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私は個人病院で出産したので、若い人が多く、里帰りや産後フォローばっちりな人達ばかりでした。
誰にも頼ることができない状況の私を、病院側も配慮して下さり私だけ沐浴指導は二回して頂きました。
母は入院しているので、父に「沐浴大変やねん。なんだかんだでお母さんって、ちゃんと育児やってたんやなあって感心したわ。」と言うと・・・
「何言うてんねん。怖い〜言うてちっともやらんと、おまえも兄ちゃんもわしがいれとったんや。」の思わぬイクメンぶりにびっくり!
若くで出産した友達は、上げ膳据え膳だったのを知っているので、これからの友達に聞いてみたら、あちらこちらで、イクメンがいっぱい!!
同じ様に怖い〜って全部お父さん任せ、夫婦での連携プレー、果てはお嬢さまだったのでお祖母さんがとか、色々おもしろい話がいっぱい聞けました。
今、ご両親がご健在なら是非色々聞いてみて下さい。
予防接種受けた後、どうなることが多かった?とか、おたふくしたっけ?とか気軽にいっぱい聞きたいことがあるのに、聞くに聞けない私の様になる前に・・・
- スピリチュアルという言葉 - チチェキ - 2011年08月14日 08:40:21
- 温かい気持ちになれました - スーザン - 2011年08月13日 18:11:02
- スーザンさん - チチェキ - 2011年08月13日 00:12:29
- 亡き父もイクメンでした - スーザン - 2011年08月12日 21:19:55
- 〜ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために〜 - チチェキ - 2011年08月12日 07:34:55
- 高齢出産ボイス - チチェキ - 2011年08月 5日 08:15:13
- みんさんへ - チチェキ - 2011年07月 3日 23:24:57
- ありがとうございます。 - チチェキ - 2011年07月 1日 17:27:38
- 遅くなりました。 - まげ - 2011年07月 1日 11:08:53
- ありがとうございます - アサヒ - 2011年06月28日 21:34:36
- ふっふっふっ - チチェキ - 2011年06月26日 17:28:07
- いいですね〜 - アサヒ - 2011年06月26日 14:27:27
- 素敵 - チチェキ - 2011年06月23日 18:52:43
- 私の父もイクメンでした - ちびいぬ - 2011年06月23日 12:27:25
チチェキさん
優しいご返信、ありがとうございます。
ハイカラって何かレトロで温かい言葉ですよね!
今の人は八ミリなんて見たこともないでしょうね。でも当時は、あれこそ文明の利器!って感じで白い壁に、部屋を暗くして八ミリ機の下に、分厚い雑誌とか置いて、角度整えてやや上向きにさせて、上映していたんですよね。懐かしいですね。。
うちの主人もまめな方ではあり、他のことは割と協力的でしたが、何故かうんちの時は不思議といなくなり(苦笑、回数にしたらやはりうちも5回もいってないと思います。
父が生きている頃良く聞かされたのですが、「お父ちゃま(うちは何故か母はママで、父はおとうちゃまでした(笑)は○○(私)や○○(妹)のオムツ替えは本当によくやっていたよ。特に○○(私)のは。」そして母に言わせると、私は赤ん坊なりにオムツを替えてくれるのはこの人と決めていたらしく、ばっちいオムツをつけたまま、母ではなく父の方にハイハイしていったそうです(苦笑。そして私が、「それ、日曜とかも?」と聞いたところ、「当り前だ。赤ん坊が今日は休日だからってウンコ我慢するか?」などとごもっともなことを言っては笑いあってました。
ホットドッグ、今もそうですが当時から大喰らいの私は、一本では足りず、必ず2本、(一本はオニオン(トマト味が甘く沁みた絶品です)がけ、そしてもう一本はサワークラウト(酢漬けキャベツ)
