VOICE(掲示板)
高齢出産VOICE

高齢出産の悩みや心配事、そして生んでよかったこと。

【その他】赤ちゃんを失う悲しみに対する書き込みについて。
さんごみずき -- 2008年05月 6日 20:24:34

今まで、流産・死産・人工死産に関するスレッドで、経験者の立場から何度か書き込みをしてきました。自分のレスが適切だったのだろうかと思うこと、他の方のレスを見て感じることもありました。長くなりますが、今、私が感じていることをお伝えしたいと思います。
いろいろなご意見がおありだと思います。これをたたき台に皆さまにいろいろ考えていただき、この掲示板がよりよいものとなりますことを願っています。

1.「グリーフケア」について
5月4日付けの日経新聞に「悲嘆ケア広がる」という記事がありました。
大切な人を亡くし悲しみにくれる遺族をサポートし、立ち直りのきっかけを探ることを「グリーフ(悲嘆)ケア」と言うようです。この掲示板もその役割を果たしていますが、レスをつける際、記事にあげられているポイントが参考になりそうに感じました。以下、紹介します。
・死別の状況やそこに至る過程を重視する
・遺族の「語り」を尊重する
・遺族自身も気付いていない悲嘆があることを認識する
・「治す」より「寄り添う」
・遺族のペースに合わせる
・ケアの提供者の限界を知る
(また、遺族を傷つける可能性のある言葉として「そんなに悲しんでいると、亡くなった人が心配するからダメ」があげられていることも、お知らせしておきます。)

2.言われてつらい言葉について
同じく日経新聞(2006年6月28日付夕刊)「幼子を亡くした親 広がるケア」では、子を失った親が、周囲に言われてつらく感じる言葉を紹介しています。
・頑張って
・前向きに
・早く立ち直って(元気になって)
・もう忘れなさい
・また次の子供ができる
・赤ちゃんがママの命を助けてくれた
・お母さんが生きてて良かった
・そういう運命だった
・仕方ない
これらの言葉は、何気なく、善意で使われていることが多いと思います。でも、私自身、この「励まし」ともいえる言葉を連発されて、理由も判らずいたたまれない気持ちになり、何時間も泣き続けたことがあります。たまたまその日の夕方、この記事を目にできたため「自分の感覚がおかしいわけではない」と救われた思いがしたものです。(ただし、このときのダメージが、後に精神科を受診する原因のひとつとなりました。)
言葉は本当に難しいです。ですから、知識がなくて言ってしまうのは仕方ありませんが、もし、そのことに気付いたときには、すぐに謝って差し上げてください。

3.胎児の死亡にまつわる特殊性について
流産・死産・人工死産では、赤ちゃんの存在を周囲の人が実感できる間もなく、赤ちゃんが失われることになります。ですから、周囲の人が赤ちゃん自身の死を悼むのが難しくなります。悲しみを分かち合うことも、共感してもらうことも難しくなります。さらに、赤ちゃんがいなかったことにされてしまうこともあります。(上記「もう忘れなさい」という言葉)これは本当につらいことです。
(一般的な意味では)生まれてこられなかったけれど、みんな大切な赤ちゃんです。レスをつける方にもその点、よくご理解いただければと思います。

4.アドバイスをする、ということについて
適切なアドバイスをするのは不可能だと思って、私はずっと、自分の経験や感想を具体的にお伝えすることを意識してきました。参考情報としてとらえていただくのがいいだろうと。その程度のことが、精一杯だと思います。
結局、気持ちを回復していくプロセスでは、自分自身で気づいていくことが必要不可欠なことで、そのためには、答えではなく、気づくきっかけを提供することがより望ましいのではないかと考えています。

5.悲しみを乗り越える、ということについて
人工死産を経験して、私はこの言葉にずっとひっかかりを感じてきました。以来2年半が経ち、はっきりわかったような気がします。赤ちゃんを失った悲しみは、乗り越えるべき壁のようなものではありません。少しずつ癒すこと。それで、自分にとってかけがえのないものへと形を変えていくもののように感じています。これは人によって感じ方が違いますし、私の感覚でしかないのですが、「乗り越える」のではなく「癒す」ことが何よりも大切だと思うのです。

(なお、4月28日の「悩んでます」というスレッドにも意見を書き込ませていただいています。こちらもご参照いただけると私の考え方をより理解していただけるかと思います。)


ありがとうございました。3
さんごみずき -- 2008年05月28日 21:57:46

  【TOKUMEIさん】
私の文章力のせいで難しいと感じさせてしまったかもしれません。これで理解していただけるかどうか・・。
1.私自身について
人工死産後の現実の私にできることは、大きく2つあると考えています。ひとつは死者を大切にすること。もうひとつは生きていることに感謝して、毎日を大切に暮らしていくこと。今までの話の流れから、前者についてしか書き込んでいないので、「大丈夫か? この人。」と思われたんでしょう。

まず、前者について。特定の宗教を信じているわけではありませんが、仏壇のある家で育ったので、お茶やご飯をお供えするのが私にとって自然な行動になっています。そのときに、「今日はカレーだよ。おいしいから、いっぱい食べてね。」とか話しかけて、一緒に食べていると思うんです。このくらいのことを異常なことのように言われてしまうのは、とても寂しいです。

次に後者。TOKUMEIさんが想像している私の人物像と実際の私は、相当かけ離れています。仕事や周囲との関係がどんなに充実していようと、それはそれであって、自分の向き合っている悲しみを癒すことにはほとんど役に立たなかった、というのが実感です。絵本を買うことについては、確かに自分の中に悲しみが滓のように存在していて、それを癒す行為だと自覚しています。でも、人工死産をきっかけにできた新たな趣味でもあるんです。将来的にはどこかに寄贈したいと思っていて、そのために目的をもって本をセレクトしていくのがとても楽しいのです。今の私には毎日、ほんのささやかなことでも何かしら楽しいことがあり、新たな発見があります。そう感じられるのを幸せに思うし、それを子供たちに報告できるのが何よりうれしいことなんです。

2.スレ本題について
言葉の問題は、傍から見ればどうでもいいようなことでも、当事者にとっては譲れないことだったりもします。言葉の裏側には、その人の考え方があるからです。TOKUMEIさんもこのスレッドの中でご覧になっておわかりになるように、いいとか悪いとかの問題ではなくて、そういうことが事実としてあることを認識していただければと思います。その上で赤ちゃんを失う悲しみについてのスレッドへ対応していただきたい、というのが私の願いです。
また、おきてしまったことは「仕方がない」とTOKUMEIさんが思われるのは自由だし、そのように思う死産等の経験者もいらっしゃることでしょう。でも一方で、「仕方がない」の一言がつらいと感じる人もいらっしゃることも、スレッドの冒頭に示したように事実なんです。そういうことも知っておいていただければ、ありがたいです。

【・・・。さん】
ご心配をおかけしました。書き込んでくださったのを、とてもうれしく思っています。ありがとうございました。

【チチェキさん】
2回目ですね。この間はお返事もさしあげられませんでしたが、どうもありがとうございます。おっしゃるように、このスレを立てた動機は、私が受けたような言葉によるダメージを他の人には経験させたくない、ということです。
スピリチャルな能力をもった方。自分の言うことが受け入れられないと「おかしい」という言葉で排除するんですね。また、おかしい→カウンセリング、という図式で考えておられるんでしょうか。ちょっとびっくりしました。普通の人に一時的に大きな精神的負荷がかかったとき、その回復をサポートするものとしてカウンセリングを受けたり、精神科医に相談したりするのは、当たり前のことなのに・・・。
一言で自分の経験したことを片付けられてしまう。私もこれは嫌です。物事や人の気持ちはそんなに単純なものではありません。時間がかかっても自分なりに消化していくことが大事だと考えています。その結果として、もしかしたら最初に言われた一言と同じことになるかもしれないけれど、その価値は全く違うものになるでしょう。だって、本当に自分の血となり肉となった一言ですもの。
チチェキさん、これからも掲示板でいっぱい発言して下さい。

【tokuさん】
>「世の中には経験しなければ分からないことがあるんだ」
私もそう思いました。例えば、12週以降なら役所に届けて火葬するとか、健康保険から出産一時金が支給されるとか。こんな手続きにしても経験してみることで、「小さな赤ちゃんでも人が生まれて死ぬことに変わりはない」と強く感じさせられることにつながりました。私はこのつらい経験を通して多くのことを学んできましたし、どんなにつらいことでも、それが自分にとっての宝物だと思える日がやってくることを知りました。だからこれから先、何かの機会が与えられれば、できる限りいろいろなことを経験したいと思っています。
tokuさんのおっしゃること、ひとつひとつ共感できました。ありがとうございました。

