VOICE(掲示板)
高齢出産VOICE

高齢出産の悩みや心配事、そして生んでよかったこと。

【その他】母親としての時間−子供との関わり方
マンゴぷりん -- 2007年09月29日 23:38:48

rinさんあてのレスに、昨今の母親事情の縮図のような投稿があり、別トピックスとして皆さんの
「母親としての時間−子供との関わり方」に関してご意見を伺いたく、お願いします。

「日本の母親は自分の時間を持つことができず、くたくたになっている」
ということですが、別の言葉で理解するなら、これは
「子供に費やす時間を自分の時間と思えず、自分が子供の犠牲になっていると思い、精神的に疲れている」ということですよね。
(肉体的に疲れていても、精神的にがんばれるなら、乗り越えられることは多いと思うので)

昔は、今のような娯楽もなく貧乏子沢山で、結婚前は家事や兄弟の子守・仕事の手伝いで、結婚後は嫁ぎ先での仕事の手伝い・膨大な家事・子育て・夫・その家族の面倒・介護と、死ぬまで自分の時間なんて全く無かった人が多かったのではないでしょうか?
電気が無かった時代、洗濯や家事も大仕事でした。

それが女性にとって良いとは言いません。ただ昔のような負担が今の女性には課せられてないのに、なぜ現代は、子育てに精神的に疲れる女性が多いのか?が理解できないのです。
昨今は、近代化により家事の時間が短縮され、上記がほとんど改善されているにも関わらず、「精神的に負担だ」と嘆く人が多いのでしょうか?それが「豊かさの代償」だとしたら、皮肉な結果です。

今ではTVでしか見ることの出来なくなった世界かもしれませんが、「学校にいけるだけで幸せ」「将来大きな家を建てて、お嫁さんと2人の子供。そしてお父さんとお母さんの面倒をみてあげるんだ」と目を輝かせる、アジアの貧しい農村や漁村の子供たち。
物質的には決して豊かではないのに、彼らからは人としての(私達が知らなかった・忘れてしまった)自然な感情を教わるように思うのは、なぜでしょうか...?

「添い寝をやめる」「歩けるようになった子どもを一人で寝るようにしつけなおす」「添い寝から脱却するのは母親の強固な意志と、泣き声に耐えるという膨大なマイナス方向のエネルギーとが必要」???ずいぶん大変な考えがあるものだと思います。
母子が一緒に添い寝ができる時間なんて、双方の長い人生のうちほんの一時で、その間に始まったばかりの親子の時間の基礎の一部が培われているというのに...。

言葉が未発達の幼児は、大人と同じように自分の訴えを相手に簡単に伝えられません。幼児に不安定な様子がある場合は、その幼児の身体的・精神的な原因を考え、幼児側に立ってその根本を取り除いてあげるような観察や努力が必須だと考えます。

いずれにしろ、人は物質的に豊かになろうとし、でも豊かになったが故にその失ったもののなんと多いことか。自分の子供を持ってみて、いまさらながらに、たくさんのことに気付きました。

私は子育てや子供に関わる時間は、自分の時間の一部分だと思っており、「自分の時間を持ちたい」という発想がありません。
まだ1歳8ヶ月の娘ですが、彼女がいるおかげで視野や世界が広がり、色んな発見や教わることも多く、自分の未熟さを反省したりという毎日です。


(再送)桜草さんへ。
マンゴぷりん -- 2007年10月21日 00:57:32

  桜草さん。

得にネットの文章においては、かつこのようにサイトに載せる以上、万人が見るという前提からすると、シェアすることはあっても、自分の文章に「私の所有物」という固定観念や権利意識もありませんので、桜草さんのおっしゃることは理解できません。
また、幼児虐待や人の命が関わること以外では、私は人の意見や考えを真っ向から否定するのを良しとしません。
(よって、たんぽぽさんのスレ中の田中さんの文章を自分のスレッドに書いたときも「大変な意見だな」とし、意見の直接的な否定は避けたつもりです)

私は自分の意図や思いが、いくらたんぽぽさんや桜草さんに伝わらなくても、「あなたのやり方(考え方)は間違っている」とは言いませんし、言えません。

私が今回別スレッドを立てた理由は、rinさんのスレッドにたんぽぽさんのレスが比重を占め始め、本来のrinさんの主旨とは離れて、まるで、たんぽぽさんのスレッドのようになってしまっていたからでした。
あんなにレスがついて半ば方向性を失い、収拾がつかなくなった状態になっていたため、本来であればrinさんへのレスにするはずでしたが、私なりの配慮で別スレッドを立て、疑問に思うことや意見を述べました。

そして復唱になりますが、私がたんぽぽさんのお名前を出さなかったのは、それが良or悪であっても桜草さんにとって違和感があっても、’私なりの配慮’でわざわざ出さなかったことであり、悪意があって出さなかったわけではないのです。私の判断で「明記しなかった」のです。

そしてその’私なりの配慮’や’判断’はもちろん私の’個人的な思惑’ではありますが、その是非を桜草さんが言うのは、いかがなものでしょうか?それはマナーに準じているのでしょうか?
そうだとすれば、桜草さんの文章を読んだ後では’矛盾’を感じます。

桜草さんが「ましてや、「揶揄」したつもりも全くありません。」とおっしゃっています。しかし、私は「揶揄」されたように感じました。全く同じ理論が、桜草さんが提起されている事柄に言えるのではないでしょうか?つまり、「言った本人はそう思ってないのに、相手の受け止め方が自分の意図とは異なる」という事です。
その「意図とは異なる」ことについて、是非を断定するのはいかがなものかと思いますよ。なぜなら、私が「揶揄されたように感じた」のが不適切なら、「出所を明らかにしないのが不愉快」と言っていることも不適切となりますから。

今回は最後の方で、私のスレッドの内容ではなく、そのやり方とか内容以外のことばかりに注意が向けられ、残念です。
ましてや、たんぽぽさんがご自分で言及していてるにもかかわらず、さらに当事者(今回の場合は、たんぽぽさんと私)以外の人がそのことについてあれこれと言うことは、桜草さんの言葉を借りれば、当事者の’著作権’の範疇からはずれていると思いますが?

未熟児の母さんへ
マンゴぷりん -- 2007年10月18日 22:50:58

  未熟児の母さん、こんにちは。

そうなんです。復唱になりますが、私は基本的に子供の立場を心配しています。そして、たんぽぽさんがご自分のスレッドの中で’さむらいさんへ’のレスに記してあるとおり、たんぽぽさんはお母さんの立場を心配されています。

私の見解は、子供の連続的な不機嫌は精神的・医学的に何かしらの問題があると考えており、その根本を見据えて取り除かないで、子供を母親から肉体的に離すだけで、本当に問題を解決したことになるのかどうかが疑問だったのです。ですので、たんぽぽさんが取り上げてらっしゃった、田中喜美子さんのご本の内容にも、正直「大変な考え方だな」と思ったのです。

「なんとかしなきゃいけない。私の子供なのに、私の手に負えない状況に子供がある。」ことに親がパニックになっている場合、子供側をなんとかしなくては、母親が肉体的に一時的に楽になったとしても、つらいことを先延ばしにするだけで、その根本(連続的に不機嫌になっている要素・原因)を解決しなくては余計に双方にとって辛くなるのでは、と思ったのです。

そしてそれらの原因が判明して、子供の不安を取り除くことができたら、親もパニックになる必要はなくなるので、双方に取って善策ではないかな、と思うのです。
子供の泣く・不愉快・不機嫌なのは、何かしらを回りに訴えたい・気付いて欲しいから泣いているのだと思うからです。

例として、ウチの娘も私達大人には訳が分からず、ギャアギャア泣き叫ぶことが多々あります。そういった場合は、いくらなだめすかしても抱こうとしても、娘から体いっぱい張って、拒否されます。
彼女は彼女なりに1歳10ヶ月児としての考えがあって、その訴えに対し私が別のことをすると、手が付けられいほどの暴君になります。
一方でこちらが反対に子供の泣き叫びに同調せず、リラックスして彼女のその不安なり訴えなりをちゃんと受け止めて、彼女が落ち着いたころスキンシップをしてあげると、先ほどのわだかまりが嘘のように落ち着いて、機嫌が元にもどるのです。

