★第37回 卵子提供でママ&パパになった方のおしゃべり会in東京 2023年10月7日(土)
★第38回 卵子提供でママ&パパになった方のおしゃべり会in京都 2023年12月3日(日)
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タイトル通りの内容です、苦手な方はスルーをお願いします。
また、長文となりますことをお許しください。
来年2月に45歳で初産の予定でした。
不妊治療を続け、繋留流産も2回経験した後に授かった大切な赤ちゃんでした。
陽性判定をいただいてからも心配でたまらず、初期の頃は4週に1回の検診を待ち切れずにちょっとしたことでもすぐに病院に走りました。
それでも心配で、自分で赤ちゃんの心音を聞く医療機器を大枚をはたいて購入し、毎日朝晩心音を聞いては安心していました。
仕事は続けていましたが、慎重に慎重に生活していました。
5ヶ月に入り、やっと精神的にも楽になってきて、初めて胎動を感じた時には夫と手を取り合って喜びました。
7ヶ月にはベビーカーやベビーベッドを見に行く余裕もでき、やっとここまで来ることができた、もう少しで万が一お腹から出てしまっても生きてける週数に到達すると、手放しで喜びを噛みしめることができるようになっていました。
異変が始まったのは、26週の時でした。
今まで順調だった赤ちゃんの成長が止まり、子宮内発育遅延と診断されました。
すぐに大学病院への紹介状をいただき、受診しました。
大学病院での診察の結果に、全身の血が凍りつき、目の前が真っ暗になりました。
赤ちゃんには心臓、腎臓に重篤な疾患が認められ、その他の所見からも、ほぼ間違いなく18トリソミーであるだろうということ。
おそらく40週を待たずにお腹の中で亡くなるだろうということ。
今、お腹から外に出しても、生きていくことはできない状態であること。
これは赤ちゃんの運命であり、治療するすべは無いのだということ・・・。
天国から地獄へ突き落された瞬間でした。
すぐには状況が飲み込めず、夫と二人呆然としました。
高齢で不妊治療を続けていたため、いろいろなリスクがあることは認識していました。
どんな赤ちゃんでも受け入れて大切に育てていこうと、羊水検査も受けませんでした。
それなのに、それなのに、産まれて来ることもできないだなんて!
その頃一番胎動を強く感じていました。
お腹で元気に動いているこのいのちを諦めなければならない。
たくさんの病気を抱えているのに、助けてあげることもできない。
この世にこんな残酷なことがあるなんて、今までの自分では想像することもできなかったことでした。
しばらくは気持ちの整理がつかず、混乱した日が続きました。
ネットで18トリソミーや誕生死について検索しまくり、改めてたくさんの知識を得ました。
そして、衝撃と混乱の中ながら、残された赤ちゃんとの時間を大切に過ごそうと決めました。
仕事には一切行かず、平日は赤ちゃんのためにおくるみを編み、編みぐるみの動物たちを作りました。
小さい赤ちゃんのために、小さい折り紙でたくさんのものを折りました。
休日は夫とお腹の赤ちゃんと3人で、動物園や水族館にでかけました。
そうして赤ちゃんのことを想いながら行動している時だけ落ち着いていられました。
ふと我に返ると、止めることのできない涙が後から後から落ちてきました。
胎動は日に日に弱くなり、弱っていく赤ちゃんを感じながら、どうすることもできない自分。
痛い思いをしていないこと、苦しんでいないことを祈るばかりでした。
この時がずっと続いて欲しいと願う反面、とてもつらいつらい毎日でした。
2週間後、29週0日の診察で、赤ちゃんの心臓は動いていませんでした。
翌日入院し、子宮口を広げる処置の激痛に耐えて、2日後、710グラムの天使を出産しました。
小さくてとてもかわいい女の子でした。
赤ちゃんには内臓の疾患だけではなく、見た目にも病気の特徴がたくさん現れていました。
それだけではなく、浮腫もかなり進んでいました。
人が見たら、眉を顰めるような赤ちゃんだったかもしれません。
でも一目見た瞬間から、私にはすべてが愛しい可愛い我が子でした。
どんな姿でもいいから、生きて会いたかった!
小さくて壊れてしまいそうな赤ちゃんを何度もそっとそっと抱きしめました。
誕生日が命日になってしまった私の赤ちゃん。
けれど私たち夫婦にたくさんの喜びと幸せをくれました。
陽性判定をいただいてから半年間の夢のような日々は忘れることができません。
たった29週間だけれど私のお腹でしっかりと生きて、私を母にしてくれました。
大切な大切な私の宝物です。
私の退院を待って荼毘に付しました。
棺代わりの小さな箱に、私の作ったおくるみにくるんで赤ちゃんを寝かせ、編みぐるみの動物たちとたくさんの折り紙と、私たち夫婦の写真、出産直後に取った私のおっぱい、赤ちゃんへの手紙、そしてお空に帰ってからも名前で呼んでもらえるように名前を大きく書いた紙を入れました。
そうして娘は神様の元へ帰って行きました。
すべてが終わった今、私の中にはさまざまな想いが去来しています。
産まれることができないとわかっていながら私のお腹にやってきてくれた娘に感謝する気持ちは変わりません。
けれど、神様はなぜ私たち夫婦にこのような試練をお与えになったのか。
これは、今までの私の人生に対する何かの罰なのか。
そんなことはない、答えはないのだと頭ではわかっていても、考えずにはいられません。
また、今まで20年以上の間、自信と誇りと生きがいを感じて続けてきた仕事にも、まったく意味を見出せなくなりました。
何のために今までがんばってきたのか、わからなくなってしまいました。
もっと早く子作りを始めなかった過去の自分にも憤りを感じています。
時を戻すことは決してできないのに。
抜け殻になってしまい、前にも後ろにも進めなくなってしまった自分がいます。
心配してくれる両親や友人には前向きな発言をしてしまいますが、本心ではありません。