私の想い
toku -- 2008年05月27日 22:40:30

  私は人工死産経験者です。人工死産・中絶・死産の区別は世の中普通に暮らしていると区別なく、お腹赤ちゃんが亡くなったとひとくくりにすることも多いかもしれません。実際、体験したものとしては、全く違うものでした。
今回、さんごみずきさんが発言されたことで、皆さんがこれだけ、注視していることとても意義のあることだと思います。
赤ちゃんを失う悲しみは、それぞれの状況に合わせて、本人が乗り越えること以外のなにものでもありません。けれど、周りの少しの認識と配慮で、1人の人間が精神的に病むことなく、歩み出すことができることもあるのです。
私は、楽天的ですし、スポーツも大好き。ごくごく普通の人だと感じて生きています。でも、今回の人工死産は精神的にも追いつめられました。自分でもぎりぎりで生きていたと思います。
今回の一連の流れを見ていて、あまりの社会的認知度の低さに驚きました。(私も経験しなければわかりませんでした。)
人工死産についての心のケアや赤ちゃんが亡くなるまでの過程については、日本は欧米に比べまだ、研究の事例も少なく、遺伝カウンセリングなどが行われることが頻繁でないように思います。その分、専門的な治療やケアが施されることなく、家庭や社会に直接帰ることになり、路頭に迷う状態が長く続いてしまったり、本当に病んでしまうこともあるのだと思います。
私は、人工死産を経験し、「世の中には経験しなければ分からないことがあるんだ」と以前より深く心に刻むきっかけになりました。
そして、以前より人の経験に耳を傾け、できるだけ共感したいと望みながら話を聞こうと努力しています。
命の誕生を願うこの掲示板で、1人でも多くの方の気持ちが軽くなり、赤ちゃんの誕生を願いたいと思います。

私の勝手な解釈です。
チチェキ -- 2008年05月26日 22:36:04

  私はさんごみずきさんの最初のスレッドを読んで、他の方々と同じ様にすべての人が同じでないのでは?思っていました。
決して「ひとくくり」にして欲しくないと、さんごみずきさんも強く思っていたにもかかわらず、言葉足らずであった為に、誤解を招いてしまった、それは全く違うのだと返答されていました。

とどのつまり、自分自身にやどった命と、とことん向き合ってつきあえるのは自分自身だけ。
そして、人によって投げかけられた言葉に傷ついてしまった、第二、第三のさんごみずきさんが現れて欲しくないが為にこのスレッドをたてられたのだと思っています。

あなたが今憂いている状況を、「これは神があなたに与えた試練です。あなたなら必ずのりこえられるはずです。」と言われたらどうしますか?
私はそうゆう時、一部分さえもわかりえない掲示板の方がおっしゃるなら、私を励まそうと思ってくれたんだと、ストレートにそのまま受け取ります。

しかし、現実の「絶対的なるもの」を信心していない人から言われると、私は無宗教ですので元来のひねくれもんの性質が現れます。
「それなら、例えて言いますが、新鮮な魚と鮮度の落ちた魚。あなた丈夫そうだし、少々古くてもお腹壊さないだろうから、こっちね。と渡されて、ハイそうですかって買う人間なんていてるかい!」と言いたくなってしまうのです。

私は現実にスピリチャルな能力をもった方を知っていますが、確かに皆さんをそのたぐいまれな能力で救っておられます。
でも、私が初めての流産を経験した時、「全く心配することない。成仏されていますよ。」と言われたって、私の心には何も響いてきませんでした。
そんな私をおかしい?カウンセリングを受けたら?とその方は一言で片づけてしまいました。
確かに私はおかしいのかも?だが、それよりも一言で片づけられてしまった事実に違和感を覚えた自分は、反対におかしくないかも?と思ってしまったんです。

掲示板を通して、さんごみずきさんが皆さんと真摯に向き合っておられる姿を拝見して、私の心は救われました。

さんごみずきさんへ
・・・。 -- 2008年05月26日 18:39:45

  さんごみずきさんの行動は正常だよ。
心配しないでね。


むずかしすぎます
TOKUMEI -- 2008年05月24日 15:48:32

  私1人の意見ですが、さんごみずきさんの非常にわかりにくい文章からはじまり、何度よんでも、いまいち理解しにくい文ですよね。
結局なにがいいたいのかが、いまいちわかりません。
人工死産、中絶、自然死産、それぞれの言い方をかえていますし、もちろん、まったくそれぞれ異なるのかもしれません。
でも、人によって、悲しみも、受け方も、すべて違いますよね。
中絶を選んだ方も後悔になやまされ、悲しみで苦しみ、ずっと引きずっていく方も多いでしょうし、理由がそれぞれあるのでしょうから、わりきって、先に進んでいく方も多いでしょう。
人口死産だから、自然死産だから、赤ちゃんをお空に返すとか、返したとか、どんなふうにいおうが、どっちでもいいことじゃないでしょうか。中絶したから、赤ちゃんを殺して人殺しなんて、私には、思えません。事情があり、そのときは、その方にとっては、しなくてはいけない選択だったわけでしょう。殺すという言い方さえ、わたしには、使うべき言葉だとはおもいません。そして、人工死産で、赤ちゃんを育ててあげれなかったと自分をせめつずけ。しかたのないことって人生の中でいくらでもあると思います。
お空にいる赤ちゃんにどんな顔して会いに行けば良いのかとか、みなさんがなにを基準にして、お空という言葉をつかってるのか、わたしには、理解できません。すごく宗教じめてるかんじがするのです。日本人はとくに、先祖とか、お墓とか、強くつながっていますよね。そのせいでしょうか?


それよりも私が怖く感じたのは、さんごみずきさんが、失ったその3人の赤ちゃんのために、絵本をかったりとか、ごはんを一緒にたべてるとか、気持ちがわからないわけでもないのですが、現実にはいないわけで、ご主人も言葉にはしないかもしれませんが、一緒に生活をして、目のあたりにされてるご主人も心配されてませんか?ちょっと私の感覚では、考えれられないです。よけいなお世話かもしれませんけど、さんごみずきさんは、専業主婦でおうちで1人でしょうか?なにか、お仕事もって、外部との接点はありますか?お友達と話したり、出かけたりしますか?
悲しみは時間がいつの日か、すこしずつ、薄れていくことでしょう。立ち直るまでに早い人、時間のかかる人、それぞれです。
けれど、さんごみずきさんの文章をよんでいますと、悲しみの深い中から、出られずに、苦しんでいるようにとれるのです。
絵本をかったりとか、御飯を一緒にたべるとか、こういう行為が象徴のような気がします。私は、精神科の医者でもありませんから、さんごみずきさんの行為が普通なのか、異常なのか、判断できませんけども、ちょっと普通じゃない気がします。
大丈夫ですか?自分をせめつずけているから、そういう行為をしているような気がするのです。私はさんごみずきさんとおなじ体験はしていませんので、わからないといわれてしまえばそれまでですが、人生は一度、毎日、いやでも新しい日がきます。
私は先をみて、人生を変えて生きたいといつも思っています。
おきてしまったこと、終わってしまったこと、仕方ないことです。なぜならばもう今日は戻ってこないのですから。

かりんさんへ。2
さんごみずき -- 2008年05月23日 23:31:12

  >ハンドルネームでその方のバックグラウンドがわかる方は一人もいないです。
私がバックグラウンドと書いたのは、掲示板には書かないようなことを含めてでした。家庭環境だったり、勉強してきたことだったり、信念のようなものだったり、幅広い意味でバックグラウンドという言葉を使っています。

>文章は、宇宙語を読んでいるような気持ちにしかなれないというのが正直な気持ちです。
私がかりんさんの文章に共感できなかったのと同じことでしょう。それぞれの感じていることが違うのですから。

>大切な大切なと思えた命だったのなら、なぜ中絶したのですか?
自分でも理由をまとめたことがあります。A4で6枚になりました。要約して伝えるのも難しいので、結論だけを言います。
大切な赤ちゃんだからこそ、その子にとって一番いいと思える意思決定をした。それだけです。

そのときの自分にできることはすべてやった上での意思決定だったと思います。ですから、私は後悔していません。ちなみに、意思決定をするときには悲しいという感情はありませんでした。ただ、つらかっただけです。退院の朝に、現実に赤ちゃんを失ったことを実感したのでしょう。どこまでも押し流されていってしまうような感情の波に襲われました。これが悲しいという感情の始まりだったんだと思います。また、どのように考えたにせよ、自分の意思で命を絶っているわけですから罪悪感が消えることはないでしょう。