)を、コーラやソーダと流し込んでいました。本当に成長期の食べ物としては日本のお母さんだったら眉を顰めるであろう、アメリカならではの極めつけのジャンクフードですが、これが本当に美味しく、これが目当てで土曜日の日本語教室に行ってたようなものです(笑。その時のことを私とは正反対の小食でガリガリだった妹は今も覚えていて、「you ate like three!!」(訳:3本くらい食べてたよね!)(私達姉妹は未だに日本語、英語をその時の気分によって交えて会話します。それを聞いている周りの人はまるで漫才を聞いているようだといいます)と私に言い、さすがに3本は食べてないよ!とムキになって反論しています(笑。
父の遺言、そのように仰っていただけて嬉しいです。実は、父は亡くなる寸前まで身体はガリガリに痩せながらも意識だけはしっかりしていて、前述した姉妹仲良くという言葉の後、私達姉妹が泣きながら、早く私達に子供が出来るよう、見守っていてねと父に言うと(私は当時41歳での高齢での結婚でしたし、妹は既に結婚11年目でまだ子供が出来なかったので。)、もう会話する力もなくなっていたためか、言葉は発しませんでしたが、父はそれでも弱弱しく右手を微かに上に挙げてOKサインを作り、最後の微笑みを見せてくれました。それから数時間して段々と意識がなくなり、しばらくあごのみで呼吸していましたが(だからドラマなどで綺麗にそのまますっと眠るように息を引き取るということはむしろ現実には少なく、多くの人はこうしてしばらくあご呼吸してからいったん息が荒くなり、それで亡くなるパターンが多いのだと父の死を通して知りました。)、その夜に亡くなりました。そしてそれから約ひと月後に私が娘を自然妊娠したことがわかり、それから数ヶ月して、重度の不妊症だった妹も、一度の体外受精で姪っ子を妊娠出来、同じ学年の、父にとっては初孫となる私の娘と姪っ子が生まれたのでした。これこそ本当にドラマのような話ですが、正真正銘、本当の話です。
ネゴシエーションを含めた多くの交渉事を仕事で扱っている妹は、「お父ちゃまが、まずは長女から、そして次に次女に子供をそれぞれ授けてやって下さいと神様に交渉してくれたんだよ」と今でも話しています(笑。神様に授けてくれるよう頼んだのではなく、交渉したというところが妹らしいですが。
(すみません、こうしたとかくスピリチュアルな話になりやすい話は嫌う人は嫌うと今某スレッドで話題になっているので、ここでお話していいかどうか迷ったのですが、もしチチェキさんがこういったお話があまりお好きでなかったら、申し訳ありません。そして私も占いなどはお遊びでは楽しんでいますが、基本的には無宗教なので普段はあまりこういった話は信じない方なのですが、このことだけは、父が、妹が言うように父があの世で神様に交渉してかどうかはわかりませんが、とにかく授けて下さるよう頼んでくれた結果、娘と姪っ子が私達に授かったと私も妹も信じています。)
チチェキさんの伯母様も、お母様が入院中で大変な中、可愛い姪っ子さんであるチチェキさんのために一生懸命親身になって下さったのでしょうね。優しい伯母様ですね。
一日も早いお母様のご退院をお祈り致します。
最後に、今じゃなくてもいいから、いつかどなたかが高齢育児に疲れ果ててしまった時、このスレッドを見て、少しでも元気になってくれればと思います。というチチェキさんのお言葉ですが、今まさに持病を抱えて育児に孤軍奮闘している私に、チチェキさんのスレッドに参加させていただいたことによって、父の懐かしい思い出と共に、とても温かい気持ちになれました。ありがとうございました。
スーザンさんのお父様もこれまた素敵なイクメンですねえ。それもハイカラ。
オムツの処理まで率先してなんて、なかなかできることではないですよね。
うちなんか、タイミングがあわず、未だうんち5回位しか見たことないかも?しれません。
ホットドッグの儀式もいいなあ〜
