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この度の第3子妊娠で胎児に頸部浮腫がみられ、こちらのサイトにお邪魔し、相談させていただいたり、励ましていただいたりして、この日となりました。
連休直前に担当医から電話で結果を知らせていただき、先日相談してまいりました。
結果は21トリソミーの女の子ということでした。もっと複雑な異常が見られるかと思っていましたので、電話で告げられたとき、我が家にあの無垢な笑顔をもつ子どもがやってきたかと感慨深かったです。上の二人の娘と一緒に飛び跳ねたり、リュックを背負って家の前で学校のバスを待つ光景が浮かびました。図書館で本を借りて、市内の親の会を尋ねていろいろ準備しなくちゃと思いました。
しかし、この子を産まないことを選びました。19週のちいさな罪のない命を摘み取ることに決めました。「ダウン症だったら産みたいって言ってましたよね。われわれも支援しますから」とおっしゃる先生の言葉を否定して、中絶のお願いをいたしました。
障害のある子が加わることは決して不幸ではないし、そのことで新たな出会いもあるだろう、なによりこの子が育つ過程でたくさんの笑顔や喜びを得られると思っていました。私はそのようにやっていけると思っていました。
しかし、老いた義父母は脳障害を持った弟を長年世話をし、十数年前に看取った生活や障害を持った子どもを抱える近隣の家族達の現状を近くで見てサポートしてきたことから、この子の症状を告げると、即座に「諦めてくれ」と言われました。いつもは何も私たちが決めたことには口を出さず援助してくれている義父の言葉でした。
そして、その言葉で張り詰めていた私の気持ちが緩んだ事実がありました。義父が決めてくれた、私が背負う荷物を降ろしてくれたと感じたのです。本当に産みたいと思っていればその言葉に傷つき怒りを感じたはずです。ただ泣くだけで何も言えませんでしたでした。
この小さな命を絶って得ようとするものはどう変化するかわからない家族の未来のことであり、今まだ幼い娘らの将来を思い、そして私ら無力な親の都合でしかないのです。その選択をする自分を自覚しました。本当は最初から受入れる気持ちも力もない人間だったからこそ悩んだのだと思います。
月曜日入院します。19週の小さな晴(ハル)に、ただただ詫びて、恥じて泣くだけです。この思いを大事に抱えていきます。
こちらへの報告が最後になりました。お邪魔いたしました。
- ありがとうございました - クレヨン - 2007年05月12日 13:02:04
- 産めない国 - たんぽぽ - 2007年05月 8日 17:38:48
- お辛い、、、お辛いですね - のんた - 2007年05月 8日 03:31:50
- 重い決断。。。 - kusuko - 2007年05月 7日 01:27:13
- 私も - カルア - 2007年05月 6日 11:46:56
- 私も同じ経験あります。 - kp - 2007年05月 6日 10:41:48
- 一緒に泣かせてください - サリー紫 - 2007年05月 6日 07:14:09
クレヨンさん、お辛いですね。お辛いですね。
私も若いころ障害児のお世話を少しだけさせていただいていました。
障害のあるなしなんて、関係ないです。親にとって、そういうことは本当に関係なく、子供は可愛いものです。それをよく御存知のお義父さんがおっしゃった言葉の重さ。辛いです。
生んでください、大丈夫ですからと、いえないことが辛い。
「生んでください、大丈夫ですから、親が死んでも、お子さんは幸せに暮らせますから、兄弟の重荷にもなりませんから、社会を信じて生んでください。」と、言えないことが辛い。
格差が広がり、健常者の若者でも、コンビニバイトで給与が12万円などという話を聞くと、どうしていいのかわからなくなります。
障害者への保障も、減らされる一方、どうして、安心して「生んでください。」と言えるでしょう。
悲しいです。辛いです。「社会を信じて。」といえないことが、本当に辛いです。
クレヨンさん、クレヨンさん、みんなここにいます。辛いときは、ここで吐き出してください。ここのみんなは、あなたと共にいます。
私の事を、ちょっとお話させてください。
叔父が、生後すぐから重度の身体障害をもち、最期は事件に巻きこまれ亡くなりました。
祖母は死ぬ間際まで、この叔父の行く末を案じていたそうです。
仕事柄、多くの障害をもつお子さん、親御さんにもお会いしてきました。
叔父の人生は幸せだったと信じたいですし、叔父の存在は私たち家族にとってかけがえのないものでした。
