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こんにちは。
七夕の日に11週で繋留流産しました。
数日前に誕生日を迎え40歳になりました。
もうすぐ3歳になる息子がいます。
過去に化学流産を2回しています。
9週3日の時点でエコーにうつる赤ちゃんは手を動かしてとても元気でした。もうこれで大丈夫だと思っていました。何のストレスもなく2週間過ごしました。11週3日にエコーにうつる赤ちゃんの心臓が止まっていました。
頭の中が真っ白になり信じられませんでした。帰りもどうやって帰ってきたか思い出せません。
あんなに元気だった赤ちゃんがどうして?
元気な姿を見せた後にママの元から去ってしまうなんてママ悲しいよ。
この流産には何か意味があったのでしょうか?
化学流産の時とはまた違った悲しみで自分の心がこんなに壊れてしまいそうなのは初めてです。今は本当に辛い気持ちだけしかないです。いまだに意味が見いだせずにいます。
あるサイトで「赤ちゃんは長くは生きられないと分かっていたんだけどどうしてもママに会いたくて会いに来た」と書いてありました。その言葉を見て涙が止まりませんでした。
それと同時に今回体外受精で妊娠したことは本当に良かったのか?
分からなくなってしまいました。自分が望んだことで、赤ちゃんは望んでいないのに人工的に受精させて赤ちゃんを「誕生死」させてしまったのではないかと胸が詰まります。
今は自分も死んだら赤ちゃんに会えると思うと少し気が楽になります。
これで第二子を諦めようと思っています。
息子に愛情を沢山注ぐようにそして家族仲良くと赤ちゃんはメッセージを残してくれたのでしょうか?
もし同じような経験がある方、どのように気持ちを整理されたのでしょうか?
- 時期 - MAMA - 2011年07月11日 15:40:51
- 皆様へ - 七夕 - 2011年07月11日 08:40:22
- ご自分を責めないで - ぶぶぜら - 2011年07月10日 20:26:55
- 赤ちゃんからのメッセージ - 匿子 - 2011年07月10日 01:44:05
- お辛いですね。 - daisychain - 2011年07月10日 01:28:05
- 経験談は・・・ - つばき姫 - 2011年07月10日 01:09:19
- 同じような状況です - みかりん - 2011年07月 9日 22:18:41
- 同じです - 織姫 - 2011年07月 9日 22:00:00
皆様のお言葉何度も何度も読み返しました。
どうも有難うございました。
「悲しみのプロセス」というものを読みました。
今でも頭の中から今回の出来事が離れることがありません。
少し時間が経つにつれて自分の中での意識も変わりつつありますが、どう考えていいのかわからない時もあり混乱している状態なのかもしれません。今回の出来事の意味は「後からわかるものなのか?」それとも「自分で意味付けをしていくものなのか?」自分は後者を取り明るく頑張って行こうと思ってもそれは一瞬で、気力は一気に失せ、時間に任せて癒されていくしかないのかなとも思ったりの繰り返しです。
1.精神的打撃と麻痺状態
2.否認(亡くなったことを認めたくない)
3.パニック
4.怒り不当感(なぜ私だけがこんな不幸に見舞われたのか? )
5.敵意とうらみ(なぜ、夫は私を見捨てて自殺したのか? 等)
6.罪意識
7.空想形成・幻想
8.孤独感と抑うつ
9.精神的混乱とアパシー(無関心)
10.あきらめ―受容
11.新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
12.立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生
今週手術が控えていますのでその後また感情は変わってくるものと思います。本当は一人ひとりにお返事を書きたいのですがその気力もなく自分のことばかりですみません。
七夕さん、こんにちは。
今回の出来事での悲しく苦しいお気持ちをお察し致します。
私には同じような経験がないので、「解ります」なんて簡単に言える立場ではありません。
ですが、七夕さんの投稿を読んで泣いてしまいました。
