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はじめまして。
私は36歳になり7月21日に19週で性別不明の赤ちゃんを死産しました。
5週のときに扁桃腺からの風邪で急性副鼻腔炎になり7週の時に
りんご病になったかもしれないという不安を抱えていましたが、
病院でも特に異常は見られないということで何とか安定期に
入っり安心していました。
心音が聞こえないといわれたときは本当に頭の中が真っ白になり、
涙が止まらないでした。
赤ちゃんのお腹の中には水がたまった状態で死後10日は経っていた為、
緊急入院しました。
すぐに子宮を広げるお薬をいれ次の日出産。
私自身喪失感で生んであげるという気持ちがなくなっていたために
気が遠くなる痛みとの戦い。
今から思えばもっともっと赤ちゃんは苦しくて悲しい思いをしたんではないかと思います。
それなのに私は生んであげようという気力をなくしていたと思うと申し訳ないのです。
もう3ヶ月以上経っているのに涙があふれます。
次に進もう、前向きにと友達の前では明るく振舞ってますが、
心の中は空っぽというか・・・。無理に明るくしてるのが疲れるときがあります。
時間の経過が薬と思っているのですが、出産予定日が近づくのがまた寂しさを感じます。
同じ時期に産まれるという友達のお腹を見るといたたまれないのです。
早く妊娠したいと言う気持ちと怖いと思う気持ちが交じり合っている状態です。
神様は私にこんな経験をさせて本当に残酷です。
死産を経験した方、どのように立ち直ったかアドバイスお願いします。
読んでいただきありがとうございました。
- 生きる中に希望は大切! - なおゆうぎ - 2006年11月18日 20:04:06
- みなさま - れいなお - 2006年11月18日 17:18:57
- れいなおさんへ - ぶう - 2006年11月18日 16:18:03
- ぶうさんのご意見について - たんぽぽ - 2006年11月17日 20:53:23
- ぶうさんへ・・・ - ちかあき - 2006年11月16日 23:57:59
- 横レス、すみません。 - さんごみずき - 2006年11月16日 21:34:53
- 追記。 - ぶう - 2006年11月15日 12:41:00
- ちかあきさんへ - ぶう - 2006年11月15日 11:54:53
- 思った事です。 - ちかあき - 2006年11月14日 21:47:29
- 大丈夫!乗り越えられる - ぶう - 2006年11月10日 22:17:32
- みなさんありがとうございます。 - れいなお - 2006年11月10日 19:52:52
- 追伸です。 - さんごみずき - 2006年11月10日 16:03:26
- 私自身死産を体験したわけではないのですが - たまきち - 2006年11月10日 14:09:04
- 乗り越えなくてはいけないかなあ - 匿名 - 2006年11月10日 12:58:11
- 死産ではないのですが・・(長文です) - さんごみずき - 2006年11月10日 11:10:28
- まだまだ頑張れますよ! - logic - 2006年11月10日 01:53:30
- 私も同じです。 - 康希ママ - 2006年11月 9日 23:43:51
- 大丈夫 - やきいも - 2006年11月 9日 19:02:18
こんにちは。
いろんなご意見ありがとうございました。
今感じていることを少し書きますね。
私自身、今は時間を自分でストップさせています。
でも長い人生のかなでこの悲しく辛い経験をした事
をこの先どう感じるかはこれからの私の生き方で
いろいろ変わるのではと思ってきました。
なので私は進むことを決心しました。
もしかしたらまた悲しいことが何回も繰り返されるかも
しれません。でも、でも後悔したくないと思うように
なったのです。
ぷうさんが赤ちゃんはれいなおさんを苦しめるために
来たのではないと言う事を書いていただきました。
ちかあきさんは長い時間かかっても、その人なりに
あがきながら生きていけば、心から悲しみは消えなくても
少しづつ笑顔がでてくるでしょうと書いていただきました。
さんごみずきさんには悲しみの形が時間とともに変化し、
ずっと自分の一部分として、大切な物として、ともに
生きていこうという感覚になっていますって書いていただきました。
全部身にしみた言葉です。
