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皆様 こんにちは、
わたしは45歳ですが、すでに閉経状態です。
生理はこずホルモン値は3回とも閉経値です。医者からは妊娠は無理といわれました。
もう一生子供も産まずに、人生終わるなんて無念としか思えません。
ただひとつ残された方法は卵子提供。
でもわたしは 自分の遺伝子をもった子供が産みたい。
だれか知らない人の子供を産むなんて、
たぶん子供を産みたいというのは、自分の遺伝子を残したいという単なるわたしのわがままではないだろうか?
でも自分の家族がほしい。
わたしは子育て以外残りの人生やりたいことがありません。
仕事、遊び、趣味、旅行すべてもういいかなって感じ。
わたしが、自分の人生でやりのこしたこと
それは出産 子育て わたしはそれ以外やりたいことは見つかりません。わたしはそれさえできれば、この世に生まれてきて満足です。それが出来なかったなんて わたしは自分の存在さえも否定してしまいます。
でももし仮に、卵子提供で子供を授かったとして、その子が非行少年になったとしたら、わたしに子育てができるだろうか?
わたしは 子育て放棄してしまうかもしれない。
やっぱりどこかで他人の子供という思いを断ち切ることが出来ず
こんな考えで 卵子提供をする資格はないですよね。
生まれてくる子供に申し訳ないですよね。
それに、子供が成長したら、自分の実の子供でないことを告げなければならない。そのことを知ったら子供はとても複雑な思いをするでしょうね。もしわたしが、卵子提供で生まれたとしたら、やはり
血のつながった親を一目でも見てみたいと思う。
何かのTVドキュメンタリーで見ましたが、卵子や精子の提供で生まれてきた子供はやはり、
自分のアイデンティティがわからないととても不安だといっていました。自分のエゴでそのような子供を産んでいいのだろうか?
でも、子供がほしい。
わたしの頭のなかでいろんな思いがぐるぐる駆け巡っています。
卵子提供で出産されたかた、このような思いはありませんでしたか?
実際出産されて考えなどが変わりましたが?
- ありがとうございました。 - 秋の風 - 2008年09月12日 04:44:54
- 血のつながりというよりは - 私も匿名で - 2008年09月10日 01:57:09
- それでいいのだと思います - ミリンダ - 2008年09月 9日 14:03:06
- 二度目の投稿になります。 - 匿名でお願いします - 2008年09月 9日 10:04:15
- 血の繋がりの重要さ? - 今回匿名で - 2008年09月 8日 19:18:07
- 正解はわかりませんが - 経験者 - 2008年09月 8日 10:16:26
- 神様から盗んできた - ミリンダ - 2008年09月 8日 06:38:57
- 私も両親から打ち明けられました。 - マナカ - 2008年09月 7日 23:48:23
- 私の場合は。。。 - 匿名で・・・ - 2008年09月 7日 22:33:31
- それぞれの思い - 匿名子 - 2008年09月 7日 22:09:55
- 私も祖母と血のつながりがありませんでした - 今回は匿名で - 2008年09月 7日 18:31:24
- 生物学上の親がつくる影 - ツバメ号 - 2008年09月 7日 14:36:02
- 「だれか知らない人の子供」? - バジル - 2008年09月 7日 12:42:59
- 足の下に常に暗い穴があります。 - 匿名でお願いします - 2008年09月 7日 04:09:30
- こどもの匂いや暖かさ - ツバメ号 - 2008年09月 7日 03:36:46
- 母と子の絆 - 秋刀魚 - 2008年09月 5日 10:26:13
- 自分の心に耳を傾けて - HAL - 2008年09月 4日 21:15:18
- 希望を持ちましょう。 - 匿名希望 - 2008年09月 4日 14:32:03
- 卵子提供、希望ですが - こもこも - 2008年09月 4日 10:58:21
- はじめまして。 - たまごボーロ - 2008年09月 3日 21:19:02
- 私の意見です - さんご - 2008年09月 3日 20:58:39
匿名でお願いしますさんのおっしゃりたいことはよくわかりました。
大好きなおじい様と血がつながっていなかったことがショックだったんですよね。
ということは、嫌いなおばあ様と仮に血がつながっていなかったとしてもそれほどショックではなかったのかもしれませんね。
私は母は好きですが、父は嫌いです。
もしも父が本当の父ではなくて、他にいると聞いてもそれほどのショックは受けないかもしれないけど、
確かに父だけ血がつながっていて、母は他人だったと聞いたら
立ち直れないほどのショックを受けるだろうと思います。
血のつながりが重要というよりは、好きな人とつながっているかどうかが大切、ということなのかもしれません。
だとしたら、卵子提供の場合、一番ショックを受けるパターンは、
お母さんは好きだけど、お父さんは嫌いという場合。
精子提供の場合は、お父さんは好きだけど、お母さんは嫌いという場合ですよね。
両方とも大好きだったら、それほどのアイデンティティの崩壊は招かないで済むのかな?
というのは単純な発想でしょうか?
