VOICE(掲示板)
高齢出産VOICE

高齢出産の悩みや心配事、そして生んでよかったこと。

【その他】苫小牧の事件について
ちいすけ -- 2007年04月14日 00:21:45

こちらの掲示板を長く拝見している42歳、もうすぐ3歳になる子供を持つものです。この掲示板の内容にそぐわない話題とは思いますが、皆様のご意見をうかがいたくて投稿します。

先日、報道された苫小牧の事件について。
(1歳、3歳児を家に置き去りにして母親が家出。1ヶ月以上放置されて1歳児は死亡、3歳児が調味料、生米、生ごみを食べて生き残っていた、というもの。悪臭の苦情で仕方なく家に戻った母親に3歳児が抱きついたそうです)

これまでも児童虐待の報道を眼にする度、いたたまれない気持ちになりました。が、これほど衝撃を受けた事件はありません。
あまりにも酷い。
本当に本当に、子供たちが不憫でたまりません。
こんな悲惨な事件を防ぐには、生き残った子供が幸せに暮らすには、どうしたらいいのでしょう?

私とて、子供の我侭にうんざりしたり、「自分の時間が欲しいよ〜」と思うことがあります。そのため、児童虐待の報道は、どこか他人事ではない、我が身に繋がっている事のようにも思うのです。そして、だからこそ、渦中の親、何よりも子が救われるように願わずにはいられません。

私なりに考えたことを少し書かせていただきますね。
(児童虐待防止、児童養護について専門的な知識あるわけでなく、素人考えですが)

1.児童相談所の強制立入を可能にする
これは既にそうすべく動きがあるようですが。家庭を密室にしないこと。

2.全国的な赤ちゃんポストの設置
無責任な出産、育児放棄を助長するとして、反対意見も多いことは承知しています。しかし、自ら保健所や児童相談所に相談に行くこともなく、支える親族や近所づきあいもない親は、相談所が問題を察知するのが難しく、通報されることも少ない。そうなると「より煩わしくない方法で」子供を自ら手放せるようにすることが、最悪の事態を防ぐために必要ではと思います。

3.生存した子の親権移譲、実親の接見禁止
これが一番非常識な考えかもかもしれませんが。
生き残った子供の人生をリセットしてあげたい、そんな想いです。
成長しても、3歳の自分が置かれた状況を知ることなく過ごしてほしいと第一に思いますが、たとえ知ることになっても、それを乗り越えられるくらい、たくさんの愛情に包まれて幸せに育ってほしい。そのためには、せめて成人するまででも、実親との関係、事件の情報を遮断できないかと思います。


ありがとうございます。
gaspard -- 2007年04月28日 05:27:12

  本当に暖かなお言葉、ありがとうございます。

世界一大切にしたい相手がいるだけで
その気持ちにきがつき、
子供をいとおしく思うことだけで、
自分は幸せだと、あらためて思いました。

正直、私は医療の一端を担いたいと
考えてそれに付随するものが
夫、母、子供たちと捉えていた気がします。

その代償として、今背負っている
自分の意思にそぐわない出来事が起きてしまったのだと
思いました。

これからはもっと、自分の廻りの人々に
愛情をかけていきたい。
そして何が一番大切なのか
よく考えていきたいと思います。

タイトルと少し離れてしまい、
私事で申し訳ありません。

gaspardさまへ
ちいすけ -- 2007年04月27日 15:49:46

  5歳と2歳と、お腹にお子さんがいらして医学部の学生をされているのですね。

子供を育てながら大学の勉強するというのは大変だと思います。
私も夫と自営で働いているので、保育園に預けている時間で仕事が終わらず、子供が寝てからまた仕事、というパターンです。

私も忙しくて子供でイラっとくることがあって、そんな時こんなこと考えるんですけど・・・。

世界一愛する人(子供)がいて、やりたい仕事をやっている(もちろん大部分は生活のためではありますが)。
私はすごく幸せだと。

仕事を最優先するなら、子供が居ない方が良い。特に女性は。
でも、私は子供を望んだし、子供が来てくれて本当に良かったと思っている。だから、仕事が多少足踏みしてもしょうがない。

