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神様は本当はいないんじゃないかと思います。
もしも、いるなら神様って本当にいじわるで
人の運命もサイコロを振って決めているのではと思っています。
どんなに努力しても子が授からない人は、
人格的に問題があるとか、母性が足りないのではなく、
「たまたまそうなってしまった」だけなのではと思っています。
努力したかしないかではなく、他にやるべき事があるからでもなく、大した理由も原因も本当はないのではないかと思います。
私はできなかったから単にそう思いたいのかもしれませんが、
授からないことに悲観もしていません。
人間は何か他の人より足りないことに理由づけをしたがります。
本当は理由も理屈もなく、自然な流れの一部に過ぎないのかもしれないですね。
江原さんの考え方にも私は賛同できないので番組もあまり見ません。
まとまりのない文章でごめんなさい。
- 自然に任せて - こころ - 2006年12月27日 19:41:44
- 皆様ありがとうございました。 - ゆつこ - 2006年12月26日 12:33:05
- そうだよね - チョコロール - 2006年12月25日 21:08:44
- 本を読んで考えた - さんごみずき - 2006年12月25日 20:30:45
- こんなことを思ったりしています。 - さき - 2006年12月25日 18:55:02
- 主人言われたこと - 京女 - 2006年12月25日 11:29:45
- 彼がよく使うせりふです - スアロキン - 2006年12月24日 17:05:50
- たとえいたとしても、 - ばくれつさん - 2006年12月24日 16:57:25
私、実は、皆様からたくさんの苦情の嵐を受けるかと思っていました。
似通った考えの方が一人でもいてくれた事に感謝します。
私は、以前は努力した後、神様にお願いすれば願いは叶うと、安易に思っていました。
ですから、子宝神社にたくさん行き、心底懐妊を願い、治療も一生懸命続け、それ以外に民間療法、何でも試しました。
それでもだめなので、夫と仲良く過ごす時間をとても貴重に思うようになりました。心理的な治療です。
諦めたらできる!と聞けば、諦めるように努力しました。
でも、どれも妊娠には結びません。
ある日、江原さんの番組を見た時、自分に子供が授からないのは母性が欠落している暗示だと説いているのを見ました。
その時、「それ、違うだろ!」と心の中でつぶやきました。
前世が何であろうと、子供が嫌いであろうと子供を授かる方は授かるし、たった一度でも妊娠します。(すみません、乱暴な言い方で)
事前に何か学びのテーマがあるから、そのような試練を与えられるのではなく、何かを経験した後は、教訓としてそれを学習することなのだと思います。
子供を授かることができなくても自分のせいではない。
努力は大切ですが、できないのは努力が足りないのではなく、すべて花や木と同じ、自然のことですよね。
医学的、あるいは科学的に言えば、地球上の人口増加を警告して、もう、これ以上かかえきれない地球に対し、遺伝子が「もう増やす必要はない」と察し、人口を調節しているのかもしれません。高度成長期の頃の「産めや増やせや」の時代は終わったのかもしれません。
神がいるとすれば、海や風や空気など、森羅万象のことを象徴的に言って、正しい生き方を説くために大昔の人が説いたのだと思います。
長々となってしまいましたが、聞いてくださった皆さま、ありがとうございました。
来年も良いお年をお迎えください。
ゆつこさんの仰りたいこと、よ〜く分かります。
私の考えも、ゆつこさんと似ています。
私は以前KLCに通っていたのですが、ここは本当にDRYなクリニックでした。
妊娠した時も、そっけなく一言「おめでと」。
流産した時も、たった一言「残念だったね」。
でもある時、待合室でいつものごとく数時間待たされているときに、何かふと、悟りのような物を感じたのです。
それは、人が妊娠することは「自然なこと」、流産することも「自然なこと」、そして子どもが授からないことも「自然なこと」、全てが自然の流れであって、何一つ特別な事なんかない、という物でした。
先生や看護師さんたちの、あのDRYな態度は、もしかしたらそういう事を言いたかったんじゃないのか、とさえ思ったのです。
その考えが頭をよぎったとき、ふと心が軽くなったのでした。
すみません、私も何が言いたいのか分からないレスになってしまいました。
ゆつこさん、はじめまして。
この夏、つらいことがあったときにたまたま遠藤周作の本を手にし、そのときの自分の気持ちにフィットしたのか、3冊立て続けに読みました。
その本を通じて、自分なりの神様観というのか、いろいろと考えることが多くありました。私が思っていることはあえてここでは書きませんが、本の紹介をしておきます。
本屋さんで立ち読みをしてみて、もし、フィットするようだったら読んでみるのもいいかもしれません。
「侍」新潮文庫
「悲しみの歌」新潮文庫
「深い河」講談社文庫
1冊だけ、というなら、「深い河」がいいと思います。また、「悲しみの歌」は「海と毒薬」を読んだことがないと、わかりにくいかもしれません。
ちなみに私、江原啓之、大嫌いです。
ゆつこさんの言いたいことわかります。
人は、何かしら理由づけをしたがるもので、本当は「たまたまそうなっただけ」かもしれないのに。
