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こんにちは、
わたしは今ロンドン在住です。
このVOICEにも海外在住の方がたくさんいらっしゃると思います。
ロンドンの地下鉄に乗っていると生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて
物乞いする母親を時々見かけます。
その方にもいろんな事情がおありになり経済的に生活が困難な状態なのだとは思いますが、わたしはそのような母親をみてとてもお金を与える気がしません。
子供を授かっただけでも、十分に幸せなのにそのうえお金までわたしはそんな幸せな人に払わなくてはいけないの?という気持ちになってしまいます。
わたしは子供がほしくても ほしくても 授からないのに どんなに高い治療費を払っても恵まれないのに、
それなのに、子供に恵まれているあなたを援助しなくてはいけないの?
そんな母親を見るとちょっと不快な気分にまでなってしまいます。
子供に恵まれないことで自分自身卑屈になってしまっています。
こんな光景をみてとても複雑な思いでいっぱいです。
グチになってしまってどうもすみません。
聞いていただいてありがとうございました。
- 不妊治療は心を疲弊させますよね・・・ - ツバメ号 - 2008年08月20日 22:27:16
- ジプシーは日本語で。。 - バンビーヌ - 2008年08月16日 12:06:22
- ありがとうございました。 - くるみ - 2008年08月10日 19:58:51
- とぴずれになりますが・・・ - お蕎麦 - 2008年08月 8日 16:19:35
- 子供を利用した犯罪 - サクラ組 - 2008年08月 8日 09:57:55
- 気持ち分かる - りんか - 2008年08月 7日 21:50:19
- トピズレ承知で一言・・ - とくめい - 2008年08月 7日 16:30:12
- 比較は止めて、気を楽に! - ジュゴン - 2008年08月 6日 21:38:46
- お気持ち分かります - なるまん - 2008年08月 6日 19:18:23
- 別だと考える・・・ - くじら - 2008年08月 6日 13:59:51
- 愚痴も言いたくなりますよね - ショコラ - 2008年08月 6日 05:15:42
- 難しい問題ですね - hanako - 2008年08月 5日 14:08:00
- ホンモノかなぁ・・・ - お蕎麦 - 2008年08月 5日 11:10:53
- 物乞いの方がよっぽど辛いと思います - 綿飴 - 2008年08月 4日 18:59:18
- いつも思うこと - あすぱら - 2008年08月 4日 15:37:31
- 子供が可哀想 - 同じく海外在住 - 2008年08月 4日 15:35:22
- 気持ちがわかりませんが・・ - タホロン - 2008年08月 4日 15:31:37
ジプシーは日本語で「放浪者」となり、同じ場所に長く居たがらない人のことをさします。
私も19年前、イギリスの南部の海岸ぞいの避暑地に留学で住んでいたことがありますが、1ヶ月に1回はロンドンによく遊びにいってました。
とにかく、若い10代の子供のホームレスらしき子はよく見かけましたが、親子づれの物乞いは見たことなかったです。あの時代は、イギリス大不況時代でしたから。。。
パリに旅行したとき、地下鉄で親子連れの物乞いによく会いましたが、何もあげませんでした。というか、子供をいっしょに連れまわすなんて、なんて親って軽蔑しましたよ。
日本でもときどき、エホバの証人の人が必ずといっていいほど、子供をつれて、個人宅を訪問しているようですが、これも子供にとってはいい迷惑ですね。同情を集めるためとしか思えません。
やるなら、大人だけでやってって思います。
子供がいるから必ずしも幸せではないと思います。
ほしくないのに、子供ができた人にとっては、不幸なことだと思います。
それと、わたしが今でも納得いかないのは、「子供は親を選んで生まれてくるのよ」っていう人がいますが、これも違うって思います。子供は、虐待する両親、レイプされた母親、ホームレスの両親(韓国に多い)、子供をほしがってない両親を自ら選んで、この世に生まれてくるとは思いません。その子供がもつ運の強さできまっている気がします。
不妊治療してて、本当に子供を望んでいる両親のもとに生まれることができた子供は最も幸せな気がするのです。
皆様