>前向きに生きていこうとしていらっしゃることはわかります。
前向きに生きようとも思っていないし、前向きなのがすべていいことだとも思っていないので、そう言われると戸惑うばかりなのですが・・・。
小さな骨壷が2つ並んでいる。後悔はしていない。でも悲しいし、罪悪感もある。Anonymouseさんあてに書いたのは、こんな状況のもとで、自分がどう思っているのか、なぜそう思うのか、何を望んでいるのか、現実に何ができるのか、といったことを考えていった結果に過ぎないのです。
さんごみずきにはさんごみずきの感じ方や考えがあるんだなぁ、くらいで思っておいていただければ・・・。

かりんさんへ
夕焼け -- 2008年05月23日 15:08:20

  かりんさんごめんなさい。私の解釈では悲しむことを禁止されていると思えます。

流産・死産もご経験されている…。
その子は産みたかったから悲しかったけど、中絶した子は産みたくなかった。だから悲しくない…。

お腹に来てくれた時の感情はどうでしたか?
流産した子も中絶した子も同じく嬉しかったのではないでしょうか…。

かりんさんの場合、モンスターイメージがとても早い時期に起こり、それがものすごく大きいものだったのだと思います。
だから、死んでもかまわない子と思ってしまったのではないでしょうか。

しかし、私は「中絶した子」というレッテルを外して欲しいのです。
お腹に来てくれたときのことを思い出してください。
みんな同じように幸せだと感じられたと思います。
(前回のこととかにより、不安も多くあったと思いますが。)
同じかりんさんのお腹に来てくれた子ども達です。
お空に帰ったら障碍もへったくれもありません。
みな、普通の赤ちゃんです。

私はかりんさんを非情な人間だとは思いません。
中絶という決断をするときに、非情にならざるをえなかったんです。


>私は、自分の勝手さ、傲慢さ、非情さを思い知らされたのです

では、これからどうすれば良いと思いますか?
思い知らされただけで、おしまいですか?
思い知らされたということは、そこをどうにかしなさい!と知ることが出来たのです。

答えはかりんさんの中にあります。
よく探してみてくださいね。
あとは、偶然本屋やネット、道端や電車の釣り広告、CMなどできっかけを見つけたりとかもありますので、気をつけてくださいね。


>そして、今、私はもう子供を産むことはできなくなりました。
私が今、悲しいと思うのは子供を持つことができなかったという事実について、多分その現実が悲しいです。

このことは今回のこととは別に悲しみましょう。
中絶した罰で子供を産むことが出来なくなったのではないのです。
今は、中絶した子から障害児というレッテルを外し、中絶した子も流産した子も死産した子も、同じかりんさんのところに来た赤ちゃんだってことを受け止めることが先のような気がします。
受け止めるのは辛いですか?
虫の良い話しですか?
でも、受け止めてしまった方が楽になることもあります。
楽になることを罪だと思いますか?
罪だと禁止し続けることの方が罪だと思いますよ。

楽になることで見えてくることは、たくさんあると思います。

有難うございました
かりん -- 2008年05月23日 11:09:33

  ☆夕焼けさん

私のつぶやきのような書き込みに丁寧な心のこもったお返事を
頂きまして有難うございます。
あらためて、自分が書いたものを読み返してみると
『暗いな〜』と思いました。

でも夕焼けさんが教えてくださったこと、大変ありがたいと
思います。

私は4回の妊娠経験がありますけど、成長はできなかったなぁと
苦笑いしました。

私が「悲しむ資格が無い」と書いたのは自分がとても非情な
人間だと思うからです。
正直に言いますと、中絶をした事実そのことは悲しいという
感情は私には、わかなかったのです。
当時も今も。
悲しいという感情は、自分では産みたかったのに流産をして
亡くなった赤ちゃんの時でしか私は、悲しむことができなかった
のです。
「なぜ、死んじゃったの?」ととても悲しかったのです。
ママはあなたを産みたかったのに・・・と

でも、中絶は私がその命の選別をしてその赤ちゃんは要らない
と決断して中絶しました。
だからその時の感情は人としての罪悪感はありましたが、
悲しいという感情は無かったですし、後悔もしませんでした。

失って悲しいのであれば産んでいました。
少なくとも、中絶はせず妊娠を継続させました。
私は自分の意思で死んでかまわない赤ちゃんと思ったのです。
ママはあなたを産みたくない・・・・と

私が、自分を罰していると夕焼けさんは言ってくださいましたが
私は、自分を罰しているのではないのです。
私は、自分の勝手さ、傲慢さ、非情さを思い知らされたの
です。(4回の妊娠で自然流産と中絶の両方を経験したことで)
私は、本当に非情な人間です。

そして、今、私はもう子供を産むことはできなくなりました。
私が今、悲しいと思うのは子供を持つことができなかった
という事実について、多分その現実が悲しいです。

夕焼けさんの『お空に返しました』『お空に帰りました』
なるほどと思いました。
その解釈は良いですね。
受け入れます。
有難うございました。

☆さんごみずきさん
私は、この掲示板はたまにしか見ていないし書き込みも3回しか
してないのでハンドルネームでその方のバックグラウンドがわかる
方は一人もいないです。
今回、タイトルに引かれて開きました。
長文が多かったので全てを読まずに思わず自分の経験を書いて
前回投稿してしまいました。

さんごみずきさんの文面から私はてっきり自然死産をされた
方なのだと思って前回の投稿はしてしまいました。
今までのことを何も知らずにこういうことを書くとまた
攻撃されそうですが、でも私には、やはり、さんごみずきさんの
文章は、宇宙語を読んでいるような気持ちにしかなれないと
いうのが正直な気持ちです。

前向きに生きていこうとしていらっしゃることはわかります。

でも・・・
大切な大切な子供達、絵本を買って、・・・・
大切な大切なと思えた命だったのなら、なぜ中絶したのですか?
私は、もし大切な赤ちゃんと思えたのなら中絶は選ばなかった
です。

私は、それでもまだ中絶経験があって理解できる部分もあるかも
しれませんが、もし私が流産しか経験がなかったとしたら
大変申しわけありませんが、さんごみずきさんのお考えは
勝手すぎると思いました。

ごめんなさい、でも正直な感想です。

はなみずきさん、ごめんなさい。
夕焼け -- 2008年05月22日 15:44:34

  だいぶお疲れのご様子だったので、レスはつけないと決め付けてしまいました。
決め付けたことと、しゃしゃり出てきたことを謝ります。

ごめんなさい。

悲しむ権利が無い人なんていません。
夕焼け -- 2008年05月21日 22:25:29

  かりんさん、Anonymouseさん、夕焼けからのレスでごめんなさい。
さんごみずきさんはレスは付けられないと思います。

私は悲しむ権利が無い人はいないと思います。

自分の決めたことだから後悔しちゃいけない。
わかりますけど、それでも後悔してしまうことって、この件に限らずありませんか?

中絶を決めたことと、子供を亡くしたこと、別に考えることはできませんか?

私は羊水検査で陽性でした。
産む決心をして受けました。
でも、そんな立派な人間ではありません。

お腹の子に障害があると分かると、母親はお腹の子に対してモンスターイメージを持ちます。
私もそうでした。
とても怖かったです。
あとは…予定日間近には「やっぱり育てられないかもしれない!!もしあの時中絶していたら…」と怖気づきました。

産む人・育ててる人=善
中絶した人=悪 ではありません。

そんなに自分を責めていたら本来の自分を見失ってしまいます。
後悔しないと思いつつ、後悔でいっぱいなのかもしれませんね。
一度、責めるのを止めて、思いっきり悲しむ自分を許してみませんか?
簡単ではありません。
努力は必要です。
でも、お空の子供のためです。



「お空に帰した」という表現について

私は自然な流産・死産をされた方で「お空に帰した」という言い方をする方に違和感を感じてました。

私の中では自然な流産・死産は子供が自分の意思で帰っていったと感じていたので「お空に帰っていった」という表現の方がピッタリだと思ったのです。

なので、中絶経験者が「お空に帰した。」という表現をお使いになるはピッタリだと思っています。

流産・死産と中絶の悲しみは違うかもしれません。
しかし、大事な赤ちゃんを亡くしたことには違いはありません。

死ぬのが怖いですか?
面と向かって話し合えるチャンスです。
霊的世界です。
抱きしめてあげるだけで、分かり合えると思います。

それより、自分で自分を律し、罰を与え続ける人生を歩んでの対面では、お空の赤ちゃんはどう思うでしょう…。

お空に帰したからといって、赤ちゃんはお母さんを恨んだりしません。
すべてお見通しです。

私が妊娠中に読んだ本の中に、「中絶されると分かっていて来る赤ちゃんがいる。」と書いてありました。
「赤ちゃんは育てられることより、母親の成長を望んでいる」とも書いてありました。