ママでなくとも、誰かが添い寝をしてくれることは、そんなお互いの絆を培う、安心してリラックスできる良い機会ではないかな、と思うのです。大人も子供もリラックス出来なければ、眠りにはつけませんから。

いずれにしろこの件は、視点の違いから観点の違いに発展しました。でも結局は、たんぽぽさんも私も互いに視点は違うものの、「困っているママを何とかしてあげたい」という思いから出た意見であるので、最後には「たんぽぽさんと、思いは一緒なのかな」と思いました。

なぜ横レスしてしまったのか
桜草 -- 2007年10月18日 20:03:16

  マンゴぷりんさん、レスをありがとうございます。

「それをその人の視点で別スレを立てて論じていてもショックは受けない」方に重点を置いています。
ということ
そのことは、わたしには、文面のみからは理解できませんでした。重点を置いている、というマンゴプリンさんの意図が、わたしには伝わらなかったからだと思います。
ただただ、何かの矛盾を感じてしまったのです。

また、わたしは、「一人の人の意見や解釈が他者の意見と絶対的に合致しない」ことについて意見を書いたのではありません。

ましてや、「揶揄」したつもりも全くありません。


マンゴぷりんさんは、はっきりと、たんぽぽさんの文章をそのままご自分の立てたスレッドで、使ってらっしゃいますよね。

たんぽぽさんとマンゴぷりんさんの対話であるものに対して第三者のわたしが横レスしてしまったのは、そのことがわたしには個人的にひっかっかったからだとおもいます。

人の言葉や意見を自分の言葉のように使うことは日常でもよく起こることだと思いますが、それを文面にしてスレッド提起することには、賛成できません。

それを引用する側がいくら気にしない、からといっても、引用されたほうは、気持ちのよいものではないと思います。
わたしも、もしそうされたら、嫌です。

それは、一種著作権のようなものに違反する感覚です。

わたしは、モノでも、アイデアでも、他人からみればそんな小さなこと、と思われるかもしれないものも含めて、「所有」がどこにあるのか、そういったことに気を使う傾向があるので。
だから、今回のことに、ひっかっかったのだと思います。

わたしは、マンゴぷりんさんの個人的な思惑がどうであれ、今回のこの場合ははっきりと、その言葉の出所がたんぽぽさんであることを、明記するべきだったと思います。


ネット上での公の掲示板などでは、引用元、例えそれが個人のものであっても、「仲間」意識のあるような交流の場所で、お互いが知り合い同志ならなお更、気をつけたほうが、よい、と思います。
それは、マナーだとも思います。

桜草さんへ
マンゴぷりん -- 2007年10月18日 10:25:18

  桜草さん。

まず、「たんぽぽさんの文章を、出所をまったく明らかにせず、ご自分で立てた別のスレッドで引用したから」については、本来のたんぽぽさんのスレッドへの私のレスに、’私なりの理由’を記してありますので、そちらをご覧下さい。

そして「マンゴぷりんさんは、たんぽぽさんが「ショックを受けた」のは、自分の意見に対して反対する人がいたからだ」ですが、私は「自分の意見に反対する人がいて、それをその人の視点で別スレを立てて論じていても、ショックは受けない」と言っており、「反対する」より「それをその人の視点で別スレを立てて論じていてもショックは受けない」方に重点を置いています。

つまり、「私が反対しているからたんぽぽさんがショックを受けた」のではなく、私が「本来たんぽぽさんが意図しているのとは別のやり方で、たんぽぽさんの名前を出さず、たんぽぽさんの文章を引用し別スレッドを立てたので、たんぽぽさんはショックだった」とたんぽぽさんは訴えていると、私は理解しています。
それに対して、私は「それをその人の視点で別スレを立てて論じていても、ショックは受けない」ので、たんぽぽさんのショックは残念ながら私には理解できない、としています。

人の数だけ意見があり、解釈があります。一人の解釈が絶対的ということもありません。
得にこのような公のサイトに意見を述べる場合、一人の人の意見や解釈が他者の意見と絶対的に合致しないからと言って、そのことに対して揶揄(不毛と)されることは、理に適っていないと思います。

色んな方向から、色んな解釈が出るからこそ意義があるのではないでしょうか?

マンゴぷりんさんへ、、、同意します
未熟児の母 -- 2007年10月17日 23:25:18

  マンゴぷりんさん、はじめまして。
何度か、他のスレッドで夜泣きや添い寝について発言している
「未熟児の母」です。

>そしてその策の一つが「添い寝をやめる」とありました。一時、肉
>体的に離れる意味で「添い寝」をやめても、精神的につながってい
>ることに負担を感じているけどやめられない親に対しては、あま
>り意味のあることのように思わないばかりか、不快な子供は余計
>に不快になる一因(親に対して不信感が芽生える)になりはしな
>いかと、危惧しています。

マンゴぷりんさんの、上記の発言ですが、ここ最近のボイスを見たり、そして実際に投稿したりしながらも、モヤモヤとしていながら文章にできない思いを、ズバリと明言してくださいました。

そうです、まさにそうなんです。
私の母は、「母子密着&密室育児」の典型でした。核家族で、父は企業戦士。頼りは育児書だけ。
当時はやりのスポック博士の育児書を読み、母は私を別室で泣かせっぱなしにしたそうです。私はほどなく泣き止んで一人で寝るようになったそうです。

しかし、添い寝がなくったって、それ以外の部分で母はずっと母子密着育児でした。母のストレスは、幼児であった私から見ても相当でしたし、育てられた私自身のストレスも、ある時期まではトラウマ状態で、「私はアダルトチルドレン?」とネットをさまよった時期もありました。あんなに私に時間を費やした母なのに、当の私といえば、母への感謝の念こそあれ、母からの愛情をダイレクトに感じたことがないんですね。添い寝をしなかった、という話を聞いたとき、なんとなーく「もしかして、そのときの不信感を引きずっているかも?」と感じたことがあるんです。

ですから、私は、自分の育児においては、なるべく赤ちゃんに
肌で寄り添ってあげようと思いました。が、それも体力的にきつくなり、精神的にもきつくなり、、、。でも、そんな時に聞きたかった言葉は、「添い寝をやめて、放っておいてみたら?」ではなかったと思います。よけいに落ち込んだでしょう。実際、「甘やかしている、過保護」と言われたこともあり、落ち込んだものです。私がとにかく知りたかったのは、「なぜ、この子は泣くのだろう?」という理由でした。

ある人にとっては、添い寝をやめてみたら、という提案は目からウロコで、福音なのかもしれません。
育児は、私の体験から考えてみましても、その人の育ち方というか、人生感が複雑に反映されているものでしょうから、他人の育児へのアドバイスというのはナカナカ難しいものだと思いました。こんな月並みな結論しかいまは導きだされませんが、、、。





完全に横レスで、申し訳ありません
桜草 -- 2007年10月16日 07:54:58

  マンゴぷりんさん、こんにちは。

全くの第三者が、横からレスをいれて、申し訳ありませんが、
気になることを一点だけ指摘させてください。

マンゴぷりんさんとたんぽぽさんの会話なのですが・・・

たんぽぽさんが、「ショックを受けた」のは、マンゴぷりんさんが、たんぽぽさんの文章を、出所をまったく明らかにせず、ご自分で立てた別のスレッドで引用したから、だと思います。

それに対してマンゴぷりんさんは、たんぽぽさんが「ショックを受けた」のは、自分の意見に対して反対する人がいたからだ、とおっしゃっています。

たんぽぽさんが言われていることに対するマンゴぷりんさんの解釈が、全く違ってずれてしまっていると思いますが・・

お二人双方のコミュニケーションへの努力が、これではあまりにも不毛な感じがしてしまったので、しゃしゃり出てきてしまいました。

すみません。

Sachiさんへ
マンゴぷりん -- 2007年10月14日 13:11:13

  Sachiさん。

またまた上辺の言葉だけで誤解されているようです。私の文章を良く読んで下さい。

「美学も感じないし悲劇のヒロインにも同情しない」としているのは、その前の文章に、前提として「(またその矛先が子供にいく場合も考えると)、」としてあります。

つまり、「育てられないから子供を遺棄した」「子供が泣くから、言うことを聞かないから虐待した」とか、「育児ノイローゼで子供を殺した」「親子で心中した」とか、そんな場合のことに言及しているのです。
そうまでして閉じこもり・引きこもって自分や子供を追い込む前に、自分も子供も楽になれる方法を自ら探すべき、と言っています。