いろんなご意見、アドバイスいただきありがとうございます。
くじらさんのおっしゃるとおり、産めないわたしは いちばん不幸
って思っているのです。
わたしは45歳ですでにほとんど閉経状態です。
お医者様にはもう無理ですね。といわれています。
生理があればまだなにか方法があるけれど、卵巣が機能していないともうやりようがありません。
どんなに物乞いでも、産んだ女性がうらやましいのです。
わたしにはできなかったことをこの人はやりとげている。
お金の問題はなんとかする方法はあるけど、閉経したらもう方法はありませんから。(卵子提供という方法はありますけど、そこまでいまのところは考えていません。)
でもジュゴンさんのおっしゃるとおり、その女性がほんとに産んだのかどうかなどはわかりませんし、子供を使いまわして、稼いでいるだけかもしれませんね。
あまり この人が産んで、わたしは産めないと人と比較しないことですよね。
もうあきらめるしかないっていうのはわかってはいるけど、やっぱり産みたいという気持ちが強く、正直 子供をつれている女の人みるといいな うらやましいなと思ってしまいます。
そう思うと産めない自分が惨めになるんですね。
産みたいと思う気持ちをどうやって捨て去ったらいいのか、どうやったら気持ちが楽になるのかまだ自分自身その気持ちと格闘している毎日です。
>「ジプシー」というのが差別用語だというのはご存知でしょうか?念のため。
わたしは、知っていますよ、差別用語として現在は認定されていることを。
そしてそれがとても不便だと感じています。
現地では例えば地下鉄で、ジプシーのドロボウが沢山いるので注意してください、と放送するときには、まわりまわった表現をしているようです。
でも日常生活レベルでは皆ジプシーと呼んでいます。
そのほうが誰でも理解できるからです。
まわりまわった表現は苦笑されるだけ、あるいはきれい事にしか感じません。
日本語では何と呼べばよいのでしょうか?
とくめいさんは、ジプシーを、なんという他の語に置き換えてらっしゃいますか?
パリに住んでいた時、実家の母が訪ねてきてくれました。
地下鉄から地上に出るのぼりエスカレータで、同じような物乞いの女性とベビーが寄ってきて、人のよい母は子供にバイバイ、とか、笑いかけていたところ、その下で物乞いの女性が母が斜めがけにしていたかばんをさっと開け、パスポートの入ったケースを持って走り出しました。
私はかっとなっておいかけ、無事にこれを取り戻しました。
こわかった。。。つかんだときの彼女の腕の細さも、刃物を持っていたかも知れない、と後から考えたときも。そして、子供をダシにこんなことをする女性に対して、憐れみではなく憎しみがわいてきました。今思い出しても体のアドレナリンが走ったあの時のことを思い出します。
全然関係ない話でごめんなさいね。
私も同じようなことよく考えます。
私も海外在住で、貧しいお母さんが子供を抱っこして寄ってきます。
私が思うことは、
私は食生活に気をつけて、規則正しい生活をして、
漢方を飲んで、高い注射を使っても妊娠できないのに、
こんなに栄養失調のお母さんでも出産でき、
ミルクがろくに飲めていないだろうに子供は育つんだ...
ってことです。
高額の医療費を払って毎日頑張っている自分が可愛そうに思える瞬間です。
でも彼女からすれば、キレイな家に住み美味しい食事ができ
教育を受けられて毎日の生活が保障されているのに、
これ以上、子供まで望むの???って気持ちだと思います。
自分にとってかけがえのないもの、
自分と家族が健康で、日々の生活を送れることに感謝して、
それでも子供はどうしても欲しいから
自分のできることは頑張ります。
いろんな場面で辛い気持ちになることも多いけど、
頑張って、いつか乗り越えられる日が来たらいいなと思います。
まったく主題と関係ないんですが、気になったもので一言。
物乞いと、その人たちにお金を上げるということに関し、一般的な日本人と、キリスト教国、あるいはイスラム教国とでは、考え方が違います。
その人たちのために金品をあげるというよりかは、自分自身の神様への点数稼ぎ・・というとまた誤解されそうですが、天国に行くために徳を積むといえばいいでしょうか・・のためという側面があります。
物乞いをすると言う行為を恥だと思う感覚も、ちょっと日本人のそれとは違うかなー、と思います。
社会福祉が救いきれない部分を、教会に通う人同士で補っていたころの名残なのかもしれません。
礼拝の後、寄付金集めが回りますね?あれを地下鉄でやってると思えばどうでしょう?