赤ちゃんはかりんさん、Anonymouseさんの成長だけを望んでいるのではないでしょうか。

苦しんでいるママは見たくないと思います。
自分に罰を与えるのではなく、一緒に過してください。
楽しいところに連れて行って、一緒に楽しんでください。

このことは簡単では無いと反論されたいかもしれません。
しかし、人生で簡単なことって数少ないと思います。
みんなそれぞれ違う立場で違う出来事と向かい合っているんです。

私はそれでも前に進もうとしているさんごみずきさんを誇りに思います。

どうか、どうか、自分を助けてください。
お願いです。
苦しみの中に縛り付けないでください。

縛っているのは誰でもない、あなた自身なのです。

かりんさんへ。
さんごみずき -- 2008年05月21日 21:54:32

  「答えは自分の中にある。」
夕焼けさんが書かれていましたが、その一言に尽きると思うのです。
(ですから、私は、自分の中には無いような、他人が善意で差し出す答えを素直に受け取れないのです。そのためにつらく感じることがあるのです。)

私には私なりの考えがあり、かりんさんにはかりんさんなりの考えがあります。
私とかりんさんは、バックグラウンドも、赤ちゃんを失ったときの状況もきっと同じではないのですから、当然、出した結論が同じになることはないでしょう。でも、どちらも、苦しみながら出した考えです。自分の心をえぐっていく孤独な作業です。どれだけ多くの涙を流しながら考え続けてきたことでしょう。
ですから、私はかりんさんの考えには共感できませんが、尊重します。同じように、かりんさんも、私の考えをひとつの考え方だと思って尊重してください。

私は自分で決めたこととはいえ、赤ちゃんを死なせたのはとても悲しかったし、つらかったんです。素直にそう感じました。私はその感情を認め、受け入れることから思考をスタートさせています。こういうこともあって、そのとき、自分でしてもらってうれしかったこと、つらかったこと、同じように感じている人もいらっしゃることと思って、このスレッドを立ち上げさせていただいたまでです。全部そのまま受け入れてください、というつもりはもともとありません。参考にして、レスを書く際に少し考えていただければ、というだけのものです。

>「お空にかえしました」
私は使ったことがありませんが・・。
もし何かのスレッドでスレ主がそういう言葉を使っているのなら、私はそれを尊重したいと思います。それがスレ主の答えなのですから。私は今までレスを書くときにも、スレ主が人工死産と書いたときは人工死産、中絶と書いたときは中絶と書き分けてきました。スレ主の表現(もちろん、その背景には考え方がある)を尊重するのが大切だと思っています。それが、「気持ちに寄り添う」ことを表現する手段だと思うからです。

悲しむ立場には無い
かりん -- 2008年05月20日 22:16:26

  私は、この掲示板は2年くらいぶりです。
2年ほど前に中絶を『お空に返しました』という表現に違和感が
あると書いたところ、『言葉尻をつかまえている。自然流産でも
中絶でも傷ついたことには変わりない、あなたは中絶の経験が
無いのですよね、気持ちをおおらかに持って』という攻撃にあい
すっかり掲示板から遠ざかっていました。

私は、中絶の経験があります。
その人工死産の後、自然死産、自然流産を経験しました。
そして長い年月が流れました。
私は、子供を持つことはできませんでした。
罰があたったと思っています。

私には悲しむ資格はありません。
お空に返しましたなどという綺麗な言葉で自分を正当化しては
いけないと、それは人工死産の後、自然死産をした時、病院の
ベットの上で強く思ったことです。
人工死産と自然死産は全く別のものだと思い知りました。

グリーフケア、言われて辛い言葉など、それは自然死産、自然
流産、または胎児を娩出しなければ母体の命が危ないという
場合の人工死産の場合のみ適応することだと思います。
私は、生きられた命を私が命の選別をして私の意思で殺しました。
染色体異常があるとわかっていても産んでいる方、立派に
育てている方もたくさんいらっしゃいます。
親が高齢になった時に面倒を見れないとか、生まれてきても
何度も手術が必要とか、そういう言い訳を自分にしたことは
それは詭弁です。
私は、健康な赤ちゃんが欲しかった。
染色体異常のある子供のママになりたくなかった。
ただ、それだけです。

私は悲しむ立場にはありません。
自分が殺した子供にどの面さげて会えばいいのか、
私は、死ぬのさえ怖いです。

私は、いろんな書き込みの中で今回Anonymouseさんの書き込み
に初めて共感できました。

私は、流産も中絶も傷ついたのは同じとは、やはり思えません。
思ってはいけないと思います。
私は、やはり『お空にかえしました』というのは自分の意思で
中絶した場合に使って良い言葉とは思えません。
それは、私の罪です。
私はお空に返したのではなく、私はその命を受け入れたく
なかったので殺しました。

私には、どう考えても他の解釈の仕方はありません。

さんごみずきさんへ
夕焼け -- 2008年05月18日 12:29:10

  お疲れ様でした。
さんごみずきさんは、早めに精神科医と出会え、そして相性が良かったのですね。
本当に幸運です。

私は、話すことより書くことのほうが大事だと思っています。
なので、もしこれを読んでいる天使ママさんがいらしたら、ぜひ書いて欲しいと思います。

蒸し返して申し訳ありませんが…。
グリーフケアについて、新聞の記事になることは客観性が高いので、すべての人が受け入れやすいと思います。
しかし、私たち天使ママがそれを差し出すとやはり相手は押し付け感を持ってしまうでしょう。

経験者でない人に、言ってはいけない言葉集を示すのではなく、天使ママにこんな言葉でみんな同じように傷ついているということを伝えることで、孤立感が薄れてくれると良いと思うんです。
天使ママが抱える孤立感…これが一番辛いのではないでしょうか。

何度も書いてますが、それぞれの立場の悲しみがある。
そのことに気づければ、辛い言葉について、もっと大きな心で見れると思うんです。


さんごみずきさんの最後のレスを読ませていただいて、本当に辛いだろうけど順調にグリーフワークを進まれていると感じました。
これからも、ゆっくり焦らず進んでくださいね。

次の目標としては、自分の経験と人の経験談をリンクさせないことだと思います。
きっちり線を引き、人の話を聞いても揺れない心を育ててくださいね。

そして、いつか出来そうな日が来たら、人工死産経験者のピアカウンセリングをして欲しいです。

みなさま、どうもありがとうございました。
さんごみずき -- 2008年05月15日 23:01:19

  たくさんの方にお返事をいただけて、本当にありがとうございました。
ひとことひとこと、大切に読ませていただきました。私の至らないところを指摘してくださったことも、ありがたく思います。もうちょっとだけ感じていることを書いて、そろそろ終わりにさせていただこうかと思います。

1.善意と知識・技術
善意だけでもそれを伝えることは難しいし、知識・技術だけでも相手を思いやることができません。当たり前のことですが、どちらがより大事、ということではなくて、両方とも必要なことだと考えています。両方がかみあうことで、スレ主の気持ちに届くストライクゾーンへと球を投げられるのだと思います。ボールを投げてしまうことがあったとしても、少なくともデッドボールは避けて欲しいというのが私の気持ちです。そういう気持ちが強かったので、冒頭では「つらい言葉」のみを紹介することにしました。

2.語りを尊重し、ペースを合わせる
親しい人が亡くなった場合において、その死の原因に自分がかかわっていると感じられるときは、その死によって受けるショックからの回復を、無意識のうちに自ら遅らせてしまうそうです。人工死産はまさにこのケースに該当しているわけですし、流産・死産の場合はそのように考えなくてもいいにもかかわらず、自分を責めてしまう方も多くいらっしゃいます。こういうこともあってか、気持ちの回復には長い時間がかかりますし、それが進んでいない段階では、「つらい言葉」の存在が示しているように、ストライクゾーンは健康な人に比べてかなり狭いのではないかと私は考えています。
ですから、スレ主の「語りを尊重し」「ペースに合わせる」(いずれもグリーフケアのポイント)ことは、とても重要なのだろうと私は思っています。また、同じ経験を持つ先輩たちは、スレ主の置かれている状況や時期にまで、一旦、時計の針を戻して、そのときの感覚を思い出し、そのときの自分が受け入れることができた言葉で話すことも求められるように感じています。もちろん、後で振り返って見れば、その状況について全く違った感想をもつこともあります。でもそれは、「自分は通り過ぎてみたらこう感じた」という自分の経験・感想として伝えるだけにとどめようと、私としては心がけてきたつもりです。

