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ワタクシ、49歳。
長男8歳、次男2歳。
仮に、名前を『バラ肉』と『ひき肉』とさせていただきます。
子どもとのあらゆる勝負に、負けてあげることができません。
それはおそらく、ワタシ自身が、幼少時、主に父に負けてもらわなかったせいだと思います。
すもう、かけっこ、自転車、逆上がり、トランプ、花札、ダイヤモンドゲーム。
ありとあらゆる勝負で、イタイケなムスメ(!)に勝った父は、
顔を紅潮させ、満面の笑みを浮かべて、
『お前とは、ココが違う』と言って、薄くなった頭頂部を指差し、ワタシを悔しがらせました。
長じて、若く、独身のワタシは、友人の子どもとの腕相撲に、手加減をするという芸当、あるいは、
『あら〜、強いわね〜』というおためごかし芝居ができず、よく泣かし、白けられておりました。
今、自分の子に挑まれる身になりましたが、やはり、その姿勢を変えることはできません。
『ひき肉』は、まだ、ワタシの敵ではありません。
『バラ肉』は、徐々に力をつけつつあり、男の本能か、毎晩戦いを挑んできます。
昼間、学校で鍛えている奴は、贔屓目でなく、要領よく卑怯な手をモノにして、ワタシを脅かします。
しかし、まだ、負け知らず。
今日も奴を泣かせて、悔しがらせて、
ワタシは、身体を痛めることなく勝ったことに、多少の安心をし、
夜は更けるのでしょう。
いつか、完敗する日を、怖れとも、喜びとも言える複雑な感情で
待っているのです。
・・・・・・・
一方、ワタシに勝ち続けた父は、既に最期のベッドの上で、
勝負することさえ、できなくなりました。
『医療的配慮』で、手袋をさせられた父の手を握り、その濁った瞳の中に、生気あふれる父の勝ち誇った面影を探しましたが、
焦点を結びそうで、ついに結べませんでした。
無駄なことだと諦めて、窓外の川を見下ろしたら、
『こういうことなのだ・・・』という腑に落ちる感覚が
下りてきました。
懐かしい、という感情は、いつもワタシをわしづかみにして、
絞り上げます。
- 今日はじめじめね〜。(7月2日) - ひげ - 2007年07月 2日 13:04:04
- こんにちは - いちじく - 2007年07月 1日 00:01:11
- ひげさ〜ん♪ - あん - 2007年06月29日 14:53:41
- にゃごさん、葉書は? - たんぽぽ - 2007年06月29日 14:12:48
- にゃごさんへ ひげさんちょっとここお借りしますね。 - わらく - 2007年06月29日 14:01:21
- お父さんにたくさん遊んでもらえたんだね - サリー紫 - 2007年06月29日 10:56:33
- ひげさん、sachiさん。 - にゃご - 2007年06月29日 09:28:52
- 7月2日 - ラリホー - 2007年06月29日 03:12:47
- ただいま! - 未久 - 2007年06月28日 15:16:14
- 見えないけど、色んなジンセーあるんだね〜。 - ひげ - 2007年06月28日 12:06:25
- 読んでくださってありがとう。 - ひげ - 2007年06月28日 11:38:23
- 若かりしお父さんの面影 - たんぽぽ - 2007年06月28日 10:42:11
- 絶対に勝てなかったかけっこ - いちばん星 - 2007年06月28日 06:45:54
- 川の流れ - REI - 2007年06月28日 00:00:48
- 寂しいけれど。 - たんぽぽ - 2007年06月27日 22:07:23
- 思い出しました - sachi - 2007年06月27日 21:25:42
- ひげさん、こんにちは - りお☆ - 2007年06月27日 14:42:18
- 懐かしさに苦しめられる日は必須です。 - にゃご - 2007年06月27日 14:41:12
- 男の子の母親は - わらく - 2007年06月27日 14:30:47
こんにちは、ひげさん。お名前見つけて遅れましたが投稿させていただきました。
私の父は、五年前の父の日に誰にもお別れを告げることなく、自宅の茶の間で一人で逝ってしまいました。寝たきりになることもなく、父らしい最期でした。
職人気質の父は大酒のみで、力持ちで、豪快な人でした。そして時々くりっとした二重まぶたの目が、ガキ大将のようにニヤッと笑うのでした。