身体上のハンディキャップやディスアビリティで、自分から解決策を模索できないならともかく、今やネットやこういうサイトもあり、自分から求めれば、いくらでも解決の糸口は見つけられる状態にあります。最近は役所でも「子育て支援センター」なるものが、どこの地区でもあると思います。

それと、「子どもとの時間が自分の時間という人に比べて親としての自覚がないという言われ方」ですが、私は「子供と密着していつも傍らに一緒にいること」=「母親/父親の時間」などとは一言も言っていません。私の文章の中にはそんな部分はないと思いますが?
「ご意見、ありがとうございます。」や「ジェットさんへ」の返信にも、そう言及してあります。

そもそも「自覚」とは’自我で目覚める’ことであり、他人がそれを強要できるものでもないし、自らが学び覚えて実行に移す、その前提となる信念であります。

事実私も、産休中に解雇され今年の7月に仕事を見つけられるまでの約一年半は、専業主婦でした。でも、WWだから!専業主婦だから!なんて線引きは考えたことがありません。
繰り返しますが、専業主婦だってWWだって同じママです。がんばっている人は、皆同じようにそのそれぞれの環境の中で大変な思いをして、時にはくたくたなんです。そんな苦労はその人それぞれで、それに対して優劣はつけられないでしょう?

悲劇のヒロイン?
sachi -- 2007年10月13日 12:41:51

  くたくたになっているいうと泣き言に美学も感じないし悲劇のヒロインのなっている、というご意見でしたが悲劇のヒロインになっているつもりもないし泣き言をいっているわけでもなくそれをどうにかポジテイブな自分に戻るための時間を探していること、それが子どもとの距離をもつことで自分を保っているのであって、子どもとの時間が自分の時間という人に比べて親としての自覚がないという言われ方にはちょっとカチンとしました。
フルタイムで働きながら育児をされている方々を心から尊敬しますけど専業主婦も違った意味で辛いということを言いたかっただけです。 育児でくたくたになっても子供に時間をとられて犠牲になっていると感じても母親としてがんばっているのは負けてないつもりです。
添い寝してなくっても(うちはしてるけど)親が自分のために時間を費やしていたとしてもどちらがいい母かはわからないと思います。私も子どもが2歳くらいまではマンゴプリンさんのような気持ちで子育てしていました。 ホルモン真っ最中で。
産後のホルモンも普通にもどって子どもも4歳くらいになると育児の気持ちも変ってくると思いますよ。

たんぽぽさ〜ん
マンゴぷりん -- 2007年10月13日 00:08:57

  たんぽぽさ〜ん、こんにちは。

よかった、私もたんぽぽさんは大好きです。聡明かつ時々ちょっとテンションがあがりぎみで論じている時のたんぽぽさんも、好きです。(私は本来、見てみぬふりをしている人より、自分のことのように心配し、熱く論じ合える方が好きなので)
ですが、今回はちょっと’宗教っぽい’(例:これが一番!これ以外は認めない〜!)というような一方通行的な、周りが見えない猪突猛進的な感じを受けましたので、たんぽぽさんのレスにそのように返信しました。以前のたんぽぽさんに戻ったたんぽぽさんとお話できるなら、嬉しいです。

「ショックを受けた」件に関しては、残念ながら私は何も返答することができません。私は自分の意見に反対する人がいて、それをその人の視点で別スレを立てて論じていても、ショックは受けないからです。ただ、その人のそういう意見に賛同出来なければ、わざわざ返信をしないだけです。
そして「意図を全く無視して」ということですが、スレ主の思うとおりの意図で皆が動くとは限りません。自分の意図したとおりに相手が反応しなければ「無視した」になるのであれば、大人の会話は成り立たなくなります。

そして私の文章は「添い寝→親子の時間」を取り上げているので、たんぽぽさんがおっしゃっている意味とはつながらないと思いますよ。

ところで、本題に戻ります。専業主婦だろうとWW(M)だろうと、ママ(パパ)はママ(パパ)です。親は、私達は大人です。自分が苦しいなら、自分でSOSを出しその現状を回避する策を、子供をよく観察しながら自分の子供と自分にあった策を、自分で探すべきです。
それを「くたくたになるまでがんばる?」「SOSが出せないほど、くたくたになっている?」と、自分で自分を追い込むことに(またその矛先が子供にいく場合も考えると)、私はそんな状態に自分を追い込むやり方に美学を感じませんし、悲劇のヒロイン的な同情もありません。
その状態がイヤなら、自分で変えるしかないのです。誰もその人の代わりはできません。子供の親なら、なおさらでしょう。子供は親以外に、100%心を預けて頼れる存在はありません。

そしてその策の一つが「添い寝をやめる」とありました。一時、肉体的に離れる意味で「添い寝」をやめても、精神的につながっていることに負担を感じているけどやめられない親に対しては、あまり意味のあることのように思わないばかりか、不快な子供は余計に不快になる一因(親に対して不信感が芽生える)になりはしないかと、危惧しています。

そもそも「自分の産んだ子供なんだから、自分の思い通りになる(と思っている)」→「いつも不機嫌で泣いてばかりいる子どもをもてあます」→「そんな子供と一緒なのは、お母さんにとっても辛いこと」という発想が、子供の真の状態を顧みない、大人側だけから見た発想のように思えてなりません。子供が「不機嫌」なのは、必ず医学的なり精神的に原因があります。

働いているママに関しては反対に、保育園に預けていることで、心無い年寄り(例:私の両親等)や専業主婦から「母性がないから、そんな小さなうちから子供を保育園なんかに平気で預けられるんだ」とか「働くことを正当化して、一種の育児放棄よね」なんて、言われているのです。
(私の場合だけかしら?)
また普段肉体的に密着していない分、子供に何かあったら、といつも不安です。
「マンゴぷりんさんのように、子どもとの時間を楽しめる人」?いえいえ、そのように努力している過程であって、そう自分に言い聞かせてなるべく自分を奮い立たせているのであって、皆が皆、お気楽にそう言っている訳ではないと思いますよ。「顔で笑って、心で泣いて」なんて、しょっちゅうです。

七夕さ〜ん
マンゴぷりん -- 2007年10月11日 22:29:32

  七夕さん、こんにちは!
七夕さんのBabyも、お元気そうでなにより。

七夕さんが不妊で悩んでらした時も、悩んで悩んで弱気になりながら、芯ではいつも「今は辛いけど、前向きにならなきゃ!」という心の内を、私はいつも七夕さんの文章から感じていたので、七夕さんが今お子さんとの時を慈しんでらっしゃる様子、目に浮かびますよ〜。

皆、その人なりに辛い場面がいっぱいあるんですよね。
でもそれにつられて負になってしまっては、その先何も進めない。
その辛い中で、少しの光を自分で探してそれに導かれた七夕さん。
そんな七夕さんの存在、私や他の皆さんのとっても大きな励みです。ありがとう。

叶うなら、いつかお会いしたいです。

引用された文について
たんぽぽ -- 2007年10月11日 14:35:26

   マンゴぷりんさん、こんにちは。

 まず、先日私の立てたスレッドに返信していただいたことにお礼申し上げます。私は、マンゴぷりんさんのことは変わらず好きですし、真面目な生き方を尊敬してもいます。そういうことについては、マンゴぷりんさんがどう思われたかは別にして、変らないということを確認させてください。

 しかし、今回の、こちらのスレッドの立て方については、疑問を感じますし、はっきりいってかなりショックを受けたことは事実です。マンゴぷりんさんは、御自分の書いた文章の一部を、その意図を全く無視して、出所も明らかにせずに引用され、別スレッドを立てられても平気でいられますか?
 そこを、御自分のこととしてお考えになってください。母親の時間ということについてなら、完全に自分自身の考えとして書いていただきたかったのです。

 まず、「日本の母親は自分の時間を持つことができず、くたくたになっている」という言葉については、田中さんの言葉ではなく、私が勝手にまとめて書いた言葉です。そういうところが問題になるとは思いませんでした。筆者の意図は、そこにはありません。そして、私の意図も全く違うものです。

「別の言葉で理解するなら、これは『子供に費やす時間を自分の時間と思えず、自分が子供の犠牲になっていると思い、精神的に疲れている』ということですよね。」と捉えなおしておられますが、それは、マンゴぷりんさんの解釈です。それもまた、筆者の意図とも私の意図とも異なるものです。
 
