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はじめまして。
男性の僕がこういう発言をしていいのか、疑問なのですが、
高齢出産をして子供が大きくなったら、自分の子供が一番遊べる、仕事も充実し、楽しい時期に親(私たち)の介護に追われる…
そんなリスクに怖さを覚える、なんてこと考えてしまうのはいけないことでしょうか?
私自身、結婚前から親を12年看ています。
賛否両論あっていいので、皆さんの忌憚のないご意見を
伺わせてください。
- 皆さん、ありがとうございます。 - たかし - 2011年01月17日 23:06:13
- わたしの場合 - hanako - 2010年12月27日 16:13:59
- 私も横レスです、ごめんなさい - まこ - 2010年12月27日 15:34:54
- ご夫婦で・・ - モネ - 2010年12月27日 15:21:26
- まこさんへ - 愛子 - 2010年12月26日 12:24:27
- 現在介護中です - カステラ - 2010年12月26日 00:17:49
- 介護 - yusa - 2010年12月25日 20:48:47
- 親のエゴ? - まこ - 2010年12月25日 11:47:40
- 介護はお金がかかるのです。 - りんりん - 2010年12月25日 09:40:12
- カステラさんの発言について - 愛子 - 2010年12月24日 14:20:47
- 親次第 - カステラ - 2010年12月24日 00:01:25
- みなさんありがとうございます。 - たかし - 2010年12月21日 22:51:29
- たびたびごめんなさい - まこ - 2010年12月20日 17:55:47
- 夢があるなら・・・ - mikan - 2010年12月20日 12:59:05
- たかしさんへ、そしてとくめいさんの発言について - 愛子 - 2010年12月19日 11:51:02
- 望まれて生まれてきたことが一番の幸せ? - 超 - 2010年12月18日 17:44:18
- 横レスごめんなさい - 悲しい - 2010年12月17日 21:33:26
- 補足させてください - まこ - 2010年12月17日 16:43:03
- とくめいさん - ひまわり - 2010年12月16日 18:49:30
- マロンさんへ - とくめい - 2010年12月15日 21:30:53
- 自分の老後は自分で - 超高齢社会 - 2010年12月15日 20:41:25
- ケ・セラ・セラ^^ - まこ - 2010年12月14日 14:02:31
- 98歳の母 - チボリ - 2010年12月14日 11:13:46
- 親の年齢で幸福度は決まらない - ことは - 2010年12月14日 07:38:28
- 子供が選択すると思います - 匿名 - 2010年12月13日 16:42:43
- 全ての人に介護は必要とは限らない - こんにゃく。 - 2010年12月13日 10:34:48
- ステキなレス - 横入り - 2010年12月13日 07:08:39
- 貴方しだい - 匿名ですよ - 2010年12月12日 22:58:00
- ご自分はどうでしたか?&子どもを持つのは経済的基盤が絶対条件??(こちらは横レスです) - kusuko - 2010年12月12日 22:19:05
- そろそろ悟りを開いてください。 - マリー - 2010年12月12日 21:17:10
40代の夫婦ですが子供との暮らしを希望しています。
トピ様がどのような介護の経験をされてきているのか
わからないので失礼な書き込みでしたらお許しください。
わたしのことですが、子供時代に同居していた祖父が白内障、
認知症で両親が介護の問題を苦にしていたことをずっと
見てきました。
そのことで夫婦喧嘩は毎日絶えませんでした。
結局は祖父が隠し持っていた貯金である程度まかなえたようで
老後にかかるお金の大切さをしみじみ実感させられました。
そんな子供時代の経験から母と同じ苦労は絶対にしないと
心に誓い、母はまた子供に苦労はかけさせないとしっかり
老後の貯金してくれています。
実際に親が倒れた場合お金だけでは解決できないことが
多々あると思いますので、その時は子供としてできる範囲で
手を差しのべたいし、自分もそういう親になりたいと思いました。
嫌な言い方で申し訳ないのですがお金に余裕さへあれば
高齢子育ても介護もなんとか乗り越えられるのではと思います。
万が一、重なる時期があったとしても費用はかかりますが
子供を一時保育に預けるとか手段はあるはずです。
夫婦喧嘩は経済的理由からくると言われていますし、
せっかく授かった子供の前で喧嘩はしたくない、
自分の親も夫の親も見放したくないです。
こちらの掲示板は高齢出産を希望される方たちの集まりなので
意見はどうしても偏りやすいと思います。
万人が集まる掲示板に書き込みした場合、もっと違う回答が
いただけると思います。
愛子さま…
私も、おっしゃりたいことよくわかりますし、共感いたします。
>周囲の人々の親、自分の親を見ていて、「自分は頑張った。だから報われて当然」と思っている人の多さに驚きます。そして、それが叶えられないと不幸感を強めてしまう。
子どもたちは、必死で親の願いを叶えようとするか、そういうものから目を背けて生きようとするか、極端な方向に行かざるを得なくなるように思います。
私も、父への援助を断ったとき、父から「冷たい娘だ」と言われました(^^;)
私は、父のために自分を犠牲にすることを拒んだわけですが、
もっと優しい子供さんなら、親に望まれた介護を拒否することはむずかしいでしょうね…拒否した場合は、良心の呵責に苦しむでしょう。どちらにしてもつらいですね。