たんぽぽさんのおっしゃったように、折に触れ父がそばにいるように感じます。甥っ子、姪っ子たちに父のDNA の臭いを感じたり、スーパーでおいしそうな魚を見つけたとき、横で父が覗き込んでいるような気がするのです。(これは私の思い込みかもしれませんが)
こんな父のDNAを、私はは果たしてこの世に残せるか、今が踏ん張り時です。宇宙の年齢に比べたら私たちの生きた時間は一瞬ですが、何とか命を繋いで行きたいと考えています。治療という「土俵」にもまだ立たせてもらえていないのですが、諦めないで踏ん張ります。
ひげさん、お父さんとの思い出たくさん作れましたね。
どうか残されたお父さんとの時間を大事にしてくださいね。
ひげさん、こんにちは。
出遅れました〜〜。
私の母が病気になっても、私はなかなか母の手を握ることができませんでした。
私の中での力強い存在であった母が、弱ってしまうなんて・・・。
現実を受けとめられなかった時期がありました。
でも、逃げずに、現実をみつめ乗り越えることで、いつしか、
母の手を握ることができました。
弱くなっても認知症になっても、結局は、優しく強い母のままだったのだと気付きました。
そして、母が亡くなる前にそれに気付けたことに感謝しています。
ひげさんの文章を読んでいたら、とめどなく母の思い出があふれてきてしまいました・・・。
まとまりのないレスでごめんなさい☆
また素敵なトピ、立ててくださいねっ。
ひげさん、横レスすみません。
にゃごさん、こんにちは。
にゃごさん、葉書はどうかなあ。
お子さんの写真の入った葉書、暑中見舞いと年賀状、連絡をとるなんて思わなくても、住所は知らせといたほうがいいですよ。電話番号は、別に入れなくても、住所があれば電報も打てるでしょ。
お子さんの写真の入った葉書に、お子さんに「元気です」だけ書いてもらうと、いいんじゃないかなあ。それだけ、年に二回だけ。
そのうちに、お互いに冷静になれそうなころに、話をすればいいんじゃないでしょうか。
御主人との結婚については、「親に逆らった」のではありませんからね。いい大人なんですから、ただ「自分の結婚相手を決めた」それだけのことですよ。
葉書一枚でも、幸せに暮らしていることは分かっていただけるでしょう。お母さんが、どれほどお喜びになることでしょうか。
ちょっと、考えてみても、いいと思いませんか?
それにしても、13歳の娘さんに勝てるなんて、信じられません。にゃごさん、すごいですね。きっとお父さんゆずりですね。
こんにちは
ご両親から逃げられたのですね。
私は6年前父から逃げました。
もう一生会わないつもりでしたが、この場所でのある方の発言を
機に再度考えるようになりました。
そして昨年、父が入院中の施設に子連れで会いに行きました。
それから何回行ったでしょう。。。
何も知らない子ども達は父に「じーちゃん!」と懐き、父も
にぎやかな息子達三人が来るのをいつも楽しみにしています。
6年の月日は父をすっかり老人にしました。
私にとってあれほど脅威だった面影も薄く、走り回る子ども達を
目を細めて見る普通のじいちゃんです。
山ほどのわだかまりもありましたが、こちらがそういう態度で
臨まなければ対立もせずに平穏なときを過ごします。
私はこのVoiceに来て、父に再会する気持ちを持つことが
出来て本当に良かったと思っています。
こういう例もあると思って下さいね。
ひげさんっ
何だか照れるじゃないですか。
ほめすぎよ!
バラ肉君、ひき肉君も連れて、ぜひぜひお越し下さい。
5人ごちゃ混ぜにして気の済むまで走らせましょう!
ひげさん、こんにちは
すもう、かけっこ、自転車、逆上がり、トランプ、花札、ダイヤモンドゲーム
だなんて、ひげさんはたくさんお父さんに遊んでもらえたんですね。
いいね。
私は、父と遊んでもらった記憶があまりないんです。
覚えているのは、お土産。
三角形のチョコの中に蜂蜜ヌガーが入ってるトブラローネチョコ
それから、
吉祥寺駅前にあったボンっていう洋菓子屋さんのケーキ。
当時はケーキの種類もあんまり多くなかったのか、
それとも父が知らなかったのか、モンブランか
いちごのショートケーキのどちらかが定番でした。
父のお葬式は、お坊さんがお経を読んだり、
在りし日の父のカラオケ姿のスライドが流れたり、
なんだかにぎやかでした。
とても俗っぽくて、父らしいといえば、とても父らしかったです。
ひげさん。そうですね。「ジンセーの彩り」。
どんな生き方をしても、時間は等しく流れる。それは、救いです。
今できることを精一杯。でも、できる範囲が狭すぎー。
知ることと、知らずにすませることは、同価値だと思うんです。
いずれにせよ、そこから時は流れますし。
って、何を言ってんだか?