もう36歳とおもってましたが、まだ36歳と思いたいし
まず不妊のクリニックに行って不育症の検査受けようと
思ってます。みなさん本当に温かい言葉ありがとうございました。
検査がんばってみます。そしていつか赤ちゃんを抱けること
を希望とします。
みなさんもがんばってください。
私の発言のせいで、横レスが多くなってしまってごめんなさい。
わたしは、<死産を経験した方、どのように立ち直ったかアドバイスお願いします。>という、れいなおさんの発言に対して、自分の経験をお話ししたかっただけなんです。
ちかあきさんへのコメントと次のコメントの、掲載停止または削除をお願いしましたが、出来なかったようで残念です。
本当にごめんなさい。
れいなおさん、横レスすみません。
ちかあきさん、最近はいかがですか。きちんと食事されていますか。
ぶうさんのご意見は、ちかあきさんにとっては、お辛かったかもしれませんね。お子さんを亡くされた方は、次のお子さんを授かることに、希望を見出して、なんとか生きておられることと、お察しいたします。
私には、同じような経験はありませんので、何もいえないのですが、ぶうさんが悲しみから立ち直られる過程を、ずっと見守りたいと願っていました。
ぶうさんの悲しみの深さ、嘆き、怒りを私自身も多少の痛みを感じながら見てきて、ぶうさんが、乗り越えたとおっしゃることに驚きを隠せません。
あんなに深い悲しみから、どうやって立ち直られたのか、正直のところ、よくわからないのです。
推測ですが、ぶうさんは心からお子さんの死を悲しみ、どうしてお子さんがきてくれたのか、そして、こんなに早くこの世を去ったのか、天国のお子さんと心の中で会話を続けられたのだと思います。そして、ぶうさんがおっしゃっておられますが、お子さんからのメッセージを受けられたのだと思います。
たとえ、人の目から見れば、どんなに短い一生であっても、十分に生きたし、十分に幸せだった、そういうお子さんの言葉を感じ取られたのだと思っています。
温かい母胎に包まれて数ヶ月を過ごすだけで、両親の温かい愛情を感じるだけで、十分に生きたと感じる魂もあるのではないでしょうか。
お子さんが、生まれることができなかったのだ、一生を全うできなかったのだと思うと、そこには哀れさが残ります。しかし、十分に精一杯生きたのだと感じられたとき、たとえ子供であっても、高齢者を見送るときのように、尊敬と感謝の気持ちで送ることができるのかもしれません。
私には、わからないことなので、また傷つけてしまったらすみません。
ただ、お坊ちゃんは、本当にご立派だったし、私なんかより、ずっと深く人生を生きられたのだと、尊敬しています。
ぶうさん、こんにちは。
私も、ぶうさんの様に立ち直れる日がくると信じたいです。
その日が来たらきっと、ぶうさんが言ってた事がこれなんだなぁ
と感じるのでしょうね。
私は次の子どもを望んでいます。
それが私の望みです。
私は子どもを生む事が1番よくない事とは思っていません。
生まない人も、生めない人も知っています。
もう2度と辛い思いはしたくない、次の子どももまた亡くして
しまうのでは・・・と思って生めないと言っています。
そう考えてしまうのもしかたないね・・・って思います。
これもひとそれぞれですね。
仕事もしても私はいいと思っています。
私は子どもを亡くした親の会に入っています。
毎日その人たちとメール交換し、たまに会ったりしています。
仕事して、家事して、趣味をして・・・
その中でも息子への思いは忘れてないし、突然悲しくなったり
もします。
でもこうやって生きていくのもいいと思っています。
息子から得たものは、まだ全てはわかりません。
まだ、息子の死を認めたくないんです。
息子がくれたものは、日々生活していく中で
実感していくものだと私は思っています。
今の仕事にめぐりあえたのも、息子がくれたプレゼントだと
思っています。
障がいをもつ子どもさんのママ友をくれたのも息子、
いろんな世界がある事をおしえてくれたのも息子、
それらは毎日生活していく中で、1つ1つそう思えるように
なりました。
そのたびに(○くん(息子)、ありがとう)って言います。
息子が残してくれたものを1度にわかろうとは思っていません。
毎日の生活の中で、ゆっくりとじっくりと私は発見していく
んだな・・・って思います。
会のメンバーには、いろんな思いをかかえた方がいらっしゃいます。
とても苦しんで後悔して自責している人もいます。
毎日悲しみの中で生きておられます。