先日、介護についてネット検索していたら、とあるQ&Aのサイトで、
「(祖父母の介護で苦労した)夫は、子供はいらないと言っているが(他人に尽くすのは懲りたからだそうです)、自分たちの老後を考えると、子供がいたら面倒見てくれたりして安心かなと…子供って必要でしょうか?」
といった内容の質問を見かけ、また、回答者も特に驚いたふうもなく答えていて、びっくりさせられました。
世の中の感覚って、こうなのかなあと…
愛子さまのご意見を思い出して、妙に納得してしまいました。
愛すればうまくいく、というのは、私も幻想だと思います。
というか、親がそう思ったら、うまくいかない可能性が高いですよね。
親は、自分のエゴで子供を産んだことを自覚して、自分が与えた愛情(と親が思っているもの)が、真に愛情だったのかという判断は、子供に委ねるべきと思います。
愛の名を借りた親のエゴに苦しむ子供は、確かに多いと思います(私もそうでした)。
カステラさま…
お父様の介護をしていらっしゃるのですね。
読ませていただいた限りでは、お父様との間に、複雑な感情をお持ちのようにお見受けしました。(読み違えていたらごめんなさい)
それでも、介護することを選ばれたのですね。
お優しい、責任感の強い方なのでしょう。
私には真似ができません…ほんとうに頭が下がります。
>どんなに自分は子供の世話にならないとがんばってみても、人生は何があるかわからず、明日突然事故で半身不随になるかもしれないし、2〜30年後の未来を想定して子供の世話にならない計画を立ててみても、それが必ずしもうまくいくとは限りません。
現に私の父は50代で失明しましたから。そんな人生父だって考えてもいなかったと思います。
そうなのですよね。
本当に、そのとおりだと思います。
ただ、その結果、子供が自分の人生を犠牲にする必要は、ないと思うのです。
利用できる制度は利用し、周囲にも助けを求めて、最悪「生活保護」のお世話になってでも、子供は自分の幸せを守る権利があると考えます。
カステラさまは、2歳のお子さんもいらっしゃるとのこと、大変な思いをされているのではないでしょうか。
どうかご無理のないように、お祈りしております。
親は、子供が「介護は子供の義務」と思い込まないように育てるべきですね。
自分のエゴで子供を産んだことを自覚し、なるべく子供の邪魔にならないように考える必要はあると思います。
でもね…私は、どんなに自覚がある親でも、知らずに子供を傷つけるって、あると思うのです。
私自身もです(もうだいぶ、やっちゃってると思います)。
ですから、「その結果から、逃げない」ことしかないんじゃないかと…
それさえ覚悟できるなら、授かる命は、勇気を出してどんどん生みましょうよ!と言いたいです。
結果を恐れるあまり、本来なら生まれ、輝くべき命が、そのチャンスさえ与えられないのは、悲しいです。
>そんなリスクに怖さを覚える、なんてこと考えてしまうのはいけないことでしょうか?
いけないことではないと思います。
ですが、出産同様介護に関しても、個々の家庭で価値観は違って当然ですし、そこに正しい答えなどないように感じます。
このような問いをされるのは、ご夫婦で意見の相違があるからとお察しします。これからのご出産に関して意見が違っているのかと。(違っていたら申し訳ありません)もし、そうであれば、他人の意見を聞くよりも、夫婦間で時間をかけて話し合うべき内容ではないでしょうか。私も親の介護をしていますが、周りを見ても本当に介護の有り様は様々です。それが介護を受ける側の親子関係における価値観の反映か・・と問われると首をかしげる事も多々ありますし、まして出産した年齢が関係しているとも思えません。今の世の中、子が先に亡くなり、孫が介護している老齢者(90代後半)も少なくないですから。あと、経済的なことに関しても、年収により生活ランクが違うように、かかる費用は少額から多額まで様々です。うまく介護制度を利用して、贅沢しなければそんなに費用はかかりません。上を見ればきりがないですが・・
介護に関しては他人が口出しできることではありません。
ご夫婦で話し合ってください。
たかしさん、横レス失礼します。
まこさん、こんにちは。
まこさんのおっしゃることはごもっともだと思います。そして、そういう考え方が、私の言う高齢ならではの知恵と優しさいうものだと思います。
私が批判しているのは、私が望んだから、愛したから子どもは幸せであるはず。愛された子どもは私の面倒を喜んでみるはず。それが子どもの幸せであるはず、という安易な思い込みです。
周囲の人々の親、自分の親を見ていて、「自分は頑張った。だから報われて当然」と思っている人の多さに驚きます。そして、それが叶えられないと不幸感を強めてしまう。
子どもたちは、必死で親の願いを叶えようとするか、そういうものから目を背けて生きようとするか、極端な方向に行かざるを得なくなるように思います。
高齢者自身が自分を律して、身近にいる高齢者と助け合うなら、子どもの心配も薄れ労力も軽減されるし、サポートすることも非常に楽になるでしょう。
高齢で子どもを持つのなら、自らを律する姿勢を培っていく必要があると、言いたいのです。
愛すればうまくいく、などというのは幻想です。親が「愛した」と思い込んで育てた子どもの多くが、今苦しんでいます。現在常識的と思われている子育ては、そんなにうまくいっているわけではないことも、自覚するべきだと思います。
親のエゴで子どもを生んでもいいでしょう。エゴというより、生物の本能です。
ただ、高齢で出産するなら、起こってくることを冷静に見極めて、高齢ならではの知恵によって対処していく必要があると、私は思うだけです。
私は現在目が見えない80歳の父親の介護中です。2歳の子供を育てています。
そして出した結論が「敬愛される親になる」でした。