そして、「姉妹仲良く」のお父様の御遺言、身に染みます。
私の母には独身を通した姉がいて、普段は全く疎遠、行事があっても挨拶程度の仲だったのですが、母が倒れてからは、普段行き来のある親戚は口だけのなか、このおばさんだけが本当に親身になって私を助けてくれました。
困った時だけでなく、楽しい時もと、お父様自身が身をもって、知っておられたからなのでしょうね。
それを守っておられる、スーザンさん姉妹仲良しのご様子、なによりの親孝行ですね。
レスして下さりありがとうございました。
今じゃなくてもいいから、いつかどなたかが高齢育児に疲れ果ててしまった時、このスレッドを見て、少しでも元気になってくれればと思います。
チチェキさん
はじめまして。
実は、私はちょっと前のあるスレでみんというHNを使っていましたが、私の前に同じHNを使っている方がいらしたことを後ほど知り、前のスーザンに戻しました。(その時は何故か全然深く考えず何となくインスピレーションでみんとHNを決めてしまいました。みんさん、どうもすみませんでした。この場をお借りしてお詫びさせて下さい。)
なので、チチェキさんのお名前は時々お見かけはしていましたが、直接チチェキさんの投稿を読ませていただいたのは今回が初めてで、みんさんへという私の前のみんさんへのレスだとは思いますが、つい目が行き、私も投稿させていただくことにしました。
前置きが長くなりましたが、私の父は7年前にスキルス胃癌という物凄いスピードで進行するタイプの癌にかかり発見されてからわずか半年で亡くなりましたが、ちょうどその頃私は今の主人と婚約中で、かろうじて私の結婚式には車椅子で出席してくれましたが、そのわずか2ヶ月後に亡くなったため、結婚して4ヶ月目に授かった娘を見ることなくこの世を去りました。
父は、当時の人としては大変なイクメンで、まだ私が赤ん坊だった頃は紙おむつなどほとんどの家では使われていなかったので、当然うちも布オムツで、オムツ替えはもちろんのこと、バケツにつけてあったオムツの洗濯も率先してやってくれ、父が会社から帰ってくると、私は真っ先に父にハイハイしていったそうです。
その他、父はこれまた当時まだ珍しかったカラーの八ミリやカメラで私や2歳下の妹の写真や八ミリをこれでもかというくらい撮ってくれて、よく家族で私達家族の八ミリ上映をしていたのも懐かしい思い出です。
又、私は幼少の頃から14歳までアメリカで暮らしていた帰国子女なのですが、アメリカでも、自分が好きだったこともあると思いますが、家族をミュージカル、バレエ、ディズニー映画などを見せに連れていってくれたり、週一度の日本語教室の後、私と妹をセントラルパークへ連れていって公園のホットドッグを食べるのが当時の儀式でした(笑。
もし父が私の娘が生まれるまで生きていてくれたら、さぞかし可愛がってくれただろうなとそれだけが残念です。
父は伯母と残念ながら生前は仲が良くなかったため、私達姉妹への最後の遺言が「姉妹仲良く」でした。
今、それを守ることが亡き父への最大のもう父はいませんが、親孝行だと思っています。
チチェキさんのお父様も素敵なイクメンだったのですね。
どうかご両親を大切になさって下さい。
心温まる投稿をありがとうございました。
この言葉って掲示版の為にあるのか!?と思う位、とてもいい言葉だと思います。
でも、最近、不特定多数の掲示板であっても、「ひとりはひとりのため」を思って発言するのも、アリかな?って思う様になりました。
私は、辛い状況なのに私もと席を立ちたくても立てない人を、連れて去っていける程の行動力もカリスマ性のかけらもない人間ですが、少しでも人の気持ちを理解したくてこのボイスで学ばせてもらっています。
なにをどうしても無理、どうしようもなく煮詰まってしまった時は、
イクメンに頼りっぱなしでも良し、
頼れる親がいるなら良し(あっ義親だとイヤな時はありますよね)、
行政に頼るのも良し、
同じ境遇でなくても友達がいるなら友達に頼るのも良し、
要はひとりで抱え込まないことが一番大事!
