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10月1日、私達夫婦の待望の第2子
長男をお空に還してしまいました。
今年の12月に40才の誕生日を迎えるので
予定日の2月には40才での出産予定でした。
アメリカに住んでいるので日本とは少し流れが違うかもしれないのですが、だいたい初診は8週目くらい。
小さな心臓がピコピコ動いているのを見て私も主人も3才の娘もとっても嬉しかったのを思い出します。
その日に受けた血液検査でHbA1cの値が6、0と少し高いため、糖尿病のカウンセリングに行くよう連絡がありました。
長女の時に妊娠糖尿病になっていたので今回も覚悟はしていたものの初期から食事制限か・・・と、少し憂鬱にもなっていましたた。
食事制限は辛いですが毎日食後の散歩には娘が付き合ってくれて楽しい時間でした。
こちらでは35才以上の出産の時に初期スクリーニングといって12週頃に母体の血液とウルトラサウンドで胎児のNTなどを調べて染色体異常の確率などをカウンセリングしてもらえます。
そのスクリーニングで染色体異常の確率33%と言われてしまいました。
ただその時は隣でお絵描きしていた娘を見ながら
あ〜じゃあ67%は大丈夫なんだ。くらいにしか思ってなく
NIPTを受けて結果が悪ければ羊水検査をしよう!
と、また採血して家に帰りました。
次の日の担当のDr.から
話がしたいので予約を取って来て下さい
と、留守番電話にメッセージが残っていて、私はそこで始めて事の重大さに気が付き、涙があふれてきました。
Dr.は33%の確率を1/3と表現しました。
目の前が真っ暗になりました
それとNIPTの結果を待っていますが、もし結果が良くても最初の1/3という確率は覆らない。とも言われました。
NIPTは確定診断ではないのです。
Yes or Noを知りたいのなら羊水検査しかありません。
その日羊水検査をする決断をしてNIPTの結果は余計不安になるので聞かない事にしました。
その日からPCで検索、検索の毎日がはじまりました。
16週にならないと羊水検査を受けられないのでそれまではなるべく普通に・・・娘もお友達と遊びたいだろうしなるべく外出したりしてました。
羊水検査の当日もウルトラサウンドでベビちゃんをみたら元気で何の問題もないようにみえました。
結果は8〜10日後くらい
陰性なら日中主人の携帯にカウンセラーから電話があります。
陽性なら夜7時以降2人が一緒にいる時間に電話があります。
結果は10日後に出たのですが、毎日毎日ほんと頭がおかしくなりそうでした
9月18日、夜7時半頃に電話があり染色体異常であることが告げられました。
電話を聞きながら泣き、娘を寝かせてから2人でずっと泣いていました。
もし染色体異常ならどうするか?
という話は1/3と言われた時からしていて
自分たちが高齢な事
自分たちが死んだ後の事
産まれても長くは生きられないかもしれない事
将来娘にかかるかもしれない負担
アメリカで、付きっきりの育児になるかもしれない事
経済的な事もふくめ
言い訳に聞こえるかもしれませんが、中絶する事を決めていました。
今まで冷製だった主人が泣きじゃくっていました。
それから手術の日まで、主人が休みの日には思い出を作ろうと海へ出かけたり、男の子だとわかっていたので電車のミュージアムに出かけたりしました。
手術の前日、友達に娘を預け最後のカウンセリングと子宮口を開く処置をしに病院へ行きました。
夕方家に戻りずっとベッドで横になっていました。
手術当日は朝7時に家を出て、病院に入ると男性と子どもは入れないので1人で着替え注射をしてもらい・・・
ベッドに乗るとお腹がポコポコ動いていました
20週なのですがその日まで全然胎動を感じなかったので嫌だ、嫌だと言っているようで、本当に申し訳なくて逃げ出したかった。
でも知らない間に眠ってしまっていて、次に目が覚めたときにはもう息子はお腹にいませんでした。
主人にその話をしたらきっとママに今までありがとうって言ってくれたんだよ。と言ってくれました。
娘は何も知らなかったけど毎日毎日泣いているママを一生懸命支えてくれて、弟の誕生を楽しみにしていたので、お空に行ってしまった事を伝えた時にはすごく残念そうな顔をしていたそうです。
手術からまだ1週間で何もする気が起きず、毎日泣いています。
でも周りは変わらぬ日常です。
主人も仕事に出かけ、もう泣く事もありません。
自分だけが取り残されているような感覚です。
自分たちが決めた事ですが、悲し過ぎます・・辛過ぎます・・
まだ火葬してもらえてなく、少しでも遺骨が手元に戻ってきて欲しいと思っています。
まだ気持ちもめちゃくちゃで文章もめちゃくちゃですが、読んでもらってありがとうございました。
お気持ち、少しずつでも落ち着かれましたか?
投稿を読んで、私も涙ぐんでしまいました。
私もアメリカ在住で、同じような経験をしました。
ただ私の場合は、染色体異常の可能性を指摘されたのが確か11週?で、翌日すぐに絨毛検査を受けることが出来たので、胎動を感じる時期より早い時期に手術を受けることができました。今思うとそれがせめてもの救いだったと思います。
私達には子供はいなく、当時38歳、それ以前にも1度流産していて、今度こそはという思いも強かったので、本当にショックでした。
それから4年、その間に更にもう1回流産しましたが、今ようやく妊娠8ヶ月です。
生まれてくる赤ちゃんのことを考えるともちろん幸せですが、今でも失った3人の命のことを考えると涙が出ます。特に染色体異常で中絶してしまった子のことを考えると今でも罪悪感で苦しくなるし、これは私が死ぬまで背負っていく十字架だと思っています。
だけど中絶したこと自体は後悔していません。
私達もnarumamaさんご夫婦と同じように、決断まですごく悩み、すごくよく考えました。どれだけ泣いたかわかりません。
今narumamaさんにどんな言葉をおかけすべきかわかりませんが、赤ちゃんのことを1番に考えて悩みぬいて決断をされたこと、赤ちゃんもよくわかってくれていると思います。あまり思いつめないで下さい。
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はじめまして、
投稿へのコメントありがとうございました。
この方法でキチンと返信ができているのかわかりませんが・・・
Wendyさんも辛い経験をされてきたのですね。
胎動を感じていない週数だったとしても、ウルトラサウンドで見た時、心臓の音を聞いたとき、もっと言うなら妊娠検査薬で陽性が出たときから我が子を愛おしいと思う気持ちが芽生えていたと思います。
昨日火葬をしてもらい、小さな箱の中に入れられた息子に洋服やぬいぐるみ、前日に娘と作ったクッキーなどを持たせてやりました。
見ない方がいい。と対面はさせてもらえませんでしたが、一区切りです。
まだまだ不安定で気持ちが落ち着くことはないですが,徐々に日常を取り戻さないと。と思っています
娘の為にも
Wendyさんは今もアメリカにお住まいですか?
もうすぐ娘が楽しみにしていたハロウィンなのでがんばらないと・・・です。
お友達の1人が言ってくれました。
憚る事なく泣けばイイ!と
いっぱい泣きたいと思います。
そしてまたお腹に新しい命が宿ってくれたらいいな
とも思っています。
Wendyさんは年内に出産ですね
お空に戻ってしまった子ども達のためにも
お母さんは幸せにならないと。ですよね