どんなに自分は子供の世話にならないとがんばってみても、
人生は何があるかわからず、明日突然事故で半身不随になるかもしれないし、
2〜30年後の未来を想定して子供の世話にならない計画を立ててみても、
それが必ずしもうまくいくとは限りません。
現に私の父は50代で失明しましたから。そんな人生父だって考えても
いなかったと思います。
リスクを最小限に抑えることを考えて、
せめて否応なく親の介護に突入した子供が少しでも楽になるためには
どうすればいいのか、と考えた結論が
「嫌いな親の介護よりは、好きな親の介護のほうがいくぶんかましだろう」
ということです。
私は子供の世話になろうと思って愛される親を目指すわけではありません。
そもそも尊敬される親というものは、子供を自分の老後のめんどうを見させる
ためのものとは考えないでしょう。
我が家は老後の金銭的備えはもう十分にあります。
なので金銭的に子供に迷惑をかけることはありません。
だったら精神的負担も少しでも軽減させてあげたいと思ったのです。
妹ともいつも話しています。
「せめて父親のことが嫌いでなければよかったのに」と。
介護は金銭的・肉体的疲労以外にも、精神的疲労が大きいですからね。
いろいろなご意見読みました。
老人介護をしたことがないと、そのつらさは
わかりません。
カステラさんの意見などそうでしょう。
大好きな親の面倒を必死に見て、自分自身は
独身のまま年老いている息子、娘。
悲惨です。
親自身は幸せなのでしょうね。
愛子さま…
>子どもに愛されたい、子どもに面倒をみてもらいたい、子どもに幸福にしてもらいたい、そういう強い願望を持つ親は、子どもにとっては重荷でしかありません。
私の親は、まさにそういった親でした。
確かに、子供の負担は大きいですが、「重荷でしかない」わけではないですよ。
それでも生んでもらってよかった、と思っている私が、確かにここにいるのですよ。
私の父も、エゴの塊のような親の元に生まれました。
決して幸せな幼少期ではなかったようです。
でも、父は長じてから、とても素晴らしい仕事をしました。
父の仕事に対する情熱や姿勢は、尊敬に値すると信じています。
子供を幸せにする父親ではなかったけれど、父の仕事によって勇気を与えられた人は、世の中にたくさんいると思います。
世の中には、ひどい親に育てられ、傷つきもがき苦しんだ体験を昇華して、素晴らしい仕事をする人が多くいます。
小説家などに多いですね。
その体験を経たからこそ、他人に勇気や感動を与えることができる。世の中を、違った角度から捉えることができる。
決して、だから親が開き直ってよい、と言っているのではありません。
悲しいけれど、ひどい親は存在する。
だけど、運悪くそういった親の元に生まれても、その子供が必ず、絶望的に不幸で、打ちひしがれた人生を送る…わけではないと言いたいのです。
>望まれて生まれることが幸せだと言う人も同じで、親のエゴで親が子どもを必要として生む場合、子どもはそんなに幸福でしょうか。
そもそも、親のエゴでない出産って、あるのでしょうか?
親が決めて生む以上、「親のエゴ」という側面は必ず存在するのではありませんか?
あえて言ってしまいます。
出産は、親のエゴでしかないし、それで良いと思います。
私自身は36歳で第一子を生みましたが、若い頃は、「一生子供は持たない」と考えていました。
一番の理由は、「子供を幸せにできる自信がなかった」から。
両親との関係を、我が子とも繰り返すのではないか…という不安。
希望の見えにくい社会情勢。
いじめ、少年犯罪、虐待…たかしさんのご提議された、介護の問題。
どれもこれも他人事ではなく、子供の将来を考えれば考えるほど、「生まない」ことが正解に思えていました。
でも、自分自身の人生を肯定できるようになったとき、別の考えが浮かんできました。
「子供を幸せにする自信がないから生まない」って、どうなんだろう?
逃げているだけではないか?
第一、「子供を幸せにする」だなんて、おこがましいんじゃないだろうか?
私だって、幸せは自分で勝ち取ってきたじゃないか…
完璧な親なんていない。
子供が幸せに育つかどうか自信はなくても、生んでみる価値はあるのではないか?
どなたがおっしゃったか、「この子は私につながる者であっても、私の物ではない」という言葉を肝に銘じて、未来の社会の構成員を育てることに徹してみようと思いました。
自分の存在を、未来につないでいきたい。
それは、別に遺伝子でなくてもよかった。
「私という存在が影響を与えうる存在」に、私の命をバトンタッチしたかったのです。
生むからには、社会にその子を送り出すまで、できるだけのことをしよう。
親を必要とするなら、できるかぎりの援助をしよう。
なるべく早く、「親が要らなくなる」ような子育てをしよう。
子供が親を必要としなくなったら、なるべく子供の邪魔をしないようにしよう。
そして、何があっても、逃げないこと。
それから、親は親で自分の人生を大切にし、楽しく暮らすこと。
そう決心し、出産に臨みました。
昔から親たちは、自分のエゴで子供を生み、子供たちは、それぞれ不幸だったり幸せだったり、多様な人生を送ってきたのです。
「こうでなければ、幸せではない」「こうでなければ、子供を産んではいけない」「こうでなければ、愛情ではない」…
それを言い出したら、優生思想、選民思想にもつながりそうですし、子供の幸せを考える人ほど、出産を躊躇することになります。
わたしは、「そういうの、やめようよ」と言いたいのです。
そもそも、高齢出産を考える方は、私と同じようなことを、多かれ少なかれ考え、乗り越えたうえで決断をされたかと思います。
世の中のマイノリティは、自分の行為を「常識」という枠組の外から捉え直す必要があるからです。
そうして出した結論を、他人が「エゴだ」の「子供がかわいそう」だのと断じる権利があるのでしょうか?