娘を失った悲しみは一生背負っていくものだと思っています。
それでも、時が少しずつ心を癒してくれるのを待つしかないのでしょうか。
現在の自分の気持ちをどこにも吐き出すことができず、長々と書いてしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
また、文中に失礼な表現がありましたらお許しください。
もし、同じような経験をされた方に今後の気持ちの持ち方について何かアドバイスをいただけたら嬉しく思います。
- ありがとうございます。 - ゆきんこゆき - 2010年12月28日 14:48:35
- 一言一言が - norin - 2010年12月26日 01:32:53
- あなたはお母さんです - いちばん星 - 2010年12月25日 11:55:55
- ありがとうございます。 - ゆきんこゆき - 2010年12月23日 22:19:42
- 違うよ・・・ - momoco - 2010年12月23日 12:31:26
- カルマ - トクメイ - 2010年12月23日 07:37:42
- 今でも親子ですよね - とくめいで… - 2010年12月22日 17:30:30
- ありがとうございます。 - ゆきんこゆき - 2010年12月22日 16:34:00
- 無題 - コリドラス - 2010年12月22日 16:10:01
- 私も - あい - 2010年12月22日 14:20:46
- ありがとうございます。 - ゆきんこゆき - 2010年12月22日 09:26:21
- 涙が - あじ - 2010年12月22日 00:15:01
- 10年前 - なるまん - 2010年12月21日 22:40:37
- 子供を亡くした親として - まんぼう - 2010年12月21日 21:02:26
- ありがとうございます。 - ゆきんこゆき - 2010年12月21日 18:22:47
- おなじです。 - 青い鳥 - 2010年12月21日 18:09:37
- 従姉妹と同じです - 匿子 - 2010年12月21日 16:23:34
- ありがとうございます。 - ゆきんこゆき - 2010年12月21日 16:22:26
- お辛かったですね - とくめい - 2010年12月21日 15:12:16
- 無題 - Caraway - 2010年12月21日 14:56:25
- 5年が過ぎようとしています。 - R - 2010年12月21日 14:40:10
- 分かります - ゆっこ - 2010年12月21日 06:15:27
- こんにちは - ぷぅぷぅ - 2010年12月20日 23:44:58
- あなたこそ立派なお母さんです - 芥子の花 - 2010年12月20日 16:33:12
- 私も。。。 - ミニウィーツ - 2010年12月20日 15:45:59
心に響いて、涙がとまりません。
今年体外受精にチャレンジし、その後の血液の病気で
不育症という事もわかり、しばらくこちらのサイトにも
きていませんでした。
今夜はクリスマス。
やっぱり諦めきれずに、覗きにきました。
アドバイスは出来ないけれど、つらい経験だけれど、
娘さんと過ごせた日々。
動物園、水族館、その思い出はとても素晴らしいと
感じました。
ゆきんこゆき様
あなたはお母さんです。
娘さんのお母さんです。
なにげなく読んでしまって涙がとまりません。
いろんなお母さんがいます。
長く子供と一緒にいるお母さんも、
そうでないお母さんも。
少なくとも、ここであなたの書き込みを読んだ人は、
あなたを娘さんのお母さんだと思っています。
どうか、今は泣けるだけ泣いてください。
律義に返信なんか書かなくていいです。
文章になっていませんが、一緒にないています。
コリドラスさん
心拍確認後の流産を経験されたとのこと、おつらかったことでしょう。
私の過去に経験した2回の流産は、心拍確認前でした。
それでも、たくさんの涙を流しました。
どんな形でも赤ちゃんを亡くすということは、例えようのない悲しみを連れてくるものですよね。
コリドラスさんの書いてくださった、娘は私の元にやってきて幸せだった、という言葉にまた涙が溢れました。
娘が本当にそう感じてくれていたなら、私には最上の喜びです。
コリドラスさんは息子さんが戻ってきてくれたとのこと。
とても羨ましく思います。
どうかどうか息子さんを大切になさってください。
私もいつか、もう一度娘のために挑戦する気持ちになれればと願っています。
とくめいで…さん
お返事ありがとうございます。
「ママ、さよなら。ありがとう」の本のことは、誕生死について調べていた時にいくつかのサイトで目にしました。
今はまだ胸が引き裂かれそうな状態なので手に取ることができませんが、いつかきっと読んでみたいと思っています。
魂はずっとつながっていると信じています。
トクメイさん
お返事ありがとうございます。
カルマ・・・そうですね。
同じ意味で捉えていますが、私は「運命」だったのだと思おうとしています。
娘の運命であり、私の運命であったのだと。
簡単に使いたくはない言葉ですが、そう思わなければ今この瞬間、生きていくことができません。
神様が私にこの運命をお与えになった意味を考えながら生きていきたいと思っています。
momocoさん
おつらい経験を思い出させてしまいました。
私も年齢のこともあり、最初で最後の妊娠だと思っていました。
だからこそ、必死で赤ちゃんを守っていたつもりでした。
生きては会えませんでしたが、一生私の宝物です。
「優しいママ」と思ってくれているでしょうか。
そう思ってくれていることを祈っています。
momocoさんは赤ちゃんが戻ってきてくれたのですね、とても羨ましいです。
私もまた娘にもう一度会える日を夢見ています。
>けれど、神様はなぜ私たち夫婦にこのような試練をお与えになったのか。
これは、今までの私の人生に対する何かの罰なのか。