 「母親がくたくたになっている」という場合、特に専業主婦を指して言っています。朝から晩まで子どもにつきっきりで、閉じこもっているような人のことです。フルタイムで働いているお母さんは、保育所にお子さんを預けているのでしょうし、その時間は子どもから離れています。そういうお母さんの場合、「母子密着」という状態ではないでしょう。帰宅してお子さんと過ごす時間こそが「自分の時間」だと感じたとしても、当然のことではないかと思います。

 しかし、母親が子どもと二人っきりで閉じこもっていて、子どもが全く言うことをきかない場合、お母さんは、何が悪いのか、どうすればよいのかわからなくなってくたくたになるのではないでしょうか。不機嫌で泣いてばかりいる子どもと二人っきりでいることは、お母さんにとって辛いことではないでしょうか。その原因は、いつもお母さんが不機嫌であることもあるでしょう。そういう悪循環に陥ってしまったお母さんはどうすればいいのか。また、そうならないようにするにはどうすればよいのか、筆者の意図は、そういうところにあるとお考えください。

 マンゴぷりんさんのように、子どもとの時間を楽しめる人は幸いです。しかし、もし何か問題が起こって、他の人から「母性が足りないからだ」「母親がつきっきりで育児をしなかったことが原因だ」「もっと愛しなさい、抱いている時間が足りず愛情不足だ」と責められたら、どうでしょう。実際に、いわゆる専門家からそのように意見されるお母さんが多いということ、それを信じてもっともっと抱いて愛して子どもをきちんと育てなければならないと思い悩む人がいるということです。

 そういう状態にいる人、思いつめているお母さんに、「母子密着」にも弊害があるということ、むしろ「母子密着」こそが問題の原因となっていることを指摘し、通信教育を通して相談に乗っている人がいるということをお知らせしたかっただけです。

 マンゴぷりんさんは、専業主婦で子どもと二人っきりでいる人に、同じことを言えますか? 子育てが辛くなって苦しんでいる人に、「子どもといる時間こそが自分の時間」だと言えますか? 親のいうことを聞くことができず、どんな小さな不快にも耐えられない子どもがいることを否定できますか? 
 うまく伝えられなかった私も悪いのでしょうが、それでも丁寧に読んでいただければ、意図していることは分かっていただけたのではないかと思います。

 このことに関して、マンゴぷりんさんが、別の意見を持たれることを、批判するつもりはありません。私には私の考えがあり、マンゴぷりんさんにはマンゴぷりんさんの考えがある、それだけのことです。

 ただ、今回のこのスレッドについては、引用の仕方に問題があると、私は思いました。これもまた私の意見です。ここにどのようなスレッドを掲載するか、決めるのはVOICEのスタッフです。それについて何を言う気持ちもありません。
 しかし、もう一度お聞きします。マンゴぷりんさんは、自分の文章の一部を、出所も明らかにせずに勝手に解釈して引用されても、構わないのですか? 
 

再び、考え方について
ジェット -- 2007年10月10日 18:33:57

  マンゴぷりんさん
何度も他の方へした同じ答えをさせてしまい、申し訳有りません。
私も批判しているつもりも、批判と受け取っているつもりもありません。
ただ、一意見として受け取って欲しいだけなのです。意見を欲しいということでしたので。マンゴぷりんさんの(あるいは多くの母の?)思い描く母親像からはずれることを感じる人もいるのだと。
私は一人の時間を過ごすときに、頭の中に「子供たち」のことはありません。
(これは虐待につながるのでしょうか?)

幼児を一人残して、夜遊びに出かける親etc…
その結果、失う幼い命。私もいたたまれません。しかし、ニュースに流れるその両親の背景は見えてきません。

また
>昔というのは、戦前かもしれない
とレスされていましたが、本当ですか?

以前、父(戦中生まれ、15人兄弟上から13番目、貧しい農村出)が言いました。私の子育てに対して、「昔の人は子育てがうまかった」
私は思ったのです。「昔っていつ?自分は暴力暴言の父親だったのに、自分の母親(祖母)だって、満足にあなたを育てられない状況だったのに(姉兄たちにほとんど育てられたようです)」…言いませんでしたが。
両親を、あるいは、その世代を(仕事柄、応対することが多かったです)みていると本当に良い時代であったのか?と疑問しか出ません。マンゴぷりんさんの言われるように、ポジティブな部分だけをみていないからなのでしょうか…

私は経験上、疑い深いです。テレビで流れる程度の貧しいアジアの国々の子供たちは、局側に都合良く映されている、あるいは、親の考えが強く反映しているだけにみえます。現地で暮らしているわけではないから、事実を理解できる訳がないと。

物が豊かであろうと、貧しかろうと、実は関係ないのでは?(と密かに思ってます)
普遍なことは、子供は親が絶対です。幼少のころに何が間違いで何が良いのか判別はつかない。そこに、子供の守るべきところが有ると思います。

現代の人の関係の希薄さは私も気になります。とりあえず、母親同士、ご近所同士話す事(相手を否定せず話を聞く事、挨拶は必ず)を心がけてます。今の自分にできるのは、ほんと、こんな些細な事だけです。だから、偉そうに意見など言えないかもしれない。
子供の世代がもう少し、今よりましになっていればいい、と思うのはどの時代も一緒でしょう。その結果が現代である、というのも見過ごせないと思います。
長くなり、失礼しました。面倒であれば、返信不要です。

余談ですが、私も長男の幼稚園、嵐だろうがなんだろうが、二男の手を引き、全員でカサさして歩いて通ってます。サバイバルに生き残って欲しいので、その第一歩ってところでしょうか。

理想と現実の子育て!!
七夕 -- 2007年10月10日 12:38:31

  マンゴーぷりんさんへ
マンゴーぷりんさん いつも私の投稿に親身になって
おもいやりのある心のこもった お返事を頂き感謝しています

母親と子供をテーマにしての話題には今まで参加できません
でした 不妊治療時代に 知人 友人達と女性同士で
家庭のこと子供のこと仕事やら親のことやらで 世間話をしていました なにげない普通の会話でした ある一人の知人が
子供の事で悩んでいる様子で 皆が あ〜でもない こ〜でもない
と色々アドバイスをしていました 私も自分の思ったことを
その場で発言しました そしたら60歳くらいの知人が

「あなたは子供を産んだこともないし 育てたこともないのに
 子供を持っている母親の気持ちなどわからないはず 
 そんな理想論みたいなこと言って 本の読み過ぎじゃないの?
 子育ては 本や教科書に書いてあるようにはいかないのよ
 料理評論家が どれだけ講釈を並べても 料理職人のように
 自分で作れないのなら しょせん料理職人には勝てないのよ
 100人の評論家より 一人の実践している人間のが勝る」

私はそんなつもりで語ったわけではないけれど 
子供がいない私には いつか子供を育てることが出来る
日が訪れる日を信じて、私なりの理想や夢を持っていたし
昔とは違い 物騒な世の中だし 低年齢の犯罪も増加しているし
私なりの理想の子育て論を語ったまででした その内容は
(厳しさ)(甘やかさない)(今の親は甘やかしすぎ)
 (親子にもそれなりの距離をおくべき)などでした。

しかし!しかし!
私の考えは妊娠中期から そんな理想論など忘れ去り
今まで流産が多かったので中期からしか安心できなくて
お腹にいる子供に どんどん話しかけ 一心同体の子供のために
食べ物 環境 全てを健全に 過ごしたのです
お腹にいる時からすでに 大切に甘えかし 子供を抱けた時から
今日までも べったり甘えかしている状態です

だって赤ちゃんだもん40才過ぎて産まれてきてくれた子供
だもの 20歳代で出産して親子が過ごす時間とは違い
子供が私の年齢に達した時に 私がこの世で生存しているか
わからないし 一生甘えて子供も暮らせないでしょうし
親ばかだと言われても しょうがないほど 子供のための時間は
なんにも苦しいとは私も思いませんよ〜〜マンゴプリンさんと
まったく同じです 自分の時間の一部だと私も思っています

添い寝なんて私には当たり前 1センチでも近くにいてあげたい
くしゃくしゃに泣く泣き顔がまた可愛くて子育ての一瞬一瞬を
楽しみながら 今はふれあいを大切にしています 寝不足続きですが そんなの ずっとではないし 眠い目をこすりながら
夜中や夜明けに 子供の世話をしている今 私は幸せですよ!!