一番大切なことは、愛し愛される親子関係を構築すること。
それができれば実はそれほど恐れることはないのかもしれません。
確かに慎重に慎重に考えて結論を出すべきことだと、私も思います。
でも血のつながりだけがすべての世の中ではないというのも、
これもまぎれもない事実です。
返信のような形になりますが、前回、触れなかった父と兄の関係について発言します。
「私の意見は提供を是としているここでは異端と捉えられていますが、この狭い世界の意見だけが正解であると思い込む方がいないようにと願うばかりです。勿論、どちらが正解とも言えないという前提の下に。」
ええ。世の中、何より「血の繋がり」にこだわる人間がいて当然だとも思います。私の異父兄がそうだったように。
養子に出され、義理親に愛された父は、血の繋がりを気にしておりませんでしたので、母の連れ子の兄も、我が子と同等に見ておりました。事実、10上の兄には生前贈与で1億もの財産を与えており、その上で遺産は実子と同等に分配するよう考えておりました。
つまり、実の子以上に気にかけていたのです。
しかし、兄の考えは違いました。実子でないことで「愛されていない」「差別されている」「憎まれている」と考える人でしたので、父の死後、遺産相続人である私へ激しい憎悪をぶつけてきて、その財産を奪い尽くしてやろうと、あれこれと画策してきたのです。
口にする言葉は父に対する恨みと怨念だけでした。
後年、兄の実の父が訪ねてきたそうです。落ちぶれた卑しい男だったので、兄は玄関にも出ず追い払いました。実の父親が、自分の出自が卑しいことが、苦悩の本質だったのはわかりますが、私の父から愛されたことさえも、兄は認めようとはしなかったのです。
人はいろんな考えがあっていいと思います。
血が繋がってないのだから、義理の親からどれだけ愛されようと自分は愛さないと決めるのも、本人の自由であります。
私も自分の子供が私を愛さないというなら、それでいい。
私は、父が血の繋がらない兄を愛したように、
私は、血の繋がらない自分の子を愛するだけです。
子供たちが私を愛するかどうかは、彼等本人が選択して決めることであり、
私自身は実の母から愛されず、私も母を愛することをあきらめたのだから
その選択肢は、子供本人のものだと思っています。
子供の頃、寝る前に神様に毎晩お祈りしておりました
「どうか私をよその家の子供にしてください」と。
でも神様は何もしてくれず、私は神を憎むようになり見捨てました。
こんな虐待を受けた私は子供を持っても愛することはできないだろうし、母のように虐待して子供を殺すだろうと考えていましたので
子供が生まれた瞬間、うぶ声を聞いて世界が一転し、この命のためならばなんでもするだろう、私の命さえ投げ出しても少しも惜しくはないと心の底から湧き上がる愛情に、自分でも驚きました。
そして思いました。神様は私の一番奥深くに、「愛」を大事に大事に、綺麗なまま純粋なまま保存しておいてくれたのだろうと。
子供の頃の願いを、かなえてくれたのだろうと。
子供の頃願ったことは
「どうか私をよその、愛情ある家の子供にしてください。血の繋がっただけの関係の、冷たい、虐待する母親のいない家に」です。
まずは、スレ主さんの意図と離れた流れのきっかけにしてしまったことをお詫びいたします。申し訳ありません。
一度目の投稿の後、提供を受けられた方の反論が続くだろうことは想定していました。既に受けた方から反応があるのは当然とも思いますし、それで良いのだと思います。一番尊重されるべきは今現在生きている子供の命ですから、どれだけの覚悟を持って提供を受けたのかと考えれば反論の意思表示は当然だと思います。
私は不幸自慢をする気は毛頭ありません。ただ、生まれてくる子供に、一生消えない心の影が出来る可能性を申し上げたのです。ですから「欲しい、欲しい、欲しい!」の先を考えて欲しいと申し上げたのですが……。
どういった経緯で提供を受けたか、今どんなに幸福か、それを私に熱心に語って下さることで卵子・精子提供に対して理解を深めてくれるのではとお考えになっている方もいるかと思いますが、そんなことではないのです。私に対してそんな労力を使って説明をして下さらなくて結構なんです。嫌味でもなんでもありません、正直な気持ちです。
遺伝子など気にしないという方が多くいて当然だと思います。でも一方で『血(遺伝子)』を何よりも重く見る人が多くいてもおかしくないと思いませんか。人類が今までどれだけこの『血』に拘ってきたか考えればわかって頂けると思います。ですから当然「あなたはショックだったかもしれないけれど、世の中にはそうじゃない人もいますよ」と私の感情を否定されても困ってしまうだけなのです。この発言内容に関してだけは非常に無神経だと感じました。
私の意見は提供を是としているここでは異端と捉えられていますが、この狭い世界の意見だけが正解であると思い込む方がいないようにと願うばかりです。勿論、どちらが正解とも言えないという前提の下に。
皆さんのお子さんが大きくなって自分の出自に不安を持った時、どうか『血』に対するその拘りに寄り添って頂ければと思います。『血』への拘りがあるからこそ悩み苦しむのですから、ここで私に対して畳み掛けたような言い方をされたらますます辛くなってしまいます。でも、皆さんのお子さんがそんなこと関係ないと心から笑い飛ばして成長してくださることが一番ですけどね。私にとってもそれが心からの願いです。神仏に誓って、それが本心です。拘らない自分であったらこんなに辛くなかったのにと何より自分が思っていますから。こんな思いをする人が増えるのは私だって嫌です。
最後になりましたが、私と祖父母・父についての関係は、非常に複雑なので前回は事実だけを一行に書いたのですが、憶測で意見されることには大変抵抗があるので追加させて頂きます。決して不幸自慢ではないことをご承知おきください。
私の父は非常に乱暴で、幼少の頃から辛い思いばかりしてきました。母などはいつも血だらけでよく殺されなかったなと思うほどです。祖父母とは事情があり幼少までしか暮らせませんでしたが、離れた後も父と祖母はこっそり連絡を取り合っていました。そして、その祖母から、何故か私は憎まれていました。理由はわかりません。私にとって心の拠り所は(母と兄を除いて)祖父しかいなかったのです。詳細は割愛させて頂きますが、とにかく、父の娘であるということより祖父の孫であると言い聞かせることで自分を支え続け、それがたった一つの希望の光だったのです。だから先述の一件で言葉に出来ぬほどのショックを受けたのです。
私は、隔世遺伝で父のような子が生まれたら自分がおかしくなってしまうと思っていたので子供の頃から絶対に子供は産まないと母にも宣言していました。でも結婚して意識が変わり(というより変えて)妊娠した時はやはり嬉しかったですよ。「父に似る部分があるかもしれない。でもなんと言っても祖父の血を引いてるんだから大丈夫!愛する夫の血も半分引いてるし」と自分を励ましました。そういう経緯もあって足元ががらがらと崩れていく感覚を止めようがなかったのです。皮肉なものですが、今は愛する我が子が父にだけは似ないようにと祈りつつ大事に育てています。
以上です。長文失礼しました。
トピから少しずれ横スレで申し訳ありません
9/7付 匿名でお願いしますさんの投稿を読ませて頂いて感じたことです…
大好きだったおじいさまと血の繋がった孫ではなかったことをお知りになられ、ショックを受けられたその心中お察しいたします。
ですが、血が繋がっていなくても血が繋がった孫と同じように(もしかしたらそれ以上に)愛を注いでくださったおじいさまの多大な愛情、それは本物の愛ではなかったですか?
