていい親子なんだと回りに思ってもらって、作り直せばいいだけなんです。
そうしたら、母は「抱きしめて」「受け止めて」守っていれば、
いいだけに変えることも出来るんです。

そんなのは理想論だし、うそだーーと思う方も居るかもしれませんね。でも、そうやって育ってきている我が怪獣君は、危なそうな人とそうじゃない人の見分けもちゃんとするし、叱られても、怒鳴られても、大丈夫な人だと逃げないんです。子供の能力は高いですよ。信じてみませんか?子供自身の持つ危険察知能力。

いろんな人に揉まれて育つことは、叱られることに矛盾が出たりもしますが、その矛盾に気がついてどうして??と考えることが出来るようになった時、いいか悪いかは決めるのは親でいいように思うのです。いろんな考え方があることも同時に教えることも出来ますしね。そんな風に思っています。

そして本当に最後になるけれど、
わたしは、一番の敵は自分と思っています。
慢心、イライラ、虐待・・・・いつやらかしてもおかしくない。
この子を本当にちゃんと見ているのか?育てているのか??
自分自身にいつも?マークを持ちつつ、育てづらい子ではないのに、ついていかない体力と気力につい・・・・余裕がなくなりそうになり、都合のいい子にしていないか?自分自身に猜疑心を持ちつづけています。
子育てしていて辛いと感じる時、何らかの要因があるんです。
そして、それが切羽詰った時、爆発した形が、愛している我が子に向かう時もある。
切羽詰っている時は、それを感じることもなくなる。
いろんな正論も方法もあるけれど、それすら受け付けられない時もあるんです。
逆説的ですが、自分を疑う目、コレが無くなった時こそ、やばいと感じています。

まとまりの無い文章はいつものとおりですね(笑)

長文を読んでいただきありがとうございました。
また、何時の日か、いっぱい御話しましょう!!
そして、たんぽぽさん、もう一度いいます。
御疲れ様でした。






教員のすみれさんへ
フラメンコ -- 2007年10月 3日 02:27:47

  たんぽぽさんの意見に納得していた私は、すみれさんのレスに惹きつけられました。実は、私も同じ職業です。いっぱい書きたい気持ちはあるのですが、雨で流れた運動会が今日なので、とりあえずレスしています。もうすぐ卒業とのこと。もしよかったら、これからも時々メールしませんか?私は、41歳、出産どころか、相手も見つからない者です。いつか、出産できる事を夢見てこのサイトを読んでいます。

迷いましたが。
denden -- 2007年10月 3日 00:43:11

  ほかに投稿されている方はみなさんたんぽぽさんのことをよくご存じのようで、そうでない私がここに書いていいものかどうか迷いましたが、rinさんの立てられた虐待に関するスレッドからこの「卒業宣言」スレッドへ至るいきさつに多少なりともかかわった(名指しでレスいただきました)身として、書かせていただくことにしました。

もうここには投稿されないとおっしゃっている方に対して、無意味な投稿になってしまうかもしれませんが、その場合は読み流して下さって結構です。

私は、この掲示板を情報交換の場、意見交換の場ととらえております。
ですから誰もがここで自分の意見を主張できると考えます。

しかしながらやはり守るべきルールというものはあると思っていて、それはよくいう「ネット上のマナー」というようなものではなく(それも大事でしょうけれど)、もっと実践的なこと、「スレッドのテーマに沿った投稿をする」ということです。
これを外すと、掲示板全体が非常に使いにくいものになります。

「虐待」スレッドで、スレ主のrinさんの制止が入った後にも投稿を続けられたのは、ご自分の意見の正当性を主張なさりたかったのだろうと推測しますが、その部分に関しては別のスレッドをたてるべきだったと考えます。

rinさんの制止は、たんぽぽさんの意見を排除したかったからではなく、投稿内容がスレッドの主題から外れてしまったからであったと理解しています。
あの対応はスレ主として常識ある態度と感じ、逆にその制止を振り切った矢継ぎ早の投稿は、少し行き過ぎであると感じました。

たんぽぽさんのご主張そのものについてはここでは意見しません。
もう一度冷静にご自分の投稿をすべてお読みになったなら、そこに矛盾と論理のねじれを発見されることと思います。
そのひとつひとつについて言及しても仕方のないことなので、それはしません。

しかしながらひとつだけどうしても指摘しておきたいことがあります。

rinさんのスレでは「もっと子供を愛するように、抱きしめるようにと言われて追いつめられている母親が少しでも楽になれれば」というようなことをおっしゃっており、こちらのスレッドで「子供を守れるのはお母さんだけ。それは抱きしめるというようなことではない」とおっしゃっています。

ことここに至って、たんぽぽさんは「母親」なるものをめぐって相当複雑な思いがあるのだなと気付きました。

なぜなら、「母親に対してもっと子供を抱きしめるように」言うのと、「子供を守れるのはお母さんだけ」と言うのとは、言葉がかわっただけで母親を追いつめるという意味において全く同じ図式であり、さらに後者はご自身が否定していらっしゃる「母性神話」の別の形であるからです。

ですから、追いつめられている(とされる)母親に「少しでも楽になれればと思って」などと言わず、素直に「追いつめられてるなんて思わずに、子供が泣かないようにしつけなさい。それが母親でしょ」と言ってしまえば、たんぽぽさんも楽になれるのではないかと感じました。
たんぽぽさんこそ楽になってもいいのではないでしょうか。

最後にもうひとつ、赤ちゃんや子供の「扱い方」と言う表現ですが、たんぽぽさんが説明された内容であってもやはり私には許容できません。
「子供」を「(介護の必要な)お年寄り」に替えてみればおわかり頂けると思います。
それから「日本人」とか「日本の」と民族や国でひとくくりにするやり方も、注意が必要と考えます。

以上、率直な意見を述べさせていただきました。

たんぽぽさん、ありがとうございました。
パンセ -- 2007年10月 3日 00:06:49

  たんぽぽさん、こんにちは。

わたしはずっと以前に、あなたに頂いたお言葉によって助けられました。
あのときの、たんぽぽさんのお言葉があったから、今のわたしがあります。
あのとき、お言葉をかけていただけなければ、ここまで踏ん張れなかったと思います。
まだまだ前途多難は同じですが、とりあえず、ここまでは来れました。
ありがとうございます、

わたしは今もまだ細々と治療をがんばっています。
未妊、タイムリミットの重圧を背負う迷い子羊でもあります。
時間をかけて、すこしづつ、道を探りつつここまできました。

繰返しますが、そのようなわたしの迷い道の道中で、
たんぽぽさんのお言葉によって、とても重要な部分を、助けていただきました。

何度も、繰返します。

ありがとうございます。


私事以外の事柄についても、
多くのたんぽぽさんのご意見を読んできました。
ここは確かに出産や妊娠や治療の話しをするサイトではありますが、子供の問題ということに関しては、その母親だけの問題ではないはずです。
子供の問題は、日本の未来の問題です。
社会の問題です。
多くの難問をかかえる日本の教育問題について、日本の社会について、そして、わたしたち一人一人の、心の問題にとっても、
たんぽぽさんのご意見、お話は、とても必要とされるものだと思います。

でも、たんぽぽさんの行く未来について、他人が無理してお引止めしたりすることもできません。
場所を変えて、方法を変えても、どうか、わたしたち、プレママ、迷い子羊、卒業者、、母親、、たちがたんぽぽさんのお力をどこかで借りられることがありますように、そう願うばかりです。