全く逆です・・・。
お子さんは、少しでもあなたに会いたかったから神様にお願いしてあなたのおなかにやってきたのです。
ママに会いたかったのです。
罰ではないです。
誰があなたに罰を?違います。
優しいママに、会いたかったのです。
>また、今まで20年以上の間、自信と誇りと生きがいを感じて続けてきた仕事にも、まったく意味を見出せなくなりました。
何のために今までがんばってきたのか、わからなくなってしまいました。
でも、そう思う気持ちは痛いほどわかります・・・。
私は支援学校に勤めています。
仕事中に(自分より体重の重い生徒を介助した直後)大出血して入院、2週間後の流産につながりました。5か月でした。
「私は妊娠しているから介助の必要な生徒を支えられず怪我をさせてしまいました」では済まされないので、仕事を頑張りました。
大学卒業後、20年間仕事一筋でした。妊娠するのは自分の勝手・・・周囲に甘えてはいけないと思っていました。
でもその結果。
エコーに移ったダランと手足の延びた赤ちゃんの姿・・・忘れられません。
仕事を変わってくれる人はいくらでもいたはず。
でも世界中で、この子を守れるのは私しかいなかったのに・・・赤ちゃんは誰にも守られずに・・・ごめんなさい・・・ごめなさい・・・今も涙が溢れます。
>もっと早く子作りを始めなかった過去の自分にも憤りを感じています。
時を戻すことは決してできないのに。
でも、違うタイミングだったら、出会えていない命だったのですよ。
少しでも会えた。あなたはその子の、お母さんだった。
その子はあなたの、子供だった。
きっと、きっと、また、妊娠出来ます。
絶対、出来ます。
その子が、「優しいママだよ」と次の子を導いてくれるのです。
妊娠する前よりも、赤ちゃんを亡くした後の方がつらい。
最初で最後の妊娠だったのかと、思ってしまうから。
でも、私は半年後に妊娠できました。出産することもできました。
あなたのところに再び天使がやってきますように。
心からお祈りしています。
ゆきんこゆきさま
お辛い経験をされたのに、この場にそのお気持ちを書き綴るお力があったゆきんこゆきさんの心強さに感心いたしました。
辛かったことを再び頭にめぐらすことは、しかもそれを文字にするということは、さぞ勇気のいることだったと思います。
>「神様はなぜ私たち夫婦にこのような試練をお与えになったのか。これは、今までの私の人生に対する何かの罰なのか。
そんなことはない、答えはないのだと頭ではわかっていても、考えずにはいられません。」
私も、世の中、身近の人間を見ていて、本当にそう思います。
こんなに苦しんでいる人がいる一方、何の苦労もせずに幸せな結婚をして簡単に子供を持つことができ、その幸せな暮らしに感謝することもせずにのうのうと暮らしている人たちもいます。
その人たちに、あなたのような辛さを分かってもらいたい・・・と手を握り締めて思ってしまいます。
なぜ、こんなに人生の明暗が分かれるのか・・・
それは、いろいろと考えているうちに「カルマ」という言葉で納得するしかないかなと思うことがあります。
自分のせいではないんです。
人の人生は、こういうしくみになっていると思うしかないのかも。。。
ただ、「どうして、どうして?」と原因を突き止めるより、自分に与えられた現実をそのまま受け止め、嫌悪せずに生きていくことなのかも。
そういってる私も、受け止めることなんでできないって思うこと、たくさんあります。
世の中、理不尽なことがたくさんあります。
ゆきんこゆきさんも、今は本当にお辛いときだと思います。
でも、いつか必ずご自分に「幸せを感じられるもの」として返ってくるときがあります。
そのときは、ゆきんこゆきさんの心が完全に癒されているときだと思います。
ゆきんこゆきさん、小さな娘さんのための、たくさんの思い出とたくさんの贈り物、私も読みながら涙があふれました。
私にはゆきんこゆきさんに何を言う資格もありませんが、「ママ、さよなら。ありがとう」という本があるので、いつか読んでみてください。
今でも魂はつながっていると思います。
なるまんさん
お二人もお子さんを亡くされたとのこと、どれぼどおつらかったことでしょう。
私はもう一度この思いを味わったら生きていけるかどうか、今はわかりません。
なるまんさんも言葉にできない苦しみを体験されたのだろうとお察しします。
おつらいことを思い出させてしまい、申し訳なく思います。
なるまんさんの書いてくださった通り、今は泣くことしかできません。
喪失感に耐えるために心を閉じてじっとしているだけで精一杯です。
いつか前に進める勇気が出てきたら、なるまんさんのおっしゃるように、亡くなった娘に胸を張れるような自分を目指したいと思います。
そうですね、亡くなってしまったけれど間違いなく私は娘の母なのですものね。
会えなくても母親として生きる・・・
なるまんさんの言葉がとても胸に響きます。
あじさん
暖かいお返事をありがとうございます。
あじさんの優しさが伝わってきます。
以前の私なら、あじさんのように人の痛みに共感することはできなかったでしょう。
あじさんのように経験がなくても人の痛みに寄りそえる人がいることに今は感動を覚えます。
これも娘がくれたご縁ですね。
娘は本当にたくさんの宝を私に残してくれました。
あいさん
同じ経験をされたのですね。
40週ならいつ産まれてもおかしくない週数、どんなにかおつらかったことでしょう。
思い出させてしまい、申し訳ありません。
私も今は泣いてばかりいます。
大きなお腹で希望に燃えて迎えるはずだったクリスマスや年末なのに、私のお腹はぺしゃんこで希望はどこにもありません。
元気に産まれて、元気に育ち、元気に生きることは、あたりまえの普通のことのように今まで思っていましたが、実は奇跡の連続なのですね。
私も娘に教えられました。
ゆきんこゆきさん
はじめまして。ゆきんこゆきさんの書き込みを見て涙が止まりませんでした。お辛かったですね。
体調の方は大丈夫ですか?