その人なりのペースで悲しみとつきあっていくしかないんですよね。
私はその人の話を聞いてお返事して、また返事がきて・・・
解決はしないけれど、それだけでも(今日は眠れそうです)って
言ってくださいます。
逆に私も支えてもらって(私も同じだよ。辛いね・・・でも
一人じゃないよ)って言ってもらって今があります。
ぶうさんの様に立ち直れる日が私には遥か遠そうだけど、
とても回り道で何年もかかるかもしれないけれど、
それでいいって思います。
息子の死でいろんな事に敏感になり勝手に傷ついてしまうように
なって、ぶうさんの言葉にも過敏に反応してしまいました。
同じ子どもを亡くすという体験をしているからといって、
それからの気持ちの持ちようや考え方は、
その人の性格やまわりの環境などでかわりますものね。
人それぞれ違いがあって当然でした。
それと、<配慮を求める前に>というスレッドは、
私よく理解できませんでした。ごめんなさいね。
れいなおさん、横レスしてすいませんでした。
れいなおさんが、日々少しづつでも元気になられますように・・・
私にはちかあきさんの気持ちがわかるような気がします。
悲しみの受け入れ方について
一般的に、回復の過程では悲しみを受け入れることが重要だといわれていますが、その受け入れ方は本当に人それぞれだと思います。年齢、赤ちゃんを失った状況、家族や友人の環境、今までの人生経験など、誰一人として同じ人はいません。ある人にとって良かった方法が他の人にも良いとは限らないのです。
その方法こそ、自分の気持ちに素直に耳を傾けて、苦しみながら見つけていくものかもしれません。もちろん、他の人がどのようにしたのかを参考にするのは役に立つと思います。(だから、私は先のレスで具体的に書かせていただきました。)でも、結局、自分で選択していくしかないのではないでしょうか?
乗り越えねばならぬものか?
自分がこのような経験をするまでは、「悲しみを乗り越えて」という表現に全く違和感を感じませんでした。しかし、今は違います。悲しみの形が時間とともに変化し、しかし、ずっと自分の一部分として、大切な物として、ともに生きていこうという感覚になっています。こういう感覚も、人それぞれなんでしょうね。
ぷうさん、ごめんなさいね。
>苦しみよりも、成長させてくれたことの方が多いと思いませんか?
この一言は、苦しみのさなかにいる人にとって、とてもつらい言葉のように感じてしまいました。成長したかどうかは、後で振り返って見ることができるようになって初めて感じられるものではないでしょうか?「私はこの経験をした結果、成長したと思う」というような表現なら、受け入れやすいのですが・・・。
私は亡くした当初、元気になられた方のヴィジョンがとっても欲しかったんですよね。。。
なので、私の経験がヴィジョンになればと発言しました。
立ち直りのモデルケースの一つという、参考になれればと思っています。
<配慮を求める前に>というスレッドも見ていただけたらと思います。
れいなおさん、横レスごめんなさい。
ちあきさん、お久しぶりです。
ちかあきさんを追い詰めてしまったのであれば、申し訳ないことをしたと思います。
ごめんなさい。
あなたを責めるつもりはありません。
あなたはあなたのペースで悲しみと付き合っていけばよいのです。
それに私は、<私だって亡くした直後には、「乗り越えられるわけが無い!!!」と思っていましたが・・・・。でも、乗り越えたいなぁ・・・立ち直りたいなぁ・・・と思わないでください。後ろを振り返ったら、乗り越えてた!って感じなので。2年近くたって、やっと乗り越えられたなぁ・・・と実感しています。>
と書いたように、直後には今の自分が想像も付かなかったです。
そして、一番良くないのははく次の子を授かることだと思っています。
生んでから、<あの子はいないのに、この子は生きている>と新たな苦しみが生まれることがあるからです。
何度も言いますが私も、亡くした直後や1年間は、悲しくて苦しくて大変でした。
でも、振り返ったら乗り越えていたという言葉をちかあきさんの心のどこかにしまって置いてください。
絶対に、実感できるときが来ますから・・・。
自分にぐさりとくる言葉だけを選んで反論するのではなく、私の他の言葉も受け止めていただける日がいつか来ることを祈っています。
私は仕事よりなにより、似たような経験をした方たちとの対話、そして子供たちが残してくれたメッセージをたくさん受け取って欲しいと思います。
苦しみよりも、成長させてくれたことの方が多いと思いませんか?