こう考えると、愛する人との短い逢瀬(保育園の時間が長いですから)を大切にしようという気持ちが出てきます。
注意しているのも関わらず、トイレットペーパーを丸ごと便器に落とされたり、仕事道具を壊されたりしても、叱る声は大きくなりますが、割と冷静でいられます。

>本当に今まで子供に十分な愛情がかけてあげられなかったと
後悔しています。

愛情をかけるってどんなことなのでしょうね?
もし、勉強で子供と一緒に居る時間が短かったり、イライラされることがあって、それで愛情をかけていないと思われるのなら違うと思います。
gaspardさまの愛情はお子さん達に伝わっていると思いますよ。

横ですが、rinさんへ
チキン -- 2007年04月26日 23:58:25

  rinさん、こんにちは〜。

47歳4歳の男の子がいますチキンです。
rinさんのレスにいつも感動しています。拝見しながら、涙が止まりませんでした。

私は、男の子1人の子育てでヒーヒー言っておりますが、rinさんのレスにいつも背中を押してもらっているように思います。

人生経験の豊富なrinさん、私は貴女の大ファンです☆

トピ主さん、関係なくてごめんなさい。

同感です。
gaspard -- 2007年04月25日 23:26:49

  私は現在5歳と2歳の子供がいます。
その上、現在妊娠9ヶ月です。

40歳を超えていますが医学部の学生をしていて、
本当に今まで子供に十分な愛情がかけてあげられなかったと
後悔しています。
試験が大変で、
寝てくれないと勉強できないし
本当にいらいらすることが多く、
そのため、虐待とはいかないまでも
長女をきつくしかったり、
手や背中をたたいたりしたことがあります。

大学で今、留年という試練を味わっています。
あってはならないことが起きたため、
最近、子供と3人でいるときパニックになりそうでした。
そのときは、タクシーで近くの教会の牧師さんの家に
避難し、話を聞いてもらいました。

夜遅くにいったのに、
奥様もしっかりと聞いてくださり、
本当に助かりました。

近くに親戚や友人がいなくても、
こうやって命綱みたいな存在がいてくれたら、
親はかなり余裕がもてると思います。

あいがとうございます。
ちいすけ -- 2007年04月24日 17:12:07

  りりちゃんさん。

ご返信が遅くなって申し訳ありませんでした!

>虐待はあってはいけないことですが、育児に対する母親にストレスもまた大きなものと感じます。
>どこかでそのストレスを発散したり、またその根本が解決できるようであれば、気持ちにもゆとりが出来、育児も楽になるかと思います。

私も、たった一人の子供ですが、一日一度くらいは「育児って大変だ〜」と、ため息が出ます。
どんなに可愛い我が子でも、預かってくれる所、人がいなければ親がつきっきり。「
子供は寝顔が一番可愛い」とよく聞きましたが、実際に可愛いだけじゃなくて、親が唯一ほっとできる時間だから可愛く見えるのかも、とも思います。

育児に限らず、人生は大変なことが色々あるので、それを全部避けて通るわけにはいかない。立ち向かってこそ人は成長できると思います。
でも、あまりに大変で壊れてしまいそうな時、りりちゃんさんのように、止めてくれる人、助けてくれる人が必要ですよね。


>私は刑罰を重くしたからと言って虐待がなくなるものでも減るものでもないと思います。
>子供に対して「虐待」しているときは自分でも感情がコントロールできない状況になっていると思います。

そうですね。
冷静な判断力がない、感情がコントロールできないから虐待してしまうわけですし・・

私も、刑罰を重くしたからといって、虐待がなくなるとは思いません。
ただ、刑罰を重くすることは、まだ言葉で訴えることもできない幼い子供が受けた大きな痛み、手にしたはずの夢や可能性、それらをもっと重んじることなのかなと。