私の話を少しさせてください。
私も三年前に流産しています。心拍確認後の流産でした。
辛い不妊治療の末にやっとやっと授かった命、もう大丈夫と思っていた矢先の流産でした。21トリソミーの男の子でした。
その時思いました。神様なんているのかと・・・その日から泣きました。泣いて泣いて涙が枯れるまで泣き続けました。母に電話をかけ電話口でずっと泣き続けた事もあります。
家に一人でいるのが苦しくて苦しくて外へ出ても涙が溢れ出し
子供連れを見ては泣き、空を見上げては涙が溢れました。
誰かが言ってました。赤ちゃんは忘れ物を取りにいっただけ。また戻ってきてくれるよと。去年男児を授かりましたが、あの子が戻ってきてくれたと信じています。
ゆきんこゆきさん、すごくお辛いと思います。心の中の涙を
たくさんたくさん流してください。涙は枯れることはないと思います。弱くていいのです。泣いて泣いて、それでいいんです。
何のアドバイスにもなりません。ゆきんこゆきさんの書き込みを見てなんて素敵なお母さんなんだろうと思いました。
娘さんは、ゆきんこゆきさんの元に生まれて幸せだったと思います。再びゆきんこゆきさんの元へ娘さんが舞い降りてくることを
願っています。
ゆきんこゆきさんありがとう。お身体を大事にしてくださいね。
ゆきんこゆきさん今はとてもお辛いですね。
ゆきんこゆきさんのメールを見ながら涙が止まりませんでした。
私も三年前に娘を40週で18トリソミーで亡くしました。
当時は世の中でこんなに辛い事があるんだと思うくらい毎日泣いて過ごしていました。
今でも思い出すと辛いです。この悲しみは当事者しかわからないですよね。
娘の死によって命の大切さを教えてもらいました。今までは何気なく毎日を過ごしていたけど生きていることがすごい事なんだと気づかされました。
ゆきんこゆきさんも今はとても辛いと思います。
無理をせずたくさん泣いて心と身体を休ませてくださいね。
とくめいさん
産まれた赤ちゃんを亡くされたのですね。
おつらい事を思い出させてしまい、申し訳ありません。
この経験を通して、周りの人たちを見る自分の目も変わってしまったように思います。
もともとあまり友人が多い方ではありませんでしたが、人間関係もこれからまた新しく作っていかなくてはならないような気がしています。
当時のとくめいさんと同じように、仲の良かった友人たちにもメールで事実のみを伝え返信は要らないと書いて送ってしまい、今はそれっきりになっています。
友人もきっと何と声をかけたらいいのかわからないのでしょう。
もし以前の私が逆の立場だったらきっと今の友人たちと同じように困惑したと思います。
とくめいさんの書いてくださったように、同じような経験をした方とでなければこの気持ちは分かち合えないのかもしれませんね。
出産した大学病院でも、少し時間が経てば同じ経験をした方々と話すことも心のケアになると言われました。
今はまだ心の傷から鮮血が噴き出している状態で、こうしてネットで気持ちを吐露することはできても、面と向かって誰かに赤ちゃんのことを話す勇気は持てません。
もう少し落ち着いたら考えてみたいと思います。
匿子さん
従姉妹さんが同じ経験をされたのですね。
私は妹が3人子供を産んでいます。
妹とは昔から仲が良く、今回の件でも一緒に涙を流してくれ、遠方に住んでいるにも関わらず病院まで私に会いに来てくれました。
街で見知らぬ赤ちゃんを見かけると思わず目を逸らしてしまいますが、妹の子供たちは今も可愛く思います。
従姉妹さんもそんなお気持ちだったのではないでしょうか。
従姉妹さんと同じように私もまた新しいいのちを望む気持ちにいつかなれれば、と思います。
青い鳥さん
まだまだおつらい気持ちの中、お返事をくださり、ありがとうございます。
文面を拝見する限り、私とほとんど同じ経緯をたどられたようにお見受けします。
本当につらい経験でしたね。私はまだまだまっただ中です。
テレビで、亡くなった子猿の亡骸をいつまでもひきずって歩く母猿の姿を見ることがありますが、私はあの母猿の気持ちが痛いほどわかると思いました。
私の小さな赤ちゃんをいつまでも私の手元に置いておきたいと心から願いました。
仕事についてですが、私は退職してしまいました。
大きくなっていくお腹を抱えながら仕事をしていた私を見ていた同僚たちと、もう一度仕事をする勇気がどうしても持てませんでした。
それどころか、今はまだ外出もままならない状態です。
青い鳥さんのように私も少しずつでも前向きになれたらと願います。
青い鳥さん、お互いにゆっくりと進んでいきましょうね。
まんぼうさん
高校生の息子さんを亡くされたとのこと、どんなにかおつらかったでしょう。
想像を絶する悲しみ、苦しみだったこととお察しいたします。
私も仕事は辞めてしまいました。
今は家でじっとからだを丸め、どんな刺激にも触れないように息を潜めています。
ニュースやドラマで「死」を扱ったものを見ただけでも涙が止まらなくなります。
今、私の中ではすべての時間が止まっています。
少しずつでも気力を取り戻していけたら、と思っています。
まんぼうさんの言われるように、いつか天国で娘と再会できるのが楽しみです。
こんにちは、あじと申します
文章を読み進めるにつれ、涙が止まりませんでした
何故ゆきんこゆきさんにこのような出来事が
起きるのか。。。。。
お気持ちを思うと、胸が詰まります
神様は時になんて残酷なのでしょう。。。。
アドバイスなど、とてもできませんし
何とお声をかけたらよいかも判りませんが
お嬢様がまたいつか帰ってきてくれる事
そしてゆきんこゆきさんが少しでも
回復していく事を、祈らせてください
悲しみが伝わってきて
同じ経験を持つわけではありませんが
思わず書き込みをしてしまいました
役に立たない文ですみません
長女は 生まれて10日 次女は お腹の中であきらめました
染色体異常の為 生きることはできませんでした
経験者からいえば 今は 泣いて泣いて 泣くだけしかないと思います
外に出て 赤ちゃんを見ると 涙が出ました
生きていれば 同じぐらいの子供を見るたび 涙が出ました
他人の何気ない一言で 沢山泣きました
残念なことに ゆきんこゆきさんには これから つらいことしか
ありません。。
今は いっぱい 泣いてください
泣いて泣いて・・・ 前に進みたくなったら 考えてください
いつか 自分が死んで 天国でお嬢さんに会えた時 どんな自分で
娘に会いたいですか?