血の繋がりっていったい何なんでしょうか。
少なくとも、匿名さんにとっては血の繋がりは大変重要なことだと今回のことではっきりしたのかもしれません。
でも、そうでない人もたくさんいらっしゃると思います。
卵子提供、精子提供、養子や連れ子などで、生物学的には血の繋がらない彼らに無条件の愛情を注いでいる人々が世界にはたくさんいらっしゃるのです。
おじいさまが匿名さんを愛されたように。
私事ですが、私も養父には血の繋がった子同様に育ててもらい、心から感謝しています。
現在卵子提供により妊娠中の者です。
何事もそうですが、これは当事者以外には本当のことはわからないし、
また当事者も実は本当のことはわからないのかもしれません。
しかし、私の経験から言えることは、自分たちのエゴだけで子供を作ったという簡単な結論だけは出してほしくないし、
子供さえできれば方法はなんでもいい、なんて単純な発想の人はたぶん誰一人いないはずです。
私自身は卵子提供を受けると決めた当初は、ただ単に子供が持てる喜びだけでした。
でも妊娠が進むにしたがって、どんどん恐ろしくなってきました。
この現実をいつか子供が知った時に、私たちと子供の関係が崩壊するどころか、
子供自身が崩壊してしまうのではないかと。
先月は特に気持ちが荒れて、自分のやってしまった罪の重さに耐え切れず
主人に向かって「お腹の子供は生まれる前に私が責任を持って殺す!」と泣き叫びました。
真剣に自殺を考えました。たぶんマタニティブルーだったのだと思いますが、
産む立場の人間だって激しく悩みます。ただ子供ができると単純に喜んでいるわけではないのです。
それともうひとつ、これも私の経験ですが、子宮さえ大丈夫ならいくつになっても子供が持てるという考えも危険です。
どんなに医療が発達したところで、子宮や卵巣が若返ったところで、妊娠を10ヶ月も継続させるには、2つの臓器以外にも必要な要素がたくさんあるからです。
高血圧になったり、糖尿病になったり、腎臓に負担をかけたり、年齢が進めば進むほど妊娠という大事業に身体がついていかなくなります。
卵子の老化というものは、実は自分自身の命を守るためのメカニズムだったのだということを、2人分の命を1人の身体で継続させるにはすべてにおいて若くなければ無理があるということを、
今回卵子提供という不自然な形での妊娠を経験して、初めて身を持ってわかりました。
でも、それでも私は限りない幸福感に包まれています。
私の中で小さな命が育まれていることは、今まで書いたマイナス面をすべて払拭させるほどの、素晴らしい出来事です。
至福とはこういうものだろうと、妊娠を通じて初めて知りました。
はじめまして。わたしは卵子提供で双子の男女を授かりました。現在は、最高の幸福の中で(わたしはね)陶酔の日々を暮らしております。
私の父は幼い頃に才能を見込まれ、跡取りとして養子に貰われ、当時としては高度の教育を受け、成人後は実業家として大成しました。が、結婚には失敗し、母というとんでもない怪物と入籍したのです。
私の母は最初の結婚で浮気してどこの誰とも知れずの男の子供を生み、それが露見して離婚されほうりだされた女です。幼い子供を連れた母を哀れに思い、情をかけた父を騙し、私を妊娠することによって、子供を人質に入籍を成功させた女。
子供は人質でしたから、母の私に対する態度は、虐待以外何ものでもありませんでした。無条件で父から愛されることへの嫉妬と恨みを、母は死ぬまで手放すことはなく、父の死後も、私へのあらんかぎりの嫌がらせを続けました。
私が自分の子供を持つことを、期限切れになるまで悩み続けたのは、この母に対する呪縛からでした。母の血を引く私が子供を産めば、それは母の孫になってしまう。父の死後、母は連れ子の兄と共謀して父の遺産を受けた私を騙し脅迫し、その遺産ほとんどを強奪し、父の墓までも他人である異父兄に奪われそうでした。
私は正式に裁判を起こし、母を被告として法廷に引きずりだし戦いました。それは卵子提供受けた子供を妊娠している時のことです。それまで、殺すなら殺してくれと、実母に虐待を受けて人生を自暴自棄になっていた私が、お腹の中の子供を守るために「戦う」ことを私が選択した瞬間でした。
私の父は養子先で最高に愛され幸せでしたし
私は実母に酷い虐待を受けて告訴するほどになった。
血のつながりって何でしょう?私はいつも疑問に思います。
私と血の繋がらない子供たちを見ると、私には全てがいとおしく思え涙さえあふれてくる。
私が無理にこの世に生み出したことは承知です。だから
いつも彼等を見て思うことは「神様の所から盗んできた宝物」だと。
私は、匿名でお願いしますさんよりももっと近い両親から
実の子供じゃない精子提供で生まれたと聞きました。
でも、HALさんや匿名でお願いしますさんのようには、深刻に考えていません。
確かに、私のような人は、アイデンティティに悩んでおられる方は沢山いらっしゃると思います。
私もシンポジウムのようなものに参加したこともあります。
ただ一概に
>「そんなことは気にしていない」という価値観の人たちもたくさんいるはずでだなどと憶測のみで書いている人がいますが、当事者たちの苦悩を知ってしまったら絶対に軽々しく口にしてほしくない台詞です。
シンポジウムを聴講されたHALさんの気持ちも解らない訳ではありませんが、傷つき苦しむ人もいる中
そうでなく私のように