どこかでご縁があれば、またたんぽぽさんの思いやり、聡明さ、あたたかさに触れることができるでしょうか、、。

わたしも、近いうちにメーリングリストに登録してみます。

もしこれきりになったとしても
心はきっとどこかで繋がっている、
そう、思わせて下さいね。

たんぽぽさんのこれからの未来に沢山の幸せがありますように。
心からお祈りしています。
どうかお元気でますますご活躍されますように。

どうもありがとう。

たんぽぽさんへ
トラ子 -- 2007年10月 3日 00:00:27

 
ママでもなく、
プレママ・・ともいいきれず、
永年留年組のトラ子です。

いまだに真っ暗なトンネルの中を手探りで歩いている状態ですが、このサイトを訪れるとき
私は、いつもたんぽぽさんの凛とした姿を心の隅に感じていました。

直接お話する機会はなかったのですが、たんぽぽさんの思慮深さ
思いやりにあふれた言葉には本当に励まされました。
ありがとうございました。

私も年齢的、経済的な事情から遠からず卒業せざるを得ないことになると思います。

自分の子供を育てることはなくても、たんぽぽさんのように何か次世代に貢献できることを探して
私にできることはないか考えていきたいと思っています。

たんぽぽさん、
ここにいてくださってありがとうございました。
たんぽぽさんのお幸せをお祈りします。

感謝の気持ちを込めて。
恵子 -- 2007年10月 2日 23:01:28

   たんぽぽさん、こんにちは。
 直接に呼びかけさせて頂く事は初めてですが、これまでたくさんの方のスレッドでたんぽぽさんのご意見に共感したり、教えられたり、考えさせられていた者です。これまでいろいろな形でたんぽぽさんのご意見が、私の糧になりました。有難うございました。最近のたんぽぽさんと他の方のやり取りや、この卒業のスレッドも全て読んでいないのですが、もうお話する機会がないので返信させて頂きますね。
 たんぽぽさんが最後に母性・父性・親離れ子離れ等、親子関係を中心に子供を取り巻く大人のあり方をどれだけ真剣に考えられているか、とても感じました。塾の先生をされていたと伺いましたが、きっと生徒たちを一生懸命ご指導され、その中でたくさん子供の背後の親の存在に憤られていたのではないかと思います。いろいろな親がいます。自分もいろいろな方を見てきました。でも多くの出会いの中で、自分が親として頑張るエネルギーを与えて下さる方々もいました。公園で本当に楽しそうに自分が子供であるかの様に子供と一緒に遊んでいるお母さん、英語教室で4歳くらいだった息子を英語を習う姿勢で授業を受けないなら運動教室に行った方が良いときちんと話してくださったイギリス人の先生、今年の夏休み水泳教室でつべこべ口を動かさないでやってごらんと息子のほっぺを引っ張った先生の最終日の成果を見ての笑顔、1歳から卒園まで担任して下さった先生の卒園式の泣き顔、今入部しているジュニアサッカーチームの監督・コーチの指導や台風後のグラウンドを早朝から整備して下さっている姿、夏休みラジオ体操に顔を出す町内のお年寄りの元気、学校図書ボランティアで子供への絵本の読み聞かせをするお母さん仲間、息子のちょっとした内面の成長振りを指摘してくれる息子の友人の親たち、もっと考えればいろいろな顔を思い出すと思います。確かに日本での今の子育ての問題はとても大きい。でもたんぽぽさん以外にも、自分の子供でなくても子供を大切に思う方はたくさんおり、自分もそうありたいと周囲の子供たちとの関係を作っています。そしてこれからも、努力したいと思います。
 人との意見の違い、共感できないことを拒否すること、たくさん見られることの様に感じます。親兄弟やパートナーの親族との絶縁関係、職場での人間関係、親同士、子同士。自分もこれまでその様な経験がなかった訳ではありませんが、今は違う意見こそまた自分の意見を見直す良い機会を与えてくれると思っています。たとえどちらの意見が正論という結果にならなくても、お互いにそういう意見があるのだなと学べれば良い。今たんぽぽさんがご自身の1意見として受け入れてもらえなかったと繰り返し感じられ、傷つかれた状況であること、残念に思います。全てに同意見の人間なんか存在しない。だからこそいろいろな形で関係を持つ意味があるのではと私は思います。
 ”たんぽぽ”大好きな花です。春が来たな〜と毎年嬉しい気持ちにさせてくれる花。黄色い花に元気をもらいます。しっかり伸びた茎、地面に広く伸びた葉、時に茎の何倍も深く地中に伸びる根。”あなたを花に例えると?”と聞かれたら、”たんぽぽです”といえる人って素敵だと思います。卒業って言葉、私は次のステージをイメージします。どうぞこれからもたんぽぽさんらしく、そしてお元気でお幸せに。

さようなら
弥生 -- 2007年10月 2日 22:54:54

  お元気で。さようなら・・・

以前と違う...?
マンゴぷりん -- 2007年10月 2日 22:23:18

  たんぽぽさん。
なんだか以前の私が知っているたんぽぽさんとは、違っているような気がしてなりません。

私があえて自分の投稿に'たんぽぽさん'のお名前を出さなかったのは、、「添い寝」についてどこかの著書の引用をされていたからでした。
それはたんぽぽさんご自身が創造した言葉ではいから、あえて自分の投稿にたんぽぽさんのお名前を出せば、直接的にたんぽぽさんを非難したようになると思い、たんぽぽさんのお名前はあえて出さなかったのです。

そして私はたんぽぽさんのご意見に反対したのではなく、たんぽぽさんが引用した著書の方の意見に反対なのです。
(後のたんぽぽさんの文章で、「結局自分は「添い寝」については、よくわからない」とおっしゃっていたので、余計にたんぽぽさんのお名前を自分の投稿にあげては、逆に失礼かな?と思いました)

親子ともに「添い寝」にそれほどマイナスのエネルギーを持って懸命に耐えなければならないほど、添い寝をやめる必要があるのかが、理解できません。
大人でも子供でも、長期や激しいマイナスのエネルギーは脳や精神面にも異常をきたします。
それよりも「親子の自然な感情」の一部として、「添い寝がしたいなら、それで子供が安心して寝付くなら、添い寝をしてあげればいいじゃない?何故無理やり引き離さなければならないの?」という思いでした。

私は以前のたんぽぽさんのさわやかな真剣さや理論の切り口には以前から敬服しておりましたが、「私の以前知っているたんぽぽさんとは、ちょっと違うな〜」と思いました。

その意味では、残念です...。

たんぽぽさん
しゃぴろ -- 2007年10月 2日 17:47:52

  たんぽぽさん、

以前、何度も励ましていただいたしゃぴろです。
私もsachiさんと全く同じ気持ちです。
卒業なんて、言わないでください!

たんぽぽさんのおっしゃってること、分かります。
それぞれの人に、それぞれの立場があり、不特定多数の人が見るネットという匿名の場では、意図しない方向に話が読まれてしまうことも否定できません。
その全てに対して、全方位的に話すことなんて不可能です。

以前、障害を持つ方の生きる権利について話されていたときに、着床障害の方がなぜ出生前診断が許されないのか辛い、とおっしゃっていたことがありました(まだ全く認められていませんでした)。
一つの物事には様々な側面があり、それぞれの方に、それぞれの権利と幸せ、そして悲しみがあります。
その厳しさと切なさを私達はこのサイトで学んできましたけれど、
そのようなやりとりの中で、たんぽぽさんは、時に問題提起しながら、いつも温かい目で、人に、女性の苦しみに、そして全ての人の生の尊さに寄り添おうとしてらっしゃいました。
たとえ発言はしなくとも、ここで交わされたやりとりに、どんなに多くの人が励まされ、勇気をもらったことでしょう。
ここで交わされたやりとりに、どれだけ多くの人が共感を抱いたことでしょう。
男性もまた、生きにくい世の中ではあるけれど、
自分の人生と愛する人や家族の人生とが様々に交錯する「高齢出産」年齢の女性にとって、
この掲示板で交わされてきた真剣なやりとりは、どれほど大切なネットワークであることでしょう。
その中心にはいつもたんぽぽさんがいました。

虐待や夜泣きについて私は述べることはできませんが、他者と関わろうとする気持ちがなくなってしまったとき、私達は本当に大切な何かを失ってしまうと思います。
私達は万能でない以上、世の中の問題を一挙に解決することはなかなかできません。
それでもそのときに、それでもなお人と関わろうとすること、人に寄り添おうとすること、そうした気持ちなくして、何が生まれてくるでしょう。

語弊があるかもしれませんが、時に私達は、「幸せ」ということに無上の価値を求め過ぎている気がしてなりません。
もちろん幸せになるために皆、がんばっているのですが、何か歪みがあるような気がしてなりません。
そして、自己責任という名のもとに、大切な何かが切り捨てられている気がしてなりません。

たんぽぽさんがおっしゃっているように、人に助けを求めることを恥と思う必要なんてないんです。
年をとれば、階段をのぼるのもきつくなります。ゆっくりあがればいいし、その辺の男性におぶってもらったっていいんです。
荷物ももってもらえばいいんです。
辛いときには助けを求め、余力があるときには手をさしのべる。そのときそのときで、どちらの側になってもいいんです。
ごく普通のこととして皆がそのように生きていく、そうした社会こそが自立し成熟した社会だと思います。

たんぽぽさんが、時に誤解に傷つきながらも、いつも真摯な姿勢で皆さんとやりとりをされてきたこと、たくさんの人が知っています。
だから卒業なんて言わないで、というのは勝手な言い方かもしれませんが、
それでも、私にとって大切な支えでもあったこのサイトから、たんぽぽさんがこうした形で卒業されるなんて悲しくて受け入れられません。
たんぽぽさんを失うなんて、悲しくて仕方ありません。

たんぽぽさんへ。
バンビ -- 2007年10月 2日 17:34:19

  出遅れました・・・。お元気ですか?その節は名指しの投稿にすぐにお返事くださりありがとうございました。

他の方のレス等読ませていただき、うなずくところが多く、今の世知辛い日本での子育てに、本当に、本当に、疑問ばかりです。自信を持って育てたいのですが、自分の育った時代と余りに違いすぎます。昭和30年代の日本を思い出し、テレビも携帯もパソコンも・・便利グッズがない時代がとても懐かしく、そして今を生きてみて、やはりあのころがよかったとどう考えても思うのです。

古い人間なんでしょうか?私はたんぽぽさんのように頭も切れませんし、言葉も知りませんので、稚拙な文だと感じたらお恥ずかしいです・・・^^;ただ、たんぽぽさんのおっしゃりたいことは、結局その当時の育児の仕方だったのではないでしょうか?勝手に解釈してすみません。でもどうしてもダブります。昔のお母さんは、夜泣きにしてもまたお乳にしても、きっと今のお母さんのように行き詰ることはなかったかと思います。もっと深刻な事があったからです。辛抱ができない世の中になりました。我慢や忍耐が口にすることで格好悪いイメージになっています。苦労や我慢や辛抱、忍耐、それらが昭和の時代には皆が当たり前だと思っていました。今、それらは古臭い言葉になってしまい、横に居てる友達も空間は一緒でもそれぞれが携帯、ゲームにはまる姿・・・恐怖を覚えます。
これらは、文化が進んだことを意味しますが、そのせいで心が失われているような気がして怖いです。

子供がこの先、どうなるか考えると遣る瀬無い気持ちで一杯です。たんぽぽさんのを読ませていただき、私は咄嗟に自分が4〜5才のころのモノクロの生活を思い出しました。今息子の年齢の子供を持つ親は私より一回りも若いです。このお母さんたちとの意識のずれはどうしても感じます。毎日、毎日、毎日、毎日、子供を授かった感謝を忘れかけ、先を思うと不安に駆られます。

たんぽぽさんが卒業されることに対して、私も同じ行動を取ったかもしれません。たんぽぽさんがここを離れるのは私としては本位ではありません。たんぽぽさんのような意見は貴重です。たんぽぽさんに批判的な人もいるでしょう。その数が増えてきたような気がしたのではないですか?これは、私が感じるズレと一緒のように思いました。なので、このままここで留まる事はきっとお辛いのだと思います。

たんぽぽさんとまたお話ができるよう、メンバー登録をしました。そしていざという時にチャット等参加できるよう、実はタンポポさんの卒業宣言を読んですぐにです・・・。(個人的なことです、読まれている方どうかお許しください。)またたんぽぽさんのお姿をそこで拝見できるでしょうか?