今年は私にとって一番悪い年ではないかと思うくらいの年で、起こった悪いことは、「たまたま」かもしれない。でもそのたまたま起こったかもしれない悪いことというのは、やはりツラいわけで。そんな時、私はこんなことを考えたりします。
この世に偶然などなく全ては必然だという話しもありますよね。それから、この体は借り物で、本来はスピリチュアルな存在だと。よくわかりませんが、でもそう思うことによって、自分自身を客観的に考えることができてツラい思いとかが少しは軽くなるような気がしています。
神様はいるかなんてわかりません、江原さんの本とか好きで読んだりしますが本当かどうかなんてわかりません、必然てことはなくて、人生なんてたまたまの連続かもしれません。
でもやはり、努力すること、前向きなること、いい言葉を発することとかは大切なことで、それによって、いい運がめぐってきたり、いい方向に進んだりすることはあるのではないかなと思っています。
ゆつこさんの投稿をみて、なんだか今思っていることを書いてみたくなりました。
主人に時々言われます。「ヒステリックな性格だから、神様の計らいで子供が出来ないのかも」と。別にヒステリックではなく、我慢せず嫌な事はことはお腹に貯めずその場で解決する性格なのです。例えば夜の10時過ぎに台所で家事するのが嫌でぶーぶー文句を言います。その度に主人は上記のことを言って私を非難(意地悪心で)します。普段は優しい夫ですが、人の気持ちが分からず意地悪を言います。私は別の日に別の形でしっかり仕返しします。これもストレスが溜まらない為の自己防衛。それでも、私達はとっても仲のいい夫婦です。
私も神様が意地悪しているとは思いません。自然の流れだと思います。知り合いで、ある健全な初老夫婦が、昔子供2人目を希望しましたが、何故か出来ませんでした。彼らは、自然の流れだからと言っていました。私も支離滅裂の文章で申し訳ありませんが、主人に言われたことを思い出して、つい出てきてしまいました。
「神様なんていない」というのは今つきあっている彼氏がよく口にするせりふです。
私には貧乏神や疫病神がついてるから、つきあわないほうがいいと言ったときも、娘は妊娠したのに、私はコウノトリにも神様にも無視されたと言ったときにも、この言葉で彼は私を慰めてくれました。
彼は私の知る限り、良き夫、良き父親に一番なれそうな人なのに、45歳の今も独身です。それなりにつきあった人や結婚一歩手前までいった人もいるのに、「どうしてかしら?」と私がつぶやくと、まさにゆつこさんがおっしゃっている「たまたまそうなってしまっただけ」と答えました。
彼は独身の身を嘆いてはいませんし、「独身だったからこそ、今こうしていっしょにいられるんじゃないか」って笑って言ってくれます。高校の同級生だから知り合って28年にもなりますが、つきあうようになったのは昨年からです。
たまたま高校時代つき合っていた恋人と同じグループにいて親しく話していた、たまたま同じ大学に2年遅れで入学し元ダンナのいたサークルの後輩になり、あらゆる冠婚葬祭の場面で一緒になることが多かった、たまたま高校の同窓会でもよく会ってた、そして、たまたま彼は半年前に彼女と別れたばかりで、私が離婚して1年たった頃、同窓会で親しく話す私たちを見て、たまたま同席した同級生男子が「一緒になればいいのに」と言ったひとことでつきあうようになった・・・元ダンナとのあらゆる負の状況もたまたまそうなっただけと思えば、あきらめもつきます。
ただ、それでも私は彼の子供を望んでいるから、心のどこかで神様でもコウノトリでも招き猫でも信じたいというのが本音かな?
すみません、なにが言いたいのかわからないようなレスになってしまいました。
神様がいたとしても、すべての人に施してくれるわけではないと思います。
ゆっこさんの言うとおり、どんなに努力しても授からない人はいるわけで、
そんなところに人格や母性なんか関係ないと思います。
前世の行いが悪いと現世で不幸になると言われますが、そんなこと責任持てませんよね。
人がいろんなことに理由付けしたがるのは、ひとえに諦めるための材料としたいからでしょう。
理由なんかない、と考えるのも、ひとつの材料だと思います。同感です。
必要以上に自分を責めることはないと思います。
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ゆつこさん
私も同じような考えに行き着いた1人です。
チョコロールさんと同じく、私もKLCに通院していたのですが、あまりにもDryな反応に毎回傷ついたときもありました。ダメなときの理由を聞いても、「わからない」とはっきり言われたこともあり、こんなにお金を払っているのにわからない、は無いだろう!と思ったこともあります。
何度も移植が上手く行かなかった際、夫婦で先生からの説明をお願いした際、「結局、ロシアンルーレットだから、ある程度まではやってみるしか無い」といわれたこともありました。何か、もう少し言い方があるだろう、と思ったのですが、そのストレートさに返って納得感がありました。
現代の不妊治療は医療ではなく、まだ技術なのだと思います。医療には治療が上手く行かないと、原因究明などをしますが、技術の発展には、試行錯誤、ひたすら試して上手く行ったらそれが成功、という方法が一番近道なのかもしれません。
だから、毎回の結果に意味を求めること自体に疲れないようにしよう、と私はある日思いました。。。
一つの考え方かもしれませんが、ゆつこさんが思っている気持ちと似たようなものの気がしましたので書き込みしました。。
この季節、風邪やノロウイルスが流行っているのでお大事になさって良いお年を。。。