★第37回 卵子提供でママ&パパになった方のおしゃべり会in東京 2023年10月7日(土)
★第38回 卵子提供でママ&パパになった方のおしゃべり会in京都 2023年12月3日(日)
★babycom 高齢出産という選択 TOP
皆さんにはトモダチっていますよね・・。
私にはいません。正確にはいなくなりました。不妊、死産、30を超えてから立て続けに起きる様々なこと、そして高齢、昔は親友、とか、一生付き合っていけそう、と思っていた友人もいました。でも、実際本当に悲しいことがあったときに、一番近くに居て欲しかった親友が去っていきました。
そして私はどの友人にも心から本心を打ち明けることが出来なくなり、自然に連絡を取らなくなりました。
色んな光景があたまをめぐりました。
乳飲み子にミルクを飲ませながら、私の亡くなった子どものことを「その子がなくなったのは運命なんだから仕方ない」と言った友人の家から泣いて帰った事、1年経った頃、死産を報告していたはずの友人が子どもの死すらすっかり忘れていたこと、死産後、不妊治療をしていると知っているのに「早く産まないと」と急かしてくる人・・。
皆不幸になれ、そのたびに思ってきました。
その結果、トモダチがいなくなりました。
昨日誕生日を迎え、一人で部屋にいて考えました。この先トモダチって出来るかな・・
昔はママ友、に憧れていました。でももう高齢、今からもし奇跡的に授かっても若いママにはなじめないかもな・・
こんな後ろ向きじゃダメだな・・諦めかけていた不妊治療もう一度頑張れるかな。。。
トモダチもいない、ママ友もできないかもしれない、でもそんなことよりわが子をもう一度この手に抱きたい、と強く思いました。
でも、頑張れるかな、トモダチ、出来るかな。。。
人を信じれるかな・・・いい年をして人とのつながりが無性に恋しくなりました。
私のように極端に人間関係を持たない人はいないんだろうな、と漠然と思います。でももし同じような境遇になったことのある方で、その先になにか改善された方がいればお話を聞けたらな、と思います。
- わかります。 - トモダチは自分かな - 2009年09月16日 23:52:30
- わかります・・ - ぴんko - 2009年09月15日 15:01:58
- 私も親友、いないような? - まこ - 2009年09月15日 11:49:48
- 死産、不妊って…。 - kanana - 2009年09月14日 22:55:33
- いろいろ…考えました。 - kusuko - 2009年09月14日 14:58:56
- 自然体で^^ - kiri - 2009年09月14日 14:10:46
- トモダチって - たれこげ - 2009年09月14日 11:44:36
- 自分と向き合う - しゅんちゃん - 2009年09月13日 22:47:18
- 元気出してください。 - 匿名ですみません - 2009年09月13日 22:07:53
- 私も友だちいないです - まんぼう - 2009年09月13日 13:45:10
- 辛口です。 - 五月雨 - 2009年09月13日 10:32:12
- 友達って - urashimataro - 2009年09月13日 06:45:47
はじめまして。。
私は最初の妊娠は流産。その後産まれた子は先天性疾患で亡くなり、その後死産も経験してます。
そして、その後はなかなか立ち直れず・・・
時は流れ。。私は高齢になり、妊娠せず、排卵さえしなくなってしまい今にいたります。子はいません。
やはり、私も子を亡くしたとき、いろんな人に「運命だから・・」「早く次の子を・・」と言われ、傷つき自分の殻に閉じこもってしまいました。