また、障害児をもつご家族も皆さん固い絆で、眩しいほどの人生を送っていらっしゃいます。
でも、その裏の苦悩も知っています。何度も何度も親子で命を断とうと思った事。
障害を受け入れる為に、子どもも家族も苦しみぬいた事。
現実は、理想や奇麗事だけではありません。
クレヨンさんもお義父さまも、そんなことを全てご存知だったのですよね。
実際を知っているからこそ、その困難に飛び込むのをためらう気持は分かる気がします。
私自身、クレヨンさんの状況では躊躇したと思います。決断を自分の責任として受け止める事からも逃げ出したかもしれません。
小さな晴ちゃんを手離されたお気持、なんとお慰めしてよいか分かりません。
でも、本当に私たち人間は無力です。
そんな私たちの悩みぬいての決断を、よいとか悪いとか、判断する事は誰にもできないと思います。
おじいちゃま、ママ、パパ、晴ちゃんを愛するご家族が一生懸命、一番晴ちゃんが苦しまない道を選ばれた・・・そう私は感じます。
どうぞ、お悲しみの中でも、ご自分を責めさいなむことがないように、お祈りしています。
そして、心に晴ちゃんを加えた新しいご家族に、また多くのお幸せが訪れますように。
クレヨンさん、前回の投稿の時に本を読んでみて下さい、とレスしたものです。
あれからどうなさったのか、気になっていました。
私も何も言葉が見つかりません。
ただ、クレヨンさんの辛い、辛いお気持ち、そしてご自分の決断を真正面から受け止める潔さに頭が下がるだけです。
晴くん、、、とても、素敵な名前ですね。
思い切り悲しんで下さい、そしてどうかご自分を責めずに、、、
きっと晴くんは天国からお母さんを見守っていてくれると思います。
ずっと、永遠に。
なんだか陳腐な慰めになってしまったでしょうか。ごめんなさい。
今日はクレヨンさん。
とても辛い決断をされましたね。
私も昨年18トリソミーで息子を亡くしました。
母親にとって子供を亡くす事は今までになかった
苦痛でした。
クレヨンさんの辛い気持ち痛いほど分かります。
義父母さんの気持ちも分かります。
息子の病気には気づく事無く
出産しましたが、可愛いのは言うまでもありませんが
本当に大変でした。
いつ止まるか?分からない呼吸でしたので
私は寝ることも出来ませんでした。
夫婦の間にも疲れがたまり限界を感じていました。
それが分かるかのごとく息子は亡くなりました。
もしお腹の中に居る時に18トリソミーに
気づいていたら私もクレヨンさんと同じ道を
選んでいたかも知れません。
今も息子の死を受け止めることは出来ません。
毎日減ることのないご飯やお菓子をあげては
お下がりを食べては泣いています。
私も頑張っていますから
クレヨンさんも頑張って下さい。
月曜日に入院されるのですね。
サリー紫さんと同様に私もクレヨンさんの
側に居ますから・・・
私も第2子を21トリソミーと羊水検査で判明し中絶しました。主人と相互の両親も含めて下した決断でした。生まれてくる子の将来、上の子たちの将来、自分たちの暮らしを考えるとどうしようもないことでした。
ご供養をしてあげてください。毎朝遺灰にお水をあげてください。いつも心の中で話しかけてあげてください。
私は中絶してからちょうど1年後に健常児を生むことができました。どうか希望をもって家族仲良く人生を前進していってください。
クレヨンさん、
投稿を読ませていただき、
クレヨンさんのお気持ちを思い、
ただただ、泣けました。
本当におつらいご決心をされましたね。
クレヨンさんに何をしてあげられる訳でもなく、
何を言ってあげられるわけでもないのですが、
あなたの肩を抱いてさしあげたい。
そして、一緒に泣かせてください。
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青い晴れた空の下で終わってしまいました。
退院してきた夜、こちらに伺い、こんな私に寄り添うようにご投稿くださった皆さんのお言葉に、暖かい毛布を肩にかけていただいたように、心が和らぎました。申し訳ないほどでした。
中絶のお願いをしてきた日は、納得して自分で決めたことだとわかっていても、すさんで本当に悪心が渦巻いて、このことを境に人に優しくなれないのかと思うくらいでした。特に夫には同じ苦しみを与えてやりたいとばかりにむごい言葉を投げたりもしました。
その後生まれ故郷に帰り、荒んだ態度を母に諭され、亡くなった父が小さな子供と遊んでいる夢を見た話をしてくれました。その子は俺が子守してやるから心配するなとあの世通信がきたんだから、大丈夫なのよとわけがわからない母の説得で心が静まりました。