長文、読みにくくてすみません。そして勘違いの部分がありましたら、お許しください。

サークルラインさん、匿名さん、ヒューさん、かなあしさん
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 17:32:59

   サークルラインさん、こんにちは。

 サークルラインさんは、四十六歳でお子さんを生まれたのですか。最近は、本当に四十五歳以上で生まれる方が増えましたよね。素晴らしいですね。
 おばあちゃんと言われようが、何をどう言われようが、そんなこと関係ないですよ。私なら、ぜ〜んぜん気にしません。「そんなの関係ねえ!」っていうところですね。とにかく、健康に気をつけてくださいね。ほんっと、うらやましいですぅ。
 お幸せを祈っていますね。

 匿名さん、こんにちは。

 そうなんです、成人しても母性愛が一番なんて思われるのは、子どもには迷惑なんです。それは、私の実感するところです。だから、最後に一回きちんと、言いたかったんです。田中さんは、母親が子どもを独立させようと思わず、子どもへの依存を断ち切ろうともしないことを批判されていたのだと思います。本当は、これは現代の大きな問題だと、私は思います。
 母性愛は尊いです。しかし、いつかは、切らなければならない、人間と人間としての友愛に、信頼に、変らなければならない、そういうことが言いたかったのです。
 ありがとうございました。匿名さんのお幸せを祈っています。

 ヒューさん、こんにちは。

 私も、誰かの意見がどうかなどとは思わないんです。ただ、今までのことも色々あって、インターネットの世界も大変だなあと思いました。わたしとしても、いいかげんプレママはやめなければいけないと思っていたので、タイミングが良かったのです。
 夏にオフ会があって、仲間のみなさんにお会いしたときに、フェードバックなんかせずに、卒業するならきちんと挨拶した方がいいよと言われたことも、こんな卒業宣言をするきっかけになりました。ここでは、多くの方と交流させていただきましたので、一言お礼がいいたかったのもあります。
 ヒューさんのお幸せを祈っています。

 かなあしさん、こんにちは。

 かなあしさんと私の考え方は、かなり似ているんですね。四人もお子さんを育てられたんですか。大事業ですね。私の尊敬する知人で、動物のように子育てをしなければいけないという人がいました。動物は子どもが小さいときは献身的に世話をしますが、独立させるべき時期がくると攻撃してでも子どもを独立させます。見事だ、とおっしゃるんです。そういう覚悟を持つことは、人間には難しいんでしょうね。
 ご返信ありがとうございました。かなあしさんのお幸せを祈っています。


 しばらく留守にしますので、このあといただいたレスには、しばらくの間できません。もし失礼があればお許しください。

「教育」。
にゃご -- 2007年10月 2日 17:12:57

  こんにちは。

「学校」の持つ負の側面の犠牲者になった第一子は、学籍を持ちません。
憲法違反になるからと学籍を押し付ける教育委員会に、断固として拒否を続けているからです。

でも、その後の受け皿の制度があるとわかっていることに救われてもいます。

義務教育の制度疲労は、政治と社会の合作だと思っていますが、その社会が要請したからこその制度もある。
二律背反? いや、アンビヴァレンス???

「教育」ってなんでしょうね? 大きな命題です。

所謂、中学2年で学籍を放棄した第一子ですが、第二子、第三子については、初めから放棄しようかな〜、と考慮中です。
「学校」が、「教師」が、こどもに何をしたか。今だに怒りで震えます。

私は、「教科学習において高得点を獲得する力」には興味がなく、持続可能な社会を作ることができる人間になりたいと切に願っているのです。こどもたちにも同じことを願います。
人類が終わってしまう瞬間に、どの時代のこどもたちも立ち合わせたくない、と強く思うので。

そのためにも、独り善がりにならぬよう、常に自己批判を続けなければなりません。
既存の価値を疑いながら。

あれ? ズレてます??
でも、読みながら、ちょっと書いてみたいなと思ったのは、上記の私的な事柄なのでした!! ごめんなさい!!!

すみれさん、まんごプリンさん、sachiさん
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 17:08:41

   すみれさん、ご返信ありがとうございます。

 すみれさんのおっしゃること、よく分かります。本当に、政府は何を考えているのか、心底腹が立ちます。教育を何だと考えているのか、体が怒りで震えます。

 教師の給与にメリハリをつけて、やる気を引き出すなんて、とんでもないですよね。いい教師は、目先の利益なんかで動かない、なんでそんな基本的なことさえわからないのでしょうか。評価されたくて頑張る人間なんて、ある意味、教師に向いていないのです。
 それも、「損得を考えない人間」に育てることが目標だなんていいます。腹が立ちます。本気で、どうやったらそういう人間を育てることができるか、考えてもらいたいです。

 教師を子どもや保護者なんかに評価させてはいけません。そうですよね。

 立派な先輩教師こそが、若い教師を育てることができます。そんなことも忘れて、教師を尊敬することも育成することも怠って、批判ばかりしていたらドンドンよくなると考えるところが愚かです。
 できれば、教育現場の現状について、もっと教えてください。私は塾講師をしていて、その変化を実感しました。話には色々聞きますが、現場の先生方に、もっと教えていただきたいです。

 それでも、失望ばかりはしていられませんね。すみれさんのところに可愛い赤ちゃんが来てくれますように、祈っていますね。


 まんごプリンさん。

 ご返信ありがとうございます。でも、まんごプリンさんと私の考えは違うんじゃないかと思いました。というようり、正直なところ、まんごプリンさんが立てられたスレッドには、かなりショックを受けました。引用するなら出所を明確にして引用していただきたかったです。全然意図していることと違うことを書かれていたので、不本意でした。
 ごめんなさい、今はちょっと、さすがに何を言っていいのか分かりません。これも、インターネットの世界の難しさなのでしょう。
 まんごプリンさんのお幸せを祈ります。

 sachiさん。

 今回は、本当に卒業します。また、お会いしましょう。たしかにメールでは、挨拶程度のことしかできませんが、お会いすれば色々とお話できます。これからも、よろしくです。

今回は匿名ですみませんさん、ちかあきさん、なおゆうぎさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 16:48:49

   今回は匿名ですみませんさん、ご返信ありがとうございます。

 江原さんの考え方は好きです。ただ、それがどのように受容されていくかということについては、危惧も抱いています。霊界があるかどうか、そういうことはどうでもいいのですが、生きる意味というようなことでは学ばせてもらいました。

 子どもがいるかいないかということについては、どっちでも同じではないかと思います。江原さんがいうように、どちらにしても学びなのでしょうし、まあ、どっちにしても自分なんて大した人間じゃないですから。ただ、生きている間は、できるだけ一生懸命に生きようと思うだけです。間違いながら、ですけど。
 
 今回は匿名ですみませんさんのところに、可愛い赤ちゃんが来てくれるように祈っていますね。きっと、お母さんになるって、いいもんだと思いますよ。頑張ってくださいね!