マンゴーぷりんさん 色々と がんばってらっしゃいますね
ここの場所で母親と子供の話題に参加できたこと嬉しく思います

また色々マンゴーぷりんさんの視点からのお話を聞けることを
楽しみにしています     それでは今日はこのへんで
                      七夕







 

 
 
 


パートナーなどの周りの人次第では?
ゆうか -- 2007年10月10日 11:03:02

  こんにちは。
皆さんの意見を読み一部うなずきながら釈然としないでいます。
人は支えあって生きているので、女性が…と単体で論じるのは、どうなのかなと思うのです。
私は、どんなに忙しくても物事がスムーズに動いていると充実しているためか疲れを感じませんが、逆に、どんなに時間に余裕があっても、イライラすることがあります。
「自分の時間が持てずにくたくたになっている」というのは、どんなに頑張ってもパートナーや周りの人に思った以上に評価されずにくたびれもうけした気になってしまう、ということなんではないかなと思いました。
自分の時間って人によってその定義が違うと皆さんの意見を読みながら思いました。
結局は、パートナーなどの理解が得られているかどうかで変わると思うのです。
どうでしょうか?
楽をしたいから幼稚園に入れるというのは広い意味で捉えたほうがいいと思います。楽をしたいから合理的な家事方法を模索する。楽をしたいから集中して仕事をする。子どもを生んでからそんなことばかり考えてます。ずぼら料理の奥薗さんの発想もそうだと思います。楽をして愛情こめて子育てするというのでいいではないでしょうか。

ジェットさん、パラダイスさん、ホブノブさん
マンゴぷりん -- 2007年10月 9日 22:40:24

  ジェットさん。

しゃぴろさんへのレスで重なる部分は、割愛します。
それと私は「ママが自分の時間を持つことが、悪い」とは、一言も言っていないので、誤解のなきように。
問題としているのは、ママ(パパ)の心の問題。育児放棄につながる心で、自分の時間を持つ(例:幼児を一人残して、夜遊びに出かける親や、パチンコ屋の外で待たなければならない子供たち等々、のことを取り上げています。
繰り返しますが、子供が自分に宿りそして産まれた以上、一緒にいても肉体的に離れていても、この世に存在するかけがえのない親子の時間なのです。「自分(だけ)の時間」ではないのです。お互いの絆の時間は、双方に同じように流れています。


パラダイスさん。

励まし、しか!と受け止めました。ありがとうございます。
今日も九州地方は豪雨でしたが、テルテル坊主姿の娘も、家に着いたころはちょっと疲れ気味(苦笑してました、ハハ...)でしたが、なんとか無事乗り切りました。
がんばります!


ホブノブさん。

ご質問の件、私なりに思うところを回答します。

1.これは主に核家族が浸透する前の時代で、主に戦前かもしれないですね。今よりも、ママが子育てで’ひきこもり’状態にならなくてすんだ時代。

2.「外国の」とありますが、私が提言しているのは「アジアの貧しい国」です。
「外国の子育て事情」については私は提言していませんが、あえて言うなら「素晴らしい部分は、素直に素晴らしいし、良いところは見習うべき」という回答です。
そして、「生きるために犯罪に手を染めていくことがどれだけ多いことか」ですが、私はそのことについては言及していません。歪曲されると困ります。物事には同じ名目でも裏表一体の部分もあるでしょう。
しかし、私は「貧しさ(から得ること)」を提言しており、ボブノブさんがおっしゃる事とはまったく別の事例と観点で、ポジティブに捉えています。ボブノブさんのおっしゃるネガティブな事例と私の本文とは、似ているように思うかもしれませんが、関連はありません。

昔はよかったのかしら?
ホブノブ -- 2007年10月 9日 16:02:59

  こんにちは。こちらのVoiceには初めて投稿させていただきます。

マンゴぷりんさんのご意見、基本的には賛成です。私も子供(4歳、2歳)との時間が自分の時間と考え、添い寝もするし、一緒に楽しく過ごしています。

子育てについては、とても有意義で貴重なご意見が他の方たちから挙がっていますが、どうしても理解できないことがあります。

1.昔の子育て環境はよかったって書かれてる方が多いのですが、ほんとにそうなのでしょうか?
私が育った場所は、いわゆる「低い」エリアでした(適切な言葉が思い浮かびません、ごめんなさい)。
それなりに楽しい幼少時代を過ごしましたが、悲惨な話が日常にありました。
お互いに助け合って生きてきた時代だと思われてるようですが、どうだったかなぁ。
人に対してランクが付いていましたから。
この地域は、現在かなり変わりました。悪くなった部分もあるかもしれませんが、育った私から見ると、よくなった部分が圧倒的に多いです。

2.そんなに外国の子育て事情はすばらしいですか?
マンゴぷりんさんが挙げていらっしゃった貧しい国の子供たち。「家族を助けたい」と目を輝かせながら、生きるために犯罪に手を染めていくことがどれだけ多いことか。

つたない文章でごめんなさい。
私個人としては、日本のお母さんはそれほど捨てたもんじゃないって思ってるんです。
他のスレッドを拝見しても、現在の子育て事情や将来に関して悲観的なご意見が多く、ある意味ショックです。

マンゴぷりんさん、がんばって!!
パラダイス -- 2007年10月 8日 23:56:52

  ホント、子どもあっての今の人生、子どもあっての今のワタシ。
マンゴぷりんさんに全面的に共感です!

それにしても、娘さんを一緒に自転車にのせてびゅんびゅん
はしるマンゴぷりんさんの姿を思い浮かべ、なんとしても
応援せねば、と思い今これを書いてます。

受験頑張って!走り続けましょうね!


親の育った環境、経験の違い
ジェット -- 2007年10月 7日 02:52:33

  マンゴぶりんさん、こんにちは。
投稿すべきかどうか、マンゴぷりんさんの提議を何日も読んで考えていました。
私が内容を読んで感じた感想は、しゃぴろさんがとても的確な文章で言ってくださいました。また、なおゆうぎさんの投稿も、常日頃体感している最中のことで、うなずいていました。私は5歳(幼稚園児)と3歳男の子育児中です。

皆さん、育児や教育には、自分の今まで生きてきた経験が考え方として出ていると思うのです。だから、これだけ意見が違うし、理解できないという言葉がでてしまう。

マンゴぷりんさんの言葉を考えてみました。
「母親は自分の時間を持つことができず、くたくたになっている」
パターンが何通りも有ると思うのです。マンゴぷりんさんが言われる「自分が犠牲になってると思う人」だけでしょうか。

また、私は、昔は教育や環境がおおらかで良かった…とは全く思いません。また、世界の貧しい農村・漁村の子供たちの「家族を助けたい」と目を輝かせる…輝いては見えません。

私の育った時代は、おおらかの陰に「無神経」「排除」「隠蔽(犯罪も含)」が多かった。けっして、現代は子供を育てるのに大変な時代じゃないと思います。むしろ、情報が早く「隠蔽」されにくくなってきているし、「排除」より「受容」の方向にきている。

これらが、私の感覚です。

私は子供時代の思いをなるべく忘れないようにしてきました。
マンゴぷりんさんの最後の言葉と対比させます。
「5歳と3歳の息子たちがいる事で、昔の自分の過ちを思い出すことができ、今の私なら、あの頃、子供の私がどうして欲しかったのか、して欲しくなかったのか理解でき、その上で、あなたたちに与えるべき事を与えることができる。そして、自分と違った成長を見られる。それが嬉しい、という毎日です」

もう一つ。
わたしは自分「ひとり」の時間が無いと、精神的に耐えられません。
だからといって、子供の犠牲になってるとも思いません。
そして、母親としての時間というよりは(子供も成長してきたのでずっと相手するということも、もうないですが)、家族一緒の時間が自分の時間となっている、というところでしょうか。

あらためて言いますが、自分の捉え方を述べただけで、マンゴぷりんさんを批判するつもりは毛頭ありません。マンゴぷりんさんのお嬢さんが3歳〜5歳ごろになったころ、また、経験をふまえてお話を聞きたいです。今は可愛い盛りだと思いますから。