子供の命の重さ、大切さを、親も周囲の人も、もっと強く意識するために、刑罰を重くする必要があるように思います。

>また、出来れば親と子供は一緒に生活すべきとも思います。
>親が「虐待」するのであれば子供だけを放すのではなく、親と子供が施設などで一緒に生活して通常の生活が出来るようにどちらにも指導(矯正というのかな?親にも子供にも精神的なケア)する必要があると思います。

年齢の小さな子供ほど、虐待されても親と居たいと思うかもしれませんね。
私の最初の投稿では、この事件があまりに悲しくて、親と引き離す方が子供にとって絶対いい!(虐待親に子供を託したくない!)という想いを抑えきれず、極端な意見を書いてしまいました。

やはり、これも第三者が、親の更正の手助けをし、どこまで更正したのか、子供と暮らせる状態なのか、客観的に審査する必要があると思います。

虐待のケースにもよると思いますが、親が望み、子供が望むなら、親子一緒の生活をきめ細かくケアする施設や体制も必要ですね。

私が思うこと。
りりちゃん -- 2007年04月22日 22:19:01

  このような虐待が後を絶たないということは本当に問題ですね。
悲しい気持ちと虐待をする親に対して言いようのない怒りをかんじます。

しかし、虐待というのは誰にでも起こりうることだと感じています。私も実は「虐待ではないか」と今思えばそんなことを子供に対して行ったことがあります。私は止めてくれる人がいたということと、私が持っていたストレスが軽かったこともあって、いわゆる「虐待」まで起こらなかったのだと思います。

虐待はあってはいけないことですが、育児に対する母親にストレスもまた大きなものと感じます。どこかでそのストレスを発散したり、またその根本が解決できるようであれば、気持ちにもゆとりが出来、育児も楽になるかと思います。

でもストレスや母親が持っている悩みなどがなかなか解決出来ないようなものだと子供に当たってしまう気持ちもわかります。(もちろんだからといって子供を虐待することは許されることではありません。)

私は刑罰を重くしたからと言って虐待がなくなるものでも減るものでもないと思います。子供に対して「虐待」しているときは自分でも感情がコントロールできない状況になっていると思います。刑罰が重くなるから・・という思いはいわゆる「虐待中」にはよぎらないかと思います。

また、出来れば親と子供は一緒に生活すべきとも思います。親が「虐待」するのであれば子供だけを放すのではなく、親と子供が施設などで一緒に生活して通常の生活が出来るようにどちらにも指導(矯正というのかな?親にも子供にも精神的なケア)する必要があると思います。どんな親でも子供にとっては大切な人です。子供にとっても親がちゃんとした親になっていく様子を見ていく必要があると思います。

子供を失って平気でいられる親はいないと思います。必ず後悔します。親も子供を自らの手で失うことがないよいう、多くの人が誰かをもっと気軽に手助けできるような社会にあってくれればと強く感じます。

ありがとうございます。
ちいすけ -- 2007年04月20日 01:03:01

  gaspardさま。

「よいとまけの歌」。
私は、つい最近、初めてテレビで聞きました。
米良さんの歌です。
一編の映画を観ているような臨場感あふれる歌唱で、思わず画面に釘付けになりました。

家族のために真っ黒になって働く母親。
その姿を見るだけで、子供には親の愛が伝わるのでしょうね。

>私も両親が共働きで、両親とも別な人を作り、
挙句に離婚をしてしまい、私も20歳になるまでは
本当に涙しない日はないくらいさびしかったですが、
今となってはそれは本当によい体験だったと思います。
>それがあって深い感受性が芽生えて今の私があるのだと、
感謝しています。

>次世代を担う子供を立派に育てるためにも、
>本当に辛いことを乗り越えて大人も子供も真の人間に成長したいですね。

子供にとって親は非常に大きな存在です。
親の不仲、死去、親から暴力を受ける、放り出される・・・
どれも非常に辛く悲しいことだと思います。
でも、その辛さ、悲しみは必ず乗り越えられる。