私の職場の同僚で、母のように慕っている女性のお嬢さんが、先月同じような経験をされました。
その方達も親子でしばらく悲しみに暮れていましたが、「赤ちゃんに何らかの事情で異常が発生した時は、赤ちゃんはお母さんとお父さんのことを思って、自ら生まれない道を選ぶことがある」という考え方を信じるようにしたみたいです。
赤ちゃんは望んでいないのに人工的に受精させられて「誕生死」したなんて、決して思っていないと思います。
七夕さんの赤ちゃんに異常が発生したかどうかは分かりませんが、「もっと元気な体で、また会いに来たい」と思っているかも知れませんよ。
私は40代半ばですが、このサイトで同年代の方達が頑張っているのを読んで、いつもたくさん勇気をもらっています。まだ諦めないでいようと思います。
七夕さんも、今はお気持ちが落ち着くまでは、ご無理をなさらなくていいと思います。無理に元気になろうとしなくても、無理に諦めない気持ちになろうとしなくてもいいと思います。
でも、お気持ちが落ち着いてきたら、頑張って生きて欲しいのです。
七夕さんがどんな人生を生きても、いつか終わりの時が来ます。その時は、必ずまた赤ちゃんに会えます。七夕さんより先に亡くなられた大切な方達みんなに、必ずまた会えます。
その時に「私、頑張ってたでしょ?」って笑顔で言える人生を送って欲しいのです。
悲しい出来事の意味を考える時、その考え方次第で世界は変わってしまいます。そして考え方というのは、時が経つにつれて変化していくものです。
だから大丈夫。七夕さんは、いつかきっと優しく強い気持ちになって、次のステップに進める日が来ます。
その日が来ることを心からお祈りする気持ちを伝えたくて、拙いですが書かせていただきました。
七夕さん、お辛いお気持ちお察しいたします。
私は39歳の時に、第二子を9wで繋留流産しました。
第一子は33歳の時に結婚と同時に授かり、主人とは
「赤ちゃんなんて簡単に出来るんだね」と話していました。
そして、やっと二人目を考えられたのは39歳目前で
欲を出し、産み分けに通い、排卵を操作しました。
高齢にも関わらず、赤ちゃんはすぐに授かることが出来、
またもや主人と「赤ちゃんなんて」と話していました。
そんな中、流産の診断。
目の前が真っ暗になりました、
納得できずに、違う病院に行き、セカンドオピニオンも受けました。
高齢になるまで二人目を考えられなかったこと、
産み分けなんてしたこと、
自分を責めてばかりでした。
でも、今、その時の辛い経験があったから
子供は簡単に手元にやってきてくれるものではない。
神様からの預かり物なんだ。
その命を大切に育てないと、と思うようになりました。
お腹に宿り、産んであげられなかった小さな命は
私にそれまで思いもしなかった考えを残していきました。
大切なメッセージを送ってくれました。
その後、40歳で第二子を授かり、無事に出産しました。
子供たちへの思いは流産を経験したことにより
それまでとは全く変わりました。
七夕さんも、今はまだお辛いと思いますが
きっと、何かしらのメッセージを赤ちゃんから受け取ると思います。
それは七夕さんにとってとても大切なものになると思います。
その思いは、赤ちゃんがお腹に宿ってくれた証として
一生七夕さんの中に存在するものであると思います。
どうぞ、一日も早くお身体が回復されますように。
体外受精ではないのですが、流産の経験があります。
よくこういった掲示板で「赤ちゃんは忘れ物をとりにいっただけだから、またすぐ戻ってくるよ」みたいな言い方をされる方がいらっしゃいますが、あまりにも感傷的な表現で私には受け入れられませんでした。
(それが慰めとなる方もいらっしゃるのかもしれませんが)
が、私が思っていたのは、妊娠とはいろんな条件が奇跡的に整って初めて成立するもの、今回は残念だけど私の心と体の準備がいろんな意味でまだできていなかったんだな、と極めてリアリズム的に捉えるようにしていました。
体の条件が整って、精神的にもベストなタイミングがきたら、神様がまたきっと授けてくださるだろうと。。
「亡くなった赤ちゃんが、家族仲良くするようメッセージを残してくれた」とか思いたいお気持ちはよくわかりますが、命に対してファンタジー、物語を求め過ぎのような気がします。自然妊娠でも何割かは育たないそうですし。