sachiさん。
あたたかいことばをありがとうございます。
努力目標にしますね。いつか自分を超えられるでしょうか。
が父の命日です。
そして、弟(長男)の誕生日です。不思議です。
1日にみんなでお墓にいきます。
父は大正3年生まれで、母と24歳違いです。
長女の私が産まれた時、父は49歳
5人兄弟の末の弟が生まれた時、59歳でした。
とても厳しい父でした。
出かけた思い出は、海に1度海水浴、動物園に一度、サマーランドに一度
この3回だけです。3回だけだから鮮明に覚えています。
後はいつも怒っていました。
一緒に遊んでもらった記憶はありません。
いつも、体罰を受けていました。兄弟も母も・・・
そんな父が脳血栓で倒れた時、ショックでした。
いつも強い父が弱くなったからです。
そして、献身的に看病する母を不思議に思いました。
私ならここぞとばかり、仕返しをしたと思います(笑)
母は父を愛していたんですね!まぁ5人も産んだんですし・・・
借家時代に子供が泣いた時、大家さんに「うるさいから、原っぱに言って泣かしな!」
と言われたそうです。「大家さんてそんなに偉いの!」と父に泣きながら言うと
「おまえを大家さんにしてあげるから、泣くな」と言われたそうです。
今母は家賃収入で食べています。この話しは父が亡くなってから聞きました。
3日前、久しぶりに元気な姿の父と長々話しました。
はい!もちろん夢です。夢に出てきた事も母に今日話しました。
夫は絶対に暴力を振るわないやさしい人です。
父の話もしています。
良い意味でも、その反対でも「娘」はみんなファザコンですね!
遊んだ思い出の少ない父でも、今は二人の子供で良かったと思います。
タイムリーなお話しだったので、自分の事を長々話してしまいました。
>懐かしい、という感情は、いつもワタシをわしづかみにして、
絞り上げます。
ココでしびれてしまいました。涙じゃぁ〜じゃぁ〜です。
また、大好きなひげさんのステキなお話聞けて嬉しいです。
ひげさんに会える日を楽しみにしています。
お父様、お大事になさって下さいね!
ヨコですが、未久さんおかえりなさぁ〜い!
ひげさん
ただいま!アメリカから昨日戻りました。
近くお宅の「ひき肉」君と「バラ肉」君に会う日を楽しみにしています。
私は昨年父を見送りました。
最強と思っていた人が老いて行く、、、。
50年近く、当たり前の様にそこに居た人が居なくなる、、、。
輪廻とは言え、受け入れる事は安くありませんでした。
でもその思いが強い程、残された我々の心にはずっと生き続けてくれます。
娘の誕生と重なった父の最後の2年間の思い出は、私の今後の人生の宝物です。
17年前に亡くなった母への思いと共に、哀愁の念は薄れる事無く、
きっとそれは私が逝く順番になった時に、心地よく迎えてくれる大きな
翼となるのだと、楽しみでさえあります。
願わくばその順番が、まるこがしっかりと一人で立ってくれた後で
ありますように!
お父様の瞳の輝きが安らかであり、自然な形で出来るだけ長く、
愛するひげさん達を見続けて下さいます様に!
sachiさん、
じゃんけんは、クセが出ますね、無意識でやると。
海の男だったら、魚のクセにも精通されていたでしょうから、
sachiさんの次の手も、完璧に読まれていたのではないでしょうか!
たんぽぽさん、
茶〜飲みましょうね!
で、年取っても相変わらず、へ理屈しましょうね!
父のことについては、とにかく書く余裕があるんですもの、
現象としては深刻な状況ですが、乾いた事実がそこにあるだけです。それを味わいつくそうとする貪欲な自分には辟易ですが。
手を握って、ああ、これが、『もののあはれ』ってやつかな〜なんてシミジミして、いい気なもんです。
REIさん、
ワタシもバラ肉のとき34週あたりで管理入院になりました。
あれはあれで、安心ですね。
四六時中、無事産むことだけを思い描いていました。
う〜ん!頑張ってね!
