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こんにちは。
先日、妊娠20週を目前に中期中絶をしたしろねこと申します。
不妊治療の末、IVF2回目でようやく授かった赤ちゃん。
ところが12週目に3ミリ超の頸部浮腫が見られ
羊水検査をしたところ、複数の染色体異常が見つかって
妊娠の継続を断念しました。
検査結果が出るまでは不安な日々、
結果が出てからは悪夢のような日々でした。
分娩した我が子の亡骸を抱きしめました。
ずっと泣かない日はありません。
「我が子を殺した」という思いも消えません。
でも、やっぱり子どもが欲しいです。
ただ・・・次また妊娠できたとしたとしても、
また同じ様なことになったら、と不安でなりません。
(遺伝カウンセリングも受けましたが。)
同じ様な経験をされ、不安な気持ちを乗り越えた方は
いらっしゃいますでしょうか。
コメントをいただければ幸いです。
- 私も同じです。 - 匿名で - 2008年01月23日 09:37:15
- 悲しみから - よっさん - 2007年12月 8日 21:30:11
- 同じですね・・・ - しろねこ - 2006年09月13日 22:32:33
- 私もです。 - オレット - 2006年09月11日 16:56:47
- 再コメントありがとうございます。 - しろねこ - 2006年09月 8日 23:16:07
- 私が支えられているサイトです - 匿名で - 2006年09月 5日 12:18:03
- コメントありがとうございます。 - しろねこ - 2006年09月 3日 23:09:12
- 乗り越えれてませんが - 匿名で - 2006年09月 2日 12:43:01
はじめまして
私は45歳です。
13年ぶりの妊娠でした。
前の夫との間には18歳と13歳の男子がいます。
現在の夫(31歳)の間にやっと子供ができました。
初期の段階で浮腫9mmとかなりリスクの高い状態でしたが何とか羊水検査までは浮腫も消えました。。
ダウン症は覚悟して、それでも育てようと決めていました。
検査から10日後病院から呼び出されました。
18トリソミーでした。
5日後に中絶しました。
経産婦なのだからでしょう、軽いお産でした。
先生は親孝行なお子さんなんだよと慰めてくれましたが、
とてもその軽さが悲しかったです。
どんなお子さんでも育っていく中で病気、親への反抗、非行など
つらいことはたくさんあります。
でも自ら子供を他界させるのを身もって体験しなければならないのは母親にとっては比べ物にならない言葉にはならない悲しみです
でも今は
お母さんをうらまないでごめんねと日々嘆き続けることを、誰も 望んでいないし
悲しいのは私だけではない、夫、親、友人もとてもつらい
だれも責めることはできないし
みんな、わたしが早く元気になるのを心から待ち望んでくれている
そして天国に召された子供が一番そう思ってくれているんだと
必死に強くこころに言い聞かせよう涙が出そうになる度に
と思えるように努力して行くつもりです。
今は丁寧に供養することしかできません。
明日お骨を持って地蔵尊に行ってきます。
オレットさま。
体験されたこと、赤ちゃんへの気持ち、
自分とまったく同じだと思いながら
コメントを読ませていただきました。
ありがとうございます。
私も街をさまよい、娘をひとりで天国へ行かせるのがかわいそうで、
何度死のうと思ったことかわかりません。
私は初産だったので、
分娩前の処理(ラミナリアを25本挿入しました)の激痛と
陣痛促進剤での分娩の苦しさが、
通常の出産と比べてどの程度苦しいものなのか
比較ができませんでした。
でも、娘が受けているかもしれない苦しさを思えば、
自分のことはどうでもいい、ただひたすら
「娘をお守りくださいと」神様にお願いしていました。
そしてできることならこのまま私も一緒に逝かせてくださいと。
私の場合は21トリソミーのモザイクで、
過剰マーカー染色体も見られました。
珍しい例だったので、
先生のおっしゃっていることを理解するのも困難でした。
論文のような資料をいただいて、未だに手元にありますが
専門的すぎてわからない部分が多々あります。
結局マーカー染色体の出現理由や由来は
わからないままになってしまいました。
(遺伝ではないことはわかりました。)
ですからなおさら次の妊娠が怖い、というのもあります。
18トリソミーのサイトのご紹介ありがとうございました。
見てみたいと思います。
しろねこさん、はじめまして。オレットと申します。私も中期中絶の経験者です。今年の6月2日に18トリソミーの子供を中絶しました。19週でした。4歳の女の子の母親です。