だからと言って・・な話ですが。すみません。
また、「ジプシー」というのが差別用語だというのはご存知でしょうか?念のため。
くるみさんと同じくロンドン在住です。
まず、ロンドンの物乞いに関しては、お蕎麦さんの言われるように移民の人が殆どと思います。その人たちは「子供がいるのに生活に困ってる、可哀想!」という人の優しい心、同情に付け込こうとしていることがあるようです。ですから複数の女性で同じ子供を使い回ししていると聞きました。子供といるときの方が稼ぎが多いからです。ホームレスに犬を連れて駅前に座っている人たちが多いのも同じ理由からでしょう。その方が人の目を惹き付けやすいのです。ボロを着て物乞いをしている人の中には、帰る家があり車を持っていて、帰ると綺麗な洋服に着替える人もあるという話も聞いたことがあります。完全に職業化しているわけです。ですから、私もお金をあげることはありませんし、そんな自分を責めることもしません。第一地下鉄内での物乞いは禁止されていますから、何もあげない方が良いのです。
ただ、今の世の中、特に世界で第2番目に物価の高いロンドンで生きていくことはとても大変です。中には本当に貧しくて他に生きていく方法がなく物乞いしている人もいるでしょうから、それを見分けるのが難しいですよね。そういう人の場合には、もし私にでも出来ることがあればしてあげたいと思っています。
それから、私が上に述べたのはロンドンでの状況であって、貧しい人々の多いアジアの国の状況とはかなり異なると思います。今日の食べ物のためにさ迷う子供を見るのは本当に心が痛みます。
問題は、物乞いをしている母親と不妊治療をしている自分とを比べてしまうくるみさんの心です。「子供のある」いかなる状況にある全ての女性と自分とを絶えず比較するのは疲れるだけですよ。私も幾度かのIVFへの挑戦にもかかわらず成功せず、借金だけが残りました。自然で授かる見込みも全くなくて今は諦めるだけです。とても悲しいです。けれど物乞いの生活と自分の状況を比べたことはないです。別の方向に目を向ける方が気が楽になりますよ。
それから、このVoiceに昨年出産された「くるみ」さんがいらっしゃいますが、同じ方でしょうか?文面からは別人のように思われるのですが…?
国・人種 といっていいのかな すべての人とは言わないけど
観光客目当ての物乞いが 職業として成り立っているし・・・
一人働けば 親戚がそれをたかるのが当たり前・・・
国からの補助で 働かず遊んでいる種族・・・
いろんな考えの人間がいるんですよね。
物乞いが 当たり前だと思っている人に お金をあげる必要は無いと思います。
日本でも 若いホームレスの夫婦が 出産を控え困っていると テレビで見たことがあります。
公園でダンボールの家に2人生活しているのですが 困っているなら仕事探せよ!!! といいたくなりました。
残念な事に このような環境で育った子は 同じような考えで 同じような生活を送っていくんですよね。
子どもを 虐待したり・捨てたり・きちんと育てない親に いらだつ気持ち よく分かります。
でも きっと 子どもを授からない私達にも 何かを学ばせようという 意味があるかも・・・
もしかしてご自分が一番不幸?とお思いになられていませんか?
自分と他の人の状況を比較せずに、自分にできる事があったら、やる程度の事で気を楽に持たれてはどうでしょうか?