愛子さま…
清水由貴子さんのことは、本当にお気の毒でした。
お独りで、全部背負い込んでしまわれたのですね。
清水さんの下さった教訓を生かして、親は子供に、
「弱音の吐き方」「他人の頼り方」も教えるべきですね。
「子供が犠牲にならなくてもよい方法があるのだ」と、そして、「介護を放棄するのは親不孝でもなんでもない」と。
私は、子供には、こう話そうと思っています。
「お母さんは、あなたが社会のなかで生き生きと活躍する姿を、愛する人と幸せな家庭を築く姿を、遠くから見ていたい。それがお母さんにとって一番の幸せなんだよ」と。
たいへんな長文・乱文、失礼しました。
読んでいただいて、ありがとうございました。
親の年金だけでは賄いきれません。
介護保険は家族が介護することを前提にその負担を減らす仕組みになっています。
親が十分な蓄えをもっていれば家政婦や有料老人ホームへの入居など子に負担をかけることは減らせます。
お金がない老後は惨めですよ。
子に頼るか、財産を処分して生活保護を受けるかですが
子ども達は自分たちの生活で精一杯で親をみる余裕はないでしょう。
きちんと自分の老後の将来設計をする必要があります。
カステラさんは、
>「お母さんの面倒は私がみたい」とごく自然に子供が思える親になることが、
子供が介護の苦労から解放される一番の方法だと思うのです。
と、おっしゃっていますが、
では清水由貴子さんのような場合は、どうなのでしょう。
親のことが好きで、自分で面倒をみたいと思う子どもは、みんな幸せを感じながら介護をするというのでしょうか。
親が死んでもそれを公にせず、年金をもらって暮らしていたという話を聞きますが、仕事を辞めて両親を介護した結果、親が死んで年金を受け取れなくなると、まったく生活できなくなるということもあります。
親のためにすべてを捨てたことによって起きた悲劇もあります。
高齢出産をするなら、思いっきり愛して思いっきり愛されたいなどという気持ちは、捨てるべきだと、私は思います。
望まれて生まれることが幸せだと言う人も同じで、親のエゴで親が子どもを必要として生む場合、子どもはそんなに幸福でしょうか。
子どもに愛されたい、子どもに面倒をみてもらいたい、子どもに幸福にしてもらいたい、そういう強い願望を持つ親は、子どもにとっては重荷でしかありません。
高齢出産は、子どもに負担をかけます。客観的にみて、それが事実だと思います。
ただし、年齢を重ねただけの知恵と優しさを親がもっているならば、その限りではありません。望んで望んで生んだわが子を、温かく保護し、厳しく教育していかれるでしょう。
そして、子どもが独立するときには、自分を律して子どもの自立を支援するでしょう。
親が、どうしても必要なところだけサポートしてもらう、そういう気概をもって、最期まで自分の人生をまっとうしようとするなら、その程度のサポートは、子どもにとってそれほどつらいものにはならないと思います。
そういう意味で、まさに親次第なのではないでしょうか。
高齢出産の場合、若年からの介護の可能性が非常高いのは事実だと思いますが、
介護が負担か負担じゃないかは、やはり親次第なんだろうとしか言えません。
若いから負担か、中年だから負担じゃないかではなくて、
親子関係が大きく影響するものではないでしょうか。
どんなに私は子供の世話にはならないと決めて、いろいろと実行していても、
人生には何があるかわからず、思いがけず世話になることはあるかもしれません。
なので私は自分の面倒は自分で見るとがんばるのではなくて、
ただひたすら子供を愛し育て、子供に尊敬される親でありたいと思います。
「お母さんの面倒は私がみたい」とごく自然に子供が思える親になることが、
子供が介護の苦労から解放される一番の方法だと思うのです。
嫌いな親の介護ほど、精神的苦痛はありませんからね。
介護を放棄するのも地獄、するのも地獄ですよ。
様々なご意見、本当にありがとうございます。
こんなに多種多様な意見を承るとは思いませんでした。
私の悪い所は考え込んでしまう部分。しかも一人で…
考え方が悪い方へ行ってしまうと修正がききません。
コレで私の意見が入ったから終わり!ではなく、
まだまだ、ご意見があればお聞かせください。
お願いいたします。
たかしさま、なんだかご質問と微妙にズレた内容で、スペースをいただいてしまってごめんなさい。
でも、
「学歴偏重の価値観と、子供の将来に関する悲観的な見方が、この国の少子高齢化の一因となっているのでは?(もちろんそれだけではありませんが)」
という危惧を常日頃抱いておりますので、もう少し言わせてくださいね。
超高齢社会さま…
>卵子提供を受けた議員も折に触れ書いていました
ただ親の自己満足であり希望的観測だなと
そうですね、親が言ったら自己満足かもしれませんね。
卵子提供に関しては、私も別の考えを持っています。
「望まれて生まれてきたことが一番の幸せ」という感情論だけで突っ走っていいほど、簡単な問題とは考えていません。(反対論者ではありませんよ、念のため)
でも、今回のテーマである、「高齢出産における親の介護のリスク」に関しては、単純に「子供を望むなら作ればいい」と思います。
介護の現場でも、今の社会情勢を受けて、子供に介護の負担をかけない方向に変わってきていることですし。
「望まれて生まれてきたことが一番の幸せ」という考えは、あくまでも、私が子供の立場で感じたことです。
きれいごとに聞こえるでしょうか。
長くなって恐縮ですが、また私の個人的な話をさせてください。
私の父は、一流大学卒で、この国のトップクラスの頭脳が集まる業界に就職しました。
会社の先輩や、現在活躍している元同僚の方々は、文化人としては名の知られた、そうそうたる顔ぶれです。
父は、趣味人で話題も豊富でしたが、学歴や才能のない人を見下す人でした。
それ以外の価値を認められない息苦しさに、私は父のもとを逃げ出しました。
自分のことが嫌いで、消えてしまいたかった。
何もできず、無為に過ごす日々が続きました。
(父の業界が傾いてきたのも、その頃でした。)
私が、再び生きる気力を取り戻したのは、何年かぶりに家に帰って、たまたま手にした古いアルバムでした。
若い頃の、希望と自信にあふれた父の写真。
そして、お腹の大きな、母の写真。
それから、膨大な数の、赤ん坊の私の写真が貼ってありました。
アルバム4冊分、全部、父が撮ったものでした。
それを見たら、なんだか、妙に腑に落ちたというか…
「ああ、私は望まれて生まれたんだな。こうして生きていていいんだな」と思いました。
父の愛情は、ペットをかわいがるような、子供をオモチャ扱いするようなものだったかもしれません。
でも、なんだか、「それでも、いいや」と…
そういう愛情しか注げない人なら、その愛情を拒否する必要もないではありませんか?