辛い、悲しい思いをした分だけ強くなれる、そんな生きる力が人にはあると信じます。


ありがとうございます。
ちいすけ -- 2007年04月19日 23:38:28

  rinさま
はじめまして。そして、ありがとうございます。

>私は母性とは無条件に女性であれば保有する物だと昔は思っていました。
>しかし今はそうは考えません。妊娠して産むだけなら母性なんて必要は無いのです。

>本当の母性は自らも育てる必要が有る様に思います。子供を育てながら自分も母親として成長するのです。
>そしてその前身として過程として、人との関わりで想像力を持てる人間になるのではないでしょうか?
>その中のひとつに母性の種が芽生えるように思います。

私も、母性(父性)も、人には本能として組み込まれていて、子供ができると自動的にポンと出てくるもんだと思っていました。

しかし、そうじゃないんですよね。

以前、テレビで保育園と中学校の交流授業が紹介されていました。
保育園児の親としては、イキのいいお兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んで貰えて結構なことだと見ていましたが、保育園長さんは「これは中学生の父性、母性を育てる授業なんです」と仰ってました。
核家族化で小さい兄弟をお世話する機会も減り、自分の子供ができるまで小さな子とふれあうことがない。それで、いきなり母性、父性を求められるのはきつい、というのです。

母親だから母性があるとするのは間違いですね。
rinさんが書かれた通り、「母性の種」は、子供と向き合うなかで(それは子供だけではなく、他者、動物とのふれあいかもしれませんが)芽生えて、じわじわと大きく育っていくのだと思います。

>子供を虐待、遺棄などをする親には極刑を下せるくらいの法律がないとダメでしょう。

重い刑罰が虐待の抑止力になるなら私も賛成です。

妻を殴る夫のなかには、社会的な地位もあり、他人を殴ると罪に問われると承知していながら「妻は殴ってもいい」と思っている人がいるそうです。元は他人の夫婦でもこれですから、子供に対して、自分が作り出したものをどうしようと勝手、と勘違いしている人も多そうです。

刑罰を重くすることで、子供の人権をもっと尊重する世の中になってほしいと思います。

辛いことを乗り越えて
gaspard -- 2007年04月19日 10:44:41

  私は、今回の苫小牧の事件を
氷山の一角だと考えています。

苫小牧は大きな製紙会社があり、
明治の時代から、
多くの労働者の町でもありました。

”よいとまけ”というお菓子がありますが、
この”よいとまけ”という言葉には深い意味があるのです。

三輪明弘さんが歌う、よいとまけの歌にも
でてくるように、以前は、母親でも働き手が少なく、労働
しなければなりませんでした。

子守をしながら重い木材を運ぶのですが、
(そのころはティッシュなどなく)
仕事の途中で子供の鼻水を
すすってやるというシーンが
出てきます。

以前の母親は
手間のかかる家事や
仕事に忙しくても、
しっかりと子供に愛情を注いでいたのだと
思います。

私も両親が共働きで、
両親とも別な人を作り、
挙句に離婚をしてしまい、
私も20歳になるまでは
本当に涙しない日はないくらい
さびしかったですが、
今となってはそれは本当によい体験だったと
思います。
それがあって深い感受性が芽生えて
今の私があるのだと、
感謝しています。

次世代を担う子供を立派に育てるためにも、
本当に辛いことを乗り越えて
大人も子供も真の人間に成長したいですね。

最低の中の最悪
rin -- 2007年04月19日 01:45:39

  はじめまして

私もこの様な事件を見聞きするたびに胸が締め付けられます。
勿論この種の事件は昔からあったとは思いますが、ここ数年で特に増えましたよね。

こんなに文明が進んできたのとは逆行して人間は他の動物が当たり前で行なう事すら出来ない程、本能と言う物が欠落して来てるんだと思います。

私はタイで暮らしていた事が有ります。タイなどは貧富の差が激しい国のひとつで、生きるために子供を売り、子供の手足を切り落とし物乞いをする家族が居ます。

何処からか誘拐されて欧米人へ性の相手として働かされているまだ6歳くらいの子供も居ます。
陰部に麻薬の注射を打たれ大人の相手をさせられ、使い捨てにされる子供達が居ます。

