★第37回 卵子提供でママ&パパになった方のおしゃべり会in東京 2023年10月7日(土)
★第38回 卵子提供でママ&パパになった方のおしゃべり会in京都 2023年12月3日(日)
★babycom 高齢出産という選択 TOP
はじめまして、初めて投稿します。現在海外在住です。
44歳で自然妊娠しましたが、8月に5ヶ月で息子を亡くしました。
39歳で不妊治療を始めて行き詰っていろいろな情報を求めてさまよっているうちに、こちらの掲示板を拝見し、それ以来皆様のコメントや体験談などにいつも勇気付けられてきました。
人工授精、体外受精へとステップアップ、途中子宮内膜症も見つかり腹腔鏡手術で除去も行い、漢方やサプリメントなど効果があると言われるものは片っ端から試しましたが、枯死卵だったり子宮頸部での子宮外妊娠だったりとなかなかうまくいかず、医師からはやはり加齢による卵子の質の低下が不妊の原因だろうから、あなたにとって一番のチャンスは卵子提供を受けるしかない、といわれていました。
とはいえやはり大きな決心であり、でも情報だけは集めておこうと今年1月に日本に帰国したときに、こちらでもトピックにあがるエージェンシー数件と面談してきました。
卵子提供となると、当然ながら自分の遺伝子は受け継がれない、本当にそれでいいのかと葛藤する毎日が続き、そんな私を見た主人が、
「とにかく数ヶ月はちょっとお休みしよう。治療のことを忘れるわけじゃないけど、今はとにかく今を楽しくハッピーに生きた方がいいじゃないか」
と言ってくれたので、自然にはトライしつつも治療を一時中断して日々を過ごしていた矢先の自然妊娠でした。
高齢なので、いつ流産してしまうかわからないからまだぬか喜びはできないと、浮き立ちがちな主人をなだめながらも、初めて心音が確認できたときはうれしくて涙が止まりませんでした。
しかし12週での出生前診断のスキャンで、無脳症との診断を受けました。
お腹の中ではおそらく生きられるけれど、生まれて外に出てきたらまず生きていけないと。
今まで聞いたこともないような病名を言われ、しかもそれが自分の、それもこんなに長い長い間待ち望んでいた赤ちゃんに起きていることとは信じたくありませんでした。
担当医は、「最後の妊娠になるかもしれないから、もしこのまま妊娠継続したいなら僕はサポートする」と言ってくれましたが、主人ともいろいろ考えた結果、20週以降に人工死産の処置を行ってもらう方向で話を進めていました。
私の住んでいるところでは、20週以降は流産や死産だった場合でも出産証明書を取り、埋葬することが法律で義務付けられていると聞いたので、私たちのエゴですが、少しでも赤ちゃんがこの世にいたという証が欲しい、きちんと弔ってあげたいと思ったからです。
赤ちゃんの問題がわかる前から主人と旅行しようと休みを取ってあったので、一応医師から問題ないと確認を取った上で最初で最後の家族旅行に行くことにし、海外のリゾート地で3人でのんびりしようと手配を済ませていました。
しかし出発当日の昼に突然破水し、その日の夜中に病院でつるんと生まれてきてくれました。
残念ながら死産でした。
たった120gしかない、小さな真っ赤な赤ちゃん。
無脳症の診断はあっていました。でも私たちにとっては、この世の中で一番一番かわいい、かわいいいとしい我が子でした。
その後はばたばたと葬儀を済ませ、お骨を抱いて予定していた旅行にも行きました。
ほんの短い間でしたが、私と主人は息子を授かることができて本当に本当に幸せでした。
昨日が3ヶ月目の誕生日だったのですが、その後仕事にも復帰して以前のような生活に戻りつつあります。
でもやはり以前の生活そのものではなく、表面上大丈夫なようでもやはり時折息子のことが恋しくてたまりません。
胎盤を検査してもらったところ、18トリソミーだったこともわかりました。
あんな小さい体で、こんないろんな問題を抱えてまでも私たちのところに来てくれた息子、私たちにその命を絶つという選択をさせないよう自分から生まれてきてくれた親孝行な息子です。