 ちかあきさん、お久しぶりです。

 娘さん、小学五年生ですか。これから、大変な時期に入りますね。子どもが大人になるって、本当に大変なことです。一大事業だと思います。思春期の子どもは、色んな場面で親を試すように思います。頑張ってください。四十何年生きてきた大人の女の凄さをみせてやる、っていう気概が必要ではないかと、そんな風に思います。もし、私だったらということですが。

 私の場合、子どもが思春期に入ったら、と想像するだけで、「闘争モード」に入ってしまいます。「どっからでもかかってこ〜い!」というような気分になってしまいます。「絶対に負けるか〜。大人の女をナメるんじゃない!」と、勝手に興奮してしまいます。それが、親が子どもに最後にしてやれることのような気がします。
 どの子にとっても思春期は大変な時期だと思います。親もしんどいことも多いでしょうが、頑張ってくださいね。


 なおゆうぎさん、こんにちは。

 先日はありがとうございました。私は、私となおゆうぎさんとは、随分考え方が違うように思っていました。なおゆうぎさんは、愛を切らないようにとおっしゃいますが、私は、きっと子どもが成人したら、必死で「愛を切る」と思います。まあ、それも愛を切らないということかも知れませんが、とにかく、それまでに、「この子は大丈夫」と信じられるようにして、後は口も金も手も出さないと思います。私たちは高齢ですから、そういう覚悟が必要だと思うのです。まあ、人それぞれですね。
 下のお嬢さんが小学校にあがるまでには、まだ少し時間がありますが、今の学校はひどいです。おそらく、上のお嬢さんのときとは違います。正義感をもっていればいるほど、色々と問題に巻き込まれることがあるかもしれません。現状を分析して、子どもを守らないといけないですね。
 ご返信ありがとうございました。

こっそりでもいいから。
ひげ -- 2007年10月 2日 16:34:55

  四六時中、子どもの教育というものについて考えて
情報を集め、試し、修正し、暗中模索しています。
それは、ワタシ自身が、どう教育していいのか、現在ある制度や
社会の状況を鑑みて、どういう役割を担えば必要最小限(これがいま手一杯)の教育ができるか、それが分からないためです。

そんな中、たんぽぽさんの情報には、多くのヒントをいただいております。

情報源として、更に、自分自身の想像力を活気付け、寝かせ、ひらめかせる為に、たんぽぽさんの示唆は欠かせないものとなっております。

まずは、そばにいて、実際のケーススタディの指導をして欲しいくらい。
頼むよ!
また、ワタシの迷いをスッキリさせてね。

既に現在の日本で、喜びを期待できなくなりかけているオトナが
どのように次世代を教育し、何に導けるのか。

ワタシは今、宗教を欲しています。
特定の何に入信したいということではなく、よりどころとなる、普遍性のある、現代の独自の宗教心を持ちたいと言ったらいいでしょうか。

どんな信念を持って生きるのか。生きているのか。
変動する世の中で、揺られながらも自分を見失わないように、どうしたらいいのか?
それは、ワタシ自身の今後を考えることでもあります。

もっと、教えて〜。

晶さんへ
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 16:10:44

   晶さん、初めまして。

 お話できて嬉しいです。
 私も、このvoiceには、随分助けていただきました。素敵な方々にも会うことができ、感謝しています。

 ちょっと誤解されているところがありますので、ひとつひとつ、お話したいと思います。

 まず、『母子密着と育児障害』についてですが、もちろん著者の思い込みもあると思いますが、私は真面目な著作だと思いました。NHKの「視点・論点」という番組で田中喜美子さんが話しているのを聞いて、本を買いました。

 別のスレッドに書いたのですが、私たちの隣に住んでいる若い御夫婦に赤ちゃんが生まれ、その子が朝となく昼となく夜となく、しょっちゅう泣いていることが気になっていました。これは、お母さんたまらないだろうなあと。おそらく、赤ちゃんを触ることもなかったために、赤ちゃんの要求が分からず、それを満たすことができないために、赤ちゃんは泣き続けていたのだと思います。そんな赤ちゃんを外に連れ出すこともなく、団地の一室に閉じこもっているのは大変だろうと思いました。これが、母からよく聞いた「密室育児」というものだと思いましたが、ほとんど家から出られませんし、外で会うこともなく、話しかけることもできないままでした。

 それが気になっていたので、『母子密着と育児障害』を読んだ時に、乳児をしつけるという考え方に「なるほど」と思いました。実際、子どもに振り回されてくたくたになっている母親はいます。もちろん子育てを十分に楽しんでいる人はいるでしょうが、そうではない、ぎりぎりの状態に追い詰められていることも事実なのです。そういう場合、たとえ乳児であってもしつけることができるのだと、ある意味、目から鱗が落ちるような気がしました。

 ある友人が子どもを生んだとき、お宅にお邪魔して泊めてもらったのですが、その友人は、赤ちゃんが眠たそうにしたら別の部屋のベビーベッドに寝かせてすぐ部屋を出ていました。私はびっくりしました。「そんなんで寝るの?」と聞くと、「うん、このままぐっすり寝てくれるの。」ということでした。
 十代の頃、近所に叔母夫婦が住んでいて、その赤ちゃんの世話をしていたので、寝かしつけや夜泣きの大変さは経験していました。「こんなに楽でいいの?」というのが、そのときの感想でした。こういう寝かしつけの方法もあるのかと驚きました。田中さんの本を読んで、あれは、もしかしたら特別なことではなかったのではないかと思うようになりました。試してみた〜〜〜い。

 乳幼児をしつけるという考え方を、日本人はしません。それは日本の文化だといえるのでしょう。『菊と刀』で有名なルース・ベネディクトは、日本人は幼児と年寄りに甘いと言っています。その代わり青壮年に厳しく、強い締め付けがあると言いました。そして、もし戦後青壮年に対する締め付けがなくなったら、幼児期にしつけがなされていないために、大変なことになるだろうと書いてありました。今は、まさにそういう状況なのではないかと思います。

 私は、別に今の親の愛が間違っているとは思っていません。別の言い方をすれば、親の愛なんて間違っていると思っています。だって、たった一人の子どもが全世界より大事、それが親の愛ではありませんか。そんな愛は「世界」の側からいえば間違っています。しかし、そういう愛がなければ人間は育たないのでしょう。特に母親の愛は「盲目」です。どんなに賢いお母さんであっても、そうです。そして、賢いお母さんならば、自分の目が曇っていることを、自分の子どものことについては決して「真実の姿」を見る目をもっていないことを、自覚しておられることだと思います。

 子育ての難しさについては、よくわかりませんが、いつか子どもが振り返ったときに、「力」となるような一生懸命な、精一杯の生き方をするしかないんでしょうね。

 励ましていただきありがとうございました。晶さんもがんばってくださいね。

 

ありがとう
フク -- 2007年10月 2日 15:29:25

  たんぽぽさん、はじめまして。
ときどきこのサイトを訪れて、たんぽぽさんが一緒に悩み、励まし、率直にお考えを表明されているのを見て感動しておりました。たんぽぽさんの投稿に今まで私の他にも多くの方が励まされたことと思います。そのたんぽぽさんが卒業されてしまうということで、寂しくなってしまいました。私はほとんどロムでしたが、一言ありがとうを言わせてください。そしてもしよろしければ、会員(メールアドレス)登録をしましたので、ときどきメールでお話などできたら幸いです。

ひげさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 14:36:56

   ひげさん、いつもありがとう。

 時代状況を考えなければいけないとおっしゃっていますが、まさに、そういうことです。

 日本には「母性信仰」があり、それは非常に強いものです。まさに「母」こそが神でしょう。日本人は母を慕い、母をあがめてきました。全てを許し受け入れる「母」こそ、心の支えだったといえると思います。

 しかし、この「母」は、どういう「母」でしょうか。「母さんがよなべをして手袋編んでくれた。」という歌詞にあるような「母」とは、どういう「母」なのか、そこが重要だと思うのです。

 貧しさに負けず、虐げられながらも、懸命に働く母、どんなことがあっても優しく受け止めてくれる母ではないでしょうか。可哀想な母、かばってあげたい母、ではないでしょうか。そこから湧き出る無限の愛に、救いを見出していたのではないでしょうか。

 知性と教養にあふれた力強い母ではないように思います。パワフルなお母さんが、自ら母性礼賛するとき、なんだか違うような気がするのです。

 母が抑圧されているとき、母性愛は絶対的なものとなることができます。しかし、母性愛が主導的なものになったとき、それは別の様相を表わすことになります。

 このようにいうと、怒る方が多いでしょう。でも、「母」自身が怒るようなことではないと思うんですよね。

 今、「父性」は、どこにあるんでしょうか。「父性」には人気がありませんが、母と子の臍帯を切り、子どもを社会化させる役割を、誰が担うのでしょうか。「我が子はいいこ」ではなく「いい子は我が子」と断じ、子どもを一人前の人間にしようとする「父なるもの」は、どこにあるのでしょう。

 現実に生きる女性としての「母」が「父」に抑圧される必要など全くありません。人間同士として対等に信頼関係を築くことが大切でしょう。しかし、「父性」は「母性」より優勢であるべきです。人間はいつまでも「ありのまま」でいいのではなく、「あるべき」姿に向けて努力しなければならない、それは辛いことではあるけれど、やはりそうしなければならないのだと、私は思います。

 別に、「あるべき」姿といったって、大したことを言っているわけではありません。普通の地道に誠実に生きる大人になればいいだけのことです。ただそれだけのことが、難しいのだということを自覚しなければならないという、それだけのことです。

 『日本人のしつけは衰退したか』という本があります。その本の著者は、結論としては、しつけは衰退していないと述べています。そこでいう「しつけ」とは、「躾」、つまり身を美しくするという意味でのしつけだといいます。そういう意味では、各家庭は、それぞれに努力をしてしつけるようになったというのです。
 著者は、昔の家庭は、実はしつけなどしていなかったと言います。そういう余裕がないのです。親が厳しくいうのは、たとえば鍬を洗っておかなかったなど、生活に直結することだけで、身を美しくするという意味でのしつけなどなかったということです。商売をするために、小銭をやって子どもを追い払うなどということをしていた、そうしなければ生きていけなかったと言います。

 では、普通の意味での「しつけ」は、誰がしていたかというと、世間であり、若者組みであったというのです。親は世間の前では全く無力であった、と言います。これが真実でしょう。「世間」というものは、絶対的な力をもっていたのです。

 世の中が厳しいものであったとき、どんな辛いことでも耐え忍ばなければ生きていけなかったとき、人を支えたのは、母の温もりだったに違いありません。どれほど寒くても、母が編んでくれた「手袋」があれば、心の底からわき上がる暖かさに身を委ねることができたのでしょう。

 しかし、現代は状況が違います。母が絶対的な力を持っている家庭も多いでしょう。そういう家庭では、母親は、「父性」をいかに導入するかを考えるべきではないかと、思います。

 先日亡くなられた河合隼雄さんは、子どもは「父」を求めているのに、出会うのは「母」ばかり、砂糖に蜂蜜をかけるようなことになってしまうと書いておられました。

 現代の状況を鑑みたときに、どうすべきなのか、どのように教育すべきなのか、ここをしっかり考えないと、後で取り返しがつくようなことではないと、私は思います。思春期の子どもに手を焼いている親も多いのではないでしょうか。「手を焼く」程度なら、どこにでもあることですが、それだけですまないこともあります。

 おそらく考えすぎだと言われるでしょう。子どもがいない人間のひがみだと言われるかもしれません。子どもがいないから子どもの可愛さなどわからないと言われるかもしれません。
 でも、私は、このように考える、それだけのことです。

 ひげさん、またいっしょにビールでも飲もうね。

たんぽぽさん、こんにちは〜
かあなし -- 2007年10月 2日 13:36:03

  43歳、4人の子を持つかあなしで〜す!