物乞いをする状況なのに、子供を産んでしまう・・・という母親については、どうなの?と私も思います。私の友達の娘が19歳でシングルマザーで認知もなしに出産したと聞いて、これからどうするの〜?働いた事もない子で職もないのに、どうやって子供を育てるの???と思いました。
でも、自分の人生計画を第一に考え、出産を40まで先延ばしにして、不妊期間4年で授からない、私には何か正解で何がダメなのか?わからなくなってきました。
きっと、どうゆう状況でも子供は育っていくでしょう・・・
どうゆう環境で育てるかは母親次第ですが・・・
何が言いたいのか、はずれてしまいましたが、この人はXXなのに、私がXXしなくてはいけないの?的な考えから自由になれたら、きっと赤ちゃんがやって来ると思います・・・
余談ですが、スピルチャルな世界では、天国に赤ちゃんが並んで下に下りる順番を待っているらしいです。そして、自分の番が来ると、お母さんをお腹が開いている人から選ぶんだそうです。
その時、心が開いてないとお腹が開いて見えないらしく、つまりは気持ちをゆったり持つという事らしいのです。
余計でしたが・・・・
心の底から憎んでるわけじゃなく、ただ目に余るだけの日常の出来事なんですよね?
私も海外居住者ですが、お金がないことを恥ずかしいと思わずに、可哀想でしょ、同情してよ、とむしろヒロインと化してしまう人の多いことに驚きますね。
私もその場にいたら、寄付は出来ないと思いますよ。生活もできないのにどうして子供産んだの?と思います。
小さな小さな子供を抱えて物乞いする母親を見て
私もあまり協力的な気持にはなれない一人です。
それは、多くの場合、子供や動物、足がないなど体の欠陥を
たてに同情をひき、お金を集めようとしている人が多いのも
事実だからです。
何かを渡すなら、お金を渡すのではなく、ミルクや食事をあげるという考えが、私の気持に近いと思います。
とはいえ、そんな境遇の人を、子供がいるからという理由だけで
自分より幸せとも思いません。同じように、お金はあるけれど子供はいなくて、高額医療にお金を費やす人を、前述の人より幸せだと言い切ることもできません。
わたしはフランスに住んでいますが、
同じような乳飲み子抱えた物乞いがよく地下鉄にいます。
大抵はジプシー、ときどき白人、
あまりにも物乞いが多いので
「あれは本当の自分の子供なんだろうか」
「自分で自発的にやっているのだろうか」(大きなジプシーなどの組織もありますから)
などなど・・
素直にその光景をそのまま信じられないすれた考えが身についてしまいました。
だからいつも、無視しています。
でないと大変です、毎日乗ってくるのもいますから。(同じ人ですよ!)
また一駅一駅で、違うのが乗ってきたりと
地下鉄は物乞いラッシュです。
地下鉄を降りれば階段に別の物乞い。
地下鉄の物乞いにはうんざりな毎日です。
ジプシーなどもいますので・・
どうぞお気をつけになって下さい。
すんなりと、または欲しくて授かったワケじゃない、というひともいると思いますが、若くてああして乳飲み子つれているような人には、子供を授かったことがありがたい、なんていう気持ちはないのかもしれませんね。嫌ですね、そんなのって、特にわたしたち高齢で治療している者にとってはね。。
昔ロンドンに住んでいたのですが、乳飲み子を抱えた女性の物乞いは見たことがないと思います。
本物の親子なのだとしたら(少しでも恵んでもらうため借り物の赤ちゃんではなさそうなら)、私なら違う感情が生まれると思います。
乳飲み子を抱えて陽の当たらない埃だらけの場所で物乞いしなきゃならないなんて、余りにもひどい状況だと思いませんか?
確かに子供をなかなか授からないのは辛いことです(私も経験者です)。でも、パートナーがいて、衣食住に事足り、高い医療費を負担できる経済状況にあるならば、そう不幸なことじゃないのではないでしょか?これから授かる可能性もあるわけですし。
きっとトピ主さんお疲れなんだと思います。
どこか雄大な自然のある場所に出かけるなどして、リフレッシュしてはいかがでしょう?