誰にも頼ることができなかったら・・・
とにかく大きく息継ぎをして、自分に都合の良いことだけを取捨選択して、無理矢理でもいいから笑って子供と向き合いましょうね。
お互い高齢育児がんばりましょう!!
私は妊娠確定した時と同じくして、母が倒れて本当に多忙なマタニティライフでした。
そして出産した後、少し余裕ができて世の中の情勢をかえりみることができた時、高齢出産された方と生まれたばかりのお子さんとの悲しい出来事を知りました。
多分、人間は本当にせっぱつまった時、誰かに相談しようなんてことさえ思い浮かばないと思います。
でも、ネット社会に慣れ親しんだ世代だと、真っ先にネットを頼る方もおられるでしょう。
この一年色々なことを経験して、よい意味で、本当に困っている時は誰もあてにはならないということを学びました。
これも私がせめて、10歳いや5歳でも若かったら、こんな思いはせずにすんだのかもしれません。
だからこそ、ここには二人目不妊で切実に悩まれる方が、たくさんおられるのだなと思いました。
うまく表現できなくて申し訳ありません。
この場所が皆様にとって、いつまでもよりよい場所でありますように・・・
と願いを込めて発言させてもらいました。
このスレッドを見てくださると信じて、私信致します。
私はあなたの気持ちとても嬉しいです。
多分、私はあなたの様な方がいっぱいいるボイスだからこそ、ここまでがんばってこられたんだと思います。
お礼を言わせて下さい。「思いやり」をありがとう。
そしてみるくさんの御意見、まさに私が不妊治療中ずっと思っていたことでした。
でも、悲しいかなこのボイスをもってしても、人は負のエネルギーを押さえきれない時があるのだと知りました。
結局最後はこうやって我が子を抱くことができた、私達が去って行くしかないのだなあと改めて思いました。
大切な思い出を聞かせていただいて。まげさんのお父様もシブイですね。
仕事場見学、そういえば私も父の会社に連れて行ってもらったことがあるって、まげさんのレスで思いだしました。
ちょっと前、仕事場見学のPRじみたCMなんぞ流れていましたがね。
今も昔も「お金」を稼ぐ人間こそが最も価値があるという、風潮はかわらないですが・・・
「男子たるものは!」の時代の中でも、自然とイクメンはいたのだから、男女平等の現代だからこそ、ちびいぬさんのおっしゃる「イクメン魂」は上手に引き継いでいきたいものです。
きっと子供を望んだ時から、イクメンは始動しているんだろうなあって最近思います。
治療がうまくいかない時、一人ではどうしようもない時、パートナーの支えがあるのとないのとでは全然違います。
でも、こんな不安定な世の中、誰に期待を込めたらいいのか難しすぎて、それを見極めないことにはイクメンも一過性のブームに終わってしまいます。
そうなれば少子化をくい止めるのは、ますます難しくなるのではないかと、とても心配になりますが、期待と祈りをこめて、子育てがんばりましょう。
チチェキさん、こんにちは。
旧名 ねじねじ 改め まげです。
ワタクシの父も今思えばあらゆる家事をし、暇があれば遊んでくれました。
耳かきはいつも父のひざ。もっともっととねだりました。
お尻におできができた時も、豆炭のアンカで足に火傷を負ったときも父が毎晩お風呂上がりに、「ほら、ここへ来い」と言って手当てしてくれました。
学研のおまけの星座盤で、天の川や星座を教えてくれたのも父。
魚釣りや蜂の巣取りにでかけたり、川で泳いだり、あげくは社員旅行にも連れていって、社員の方々に大変可愛がられました。
お風呂は父が沸かし、一緒に入り、御父さんの股間のまがまがしいものを見て、「これはな〜に?」と聞いた時、「これは御父さんの大事なものだ。」と笑ってました。