色々な人生があり、人にはそれぞれ限界があり。
愛情の形も、色々あっていい。
とにもかくにも、私はそれで勇気を得ました。
その後、父のいた会社は倒産、業界もすっかり勢いを失ってしまい、現在に至ります。
父との温かい交流は、残念ながら途絶えたままですが、少なくとも私は、充実した生活を楽しく送っています。
私が「学歴や経済力で、子供の幸福度が決まるわけではない」と思っているのは、こういった経緯があるからです。
それでも、「望まれて生まれてきたことが一番の幸せ」という考えは、親の自己満足、希望的観測にすぎませんか?
もっとおおらかに、自分の一部を未来につないでも、いいではありませんか?
最後になりますが、愛子さまのご意見、
>親が自分の始末は自分でつけるという気概を持っていて、きちんと計画を立てて最後の時間の過ごし方を考えていれば、そのサポートをする程度のことは、そんなにつらいことではないように思います。
共感いたします。そういう親になりたいです。
そしてmikanさま…
治療再開されるとのこと、応援させてくださいね!
新しい命が、mikanさまのもとへやってきますように…
お祈りいたします。
個人的なことを長々と書いてしまってすみませんでした。
いつだって生きていれば心配はつきものです。
それにそういうリスクは若くても高齢でも同じじゃないですか?
若くても突然の病気や事故がある。いつどうなるかわからないのですから……
私も高齢の親がもしかしたら介護が必要になるかもしれない。でも二人目が欲しい。とてもとても迷ってましたが、治療再開することに決めたばかりです。
たかしさんも、結婚や子どもを持つということに夢がおありなら
あきらめることないと思います。一度しかない人生なのですから。
やはり子どもの世話にならないよう健康に注意して、前向きに頑張ってください。
>とくめいさん
私も、まこさんと同じく教養=学歴とは全く思いません。
学歴があることはそれだけ努力されたということ、素晴らしいことだと思います。しかしながら、あなたのコメントは視野が狭く思いやりに欠けていて偏見そのもの。とてもショックでしたし悲しいもの、としか思えません。
たかしさん、こんにちは。
子どもに介護をさせることに不安を抱いておられるようですが、子どもにとってつらいのは、親にべったり依存されることです。
親が自分の始末は自分でつけるという気概を持っていて、きちんと計画を立てて最後の時間の過ごし方を考えていれば、そのサポートをする程度のことは、そんなにつらいことではないように思います。
子どものいない人でも、ちゃんと死んでいけるんですから、親の側の覚悟さえあれば、大丈夫だと思います。
とくめいさんの発言についてですが、修士課程を取るって、どういうことなんでしょうか。修士課程を修了した、もしくは修士号を取得したというべきでしょう。日本語が変です。
第一、いまどき修士号を取った程度で、そんなに自慢する人がいるものでしょうか。
どうですか、私は大卒ですと言われて、それだけでその人を尊敬しますか。教養があると思いますか。分数の計算もできない大学生がたくさんいると言われますが、たしかにそういう人は多いのです。
悲しい話ですが、「学生」なんて、ちんぴらの代名詞になりさがっていませんか。
大学院への進学なんか、就職ができないという程度の理由でする人も多いはずです。修士課程を修了した程度で学者とも言えないし、教養があると言えるほどのものではありません。
この方の文章は、まじめに書かれたものとは思われません。みなさん、そんなに気になさるようなことではないと思いますよ。
まこさんへのメッセージではありません
この掲示板でよく目にするフレーズです
卵子提供を受けた議員も折に触れ書いていました
ただ親の自己満足であり希望的観測だなと
学歴=向上心だと思います
向上心と努力がなければ機会があっても
修士や博士はとれませんから
さらに向上心⇒経済力となる可能性は高いです
とくめいさん
読んで驚きました、がっかりです。
世の中いろんな人生があります。
賢くても、学びたくても、その環境に恵まれない人だっているのです。
高学歴のあなたが、そんな考えをお持ちだとは。
どうか、その教養をいかして、お子さんには偏見のない教育をして頂きたいと願います。
前回のレスですが、仕事に追われながら急いで書いたので、ちょっと乱暴な内容になってしまった気がします。
補足させてくださいね。
まず、超高齢社会さま…
「望まれて生まれてきたことが一番の幸せ」という言葉を引いておられるので、私の投稿に関するコメントと受け取りました。
「それは親の願望」と書かれていますが、私は、子供の立場からの本音を書いたつもりでした。
伝わりにくかったかもですね。ごめんなさい。
とくめいさま…
学歴=教養とは、私は必ずしも思いませんが…
私は、教育が必要ないとは思っていないのです。
ただ、知人の例を出したように、本人が学ぶ気があれば、いくらでも道はある、と言いたかったのです。
その証拠に(?)、私は中卒ですが、現在大学生です。(大検を通って大学に入りました)
それと、私は、決して私の両親が正しかったと言っているわけではないのです。
正直、自分の子供には、私のような苦労はさせたくないです。