3.卒業です
この掲示板には1年半ほど、お世話になりました。レスをつけることで、実生活では誰にも話すことのできない経験や感情を出させていただいていました。(実生活で話さないというのは、非難されたくないというよりは、口づてに不正確になったり、単に茶飲み話として消費されたりするのが嫌だという気持ちの方が強いです。私にとっては宝物のように大切にしたい経験ですから。)私にとって、掲示板はとても癒される場だったと思います。逆に、経験をお話しすることで共感できる部分だけ参考にしてもらえればと思っていましたが、実際に貢献できたのかどうか・・・。
私は悲しみを癒す期間と機会を既に十分に得ました。もちろん、子供たちを死なせたことに対するつらい気持ちはこの先も消えることはないだろうけれど、それは担いで歩いていく覚悟も自信もできました。私の経験はこのスレも含めて今までかなり具体的にお伝えしてきました。今後、伝えることでなんらかの貢献を果たせるようなことも、ほとんどないだろうと思います。一方で、経験を語ることで得ていた私自身のメリットも少なくなってきていました。回復できたということだと思います。最後に、こんなご迷惑や不快な思いをさせてしまう形になってしまって申し訳なく思いますが、私が抱えていた(あまり自覚はしていなかったけれど)言葉によって生じた葛藤についても、お話させていただきました。「随分、勝手だなぁ」と思われるかもしれませんが、ここでお話しておきたいことはすべてお話したと思います。「ひとり救うことができた」と思って許していただけるとありがたいです。
不妊治療も卒業しました。もう、新たに子供を授かることもないでしょう。死なせてしまった2人の子と初期流産の子、3人の子と一緒に新しい世界に飛び出すだけです。「何かを変えようとするときには、マイナーチェンジではなく、フルモデルチェンジを目指せ!」初めて聞いたときから、なぜか魅かれていた言葉です。なので、その言葉どおりにしようと思います。
もし、皆さまが今後レスをつけるにあたって、私が今まで書き込んだ経験などで使える部分があれば使ってください。そうしていただければ、とてもうれしいです。

さくら777さん kusukoさん うさはなさん 夏の日さん なべちゃんさん 匿名。さん とくめいさん しをりさん 何人目かの匿名さん 惠子さん チチェキさん 春さん 
それぞれの方に、お返事をさしあげたいとも思うのですが、力つきてきました。本当にごめんなさい。お許しください。

最後に、管理人さま、皆さま、お世話になりました。今度こそ、卒業できます。本当にありがとうございました。心から感謝しています。これからも掲示板が皆さまにとって大切で役に立つものであり続けること、そして、ご健康と、皆さまの希望がかないますことを祈っています。

(スレ主なので、このスレにレスがつかなくなるまではもちろん見ていますが、お返事はもうさしあげられないかもしれません。ごめんなさい。)

夕焼けさんへ。3
さんごみずき -- 2008年05月15日 22:39:24

  夕焼けさん、言葉の問題、死者儀礼の件、ありがとうございました。私も母が参列していたら、あれほどぼろぼろに泣くことはできなかったでしょう。きっと、心配をかけまいとがんばってしまっていたと思います。

>妊娠からお空に帰す日までの事、それから今までの悲しみのことを文章にしたことがありますか?
これについては、私はかなり意識的にやってきた方だと思います。まず、赤ちゃんのアルバムを作りました。手元の残っている資料と診察室での会話など覚えていることはすべてまとめました。(このことは、最近、他の方へのレスにも私の経験として書いたことがあります。)「つらい言葉」が載っていた新聞記事に、悲しみをたどることのできるものを残しておくことも大切、ということが書いてあったからです。周囲の人に対しては、機会をとらえて手紙で気持ちを伝えるようにしました。(これもかなり前にレスに書いたことがあります。)ほとんどをパソコンで書いていて残っているので、気持ちの変化を振り返ることができます。何度も読み返し、そのたびに泣いてきました。今はもう、過去のものを読んでも泣かなくなったので、回復したのだろうと思います。それに加えて、この掲示板で経験を語ってきました。すべて、自分自身と向き合い、気持ちを癒していく行為でした。精神科医が私に日記をつけることをすすめたとおり、私には書くことがあっていたようです。

>答えは自分の中にあるのです。
私もそのとおりだと思っています。他人から与えられるものではありません。苦しみながら自分の力で見つけていくことです。

夕焼けさん、いろいろ教えてくださって、ありがとうございました。その知識を、この掲示板の皆さまに伝えていってくださると、私はとてもうれしく思います。

Anonymouseさんへ。
さんごみずき -- 2008年05月15日 22:33:10

  Anonymouseさん
>自分でも自分が理解できません。
きっと誰もがそうなのではないかと思います。私だって、自分のことを理解できたとは思っていません。
私にはアドバイスらしいことはできません。本当にまとまりがないのですが、関連しそうなことで、私が何を考えてきたか、子供たちとの関係をどう考えているかを書き出してみます。

私の場合、2回とも、退院の朝に突然悲しみ(たぶん)の感情が襲ってきて、押し流されてしまうような感じで自分をどうすることもできなくなってしまいました。(それまでは、信じられないくらい普通に過ごしていられたのにです。)意図せずに、自分の感情を抑えることなく、ストレートに出せるきっかけとなったのだろうと思います。自分で決めたこととはいえ、大事な赤ちゃんを失って一番悲しい思いをしているのは、他の誰でもない自分といってもいいのです。その感情は素直に認めて(許して)いいのだろうと思うのです。自分の気持ちと正面から正直に向き合うこと。苦しい作業でしたが、これは自分なりに懸命にやってきたと思います。

赤ちゃんに対する罪の意識。それは当然あります。この先、消えてくれるのかどうかはわかりませんが、一生、担いでいく覚悟はできました。悲しい感情をきちんと癒すことによって、その強さができてきたと思います。といっても、意思決定のあまりの重さにつぶれてしまいそうになることもときどきあり、泣くことはまだまだ多いです。

罪をどうやったら償うことができるのかも真剣に考えました。考えれば考えるほど、自分にできることは何も見つかりませんでした。ただ、「どのつら下げて、あの世に行くんだ?」と思ったときに、堂々と子供たちに会えることを望んでいると、はっきりわかりました。たった一言「よくがんばったね。お母さん。」と子供たちに言ってもらうことが私のこれからの人生の目標です。

ちゃんと産んで育てることはできませんでした。でも、それ以外のことでは、私がお母さんでよかったと思ってもらえるようにしたいと考えています。私にとってこの子たちは大事な大事な宝物です。だから、毎日の生活では話しかけてもいるし、一緒のご飯を食べて、きれいなお花を飾り、季節の行事を行い、毎月のように絵本を買ってきています。いつも一緒です。こんなことをしても何もならないのはよくわかっているけれど、少しでも子供たちが楽しくいられるようにしたいと思っています。

たぶん、私が考えていることは「人殺し」と言う人からみると、ものすごく勝手なものだろうと思います。でも、私が長い時間をかけ、自分自身と子供たちと真剣に向き合ってきた末の結論です。他人が何を言おうと、そんなことはどうでもいいと思っています。

私が精神科にかかったこともご覧になったかと思いますが、とても有益なアドバイスを得ることができました。また、私はたまたま手に取った遠藤周作の本にとても助けられています。これも以前、紹介したことがあるのですが、「侍」「悲しみの歌」(新潮文庫)「深い河」(講談社文庫)です。自分と向かい合うときの鏡になってくれたり、思考の視点を提供してくれたりしたと思っています。ちょっと立ち読みしてみて、感覚が合うようだったら。(「悲しみの歌」は「海と毒薬」を読んでないとわかりにくいかもしれません)

今まで経験してきたことは随分書き込んできたつもりです。もし、必要があれば検索をかけてください。緑色の字なので、スレッドの中でも見つけやすいと思います。

さんごみずきさんへ
夕焼け -- 2008年05月15日 11:00:33

  >彼らは、「運命だから」「早く忘れて」「しょうがない」という言葉で自分自身を納得させようとしていたと私は感じています。

私は、さんごみずきさんにこの言葉を投げかけてしまったのは残念に思います。
しかし、ご両親にとってこの言葉で納得出来るのであれば私は応援したいのです。
そして、どんなことも納得させられるのではなく、納得できることを見つけていくのです。納得出来る言葉や考えは強制できるものではなく、ひとりひとり違うのです。

冊子は私たちも配っています。
置いていただける病院は少ないのですが…。
しかし、ご両親へ注意を促すことは書きたくありません。
だれもが傷ついています。
順位はありません。
さんごみずきさん、悲しみは周りに配慮を求めるだけでは…それだけでは解決できないのです。

傷つかない心を大切に育ててください。

妊娠からお空に帰す日までの事、それから今までの悲しみのことを文章にしたことがありますか?
もし、可能であればすべてのことを休みながらでもいい、書いて欲しいです。
ノートでも、ブログでも、1冊の本を書くつもりでつづって欲しいのです。