生活苦だからと納得できる事ではないですし、世界の何処へ行ってもこの種の話は後を絶ちません。

増して日本は生活苦で子供をその様にする必要は殆ど無いにもかかわらず、己の欲求を最優先する馬鹿親が避妊もしない、産んでも育てない、何をしたら死ぬのかも分からない・・と言った状況が現実だと思います。

私は母性とは無条件に女性であれば保有する物だと昔は思っていました。しかし今はそうは考えません。妊娠して産むだけなら母性なんて必要は無いのです。

本当の母性は自らも育てる必要が有る様に思います。子供を育てながら自分も母親として成長するのです。
そしてその前身として過程として、人との関わりで想像力を持てる人間になるのではないでしょうか?
その中のひとつに母性の種が芽生えるように思います。

子供を遺棄、虐待する彼等は子育てだけが無知なのかと言うとそうでは有りません。遡れば既にその兆候はあらゆる場面で発揮されたいたと考えます。

勿論その様な可哀相な子供達を保護するシステムがすぐにでも出来る事は望ましいですが、それだけではいつまでたっても抜本的な問題解決にはならないと思います。

今後この様な事件はもっともっと増えると思います。
個人的には学び取ろうとしない人間には、ルールを作るしかないと考えます。現在は子供を殺そうとしても未遂や、他に子供が残っている場合は早い時期で刑務所から出てきます。
性犯罪と同じで、必ず又同じ事をやります。

子供を現法律でその親から取り上げる事は日本では難しいのもこう言う事件を増大させる理由の一つです。

子供を虐待、遺棄などをする親には極刑を下せるくらいの法律がないとダメでしょう。

極刑が怖いからいやいや育児をしたとしてもじわじわと爪の一枚一枚を剥がされるような殺し方をされるよりはよっぽどましでしょう。

私はあえて言いたいです。もしも子供を疎ましく思い殺そうと考えたなら、頼むから一気に殺してあげてくれ・・・と。

最低限親子としての関わりを認識できるのなら、頼むから一気に楽にしてやってくれ・・・と。

何ヶ月も虐待の果てに殺したり、餓死したり、衰弱死したりは余りにも惨過ぎです。
動物でも相手をいたぶっては殺しません。必ず致命傷を攻撃します。血の通った親が最も最低な感情の果ての、最も最悪な行為が苫小牧で起きたような事件なのです。

起きてからの事を考えるよりも起きないようにする事を本気でみんなで考えたいと思いますね。

ありがとうございます。
ちいすけ -- 2007年04月17日 23:49:30

  まいささま。

お辛い経験をされたのですね。

幼児虐待、育児放棄は昔からあった。
それは、その通りだと思います。
児童相談所の相談件数が増加しているのは、虐待が増えているのではなく、虐待への認識が広まったためだと聞いたことがあります。

今より社会が貧しかった時代は、子供を養うだけで、今で言う虐待をしても立派な親だったんじゃないでしょうか。
社会が豊かになって、子を養うことは大前提になり、
愛情をかけてるのか、尊重しているのか、とその養い方の内容が問題になってきたのだと思います。

私自身、お金のない辛さを心底味わった経験がないせいかもしれませんが、親が子に愛情を与えるのが何より大事で、多少貧乏でも、だらしのない親であっても、立派な家じゃなくっても、子供にとってはそれが普通で幸福なことだと思います。

まいささまが育ったお家。そのような祖父母と孫、親子の関係であるのに家として成り立っているのが怖いと感じてしまいました。憎しみあっているかもしれない人々がひとつ屋根の下にいて、そのストレスを弱い立場の子供に向けているような気がして。
(こんなこと書いてごめんなさい!)