私もその頃、友達から距離をおきました。
友達たちが次々と子を産み、とても幸せそうに見えました。
そんな嫉妬のような気持ちでいる自分もイヤでした。
みっふーさんの傷ついた気持ちはよくわかります。
私もそのときは傷ついたので。
子を亡した辛さは、経験した人しかわからないと思います。
そして月日がたち、自分が高齢で子を産むことができないかも・・と思い始めると・・「運命だから」と気持ちを切り替え「早く次の子を」迎える準備をしていれば・・もしかしたら・・子に恵まれたかも・・と思ってしまう自分がいます。
なかなか立ち直れず、時間を無駄にしてしまった。。と。
友達は、私を思って言ってくれたのです。
私はその気持ちに答えることができず、心を閉ざしました。
友達も私の気持ちが理解できず辛かったのかもしれません。
自分のことばかりですみません。
今の状況ですが、昔の友だちはぐっと減りました。
親友しか残ってないかもです。
仕事が休みのときは、誰とも話さず部屋にいることもあります。
あと、スポーツクラブに入会してエアロビやヨガを楽しんでます(1人で。。)気楽でよいです。
ランチもしばらく行ってないなー(笑)
妊娠前は職場や学生時代の友だちとわいわい遊んだものですが・・
それも、今思えばいろいろ面倒なこともあったし(笑)
でも、もっと時が過ぎ、私も含め、これからいろんなことを
経験し、また前のような関係に戻れる日がくるかもしれません。
今は、これでよいと思ってます。
ケセラセラ〜です。
友達は無理して作るもんではないし。
たまに会う親友とは楽しくしてますよ。
あんまり改善されたお話しでなくごめんなさい。
これから新しい友達ができることもあると思いますよ。
元気だしてくださいね。
みっふーさん、はじめまして。
おつらい体験を、たくさん乗り越えてこられたのですね。
みっふーさんが、今のようなお気持ちになってしまうのは、無理のないことだと感じました。
私はみっふーさんのような体験をしたわけではないのですが、我が身を振り返ってみると…トモダチ、少ないし、親友はいないのかも…
横レスですみませんが、Kusukoさん、お友達が離れて行ったお話、私は似たようなことを小学5年生で体験しました。
すべて自分が悪かったのですが…でも、一夜にして親友が全員、敵に回ったのはものすごいショックでした。
みっふーさん。
そのとき以来、私は人を信頼することに自信が持てずにいます。
今でも根本的には、心から他人を信じることはできていないかも…
15歳ぐらいの頃は、1年近く誰とも口をきかない状態も経験しました。本当の孤独ってこういうことだと、そのとき思いました。
(肉親や身よりの全くない人から比べれば、まだ全然甘かったのですが…)
それでも、数年前まで、親友と呼べる人が二人、いました。
でも、一人は亡くなってしまい、もう一人は、ある理由でおつきあいできなくなってしまいました。
だから、今、トモダチってほとんどいません。
でもね、私が今まで、あまり寂しいと思わなかったのは、「この人が私の親友です」といえるような人はいなくても、「好きな人」「同じ気持ちを共感できる人」「尊敬できる人」がたくさんいるからだと思います。
そういう人との出会いは、こういった掲示板にもありますし、本や映画、音楽、それにもちろん、身近な日常生活にだって、山のように転がっています。
大好きな人たちがいて、直接的に、あるいは間接的に、お互い影響を与え合える。
そういったことを大切にしていきたいのです。
その中で、もしかしたら、親友と呼べる関係にまで発展する人もいるかもしれない。裏切られたり不愉快な思いもするかもしれない。
でも、相手がどう出るかはともかく、私自身が、人を好きになる気持ちだけは持っていたいのです。