楽しみにしています。
いちばん星さん、
そうなんです!かけっこは、なるべく短く、そして一回で決める。
でないと、2本目3本目では、息があがって不利なんです。
『葉っぱのフレディ』のお葬式ですか・・インテリジェンスの香りがして、かっこいいね。
うちの父は、お葬式の寺と墓を指定してるんです。
一応、希望があるようです。死んだあとも。
わ〜らっくさん!
ワタシより年下なのに、なんだかお姉さんのような気がします。
理想のお姉さん。実の姉は、非常に厳しいので、怖いです。
ワタシ、絶対にわらくさんちに行きますから、いつか!
その日を想像して、日々の糧にしてますから。
にゃごさん、
『ちくしょー』は、娘さんなのね!
父とは10年しか一緒に暮らしていませんので、話してみたいことがありましたが、顔を見ても、やはり切り出せませんでした。
知らないままでもいいか・・と今は思います。
にゃごさんの、懐かしいという気持ちが、今後どんな展開を形作るのでしょうね。
でも、何がどう転がっても、ジンセーの彩りだと思います。
りお☆さん、
勝負するときは、初めから何回まで、と決めてやるので、
悔しがるバラ肉が、延長戦を申し出ても、却下です。
泣いても、すねても暴れても、無視です。
最初にことわったから、って。
で、寝る前なので、本を読むよ!と言うと、少しして不満げながら
沈静化していきます。
面白ければ何でもいい・・のだと思います。彼は。ハハハ!
ひげさん、若かりしお父さんの面影に触れたいのなら、いつでも触れられますよ。
毎夜繰り広げられると闘争の後の、安堵のひととき、そっと鏡をのぞいて見ればいいですよ。そこには、「顔を紅潮させ、満面の笑みを浮かべ」た、お父さんの面影があるはずです。
そして、きっとそこには、お祖父さんのお祖母さんの、曽祖父さんの、誰かも知れぬ無限の人々の面影があるはずです。
三十年後、四十年後、私たちの瞳が濁ったときにも、やがて、色を失ったときにも、小さな子どもに勝って満面の笑みを浮かべる「お父さんの面影」は、バラ肉くんやひき肉くんの中に残るでしょう。
わたしたちが受け継いだもの、わたしたちが残していくもの、わたしたちの意識や記憶などをはるかに超えて、「生命」は、流れていきます。
お父さんが生きた証は、お父さんの知らないところで、今も、たしかに、息づいています。
いちばん星です。
私も父とかけっこをしていつも負けていた覚えがあります。
(中盤、勝ちそうになって、最後に負けるというパターンです)。
でも、永久に父は負けませんでした(過去形にするな!まだ
生きてるぞ!76歳だけど)。
なぜって、父に勝ちそうな年になった頃には
子供の私のほうが勝負に出なかったから。
いつか勝ってやろうと思っていたにもかかわらず、
でも、言い出さない。
親子ってそんなもんですよ。
母の葬儀では、「葉っぱのフレディ」を読みました。
母は、宗教家の娘でしたが、宗教で生活することを
極端に嫌っていました。そして、特定の宗教とは縁のない
生活をおくっていました。
お経のかわりに「葉っぱのフレディ」
いのちは、つながっています。
こわくない、こわくないよ。
こんにちは ひげさん。
死産後の妊娠初期に励ましのお言葉をいただきましたREIです。あの時はありがとうございました。
私の父も決して手加減しない人でした。
(75歳、健在です。仕事もばりばりではなくぼちぼちですが現役)
ドッチボールにトランプに何でも私を負かしては喜んでいるようなそんな父でした。
おかげで負けず嫌いになりました。
思春期には反発しながらもいつのまにか父と同じ職業を選びこの年になってはじめて父の苦労がようやくですがわかってきた気がします。
ひげさんのお父様の記憶(DNAでしょうか?)はひげさんへ、
そしてひげさんの記憶はひげさんの息子さん達に
まさしく川の流れのように引き継がれていくんですね。
命はつながっていくんだなぁ。
今やっと妊娠31週になりました。あともうすこしで管理入院です。入院するまでのあと2,3週間がとても不安ですがもう少し、もう少しと思いながらがんばっていきたいです。
ひげさん、お父さんの病状が悪化し、お寂しいことでしょう。
うちの父も負けてくれない人でした。元気だったころの親を思い出すと、本当に寂しいですね。