さてさて、読み返してみて、自分の文章力のなさに、ちょっとへこんでます…

横ですみません。なおゆうぎさんへ。
kusuko -- 2007年10月 6日 11:18:29

  こんにちは。
下の,なおゆうぎさんの二回目の投稿を読んで,思わず「そうそう!」と
膝を叩いてしまいました。

地元の公民館の子育て講座というものに参加した事があります。
子供を公民館付属の保育室に2時間預け,大人同士が講師のサポートのもと
育児や自分の事について話し合うものでした。(週一回,4ヶ月間)
私自身,専業主婦として子供と二人きりの時間が多い日々に
正直少し閉塞感を感じ,「保育付き」に惹かれて申し込んだ講座でした。

最初はお互いに探り合い、何を話していいかもわからない,,,
そんなに深く考える気はない,育児の事を教えてもらえると思って
ここに来たのに,,,と、戸惑いの声が多かった講座でした。
でも回を重ねるにつれて,だんだんと、メンバーの「顔」が見えてきました。
見た目,いかにも今時のヤンママだけど,本当に子供を
自然体で愛していて,見習うところの多いひと。
口数少なく,単に「◯◯ちゃんのママ」に安住しているように思えたひとが
育児に悩み,その状況を打破したいと必死で心の中の葛藤と闘っていた事。
表情がなく何を考えているかわからない,,と思えたひとが,
自分の育児の悩みを他のメンバーが親身に考えてくれたと泣き,
いつの間にかグループのオピニオンリーダー的な存在になっていった事。
多分,表面的な付き合いではわからない,ひとりの生身の人間として
必死に闘っている姿がそこにありました。

この講座は私に「ひとは,関わらなければわからない」と言う事を教えてくれました(当たり前の事ですが)。そのことは子供に対する関わり方を少し変えてくれた気がします。そして,今まで苦手だったママ友との交流も。
ひとと関わるのが苦手、,,とずっと思ってきた私にとって,今思えば,すごく大きな贈り物でした。子供がいなければ、手にできなかったものです。

私は一人でショッピングしたりする時間、欲しいです。
自身が一人っ子のせいもあるのか,一人でいる時間がない状態が続くと息切れする方です。
添い寝,読み聞かせ,,,毎日やっていますが時々すごくめんどくさくなってしまいます。
そんな自分に嫌気がさす事もありますが,でもやっぱり子供の事はいつも頭の隅で思っているつもりです。
時々何もかもいやになり一人で家出したくなる事もありますが想像の中だけにしています,,,(苦笑)

なおゆうぎさんの意見に賛成。
みんな,子供の事を真剣に考えている仲間じゃないですか!

バンビさんへ、しゃぴろさんへ
マンゴぷりん -- 2007年10月 6日 10:07:52

  ご意見ありがとうございます。

バンビさん。
私もバンビさんのご意見に賛同です。
私は(土曜日も)仕事をしているため、実質一日中子供と過ごすことはできませんが、雨や台風の日でも自転車で保育園の送り迎えをしています。
(注:これは単に私の場合であって、良い悪いと言ってるのではありません。お金がないので、車が買えないのです)

私が子供を持って気づいたことの一つに、「良くも悪くも、子供は親を見ている。そしてその通りに育つ」があります。
家が貧しいために昼夜働いている母親の子供でも、お金持ちで何不自由ない生活をしている家庭の子供でも、与えられた時間は平等に1日24時間です。
その時間の積み重ねの間に、子供たちは自分の求めている愛情の矛先を確実に読み取り、その方向へ進みます。

事実私たちが子供の頃も、習い事や塾通いがありました。
ですが、親がお金だけ払って「人任せ」にしている場合は、やはり成長にも限界があります。その時決まって親がいうセリフが「あれだけお金を掛けたのに、無駄にして!」です。
逆に、子供と一緒になって出来る親の家庭は、子供の心と体の成長も著しいです。子供は親身になって一緒に頑張ってくれている人を、その気持ちをちゃんと見抜いています。

「積み木崩し」という話をご存知ですか?
「手抜き」をしたい親は、それはそれで良いと思います。私たちには何も彼らにしてあげられません。
親の過剰な愛も、手抜きの愛も、そののしっぺ返しは必ず、自分たち(親)にきますから。
子育てって、本当に楽しくもあり、難しくもあり。私の生涯のテーマです。


しゃびろさんへ。

これも誤解のないようにしたいのですが、私の文章全体としては、批判はしていませんので、それを前提にして下さい。
同じことを言っていても、受け手の心の状態で、それが逆に作用する場合があることは否めませんが。

「他者を思いやりながら注意深く見守っていく、必要なときに手を差し伸べるタイミングを失わない」という、しゃびろさんのおっしゃること、よく理解します。「人の立場にたって提案」も、その通りだと思います。

一方で、私はこう考えるんです。
怪我をしている人がいる。出血が止まらない。周りには誰もいない。自分が助かりたかったら、誰かを呼んで助けを求めるなければならない.....。
私たちは大人です。相手がSOSを出さなければ、救助したくともどうしようもありません。抱えて無理やりベッドに縛りつけ、手術を受けさせることはできません。
そして、そんな大人のワガママで子供がその巻き添えやその矛先になることが、どうにも受いけいれられないのです。
だからと言って、無理強いをすれば、逆に相手を意固地にしてしまい、余計に子供に被害が及びかねません。

「必要なときに手を差し伸べる」の’必要な時’とは、いつなんでしょう?判断が難しいですね。当事者以外、また時には当事者自身にも、誰にもわからない場合もあります。
「幼い子供が犠牲になってほしくない」という見解は、誰もが一致していながら、理想ではどうしようもない領域がある。本当に難しい課題です。

そして、同じことをしていても、楽しめる人、楽しめない人。ポジティブ・ネガティブ。楽観的・悲観的。どちらに自分の身を置くかは、その人次第です。周りが自分の意見を押し付けて、どうのこうの出来ることではないことのように思います。

外にも目を向けて・・。
なおゆうぎ -- 2007年10月 6日 00:11:30

   子育てをしている人は、自分の子のみならず、沢山の子供やその親と接しましょうよ。
色々話して接して、良い部分の発見も沢山ありますよ。

子供は敏感で頭がいいので、お母さんが接した中で沢山のことを身に付けますよ。

どなたかがおっしゃていたように、ここに投稿する我々は、忙しいといいながらも大変と言いながらも十分時間も余裕もあるんだと思います。息子が闘病中のときはそんなやりとりをしたいなどと全く思えませんでしたから・・。なので十分外にも目を向けられると思います。

こんな世の中になったとか、今の母親は良くない、などシャットアウトしてしまわないで、ご自身がもっと寛容になって歩み寄ってみましょうよ。 真の声が聴けますよ。

子育てでその都度悩まれるのは、それだけ自分の子供を愛し、一緒に生きているから。同じように悩んでいる人がここで見つかって情報交換出来れば素晴らしいじゃないですか。

悩んで、親として成長していくんですから。

今のお母さん達に感心出来る柔和な心でいませんか。。?
お化粧ばっちりしていても、毎日公園で子供を遊ばせている人。
働いてなかなか料理も作れないからというけれど、時間をかけずに栄養のあるものをと色々なレンジ料理を考案したり、幼稚園選びの中、この幼稚園は残した給食を子供が何のためらいもなくバケツに捨てていたと気にしていたり、我が家に遊びに来た後は必ずメールできちんとお礼を伝えてくる、、食器をささっと立って洗ってくれる人も。

少し深く付き合わないとわかりません。

子供の躾や教育はまず親がまわりとうまく付き合っていくことからはじまると私は思っています。

子育てしている、していないにかかわらず、このサイトで論じている素晴らしいことを、どうか身近な外に目を向けて実践していきましょうよ。

現に今くたくたの人がいるなら
しゃぴろ -- 2007年10月 5日 18:45:43

  結婚していますが、子どもはいません。
不快でしたらスルーしてください。

命を受け継ぎ、未来をになう子ども達が、守るべき大切な存在であることは言うまでもない大前提だと思います。

その上で、実際にその子どもを育てている母親達の中に、子育てにいっぱいいっぱいになってしまって途方に暮れている方が現に少なからずいるのであれば、子どものために、母親のために、私達は、社会は、何をしていくことができるのか。どうしていったらよいのか。ということが大切ではないでしょうか。