両親に愛され大切にされてこの人たちの下で育って幸せだったな、ラッキー(軽い言い回しかもしれませんが・・)だったな
欲しいと思って産んだ子(私)を責任をもって育て見守り続けてくれたのだなと自然と思う人間もいるのです。
話がずれてしまった様でスミマセン。
私は卵子提供も精子提供も否定しません。
世の中どちらの意見もあって当然ということです。
早発閉経で卵子提供を考えてるものです。
トピ主さんの場合、加齢によって妊娠不可能、という診断なのでしょうか。
その場合は、何年か前だったら自分の遺伝子を持つ子供が持てていたかもしれないのに…という気持ちがお強いのかもしれません。
私の場合、30代前半からすでに更年期に近いホルモン値、と診断され、IVFしても卵子がほとんど取れない状態でした。よって自力での妊娠はまず無理だったのだとあきらめがつきやすいのかもしれません。
また、この状態で奇跡的に妊娠したとしても、女の子が生まれてこの不妊体質を受け継いだらかわいそうだな、みたいな思いがあります。今までの苦労を子供にはさせたくないというか…
なので、ある意味卵子提供の方が自分の体質を受け継がなくていいかも、という気持ちがあるのです。不妊以外にも遺伝するかもしれない持病がありますし…
自分の遺伝子に自信がない、ということなのかもしれません。
主人は私と違って精神的にも肉体的にも健康そのものですので、その点でも卵子提供は魅力的に思えます。
これもエゴなのかもしれませんが…
卵子提供を受けて現在、3歳になる男の子を育てています。今は反抗期まっさかりで恥ずかしながら毎日のように怒鳴ってしまいます(汗)。そんな毎日ですが、息子を提供で出産したから、と思うことはほとんどないです。提供で生まれたことを意識するとしたら、3歳児のわりにはずいぶん体格が良いところでしょうか。
HALさんや9/7の匿名さんのご意見にはいろいろ考えさせられます。ただ、提供での出自について起きる問題はそれぞれの家族によっても異なると思います。私は告知するつもりですが、バジルさんと同じようにできるだけ私の知っている情報は教えるつもりです。ただ私の場合は韓国でしたので、出産してからすぐにエージョントが解散してしまったので、もう少し知りたかった情報などを確認することができませんでした。恐らく息子も出自を知ったらショックを受けるだろうことは今から予想しています。でも早いうちに告知したほうがいいのか、多感な思春期を過ぎた後でそうしたほうがいいのか、まだわかりません。
でも、大切なのは今の時期から信頼関係をしっかり築くことだと考えています。9/7匿名さんが「どんな形であれ、運命の子」「自分で生んで育てたのだから私の子」という表現も詭弁に聞こえるとのことですが、そういう考えがあっても仕方ないとは思います。ただ、提供を選択した親の立場から言うなら、それは詭弁ではなく、心の誓いなのです。親の心からの思いを子どもに伝えられるよう、必死に努力するしかないのです。
提供で生まれた子、その親、それぞれの思いがあるし、それに家族の価値観というのもありますから、匿名さんの言われたことが、提供で生まれた子どもの心の声すべてであると私は思いません。ちなみに私は母親とは価値観が合わず、カウンセリングに通うなどして、自分の母への思いを整理してきました。なので遺伝子にはあまりこだわりがなく(だから提供に進められたのですが)、血縁についてもあまり大きな価値観を置いていません。
できれば出自を知ってショックを受けた例のほかに、それをどう家族で克服していったのかという例についても知りたいところです。
話がずれてしまいましたが、トピ主さんに対して、提供を受けるにあたっては、心の迷いがあるうちは絶対やめたほうがいいと思います。いちかばちかでやってみる、というようなものでは決してないからです。どうしても子どもが欲しい、血がつながっていなくてもいい、そう考えられるようになるまで待ってみてはいかがですか。あるいはどうしても遺伝子にこだわるなら、諦めることも選択にいれたほうがいいと思います。
9月7日の匿名でお願いしますさんと少し似た経験をしています。
ですが、お書きなられたようなお辛い感情は私は感じていません。反論するつもりではなく、状況次第、個人差もあるように思います。
私の場合は、母方の祖母だと思っていた人が、祖父の後妻であり、母の生母は母が物心つく前に、病死したことを知りました。思い起こせば「?」と思うことがありましたが、事実を知ったのは、結婚後相当経ち、祖母が亡くなってからのことです。
私の当時の思いは、「何でそんな重要なことを言ってくれなかったの?酷いじゃない!」というもので、もっぱら母への恨みや大切なことを言えなかった母への情けなさでした。
母曰く、後妻の祖母が来るまで親戚の家に預けられ、その当時の思い出が辛すぎて思い出したくなかった、とのことでした。また、祖母は実の母と変わり無い接し方をしてくれた、と。祖父が先に亡くなり、一人暮らしの祖母を気遣い、深夜バスに乗って何度も会いに行っていました。亡くなってからは、かなりの落ち込みようでした。
本当の祖母のことは、写真でみたら凄い美人で洋館で育ったお嬢様、お手伝いさんを連れて祖父に嫁いだ、発病後は子供(母)に移らぬよう、実家に戻った、そんな簡単なことしか知らされていません。