私には、親友はいませんが、大好きな人、大切な人はたくさんいますよ。
みっふーさん、まわりを見回してみてください。
素敵な人ってたくさんいますよ。
そんな人を見つけたら、どうか恐れずに、声をかけてみてくださいね。
経験せずしてこの悲しみを理解出来るひとは稀だよ。
想像を絶するもの。
私も知ってる。慟哭したよ。
泣いたら少しは楽になれると思っていたけど、
泣いても泣いてもその悲しみはいつも真新しかったな。
声はかれたし、しゃくりあげすぎて呼吸困難になった。
一年経っても二年経っても、いつも苦しかった。
テレビを見てると地雷が沢山あって、よく踏んでは泣いた。
テレビを見るのが怖くなった。
立ち直れないことも、前のような自分に戻れないことも情けなかった。
夫が良く耐えたと思う。でもそう思ってもコントロールできないんだもん。
トモダチなんて居なくなったって普通普通。
親類縁者から離れたってアッタリマエ。
私なんて、なんど頭の中で殺人を犯したことか。
不義理の山を築いたね。
私の住んでる場所は田舎だから、年配者の言葉がストレートで残酷なのよ。
病院や薬のお世話にならなかったら、立派なモンだ。
だってね、古今東西、これは狂ってあたりまえレベルの出来事なのよ。
有名どころでは、ビビアン・リーだって狂ったよ。
古いのも新しいのも和も洋も映画や小説がたくさんある。
そのなかでね、『ぐるりのこと。』っていう
最近の邦画がね、再生して行く過程を上手に描いているよ。
創ったひとは男性でね、
「なぜあなたにアカチャンを失ったこの気持ちがわかるんですかっ!」って思ったけど、
調べたらカミングアウトしてた、心は女性でした。
みっふーさん
慰めてあげたいけど、わたしにできるのはこれくらいだ。
ごめん。
みっふーさんこんにちは。
みっふーさんの投稿と、皆さんの投稿も読んで、いろいろと
考えてしまいました。
私も友達付き合いはいい方ではないし、高校時代から
つながっている友達は一人だけです。
でも彼女は独身、私とはほとんど接点がありません。ここ10年
くらい会っていません。
それでも、ふとした時にメールを送ると必ずすぐ返してくれます。
それで何となく心のつながりを感じます。
彼女と私の間には、二人にしかわからない話題や感情を今も
共有しています。
実は旦那と結婚する前にあること(ごめんなさいここでは、
詳細は書けません)があり、その時に私から
たくさんの友達が離れて行きました。
先に書いた「高校時代からの友人」もその一人でした。
でも、結局、紆余曲折あって、彼女だけが私の元に
戻ってきてくれたのです。
人生、こんなこともあるんだと、今でも私は
その経験に支えられているな、と感じます。
今は彼女の他は、ママ友、と呼べる人達が少数ながらいます。
でもものすごく深い話をするわけではないし、親友とまでは
いかないかな…
今、一番何でも話すのはダンナ様ですね。でも、もちろんすべての
感情を共有してるわけではなく、正直、「ああ。いくら言っても
わからないんだな…」と絶望する時もあり。。。でもいいのです。
そんなのお互い様だし、彼の存在は私にとってとても大切なので。
みっふーさんの投稿を読んでいて、あまりに辛く苦しい経験のために、
みっふーさんは自らの心の扉に鍵をかけ、他人が入れないようにしてしまったのかな…と感じました。
みっふーさんのせいだと言っているのではなく,誰でもそういう時はあると思います。
でも人間そのままではいられない。。。。
きっとみっふーさんの心が再生を始めているんだなとも感じました。あとは恐れないで、みっふーさんが再び心の扉を開ければいいんじゃないかな?
(でも焦らないで、開けてもいいかな、と自分が思った時に)
大丈夫です、自信を持って下さいね!