そして、何度もことあるごとに読み返してみてください。
自分の心が見えてきます。
そこから糸口が見えてきます。

答えは自分の中にあるのです。

書くことは話すのと同等に大切なグリーフワークのひとつです。


次に周囲の者の死者儀礼への参加につての私の意見です。

赤ちゃんのお葬式はさんごみずきさん夫妻の為のものです。
なので、一番大切にしなくてはいけないのは、さんごみずきさんの希望です。

静かにお見送りしたかったのですよね?
なので、参列されなくて良かったのではないでしょうか。
当時のことを思い出してください。
崖っぷちに立たされているような精神状態ではありませんでしたか?
その中で選んだことです。ベストな選択です。

こういうことに限らず、心残りや後悔をしない過去の出来事ことってありますか?
上手くいったことや、楽しかったことに対してまで、ああすればもっと良くなったかも!こうすればもっと楽しかったかも!と思うことってあると思うんです。

お母様世代ではお孫さんを亡くされる経験をするかたもいるでしょう。
さんごみずきさんのお母様は心残りだと思うだけでなく、似たような経験をした方に対し、「私は心残りだった。出来ることなら参列したほうが良い。」とアドバイスしようと思うだけで、心残りは減ることがあると思うのです。
次回、この話題になったときに、「アドバイスしてみたら?」と伝えてみてはいかがでしょう(強制じゃありません)。

心残りや後悔をそのままにするのではなく、その経験をいかした方が良いと思っています。

うらやましいです。
Anonymouse -- 2008年05月15日 05:12:52

  人工死産を経験したものです。ただし、胎児が「重篤な障がい」を持っていて、この処置を選択したとは言えません。苦渋の選択だとも言えません。何故なら、検査をする前から、障がいがみつかったらこの処置を、と夫婦で決めていたからです。

染色体異常でしたから、もっと詳しく検査を行えば、どのくらい身体的にも異常があるか、また出産に至れるかを調べてもらうこともできました。でも、私たちはそれを拒否し、診断が下されたその日に処置日を決めました。

夫は、「仕方がなかった。正しい選択だった」と言います。両方の実家の家族も、私たちの選択を支持してくれました。

でも、3年近く経った今でも、私は毎日「殺してしまった」わが子の事を思い出さない日はありません。実生活で面と向かって私にこの言葉を言う人はいませんが、匿名のネットでスルーする前にタイトルでわかってしまうことってありますよね。そういった状況で、私に直接ではないにせよ幾度となく「人殺し」という言葉を使われ、私は思いやってもらえる立場にないことを実感しました。

ですから、さんごみずきさんのように、声高に自らの悲しみ、痛みを訴えられる人をうらやましいと思ってしまうのです。同じく人工死産を経験しながら、私はずっと「悲しんではいけない。後悔してはいけない。自分が決めたことなんだから。わが子を殺してしまったんだから。ちゃんと産んで育てている人もいるのに」と考えてきました。未だに子どもを持つことが出来ないのは、罰なのかとも考えてしまいます。

それでも、救いを求めて占いの延長のようなカウンセリングに行きました。普段の私なら絶対に行かないような場所です。そこで言われたのは「例えば、実際の殺人や犯罪でも、刑務所から出て来れる日がやってきますよね。あなたは十分罪の意識を感じていらっしゃる。自分を解放してあげても良いのですよ」でした。確かに少しだけ心が軽くなったような気がしました。でも、「そうなのかな。私がしたことが許される日が来るのかな」と今でも半信半疑です。自分の身体で実感したことが余りにも強烈で、自分を許したいのに許せません。でも、人工死産を選んだこと自体は悔やんでいないのです。

矛盾していますか?自分でも自分が理解できません。もしかしたら、横レスも甚だしいのかも知れませんが、投稿せずにはいられなかったのです。その点、お許しください。

夕焼けさんへ。2
さんごみずき -- 2008年05月14日 10:20:51

  私も周囲の者に対するケアが必要だと考えていて、先のレスにも書いたとおりです。また、知識の提供についても、周囲の者からケアを受けたいからというより、彼ら自身の回復のために必要だと思っています。彼ら自身が回復することにより、二次的に、母親に対してよりよいケア環境が整えられる効果も期待してはいますが・・。(彼らは、「運命だから」「早く忘れて」「しょうがない」という言葉で自分自身を納得させようとしていたと私は感じています。それを私にそのまま言ってくるのには、つらいものがありましたし、そもそもそういう形で収めてしまうのが本当にいいのかどうか、疑問に思っています。)

具体的な方法として、まず、カウンセリングプログラムを用意している医療機関では、周囲の者にもアクセス可能にしていただければありがたいです。また、冊子(心と体をケアする上での注意点や、周囲から言われて励まされた言葉や傷ついた言葉の例を掲載)を用意している医療機関もあります(5月4日の記事)。母親に対するケアの知識は、そのまま、周囲の者自身に対する心構えとして役に立つものと考えます。また、周囲の者の回復に重点をおいた内容の冊子なども提供できるのではないでしょうか。

今、私自身が気になっているのは、周囲の者の死者儀礼への参加、についてです。私の場合、大げさにしたくなかったので、私たち夫婦と病院スタッフのみでお葬式を行いました(病院スタッフも参列してくれることは、当日、知りました。「しっかりお見送りしましょう。私たちも行きますからね。」と)。それが、私の母が最近になって打ち明けたのです。「参列することも考えたけれど、夫婦だけにした方がいいだろうと遠慮した。でも、やっぱり心残りだったなぁ」と。
死者儀礼は残された者の気持ちの回復に役立つものです。でも、人工死産なだけに、周囲の者にとっては赤ちゃんが存在したことを認識しにくく(認識したくない気持ちもある)、また、赤ちゃんに対する感情も複雑です。ですから、こちらから、参列して欲しいと積極的に言うこともためらわれます。当然、後ろめたい気持ちがありますから、ひっそり行いたいとも思います。
死者儀礼にどのように係ってもらうのがよかったのか、周囲の人にとってどうしたら役立つものにできたのか、母の一言を聞いてから考えさせられています

これからじゃないですか。
春 -- 2008年05月13日 12:36:47

   さんごみずきさん、何も悲観することはないですよ。

 おそらく、さんごみずきさんが感じていらっしゃることを、多くの方が感じられたことだと思います。悲しみや苦しみの受容にはいくつかの段階があることは、広く知られています。

 だからこそ、先輩の方々は、「それだけが真実ではない」とおっしゃっているのだと思います。

 さんごみずきさんが感じることを、そのままお伝えしていっていいのではないでしょうか。そして、それが変化していくかどうか、そういうことについても、御自分でしっかり見ていかれてはどうでしょうか。

 そういう過程を、ここで報告することで、多くの方が学べるということもあるのではないでしょうか。

 あなたの存在は、十分ほかの人の「役に立った」と思いますよ。多くの方が学べたと思います。これからも、投稿してくださいね。

脱線します
チチェキ -- 2008年05月12日 22:32:05

  はじめまして、チチェキと申します。
さんごみずきさんにとってこの掲示板が大切になったからこそ、このスレッドをたてられたのだと私は想像します。

私も一度スレッドをたてたことがあって、自己反省ばっかりだったけど、思いのたけをぶつけられたので楽しかったです。
レスして下さった方には、ありがとうと言う気持ちでいっぱいな反面、ホネがおれて疲れるし、考えすぎるしだけど、伝えたいことすべてを書き込んで、さんごみずきさんにもいつかでいいから、楽しかったなあって思えるスレッドにして欲しいです。

私はちょっと疲れてしまって掲示板から離れようと思ってた矢先、初めての経験がいっぱいやってきました。
妊娠検査薬を買うだけでテンパって、反応がでたらもう嬉しくて嬉しくて、これで会えたらどうなるんじゃ〜です。
安定期に入ったらまた掲示板に参加しようかなって、考えていたのですが、残念な結果になってしまいました。

私がこの掲示板に参加したきっかけは・・・
今まで自分が経験したことがないから、無関心でいることで人を傷つけないし、人様に思いを伝えるのは所詮無理だろうと思っていました。
でも、もどかしいこともいっぱいあるけど、この掲示板にはなんともいえない魅力があり、想像力(的はずれになることも承知でです。)を働かせて私なりに精一杯考えればと思い参加することにしたのです。

この掲示板ではプレママでもないので卒業とおっしゃる方がおられますが、本当に諦められたのでしょうか?
一度でも高齢出産について真剣になったことがあるなら、これからも自由に訪れて頂きたいです。
私は単純にこの人と対話したいなあと思ったら、レスしようと思っています。
ですから、これからもさんごみずきさんのお名前拝見したいなあっと、思って今回レス致しました。
トピズレにつぐトピズレ、どうかお許し下さい。