夏休みはバイクや会社のトラックに乗せてもらって、仕事場までも行きました。
時々、フラッとスケッチブックを持って出かけ、くわえたばこでスケッチするのも趣味でした。
バイクに乗る時の革パンツをはいて、ワタシの首を足で挟んでわたしの顔をお尻にあて、おならもされました。
料理も得意だった父は、自分が山から取ってきた鳥や、蜂の子や
たっぷりキャベツの揚げ餅や、ワイルドな物をたくさん作ってくれました。父と姉とワタシで取ってきた蜂の巣から、蜂の子をピンセットで取り出す作業はしょっちゅうでした。
マツタケ採りの名人で、シーズンには他の御宅に分けても食べきれないほどありました。
七夕には笹を飾り、御正月は松を取ってきて飾り、庭にはブランコも作ってくれました。
ひげだらけの顔で頬ずりされ、痛かったのを覚えています。
父は煙草の香りがしました。大きな手でいつもワタシの脇に手をいれ、抱きあげられたときの感覚も残っています。
そんな父を、母と姉とワタシは捨ててきました。
突然母が家を出たのです。
ある日学校の帰りに親戚のお姉ちゃんが迎えにきて、今日から別の家に帰るよ。と言われ、抗う暇もありませんでした。
その後色々あったものの、父との交友はワタシだけ続き、レストランへ行ったり、映画を見たり、父の戦友会に出たり、随分と多くの時間を過ごしました。
その父も昨年の春、亡くなりました。
最後には立ち会えず、遺体になってからの対面でしたが、晩年多くの病気で10年ほど寝たきりだった父には、やっと死ねたね。捨ててきてごめんね。ほんとは大好きだった。というのがやっとで、額や顔を抑えたまま泣きました。
捨てた後、初めて父の家に行ったとき、ふすまにワタシが学校で描いた矢車草の絵が飾ってありました。
原始時代に産まれれば、とてもよい一家の主であったろうに、父はお金を稼ぐことは苦手でした。自慢はゼロ式戦闘機のパイロットだったことです。
当時、戦争が逼迫しており、ゼロ戦に乗るのは志願兵で若い人でした。父は貧しさから家を出て、志願兵となることで、戦闘員としての国からの手当てを貰うことで生き延びてきたのです。
チチェキさんのご投稿を拝見して、色々頭の中に蘇り、涙しておりました。皆さまのお父様、素敵ですね。
なんだか、感情にまかせて書いてしまってすみません。
いいお父さんは、今も昔もいるのです。
出産菌、いただきました!
妊娠判明から出産までって長い道のりですね〜。
生まれてからもまた大変そうですし…
でも、きっと何とかなりますよね!イクメンだっているし。
頑張ってチチェキさんに続きます。
アサヒさんのお母様も「怖い〜」派だったのですね。
今ドキは世間や国あげてまでイクメン推進ですが、大昔はモーレツ社員がもてはやされた時代なのに、サラ〜っとやってのけていたイクメンは結構いたんですね。
ところで、アサヒさん妊娠おめでとうございます。
是非!是非!!私の出産菌もらってやって下さい。
これから暑い夏の時期、つわりで大変だと思いますが、お身体大切になさって下さいね。
チチェキさんのお父様もちびいぬさんのお父様も素敵ですね!
私の母も、赤ん坊の沐浴だけは「怖い〜」と父にやってもらっていたそうです。何が怖いかというと、お湯の中に落としそうで怖いのだとか。
その点、男の人は手が大きいので安心感があるのだそうです。
おんぶひも+毛布のマント+自転車の姿はカッコいいですね!
私も見てみたかったなあ〜(笑)
休日に遊びに行くのにおにぎりも作ってくれるなんて、最高ですね。
イクメン養成所も素敵です。
私も、無事出産して父&夫のイクメンぶりを見てみたいです。
先月妊娠が判明したばかりなので、まだまだ先が長いですが…
わあ〜
ちびいぬさんのお父様めちゃ素敵です。それも写真まであるなんて!