それから目を背けないでくださいと言いたいのです。
(次の子を早く妊娠しようとするとか、仕事に没頭するとかして、 自分の悲しみを受け入れない人は回復が遅いと思います)
私にあてはまったので、少し悲しくなりました。
私はまさにこの状態ですが、悲しみを受け入れていないのでは
ないです。
悲しすぎて自分がコントロールできそうになくて、
でも生活をしていかなくてはいけなくて・・・
家にいるとどうにかなりそうで、やっとの思いで
仕事を探しました。
仕事をする事は悲しみから目をそむけることでしょうか。
次の子どもを早く・・・と望む事は、悲しみを受け入れない
のでしょうか。
人それぞれ悲しみの受け止め方、受け入れ方は違います。
受け止められる人、どうしても受け止められない人もいます。
波のようにやってくる悲しみとつきあっていくには、
まっこうから悲しみにたちむかって悲しみを受け入れる
事以外に、悲しみから逃げる事も必要です。
それは全然悪い事でもなく、自分を卑下する必要もなく、
そうやってこれから続く長い人生を生きていけるんだと私は
思います。
(とことん悲しみとむきあう)事は、その人のその時に
思って感じたままでいいと思います。
悲しすぎて耐えれない時は仕事に没頭していいと思います。
ご主人さんと話合われ、次のお子さんを望まれるのでしたら、
それもいいと思います。
それが悲しみを受け入れてない事にはならないと思います。
私は今そうやって生きている事が、悲しみとうまくつきあって
いくすべです。
たしかに、回復が遅いかもしれません。
(とことん悲しみとむきあう)事をした方にくらべたら、
ずるずるいつまでも・・・と思われるかもしれません。
でも、悲しみは乗り越えなければならないものでは
ないと思います。
長い時間かかっても、その人なりにあがきながら生きていけば、
心から悲しみは消えなくても少しづつ笑顔がでてくるでしょう。
十人十色です。
れいなおさん、もう見ておられないかもしれませんが、
無理をせず、今れいなおさんが泣きたいって思えば
いっぱい泣いたらいいですし、何かしたい!
仕事でもなんでも!って思ったなら、仕事や趣味をすれば
いいと私は思います。
私は2005年2月に40週で娘を死産しました。
(17週のときに18トリソミーと診断が付きましたが、娘を信じて出産に望みました。)
後、3ヶ月ほどで2歳の誕生日が来ます。
2年近くたって、やっと乗り越えられたなぁ・・・と実感しています。
そりゃ、私だって亡くした直後には、「乗り越えられるわけが無い!!!」と思っていましたが、大丈夫!きっと、れいなおさんも乗り越えられますよ!
でも、乗り越えたいなぁ・・・立ち直りたいなぁ・・・と思わないでください。後ろを振り返ったら、乗り越えてた!って感じなので。
私が言えることは・・・<悲しみととことん付き合ってください>ということと、<赤ちゃんからのメッセージをたくさん受け取ってください>の二つです。
悲しみととことん付き合うということは、目を背けないで悲しみぬいて欲しいと言うことです。言葉は悪いですが、悲しむことに慣れるって感じです。
次の子を早く妊娠しようとするとか、仕事に没頭するとかして、自分の悲しみを受け入れない人は回復が遅いと思います。焦る必要はないと思いますが、年数をかければ良いってことではないと思います。
そして、孤独感に襲われるときがあると思います。その時は必ず誰かがれいなおさんを見守っています。疎遠にしてしまったお友達に声をかけてみてください。
れいなおさんの味方は近くに必ずいます!私もそうでした!