現実はやはり重かったです。
助産士さんにきれいに整えていただき、桐の箱に横たわる子は、本来はまだ外に出られる状態ではないとわかる体でした。まぶたを閉じた静かな表情で何も訴えることなく、ただ横たわっていました。命が宿っていた証の存在感は圧倒的でした。夫と私だけが見るべき姿だと思いました。
夫は家に連れ帰ってから初めて目にして、子の存在を実感し、同時に喪失感も襲ってきたようで初めて泣きました。家にこんな姿で戻ってきてもこの子には何の意味もないことで、ただもはや私たちの心を癒すためだけの行為でしかないと思いました。
火葬して遺灰を持ち帰り、初めて上の娘に赤ちゃんが死んだことを伝えるとなんで?と言いながら大泣きをして、楽しみにしてたのに、お世話をいっぱいするのにと床に転がって泣くのを見て、この泣き声だけが晴にとって鎮魂になるように思えました。
夕方駆けつけた義父母は、深々と遺灰に頭を下げ私と留守中の子守に来ていた母にも頭を下げました。義父母は私の安静のために娘らを連れていって面倒を見てくれ、お寺に相談し納骨の段取りをしてくれました。
どんな罰でも受けたいような気持ちで入院に臨みましたが、病棟のスタッフの方々、担当の先生が心砕いて接してくださり、家族をはじめ多くの人にいたわりや慰めを頂き、それによって私が癒されることが申し訳ないように思えました。多くの人々に関わって頂くことがこんなに心の安定につながるのだと実感しました。
今回の羊水検査に伴って私の血液を再分析していただく機会となり、前回の分析結果であいまいだった部分がクリアにされました。
私の逆位は単純な腕内逆位とされ、まったくの均衡型であり、これに起因する染色体異常は生じないというものでした。つまり娘たちに同じ型として遺伝しても後にこの逆位によって流産をすることはないと担当医が明言してくださりました。娘たちの将来に不安を感じる必要がなくなりました。。
逆位の母親が21トリソミーの子を妊娠した例として研究サンプルにする依頼を某大学から頂き承諾しました。
この子の置き土産となりました。このために晴が来たとは思いません。わずかな晴の生に際し、意味が見出せたことは私の大きな慰めになると思います。
サリー紫さん、赤ちゃんのお世話でお体も大変な時に心を寄せてくださってありがとうございます。やわらかく優しい手の温もりと涙を感じ、心が和らぎました。
kpさん、同じ思いをした方が声をかけてくださったこと、悲劇の主にならずしっかりと頭を上げていく支えになります。
カルアさん、子が世に出たら親は全てをかけて子を育てなければならず、そしてその生を全うさせることができる力を持った人のところに応じた子が授かると誰かに言われました。存在する命の圧倒的な力量と喪失することの悲しみ苦しみは、生を受けて生きぬいた時間や質に比例して増大するものと実感しました。私の悲しみや喪失感は自らが招いたものであり、カルアさんが持っているものとは非なるものと思います。そんな方から優しいお言葉を頂き、身に余る慰めになりました。
kusukoさん、長い間お気にかけていただき感謝いたします。自分に声をかけてくださる方の存在はとても励みになりました。晴の名前をいい名だと誉めてくださって嬉しかったです。慰めになりました。
のんたさん、深い思いやりに満ちたお言葉に救われます。心に晴を加えた新しい家族の出発ですね。晴はなかったことにはできない大事な三番目の娘になりました。晴をずっと抱いて、この子の命と引き換えにしたものを大事にしながら生きていきます。
たんぽぽさん、私たち家族が負ったものを社会も負うべきものだとおっしゃってくださり、ありがとうございました。私たち夫婦が晴を手放すことを選んだこと自体がそんな社会を容認し続けさせる一票を投じてしまったようにも思っています。
本当に、知能や体に障害を持ったとしても不安なく温かく生きていける社会であったら、と思います。晴を拒絶した人間ですけれども、温かい社会になる方向に心を向けて、やれることをやって行くことまで放棄してはならないと思っています。
たんぽぽさん、あなたの投稿にはいつも尊敬の念を抱いておりました。お声をかけてくださってありがとうございます。
また、私の選択を報告したことによって不快な思いや悲しい思いをした方々もおいでと思いますが、申し訳ございませんでした。
この結果に許しを得ようとは思っていません。親として産まなかった子への思いをずっと持ち続けながら、前向きに生きたいと思っています。
また、苦しくなって自分を見失いそうになったらお邪魔するかもしれません。こちらのサイトに出会えたことも幸いだったと感謝しています。