私たち夫婦は再婚同士です。
子連れ再婚同士でもありますし 先妻との離婚と私との再婚の間が3年ほどしかなく世間は私が先妻を追い出したと思っていたようで、なんとなく針のむしろでした。
もちろん友達はおろか話をする人もおらず町内でも浮いてしまいました。
それでも子供がいたため 学校行事には「ポツン」と参加していました。やはり寂しかったです。
人との接点がない寂しさより 集団の中での孤独のほうがキツイのではないかと思えるくらい居心地悪かったです。
それでも町内の役員(順番制なので・・)を引き受けたり ごみステーションの掃除(これも順番)など やるべきことをこなしていくうちに次第に話しかけてくれる方が増えました。
ガーデニングが趣味で暇さえあれば庭に出ていることも周囲の方との接点になったと思います。
子供の学校でも最初は挨拶から少しずつ話しかけたりしているうちに やがて「うちも再婚なのよ」と声をかけていただいたりお茶に誘っていただいたりするようになりました。
最初は誰も親しくなってはくれないだろうな。。。と半ば開き直ったつもりでいたのが嘘のよう・・・あまりにも付き合いが広いので夫からとりあえず夜のカラオケは禁止令が出たほどです。
あまり「トモダチ トモダチ」と囚われずご自身の日常生活を楽しまれたらいかがでしょう。
お子様を亡くされた苦しみは私にもわかります。
体験者です。
でもね・・・そのお子様は貴女とご家族の大切な宝物。他の方にその存在の重みや大切さを100%理解してもらうのは無理かもしれませんね。自分で静かに消化していくしかないです。
それでも傷は残りますが それは一生抱えていくしかないですね。
トラウマっていうのでしょうか・・・・死別後子供に恵まれた今でも同じ年頃の子供さんを見かけると涙が出たり 胸が締め付けられるような気になったり なんだかヘンテコな行動(大声で話してみたり 鼻歌を歌っていたり・・・)を無意識にとっている自分がいます。 仕方ないですね・・・
私は昔から今でも「知り合いは多いけどトモダチはほとんどいない」と感じています
あまり人とつるむのが好きではないせいかも知れません
「トモダチ」の定義がわからないんです
いわゆるママ友は何人もいます。でも、子供の成長に従ってきっと自然に離れていきそうな気がします
今は「トモダチ」でもいつかは「昔の知り合い」になってしまう気がする
逆に自分が「トモダチ」だったな、と思う人にはあまり会えませんし連絡がつかない人もいます
私にとってトモダチは「後になって、自分に不可欠だった人」なのかもしれません
それは私の変化によって、いろんな出会いがあって、いろんな付き合い方があって、いろんな別れ方があって
そう考えれば死ぬまでトモダチは作れるんだと思います
もちろん自分を傷つけて別れてしまったトモダチと年月が経って、また別な形のトモダチになるかもしれない
思いもよらないところで、思いもよらないような人とトモダチになるかもしれない
だから今までの友達に縛られないでください
みっふーさん、こんにちは。私は数年前に生まれたばかりの赤ちゃんを生後数時間で亡くしてしまった経験を持つ者です。
結論から言わせてもらうなら、もう少し自分の気持ちとしっかり向き合ったほうがいいのではないかなということです。
五月雨さんも書かれていましたが、自分の価値観、感覚にすべて合う友だちなんて存在しないと私は思います。同じ経験を持つ者として、今のみっふーさんの気持ちはよくわかるつもりです。私も赤ちゃんを亡くしたばかりの頃、友だちから慰めのつもりで「私には○○(自分の子ども)がいてほんとうによかったと思う」と言われたり、生まれたばかりの自分の赤ちゃんのドアップ写真を送ってきたり、あまりにショックで自ら連絡を断ちました。
でも、同じ経験をした人との会合や私個人のカウンセリングなどを通して、少しずつギスギスした気持ちも落ち着いて来ました。今になって考えると、彼女たちは決して嫌みで言っていたわけではなかった。ただ、彼女たちの言葉が私にはしっくりこなかっただけ。だから、あのときの彼女たちが私を思ってくれた気持ちだけは受け止めよう、と思えるようになりました。数年経ってから、クリスマスカードや年賀状を出すようになり、また復活しています。