そして、赤ちゃんからのメッセージを受け取るというのは、赤ちゃんはれいなおさんを苦しめるために来たのではないと言う事です。
私は娘を亡くして、いいえ・・染色体異常かもしれないと言われてからずっと目からウロコがこぼれまくりました。今まで知らなかったことを知ることができたんです。それは娘からのプレゼントだと思ってます。
それに、天使ちゃんは大事な人と縁を結んでくれます。
天使ちゃんは親である私たちを成長させるために来てくれたんです。
それと、赤ちゃんを亡くした人が集まるお話し会をお勧めします。
お話し会はずっといる場所ではありませんが、初めの激しい悲しみのはけ口には良いと思います。
焦らず、自己否定しても自己肯定できるように気持ちを持っていってください。
大丈夫、天使ちゃんはあなたを決して苦しませない。
苦しむ原因はあなたの心の中にある。
それを見つけ出せれば苦しくなくなります。
と、ここまで偉そうに書いておいてなんですが、私だって悲しくなったりしますよ。それは一生続くのですから、拒否せずに「あぁ・・悲しいのも娘との思い出。」と思ってやり過ごしています。
娘からの最大のプレゼントがこの「受け入れる」という大きな心になれたことだと思います。
みなさん心に響くお返事本当に本当ありがとうございました。
読みながらまた号泣しました。
でも私よりもっともっとみなさんは辛い思いを
しているかと思うと本当に弱い自分がなさけないです。
そして感じたことは今は、心の中の深い傷を少しずつでも
いいから埋めていこうと・・
子供を亡くした悲しみは本当に経験した人しか
わからないですよね。
前回の投稿のときに書かなかったんですが
実は私は3回妊娠し、1回目は部分胞状奇態で10週で流産、2回目は7週で繋留流産、今回は死産なのです・・
そして私が死産した後、主人が病気になり我が家は悪いこと
が重なったのではないかと思うくらい精神的にどん底でした。
そんなときに限り、友達から双子が産まれたとか、妊娠
したとか聞かされ。。。今から思うなぜ電話がかかったのか
不思議です。返す言葉がなかなかでないし。
でもこのときが人生で今のところ最大の不幸と思うし
これから先、ちょっとしたことも幸せに感じられるの
かなと皆さんのお話を聞いて感じています。
何か習い事でも始めようかな。。。
どうもありがとうございました。
さんごみずきです。後で気になったものですから・・・
れいなおさん、眠れていますか? ご飯はちゃんと食べられていますか?
もし、眠れないようなら、かかりつけの医師に睡眠導入剤を処方してもらうといいです。私も2ヶ月ほど薬の力を借りました。最後のほうは持っているだけで安心して眠れるという感じでしたが・・
もし、食べられないのが長く続くようなら、精神科など専門家の力を借りた方がいいですよ。
やはり、体が資本です。体が元気でないと気持ちも元気になれません。余計なことだったかもしれません。ごめんなさい。
「泣いて笑って」というサイトがあります。
そこでは色々な理由で死産をした方の体験談などが載っており、
そのサイトを見て、励まされた方がたくさんいると聞きました。
いちどのぞいてみてはいかがでしょうか?
はじめまして。
5月に二人目の男の子を人工死産ました。
待望の二人目でした。
つわりも、ひどく(前回同様)、それも終盤と思っていた14週の診察で、先生が発した言葉は「胎児水腫だ」でした。
「非常にまれなケースですが、赤ちゃんの体が水風船みたいにふくらんでしたっていて、妊娠継続は無理です。まだ心臓が動いていますが、いつ止まってもおかしくありません。無事には生まれないです」
・・・。
だって今日午後には前期母親学級だよ・・・。
もう五ヶ月目前じゃん・・・。
旦那と、母が、中絶の日を決め、私はそれに従いました。
入院前日、旦那に頼みました。
心臓が動いているうちは待ちたいと。
でも、駄目だといわれました。感染のために歯茎がはれ上がっていたし、大きくなればそれだけ生むのが大変で母体に負担がかかりすぎるからと。
でも、生むのは、と言うより、命を絶つのは私です。
同じ経験した人なら分かると思いますが、自分が人殺しになったと思いました。
それも我が子を手に掛けた。
家族の一言一言が私を追い込みました。
所詮、本人しかこの、地獄のような毎日を理解なんて出来ないのです。
私は、絶対家族の前で泣くまいと思いました。
涙は、この人たちに理解されないだろうと。
無用な言葉で慰められても、余計にきずつくだけです。
葬儀も、49日の法要も出ませんでした。
形なんか関係ないと思ったからです。
位牌に話したり、遺骨を抱いたり、心の中で話し掛けたり。
いつも一緒です。
みんな、月命日さえ、もちろん出産予定日も忘れています。
私は今も泣きたくなったら泣いています。
それを無理に押さえれません。
こんなに苦しんでも、まだ神様は足りないと思ったのか、今月卵巣の手術をしたさい、産科に入院させられるという拷問を受けました。
息子の予定日は11/16。
今管理入院している人は同じくらいに出産予定の人ばかり。
妊婦に、赤ちゃんの泣き声、陣痛室のうめき。
なんで、私だけこんな拷問を受けるのだろうと思っています。
私には、乗り越える先が見えません。
息子を忘れることでしょうか?