でも、「自分のアイデンティティが欠落した、、、」というような気持は殆ど感じなかったです。余りにも遠い昔の話だからなのか、あるいは、例え祖母とは血のつながりがないとしても、その人に育てられた母から私が産まれたことは事実ですので、私個人にとっては大差のないことのような気がしています。兄弟もいますが、多分思い悩んではいないと思います。
実祖母のことは非常に気の毒だったと思い、時々想像しては涙しています。
私が思うに、祖父母にせよ、精子・卵子提供にせよ、「全く誰か分からない」というのは「どこの馬の骨とも分からない」という感覚で、苦痛をもたらすと思います。でも、私のように僅かな情報でもあれば、また、その血の繋がりのない人間関係が悪いものでなかったなら、大分違うのではないでしょうか?
一昔前は戦争もありましたし、医療も進んでいなかった、不妊治療もほとんどなかったわけで、孤児となって他人に育てられた子供や養子に行かされた子供も少なくなかったと思います。現代の私たちは、そのような身近な例がなくなって、「血のつながりのない親子」を余りにも特別視・気の毒視してしまうのではないか?とも思います。
すいません、スレからいささかずれてしまいますが、書きたいことがあります。
「血のつながった親」というのは、必ず素敵なものかというと、そうでもない例も見られると思います。
私の父は、私が思春期のころ、仕事に行き詰まっていたのか些細なことで私をしかり、時には馬乗りになって殴り、火傷させられそうになったこともあります。残念ながら、母はそれを止めてくれませんでした。
でもまあ、親が年老いてからは、性格が穏やかになった部分もあり、こんなものだと思い、今はほどほどの親子関係を保っています。私が学園の子たちと共感できるのは(共感していると思っているだけかもしれませんが)、こんな体験も下地になったのかなあと思います。
匿名さんのお書きになった、自分の出自を知りたい、という「アイデンティティ」の問題は、大きなものだと思います。地面の基盤が不確かなような不安があるとお察しします。
また「今自分が幸せであることと、自分の出自、生物学上の実の親のことを知りたいというのは全く別問題」であり、育ての親を愛しながらも、生物学上のルーツを知りたいという気持をもつ方も多くいらっしゃると思います。
一方で遺伝子の家族にも心の影ができることがあります。「血のつながり」が人を傲慢にすることもあります。過干渉や放任など、今の日本の家族は、いささか「血の上あぐらをかいてしまい」、子の心を傷つけている場合があるように思います。
家族というのは不思議な不思議な共同体だと思います。何が良くて何が悪いのか、簡単には決められず、見る方向でいろいろな光を反射させます。できることは、その光を慎重に見つめながら、自分が納得でき、家族を大切にする道を、決めて進むことなのかもしれません。
私は自分のエゴで、私の子を生み出してしまったのかもしれません。自分のできることは、自戒しながら親という立場に甘えずに、我が子の心を大事に育てていくことかと思っています。
アメリカで卵子提供を受け、現在妊娠9ヶ月です。
出産前ですが、現時点での私の思いを書いてみようと思います。
私は加齢という以前に卵巣機能が弱く、自己卵子での妊娠の可能性はありませんでした。結婚後にそれがわかり、涙ながらに「夫婦二人で生きていこう」と、30代は仕事に邁進したりしてそれなりに満足していましたが、40歳頃から根強い虚無感を自覚しました。まさしく、トピ主さんが書かれた「もう何も欲しいものはない。出産・育児以外に人生に求めるものはない」という気持ちです。
卵子提供で生まれる子が「だれか知らない人の子供」と思われているようですが、私にはそのような感覚が全くありません。
というのは、父親が夫であることは確実ですし、ドナーさんは匿名性はあるものの「全く知らない人」ではありません。写真数枚と本人直筆のアンケート回答(プロフィール)で選び、その資料は持ち帰ることができました。
名前はファーストネームだけですが、学歴欄で学科が書いてあり、たまたま珍しいものでしたので、大学も分かりました。また、採卵の際、ドナーさんも他州から宿泊しつつクリニックに通うのですが、その間の各種レシートコピーは後日清算の時に全て添付されていました。例えばスターバックスでどんなドリンクが好きなのか分かったりします。
同じ日本人ですので、10枚以上のアンケート回答を読んだりしていれば、人となりなど想像がしやすいです。
ドナーさんにも「自分の卵子がどこの誰の子になったのか?」と気になる方もいらっしゃるようです。お世話になったエージェントは、移植後、レシピエント(私たち)からのサンキューレターをドナーさんに渡す習慣がありました。本名など個人情報等は書けない約束でしたが、直筆でカードを書いた他、私はパソコンでA4一枚のお手紙を添えました。
私たちは、将来子供に卵子提供を受けたことを話すつもりですが、その際、上記の資料を見せるつもりです。もし、「本当のお母さんに会ってみたい」といえば、可能な範囲で手伝うでしょう。
もし「実の子じゃなかった」(とは私は思いませんが)と恨まれたら、謝りつつ、「どうしてもパパの血を引いた子供が欲しかった。ママは、ママになれて心から幸せだよ」と言うしかないと思っています。
HALさんがシンポジウムでの貴重なお話を披露して下さいましたが、精子提供ってどの程度ドナーさんを知ることが出来たのでしょうか?