それが自分のこととなると当然ショックですし、なぜ自分が??という気持ちになるのは仕方がないとも思いますが、自然とはもともと理不尽なものなのだと思います。
今年の元旦に死産でした。一卵性双子の男の子、5か月でした。
病室で泣いていたのを覚えています。主人も泣いていました。
陣痛に4日間かかりました。
4日間ずっと私は自分に言い聞かせました。自分は、しばらくしたら、また笑ってるはずだって。幸せになるって。
まだまだ短い人生でおこがましいですけど、私も色々ありまして・・・
でもいつも大変な事が起きたって、過ぎてしまえば、悲しかった事が嘘みたいに、私ったら元気に笑っているんです。
喜びとともに暮らすことも努力が必要だし、また自分自身を悲しみに留めておくことも努力が必要だと思います。忘れてしまうから。時間が良いも悪いもきちんとさらってくれる。嬉しいかな、そして悲しいかな。
死産から間もなくは、どうして私だけ?とか、どうして私が?とか、母親になったら何か問題でも起きるの?とか、私に母親になる能力がないから?とか思っていました。
でもそこには、医学的な理由しかないと思います。それ以外の「理由」は(上記のコト)、頭の良い人間と言う動物が作った想像です(と、私は勝手に思っています)。
絶対に幸せは来る。悲しい瞬間は永遠には続かない。自分はまた笑っている。乗り越えて、笑顔で毎日暮らしている。早く、そうなりたい。そう言い聞かせて、今に至ります。
立ち直る・・・・?というより、心の整理をつけると言いますか。
私にとって子供たちは、永遠だから、思い出すたびに、それはそれは色んな感情が蘇ります。今でもモチロン。たまに名前を呼んだり、骨壺を抱っこしたりしています。せめてもの供養に。と、私がそうしたいから。
でも、心の整理はついています。だから毎日幸せに暮らしています。今はそんな風です。
というのが、私の考えです。
でも、これらの言葉じゃ慰めにはならないかもしれない。トピ主さんに必要な言葉を見つけられなくて本当にゴメンナサイ。書くのが下手な私です^^;とほほほ。
どんな言葉を貰っても、納得できないかもしれませんが、1つだけ。早く心に平穏が訪れますように。
同じような状況です。
私もあと数ヶ月で40歳になります。
一人4歳の娘がいます。
体外受精を昨年からはじめ、2回の化学流産をへて、5回目の胚移植ではじめての陽性、6週で流産、手術を先月したばかりです。
陰性続きでもうだめかもと思った矢先の陽性で、本当に嬉しく思っていました。
流産するくらいなら、陰性のほうが良かった、どうしてこんな形で妊娠、流産したんだろう。
神様はなぜ、こんな試練をあたえたのか・・
辛さは癒えません。
でも、諦めようと思ってたのにもう、妊娠できないと思っていたのに妊娠できたことで、ますます赤ちゃんをもう1度抱きたいと思う気持ちが強くなってしまいました。
もう少し気持ちが癒えたら頑張ってみようかと思っています。
七夕さんの気持ちが少しでも早く回復しますように!
七夕さん 全く同じ経験をしました。
2才の息子も体外で授かり 第二子も体外で授かりました。
でも 心拍が確認できていたにも関わらず 8週でお空へ行ってしまいました。過去に流産が1度あり 今回はと 大事をとって実家へ帰省しての出来事。
それから また病院へ通い始めましたが AMHが1.0で閉経間近。
私も もう諦めたいと思いつつ 息子のために兄弟を残してあげたくて 自分の気持ちを抑えて 病院へ通っています。
でも もう限界かもしれません。
病院を転院して 心気一転しようかと考えてます。
去年の悲しみは 一生忘れません。1年ちかく経つのに 今でも頭から離れないです。
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41歳です。8歳、5歳の子供がいます。
妊娠2回目(けいりゅう流産)、4回目(けいりゅう流産)
、5回目(化学流産)
その度にめちゃくちゃ落ち込み、泣きました。
流産=あきらめる時期 と 辛い時期には思うのだけど
それは違うと思っています。
流産の意味は、”あきらめなさい”ではない。
本当に、本当にあきらめられないなら、あきらめない
ほうがいいと思います。
妊娠は時間が限られてるから。。。。
私は、まだあきらめず、ちょっと頑張ろうと思ってます。