胸を張って お母さんはね・・と お嬢さんに いろんなお話を
してみませんか?
会えなくても 母親として 生きてみませんか?
私の場合 病気の子供たちに 生きてもらいたい・・・
障害を持っている子供たちを 応援したい・・・
そんな気持ちが 芽生え 私は前に進めました
娘たちに 恥じない母親になろうと思ってきました
<娘を失った悲しみは一生背負っていくものだと思っています。
悲しみを背負うのではなく お嬢さんの為に いつか笑顔なお母さんになって
お嬢さんに話しかけてあげてください
長女の死から 10年 今は 養子という形ですが 娘を授かりました
娘には 命の尊さを 人の痛み をきちんと教えたいと思います
こんにちは。
ゆきんこゆきさんと状況は違いますが、私も4年前に長男を事故で亡くしています。高校に進学し、手が離れたと思った矢先の出来事でした。
子供を亡くした悲しみ、喪失感は本当に当事者になってみないとわかりません。
いろんな人が慰め励ましてはくれますが、どれ一つとして上滑りで心に届かないんです。「幸せな人が、上から目線で」と腹立たしく思った事もあります。
本当にあきらめきれなくて、あの幸せだった頃に戻りたい、いっその事夢だったらよかったのに、と思うことも数限りなくでした。あの子のいない長い残りの人生をどうやって行きていこうかわからなくなりました。
その当時私も仕事をしていました。そのまま勤めていれば定年まで勤められる安定した職でしたが、慰めを装った好奇の目をする人もいたのでそれに耐えられず辞めてしまいました。
でも、仕事をやめたらやめたで家にいるのがつらいんです。やっぱり仕事を続けた方が良かったと後悔しました。
そして、予期しない流産。もしやと思って病院に行ったらもう既に流産していました。42歳の時でした。その後、かかりつけの先生の後押しもあって、子供を作る事に。44歳で妊娠、出産しました。産まれた娘は心臓に疾患があって近い将来手術になるかも知れず、そうなった時の事を考えるとまた恐ろしいのですが...。
4年たっても悲しみは消えませんが、少しずつ薄れていってる感じはします。
また、自分が死んだ時にあの世で待っててくれると思うと、死ぬ事が怖くなくなりました。
今は泣くだけ泣いたらいいとおもいます。いっぺんに立ち直るのは絶対に無理ですし、そうしようとしない方がいいと思います。他の方が言われているように、少しずつ少しずつ元気を取り戻していきましょう。
Rさん
おつらい経験を思い出させてしまいました。
そして暖かいお言葉ありがとうございます。
私も今、これまでの人生観が覆ってしまったように感じています。
虚しい、と言ったらいいのでしょうか。生きる気力が湧いてきません。
今までどんなことを嬉しい、楽しいと感じていたのかも思い出せなくなっています。
これから新しい自分を作らなくてはならないのかと気が遠くなります。
悲しみに支配されて身動きが取れません。
圧倒的な喪失感に押し潰されそうです。
怒り・・・そうですね、理不尽だ、と怒りを感じます。
少子化といわれているけれど、街に出ればベビーカーの赤ちゃんばかりが目につきます。
高齢でも元気な赤ちゃんを産んでいる人はたくさんいます。
なのになぜ、神様は私の赤ちゃんを奪っていかれたのか。
でも今はきっと怒るパワーが無いのだと思います。
気持ちがヘナヘナと萎えてしまいます。
もう少し時間が経てば、怒ることができるパワーが蘇ってくるかもしれません。
この先、自分の心がどうやって傷みを回復していくのかまったく見えません。
またお話しようと言ってくださったRさんのお言葉はとても励みになりました。
ありがとうございます、つらくて行き詰ったら、またぜひお話させてください。
Carawayさん
心に響く、深いお言葉をありがとうございます。
私も今回、死、ということについて初めて真剣に向き合い、考えました。
私の赤ちゃんは世間的には死産となり、戸籍に載ることもありません。
人様から見れば、初めからいなかったのと同じ存在です。
でも、私たち夫婦の間では確かに生きていました。
お腹の中で動きを感じていた私はもちろん、そこに根付いたと知った瞬間から、
夫の中にもこの先に続く何十年もの未来が確かに生まれていたのです。
そしてあの日、その未来が掻き消えてしまったのです。
すべての生き物に訪れる死というものがとても怖くなり、虫さえ殺せなくなりました。
この先おそらくいつか迎えるであろう親の死や溺愛している飼い犬の死に、今から怯えています。
私の赤ちゃんは私たちにたくさんのことを気づかせてくれました。
人はみんな死に向かって生きているということ、Carawayさんが書いてくださった通りのたくさんの豊かな感情、赤ちゃんが引き合わせてくれたたくさんの人たちの思いやり。
それもみんな私の宝となりました。
いい経験だったとは今はとても思えません。
でもそれこそ私が死ぬ時には、きっとそう思えるのだと感じます。
ゆきんこゆきさん
本当につらいですね。
私も不妊治療の末、初めて授かった息子が18トリソミーでした。
先月、息子は小さな体で安らかな顔をして旅立ちました。
私も羊水検査は受けない!と病院に告げた一人です。