少し前の、マンゴぷりんさんへの返信の私の文章をよんでみて〜〜〜!!

たんぽぽさんと同じ気持ちだと思いますよ〜
たんぽぽさんは素敵な方だとおもいますぅ。。。近くにいて愚痴を聞いてもらいたい、そんな感じ!

子どもにくっついて生きてきたいのは親の方で、子供の立場に立ってみたら………距離をおくことは絶対に大事!!!4人育ててきた経験からそう思っています。

どのくらい距離を置くのか、それはその子どもをよく見ている親が決める事!

大体、なんで育ててあげている私たち大人が、子どもに過剰なほどの気を使わにゃならんのょ〜!あたしゃ4人の子どもの食いぶちを稼ぐで日々精一杯よ!それなのにそれ以上何を子どもにしてあげなきゃならないのよ〜〜〜(大体この"してあげる"なんて〜言葉は大人の思う上がりだわね!!!)

子どもとて、ひとりの人間!お世話になっている人には敬意を表し、できることは自分でする、回りの人が困っていたら助ける!
成長過程の未熟な部分は大人がカバーしてあげても肩代わりしゃちゃ〜いけないよ!!!

おっと、仕事に出る時間!!!
また時間があいたらきてみます!



サリー紫さんへ
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 13:13:36

   サリー紫さん、お久しぶりです。

 先日は、どうもありがとうございました。ずいぶん、助けていただきました。

 サリー紫さんのおっしゃることは分かります。そして、そういうことを、みなさんおっしゃるでしょう。ただ、私の認識は、もっとせっぱつまったもの、もっと「危機的」なものです。

 たとえば、権力のある人がいたとします。その人が、子どもにプレゼントを持っていったり、特別な催しをしたり、一緒に遊んで可愛がったりしてあげると喜んでくれるとなると、周囲の人はその子にどういう態度をとるでしょう。おそらく、「お坊ちゃん、お嬢ちゃん」とおだてあげるでしょう。

 そういう環境に長くいれば、その子は、スポイルされます。ほぼ確実に。
 「お菓子の家」では、子どもは育たないのです。

 私たちは庶民です。そんな庶民の子でさえ、少子化が進めば、ますます「お坊ちゃん、お嬢ちゃん」扱いされるでしょう。塾や予備校、進学校では「進学」のために厳しくされることもあるでしょうが、それも、学校側大人の側の欲望によるものであるなら、きちんとした教育にはならないと、私は思います。
 だから、そういう現状をよく見て、その上でどのように教育するか考えなければいけないと、思うのです。「可愛い可愛い」という気持ちを、ある程度抑えることも大事だと、私は思います。発達段階を見極めて、何が必要なのか考えなければならない、それは、結構難しいことだと思います。

 サリー紫さんには釈迦に説法だと思いますが、子どもが大人になっても「仲良し親子」でいたいと思いすぎることは、子どもの教育にはよくないと、私は思います。子どもをいかに独立させるか、それは今のうちから頭に入れておかなければいけないことだと、私は思います。子ども自身に「力」を付けていくこと、困難な状況の中でも自ら考え自分自身の道を切り開いていけるように、「力」をつけてやることが大切でしょう。そして、独立すべきときがきたら、一人前の大人として、自信をもって送り出せるように、全力をあげて教育しなければいけないと思います。そのときに、子どもの後ろ髪を引くようなことのないように、自分自身も自立すべきでしょう。
 難しく考えすぎていると言われるでしょうが、母親は「愛の塊」であるからこそ、自ら厳しく律さなければならないこともあると思います。子どもを生み育てることは、崇高な仕事です。がんばってください。

 それから、私は、ここにはもう戻りません。実際のところ、「傷ついた」と言われることに疲れたのです。
 私の発言によって傷ついたと、これまで何度も言われてきました。そのたびに、謝ってきたように思います。とりあえず、その人にとっては、それは「辛い」発言だったのでしょうから。でも、もう謝ることに疲れました。私としては、ここで話し合うこと、人の悩みに耳を傾けること、いっしょにその悩みについて考えることも、ひとつの「助け合い」だと思っていました。今は、自分にできることはあまりないので、せめて、仲間として協力したいという思いで発言してきたつもりです。
 でも、正直のところ疲れました。誰が読むかわからないこういう場で、色んな人の立場を考慮して書くということは難しいことです。別の道を探ります。

 サリー紫さん、ありがとう。そして、これからも別の形で交流しましょうね。

はなみずきさんへ
たんぽぽ -- 2007年10月 2日 12:31:38

   はなみずきさん、ご返信ありがとうございます。

 最初に、御主人のお考えと私の考えとは違うということを確認させてください。

 まず、私は子どもを持つことに否定的なのではありません。現代の日本社会は豊かです。多くの問題があるとしても、やはり悪い社会だとは思いません。食べることもできないような貧困を、私は望みません。ですから、現在の豊かさに感謝しなければいけないと思っています。

 私がいいたかったのは、社会の現状を認識して子どもを育てなければいけないということです。それを認識した上で、子どもが幸せに生きるために必要な教育を施さなければいけないということです。

 今後、教育はますます「堕落」していくものと確信しています。それは、個人がどうこうという問題ではないのです。社会全体が経済的豊かになり、教育を受けることが一部のエリートの贅沢ではなくなったとき、そして学歴によって社会的な地位が保証されるという認識が広まったとき、進学率は伸び、人々は子どもの教育にお金をかけるようになりました。大学の数は驚異的に増え、その他の教育機関も増えました。

 そこで働いている人がいます。その仕事で食べていかなければいけない人がいます。しかし、少子化が進む今、競争に負けた教育機関は倒産するしかないのです。

 競争が教育の質を上げると考える人がいますが、それは実情に合いません。単なる受験競争に拍車がかかることは十分に考えられます。各学校は「数字」を出そうと、必死になるでしょう。
 一人の生徒に何十もの大学を受験させ、それを進学実績として発表していた高校がありました。センター試験の結果だけで受験できる学校なら、一人で50の「合格」実績を上げることが可能なのです。もう少し小さな規模でなら、どこもやっていることです。

 進学校で、受験に必要のない課目を教えていないことがわかり、必須科目を履修していないために生徒が卒業できなくなるという問題がありました。結局うやむやになりましたが、学校側が進学実績にこだわるために、このようなことが起きます。もちろん、それが生徒の望みであり親の望みであるといわれるでしょうが。

 小中学校で、子どもや保護者に教師を評価させるようになれば、「生き残る」ために、教師は子どもや保護者に毅然とした態度をとることはできなくなります。みんな自分の生活が大事なのです。
 教育再生会議は、熱心な教師を増やすために教師の給与に「メリハリ」をつけようとしていますが、もし、このようなことが通れば、「評価される項目」に関してだけ、必死になります。そして、子どもを人として成長させることなどに関心が向かなくなります。そういう余裕はなくなる、私の妄想でしょうか、本当に?

 今の保護者は、本当に「とんでもないクレーム」をつけます。本当に「とんでもない」ことを言ってきます。それに関しては報道されていますが、あれは事実です。
 「自分の子どもだけを特別扱いしろ」などということを、平気で言ってきます。特にここ数年の変化には驚くべきものがあります。自分の子どもが可愛い、それは人情でしょう。しかし、その子を中心に世の中は動いていないということさえ、分からないような親がいるのは事実なのです。
 そういう環境で、自信をもって教育するのは、困難です。

 迷子が大声で泣いていても、誰も気に留めない。電車の中で女性が強姦されていても、誰も気づこうとしない。目の前で暴力行為があっても通報さえしない。
 みんな、面倒臭いことにかかわりたくないのです。

 そういう世の中の動きを見たうえで、どう教育するかを考えなければいけないと思います。

 はなみずきさん、お子さんを生むことを、どうか諦めないでください。御主人を説得してください。現代の日本社会にいかに問題があろうと、はなみずきさん御夫婦がきちんと教育されれば大丈夫です。貧困にあえぐ国では、子どもはちょっとしたことで死んでしまいます。医者にかかることさえできずに死ぬ、栄養失調で死ぬ、などということは、まずありません。それだけでも、日本の状態は「良い」といえるのです。

 御主人を説得してください。そんなつまらない理由で、子どもを生むことを諦める必要はない、それが、私の考えです。御主人の考えとは全く違います。
 
 はなみずきさん、がんばれ、がんばれ、がんばれ!!!!!