私が子どもだった頃、父も母も三十代でした。8ミリが残っていて、逆立ちをしようとして、なかなかできないで照れ笑いしている父がいます。元体操選手だったんですが、やっぱりできないんですよね。母は、前掛けをして、にこにこしていました。まだ幼稚園児だった妹は、小さな自転車で駆け抜けていましたね。私は、やたら髪の毛をなでつけていました。おしゃれのつもりですね。
あの頃の両親なんて、今の自分からみれば、本当に若いです。
父は六年前に亡くなりました。母も本当におばあちゃんになりました。生きるとは、確実に死に向かうことですね。
死ぬことは、寂しい。でも、生きてきたんだから、死ななくちゃいけませんね。後のものにも、譲ってやらないと。順番ですからね。
私たちももうすぐ50歳、もう、死を見据えて生きなければいけない歳だと思っています。
それでもね、ああ、人生は美しい。美しい瞬間が、いくつもあった。辛いから、苦しいからこそ、美しい。
もうちょっと、歳をとったら、茶のみ友達になりましょうね。
幼いころ父におもいっきり体当たりしてもびくともしなかったこと思い出しました。 そして不思議だったのがじゃんけんに勝ったことがなかった。 あれはなぜだったんだろうと不思議に思います。次に私がナニをだすかわかっていたコツがあったのか、それとも父にはじゃんけんの才能があったのか??
海の男だった父も生気がなくなり主夫となり弱くなりました。
亡くなったらきっとあの強い父の思い出が残るのだと思います。
にゃごさん、過去は過去。 連絡してあげて。
親よりオトコをとったとなじられたっていいじゃない。
お孫さんの顔みせてあげて。
私からお願いします。
「負けてあげる」こと、我が家ではあたりまえでーす。
適当なところでそれはもう自然?に負けて、「すごーい!」「つよーい!」とほめあげてパチパチパチ、その喜びで高潮した顔がまたかわいい^^;なんて感じ。
というより、負けてあげなければ、いったいどうなるんだろ?
どうみても負けずぎらいだし、大泣きおおわめきで収拾つかなくなり、タイヘンな事態になりそう…
そのあたり、ひげさんとこでは、「泣いて悔しがって」、そのあとどんな状態で収束?するのでしょう??
ひげさん。いつも見事な文章に唸らされている者です。
わたしも同様、こどもに手加減しません。
13歳の第一子は、「ちくしょー、必ずいつか勝ってやる!」と始めたばかりの柔道に日々打ち込んでいます。
わたしには武道の心得はありませんから、ムスメが強くなった暁には、有効な姑息な手を考えなければなりません。
そうそう、「からだであそぼ」という番組では、ケインも、手ぬぐいおじさんも、こどもと手加減せずに勝負しています。
そのしなさ加減が、こどもを一人前として認めているように思えて、潔さを感じていたところでした。
わたしの父も手加減をしないひとで、何につけ本気で勝負していました。
そして、本気の暴力、本気の罵倒にも対抗して成育し、長じてからは、闘うべきときには立ち向かい、いなすべきときにはかわしながらやってきました。
でも、3年前、現夫との結婚を反対されたときに、わたしは闘うことをやめ、逃げることにしました。
父が身罷っても(母もですが)、私にそれを知る術はありません。
懐かしさが押し寄せてきても、連絡を取る勇気がありません。
後悔に身を切られる日がくるであろうことも想像に難くありません。
できることとできないこと。じたばたと足掻くばかりです。
こんにちは ひげさん。
お名前を見つけて、早速やって来ました。
>いつか、完敗する日を、怖れとも、喜びとも言える複雑な感情で
>待っているのです。
我が家も男児ばかり、そして三人。
近い将来私に勝って、それを嬉しいと思い、同時に母の衰えを
感じてくれるのでしょうか?
お互い、まだまだ負けちゃいられませんね。
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未久さん、ラリホーさん、サリー紫さん、あんさん、いちじくさん!
お返事が遅くなって申し訳ありません。
思いがけず、皆さんのそれぞれの状況をお聞きして、
また、空想にふけらせていただきました。
ありがとう、ありがとう!
ああ、色々あるな〜、味わい深いな〜っと、
雨模様の空を見つめて、目を細めてます。
似た時代を共有している皆さんに、ものすごいシンパシーを感じます。
これからも、時代を共有して行きたい!
でも、・・・ちょっと話題が高齢出産からずれてきている自分が
気になります。