その数日後の定期健診の際に、息子の異常が発見され、大学病院への転院、羊水検査など全てが悪夢の連続で、今でも医師に異常を告げられた時、待合室で不安を抱えて待っていた時、夫婦して泣いた日々など、思い出すと涙が出てきます。天国から地獄へ突然突き落とされたという日々でした。
私の目を通して、息子にも綺麗な景色をみせてやりたいと週末公園などにも、ゆきんこゆきさんと同じように行っていました。
息子と対面した時は、本当に愛しく、数ヶ月間、ママにならせてくれて、また出産の経験をさせてくれて有難うと感謝をしました。先日49日の法要をしてきましたが、お経を詠んでもらっているときも、涙が止まりませんでした。本当にお気持ち、よく分かります。
また仕事についても同じです。。
私は年末まで産休を取得し、その後、傷病休暇を取ることに会社と合意しました。働こうという気力が未だ出ず、現状の精神状態で、今後のことについてのきちんとした判断は出来ないということを会社に告げ、会社の契約する産業医の先生に診てもらい、診断書を頂きました。傷病休暇中に今後についてよく熟慮するつもりでいます。
どうして仕事優先で来てしまったのかと後悔をし、どうしてもっと早く子供を作らなかったのかと自分を責めていました。最近、漸く仕事優先で来てしまったのも自分。過去は取り戻せない。人生全てが今に繋がっていると後ろを向くのは止めようと思い始めています。今後、自分がやりたいこと、またその為に何をするべきか等、模索中です。未だ見えていませんが。。
今はゆっくりと静養することが一番だと思っています。
未だに突然涙が溢れだす事も多々あります。でもこんな経験をしたのだから、当たり前だと思っています。
いつか絶対に心が癒される時が訪れる。自分なりに消化をするプロセスなんだと言い聞かせています。
お互い、まだまだつらい時期だと思いますが、無理をせず、ゆっくりとゆっくりと歩みましょう。空にいる子供達は見守ってくれていると思います。
私は40歳で出産する時、仲の良い従姉妹(36歳)と
出産予定日がほぼ同じでした。
二人で妊娠経過を報告しあって、
一緒に育児が出来るのを楽しみにしていました。
それが、従姉妹も7ヶ月の時に子宮内発育遅延と診断され
ゆきんこゆきさんと同様な形で出産しました。
胎児も18トリソミーで、産まれていても長くは生きられなかっただろうと言われたそうです。
私は無事に出産できましたが
従姉妹のことを思うと、何と言ったらいいのか分からなかったです。
それでも、従姉妹は私の子供を可愛がってくれるので
内心辛い思いをさせてやしないかと心配し、それとも自分の子供と重ねて成長を見守ってくれてるのかと聞けず
その優しさに甘えていました。
そんな従姉妹もあれから2年後、元気な男の子を出産しました。
辛い経験をしているからか今では本当に良いお母さんをしています。
ゆきんこゆきさんも、今は辛いと思いますが
この経験がきっとゆきんこゆきさんの宝になることだと思います。
従姉妹とダブらせてしまいますが、
きっとまた命はやって来てくれると思います。
それに備え、お身体を一日も早く回復させてくださいね。
スレ主です。
早々にお返事をいただいた皆様、本当にありがとうございます。
心から感謝いたします。
ミニウィーツさん
最近同じ経験をされたのですね。
おつらい気持ちを思い出させてしまいました。申し訳ありません。
37週といえばもう臨月ですよね。どんなにか悲しい、そして悔しい思いをされたことでしょう。
今の私にはその時のミニウィーツさんのお気持ちが手に取るように身近に感じられます。
赤ちゃんを失ったこの悲しみや苦しさは、どんな言葉を使っても表現できないものですね。
今の私は自分のからだに大きな穴が開いたかのようです。
何をする気持ちにもなることができません。
すべてのことが無意味に思えてしまいます。
そして些細な言葉でもすぐに傷ついて、あらゆる物事から逃げ出したくなってしまいます。
でもミニウィーツさんの書いてくださった通り、きっと娘はこんな私を喜んではくれないでしょう。
娘のためにも、早く笑顔を取り戻したいと願っています。
芥子の花さん
暖かいお言葉ありがとうございます。とても心に響きました。
羊水検査を受けなかったのは、もちろんどんな赤ちゃんでも受け入れる覚悟があってのことでしたが、今思えば、まさかこんなことになるとは思っていなかったからでもあったような気がします。
芥子の花さんは元気なお子さんに恵まれたとのこと、とても羨ましく思います。
どうかどうか息子さんを大切になさってください。
ぷぅぷぅさん
優しいお言葉をありがとうございます。
不妊治療の末の不安な気持ちを抱えながらの妊娠生活は私と同じですね。
不妊治療を続けていると、妊娠・出産がどんなに奇跡の結果であるか、遠い道のりであるか、思い知らされますよね。
バラ色生活を送っている若い妊婦さんがとても羨ましく見えたものです。
私は残念ながら不安が的中したような結果を迎えてしまいました。
ぷぅぷぅさんはそれを乗り越えて大きな喜びを手にされたのですね。
どうか奇跡の結果のお子さんを大事にされてくださいね。
ゆっこさん
ゆっこさんも同じ経験をされたのですね。おつらい事を思い出させてしまいました。