いろいろなことを考える機会になりました。
惠子 -- 2008年05月12日 18:35:43

   さんごみずきさん、そして読まれている皆さん、こんにちは。
 とても気になる内容なのに、書き込み時間が持てず、今となってしまいました。さんごみずきさんが”卒業”という言葉を使われていたので、遅くなりましたが自分が思ったことを書きたいと思います。
 ”グリーフケア”という言葉を始めて知る機会となりました。自分がこれまでの経験から考えていたことと重なる部分もあり、それが日経新聞で話題にされるぐらい、広く考えられる問題になったのだと思いました。5/4に記事になった状況もあって、さんごみずきさんがこのスレッドを立ち上げて下さったのかと思っています。今までの日本社会、もしはもっと広い範囲では、心身ともに健康な人、そこに存在する人優先、より強い存在優先の文化だったのかもしれません。病気を患った人、悲しみ・辛さを心に潜めた人に接っする時の方法を学ぶ機会がもっと必要だったかと思います。40歳を過ぎる今まで、自分も悩み苦しんだ時期もあるし、身近に悲しい思いをされている方もたくさん。そしてこのVOICEでもいろいろな思いを持つ方と出会いました。どんな問題に対する方法も、今論じろれることが全てのケースの正解であるはずがなく、また今後も発展することだと思いますが、”グリーフケア”がより多くの人の知るところになると良いと感じます。子供達に対しても成長の過程でどこかで学ぶ機会があると、自分の出会う悲しみへの対処、出会った人への接し方を、自分なりに考え直すきっかけになるかもしれないと思いました。”グリーフケア”について教えて頂いて、有難うございました。広く受け取れば、他者を大事に思って接すること全てに通じる部分もあるのかと思いました。
 多くの方の意見を読ませて頂いて、共感という言葉をまた思いました。他の人の意見に同感し共鳴するという意味ですが、自分は共に感じることが大事に思うことがあります。考え方、意見が違っても、同じものを見たり・聞いたり・考えたり。自分と違う意見が、より深く掘り下げていくきっかけになる場合も多いと感じています。確かにこのVOICEで傷ついたり、悲しくなる意見が返ることもあるだろうし、自分もそういう発言となってしまった場合もあったと思います。でも複数の方が書き込む中で、投稿された人の助けになる言葉が見つかること、またいつか助けになる言葉を心に残しておけたらと思っています。たくさん善意の思いを持った方の存在を感じています。
 さんごみずきさんは卒業されるとおっしゃっていましたが、もしもうここに訪れることが無くなってしまうのでしたら、今までいろいろなことを考える機会を頂いていました。有難うございました。いつも一生懸命に文章を書かれていらっしゃいましたね。それはきっと他のこと、さんごみずきさんの生き方そのものだったのかなと思っています。治療を受けている方だけでなく、治療経験がある方、経験がなくても何かしらこのVOICEを参考にされている方、いろいろな方がいらっしゃると思います。ご自身が立ち寄りたい時に、立ち寄って頂けたら嬉しいです。生を受けた以上、より幸せに、より良く生きたいという思いを持ち続けたいと考えています。さんごみずきさん、どうぞお元気で。

病院の対応は大変良いです。
夕焼け -- 2008年05月12日 15:01:08

  さんごみずきさん、病院の対応のお話しをしてくださってありがとうございます。
さんごみずきさんの病院は、すべての病院でお手本にして欲しいほどすばらしい対応をされています。

私はグリーフケアの勉強をしていますが、良い対応をしている病院の話しはあまり聞きません。

祖父母に対するケア知識の提供についてですが、これは難しいです。
なぜかと申しますと、祖父母は祖父母の悲しみがあるからです。
孫よりも自分の娘のことが可愛いのです。
娘や息子を悲しませたと思ってしまい、孫を認められなかったり、恨んだり、無かったことにしてしまいます。

知識を云々より、祖父母へのグリーフケアも必要なのかと思います。
祖父母はケアを請け負う人ではなく、さんごみずきさんと同じケアを受けるべき人たちなのです。
祖父母も、赤ちゃんの両親も兄弟も遺族なんです。
周りの人もそれぞれのそれぞれなりの悲しみがあるんです。

以上のことは、悲しみの中にいるときは気がつけません。
私もそうでした。
でも、理解できないときに、先輩天使ママさんに言われたんです。
「祖父母は祖父母なりの悲しみがある。」と。
言われてから2年経ってから、理解できましたけど…。

グリーフワークの追記ですが、今の自分の心を何とかしようと思わないでください。
新しい心を育てていく気持ちでいてくださいね。

26レス目まで読んで思ったことです。
何人目かの匿名 -- 2008年05月11日 00:34:12

  一番の問題は、さんごみずきさんが最初に記事を上げた際、『流産・死産・人工死産体験者に対してやってはダメ、言ってはダメなこと』ばかりが目立ったことではないでしょうか。

tokumeiさんへのレスでやっと『言われて嬉しい言葉・態度』の記事を転載されていますが、これが親記事に入っていればここまで皆さんの反発は受けなかったと思います。

代替案なしのダメ出しは、ただの言いがかり、または意見の押し付けと捉えられても仕方がないと思います。


26レス目まで読んで私が特に気になったのは、どんなに善意の言葉でも相手を傷つける事があるからもっと想像力を、という主張に対してです。
それぞれの方が精一杯の善意・想像力でもって発言していることに対して、この言いようは大変失礼ではないですか?
極端ですが、これではまるでさんごみずきさんの気に入るレス以外は全て想像力の無さから来た他人を傷つける意見ということになってしまいませんか?どの方も相手を思いやり精一杯の気持ちでレスをしています。でも超能力者ではないので相手が一番欲している言葉だけをベストなタイミングで言うことは不可能なのです。

理解して欲しい、傷つけないで欲しいという気持ちは誰しも持っています。が、さんごみずきさんの主張はそれらが先走りしすぎて、ここを利用する全ての方にその超能力を求めているかのように私は感じました。

仰りたいことの根幹は理解できます。グリーフケアという言葉自体を知らなかった私も今回大変勉強になりました。その点についてはお礼申し上げます。

最後に…。これは私の非常に個人的な感想ですが。
一人一人の方へのレスの最後に「ありがとう」と加えられている記事が多いのですが、途中どんなに敬語を使われていても、親しい友達に言うようなこの締めくくり方は、私は少し抵抗を感じます。
対等な意見交換ではなく、上からの物言いのように感じてしまうのです。気分を害されたなら失礼します。

レス拝見しました
tomo -- 2008年05月10日 23:20:17

  さんごみずきさん、丁寧なお返事をありがとうございます。

お気持ちはよくわかりました。今回のレスはこのスレを立ち上げたときとはトーンが違いますね。最初からこうだったら、私も違う書き込みの内容だったかもしれません。

私は、ここ2年間、みなさんの死産や流産の辛いお話しなどを読んで、何度も何度も涙を流してきました。こんなにも辛い仕打ちがあっていいのだろうかと。子どもを失う悲しみは、胎児だからといってまったく同じだと思います。私自身も流産した際は自分を責め続け、赤ちゃんと一緒に死んでしまえばどんなに楽だっただろうかとそればかり思い、半年ほど鬱状態で過ごしました。ですから、人工死産を経験された方の苦しみはほんとうに想像を絶するものです。

死産体験を書き込まれたスレ主さんのあまりの悲しみを前に、もはや言葉が見つからない・・・、ただスレ主さんの心の痛みを思い、涙してしまう・・・、多くの方もそういう状態ではないでしょうか。

できることなら、スレ主さんの横で言葉もなく、ただただ涙を一緒に流すことができたら・・・・、それが本望です。たとえ死産を経験したことがなくても、悲しみは痛いほどわかるので。

でもここは掲示板であって、言葉を発しない限りは、思いは伝わりません。みなさん、何度も書いては消してを繰り返し、どうしたら自分のこの思いは伝わるのだろうかと、必死の思いで胸の内を文字にして、レスを投稿しているのだと思います。ここに掲載される投稿の誤字脱字の少なさや、丁寧で慎重な言い回しからもそれがうかがえます。

しかし私自身は、あまりの悲しみの前にコメントを発することすらできず、傍観することしか今までできませんでした。長年、文章を書く仕事をしているのに、です。

今回のさんごみずきさんのみなさんへのレスを拝見して、いろんな意味で、意見を文字にして伝えることの難しさをあらためて思い知りました。
きっと顔をつきあわせて話し合えば思いはみな同じで、こんな誤解や軋轢はは生まれなかったのでしょうね。悲しみのケアについてはさんごみずきさんの投稿を読んで、あらためて勉強させて頂きます。