今夜も無事に生んであげられなかったこと、どうして我が子があんな姿で辛い思いをしなくてはいけなかったのか、どうして私たちには子供が授からないのか、ととりとめのない思いがあふれて、主人と二人で泣きました。
泣いてばかり、悲しんでばかりではいけないことはわかっていますが、波のように悲しさや悔しさが押し寄せてきます。
自分の年齢を考えると、妊娠が不可能ではないとはいえ、無事に出産できるのかかなり不安も残り、そして次の赤ちゃんではなく、私はこの頑張ってくれた息子に戻ってきて欲しい!と駄々をこね、次頑張ろうと気持ちを奮い立たせようとしている主人を困らせたりもしました。
もしまた無事に生まれて来れなかったら・・と思っても、このリスクを乗り越えなくてはいけないのだと自分に言い聞かせ、私がいつまでも嘆き悲しんでばかりいたら、息子も幸せではないはず、と、息子に対しての愛情をいつも持って日々を過ごすようにしてきました。
それでもやはり時折、無性に息子を恋しく思い悲しくなることがあります。お腹のふくらみ、エコーでみた元気な姿。
元気に生まれてきたかっただろうに、と思うと、自分の無力さに泣いても悔やんでも悔やみきれません。
友達に少しずつ話したり、カウンセリングを受けたりして、少しずつ以前の日常に戻りつつありますが、その反面息子のこと、私たちに起こったことを絶対に忘れたくない自分がいます。
お骨も小さな容器に入れて、ずっと連れて歩いています。
以前と全く日常に戻る事は二度とありませんが、自分が納得できるペースで少しずつ前に進んでいけたらと思います。
相当な長文になってしまい申し訳ありません。
これからもVOICEの皆様と一緒に頑張っていきたいと思っています。
- 颯太ママさんへ - あんちゃん - 2012年11月23日 22:23:19
- あんちゃんママさんへ - 颯太ママ - 2012年11月21日 12:57:22
- ありがとうございます - あんちゃん - 2012年11月18日 21:08:48
- 初めまして - 颯太ママ - 2012年11月16日 23:38:19
こんにちは、颯太ママです。
お返事ありがとうございました。
まだご覧になっているでしょうか?
あんちゃん、息子さんのニックネームだったんですね。
何てお名前つけられたんでしょう、色々想像してしまいました。
うちはそのまま「颯太、そうた」です。主人が風に立つという
この漢字をとても気に入りつけたのですが、響きが優しくて良い
名前をつけられて良かったなと思っています。
退院して火葬をする前日、1日だけうちに連れて帰ることが出来たのですが、主人と3人で近所の公園に散歩に行って大きな木の下のベンチに座ったら、それまでほとんど風が吹いていなかったのに、
急に気持ちの良い風がザワザワと私達を囲むように吹いてきて、主人と「颯ちゃんの風だ。」ととても不思議な経験をしたのを懐かしく思い出しました。今でも風が吹くと息子がそばにいてくれる気がしています。
あんちゃんさんも書かれていましたが、赤ちゃんの酸っぱいような甘いようなほっとする匂い、私も抱っこした時ずっとずっと息子の額に顔を押し当てて匂いをかいでいました。あの暖かい優しい匂い、もうかぐことが出来ないのが本当に悲しいです。
私も主人が「颯太の弟か妹が来てくれるといいね。」と言ってくれたのに、私は次の赤ちゃんが来てくれても颯ちゃんじゃない、私は颯ちゃんがいいのにと泣いて困らせてしまいました。
妊娠をして、すごくすごく幸せだったのに、ある日を境に奈落の底に突き落とされたような苦しい苦しい日々が始まり、どうして私なの?私の赤ちゃんだったの?って、行き場のない悲しみや怒りはきっと一生続くのだと思います。
私達の年齢を考えると、もし次に妊娠をすることが出来てもリスクは高く、また同じようなことが起こったらと考えると何とも言えない恐怖感にかられます。それでもそこを乗り越えていかない限り絶対前には進めない訳で...