感謝です
ヒュー -- 2007年10月 2日 05:04:56

  高齢出産後、子育て組の私ですが、たんぽぽさんのスレにドキッとしてあけてみました。以前の関連ありそうなトピックスにもざっと目を通して思ったのは、視点こそ違うけれども、どの方のご意見も貴重で尊重すべきものということです。

日々、仕事と子育てで精一杯、アップアップしている私がカメラのズームだとすると、たんぽぽさんはカメラをひいてひいて現代の子育て環境や社会を視野に入れた広い視点から、ひとつの明確な意見を述べられています。「添い寝」「自分の時間」といった事柄にしても、立場や環境によっていろいろな見解があっていいし、そういう見解を知り、活用できるのもネットのメリットだと思います。いま乳幼児の子育て真っ最中という方にとっては「添い寝」の大事さはまさに肌で感じることでしょうし、またフルタイムで仕事をしている方は、帰ってきて子どもと過ごす時間がなによりも大事な「自分の時間」、一方、外部との接触も少なく一日中子どもと一緒にいる方は、やっぱりひとりで気ままにすごす「自分の時間」が持ちたいと思うのではないでしょうか。

ともすると目の前のことだけに囚われがちな子育てに、たんぽぽさんはいつも風穴をあけてくれているような気がします。今回、提起されている、子どもをどう育てていくか、母親はどう関わっていくかという問題も、本当に考えなきゃいけない問題、難しいことです。一方で、まず母親である自分がどんな姿をみせられるのか、どんな人間なのかを問われることでもありますね。とりあえずは、私も「町のおばちゃん」やろうかな。

そのHNどおり、たんぽぽさんの文章にはいつもあたたかさと愛を感じました。きっとそういうお人柄なのですね。こちらでまたご意見をきくことができたら嬉しいのですが・・・

私はたんぽぽさんの意見に心から賛成します。
匿名 -- 2007年10月 2日 01:20:08

  私の母というのがまさに
「子供を愛し、子供に手間をかけ、出来るだけのことは全てするのは当然」
という女性でした。
が、私は母のそういうところは実を言うと好きでなかった。
なんだか自己満足に酔っているんです。「よしよし、私はいわゆる良い母親だ!」って。
で、子供である私にもそれなりの「基準通りの良い子」であることを「暗に」要求するんです。
はっきりと「こうしなさい」「それは許されない」「子供は我慢しなさい」等とは
(良い母親は)言ってはいけないと思っていたようです。
でも結局、形を変えた、まわりくどい支配に他なりません。

私は小学校を卒業してからすぐ親元を離れ中高一貫の学校の寮に入り、
どうにか親離れし、立ち直りました。
(実際、それ以来ずーっと実家で暮らしていません。
母性の支配というのは本当に恐ろしいものです。逃げるが勝ちです。)

私も田中喜美子の本を読みました。
私は田中喜美子派です。
母親の有り様として、すごく真っ当だと思います。
子供を社会に通用する大人に育てるのが親の役目なのですから。

面白いのは、この人の論に驚くほど反発する女性が多いことです。
たぶん、私の母のような人は反発するだろうなあと思います。

心に残っています。
サークルライン -- 2007年10月 2日 01:16:07

   2歳の娘を持つ、サークルライン(48歳)です。

 たんぽぽさんのご意見を読ませていただいて、たくさん元気をもらっています。
卒業されるというのを見て一言お礼を申し上げたいと思い、出てきました。

 以前どなたかへの文章で”子供を生んでおばあちゃんに見られるのはたいした問題ではない、それよりも大事なのは子供をきちん成人まで育てあげることだ” と書いていらっしゃるのを読んで
心に響きました。
その言葉を胸に刻んで子育てをしていこうと思っています。

 いままでのたくさんのたんぽぽさんの文章から、勇気付けられている人は多いと思います。
 本当にありがとうございました。

 

卒業しないでください。
sachi -- 2007年10月 2日 00:22:16

  たんぽぽさん、行かないで。
たんぽぽさんが時間をかけて心をかけてこのサイトの皆さんにつくしてくれたのに“あなたから言われたくない”的な発言に傷ついた気持ちわかります。 私も卒業宣言した身ですから。
でもあなたに多くの人たちが救われたのは事実だしこれからもたんぽぽさんを必要としている人たちあここにたくさんいるのです。
私もそのひとりです。
たんぽぽさんのメールアドレスは知っています。 でもここでなければ話せないことがあるのです。
“元気やってる?” “これ、おいしいよ”的なご近所つきあいや友達付き合いは他でもできるのであえてここでお話したかった。
あなたの思慮深さ、知識深さ、繊細さ、優しさ、厳しさ、すべてがこのサイトの宝なんです。
たんぽぽさんのご意見がハナにつく、という人もいらっしゃるかもしれません。 私の意見がいやだ、という方もいらっしゃるでしょう。 でもね、そんなことにふたをして寄り添うあうことだけでは魅力のないサイトになっていまいます。
さよならはいわせたくない。
お願いですから私とともにここにいてください。
もしたんぽぽさんが卒業するなら私も卒業します。

虐待のテーマから夜泣き、育児、そして子どもの教育まで話まで話が発展しましたがいろんな育児があっていいじゃないですか。
一人寝のよさも添い寝のよさもあるはずです。
うちも一人寝を教えようという試みが赤ちゃんのときから続いていますが一人寝できないのは私のほうです。 子どもはいい迷惑かもしれません。
昔とは時代が違うという方々のご意見もありましたが温故知新、古き良き時代を知ることはいいことなので今現代の子育てとは勝手が違っても思い出すことは必要。
優しいお母さん、抱きしめて育てる、という最近の風潮に踊らされてる私たち、たんぽぽさんの意見もごもっともだと思います。

大体、小さいときから兄弟の面倒を見されられて育った私の母の時代と違って40まで好きなように生きてきてやりたいことはがんばればできるという生き方をしてきたのにそうはいかない育児というものに直面したとき若い人ならともかく高齢の私たちは完璧にこなさなきゃ、と頭でっかちになっていませんか?
私は子どもが一番、なんて思いません。
自分の時間を大切にしてこそ子育てもがんばれるし自分の睡眠を大切にしてこそ育児もできる。
そして自分のやりたいことをやってからこそ子どもにやりたいことをやりなさいといえます。
そのために子どもが犠牲にならなきゃいけない部分があってもしょうがなーい!ってかんじです。
思いっきり言いたいことやテーマがずれてきていますが要するにみなそれぞれの意見を持っているわけだしそれを私はそうは思わない、それおかしいとか、あなたはXXだから、なんて言わないでいろんな意見に“ほおおーーー”と思えばいいだけじゃないですか。

たんぽぽさん、あなたは宝です。
あなたはあなたの人生があるかもしれない、もうここにはかかわりあいたくないかもしれない、でも言わせてください。
行かないで。

私も、同感です。
マンゴぷりん -- 2007年10月 1日 23:51:44

  たんぽぽさん、こんにちは。

一方的な情報に翻弄された、昨今の教育事情には正直「恐怖」さえ感じます。さんざん精神的にあおるだけで、その中身がない。
たんぽぽさんのおっしゃる「子どもを愛しましょう、抱きしめましょう、受け止めましょうに違和感」は、私もそう思います。
その意味や自分の感情がついていかないのに、セオリーどおりを教養する風潮は結果、マイナス思考にはなっても、プラスには働きません。

人としての最低限のマナー(=それはひいては周りの他人をも「愛す」とも通じている)が、日本にはなくなってきていると思います。アメリカでは長いイラク関与を通して、国民全体が「昔の純粋な人間の気持ちにもどる」という雰囲気があります。大勢の人が犠牲になった結果に、取り戻そうとしている感情です。大変難しい課題です。
今の日本ではそれだけの犠牲を払っても、とりもどせるのか疑問です。目先の損得勘定だけで、物事を判断することがあまりにも多すぎる。

たんぽぽさんの問題提起はいつも大変ためになります。ただちょっとちょっと気持ちが疲れているようにお見受けしました。
最近、少し気持ちにアップダウンがありますか?
でも今回の投稿で「たんぽぽさんはたんぽぽさんだ」と、いつも素晴らしい視点から問題を考える姿勢は変わってない、と思いました。

「これから、子どもを育てるということが、いかに難しいことになるか」私も、まさにこれはこれからの私の人生の課題で、深く考えていることです。
私の短気でどうしようもない小さな正義感が台頭してしまうとき、日本では本当に「刺される」かもしれませんが、どうしても見てみぬふりができません。

こんな風に考える私は、ある一部の人からみると「おかしい人」と思われます。でも、これは性分なので変えられそうにありません。

たんぽぽさん、寂しいです。「さようなら」、なんて今生の別れのようではありませんか?
私はたんぽぽさんにいっぱい暖かい言葉をいただきました。それを忘れることはできません。

教員です
すみれ -- 2007年10月 1日 23:46:46

  公立学校の教員を20年してます。産休・育休を夢見ながら、フルタイムせっせと20年も働き続けています。

たんぽぽさんにおっしゃることが正しいです。
私達は、もう、子どもに愛を持って「叱ってあげる」ことさえ批判されます。
親はもちろん、管理職や教育委員会からも・・・。