そして最後に、もう卒業などといわず、よき先輩としてこれからもアドバイスをお願いします。

夕焼けさんへ。
さんごみずき -- 2008年05月10日 10:59:12

  夕焼けさん
人工死産についてのケアについて、私がお話できることはほとんどないと思います。おそらく、そのようなケアを特別に受けてきた実感がないためです。なので、ここで、自分が経験して感じたことをご参考までということお話してしまいますね。(ひとつの例として、ほかの方に見ていただいてもいいと思うので)

私の場合は不妊治療の段階から同じ病院にかかり、切迫流産で長期間入院していたこともあり、先生ともそのほかのスタッフとも、信頼関係ができていたと思います。異常が発見されてからも、彼らの対応に何ら変わった点はありませんでした。普段どおりに穏やかな口調で異常についての説明をし、質問に答え、診察をし、処置をする。私は「普通である」というのが重要なポイントだと思います。人工死産ですから、彼らにとっても精神的負担は相当なものだと思います。ましてや不妊治療から懸命にかかわってきた子供です。普通にしているのは大変なことだと思います。でも、そのお陰で、こちらも普通にいることができたと思います。普通に質問をし、診察や処置を受ける。意外なほど、落ち着いていることができました。
また、意思決定をするにあたっては、医師からの情報提供、こちらからの質問とも十分に行われ、全く自由な立場で納得して決められるよう配慮がなされていたと思います。医師は中立的立場を維持するよう努めていることがうかがえました。さらに、こちらの不安な気持ちについても十分配慮がなされていたと感じています。

ありがたかったのは、通常の分娩(経験していないので、おそらく、ということでしかありませんが)と全く同じように対応してくれた点です。入院したときには、「しっかり赤ちゃんを産んであげましょうね」と声をかけてくれました。対面を希望すると、生きている赤ちゃんと同じように、産着を着せて私の名前を書いた名札をつけてくれました。みんなで抱っこしてくれました。赤ちゃんを大切にしてくれたことが、最もうれしかったです。また、このようなことで、自分がこの子のお母さんであることを強く感じることもできました。
お葬式は病院の霊安室でおこないましたが、病棟から何人も参列して、お棺の中の子を何度もなでてくれ、一緒に泣いてくれました。

退院時には、カウンセリングの体制があるから利用したいときは声をかけるようにとの案内がありました(これは産科ではなく、婦人科の方で対応しているようでした)。私の場合は、主治医の判断で精神神経科を受診しています。

私はその後もこの病院で不妊治療を続けました。看護師も少し余裕があるときには、雑談の相手をしてくれました。気にかけてくれているのだろうと思います。先生や特にお世話になったスタッフには機会をとらえて手紙を書いています。「ありがとう」と受け取るだけで返事はありませんが、自分の気持ちを最も正直に、安心して伝えられる人々です。理解してくれている、常に私のことを支えてくれていると思い、心の中でいつも会話を交わしていた相手です。特別なプログラムはありませんでしたが、私にとっては日常の診療で築かれてきた信頼関係こそが、ケアそのものだったと思えます。

人工死産の場合、実生活ではその事実を話すことのできる相手が極端に限られます。そこが流産・死産と違う点のひとつで、私の場合には、病院スタッフが大きな役割を果たしました。
また、人工死産の特徴として、周囲の人がその事実をなかったことにしたいと考えたり、赤ちゃんを厄介者として扱ったりすることがあることもあげられると思います。事実を正面から受け止めようとする本人にとって、このことは大きな障害になります。周囲の人も大きな負担を感じているためで、彼らに対するケアも同時に望まれます。特に、両親(赤ちゃんから見れば祖父母)の年代では、人工死産に至った理由を理解するのが困難だったり、精神的ケアの重要性に対する認識が乏しかったりすることがあるため、誤解に基づく心無い言葉が投げかけられるリスクが非常に高いです。ですから、彼らに対して正しい知識を医療者サイドから提供されるよう私は期待しています。

綿飴さんへ。
さんごみずき -- 2008年05月10日 10:52:23

  綿飴さん
まったくご指摘のとおりで、とても嫌な思いをさせてしまって、本当に申し訳なく思っています。実は、先のスレで、私は綿飴さんのレスはとても好きで、私のレスのベースにさせていただいたくらいです。そのことをお伝えしたいと思っています。

私はスレ主さんの文章を読んで、現状と目標とのギャップにとても苦しんでいると考えました。他の方のレスは、目標を達成するか、あきらめるかの二者択一という視点でのみ捉えていました。これに対し、綿飴さんのレスでは「長居せずに帰れるよう」と目標をちょっとだけ下げてみることを提案していました。また、「同じような旦那様・・」という、現状を改善するきっかけになることも提示しています。ギャップをなんとか埋めたいと願うスレ主さんにとっては、目標と現状、両面からのアプローチがあって、さらに海外での生活の経験に基づかれていて、とてもありがたいレスだろうと私は感じていました。
で、私のつけたレスは、目標そのものをもっと大きな範囲で考えて(お祝いの気持ちをあらわす)、その方法をいろいろ考えてみたら、ということでした。目標を下げてみる、というヒントがあれば、そのバリエーションとして容易に考えつくことです。ですから私にもヒントを下さったと思って感謝しているのです。

HARUさんへ。
さんごみずき -- 2008年05月10日 10:49:39

  HARUさん
お返事くださって、ありがとうございます。
言葉にすると「つらい」になってしまうのだけど、日にちが経つにつれて、その中でも少しずつ変化があるのではないでしょうか。
>実はこの悲しみとともに過ごすのは自分自身で、一番共感していて欲しい主人とも同じ気持ちにはなり得ないことも痛感しています。
私もそう感じていました。夫は夫なりに、その悲しみと向かい合っていたのだろうと思います。悲しみの感じ方も、向かい合い方も違う。夫に話したいことはすべて話してきたけれど、核心部分は自分の中だけで大事にしていたい。そんな感じでいました。
ずっと前にどこかで書いたことがあるので、ご覧になったかもしれませんが、精神科医も「身近な人には一番話しづらいものです」とおっしゃっていました。きっとそういうことなのかなぁと思うのです。

私の感じたことですが。
しをり -- 2008年05月 9日 22:01:56

  さんごみずきさんのくださった情報は、とても有用なものだと思います。心にしっかり留めておきたいです。でも、やはり、その情報もあくまでも統計的なものであり、100%の人に当てはまるとは言えないでしょう。その割に、どうしても、少し押し付けがましさを感じてしまうのです。
一番違和感を感じたのは、他の方もおっしゃっていますが、「悩んでます」のトピックで、他の方のご意見を悪い例として勝手に取り上げて、赤ペン先生が添削をするかのように、レスをされているところです。正直、こんなに人を思い遣ることの出来る方の言動とは信じられませんでした。私なら、ああいう風に例にされると、ものすごく不快ですし、傷つくと思います。
私も悪い例にされるかも知れませんので、これで最後のレスにします。

ぱたこさんへ。
さんごみずき -- 2008年05月 9日 20:10:57

  ぱたこさん
おっしゃるとおりだと思います。ただ、自分がカウンセラーや「悲嘆ケア」専門のところにいくべきかどうか。そういった手段があることを知らない、それが必要な状況に自分がいるかどうかもわからない、といった場合もあります。やっとの思いでここにたどり着いたのかもしれません。なので、せっかく訪れた掲示板で、居心地の悪い思いをさせたり、さらにつらい思いをさせたりすることは何とか避けられないだろうか、という思いが私にはあります。

>一番大事なことは、相手を想っての発言かどうかで、
皆さん、心から相手のことを想って発言されていると思います。でもそのお気持ちを、より正確にスレ主に伝えていくためには、適切な表現や内容というものも必要です。誰も最初から「傷つけよう」などとは思っていません。でも、結果的にそうなってしまうこともあるのです(私自身がそうでした)。それはお互いにとって、とても不幸なことです。善意がまったく活かされないことになります。善意を活かすために、スレの冒頭で紹介させていただいたことを、ちょこっと頭の片隅にでも置いていただければうれしいのです。その程度で受けとめてください。あの記事は、一般の人に向けて書かれているものです。素人の私たちにも意識することができます。プロでなくてもできることはあります。善意がストレートにスレ主の気持ちの回復に役立つことを願っているのです。

>「アレ言っちゃダメ」「コレは逆効果」
私には言葉狩りをする気持ちはありません。「つらい言葉」として紹介した言葉が、なぜつらいかということを考えていただき(これが思いを寄せる、ということだと思います)、それを踏まえたうえで、スレ主の状況にあった言葉を自分自身で選んでいくプロセスが大切なように私は思います。

ぱたこさん、目に留めていただいて、感想をお聞かせくださって本当にありがとう。

 
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