事実を子供に打ち明ける際、本当に「誰か全く知らない人」からもらった、というのは、子供にとっては非常に不安だと思います。
長くなってしまいましたが、もう一つ付け加えると、「自分の遺伝子を残したい」というご意見をよく見ますが、私には余りピンときません。
見ることも触ることもない「遺伝子」って、それほど子供に伝わるのでしょうか?親子間で顔形が似る、などは事実だと思いますが性格・知能などは遺伝子じゃないと思います。私は「(生まれよりも)環境が人をつくる」と考えるタイプのようで、母親として子供を育てる過程で、私が大切に思うことや楽しみ・考え方など伝えることはできると思いまし、そちらの方が大切なのでは?と思ったりします。
長文すみません。
提供を受けなくて子供に恵まれれば、それが間違いなくベターだと思います。でも、提供を受けた結果、様々な苦悩があったとしても、それに余りある幸せがあると思っています。
私自身は40才のとき幸運にも一児に恵まれたので、不妊に悩む方の本当の苦しみがわかりますとは言えない立場です。だから、卵子・精子提供については個人的には理解できないけれど現代医学の技術でそれが可能であるなら、それを受けて子供を授かることもその方の自由だとも思っていました。
その考えが変わったのは一昨年の事になります。私自身が、大好きだった祖父の本当の孫ではないと知ってからです。誰とも知らない男性と祖母の間に出来た息子が私の父であると知ったのは40才をとうに過ぎてからです。
両祖父母と父が他界している今、真実を語ってくれる人はいません。私はこの事実を知った瞬間から足の下に底の見えない真っ暗な穴があいているような気持ちを消し去ることが出来ません。まさしくアイデンティティの欠如と表現できるような気持ちです。私は一体誰の血を引いて生まれてきたのか…。そして、我が子の中にも、その知らない血が入っているのだという申し訳なさ。
この掲示板で卵子提供が成功された方の報告などを拝見していて、それでも、生まれた子には一生秘密にしてさえいれば私のような気持ちになる子はいないかもしれないなどとも思っていましたが、HALさんの書き込みを読んで真実を新たに知り、そんな簡単な問題ではないということを痛感しました。
『遺伝子なんて関係ない、私のお腹で育てたのだから私の子』、『どんな形であれ授かり物』、『我が家にやってきた運命の子』、
…失礼ながら、どんなに綺麗な言葉を並べられても、それは子供を意図的に作る側の主張で、少なくとも私の耳には虚しく聞こえるだけです。
この掲示板では卵子提供を良しとしている流れがあるので、こんなことを言ったら削除対象になるかもしれないと自覚しつつ、あえて言わせて頂いてます。
もちろん「出自がわからないからといって、じゃあ現在は幸せじゃないのか?」と自ら問うてもみましたが、それは自分を納得させるための詭弁でしかありませんでした。さんごさんは、若者世代にはありがちな心理、再婚相手である親と同居している子供だっていると仰っていますが、何歳になろうと心は傷付くし、悩みは底知れず深く、そしてそれが解決されることはないのです。
私自身高齢出産で、子供が出来るまでとにかく「欲しい!」と思っていましたから、授かれるならどんな手段でもという方の気持ちがわからないわけではありません。けれど、「欲しい、欲しい、欲しい!」のその先にある子供自身の気持ちも少し考えてください。もちろん、真実を知っても真っ直ぐ育つお子さんはいらっしゃるでしょう。しかし、真実を知って何一つ動揺もしない人間はいないということを、卵子・精子提供を視野に入れている方にはしっかりと心に留めておいて欲しいと切に願います。
スレ主さんの主旨とは微妙に離れたレスになり恐縮ですが、出自がわからないことで死ぬまで心に影を持ち続ける者がいるということをどうかご理解下されば幸いです。
秋の風さんこんにちは。
卵子提供で授かった2歳児の子を持つ母です。
不妊治療が行き詰まっていた時、私は、妹が「そんなに悩んでいるなら、卵子あげるよ」と言い出してくれるまでは(予想外の提案でした)、週末里親さんになることなどを視野に入れていました。
いくつかの乳児院、養護施設などでボランティアをさせてもらっていて、一カ所、とても懇意にしてくださった学園があり、しばしば通うようになり、そこで暮らす子たちとも、仲良くさせてもらっていました。(不妊治療と、里親さんのことを同時に考えていたので、いささかやましい気持になることもありました。)
懐の深い学園で、今も、交流を続けさせてくださり、私はうちの子をつれて学園に遊びに行き、前からの仲良し仲間と遊んだりしています。「○○ちゃん(うちの子)のお姉ちゃんになってあげるよ」なんて言ってくれる子もいて、皆、親と別れた辛い経験を持っている子たちなのに、なんともジーンとしてしまいます。このまま、みんなが大きくなるまで、仲良しでいたいと思っています。
「自分の子」「他の子」と、観念で考えているのと、「ご本読んでね」とヒザに座ってなついてくれる子供たちと、肌で接するのではぜんぜん違います。子供の心の素直さや輝きは、とても素敵なものです。
卵子提供も、もちろん大きな選択ですが、悩んでいらっしゃるのなら、児童館の手伝いとか、親戚の子でも良いですし、あるいは乳児院のボランティアとか、ちょっと子供と接する機会を持ってはいかがでしょうか。不妊治療中は、赤ちゃんや子供を見るのはかなり辛いものですが、思い切ってしまえば案外できるというのが自分の経験です。こどもの匂いや暖かさに接してみて、ご自分の気持に問いかけてみてはどうでしょう。