泣かないことですか?
それはいい事ですか?
分からないのです。
返事になるか分かりませんが、乗り越えようとしなくてもいいのではないでしょうか。
無理は、できないですよね。
泣きたくなったら泣いて、避けたい人は避け、後ろ向きでもいいじゃないですか。
だって、子供を失うって、本当にしんどいですもん。
私は、もう一度妊娠したいと思っています。
生まれ変わりを信じてしまっているので。
空で息子が私の準備が整うのを待っていると思います。
だから、頑張らないで、もう一度妊娠したいと思います。
それがどんな結果を連れてきても。
どうか、頑張らないでくださいね。
れいなおさん、はじめまして。
私は7月のはじめに中絶をしました。羊水検査で染色体異常が見つかったためで、21週でした。本当だったら、れいなおさんと同じように、ちょうど今頃出産を迎えられていたはずです。死産と中絶とは違うかもしれませんが、突然、赤ちゃんを失うことになった悲しみは共有しているのではないかと思い、書かせていただいています。
私の場合、2ヶ月間は毎日泣いていました。電車に乗っていても、ご飯を食べていても涙がこぼれてくる状態でしたが、現在では泣くこともかなり少なくなってきました。
この間、1ヶ月目くらいのときに精神的にひどく不安定になり、精神科を受診しました。このことが私にとっては非常にプラスに働きました。そのときの医師のアドバイスで特に役にたったもの2つを紹介します。
1.時間が経てば、必ず元通りになる。
このことは一般的にも言われているし、れいなおさんも十分にご承知のことです。ただ、専門の医師から力強く言われることによって、「心の自然治癒力にまかせよう」と開き直るきっかけとすることができました。また、このとき、「このようなことを経験してつらくないわけがない、つらいのが当たり前だ」とつらさを否定するのではなく受け入れようと思えたのも回復の手助けになったと思います。
2.日記をつける。
医師からは「身近な人にほど相談はしにくいものです。だからカウンセラーという人がいるんですよ。」と言われました。確かに身近な人には、こちらのほうからも、心配させまいとがんばってしまうし、逆に相手からも「今の状態では無理」と思えるような励ましを受けてしまうこともあります。日記というのは誰に見せるものでもなく、自分の感情を素直に書き出せるものだし、文字にして読み返すことでセルフカウンセリングの役割を果たせるものなので、医師も勧めているということです。私は日記を付けることで混乱していた気持ちの原因がわかり、ずいぶん気持ちが楽になりました。
そのほか、私にとって気持ちが楽になったことをあげておきます。
1.病院スタッフにお礼状を書いた。
入院中の感謝の気持ちを表したくて、主治医と看護スタッフに手紙を書きました。結果的に上記の日記をつけるのと同じ効果があったのではないかと思います。返事を期待していないし、利害関係もないので、かえって自分の気持ちを素直に表現し、整理することができたのではないかと思います。また、PCで作成してHDに残っているので、時々読み返しては泣いたりもしているのですが、それもつらい気持ちを洗い流してくれるような気がします。
2.赤ちゃんと約束をした。
死なせてしまったので、もはやどうすることもできないのですが、ちゃんと美味しいご飯を作ってお供えすることと、お花を欠かさないようにすること、この2つは私が生きている限りは続けますと約束しました。毎日、赤ちゃんに「おいしいね」「きれいだね」といってもらえることを励みにしています。
長くなりましたが、最後に。
回復するペースや方法はみなそれぞれ違うと思います。れいなおさんが、ゆっくり、れいなおさん自身ののペースで回復されることを祈っています。決してあせったり、無理をしたりしないように。そして、本当につらくなってしまう前に、そういうときは専門家の手助けを受けましょう。
れいなおさん,頑張ってください。
私の妻は44歳。今3度目の妊娠をしたばかりです。
でも,まだ出産したことはありません・・・
既に2度流産していて,2度目は泡状奇胎でした。
ガンになる可能性もあり,日々不安でしたが,
何より,手術に痛みが伴い「子供が生まれるのなら,どんな痛みでも耐えられるのに」と,泣いていた妻の顔が今でも忘れられません。
また,入院した部屋は,通常に分娩した幸せな人たちと隣り合わせの部屋で,幸せそうな会話を聞かされ,私も妻も,大変つらい思いをしました。
昔は子供好きだったのに,今は小さな子供を見るだけで,嫌な気持ちです(でも,目をつぶって生活出来ませんので・・・)
今回の妊娠もやはり不安です・・・
普通に考えたらあたりまえのはずの「幸せ」を与えられない苦しみは,他人には判ってもらえないでしょう・・・
でも今は,今の自分が「当たり前」だと思っている幸せを,「かけがえの無い」幸せだと,再認識しています。
れいなおさん,まだまだ若いですよ! がんばって!