どのような家であれ、小さな子はその家から逃げることが難しい。そうであれば、やはり地域や社会が家の中に入っていくことが必要ですね。

ありがとうございます。
ちいすけ -- 2007年04月17日 21:55:33

  gaspardさま
ご返信ありがとうございます。

私も泣きました。
涙が出て、なぜか「お母さ〜ん」と声がでてしまいました。

>今この瞬間にもどこかの土地で同じことが
>繰り返されているかもしれない。

そうですね。
近隣同士のつきあいが希薄、無関心な場所というのは、全国のいたるところにあると思います。
それは、ほんの1ブロック離れただけで、雰囲気はがらりと変わったりすることもありそうです。
小さな子は自分で移動できないので、本当に自分の家の周り、小さな小さなエリアが、どんな場所なのかで命運が分かれてしまうかもしれませんね。

>もっともっと自分や自分の周囲だけでなく
>廻りにも関心をもっていきてほしい。

私も、まずは自分でできることとして、
そうしたいと思いました。



地域が、社会がもっと介入できれば・・・
まいさ -- 2007年04月17日 10:30:49

  育児虐待・放棄は別に今始まったことではなく、
昔からあったんです。
今はニュースになるだけよい時代になったなあ、と思います。

私も妹も祖母(血のつながりはない)に
故意ではないですが殺されかかってます。
祖父はとてもわがままな人で
「子供なんて金で固めたようなものだ」と言い、
孫はただ金食い虫にしか写らなかったようです。
父は小さい頃は曾祖母に育てられ、
自分の身を守ることだけ考えてきた人なので
娘がひどい目にあっても何も親には言わない人でした。
母は・・・必死になって私たちを守ろうとはしてくれましたが
限界があり、病気で入院しているときなどは
私は離婚しない人質代わりに家においていかれました。

うちは近所中で、
「よくあそこの家でまともな子が育った」
といわれるぐらいの家でした。
でも地域の人も父の親族も何もしてくれませんでした。
父は一人っ子であり、田舎に田畑があるので
父の親族などは、父が、父一家が死ねば
財産が手に入る、ぐらいにしか思ってないような人たちです。

だから幼児虐待・育児放棄は人ごとではないです。
何かしてあげたいです。
自分のことばかり話してごめんなさい。
でも昔からあったのだと、今は問題になっているだけでも
よい時代になってきていると思います。
(こういうニュースはほんとうにつらいですが・・・)

涙がとまらない。
gaspard -- 2007年04月16日 14:22:09

 
私は以前、苫小牧に住んでいました。
それまでは福岡、広島と本州にすんでいたためか、
北海道、それも札幌などの大都市ではなく
苫小牧という土地に住んで気候だけでなく、
北海道は厳しいなと感じました。

この土地ならではの他人に無関心という雰囲気を
すぐに感じました。

だから転勤でいった初めての土地では、
社宅であるにもかかわらず、
知り合いを作ることに本当に苦労しました。

ですから、この事件を耳にしてあの真夏でも25度まで
あがらない寒い土地で3歳と1歳の子供が
どうやって暮らしていたのか
想像するのも辛いです。

以前、nobady knouwsという映画でも同じことが起きていました。

今この瞬間にもどこかの土地で同じことが
繰り返されているかもしれない。

もっともっと自分や自分の周囲だけでなく
廻りにも関心をもっていきてほしい。

涙がとまらないけど、涙をふいて
前に進みたいです。

ありがとうございます。
ちいすけ -- 2007年04月16日 07:17:46

  チャラ妻さま
ご意見をお寄せいただきありがとうございます。

>他人事と思わないことが大切

本当にそうねすね。
私の夫は、こういう事件に対してあくまで他人事のスタンスです。
「うちとは関係ないから」と。
しかし、皆がそう思ったら全く状況を良い方向に向かわないと思います。少しでも自分ができることを考えて行動を起こしていくことが大切ですね。