42歳で授かった、赤ちゃんでした。この前に、4歳の娘の後に授かった命を2回続けて初期流産していたので、本当に嬉しかったのです。しかし羊水検査の結果は18トリソミー。羊水検査の結果を聞き、毎日泣き続けました。いっそこのまま赤ちゃんと2人で遠くへいきたい、そんな事を考えながら街をふらふらと歩きまわった事を思い出します。本当に待ち望んだ子供でしたが、色々と資料を集めて調べてみて、赤ちゃんには生き延びるチャンスが非常に少ないことがわかり、中絶に踏み切りました。主治医の先生の話では、同じ結果が出たとき、ほとんどのお母さんは中絶を選択されるそうです。
薬を使っての陣痛誘発は強烈で、痛みもすごかったけれど、心の痛みはもっともっとでした。生まれた子供の肌に手を触れ、あやまり続けました。この子と一緒にお空にいって、神様にざんげして、「お願いだからこの子をよろしくお願いします」と叫びたいと毎日思っていました。薬を飲まなければ眠れない日々が続きました。
手術のあと職場に復帰したとき、急にお腹がちいさくなった私をみて、周りの人たちが目をそらして蜘蛛の子を散らすように逃げていったのも辛かったです。当然のことであり、誰も責められないのですが。
いくら絶対予後不良の染色体異常であっても、直接子供を天国へ送ったのは私と夫の判断なのです。この辛さ申し訳なさに区切りがつくとは思えません。毎日の月命日には私もお空に手を合わせ、語りかけています。自分が死んだら、真っ先に娘(女の子でした)におわびに行くつもりです。そして何年分も抱きしめてやらねばなりません。
私はアメリカのサイトであるTrisomy 18 Foundationのサイトに中絶後1ヶ月して出会い、少しだけ救われました。これはTrisomy 18 のサイトですが、羊水検査でTrisomy 18 と診断されたときの選択肢として「出産する」「中絶する」の2つがはっきり示され、冷静な判断ができるよう暖かくアドバイスしています。また、おのおの立場の家族の体験談(生んだ家族、中絶した家族)が語られています。どちらを選択した家族も、赤ちゃんに精一杯の愛情をもって接していることがわかり、思わず共感して涙しながら読みました。日本では中絶=「殺人、子供に愛情がない、障害者蔑視?」というレッテルが貼られてしまうためこのような体験について語りあう場所がほとんどありません。しかし中期中絶体験した自分の心は赤ちゃんを思う気持ちがあふれており、その気持ちは誰にも説明できない、一生理解してもらえないと思っていました。このサイトを見て、初めてその孤独が少し和らいだ気持ちがしました。しろねこさんの赤ちゃんの染色体異常は全く別かもしれませんが、ある意味共通の部分が多いと思いますので、英語が嫌いでなければ、是非見てみてください。
私の書き込みを見て、不快に思った方がいたらお詫びいたしますが、全て私の正直な気持ち、正直な体験です。自分は駄目な母親なのかもと自分を責め続けていますが、それでも生きていかなくてはなりません。4歳の娘に対しても、一層母親となれるよう努力していきたい、するしかない、それが自分の精一杯の気持ちです。
匿名さま。
2度目のコメントありがとうございました。
<泣いて笑って>、私も検査結果を待っているときに
たどりついたサイトです。
ぼろぼろ泣きながら読みました。
娘が逝った後も、また読んで泣きました。
今回、匿名さんからレスをいただいたのをきっかけに
もう一度<泣いて笑って>にアクセスしてみました。
そしたら気づいたのですが、
mixiに会があるのですね。訪ねてみようと思います。
私の娘のお骨は‘赤ちゃん寺’に
ほかの天使たちと一緒に納骨されています。
ときどき会いに行こうと思います。
でも、ほんとうは近くにいるかもって・・・
ひとりでいるとき、娘に話しかけてしまいます。
ママは忘れないよ、とか
また来てね、とか
次は必ず幸せな人生を送ってね、とか。
本当に、同じ経験の人は少ないですし、参考になるサイトも少ないです。
もうご存知のサイトかもしれませんが、<泣いて笑って>をご覧下さい。
私を支えてくれたサイトです。
でもできたら、もっと早く知りたかったサイトでした。
息子に何も着せず、何も持たせず、抱きもせず、写真もとらずに天国へ旅立たせてしまったんです。
見ていたら全く違っていたのですが。
小さなお骨が唯一の宝物です。
匿名さま。
辛い思いを打ち明けてくださってありがとうございます。
私もまったく同じ気持ちです。
娘(女の子でした)の寿命を
まっとうさせてあげられなかったことを
一生悔やんで生きていくのだと思います。
夫、両親、親戚、周囲の人全員に産まないように言われ、
(皆、善意で言ってくれたことですが)
挫けてしまいました。
毎日毎日話しかけて・・・あんなに愛していたのに。
「離婚して、私ひとりで育てます」
と言えなかった自分を、死ぬまで責め続けるでしょう。
死ねば天国の娘に会えるだろうと思っています。
でも、できれば生きている間にもう一度会いたい。