もう、日本の教育は、崩壊寸前です。

感情を捨てて、ロボットのように、かつわかりやすく授業をして、あれこれ世話を焼いて、子どもがいいよう(心地よいよう)にしてあげることを望まれています。もちろん、親に対しては、子どものいけないところの現状は知らせないようにして、いいことばかりを言う事も暗黙のうちに強要されています。家庭訪問では、嘘ばかり言って、親を喜ばせています。

こんな教育からは、忍耐力も協調性も何も生まれません。ただ、嫌なことを避けて、自分勝手に行動する人間しか育っていないように思われます。

この仕事を長く続けて、不妊治療して、私自身が悩んでいました。もう、うんざりなんです。子供がいないほうがどれだけ幸せか・・・。子供がいたらいたで、嫌な親たちとも付き合わねばならないし、自分勝手な子どもに自分の子どもが何されるだろうか、心配でたまらなくなると思います。

夢も希望もない話で申し訳ないのですが、これが現実です。

子どもを持つことだけが幸せではないこと、そんな呟きを聞いてもらいたくて。

私ももうすぐここを卒業しようと思います。

たんぽぽさんへ
なおゆうぎ -- 2007年10月 1日 23:05:10

   先日はお世話になりました。

今回、たんぽぽさんの云わんとする事はよくわかるつもりです。

私は世間からすると子供にかなり厳しい母親であると思っています。 もちろん人間ですから、よく子供の為というより自分が腹立てて子供を怒るときもあります。子育てをしている中でイライラすることもあり、その渦中であるがための思春期、幼児期を育てている方達の悩み苦しむことも、真実の大変さを痛感します。

チビを授かったことから、また新しい友人達も出来ました。
私にとっても子育てにおいて新しい発見もありました。
どちらかというと昔よりモラルにおいて関心する母親が多いです。
育児において慣れないための試行錯誤はありますが、しっかり育てている母親にこちらのほうが、この年齢で・・と恥ずかしくなることもあります。

その中で幼児期(2〜3歳)においては、危険なことをした時、他人や物に対して傷つけた時の2点に絞りきつく叱ることにしています。自分の子、他人の子、共にです。
わりとこの考えを持ついま現在育児中の母親が多く、私自身は将来そんなに捨てたものではないと思っています。

これが幼稚園、小学校と進むにつれて多少考えのずれが出てくる場合もあります。幼稚園に入ればまた一つ段階を踏んだしつけになっていくからです。

ひとつ自慢話をさせて下さい。
家族の学歴や名誉や地位などは、私にとってどうでも良い話ですが、よく子育て中の友人にこの話は自慢しています・・・。
上の娘が小学校1年生のときでした・・。
学校帰り道、学校を出てすぐに一緒に歩いていた友達が浅い溝に落ちてしまいました。片方の足だけですが、ドロドロ状態になりました。
でも片側だけなので、歩こうと思えば歩ける。
娘は何のためらいもなく、ドロドロになってしまった友達の片足の方に自分の靴を履かせたそうです。その子は普通に歩ける状態になりました。片方の靴を貸した娘は歩いて30分の道のりをずっとケンケンで帰ってきました。
その様子をたまたま、近くに来た時、私は当時社宅の5階から見ていました。友達に肩を借りてなんだか嬉しそうに、。
そのお友達のお母さんからはお礼やら恐縮やらされましたが、私たち親子はすごくすがすがしかったのを覚えています。
今、19歳の娘は正義感もあり、誰も逆らえない?ほどの強さを持ち、外ではそれなりに認められているようです。
かなり気が強くて、家では手を焼いてますが・・・。

なので段階的な私の子育てをチビにもしていきたいと思いますし、また、まわりの若い方の良いところも取り入れたいとも思います。
そして若い方がその都度悩まれたら、一緒にその時々で考えてあげられる自分でいられたら・・と思っています。

皆さんここに卒業などよく書かれますが、入学も卒業もなく、ご自身の心ではないかと思います。
不特定多数のそれぞれのご自身が学ぶ場だと思いますから・・。

また会える日まで・・。




たんぽぽさんへ
ちかあき -- 2007年10月 1日 22:11:37

  たんぽぽさん、こんばんは。

卒業ということは、ここをもう見ないということですか?
たんぽぽさんの書き込みを時々見つけては、
(たんぽぽさんだ・・・)
とたんぽぽさんの存在を嬉しく思っていました。

お子さんがいらっしゃらないのにもかかわらず、
未来ある子供達のことを心配し、これからの子育てへの
ありかたを一生懸命に考えて意見してくださる
たんぽぽさんには頭がさがります。

私も、私が小さかったころにくらべて、最近の(まわりの)
子供達が子供らしく生きにくくなってきていると感じています。
子供達のどの年齢から、親や大人たちの子育てがゆがんできているのでしょうか。
小学校の先生も、子供達を指導しにくくなってきている様です。
親のマナーも聞いてあきれるものが多くなっています。
近所の子供に注意することさえ怖いと思ったことがあります。
子供たちは親や大人の背中をみて育っていきます。
親だけが、心優しい子供に育てようと思っても、
今の社会の流れが子供をゆったりと育てにくくさせている・・・
私自身、娘をどう育てていけばいいのか、手探りの子育てです。
娘は小5なので、自分の意見をもちはじめ、親に対しても
反抗てきな態度をとったりします。
私は難しいことを考えられないタイプなので、
大人としての意見を娘にはちゃんと言えていないと思います。
私の意見を娘には言いますが、それが全て正しくはないとも言います。
こんな考え方もある、あなたはどう思うか・・・と
娘の思いも発言させています。
娘があきらかに間違っていることを言えば訂正しますが、
そうでなければ「そんな考えもあるんだね〜」と
逆に感心してしまうこともたびたびあります。
そしてなるべく親のエゴをおしつけないよう心がけています。
(自分でしたいことをみつけて、それをするにはどうすれば
 いいか、考えていってね。
 でも迷ったときは、お父さん、お母さんがいるよ)
のような考えでこれからも子育てできるのが理想です。

私が考えもつかない観点からの意見を聞かせてくださり、
いつもいろんなことを気づかせてくださった、
たんぽぽさんがここに来なくなることは、
本当に淋しいです。
どうか、スルーだけでもいいのでここに来てほしいです。
そして、本当に気が向いたらでいいですから、
新たな意見やなげかけをしてほしいです。
たんぽぽさんが決められたことですから、
私が引き止めることも無理なことは十分承知の上です。
でもやはりどうしても・・・でしたら・・・


本当に淋しいですけれど・・・今までありがとうございました。
さよならは言いません。
ひつこいですけれど・・・たまにはここに遊びにきてくださいね・・・

はじめまして
今回は匿名ですみません -- 2007年10月 1日 21:38:29

  はじめまして たんぽぽさん

まだ1回しか、こちらに投稿させてもらってなくて、
たんぽぽさんとは、お話してもいないのですが、
色々な方にレスされている文章を拝見していて、とても優しくて
頭の良い方だなと思っていました。

私も子供はまだいません。たんぽぽさんは、江原さんはお好きですか?
私は江原さんの考えに随分助けてもらっています。

霊とかはわかりませんが、私の周りを見渡すと、子供のいない人の方が、子供の気持ちや育て方について、真剣に考えていたり、人間的にできているというか、上手く言えないのですが、子供を育てなくても、子供について理解できている人が多くて、
子供を何の苦労もせずに、授かった人の方が、子供を粗末にしたり、子供の気持ちを理解しようとしなかったり、その大切さをわかってないなと思うことが多いです。

つまり、この世での学びをするために生まれてくると、言われているのですが、子育ての学びが必要な人は簡単に授かり、ありがたさや喜びより、苦労を感じてしまうのではないかと思います。

子育ての学びが必要ない人(前世で学んだ人)には、なかなか授からないのではないかと思います。その人には違う学びがあるのではと。

もともと、学びが必要であれば、いつか授かるし、子育ての学びをするプログラムではない人には授からないということみたいです。

私も無理をせず、答えを待ちたいと思っています。
支離滅裂な文章ですみません。

子育てをしていなくても、人間としての価値には影響はないと思うということが言いたかったのです。
これはたんぽぽさんにというより、私のつぶやきですね。
失礼になったらすみません。

たんぽぽさんの文章で、助かった方もたくさんいると思います。
また、たんぽぽさんの文章が読みたいです。

ありがとうございました。
晶 -- 2007年10月 1日 16:43:16

  たんぽぽさん、はじめまして。
私は40を超えてから子作りを開始した晶(42)といいます。
彼(31)とは同棲していますが、まだ籍は入れていません。
今年6月に初めての妊娠で稽留流産をして今に至っています。
たんぽぽさんとは一度も交流をしたことはありませんでしたが、最後に一言お礼を言いたかったので出てきました。

流産した私に取って、このボイスは救いでした。
あの時期は何をしても辛くて、辛い時はとことんそのことに浸る傾向がある私は、毎日毎日過去ログで色んな人の体験を読んでいました。その中で一番心に残ったのがたんぽぽさんの文章でした。色んな問題を真摯に考えている姿や、数々の的を射た言葉は、辛い私の心を癒してくれました。
本当にありがとうございました。
出来れば一度色んなことについてお話したかったです。