私も同じ気持ちで違うサイトですが、次の妊娠への不安を書き込み
何人かの方から、とても励まされるメッセージをいただきました。
皆さん同じようにお子さんを亡くし、その後お子さんを授かられた方々です。良かったら読んでみて下さい。
サイト 「ウィメンズパーク」
タイトル「息子を亡くして4ヶ月たちました。」
ハンドルネーム「はるゴマ」
です。そちらのサイトからですと、直接私にメールやメッセージを
送っていただくことも可能です。
お気持ちが辛い時、もしお話したくなったらいつでもご連絡くださいね。私ももしお話出来たら嬉しいです。
颯太ママさん、
お返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。あたたかいコメントありがとうございます。
颯太ママさんの投稿は繰り返し読まさせていただいていました。
息子が無脳症であるとわかり、妊娠を継続すべきかどうか悩んでいたときにも、「私も妊娠継続できる勇気があったら・・」とも思いました。
もし自分たちがどこか田舎の方に住んでいて、周りに知っている人がいないような状況だったら、もしかしたら満期出産まで頑張ることもできたかもしれませんが、お腹から出てきてもまず100%生きられないと断言されてしまった状態で、友人や周りの人々からお祝いの言葉をいただいてもまるで自分たちが嘘をついているようだし、それにそういう状況にも耐えれらるとも思えなかったのです。
18トリソミーを持って生まれてきても、頑張っているお子さんもたくさんいらっしゃるし、もし18トリソミーのみの診断であれば、少しの望みでも生きられるかもしれないのなら、と妊娠継続を選択したのではないかと思います。
無脳症のお子さんで数年生きられた例もあるそうですが、これは本当に1-2例なので、非常にまれなケースでしかないようです。
それでもきっと自分たちで息子の命を絶つ選択をしていたら、今でもきっと後悔していたのだろうなと思います。
その点については本当に本当に息子にいくら感謝しても感謝し切れません。
私もあれから3ヶ月がたち、毎日泣き暮らすということはなくなりましたが、それでもふとしたときにわっと波のように悲しみや悔しさが襲ってきます。
12週のスキャンのとき、元気にばったんばったん動いている息子を見て本当に幸せだったのに、担当技師がどうも無口だと思ったらその後ドクターから「ほぼ間違いなく無脳症です」と告げられたときのショック、あわてて呼ばれて戻ってきた主人にそのことを告げたときの表情・・・
あれだけ待ち望んでいた妊娠、でも自分の年齢などからもしかしたら途中で亡くなってしまうかも、と心配していた私に、「大丈夫、今度こそ僕たちの番だ」と嬉しそうに話していた主人の言葉などを思い出すと、今でも涙が止まりません。
人様の赤ちゃんやお子さんを見るのも辛い、という状態ではないのですが、出かけたりしても妊婦さんに目がいってしまったり、元同僚が苦労の末第2子を妊娠したと聞いて彼女が来る集まりに参加できなかったり、年下の友人が今後の子作り計画の話などをしているのを聞くのが辛かったり・・・
今後もし友人が妊娠、出産しても、私は素直に祝福してあげられるのだろうか、と思ったりもします。
颯太ママさんの息子さんも、本当に親孝行な息子さんですね。
きっと颯太ママさんのことを心配してくれていたんですね。それにきっと少しでも早く颯太ママさんさんとご主人様に会いたかったのでしょうね、それですぐに出てきてくれたんでしょうね。
コメントされている通り、なおさらいとおしく感じますよね。あんな小さい体でいろいろあって辛かったろうに、本当にありがとうね、よく頑張ったね、と。
外出先で突然破水し、幸い病院が徒歩5分のところだったのですぐに駆け込んでみてもらったら、「羊水はほとんど残っていないけど、赤ちゃんは生きています、でも横向いてるので手術が必要かも・・・」とも言われていたのですが、そんなこともなく、夜中に病院に戻って個室に入って陣痛が頻繁になった・・・と思ったら、つるんと生まれてきてくれたのです。
おそらく陣痛らしきものが始まってから1時間程度だと思います。そろそろ分娩室に行ったほうがいいかもしれませんね・・・と話していた矢先で、病院の個室のトイレで生まれました(苦笑)
小さくても鼻は私似の丸鼻、足の人差し指が親指より長いのは主人似でした。
赤ちゃんのにおい、っていうんでしょうか、なんともいえないほっとするにおいがして、私はずっとずっと顔を近づけて息子のにおいをかいでいました。
私も息子のお骨に話しかけたり、ご飯を一緒に食べたり、出かけるときには一緒に連れて行っています。
日本国外に住んでいて家族のお墓というものがないというのもありますが、どうしてもあんな小さい息子を一人で見知らぬ人に囲まれておいておくのは忍びないので、この先も納骨はせず自宅で一緒にずっといると思います。
実は明日、こちらに住んでいる浄土宗のお坊さんにうちに来てもらい、100日の供養をしてもらう予定です。
颯太ママさんは41歳ならばまだお若いですよ!
世間一般では確かに高齢の部類に入るかもしれませんが、まだまだ大丈夫ですよ!