匿名さんと一緒の思いです。
>もし妊娠できたら、赤ちゃんと不安と一緒に過ごす覚悟だけはできました。
息子にまた会えるなら、頑張れます。
「赤ちゃんと不安と一緒に過ごす覚悟」・・・
私もそうあらねばと思いました。
人工死産はネット上にも体験談が少ないですよね。
批判もありますし・・・
何より、お腹で今も子どもが生きているとわかっていて
自ら「子どもが死に行く」準備をしなければならない残酷さ。
私は検査結果後、廃人のようになっていました。
この体験はなかなか言葉にしづらいものがあると思います。
そんななかで、
ましてやご自分も大きな不安を抱えながら
コメントをくださったことに感謝いたします。
はじめまして。
2歳の男の子の母です。
私も5月に胎児水腫で15週の子をお空に返しました。
辛いですよね。
なんで私の子だったんだろう。
救う方法は本当になかったんだろうか。
延々と今も思います。
他人の妊娠は喜べません。
今話題の紀子様の事も、家族は普通に話題にだします。
私の答えは一つです。どうでもいい・・・。心の中ではこう思います。死ねばいい。
本当に最低です。誰がって、私が。
先生が仕方が無いことで、お母さんのせいじゃないからと言ってくれても、自分でそう思えないのが現状です。
だって最終的に命を摘み取ったのは私ですから。
ある意味殺人者ですもん。
この気持ち乗り越えられる人いるのかなあ。
私は一生無理です。
でも私も、また赤ちゃん欲しいです。お空の息子が元気に体を修復して戻ってくるのを待ってるかもしれない。
勝手にそう思い、先月から再トライしています。
また逢いたい。こんどこそ頑張るから、戻ってきて欲しい。
位牌に語りかけてます。
なんてわがままなお母さんだと天国で息子は苦笑しているかもしれませんが。
私は無事生めた息子の前に子宮外妊娠で片方の卵管がありません。
だから、妊娠したら、まず、その心配をしてしまいます。もし同じことになったら・・・。
毎回恐怖です。
そして、今回のことで、無事育つかの心配もついて廻ることになります。
とても不安を乗り越えれませんが、もし妊娠できたら、赤ちゃんと不安と一緒に過ごす覚悟だけはできました。
息子にまた会えるなら、頑張れます。
人工死産された人に逢えたの初めてです。
流産とは全く違う気持ちを味わっています。
でも、この辛さはきっと、何か意味があるものと思いたいです。
でないと、一生付き合うには重過ぎる罪ですから。
自分のことばかりで変な内容で申し訳ないです。
もうじき4回目の命日です。
それでもまだ全然だめです。
同じように、いやきっとそれ以上に辛いですよね。
私は不妊治療はしてなくて、これですから。
でも、今は、自分が思うように好きに時間を使ってください。
泣きたいだけ泣いて、寝たくなかったら起きてたらいいですよ。
時間が必要です。
本当に時間が。
変な締め方ですが、どうか、頑張らないでください。
それでいいんですよ。
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私も、先日よっさんと同じ体験をしました。超音波検査で5ミリ以上のNTが指摘され、羊水検査の結果18トリソミーと宣告されました。もし生まれてきても1歳になる前に90%が亡くなる、どんなにがんばっても小学校に上がる年齢まで生きられないという説明を受け、生まれてきた子供が苦しんで亡くなるのは絶対に耐えられないと思い、天国に返すことにしました。医師の説明は「18トリソミー=中絶」というものでした。
全年齢で5000人に一人、10000人にひとりとも言われる18トリソミー。相対的な数は少なくても、広い世の中には同じ経験をされたかたが多くいるのだと思います。
40歳を超える幸せな高齢出産について語られることが多い中で、悲しい体験は語られることはありません。けれど私たちは高齢出産を試みるとき、40歳で60分の1と言われる染色体異常児の発生率、そしてそれが誰にでも起こりえるという事実をしっかりと受け止め、障害児を持つということ、命の大切さについてよく考えた上で、覚悟を持って臨まなければならないと思います。自分の身の上に起こることは、自分で受け止め責任を取るしかないからです。私があまりにもお気楽で覚悟のできていない母親だったから思うことです。
決して妊娠したことを後悔はしていません。18トリソミーの90%以上は初期の流産で終わるとのことです。私の赤ちゃんは一生懸命がんばってお腹の中で5ヶ月まで生きてくれて、たくさんのメッセージを残してくれました。感謝の気持でいっぱいです。
この悲しみや、命をまっとうさせるべきでなかったかという自責の念は一生消えることはありません。今の私にできることは、これからの人生を、できる限り一生懸命、できる限り笑顔で、後悔しないように生きていくことだと思います。
よっさんの赤ちゃんのご冥福をお祈りします。