最後ですので、たんぽぽさんが書かれている母と子の問題について私なりの意見を書きたいと思います。

私は親の支配が強い家で育ちました。ACではないかと悩んだ時期もあり、今でも親の過剰な支配やしつけという名の虐待などに過剰に反応してしまう時があります。だからなのか分かりませんが『母子密着と育児障害』を読んだ後、正直言ってすごくイヤな気分になりました。その本から作家の棘を感じました。働きたいと言いながら専業主婦に甘んじている主婦に対する怒りか、自分にも子供にも甘い親を生み出した社会へ怒りか、何かネガティブなものを私は受け取りました。自分の理論の正当さだけが強調され、少なくともその作家の読者に対する愛は感じられませんでした。

しつけと虐待の違いは、その行為に愛が伴っているか否かだと思います。本当に月並みですが、その行為をする原動力が愛であればどんなことをしても子供にはその愛が伝わります。そして、本当の愛をもっていれば、親は(また人は)子供を単に受け止め抱きしめるだけで甘やかすことはしないと思うんです。抱きしめ、そして時に愛の鞭を与えると思います。
そしてその愛を受けた子供は、社会の荒波にも打ち勝つ力が備わると思うのです。

たんぽぽさんが危惧しておられるのは、今の世の中、間違った愛で育てている親が多いということでしょうか?
自分の子のように人の子に愛を向けられない社会ですか?
自分の親に本当の愛を受けずに育った子供は、子供に本当の愛を伝えられないと良く言いますね。それが真実かどうかまだ答えを探している最中ですが、自分の親に(言葉でなく行動で)何がいけないことなのか教えてこられなかった人は、自分の子供に何がいけないことなのか伝えるのは難しいとは思います。例えば「道にゴミを捨てちゃダメ」と言いながら実際にはゴミを捨てる親に育てられたら、頭ではいけないことだと理解していても心が付いていかなくなるからです。理屈や正論で人の心は動かないし、子供は親の矛盾をすぐに見抜きます。

子供のいない私がこんなことを言うのはおこがましいんですが、私は親は子供の前でそのまんまの自分をさらけ出すしかないと思うんです。親である前に人間であり、人間は誰しも間違ったことをすると思うからです。嫉妬もすれば、くだらないことで拗ねたりもします。この前私はトイレでずる込みをしてきた子供に怒りましが、それは、相手のためを思っていたからではなく、自分がむかついたからです。
もし自分に子供が出来たら、自分の感情で子供に手を上げることもあるかもしれない。そしたらそれを認めて謝ればいいと思うのです。自分が一番感覚的にやってはいけないと思うのは、相手のためを思っているから何々したという思い上がりです。
そうやって、精一杯ぶつかっていれば、きっと子供にはそれが伝わるんではないかと思っているのですが…ちょっと理想論かもしれませんね。

私はもしたかしたら社会に対して期待してないのかもしれません。
社会が親以上の愛を持って子供に接するとはどうしても思えないのです。例えば、子供が何か悪いことをして、それを見ていた第三者(仮に頑固親父風)が子供に怒った時、頑固親父は自分が不愉快で怒ったか、他人に迷惑がかかるから怒ったか二つにひとつの可能性が高いと思ってしまい、その子供のことを考えて怒ったのではないと思うのです。そして、それはそれでいいと思うのです。その子のことを考えて叱れるのは、本当に特別な人で、それは社会でもなく教師でも塾の先生でもなく、親(または生涯をかけてその子に本当の愛を持った人間)しかないと思うんですが…。それってやはり極論でしょうかね。

長くなりました。たんぽぽさんの心の大きさに甘え、あまり飾らず自分の気持ちを書いてしまいました。
本当に独りよがりの拙い文章ですみません。

最後に、私は、たんぽぽさんと同じで不妊治療はしてません。タイミングのみでこのままいって、もし子供が出来なかったらその運命を享受して生きていこうと思っています。

たんぽぽさん、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

愛情って、なに。という一考察。完結できるかな〜
ひげ -- 2007年10月 1日 16:23:42

  『文明にも、いわゆる年齢がある』という見方をされる方がおられますね。日本は、大体、老いに差し掛かっているのではないかということです。

老いという言葉の理解の仕方によって、思わぬ誤解を招きそうですが、とにかく、1国の歴史に限って見ても、あらゆる分野が一様ではなく、常に変化しており、その中で、一つの文化が育っては消え、また新たに生まれては消えていくということです。

今の日本は、イギリスの産業革命に端を発する資本主義文化の衰退期であり、人間が生きるうえで、お金では割り切れない矛盾が噴出し、このままではいけないのではないか?と気づき始めているという言われ方もしています。

以下、その考え方から想像します。
そういうことがあるとすれば、我々は、例えば教育、育児について、今後どのようにしていけば良いのであろうか。
そも、今の時代、何をもって教育、愛情というのでしょうか。

過去、日本でうまく行っていたことを単品で取り出し、現代に当てはめようとしても、社会のしくみや、精神的有り様に、単純にマッチするものなのか。

食べさせることが日常の問題であるとき、果たして、ワタシは教育などということに、関わる余裕があるだろうか。
現在、飢えに苦しむ地方の人々は、概ね子沢山のようでが、
食べるものがないのに、何故産むのか?と、責めるのでよいでしょうか。(これは、高齢なのに、何故産むのか?に似ている)

種の保存が困難になれば、何とかしてそれを残そうとするらしいですね。
だとしたら、それもこれもひっくるめて、自然じゃないか。
自然を私たちは、分かったようになってはいまいか?
愛情さえも、時代を経て、様相は変わるものではないのか。

母親が子どもにどのように関わるか。
それは、冷静に現状を分析し、感じ取り、創意工夫するしかないのだと思っております。いつの時代も試行錯誤。
これで良いと安泰だった時代など、実はないというのが、私信です。

まず、生き残って、良き子孫を残す。
それを、賢くも会得して行くために、現状を注意深く感じ取りたい。
現代において、愛情をかけるとはどういうことか、教育するべきは
何なのか。考えて行きたいです。

あ、序文で終わっちゃった。時間切れ。

たんぽぽさん、論文ご指導お願いします。

OBという手もある。
サリー紫 -- 2007年10月 1日 14:01:35

  たんぽぽさん、こんにちは。
私は「卒業宣言」こそしませんでしたが、気分はすっかりOBですよー。
ここで熱いハート&こだわりのたんぽぽさんに逢えてよかった。

「抱きしめる」だけでも、「厳しくしつける」だけでも
片手落ちですよね。
私は、「抱きしめて」そして「しっかりとしつけて」いけたら
いいな、と思っています。

うちの子を育てていく中で、たんぽぽさんのような「おばちゃん」が
たくさん町にいてくれたらいいな。
そうしたら子供は地域ぐるみで育てられる!
私も、町のおせっかいおばちゃん、ぼちぼちやってますよ。

こないだね、空港をうちのちびさん抱っこして歩いてたんですよ。
そしたら、向こうから来る知らない人が、
「飛行機に乗ったの?えらかったね〜」と声をかけてくれました。
なんだかうれしくなりました。

たんぽぽさん、「卒業」されても、OBとして、たまに顔だしくださいね。
そして、私と一緒に、「町のおばちゃん」をやりましょ。

同感です。
はなみずき -- 2007年10月 1日 13:03:02

  たんぽぽさんと同感なのは・・欧米人の主人のほうです。
彼は言うんです。日本の教育体制、親のバカさ加減(たとえば社会のモラルから考えるとモラルがない)、教育費のバカ高さを考えると子供をもつべきではない・・と考えているのです。

(英語をそのまま直訳してしまうので・・かなりきつくなります)

私のほうは好きな人の子供は欲しい・・と思っているだけですが彼自身はたんぽぽさんと同じく・・子供をもつことによっての社会のバックグランドを奥深く考えているのです。

かなしいかな・・日本の社会は結婚した女性(特に)に対して
子供を持つことが当たり前、子供をもって一人前としか見ず、
子供がいないと寂しい人生→あるひとなどは暇でしょ→
老後ひとりになったらどうするの?と・・老後のために子供を産まねばと考えている人が多いこと・・。

(すいません、たんぽぽさんの意見とずれてきました・・汗)

そう助言する人に限って老後の面倒まで成人するまでの
子育ての大変さは何一つ語ってくれないのです。

私もたんぽぽさんと同じく子供がいない人生を選ぶと思うのです。確かに高齢ですが、治療をすればあるいは自然妊娠もするかも
しれないでしょうが・・治療をやめる、子供のいない人生を選ぶというのもある意味ひとつの治療だと私は思ってます。

一時は不妊仲間がどんどん卒業していき、わたしだけがどうして?と負け犬みたいに思えて情けなくて情けなくて・・不妊ホットライン(?まだあるのかどうか知りませんが)に電話をかけて延々と泣きつづけたこともありました。

そのときは「妊娠すること」しか逃げ道がなかったのです。

冷静に考えたら・・子供がいないから楽しめることがたくさんあるのに・・。ものすごくもったいないことをしてしまったと後悔してしまいました。

私もたんぽぽさんと同じく不妊を卒業しようとおもってます。
婦人科の先生にはがん検診のときお世話になっていて、いつも
排卵・・もうすぐあるよ?とかいわれてますが、聞き流してます。
これも人生・・ですから。

 
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