それから、卵子提供での子を育てるという体験は、私の名で過去ログをひいていただけたらわかると思いますが(お恥ずかしい部分もありますが)、大いに悩む時期もありますが、だんだんに母としての自信が出てきます。
「きっとこの子がうちに来る運命の子だったのです。」という、たまごボーロさんの言葉も、今は自分も良くわかります。あるとき、妹が卵子提供を言い出したのも、きっとこの子が私のもとに来るように、神様が計らったのだと思います。「かわいそうに、妹は自分の一番良い卵子を私にくれてしまったな」と、最近冗談めいて思ったりします。それほど、うちの子はカワイイなあと感じます。
時には「ああ、後世に遺伝子を残したかったなあ」と思うこともありますが、幸せな毎日のなかの贅沢な悩みという感じです。この子がいない人生なんて考えられません。
でも、もし運命が、週末里親さんになるなどの方向に進んでいたとしたら、きっと、そこにも母になる別の方法があり、心温まる日々があったように思います。人の絆というものは、時がはぐくんでくれるように思うからです。
私は今、妊娠中です。内膜症があり、ラパロ後、自然妊娠で授かりましたので、卵子提供の体験者ではなくすみません。
アメリカ在住なので、卵子提供はそれほど奇異なものではないのですが、やはり通常の不妊治療とは違う。自分はその一線は越えられない、いう気持ちは消えませんでした。でも妊娠後、「たとえ卵子提供であろうと、遺伝子が自分のものではなかろうと、自分のおなかから産んだのであれば間違いなく自分の子だ」と思うようになりました。
胎盤でつながって、私の食べたものが胎児に伝わる。私の快不快を含めた感情が、胎児にもつながっている。キックゲームをすると、確実に反応を返してくる。おなかの中の胎児と私は、本当に一心同体なんです。妊娠前には、胎児と母親にこれほどのつながりがあるとは想像できませんでした。
もし卵子提供に踏み切り、うまく授かったなら、遺伝子がどうであれ、まぎれもない「あなたの子」ですよ。きっと、この一体感を味わい、それを忘れなければ、将来お子さんに真実を話すときにも、「遺伝子は違うけれど、私はあなたの紛れもない母親よ」と説明できるのではないでしょうか。
ご自身の子を持ちたいという希望は当たり前の欲求で、それをわがままだなんて思う必要はないと思いますし、むしろ卵子提供の問題点などについて、自分の身に置き換えて、真剣に向き合っていらっしゃると私は思います。
私は先月、AI(精子提供)で生まれた人々のシンポジウムを聴講したのですが、上は60代、下は20代前半の方までいらして、自分の出生について真剣に悩んでいらっしゃいました。
今自分が幸せであることと、自分の出自、生物学上の実の親のことを知りたいというのは全く別問題なのです。また、親にAIで生まれたことを隠されてきて、病気や血液型などで判明してしまったケースは、ほんとうに親子のきずなにおいて深刻な亀裂を招いているケースがほとんどでした。抱える秘密の大きさにつぶされ、離婚する夫婦も多いそうです。また、発言されていた方たちは「親の態度から自分は本当の子供じゃないんじゃないかとどこかで感じていた」とも言っていました。
卵子提供や精子提供は今や意図的なDNA鑑定のみならず、検査を受けて判明してしまうことも多く、親の一存で墓場まで抱えられる秘密ではすでになくなっています。
「そんなことは気にしていない」という価値観の人たちもたくさんいるはずでだなどと憶測のみで書いている人がいますが、当事者たちの苦悩を知ってしまったら絶対に軽々しく口にしてほしくない台詞です。
私も不妊治療経験者ですので、卵子提供を否定するつもりは毛頭ありませんが、卵子や精子の提供を受ける場合、子供に早い段階で告知が必要であると、世界中のこういった団体が結論付けています。
そういった諸々のハードルを考えても、わが子には自分の遺伝子を、というこだわりがあるなら、それを簡単に捨てないほうがいいのではないでしょうか。少なくとも違和感があるうちは、やめたほうがいいのではないかと私は思います。
秋の風さん、未だ我が子にあえない寂しさは
同じ身の上の私も 痛いほどわかります。
私(48歳)も 現在も産婦人科に通い続けるも、タイミング指
導のみの経験で、このまま我が子をこの手に抱く事を諦めることは
できません。
こんな私の今の希望の源は、先日新聞情報で 子宮の機能が弱ま
った人の子宮に、妹の子宮の組織を移植したら、卵子の再生産が始
まったというものがありました。とても、喜ばしい事実ですよね。
私には、残念ながら妹はいませんが、そうゆう医療技術の進歩が
何より私自身の先への希望を与えてくれます。
秋の風さんも 夏から秋へ 心寂しい季節ですが
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋と何事にも意欲的に取り組み
やすいシーズンです。
一緒に幸せな将来を目指して 毎日暮らしていきましょう。
はじめまして。
秋の風さんの不安な事、私も、考えました。
例えば、自分のDNAだったら、子供が不良とか、色々不都合に成
長した場合、育て方を間違えたと思ってしまいますよね。
では、自分のDNAじゃなければ、育児放棄?卵のせい???