私も可能性はゼロではないとはいえ、この先もう息子は戻ってきてくれないかもしれない、という恐怖感をどうしても感じてしまいます。
でも颯太ママさんの言われるように、あんなにかわいい息子が来てくれて確かに私たちは親子になったのですから、そのことに感謝しながら、そして幸せな思い出をいつも感じながら未来を信じるしかないですね。
主人も、「あんちゃん(これは実は息子のニックネームです)だって僕らがいつも泣いてばかりの姿を見たくないはずだよ、幸せにしていないといけないよ」と言ってくれました。
颯太ママさん、私たちの息子たちが安心して私たちを見守っていてくれるよう、頑張りましょうね。
二人がお空で仲良くしてくれているといいですね。
長文で申し訳ありません。
こんにちは、初めまして、颯太ママと申します。
息子さんのこと、お辛いですね。
お気持ち痛いほどよく分かります。
私の息子も18トリソミーでした。
今年6月5日に生まれて来てくれて、翌朝私の腕の中で
眠りにつきました。
あれから5ヶ月が経ちますが、気が狂いそうな嵐のような
時期は過ぎ、激しく泣くことはなくなりましたが、毎日息子が
愛おしくて会いたくて抱っこしたくて泣いてしまいます。
私は妊娠5ヶ月の検査で息子の病気が分かり、人工死産も
選べたのですが妊娠を継続しました。ですが、あんちゃんさんの
ように、もし無脳症のことが先に分かっていたとしたら私も
おそらく妊娠の継続を選択しなかっただろうと思います。
待ち望んでいた何よりも愛しい命がお腹から出て来たら生きられ
ないと告げられることの辛さ、ショックは経験した者でないと
分からないですよね。私は未だに息子が18トリソミーと告知された時のこと、私の腕の中で息を引き取った時のことがフラッシュ
バックして涙が止まらなくなってしまいます。
あんちゃんさん達パパとママに我が子の命を断つという選択を
させずに、つるんと生まれて来てくれた息子さん、本当に健気で
親孝行ですね。たくさんたくさん褒めてあげてくださいね。
うちの息子もつわりもなく逆子も治って、産気づいてから
35分で生まれて来てくれたんです。ずっとずっと私に負担を
かけないで優しくて親孝行で、それだけに日々愛おしさは
増すばかりです。私もいつも息子のお骨に話しかけたり、
一緒に出かけています。
こんなに優しい息子に恵まれた私達は幸せですね。
私は息子のこと、すごく悲しかったけれど一度も不幸だとは
思ったことがないんです。愛する優しい主人との間にあんなに
かわいい息子が来てくれて、私達3人は確かに家族になったんですから。
息子が亡くなって泣いてばかりいる私に、主人が息子の名前で
手紙を書いてくれました。
「ママへ、僕を産んでくれてありがとう。
パパとママに会えて、すごくうれしかったよ。
見えなくてもさわれなくても、ずっとパパとママの
そばにいるよ。」と書いてありました。
あんちゃんさんの息子さんも私の息子も、見えないけど
さわれないけど、私達のそばにいてくれると思います。
息子は第一子でした、私も間もなく41才と高齢です。
これからのことは誰にも分かりませんが、私の胸の中で生きている
息子とこれからもたくさん思い出を作りながら、明るい未来があると信じて前に歩んでいけたらと思います。
あんちゃんさん、一緒に頑張っていきましょう!
- ご利用に際してのルールとお願いを読む
- 名前、ハンドルネーム、タイトル、投稿文には、半角カタカナ・半角記号を使用しないで下さい。
正常に送信されない場合があります。 - メールアドレスは必ず半角英数字をご使用下さい。
- お名前、メールアドレスは掲載されません。
颯太ママさん、
お返事ありがとうございます。
息子の名前は「安樹」と書いて「あんじゅ」といいます。
出産ぎりぎり前のスキャンでも「確定できないけどたぶん女の子」と言われていたので、あんじゅならエンジェルに響きも似ているしいいかと思い、ずっとその後あんちゃんと呼びかけていたのですが、生まれてみて小さなかわいいおちんちんがついているのがわかりました。
女の子の名前だけれど、今更名前を変えても混乱するだろうし、「安らかな樹」というのが自然に溶け込んでいるようで息子にぴったりかと思い、このまま行こう!と主人と相談して決めました。
主人が外国人なので、彼がつけた英語の名前と、私がつけた「あんじゅ」という名前で出生証明などの登録をしたのです。
「颯太、そうた」くん、とても素敵な名前ですね。
漢字も素敵ですし、響きもとてもいいですね。
確かに私たちの年齢での妊娠はリスクが高いけれど、「それを乗り越えていくしかないよ」とかかりつけの医者にも言われました。
それは確かに考えるだけでとても不安になるし、恐怖に近いものがありますが、じゃあもうあきらめるのか?あんちゃんの生まれ変わりのあんちゃんの弟や妹に会えなくてもいいのか?と考えると、
あんなに大変な思いをして来てくれたあんちゃんの気持ちに報いるためにも、気持ちを強くもって頑張るしかないと思います。
しかし理屈ではわかっていても、やはり気持ちが日々揺れています。
ウィメンズパークの情報と暖かいお言葉、本当にありがとうございます。
早速アクセスさせていただきました。お言葉に甘えてメッセージさせていただきますね。
私もぜひお話させていただければ嬉しいです。