不妊治療中、自分が世の中で一番不幸と思ってしまうときがあります。
他人の子供に関する発言で傷つき、なんて人の心が分からない人なんだろうと怒りが爆発したり・・・
私もそうです。
でも世の中にはいろんな悩みを持った人がいます。
病気や家族のこと、お金のことなど、想像がつかないような苦しみを味わっている人はたくさんいます。
他人にその苦しみを隠している人に対して、私も失礼なことを言っているかもしれない・・・ある日、悩みを打ち明けてくれた身近な友人の言葉に私はそう思いました。
この世の悩みは不妊だけじゃない、自分だけが苦しんでいるわけじゃない。
ただ、苦しみというのは味わった人にしか分からないもので、不妊の辛さも味わった人にしか分からないけど、自分も他人の気持ちを心底気遣うことができるか、といったらそうでもないのですよね。
人の幸・不幸は子供だけで決まるものではないと思っています。
くるみさん こんにちは、
くるみさんのお気持ちよ〜く分かります。
私はタイ在住ですが、同じ光景を良く見かけます。事情は分からないし、理解することもできませんが、子供にはまったく罪がないし、とてもかわいそうで無視することができないので、私はいつも赤ちゃんようのミルクやベビーフードまたはお母さんも食べられるようにパンやご飯は少しずつ渡してます。
私もくるみさんと同じくお金は絶対に渡しません。
以前はカンボジアに住んでいましたが、子供の物乞いがたくさんいて本当に心が痛みます。 みんな同じとは言い切れませんが、パターンとしては観光客が10ドル20ドルと子供たちに与えるため、親が味をしめて子供を学校へ行かせないで物乞いをさせていると聞きます。
赤ちゃんを抱いている子供が物乞いしている光景もよく見かけます。同じようにお金ではなく、食べ物やミルクを買って渡していました。
私だったらむしろ、同情するかなぁ・・・
せっかく授かった子供をしっかり育ててね、って寄付します。
子供ができない自分の現状と、子供がいて経済的に困窮している彼女とを比べてることが理解できないです。
>>わたしは子供がほしくても ほしくても 授からないのに どんなに高い治療費を払っても恵まれないのに、それなのに、子供に恵まれているあなたを援助しなくてはいけないの?
むしろ、生き死にに関わらないことに‘治療’費を出せる自分の境遇に感謝します。
自分のための治療でしょ?お金使うのがいやなら使わなければいいじゃないですか。
働きもしないで人の情けにすがるなんて、っていう憤りならわかるんですけど・・・
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こんにちは、くるみさん。卵子提供で授かった子を持つ、50歳になった者です。
話題がズレていたらごめんなさい。
私も不妊治療中は、お腹の大きなお母さんや、公園の子供連れなど、見ているのが相当に辛かったです。今は、親バカになり、前は怖くて行けなかった公園で、子供と一緒に夢中で滑り台を滑っていたりしますが、それでも時々、ああ、自分は後世に遺伝子を残せないんだなあ・・・と思うと、なんとも寂しい気持になります。
でも、もしかしたら、これは「不妊治療」という競技種目のゴールである「自己卵出産」に到達できなかった敗北感なのかなあ??と思うことがあります。治療を長く続けていると、産めない自分に疲れ、子供を産むことが人生の目的であり、人生の勝利のようにしか思えなくなって行く。(なんだか自分に言い聞かせているみたいですけど(^^;)、それほど治療とは心をすり減らすものなのではないでしょうか。
子供を授からない人、授かったのに子供が亡くなってしまう人もいて、一方、この世に産まれたのに親が亡くなってしまう子、親に育ててもらえない子もいます。母になる方法は、卵子提供だったり、養子であったりと、まだ選択肢があります。また、母にならなくても、面白い人生はいろいろにあると思います。また、お医者さんの宣告であきらめてから、ひょっとお子さんが授かる人もいます。
でも、今は、どうしても自分の(遺伝子の)子が欲しかったという気持から、抜けられないと思います。がんばってきた分、遂げられなかった願いは、心をキリキリキリキリと痛ませます。でも、不妊治療という戦いの勝ち負けは、人生の一部でしかないし、そもそも産む産まないは勝ち負けとは違いますし、そのうち心は安まっていくと思います。ゆっくりと心のお日様が見えて来ることを祈ります。