>孤軍奮闘では育児は成り立ちません。
>多くの助けでがあってこそ、育児は成立します。

>もっと大切なのは女性が今以上利発になること。
>そして、男性社会を解体させ、母系社会を
>もう一度築き上げる必要があるでしょう。
>子供を皆で面倒をみる、というシステム。
>それができるのは女性の力です。

私も、こういう事件が起こるたび、父親は何処に行ったんだ?
と思います。そして、なぜ、加害者となるのは女性なのかと。

子供は男女によって誕生するものなのに、父親はいない。
子供は母親を必要とし、子供は母親が育てるもの、父親は経済的な支えになるだけで良いとされているのか。

そうして、母親一人が子供を抱え、だれの助けも得られず、もしくは自分が助けを必要としているのか、だれに助けを求めたらいいのか、その判断すらつかず、父親からは経済的な支援すら受けられない。
そんな状況が多くあると思います。

チャラ妻さんがおっしゃる通り、孤立した育児をさせない、子供を皆で育てるシステムが必要ですね。
そして、子供とは一体どんなものなのか、育児の意義と責任について、男女ともに小さい頃から学ぶ、体感できる教育の機会が必要だと思います。

他人事と思わないことが大切
チャラ妻 -- 2007年04月15日 14:33:59

  すべての事柄を人事としてではなく、自分のことと
考えて行動を起こせば、すべてのことが良い方向に
向かうと信じています。
私はこのスレが立てられたとき、この事件と前後して
おきた、若い母親を思い出しました。
母親が留守中子供が焼け死ぬという事件が起こりました。
警察も最初は母親の育児放棄と考えたのですが、
後から違うことが判明。その若い母親は、両親の反対を
押し切って、同年齢くらいの男性の子を出産、その後
男性は家に帰らず、母親が誰の手も借りず一人で
子供を育てていたという事件です。
2歳児を一人にさせてはいけないことの認識がなかった
そうです。
どちらの事件も悲惨です。
私もネグレクト、暴言を親から与えられました。
被害者もまた加害者になるということを
身にしみて感じています。
また、育児ストレス、心身のエネルギー消耗の激しさ、
自分の自由がままならない、保育所の数の足りなさ、
を痛感しています。
必要なときに助け手がないのが、一番つらいです。
最近親権を夫に譲る母親が多いそうです。
その母親を見ると、親からの愛情に問題があった
と本で知りました。
命の大切さを教えられながら、また、命をはぐくみ
命がけでこどもを生んだのにもかかわらず、
本能の欠如、子供を育てられない、面倒な事柄
から逃げる、困難をさける、このような人が
多くなってきたのでしょうか。
それとも、娯楽というツールがあまりにも
魅力的でとりつかれてしまったのでしょうか。
これら二つの事件は、生んだものが責任もって育てる、
ことの難しさを如実にあらわしています。
他人にはできることも、自分にはできない、
その一つに育児もあげられます。
孤軍奮闘では育児は成り立ちません。
多くの助けでがあってこそ、育児は成立します。
育てられないけれど、子供を手放せない心理。
個の大切さを説いてきた、今までの教育の失敗
も原因の一つです。仏教国では西洋の
そのような教育はなじめなかった。
人間関係のあつれきが、孤立を引き起こしてしまった。
その悲劇。今までの家、血に執着しすぎるという点も
考えないわけにはいかないでしょう。
すべてがつながっているのだから。
スレ主さまの改善策も大切。
もっと大切なのは女性が今以上利発になること。
そして、男性社会を解体させ、母系社会を
もう一度築き上げる必要があるでしょう。
子供を皆で面倒をみる、というシステム。
それができるのは女性の力です。
男性の男性社会による男性のための社会で
おこった弱者の悲劇、これがこの事件を含め、
すべての事件の根源だと私は推測します。

 
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