(そりゃあ、やっぱり、大変でしたもの^^;)
私自身は、子供の将来のためにできるだけ準備をしているし、介護をさせるつもりもありません。
ただ、マリーさん、Kusukoさんもおっしゃっていますが、人生何があるかわかりませんので、あまり考えすぎると、高齢でなくても、子供を作れなくなってしまいますよね。
私は、こちらのサイトで、さまざまな困難と闘いながら、真剣に子供を望まれている方々に、いつも勇気づけられ、胸を打たれてきました。
高齢出産を望まれる方は、あらゆる問題を熟考されたうえでの決断だと思います。
子供を、自分の欲望を満たすためのオモチャ扱いする方は、おられないと思うのです。
ですから、あえて、極端な例として私の身の上を書かせていただきました。
「親がこんな状況でも、以外と子供はたくましいですよ」とお伝えしたくて…
完璧に準備して子供を作ったって、人生どうなるかわからない。
でも、その時々に最善をつくせば、なんとかなるものです。
ちなみに、同居している義父は、もう80歳で、今後介護が必要になる可能性が高いです。
私には、4歳2歳の子供がいますし、仕事も持っていますので、今の時点で、介護をするかどうかは決めていません。
そうなったときに、状況に応じて考えようと思っています。
それで、いいんじゃないかなあ?
あまり「こうでなくては」と決めつけてしまうと、身動きとれなくなっちゃう気がします。
横レスです。トピ主さんごめんなさい。
「マロンさんへ」を読みましたが、私にはあなたもマロンさんも同じだと思えてしまいました。
高卒だからって教養がないわけではないですよね。
大学院で学んだからって教養があるんですか?
大学院で学んだことだけが教養ならばそうですが、違いますよね。
43歳で出産しました。経済的には困ってません。
私と同時期に、いとこが30歳で出産しました。理由は「子供がほしかったから」40台だと「子供がほしい」という理由だけでは子供は作れないのですか?
ちなみにいとこは大学中退、高卒です。彼女の旦那も高卒です。私から言えば、若いというだけで教養のない家庭に生まれた子供のほうが可愛そうです。子供はオモチャじゃないのだから、ちゃんとしっかりした親になるためにある程度の教養は身につけるべきだと思います。
ちなみに私の家庭は旦那、私共にに大学院で修士課程を取っています。知り合いの方はアメリカで大学院を卒業し、42歳で出産しました。昨年彼女の娘さんはハーバード大学で博士課程を取りました。
私は将来のために、自分の子供を無教養には育てたくありません。子供はオモチャじゃないのですから!
望まれて生まれてきたことが一番の幸せ
それは親の願望でしょうね
子どもの本当の気持ちは最後までわからないと思います
子は親に心配をかけまいと本心を語らないものです
心では泣いていても親の前では笑顔で安心させます
生まれてきてくれたことに感謝して
あとは子どもの選択にまかせましょう
自分の老後は自分で責任をもちましょう
Kusukoさん、マリーさんに賛同します!
そもそも、幸不幸は、子供が決めること。
「こうでなければ不幸」と親が決めつけることの方が、エゴだと思いますよ。
介護するかどうかも、子供が決めることではありませんか?
ちなみに私は、人生設計なんて全く考えていない両親のもとに生まれました^^;
現在、離婚した両親はふたりとも、無職無収入。
父は半身麻痺で、介護が必要な状態です。
二人の面倒は見切れないので、母の生活を、私と弟で支えています。
父は、申し訳ないけど国のお世話になってもらっています。
父の人生は父のものなので、父が幸せかどうかはわかりませんが…
子供の私は、幸せですよ。
両親からは、経済的な面以外で、たくさんの宝物をもらいました。生み育ててもらったことに感謝しています。
高齢の親は、望んで望んで、我が子を生み出すのです。
子供にとって、一番の幸せは、「望まれて、生まれてきた」ことにつきるのではないでしょうか?
そのことは、人間に計り知れない強さを与えてくれると思います。
ご質問の主旨からは少しずれますが、最近、「経済的なゆとりがないと、子供に十分な教育を受けさせられない、だから子供がかわいそうだ」的な論調をよく耳にします。
あまり子供を(人間を)馬鹿にするなと言いたいです。
もっと、人間の強さや柔軟さを、信じていいのではないでしょうか。
私は中卒で、ずっと親の生活を支えてきましたが、今やっている仕事は、子供の頃から就きたかった大好きな仕事です。
学歴も経済的援助もありませんでしたが、両親からは、人生を楽しむ方法を教えてもらいました。
それは、仕事上の人間関係や、逆境を乗り越えるうえで、大きな力になっています。
お金がなくて進学できず、芸大の窓から講義を盗み聞きして、有名なCMディレクターになった知人もいます。
人間には、マイナスをプラスに転じる、したたかな強さがあると思います。
まわりから与えられたお仕着せでないそういった経験は、ゆるぎのない、「生きていく力」になります。
望んで望んで我が子を手にしたら、その子が幸せに育つよう、親は最大限の努力をするでしょう。
あとのことは、ケ・セラ・セラ^^
なんとかなりますよ。
大丈夫!
