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42才で妊娠しました。
もう無理だろうから子作りはあと一回と決めていた、その一回を残しての出来事でした。
奇跡だと思いました。
でも、その奇跡は9週であっけなく潰えてしまいました。
赤ちゃんができたと喜んでいた長女。
もう一人ほしいからと、協力してくれた主人。
痛む腰をおして、切迫診断が下りたわたしの面倒を見てくれた両親。
喜んでくれた義父母。
何よりも、生まれたかったであろう、赤ちゃん。
ただただ、申し訳なく。
年齢が年齢なので、遺伝子異常を心配してはいました。
そんな私だったから、おやになる資格はないと、神様が赤ちゃんを取り上げてしまったのか。
それとも、血流不良でいい胎盤をつくってあげられなかったのか。
とりとめもないことを考えながら、万が一の希望を求めてネット検索もしましたが…。
結局、11週を過ぎた今日も心拍はなく、大きさも9週のまま。
明日、手術を受けます。
お腹の子とはさよなら。
産むわけでもないのに、感じる痛みに嫌気がさします。
それでも空腹を覚える自分の現実。
なにより打ちのめされたのは、妊娠はできる、けれど、卵はもうダメだ、という真実。
水子を増やすな、という、母の言葉。
兄弟がほしい、と上の子はいうけれど。
その気持ちには答えてあげたいけれど、子供を亡くすのはもうイヤだ、という痛烈な思い。
自分はどこまでも自分ことばかりで、イヤになります。
- ゆきさんへ - さえ - 2014年07月 9日 14:37:34
- お大事にされて下さい - ゆき - 2014年06月23日 08:34:30
- ありがとうございます - さえ - 2014年06月20日 00:32:09
- お大事にしてください - ことりん - 2014年06月19日 08:41:40
- さえさんへ - つんつ - 2014年06月18日 19:29:43
- 考えようで如何様にも。 - シシ― - 2014年06月18日 12:00:54
いろいろと、今はおつらいことと察します。
ついつい自分を責めてしまいます。(私は、感情を抑えきれず、周りの人にもあたり散らしてしまいました)
そんなとき、ネットでこんな言葉を見つけました。
赤ちゃんは、受精卵になった瞬間からいつまで生きるか決めてきて、その与えられた時間を全うするために生きたのだから、自分を責める必要はない、と。
今のさえさんの気持ちに合っているかわかりませんが、何とか励まして差し上げたい気持ちで投稿しました。
元気を出して下さいね。
元気になって下さいね。
このような単なる独白にすぎないものに、お言葉をいただけるとは想像もしておりませんでした。
いただけるのなら、「自分のことばかり憐れんで!かわいそうなのは生まれてこれなかった赤ちゃんなのに!」というお叱りの言葉だろうと。
なのにみなさま、暖かく優しい励ましの言葉ばかり…。
ありがとうございます。
手術を無事終え、帰宅いたしました。
麻酔で頭がぼんやりするなか、それでも頼んで、赤ちゃんに会わせてもらいました。
手のひらサイズの小さな瓶に、ピンク色の肉の塊が入っていました。
ぐるり回してもみても、どこもにも人の面影がない肉の塊。
それが、9週間だけとはいえ育んだ、わたしの赤ちゃんの姿でした。
>シシーさま
励ましのお言葉を、ありがとうございます。
二人のお子さんのお母様なのですね。
それも、流産を乗り越えての出産とのこと。素晴らしいです。
私にも、シシーさまのような勇気があるでしょうか。
手術は終えましたが、心拍停止だと告げられた、あのときの恐怖はまだ、忘れられません。
妊娠してもまた、と思うと、今はまだ、何も考えられない状態です。
>つんつさま
私ごときのために、悲しい経験を思い出せてしまい、申し訳ありません。
やっと授かったのに。それが一人目ならなおのこと。
二人目だったわたしは、まだマシな方なのだと思いました。
でも、また諦めておられないのですね。
その強さ、わたしも見習いたいです
>ことりんさま
暖かいお言葉をありがとうございます。
ほんとに、あのような経験は一度で十分です。
時々頭がクラクラするのですが、貧血のせいだったのですね。
気を付けます(まだ麻酔!?とか思ってました(^^;))
手術、嫌ですね。
私も数回経験があります。
我が子とさよならするのも母の仕事なんだと言い聞かせて、
手術をうけました。
しばらくは、栄養のある食べ物を摂取して貧血に注意してくださいね。
両親、お姉ちゃん、祖父母に存在を知ってもらい、赤ちゃんは幸せだと思います。
私は46歳で奇跡の妊娠をし、9週で稽留流産しました。
妊娠がわかった時の8歳年下の夫、私が高齢なので諦めていた夫の両親の喜びようといったらそれはそれは・・。
「赤ちゃんができた」 「孫が生まれるの」とスキップして歩いていたそうです。
妊娠イコール出産だと思っていた無知な私は、流産がどうしても受け入れられず、何かの間違いでは?と手術の瞬間まで思っていたのです。
流産した時は自分を責めました。
あんなことしたから流産したのでは?もしくはこれがいけなかったんじゃないのか?と・・。
でも、きっと卵が悪かったんです。
卵子の老化で、私のお腹で育たなかったんです。
そしてそれから妊娠の「に」の字もないまま、もうすぐ50歳になります。
なぜかまだ生理は毎月きちんと来ています。
たぶん可能性はゼロだと思うのですが、今度妊娠したら絶対に出産までこぎつけよう!なんて、考えているんですよ(^ω^)
さえさん、初めまして。
さえさんの身体の痛みは物理的な問題ですが、心の痛みは、さえさん自身がもたらしているものですね。 責めないで、ご自分を。
通常の生活をしていての流産は自然の摂理に適ったもので、人智の及ばない分野だと思っています。 どなたが何を仰ろうと、今回の流産はさえさんのせいではない。 と思います。
期待なさって喜んでくださった皆さんも、さえさんを責めるおつもりはない。 残念には思われるでしょうが、かえってさえさんのお身体を慮ってくださるのではないでしょうか。
これから手術とのこと。
専門家ではありませんし、個々の流産の原因を徹底的に追求したというデータもありませんから 着床したのですから、卵自体が不完全だったのかも知れませんね。まあ、何ともいえません。
つまり、さえさんのせいだとも言い切れないわけです。
辛い時間でしょうが、 静かに見送ることができると良いですね。
さえさん、頑張れとは申しません。
手術を終えられたら、お心の整理をして、その後のことを冷静にお考えになれば良いのではないか、と思います。
ワタクシも43で繋留流産を経験しました。
卵の1/5くらいはダメだろうと覚悟していましたので、仕方ないと思うことができました。
その後、何年か経って、無事二人目を産むことができました。
気力だけはあったのでしょう。
今考えると、あのパワーは執念としか言いようのないものでした。
ご自愛くださいね。
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長らくネット生活から離れておりましたので、新しい返信がついていたことにきがつきませんでした。
返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
お言葉、ありがとうございます。
毎晩泣いていたいた時期に比べれば、気持ち的にはだいぶ落ち着きました。
一人、子供がいますので、嘆いている暇がない、ともいいます(苦笑)
わずか9週でしたが、わが子は懸命に生きたのでしょうか。
生まれてこれなくても、この子は私の二人目。
上の子は、この子のお姉ちゃんなのだと思っています。