VOICE(掲示板)
高齢出産VOICE

高齢出産の悩みや心配事、そして生んでよかったこと。

【妊娠出産】NT 胎児後頚部浮腫(2)
HARU -- 2008年04月15日 20:04:45

3/16付で上記タイトルで投稿させて頂いたHARUです。自宅に戻り、日々の生活に戻りました。今回のことでは皆さんにいろいろな考えを教えて頂き、そのすべてが自分にとって寄り添う気持ちの伝わるもので少しずつ少しずつ歩いて来られている糧になっていると思います。本当にありがとうございました。
人工死産に対する考え方は患者1人1人や医療従事者にとってまだまだ行き着くところのない、発展途上の状態であることも噛みしめながら限られた時間の中で、泣きながら眠れずに考えて考えて出した結論・決断でした。
自分だけでなく、夫婦で出した結論でした。
それでも、尚 自分自身の決断がこれで良かったのかどうかと振り返る毎日であるのは間違いありません。時間が許せば、アドバイスのあったとおり、その子の寿命を信じて原因を探り、治療を考え、お腹の赤ちゃんの命を守り通すのが母親の役目だとも分かっていました。
そして、長年一緒にいて、介護しながら看取った私の祖母が亡くなったときと変わらない大きな悲しみが待っていました。子どもを失う悲しみです。一緒にいた時の長さは関係ありませんでした。
人工死産をし、普通の生活に戻れば悲しみは癒えるものかもしれないと想像していましたが、むしろ、一生、深く心に刻まれ、向きあっていくことなのだと分かりました。
食事を作りながら、洗濯物を干しながら、「あ、自分の涙がこぼれた。。」と感じ、自分の思いもよらない傷の深さに気がつきます。この場は、出産を控え思いを抱く方々の掲示板なのでこれ以上の思いを書くことはふさわしくないようにも思います。
日常の自分に戻るには大きな大きな壁がありますが一歩一歩・一日一日進みつつ、皆さんに寄り添って頂いて自分の道を歩めたことを振り返り、同じ思いをされる方に寄り添えればと感じています。まとまりませんが、改めてお礼まで


ありがとうございます
HARU -- 2008年05月13日 23:54:08

  プリヤのママさん、ありがとうございました。お返事もすっかり遅くなってしまいました。家族の色んな事が重なり、改めてと思っているうちに時間が経ちました。
「人工死産」
 大事な我が子にまつわる死ですが、なかなか公にすることもできず、悲しみの癒える場が限られ、一言で言えば辛いことだということがわかりました。自分はまだまだ無知だと思い知りました。
色々な方と接したり、情報を集める中で知ることも多く、積極的に接したり、知ることで悲しみが薄れる瞬間もあると感じています。 亡くなった後の供養もそれぞれで、一つ一つの決断もひたすら自分自身に降りかかってきますね。私も、自分の悲しみを回避したり、浸ったり、もちろんまだまだ、コントロールできない日の方が多いのですが、それでも生きて行かなくてはと思える日を過ごしています。
 今日、出産後2度目の診察でした。経過観察中だった、子宮内残留物(胎盤?)がまだ、残っていると診断を受け、来週再入院、掻爬手術を受けます。身体の回復を考えると、当初から分かっていたこと、自分の年齢も考え本来なら一刻も早い残留物流出を期待していましたが、あれから2ヶ月近くが経ってしまいました。
 でも、焦らず、身体と心を癒していきたいと思います。ご飯はしっかり食べています。それから、寝られなかったあの日がうそのように、寝られる日もあります。主人との考えの違いも、一番近くにいる人だから、余計にそれを知ることで、咀嚼しながら幅を持たせ、人生ともにいる人との厚みにしていきたいと思えることもあります。
(なんて、冷静で、、いいことばかり書いてしまいましたが、実生活きれい事ばかりではありません)
改ページもされていますし、お目にとまるかわかりませんが、お礼まで。。このところの寒さに震えています。ご自愛下さいね  HARU

私も人工死産をしました。。。
プリヤのママ -- 2008年04月23日 06:25:28

  プリヤ改めプリヤのママと申します。(昨年の9月にこのサイトでやはりお子さんが胎児水腫になってしまった方へのお返事を書かせていただいたことがあります。「プリヤ」で検索すればすぐに出てきます。)

HARUさんのお気持ち、痛いほど分かります。私も全く同じような状況でした。私も2年前、41歳で妊娠した第二子がダウン症による胎児水腫と診断され、医師の一人には「助かる見込みはない」と言われ、妊娠17週で人工死産をしました。HARUさんと同じく夫婦で悩みに悩んでの決断でした。私も人工死産をし、普段の生活に戻れば忘れられるかもしれないと思いましたが、むしろ全く逆の状態で、人工死産後の悲しみはますます大きくなりました。HARUさんのように何をしていても涙がこぼれました。毎日泣き暮らしました。私の場合、「娘の命を奪ってしまった」と人工死産をしたことを深く後悔し「ダウン症の子供が生まれるのがイヤだったからお腹の子を殺したのではないか」と激しい自責の念に深くさいなまれました。もしも過去に戻れるのなら、たとえ助からないと言われても人工死産をせず、せめて亡くなるまでお腹の中にいさせてやれば良かった、と何度思ったことでしょう。