私も今は外出もままならない状態です。誰にも(親にすら)会うのが苦痛です。
ちょっとした刺激ですぐに涙があふれてきてしまいます。
人と一緒だとその涙を抑える努力をしなければなりません。
「元気を出して」という言葉もうっとおしくてたまりません。
私の中で生きていた大切ないのちを亡くしたのに、どうして元気を出さなければならないのでしょう。
今はこの悲しみを十分に悲しむことが私にできる唯一のことだと考えています。
それ以外には絶望することしか思いつきません。
ゆっこさんのように少しずつ心が回復できるまでは、じっとひとところに留まっていたいです。
皆さんが書いてくださったように、この喪失感は、もう一度娘がお腹に戻ってきてくれることでしか癒されないのかもしれません。
あのお腹の暖かさ、お腹から聞こえるトクトクという心音をもう一度手に入れたいという切望はあります。
今は無理でも近い将来、もう一度挑戦する気持ちになれればいいなと思っています。
こんにちは。私も同じような経験を数年前にした者です。
私の場合は新生児死亡でした(やはり染色体異常でした)。30週に入る頃から切迫早産になり、入院。34週くらいに赤ちゃんに浮腫が認められると言われ、緊急帝王切開で出産したものの、すぐに息を引き取ってしまいました。
今でも思い出すと辛い出来事で、現在は幼稚園に通う子どもがおりますが、周りのお母さんたちがたまたま出産のエピソードを話し始めたりすると、貝になってしまいます。
心の中でここには書けないようなことを思ったりします。なんでそんなにバカみたいに能天気なのって、やり場のない怒りさえ感じてしまうのです。
もちろん、不適切な怒りだとはわかっているのです。でもそれほどまで壮絶な経験をしたのだから、仕方がないと最近では思うようになりました。
子どもを亡くしてしばらくは仕事に対してまったくヤル気が出ず、仲の良い友人たちとも連絡を断っていました。誰に何を言われても、たとえそれがどんなに心からのものであっても、素直に受け入れられませんでした。世の中から自分だけが取り残され、気がつくと季節が変わっている、そんな状況でしたよ。
夫はうつになり、今でも薬を飲んでいます。
私の場合は、同じような経験をした人たちと語り合うことで少しずつ癒されていったように思います。そうした悲しい気持ちを吐き出し、共有、共感してもらうことで少しずつ、ほんとに少しずつ現実感を取戻していきました。
そして高齢で、周りはもう子どもは諦めたと思ったようですが、ダメもとでまた不妊治療にチャレンジしたのです。
ゆきんこゆきさんは今はいちばん辛い時期だと思います。少しだけ落ち着いたら、ぜひ自助グループやカウンセリングなどを受けられてみてはいかがかと思います。個人的には、こうした経験は、やはり同じ経験をした者でないとなかなかわかってもらえないと思います。
ゆきんこゆきさんの気持ちが少しでも楽になれることを心からお祈りしています。
同じ経験はありませんが、胸を打たれて書いています。
人を含めて生物は、生まれた時から死に向けてまっしぐら。
いつ死ぬかは様々なれど、死そのものは免れません。
しかし早すぎる死は、周囲の者にとって受け入れる気持ちの準備がないことが多く、悲嘆の津波に飲み込まれたように亡き子の生きていた時間を彷徨わずにはいられないでしょう。
そこは茫漠とした大海で、一人 子の名前を叫び、幻でも良いからと姿を追い、恋しさのあまり身がちぎれるほどの今を生きていらっしゃるのだろうとお察し申し上げます。
息子がお腹にいたころ、やはり不安で不安で、想像したくない事態になった時を覚悟するために、誕生死のサイトを何度も訪れました。
そして考えたことは、産まれたが最期、いつ死ぬかは誰も保障されていないという単純な摂理でした。
誕生前に死ぬ。
誕生して1日以内に死ぬ。
1歳で死ぬ。
9歳で死ぬ。
今生きているどの子も、死にさらされていることは公平です。
それは、中年まで生きた自分も同じことで、いつ誰がどんな形で死ぬか、考え出したらワタシは生きられないでしょう。
なんだか、感情の溢れるまま、自分の思いばかりを書きつけて、何の役にも立ちません。ごめんなさい。
でも、ゆきんこゆきさんのこのたびのご経験は、決して悲惨なものではなく、喜び、歓喜、悲しみ、苦しみ、痛み、溢れる愛など、
多くの人が、必ずしも経験できるわけではない豊かなお時間を過ごされたとつくづく感じます。
お子様は短い間にお二人に、感情の宝箱とも言うべき豊かな(しつこくてごめんなさい)貴重な時間を残して行かれたと感じます。
最期にお子様に触れ、抱きしめることができて本当に良かった。
しばらくはお子様といた時間を存分に味わわれても、罰は当たりません。お身体お大事になさってください。
ゆきんこゆきさんのお気持ちよくわかります。
あの時の自分と同じ・・・。
私は5年前36週で子供を亡くしました。40歳の時です。
不妊治療を経ての待望の子でした。順調にお腹の中で育っていたはずなのに36週で胎盤早期剥離をおこしてしまい、あっというまに本当にあっというまにあの子はいなくなってしまった。
なんで?どうして?私がいったい何をしたのか?何か悪いことしたのか?
妊娠中も仕事がんばったよ。不妊治療もがんばったよ。なのにどうして?