私の義母は75歳で98歳の母を看取りました。
最後の10年は施設にいました。
義母にとっては自身の夫の介護と98歳の母親の介護が一緒でした。
夫が先に他界し、母親がその1年後に亡くなりました。
人生には様々なケースがあり、自分では選択できないのだと
思っています。
働き盛りの介護も、老老介護もどちらも大変だと思います。
父が生きていた頃、仕送りは10万ほど、現在も多少送っています。
子供に迷惑をかけるという点では、
高齢でもそうじゃなくても起こり得ることだと思っています。
高齢で産んだから子供に迷惑をかけるというリスクは
もちろんあると思いますが、
備えをきちんと考えていたら、子供への負担は減らせるかもしれないと
思っています。
高齢で子供をもった=子供に介護がついてくるではないですよ。 自分の幸せだけ考えているような人は高齢で出産しようだなんて思いませんし、自分の幸せを子供を産んで満たそうなんて思って高齢で産んでいる人は見たことありません。ずっと望んで望み続け生まれたら世界一幸せにしたい、そう願いつづけていることに、年齢は関係ありませんよ。
年齢という視点からだけみたら、他の子供より将来の介護率は高いかもしれませんが、それだけのことです。誰が将来介護をするかなんて、親の年齢で判断できませんし。
私自身も親が高齢で(末っ子なので)産まれた子です。今まさに介護している身ですが、介護=不幸ではないですし、むしろ親を身近で見守れることに感謝です。勿論苦労は言ったらきりがないし、疲れたってことはないとは言いません。でも、どんなに大変でも近くにいられることは本当に幸せです。介護についての考え方や生活のしやすさみたいなものはこれからもっともっと変わって行くと思います。
それから、高齢で出産すると、元気に長生き率高いみたいですよ。同じような年齢の親をでも、子供の世話にならずにしゃきしゃきしてる人も結構いますしね。
つまり、親の年齢だけで、子の将来が決まるわけでも、子供の幸福度がきまるわけでも、介護必修でもないのですし、介護=リスクでもありませんよ。
子供の世話にはならないぞ〜なんて意気込んでもいいですしね。
あなたが子供に慕われるような親であれば、子供は介護を恐れる、、、ということはなく、自ずとしたくてするのではないでしょうか?
その遊べる、仕事、楽しむ時期に、介護が必要となり介護をするかどうかは子供が自分で選択すると思います。ので、お断りされるかもしれませんよ。世の中そんな親子関係いっぱいあります。どちらにせよ、子供が自分で選んだことであればそれはそれでいいのではないかと思います。
あなた様がご両親を介護し続けたのは、ご両親に恩があり自らの意思で受け入れてのことだと思います。それ以前に恐れていたのでしょうか?
余談ですが私自身のことをお話しますと、私はアラフォー。母は50代。
子供の頃から、誰の母よりも若い母でした。が、性格、素行が異常で攻撃性が強く、世の中で母以上に嫌われている人間をみた事がありません。若い頃から(20代〜)周囲の人間に石を投げる暴言を吐くなどといった行動をとるので、介護は必要ありませんが「監視」が必要な母でした。(詳しくは、あなた様の投稿の3つ下の投稿「産後、穏やかに子育てをするには〜」)に書いてあります。
そんな私からすれば、老いや病気で介護が必要なことくらいなんてことありません。私は子供の頃からクラスの友人に何度も謝ったり、先生に色々質問をされたことがあります。介護の方がぜんぜんいいです。高齢でも老年でもなんでもいいので性格が普通の母親が欲しかったです。
私は母の介護はせず、違う形で援助をするつもりです。
まずは健康管理、お金を貯める、知り合いを多く持つなど、頼る事がないように出来たら良いですね。
子供が自ら介護を受け入れるような親子関係であるならば、それはそれでいいじゃないですか。
こんにちは。
私は高齢出産の両親の元に生まれた一人っ子です。
私も高齢出産で、38歳で第1子を産んだとき既に78歳だった母には子育て面ではあまり頼れませんでした。
第1子が1歳半の頃、母が急に具合が悪くなり、子どもを抱っこしながら母をタクシーで救急病院に連れて行ったりしたこともあります。
でも、介護する、という段階にはいたらず、要支援2の状態のまま、突然死しました。
老いていく母の生活の手伝いをしていたので、なかなか第2子を持つことに踏み切れませんでしたが、このままだと母を恨むことになると思い、思い切って42歳で妊娠して、出産を控えておりました。
父はまだ私が20代の頃、早死にしました。
ですので、私は両親を送りましたが、介護はしていません。誰しも介護が必要とは限らないのです。
そして、私の将来ですが、もちろん子どもに介護の苦労は掛けたくないと思っていますが、どうなるかはわかりません。
老いていくときは心細いですし、ある程度子どもを頼る部分も出てくると思います。
最後まで自立して暮らしていた私の母もそうでしたから。
私は母を手伝えてよかったと思っています。
ですので、介護が必要にならないように努力しながら生きましょう、としか言いようがないです。
12年も親御さんを看ていらしてる方のお気持ち、想像を超えた辛い経験をお持ちだと思います。
私は、45歳で出産しもうそろそろ50歳になります。
そりゃ〜、高齢の現実に脅かされることもたびたびあります。
でも、マリーさんのレスを読んで、心が明るくなりました。
と同時に、夢と自信にあふれる気持ちになりました。
今自分に与えられている現実を懸命に生きること、それに尽きますね。
幸い、私はこんな高齢で子どもを授かり、周りの人たちはみんな喜んでくれ、私たちの将来のことを考えてネガティブに言う人は誰一人いません。
マリーさんのおっしゃるように、「幸運にも授かった命だから育てる」、それだけですね。
人間は何のために生きているのか・・・ってことを考えると、それは「感動するため」と応えたいです。
苦労も辛いこともたくさんあるけど、夢を持って少しでも感動することが多い日々を送りたいものですね。
12年に及ぶ親御さんの介護は辛いだけでしたか?