もてるもの(楽しんで子育てができる人)が、「こんなに楽しいのになぜ楽しくないの」と言っても、できずに苦しんでいる人には、かえって辛いように思います。
批判しているという意識はもってらっしゃらないかもしれませんが、すでに実行できている人にとっては何でもないことでも、人や立場が代わればできないこともあります。
今現在楽しめない人が、どうしたら、楽しんで子育てができるようになるのか。
現役のお母さんにしか分からないことを、できない人の立場にたって提案してほしいです。

また、子どもがのびのび健康に育っているのであれば、多少の放任は家庭の方針内であり、結果として生まれる人格は人類の多様性を示す個性の範疇であり、批判は杞憂のようにも思います。
子どもの発達に重大な結果を招く育児放棄であるのか、方針としての放任の範囲なのか、区別が必要のように思います。

虐待と、虐待の手前で苦しんでいる家族と。
育児放棄と、自由放任主義と。
現在進行形の時点で事実を簡単に区別することは難しく、場合によっては結果でしか判断できなかったということもあると思います。
ここでも多くの方がおっしゃっていたことですが、他者を思いやりながら注意深く見守っていく、必要なときに手を差し伸べるタイミングを失わない、ということが肝要なことかと思うのです。

その上で、どのように手を差し伸べることが結果に対してプラスになっていくのか、ということが模索されるべきなのではないでしょうか。


マンゴぷりんさんへ。
バンビ -- 2007年10月 4日 20:33:42

  同じ事を考えますが以下の発言でニュアンスの違う箇所があったらすみません。

比較的今のお母さんは甘えてると思います。きつく感じたらすみません。
何かにつけて甘えています。忍耐力も、辛抱も、欠けまくりです。
全員とは言いませんが傾向としてです。それ以外言葉がみつかりません。

三歳の息子がいます。来年から幼稚園です。近所のお母さんは、殆どがA私立幼稚園に入れます。B公立幼稚園があるのにです・・・。ワタシはあえてBに入れました。そこは手作りのお弁当に、保育はお昼まで。園のお手伝い(草むしり等)で親の出番が多い、というのが人気がない理由です。それでも、なぜAばかりに入れるのかが不思議意でそれとなく聞いてみました。(何十人も二聞いたわけではありませんが)その答えは、大方が「3時半まで預かってくれるて、自分の時間ができるから」「英語やリトミックを含め、殆どを園でやってくれるから」でした。まかせっきりです。私はたった3年、それすら我慢できない世の親に幻滅しました。A幼稚園を選ぶお母さんのそんな理由からは、ある種育児を放棄しているかの印象です。勿論それ以外にも納得できる理由の方がいましたが、殆どが「自分の時間の確保」「園がやってくれる(オムツが取れていなくても取ってくれる等)の為でした。手を抜きたいのです。

私としては、わが子ですのでなるべく手元において、しつけ・教育等させたいと思っています。そんなお母さんの人任せな考えに合うわけもなく、引越ししてからは、私はほぼ付き合いもありません。根本がまったく違うからです。へとへとになって育児してもそれがわが子に大切なプロセス・経験だとしたら、そのせいであれこれぼやくのはおかしいと感じます。

これは私の見解です。読まれた方で不快だと思われる方、すみません。ただ私の思うところですので、すみませんとしか言えません。考え直せるものでもありませんので、どうぞお気を悪くされませんよう・・。

劉邦さん
マンゴぷりん -- 2007年10月 4日 03:19:42

  劉邦さん。誤解をしてらっしゃるようなので、一言。

「母が楽をするために、添い寝はやめさせましょう」という提言をしたかのように矮小化−−−
ですが、私は基本的に母親よりも子供側の心配をしています。

大人の一方的な理論で結論づけ、それを子供に押し付けてしまって本当に良いのでしょうか?
本当に?

パフェママさんや他の方のレスにもあるとおり、夜泣きや異常なむずがりが、必ずしも子供の感情の起伏に起因していない、その当事者(子供)本人にはどうしようもない事が原因で、大人には理解しがたい状況になっていることもあるので、大人の目線から議論するよりもっと子供の側から考えることも必要なのではないでしょうか?
自分の投稿の末文あたりで「その幼児の身体的・精神的な原因を考え、幼児側に立ってその根本を取り除いてあげるような観察や努力が必須」とあることが、それに相当します。

つい昨日も旅館に来ていた親子が、「1歳の子供が泣き止まないから、布団をかぶせて馬乗りになって窒息死させた」という事件がありました。
虐待の主な原因はいつも「子供が泣き止まないから」が主因ですよね。

貧しい時代の話も同様です。子供の側から立つと、どちらが幸せなのかな、って思うのです。

昔の女性の家族内での重労働は、私達にはとても考えが及ばないほどの過酷なものだったと想像します。私自身も、今まで途切れなく仕事をしてきて現在シングルマザー状態ですが、昔の女性の立場が良いとは思わないし、自分が同じことができるとも思えません。
一方で、他に娯楽も情報もない時代だからこそ、家族の中のほんの小さな幸せに気付いて満足できる、女性が女性=母として単純だけど純粋でいられた時代だった側面もあっただろうな、と思うのです。

パフェママさんへ
rin -- 2007年10月 3日 19:37:49

  マンゴぷりんさん、横レスですみません。

パフェママさん、私のスレの占め後のレスを読みました。本来はあちらで返事するべきですが、閉めた後なのと、マンゴぷりんさんのスレのきっかけが私にも関与していると思いましたのでこの場をお借りして御礼を言います。

いくつかのパフェママさんの発言をあちこちで読ませて頂きましたが、本当に仰る通り、子供の事は表面では分からないSOSが有りますよね。

私の息子(22歳)も娘(19歳)も1歳の時に麻疹になり、おまけに外に発疹が出ずに中に出ると言う状態になり、二人とも生死を彷徨いました。

私もパフェママさん同様、病院のベビーベットで点滴を受ける子供を抱いて数日を過ごしました。時折疲れが襲って意識が遠のいてあっ!と思って目を覚ますと、点滴のチューブは外れ、血が逆流して噴出していた事もありました。

たった十数分でも1歳児は暴れるので本当に大変だったのを憶えています。今では笑い話になりましたが、その時の私の気持ちは一生でも抱いてやると言う気持ちでした。

夜泣きや躾についても泣く事が病的原因なのか、心理的原因なのかはよく観察する必要が有ると思います。
夜泣き=母親の未熟育児、更に密室育児とは限らない事を私は言いたいです。

もしも欧米でのゼロ歳児からの分離就寝や子供の諦めを促すような育児を肯定するなら、その子供たちが大人になった時の人との関わり方、例えば恋人や伴侶に対しての関わり方及び考え方、更には社会との関わり方考え方まで調査し、推奨して欲しいと思います。

もしもそうやって早い時期からの分離就寝や、淋しさや不安を諦める事で埋められた後の姿が、間違った「個人主義」と言う人格への序章だとしたら私は大変恐ろしいですし、その子供自体も不幸だと考えます。

私の昔の夫は母親から厳しい締め出しをされて育ちました。所謂自立心の強い男性に最初は見えました。
しかし彼の心の奥には満たされない愛情飢餓が育ち、人を拒絶しながら求めると言うジレンマに葛藤する大人として成長したのです。

彼は私の連れた娘に異常に嫉妬をしました。しかし表面上は「子供を甘やかし過ぎ」と言っていました。
でも必ず「俺の子供の時は・・」と加えられていました。

多分彼は私を通して自分の母親に早い時期から拒絶された事への怒りを感じ、私に対しても娘に「甘い」と異常なくらい訴えていました。

自分が満たされていない人が他人を思いやる事は難しいです。
長くなるので細かい事は割愛しますが、聞き分けの良い子供(諦める事を憶えた場合)の将来はある意味悲惨です。
私はこの件ですったもんだの果てに彼と別れました。

なぜなら彼と暮らすと言う選択は子供たちを最も不幸にする事、私自身も気持ちが安らげないと言う事でした。

彼は加害者では有りません。しかし彼の幼い時期に体験した育児は私の娘を打ちのめすに充分すぎるくらいにまで「怪物」となってしまったのです。彼はある意味被害者です。しかし彼と関わる人全てに彼はナイフを振り回すような対応しか出来なくなった根本は、言うまでも有りません。