それから・・・男だから無責任な事を言う訳じゃないけど,視野を広く持ってください。
れいなおさん自身の存在の大切さを忘れないでください。
色々な角度から,過去と未来を見てください。
れいなおさんの書き込みを読んで,やはり涙が出てしまいます。
私も去年の8月に死産の経験をしました。
37週と3日でした。原因不明。今だに納得できません。
不妊治療でやっと授かった子供でした。
1年が経ち供養も済み、不安と迷いの心境の中また不妊治療を始めました。迷いながらの不妊治療って変ですけどねぇ。
でも、息子がお空で見守っていてくれてるので、その事を心の支えにして不妊治療をしています。この辛さは文章にし難いですね。
アドバイスにはなりませんが、れいなおさんのお気持ちがよくわかるのでメールしました。無理をせずお身体に気をつけてください。
さぞ、おつらいでしょう。
わたしは39週で死産しました。
あなたの心は、きっとずだずたに引き裂かれた状態です。前向きになんてなれません。それで正常だと思います。
でも、大丈夫、肉体の怪我と同じように少しづつ治っていきます。
ただし、悲しみはなくならないです。心が悲しみとともに人生をおくるすべを覚えます。だから、いつまでも悲しくても不安にならないでね。死別に関する書籍を読まれるといいと思います。死別によって傷ついたこころがどういう経過で快復するかが記されていますから。
町やテレビでみる赤ちゃんがどれほどつらかったか。赤ちゃん用品売り場の階には近寄れませんでした。生きた子を授かった幸せそうな親御さんをにくいとさえ思えました。
でも、それを越えていま子供がいます。亡くした子を忘れることはありません。でも、いまは生きている子供と笑うこともできます。
いまは、悲しさに存分に身を任せてください。悲しみを十分に悲しみ切らないと快復が遅れるといわれています。
大丈夫、また、幸せを感じれる心があなたにも戻ります。がんばってとはいいません。その言葉がつらかったこと知っているから。悲しみを消化することは、がんばってすることとは違います。
あなたの持っていたその子への思い、期待と必要な時間をかけてさよならしましょう。そして、この悲しい残酷な死産を自分の一部と心から受け入れられるようになると快復へ向かいます。
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れいなおさん、はじめまして。
私は3年前、11歳の息子を小児癌で亡くしました。
そして、その1年半後、女の子を42歳で出産しました。
息子はかわいくてかわいくてたまりません。今もそしてずっと・・。立ち直ることは多分一生出来ません。
沢山の魂の本を読み漁り、死する意味を追求し、亡くした会にも通い、何をしても立ち直ることなんか出来ません。
それらは結局納得するものを探しているのではなく、自分が生きる意味を探しているのかもしれません。
どうあがいても、現実が変わるわけでなく、辛さは押し寄せます。
私の場合、いつも少し先の未来に自分なりの目標(希望)を考えました。
妊娠を希望しました。
奇跡的にすぐに授かり、今もうすぐ2歳の娘もいる現実に心から授かって良かったと思っています。
息子とのつながりの命だと思っています。
だからといって代わりではない、代用ではない、来てくれた娘が心からいとおしい・・。
表現しにくいですけど・・。
もし年数を決めて、子供が授からなかった時は仕事を探したと思います。そしてその中で違う希望を探し、それに向かって生きていたでしょう。それは逃げることではなくて、生きるということ。
立ち直るなんて一生出来ません。
息子のあの時の苦しみを思い出さない時もありません。
でも悲しみと共存しながら生きる術は、身についてきたかもしれません。それはやはり生きているということ。
娘には、息子の分までいっぱいいっぱい幸せであってほしい、、。
同じような思いで子供を授かって、悲しみと共に感謝の気持ちを持ちながら頑張って生きている人を何人かお友達にいます。
希望をもって生きて下さい。