もうすぐ2年経ちます。今でも娘のことを思い出します。でも、思い起こしてみると、数ヶ月を過ぎた頃からだんだん日常の生活が出来るようになり、その後、胸をえぐられるような深い深い悲しみの念は少しずつ少しずつ薄れていきました。何と言うのでしょうか、身体に受けた傷もだんだん癒されていくように、心に受けた深い傷もだんだん癒されていくという感じでしょうか。今でも娘のことを思い出しますが、思い出した時も、悲しみに胸をえぐられるような感じとか、悲しくて涙がこぼれて仕方がないという感じはなくなりました。今は外見的には普通に日常の生活をしております。HARUさんももっともっと楽になる日が必ず来るはずです。

4月13日のオンラインの読売新聞に8年前に中絶をしたことを後悔している未婚の女性の人生案内がありました。それに大学教授が返答を書かれていました。「あなたは安易に中絶をしたわけではありませんね。産みたいと必死に願い、相手の男性の理解を得ようとし、いろいろと立ちはだかる壁を乗り越えようと努めたあげく、進退窮まってつらい決断をしたのではありませんか? 人生には絶対に正しい選択だったと言い切れるものは案外少ないものです。過去を悔やむのではなく、懸命に悩み考え抜いた末の選択だったと納得し、過去を味方にすることに力を注いで下さい。」という返答でした。私は「他のことで何か正しくなかった選択をしたことを後悔しているのとは違い、子供の生死がかかっていたのだからそれほど簡単に納得出来るわけがないではないか」とも思いましたが、それでもこの教授の方の言葉はとても勉強になりました。

HARUさんのお慰めになったかどうか分かりませんが、もっともっと楽になる日が必ず来ます、とお知らせしたくてお返事させていただきました。どうぞ身体を休めて、睡眠やお食事もちゃんとなさってくださいね。

さんごみずきさん
HARU -- 2008年04月18日 21:36:40

  お返事ありがとうございました。
涙が出てとまりません。
何だか、ふたをしてピンと張っていたものがとれてしまったみたいです。どこに悲しみを出して良いのか置き所がありません。

私も妊娠期間中いろいろなことを考えながら過ごしていました。赤ちゃんが産まれてからのことを考えて準備をしたり、生活を変えている最中でした。まだ、名残りがあり急には変えられないことも残っています。

私は、まだ、子どもが欲しいと思いますが、もしかしたらこれが最後の妊娠だったかもしれないと思っています。今回の妊娠も特に治療はしませんでしたが、(医学的には不妊治療適応にならないと言われます)望んでから2年ほどかかっています。心も身体も回復途中で整理はできていないのですが 、妊娠へ身体も心も切り替えができていません。
過去ログ検索しました。さんごみずきさんは、ここを卒業してしまうのですか?
今回のことで、こんなに親身に助けて下さったのに淋しいです。
同じように助けられた方たくさんいるはずです。
いろんなこと経験なさっていて。。なんと言ったらいいか。。

でも、母校を時々訪れる卒業生みたいにのぞいてくださいね。

掲示板に思いを寄せてください。
さんごみずき -- 2008年04月17日 22:00:25

  (不妊治療の卒業とともに掲示板も卒業のつもりでしたが、HARUさんのことが気になっていたので・・・)
先日のスレでもお話させていただきました、さんごみずきです。

人工死産のつらさ、これは経験した者にしかわからないものだと思います。子供を失う悲しみに、(どんなに納得して選んだとしても)それを自分の意思で行ったという重苦しさが加わります。また、多くの場合、限られた人にしかその事実を話すことができませんし、複雑な感情を理解してもらうのも難しいです。妊娠・出産はハッピーなケースばかりではありません。この掲示板はそういうケースについても受け入れてくれる場所です。同じ経験を持つ人がいます。なので、苦しいとき、つらいとき、遠慮しないで思いを寄せてください。

今まで自分の経験は何度か書き込んでいますので、もしかしたら、何か役に立つこともあるかもしれません。「さんごみずき」で検索をかければでてくるはずです。すべて緑色の字ですから、すぐにみつけられると思います。

掲示板への書き込みもこれが最後だと思うので、今まで書いてこなかったことを残しておきます。

私はそれぞれの赤ちゃんのアルバムを作りました。不妊治療の経過、エコーの写真、病院でもらった検査結果、同じ症例の論文など形として残っているものすべてと、記憶にある限りの診察室での会話をまとめました。これはひとつには、赤ちゃんが無事生まれてきていても、おそらく、そうしていただろうと思ったから、そして、もうひとつには「悲しみを癒すためには、悲しみをたどる手がかりとなるものが必要」ということを新聞で見たからです。泣きながらの作業でしたが、「赤ちゃんのために形となるものを残した」ということで随分気持ちが落ち着いたものです。

もし、その後、私に赤ちゃんができていたら。。。
その子が高校生くらいになって、生殖の仕組みや生命倫理ということについて理解ができるようになった段階で、このアルバムを見せて、私が経験したことのすべてを話そうと思っていました。母親である私のことを本当に理解してもらうためには避けて通れないことだから、さらに、特に私の場合には、臓器移植や羊水検査といった問題も含んでいるため、生命とは何かを考える上で、これほど有益な糧はないと思われたからです。子供にとっては(私にとっても)かなりエグイことでしょう。でもそうして、生きている子の考え方の背骨の中に、死なせてしまった子たちの命が宿ってくれるのではないかと思っていました。
それもかなわないことになってしまいました。。。

自分のことばかり書きました。HARUさんが無理せず、少しずつ、日常のご自分に戻れますよう祈っています。体にはくれぐれも気をつけて。

 
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