私も自分の傷ついた心をわかってくれない人は片っ端から切っていました。でもよく考えてみると、それって自分自身の気持ちを自分がしっかりと受け止められていないからだと気づいたんです。まずはそこから始めてみてはどうでしょうか。みっふーさんは人とのつながりが恋しいと感じているのでしょう?同じ立場の人たち同士の会合に参加するとか、カウンセリングを受けたり心理療法を試してみるとか。まずは自分の感情と向き合うことから解決策が少しずつ見つかって行く事もあります。私自身の経験からそんなことを考えました。参考になれば…。
みっふーさん、はじめまして。
お誕生日、おめでとうございます。
私も、友達がいません。
なので、元気を出していただけるような回答じゃなくて、大変申し訳ないのですが、思わず出てきてしまいました。
みっふーさんと、全く状況は違うのですが、私も友人と思っていた人たちと自分から連絡をたちました。その結果、今、昔からの友人で連絡をとっている人はいません。
理由はいろいろでしたが、関係を続けることがつらくなったという点では、みっふーさんと一緒です。
みっふーさんだけじゃないですよ。
以外と、親しそうに誰かといても、心から信用できる友達がいない方って多いんじゃないでしょうか。
子どもはいないし、親兄弟とも疎遠なので、日常的に話すのは主人だけです。でも、今の主人と二人きりの静かな生活に、少しほっとしているのも事実です。
友人がいないことを寂しく思わないといえば嘘になります。こんなに友人がいないのって世界に私だけだと思って、落ち込むこともよくあります。万が一、子どもができてもママ友と付き合っていけるのかなとか。かなり人間不信なので。
すみません。自分を棚に上げちゃっています。もちろん、私の性格にも問題があるのでしょうね。ここまで一人になったのは。
みっふーさんも治療をされていらっしゃるということは、ご主人がいらっしゃるのですよね。まずは、ご主人との生活を楽しんだり、一人でできる楽しいことを何か始めてみてはどうでしょうか。まずはみっふーさんの傷ついた心を癒してあげてください。
きっと、そうして毎日を過ごしているうちに、縁のある人とは親しくなっていけると思って、私は生活しています。
また、縁のある人に出会えますよ。
ひどいことを言った人たちのことは、もう考えないようにした方が良いです。誰が聞いてもその人たちが間違っています。
元気出してくださいね。
こんにちは。まんぼうと申します。
おつらい経験をされましたね...。私も2年前に一番上の子を事故で亡くしています。
子供を亡くした悲しみは実際そうなってみないとわかりません。どんなになぐさめてもらおうとも上滑りです。わからない人たちにとっては所詮は他人事なんです。内心では「自分にふりかからなくてよかった」と思っているんだろう、とも思いました。友人たちが何事もなく幸せそうなのが妬ましくて、そう思う自分がいやで私の方から連絡を絶ちました。
それにしても「運命なんだから云々」「早く産まないと」はひどいですね...。こういうつらい時に人の本性って見えますよね。こんな友達はもうあきらめてもいいんじゃないでしょうか。
私はその後、お稽古事(手芸、語学)で気を紛らわせました。そこで友だちとまではいかないけど、お稽古の場所やその後のランチやお茶のみで会話をする仲間ができました。男性もいるし、年齢も幅広いし、同じ趣味だし、ママ友よりはよっぽど気楽な付き合いだなと感じました。
上の子を亡くしたこともあってもう一人授かりたかったのだけど、42歳過ぎていたし、不妊治療は主人が乗り気でなかったので半ばあきらめていました。ところがもうすぐ44歳になろうとするころに妊娠がわかり、なんとか出産する事ができました。産まれた子供は先天性の心疾患を持っていて、何年か後に根治手術をしないといけませんが。
いまとなってはお稽古事で忙しかった日々が懐かしいです。毎日、話をするのは主人と子供だけになってしまいました。でもまた下の子が手を離れたらお稽古事を再開したらいいかな、と思っています。
自分の事ばかり書きましたがすみません。とりあえずこんな状況です。
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます!