親の介護は自分の人生を犠牲にするだけのものでしたか?
もしそうであれば、お子さんが産まれたとしても、辛い介護をしている親(貴方)の姿をみて育ったお子さんは、貴方の介護をしたいと思わないでしょうね。貴方自身も辛いだけの介護を、自分がした辛い体験を大切な子供にさせまいと、自立した老人になるために今からやるべきことがあるでしょう。
もし貴方が親の介護を大変ながら充実してやり遂げ、自分の人生を豊かにしているのであれば、それを見て育ったお子さんは、きっと何の疑問も持たずに親の介護をするでしょう。田舎に多いパターンですけど、孫が祖父祖母の介護していると言うのも結構あります。介護が生活の一部になっているのでしょうね。
私の親はまだ介護を必要としていませんが、私自身は子供に介護してもらうとは全く考えていません。というか、子供に介護とかって期待するものなんですね。老人ホームに入る時の身元引受人にはなってもらおうと思ってますが。
ちなみに私は、子供に苦労かけないように、生命保険、医療保険はしっかりしたものに入り、毎年人間ドックを受け、健康管理のためにスポーツジムに通い、食生活に配慮してメタボリックなどには絶対ならないように気をつけています。煙草はもちろん、酒も嗜む程度に止めています。趣味をもち、子育てや家庭から離れても生き甲斐を持てるようにしています。もちろん老後のための貯蓄もしてます。
私の場合は、ですけどね。
今はいない子供に今から既に介護してもらうつもりでいて、でも介護で子供の大事な青春を犠牲にするかもしれないって言う心配が貴方を捉えて離さないのなら、初めから子供を持たないって選択肢もありますね。悪くない選択だと思いますよ。
人それぞれですね。
こんにちは。
まずは、若い時からずっと親御さんのお世話をされている
トピ主様に、頭が下がります。
いろいろと大変なことがあったと思います。
お尋ねのことですが、トピ主様はどうでしたか?
若い時から親御さんのお世話に追われる自分の人生は
やはり、お辛いことばかりでしたか?
そう思われるのであれば、自分のお子さんを同じ目に
あわせたくない。そう思われるのは当然のことと思います。
いけないことなんかじゃないです。
でも、だからといって、自分の夢をあきらめることは
ないと思いますよ。
人間に生まれた以上、誰にだって幸福を追求する
権利はあるし、それが反社会的であったり
法に触れるものでなければ、誰もそれを邪魔することなど
できないはずです。
もちろん、お子さんができるだけ健やかに生きられるように
親としてできることをする。それでいいと思います。
マリーさんのおっしゃられるように、寝たきりにならないよう
努力をするとか。
最後に、横レスになりますが、マロンさん。
あなたのようなご意見をお持ちの方って、この高齢出産の
掲示板でも時々見かけますが、
そもそも、若く、経済的にも何も問題なく
この世に赤ちゃんを迎えることのできるご夫婦って、
特に、このご時世、どのくらいいることでしょう(苦笑)
たとえば、一流企業にお勤めのご主人が明日リストラに会うかもしれない。
奥さんが若くしてガンで亡くなるかもしれない。
いやいや、明日大震災が来て、両親とも亡くなるかもしれない。
「高齢出産で子どもをほしがるのは、エゴを満たすための自分勝手な行為」
「それなりの安定した経済状況がないと生まれてくる子どもがかわいそう」
こういう考え方って非常に一面的だと思いませんか。
マロンさんだけじゃなく、こういうご意見をお持ちの方すべてに言いたいです。
あなた自身、親の介護を12年間してきたから、その大変さを知って将来、自分の介護を子供にさせるくらいなら、子どもを持ちたくないかも・・ってことでしょうか・・
授かる命なら、産まれてくる命なら、育てていいんじゃない?
将来どうなっているかわからないし・・
もしかしたら、明日、交通事故で死ぬかもしれないし、
数年後に人類滅亡かもしれないよ・・
今を懸命に生きる。
今日一日が充実した一日になればよい。
しかし、ただ漫然と生きるのではなく、目標を持って、夢を持って・・です。
その目標・夢の実現のために、今何をすべきか考え・行動する。
すると、おのずと道は開かれます。
親の介護をしているあなたが子供が欲しいと願い、仮に配偶者に子供が授かったとしましょう。
私なら、こう考えます。
「この子は、天が私に育てなさいと授けてくれた。私が子供が欲しいと願ったから、授けてくれた。この子を一生懸命に育てよう。どんな大人に育つかわからないけど。たぶん、この子が育つのに適した環境が我が家なのだろう。だから、我が家にやってきた」と。
たぶん、あなたが願えば、「親の介護などの経験を積んだあなたの元なら・・」と、つまり、神様が厳選した子供を「あなたになら」って、授けてくれると思いますよ。
その子が将来、あなたの介護をする運命になるかどうか・・それはわかりません。あなたがすべきことは、病気にならないよう、健康管理をちゃんとし、年取っても、足腰が衰えないよう日頃から運動を適度に続けることだと思います。
将来のことはわからない。でも、子供を持ちたいという夢は持っても良いと思います。
夢のある生活って素敵ですよ。
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賛否両論…こんなにお返事を頂けるとは
本当に驚きです。
書き込みを読ませて頂いて少しずつ
考えも変わりつつあります。
また、良く考えてみます。
ありがとうございました。