なんか、おかしな話ですよね。
自分の遺伝子を残したい。その気持ちも、理解できます。
私は、自分が、この世に生まれ、色々体験できました。そして、
たいした事はないけど、作ってこれた物があります。それを、子供
にバトンタッチしたいと思っています。
卵子提供は、遺伝子が違っても、母の血液、体温、精神などは、繋
がることができます。なので、私は、深く考えず、
子供は、神様からの授かりものだと思う事にしました。(無宗教です)
そして、私たちも、そうですが、自分の親を選び、親を助ける為に
生まれてきたと思うようにしました。
秋の風さんの悩みの主旨とは、ずれましたが、発言させていただきました。
失礼な部分が、ありましたら、本当にごめんなさいね。
秋の風さんのところに、こうのとりがきますようお祈りしています。
秋の風さんはじめまして。
卵子提供で子供を授かり3歳になったばかりの息子を育てていますたまごボーロと言います。
秋の風さんのご心配はもっともです。
そういう心配不安はあって当然なのです。
私も同じように悩みましたし、少なからず提供を受け、受けようとしている方は大なり小なり、不安悩みはあることでしょう・・。
息子は3歳になりましたが、私もこれでよかったのか
まだ答えはわかりません。
壁にぶつかるたび、自分の本当の子供じゃないからかしらと
ふとっ考える自分を何度もしかったり、今だってしています。
でもね、きっとこの子がうちに来る運命の子だったのです。
育てにくいと思ったり、まったく言うことを利かない、病気ばかりと嘆いていても
じゃ自分の本当のDNAを継いでいる子は『育てやすい子』
『言うことを素直に利く子』『病気をしない子』だったのか・・・いや、きっと同じように色々悩んでいるのでしょう・・。
他人の卵子の子供であれ、自分の子供であれ
きっと子供を育てるとはそういうことなのでしょう。。。
子供はいつにか巣立ってしまいます。
今の時代は私たちの時代よりずっと早く巣立ってしまうかもしれません。
それまで、神様に『子育て』という貴重な時間を頂いているだけなのかもしれません。
子供の人生は、親のものではなく本人のものです。
産んだ私から一言。
子育ては苦労も喜びも沢山あります。時に苦労のほうが多いと感じる時もあるでしょう。
でも、小さな命がもたらす輝きや喜びはご夫婦、ご両親にかけがえのない大切なものにきっとなるはずです。
授かるのはあなたたちの運命の子なのです。
ドナーとの出会いも、移植する受精卵も、着床しこの世に生まれ出てくるであろう命はすべて偶然ではないと
育てていると絶対にわかるはずです。
こんにちは。
私も卵子提供を真剣に考えているところです。
まず
>わたしは子育て以外残りの人生やりたいことがありません。
このセリフが引っかかりましたが、それほど秋の風さんが
不妊に追い詰められているということですよね・・・。
正直言うと、子育て以外にやりたいことがない人が
果たして子育てができるかというところが疑問ですが、
今は余裕のない状態なので、そういった考えになっているのだと
思います。少しリラックスできるといいですね。
それから
>もしわたしが、卵子提供で生まれたとしたら、
やはり血のつながった親を一目でも見てみたいと思う。
これは、個人個人の価値観の違いだと思います。
秋の風さんやご主人がそういった価値観をお持ちの方なら
やはり第三者からの提供は難しいのかもしれません。
私はそういう考えではありませんでした。
もし自分の親が遺伝子がつながっていないとしても
親は親なので、何ら変わりはないと思います。
アイデンティティ云々の記事などは私も読んだことがあります。
でもそこには悩みをもった人だけがフォーカスされて
出てきているんです。
第三者からの精子提供で生まれた子どもたちの中にも、
「そんなことは気にしていない」という価値観の人たちも
たくさんいるはずです。
でもそういう意見は目には見えてこないんですよ。
確かに心理学的には興味深いテーマでしょうから、
知ったかぶりの心理学者などが「アイデンティティの欠如」
などと言って理論をこねくりまわして体験談を集めたりします。
悩んでいる本人の意見も読んだ事がありますが、
その世代の若者であれば皆抱えるような悩みのようにしか
私には感じられませんでした。
よほど鈍感な人間でない限り青年期には自己確立に関することで
多かれ少なかれ悩みを持つものです。
世間には物心のつかないころに片親を亡くして
再婚相手としての親と暮らしている子どもだってたくさん
いるでしょう。
卵子提供や精子提供で生まれることが
それほど特別なこととは私は思いません。
私たちは夫婦でよく話し合った結果、
卵子を第三者からいただいたとしても
紛れもない自分たちの子どもとして育てるという自信を
もてたため、提供に向けて進む決心をしました。
もちろん、将来本人に告げるタイミングなど
慎重に考えなければならないことはたくさんありますが、
家族で乗り越えていこうと思っています。
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皆様、
貴重な体験、いろんなご意見いただきありがとうございました。。
このことに関しては、いろんな価値観がありこれが正しい、間違っていると一言でいえることではないと思いました。
私自身、遺伝子のこだわりというのはあります。
でも血がつながって無くても、提供で授かったとしたらもまぎれも無くわが子だと思います。
まだ心の迷いはあります。
今すぐに結論は出せませんが、幸せな将来を目指して生きたいと思っております。
ありがとうございました。