理由は違いますが、私にも同じ心覚えがあります。
45歳ですが、私も新たに人とのつながりを築いていきたいと努力しているこの頃です。
ですから、いつも私が自分自身に叱咤激励している考えを、聞いてください。
私は、「人」に依存しているのだと思っています。
私の気持ちを、「間違いなく分かってくれる人」を求めてることを、私は「依存」と思っています。
嬉しいと思ったこと、悲しいと思ったことを、特定の誰かと共有したいという気持ちは自然なことだと思いますが、その誰かがちっとも私の気持ちを理解してくれないと、
「どうして分からないの?分かってくれないの?そんな友達なら要らないわ、さようなら」
と思ってしまい、そうやって、自分から恋人や友達の元を去ってきました。
他人が、いえ家族も含め、大切な人が自分の気持ちに共感してくれる「はず」だと思うのは大間違いです。
どんな体験をしても、人それぞれ感受性は違うし、例え共感できたとしても、その場所に甘えて留まっていては成長はありません。
人のせいにしているうちは、きっと友達なんて出来ませんよ。
友達は、ボロ雑巾をつくろってつくろって、つぎはぎだらけになって漸く本当の友達になるんだと思っています。一度は、「あなたから去っていた」友達であっても、本当に友達になりたいのであれば、再びあなたから近づいてゆくことです。お相手の友達は、何の躊躇もなく受け入れてくれると思いますよ。
私は、自分から去った友達にも、去られてしまった友達にも、いつかその時がくるように年賀状だけは出し続けています。
人との繋がりが途絶えた季節があってもいいじゃですか。
一休みも必要ですよ。
そういう時期があったからこそ、今、人とのつながりを求められるようになったのだと思います。今が、「その時」なのだとお見受けしますが、まだ迷いがあるうちは熟していないのでしょう。人間、落ち込む所まで落ち込んだら、そのうちそんな自分に嫌気がさして浮き上がってくるものではないでしょうか。
大丈夫ですよ、夜明けはもうすぐそこって予感がします。
今のうちに心の静養をたっぷりとってあげてください。
祈っています。
こんばんは
私は昔から数人としか付き合ってきていず、
友達はかなり少ないほうだと思います。
親友は4年前に癌で亡くなりました。
みっふーさんは一人で部屋にいるとき、友達が
ほしいなあ、、、って思いますか?
友達がいないと寂しくて仕方ないですか?
私は、一人でいるのがけっこう好きなんです。
人と関わると疲れてしまうタイプなんです。
ただ、子供ができてからママ友という人たちと
付き合う場面が増えました。
子供が小さいうちは、子供の人間関係って
母親にかなり左右されます。
- ご利用に際してのルールとお願いを読む
- 名前、ハンドルネーム、タイトル、投稿文には、半角カタカナ・半角記号を使用しないで下さい。
正常に送信されない場合があります。 - メールアドレスは必ず半角英数字をご使用下さい。
- お名前、メールアドレスは掲載されません。
みっふーさん、このお気持ちをこうやって書くことができているだけで、ご自分の中の壁を一つ乗り越えていらっしゃるのではないでしょうか。
本当に、子供を亡くすというのは、地獄の苦しみです。
私も数年前に可愛いさかりの幼子を突然亡くしました。たった一人の子でした。
その日を境に、それまで親しくお付き合いしてきた友人達からかけられる言葉がどうにも受け入れられなくて、「なぜ自分だけがこんな目に」という気持ちばかりが先に立ち、嫉妬・僻み・憎しみが渦巻き、現実が苦しくて苦しくて、全ての友人と一切連絡を絶ちました。
「友達なんていらない」と思いました。
でも、子供を失って人生終わったはずなのに、孤独感って消えないのですよね・・
2,3年か経った頃かな、どうにかこうにか短期での仕事を始めるようになって、少しだけ社会と接するようになった反動か、ある晩、お風呂から出た後、気軽に話す友人もいない孤独感が突然一気に爆発して、洗面所で一人で号泣したこともあります。
この時の鏡に映った自分の姿の記憶、その瞬間の感情はなぜか切り取ったように鮮明に残っていて、それを思い起こすと、今でも胸が締め付けられる思いがします。
その後、また子供が生まれ、人間関係も少しずつ増えてきましたが、でもいまだに昔の友人とは、もうずっと会ってもないどころか、連絡もとっていません。
当時とても心配してくれた友人達に連絡をとろうかと思い立ったりもするのですが、何年も経ってしまうとなかなかきっかけがつかめなくて。。。それ以上に、仮に連絡が取れても、彼女達の時間の流れを知ることや、その子供達の成長を見聞きするのが正直今でも怖いという気持ちがあるのです。
表面上は普通に人と接して笑って話していますが、自分は、「過去がなくなった人間」で、とてもアンバランスだと感じます。
そんな時には、夜一人で本を読むと落ち着きます。
結局は、自分自身と振りかかった境遇を受け入れることなのかなと思います。
みっふーさん、本当に苦しい時だと思います。
でもみっふーさんだけじゃないです。
このことを伝えたくて思わず書き込みました。