それから私の人生観はだいぶ変わったと思います。友人や両親でさえこの気持ちは残念ながらわかってもらえません。
何をするのも無駄なような気がして、今までどうやって生きてきたのか、これからどうやって生きていったらいいのかわからない、そんな気持ちでした。ゆきんこゆきさんと同じです。
今おつらいですね。でも幸せだった29週のこと、このことは本当なのだから赤ちゃんはちゃんとゆきんこゆきさんのお腹にいてくれたのだから、今はたくさん泣いてください。
たくさん悲しんでくださいね。けして無理せず。
それからもっと怒ってもいいと思います。八つ当たりでいいんです。
こんなひどい試練を与えた神様に対しても。テレビで妊娠報告をしてくるヘラヘラしたタレントに対しても。
たくさん悲しんだり怒ったりする気持ちがそのうち生きていくパワーに変わります。私はそう思います。
5年たっても悲しみは癒えません。でも、この悲しみと共に生きていこうという強い気持ちに変わりました。
ゆきんこゆきさん、またお話しましょうね。つらい時はつらいって言ってね。
何もアドバイスはできないのですが、お気持ちはとても分かります。
私達は重度男性不妊のために顕微授精以外では
絶対に授かりません。
私も長い不妊治療の末、ようやく妊娠5ヶ月に入って
戌の日のお祝いをした時は夢のようでした。
それまでに妊娠したことはあっても、安定期までいけたのは
初めてだったし、胎動を感じていた日々は私の人生で一番幸せな
時間だったとハッキリと言えます。
ところが妊娠7ヶ月目にベビー用品をそろえ始めた頃、
まさかの異変が起こりました。
辛過ぎて詳細は書けませんので省きますが、私の場合は
ゆきんこゆきさんと違って赤ちゃんを亡くしてから既に
何年かたっています。
今でも辛いですが、最初の半年がもっとも苦しかったです。
笑うことを忘れて毎日泣き暮らしていました。
同じように頑張ってきた仕事に意味を見いだせなくなり、
最終的に辞めました。それ以来仕事はしていません。
人との付き合いもほぼシャットアウトして、ひたすら閉じこもりの
生活です。
私の周りは小さい子の育児中の人が多くて辛かったのと、
初期流産の経験者は多くいても、誕生死の経験者は1人も
いなかったので誰にもこの気持ちを分かってもらえず、
1人でいるほうがずっと楽だったのです。
そんな状態が続いていましたが、カウンセリングなどを受け
少しずつ心が回復していった後、1年前からまた不妊治療を
始めました。
まだ授かってはいませんし、年齢はかなり重ねてしまいましたが、
赤ちゃんを亡くした頃よりは今のほうが精神的に楽になって
います。
お気持ちが回復して心の準備ができた時、
もう一度治療を受けられてはいかがでしょうか。
私の場合、もう一度元気な赤ちゃんをこの手に抱きたいと
いう強い思いが原動力になり、何とか立ち直ったように思います。
ゆきんこゆきさんこんにちは。
一行一行がずしりと胸にひびいてきました。
私は、不妊治療を10年経て初産にこぎつけた者です。
やっとの思いで度重なる体外受精で
10年かけて宿ってくれた命に
おびえる日々でした。
妊娠がわかった4週目、妊娠を告げた医師や看護士の前で
うれしさのあまり、倒れ込んで大号泣しました。
胎芽確認、心拍確認、、など、
その都度、お腹の中で亡くなっているんじゃないかと、
ついつい考えてしまう自分がいました。
死刑台に上るような気分で診察台にあがっていたのを思い出します。
3ヶ月目、切迫流産で絶対安静。
覚悟してくださいと言われ、
毎日病床で泣いて過ごしました。
心拍確認の機械をお腹につけるとき、
「心音が聞こえなかったらどうしよう」って
いつも緊張して吐いていました。
それでもなんとか臨月にこぎつけ、
出産しました。。
本当に、本当に、、、
出産した事自体、奇跡だと、神秘だと思っています。
みんな、おかあさんのお腹にきたくて宿った子です。
やさしい、ゆきんこゆきさんを選んで来てくれたと思うんです。
今は姿は見えなくとも、気持ちはずっとつながっています。
私なぞが書き込んでしまい、気分を害されてしまったら
本当に申し訳ありません。
ただ、私自身、「命を思う気持ち」初心に立ち返って
もう一度あの頃の気持ちを思い出し、日々を歩んでいきたいと思いました。
失礼かと思いますが、大切な気持ちを呼び起こしていただいて
本当にありがとうございました。
ゆきんこゆきさんの心が少しずつでも癒えていくことを
心よりお祈り申し上げます。
こんにちわ
赤ちゃんとても残念です。
私はあなたの文章を読んでとても恥ずかしくなりました。
わたしは、44歳で出産しましたが、身内に障害者がいた為
胎児検査や 羊水検査を受けました。
そして幸いにも、息子は無事生まれました。
もし 検査で息子に障害があったなら 私は息子を産んでいたでしょうか
正直今でもわかりませんし 検査をした事を 息子にはいえません
娘さんは あなたにそんなに愛されてうれしかったとおもいます
私があなたに 偉そうなことが言える筈はありませんが
もう一度娘さんが 今度は元気な姿であなたのお腹に
戻ってくる事を心よりお祈りします。
37週で息子をお空へ帰してしまいました。。。
私も不妊治療の末、この子を授かりました。
あれからまだ半年も経っていないので、アドバイスなんて到底できるような状態まで回復していませんが、同じような境遇だったので、コメントせずにはいられませんでした。
本当に悲しい体験をされましたね。お気持ち、お察しいたします。
私の場合は、原因不明の子宮内胎児死亡です。
1週間前の検診で、胎動が少ないことを医師に伝えていたのですが、心拍が正常であったために、特に他の検査をすることなく帰されました。
あの時、なぜもっと医師にすがって詳しく調べてもらわなかったのか、苦しがっていた息子を助けてやることが出来なかったのか、今でも後悔ばかりです。
なぜ、なぜ?と自分に問いかけています。
私も周りには元気に振舞っていますが、予定日が近かった何人かの友人が次々と無事出産して、その赤ちゃんを抱かせてもらったときは、辛かったです。
なんとも言いようのない感情がわいてきて、その時はどん底まで落ち込みました。
家に帰って、1人涙していました。
私は43歳なのですが、主人の希望もあって、再挑戦しようと言う気分にまでなりました。そして、今は再び妊娠できる日を夢みています。
予定日が近かった知り合いの一人に47歳で初産だった方がいらっしゃいます。
ゆきんこゆきさんも、是非もう一度挑戦されてはいかがでしょうか?
何のアドバイスにもなっていなくて、すみません。
どうか、いっぱい涙を流して、少しずつ元気になっていってください。
お空へ帰った天使ちゃんは、ゆきんこゆきさんに笑顔でいて欲しいと思います。
私も常にそう自分に言い聞かせています。
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いちばん星さん
暖かいお返事をありがとうございます。
私は娘の母になれたでしょうか。
今できることをすべてしてあげたい、と必死でした。
自分の中で渦巻く悲しみを持て余してしまい、血を吐く想いでこちらに書き込みさせていただきましたが、いちばん星さんを初め、たくさんの方々の暖かいお気持ちに触れることができました。
これもすべて娘がくれたご縁です。
norinさん
クリスマスの夜、私もつらかったです。
空っぽのお腹で迎えることになるなんて、思ってもいませんでした。
年末年始は娘を想って夫と二人、静かに過ごそうと考えています。
norinさんも不妊治療を続けておられるとのこと、来年は良い年になりますように。