まさに時代の最先端、今なら絶対取材殺到ですよ〜。
今ドキのイクメンなんぞまだまだ「ひよっこ」ですね。
それに周りも理解のある方達だったなんて、スゴイです。
それにイクメン魂を受け継いで旦那様まで。うらやましいです。
うちは残念ながら、仕事が不規則で気合いだけはって感じなんです。
うちも息子なので未来のイクメン目指して、写真残せる様がんばります。
レスありがとうございました。
はじめまして、チチェキさん。
46歳、年長さんの息子がいます。
私のアルバムには、イクメンだった父の写真が残っていますよ。
ばってんおんぶひもでおんぶしてる姿に加え、
冬はマントみたいに毛布をかけて背負っている姿。
驚くことに、そんな姿で自転車にも乗ってたんですよ。
父は「当時近所のお父さんでは誰もそんな姿で外に出てる人はいなかった。」と。
「おんぶしてスーパーに買い物行くと、大変なんですね〜と、いろいろな人に声をかけられたよ」ということです。
きっとお母さんいないんだなと同情されたんでしょうね。
おんぶして山手線に乗り一周した時は、頑張って下さいねと言われたり、
父は子供といるだけなのにと、まわりの反応も面白がっていたようです。
他にもベビーカー押していたり、一緒にお風呂に入っていたりと
写真があり、超イクメンです。
休日に公園に遊びに行く時には、おにぎりも作ってくれました。
父の会社の同僚は、早く家に帰った方がいいと何かと協力してくれて、
おかげで平日でもたまには一緒にお風呂に入ったり出来たと言ってました。
会社で誰かの子供が生まれると、お祝い代わりにみんなで協力してたようです。
うちのダンナは平日は息子が寝た頃にいつも帰宅するので
父のいた職場が、イクメン養成所みたいでうらやましいと言ってました。
私の息子が小さい時にも、孫もやはりおんぶしないとなと言い、
冬はダンナのダウンジャケットはおってスーパーに買い物に行ってました。
さすがに21世紀は毛布じゃかっこわるいと笑ってました。
今だったら雑誌に載ったかもしれないね〜とダンナとよく話してます。
写真を見たダンナは、自分も頑張ってた姿を息子のアルバムに残すんだと
平日はムリだから休みの日限定で息子の世話をしています。
父は残念ながら亡くなりましたが、イクメン魂はダンナが継いでくれました。
将来息子がアルバムを見て、じいじもおやじも頑張ってたから
俺も子育て頑張るぞって思ってくれたらな〜と期待しています。
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この言葉がこれ程までにモンスター化してしまったことを、世間に広めたであろう人は今現在、どう考えておられるのかどうかは、私は知るよしもありません。
このボイスではこの言葉が「諸刃の剣」であることを、危惧される方がたくさんおられると思います。
そして、一旦、ひとり歩きはじめてしまったスピチュアルという言葉が、よくない方向に使われてしまうのを、必死になって阻止しようとして下さる方が、ここにはたくさんおられます。
私は不妊期間の時、折にふれ高齢出産することのメリットデメリットを、自問自答していました。
こうやって我が子を抱くことができたのにもかかわらず、もしかしたら「パンドラの箱」を開けてしまったのではないか?と不安で不安で仕方のない時があります。
最後に残った希望を守り大事に育てることこそが、私達、高齢出産した者の最低限の責任だと私は思います。
私、主人が出張でいない時、夜中、何をどうしても泣きやんでくれない我が子に、「頼む!頼むから泣き止んで!!」思う自分に、「おい、おい、こんな生まれ間もない子に何頼み事してんねん」と、のりつっこみしている自分に大笑いしてしまったんです。
だから、ぼちぼちでいいから、笑顔で子供と一緒に歩いていきましょう。
最後に、このスレッド内で使われている「高齢育児」という言葉は、私がある方のご投稿を拝見して、すんなり私の中にはいってきてしまったので、勝手に使わさせてもらっているだけです。そこのところご理解願えると幸いです。