これは決して極端な例では有りません。人生の出発から親の自己満足とエゴで育児された子供の将来は本人も周囲も悲惨だと言う事です。

同感です!
Hanako -- 2007年10月 3日 00:54:51

  マンゴぷりんさん、

以前“海外での高齢出産”にアドバイスいただいたHanakoです。
無事、6月に出産いたしました。皆様にお世話になったおかげで10年ぶりの妊娠、出産をエンジョイできましたことを感謝しております。

さて“自分の時間”についてですが私もマンゴぷりんさんと同じく子供に費やす時間は私の時間のうちと考えています。また子供のために時間を使えることをこころから嬉しく思っています。気がつかない方もいらっしゃるかもしれませんがそれは大変恵まれたことなのです。

今回10年ぶり、3人目の出産で今までしていた仕事もしばらくは諦め、今の状況で出来る仕事を始めようと考えています。(そんなに都合の良いものがあるかどうか…。)子供のために私のキャリアが犠牲になったとはまったく思いません。
子供がお母さんを必要としているのですから思う存分接してあげたいです。

皆さ〜ん、じぇんさ〜ん
マンゴぷりん -- 2007年10月 2日 23:17:38

  じぇんさ〜ん。お久しぶり!元気ですか〜???
皆さん。ご意見、お返事・お便り、ありがとうございます〜。

私は今、片道1時間の道のりを自転車で登園+通勤(フルタイムの臨時職員:病院勤務)しながら、夜は添い寝で娘を寝かせ、時々はそのまま朝まで一緒に寝てしまい、眠い目を擦りながらお昼と夜の時間にちょっとずつ勉強して、来年の学校受験に備える生活をしています。

いまだに炎天下の中、トライアスロン状態で毎朝ビュンビュン飛ばしています(笑)。ホント、良い運動になります。
最近は天気が良いのが救いですが、雨の時は私もぐっしょり、そして’てるてる坊主状態’にならなければならない娘がちょっと不憫です...。(自転車の後ろで、頭だけをチョコンと出し体は雨よけのマントを着ているので...)でも、彼女なりにキャアキャアと楽しそうです。

20ウン年前に忘れてしまった、「日本語の縦書き読(読みにくいぞ〜)」「受験漢字(漢字が書けな〜い)」「因数分解+三角形(昔から苦手...)」等々???と毎晩、問題集と奮闘しています。
「本当に昔こんなこと勉強したの???」というほど、最初はチンプンカンプンで、今でも「へえ〜、今の高校生って、頭いいのね〜」と感心している毎日です。若いって、素晴らしい!

以前チャットにチラッとお邪魔したのですが、あまりのスピードに便乗できず、最近はこの夜の勉強もあって、しばらくはこのVOICEも見るだけでした。
これから冬に向かって、受験本番なのでまたしばらくはこのVOICEも「見るだけ参加」になりそうです。(時々気晴らしに?出てくるかもしれませんが、ご容赦を!)

皆さんとは時間が経っても、きっとどこかでお会いしたい!と切望していますので、いつか、いつか未久さんの集まりででもお会いできることを楽しみにしています。
3年以上前の私のとんでもない決心・行動に、さらっと暖かいお言葉をいただいたこと、今でも私の心の中の大切な一ページです。
あの時があるからこそ、私と娘の今があります。

晴れて合格でき、新たに余裕のある気持ちでまた、ゆっくりお便りできたらと思います。
ありがとうございました。

女性にとって良い時代?
劉邦 -- 2007年10月 2日 19:24:58

  このサイトをよく読んではいたものの、一度しか投稿していない私ですが、気になって書き込ませていただこうと思いました。
私自身、1歳になったばかりの娘がいるシングルマザーですが、昼間は娘を保育園にお願いして仕事をしています。(蛇足ですが、娘は9時になれば一人で寝て、夜泣きもしない子なので、その面の苦労は今のところありません。)

マンゴぷりんさんご自身も書かれていますが、「貧乏子沢山」な時代の日本、今なお貧困にあえぐアジアの一部の国、これは決して女性にとって暮らしやすい社会ではありません。
(ただし、貧乏子沢山だった時代の日本にあっては「社会が子どもを育てる機能を持っていた」ということは、クレヨンさんも仰っていますが忘れてはいけない視点です。)

女性にとって決して良い環境ではない例を引き合いに出して、今の母親を批判する方法には、日本の現状を救う処方箋として、「教育勅語を復活させよ」と大真面目にぶちあげる政治家と相通ずるある種の単純さ、楽天さを感じます。
貧困の中で子どもを思う女性像は、お話の上では美しくもありますが、それを、女性自らが肯定し、美化してしまうのは、懐古趣味というにはあまりに認識不足で、危なっかしいお考えと思います。

豊かさと自由を得る一方で、社会がかつて持っていた育児力、教育力は失われてしまった。女性は子どもに接する機会もないまま母になり、密室育児の中で途方に暮れている。
そういった状況で、少しでも母の心身を楽にするためにはどうしたらよいか、という思いから、たんぽぽさんはあの一連の投稿をされたのではないでしょうか?(投稿のタイトルからもそう思えます)。
あたかも、「母が楽をするために、添い寝はやめさせましょう」という提言をしたかのように矮小化されるには、惜しい投稿だと私は思いました。

子ども対応スイッチ
クレヨン -- 2007年10月 2日 13:43:07

   現在、下の娘も幼稚園に通わせるようになって、核家族の専業主婦として行った乳幼児期の育児を振り返ると、私は全体としては楽しく苦ではなかったです。
 私は子どもは多くの親しい人々に囲まれて育つほうがいいと思っていますので、意識的にとりわけ夫の親族との関わる時間と機会を多く作ってきました。祖父母から離れている自宅周辺では近所や町内、子育ての仲間などとの関わりを大事にし、子育て支援の保育園もよく利用しましたが、平日の主たる保育者は私一人です。

 しかし体調や状況によっては育児を放り出したくなる事も、もちろんありました。その瞬間はやはりネガティブな思考に陥ります。時間的にも労働的にも余裕があることは十分自覚しながら、ネガティブな思いを持つこと自体後ろめたさもありました。
 それが、核家族で地域の人間関係が希薄な環境で専業主婦として、乳幼児の子育てをする者のつらさなのかなあと今になると思います。
 
 周囲との人間関係のつながりが薄い場合、育児のほとんどを母親が一人で行う環境は不自然でかなり異常だと実感しています。
 
 特に2才頃までは暇な時間があったとしても、子ども対応スイッチが常に「待機」の状態にあり、母親以外に保育者がいない状況が長くなれば長いほど閉塞感や不自由感を強く感じるように思います。

 また、普段の相手が乳幼児だけとなれば、母親自身、わが子の成長や育児のあり方や生活全般に対して客観性が失われて、自己評価が正当に出来ず、自信がもてず不安定な気持ちになることもあると思います。だから、だれか子どもの育ちを一緒に見てくれてOKサインを出してくれる第三者の保育者の存在も大事なのです。その支援が得られない人のつらさは大きいと思います。

 「私の時間」がなくて育児がつらいというのは、何も子育ての手間や時間がつらいといっているのではなく、子ども対応スイッチをオフに出来るか出来ないかなのではないでしょうか?

 お仕事を持っていられたら、その間誰かが我が子を保育してくれるわけで、子ども対応スイッチはオフなわけです。家にいる人でも近所に親がいたり、協力を願える人がいれば、短時間でもオフできるのです。それができなければ煮詰まることも当然だと思います。

 昔の農漁村部の母親について述べられていますが、これも同様で重要な労働の担い手である母親が稼いでいる間は、手の空いている家族が子守して、また、地域の見守りもあった訳です。
 子育てと母親の時間から見れば、子どもに対して常に待機している必要がない環境なわけです。自分の子の成長をたくさんの人の目や手を通して確かめ、子育ての方針を持つことが出来たのです。

 産気づいても働くような労働が課せられて、代が変わるまで自分の自由になるのは嫁入り道具のたんすの中身だけという、私には絶対務まらない嫁をやりぬいた義母は、「逃げ道もちゃんとあったし、話す仲間もいたし、つらいばかりじゃなかったよ」と話してくれます。
 豊かになって失われたのは、思い通りにならないとつらいと感じる私たちの我慢力と、地域に普通に暮らすだけで築けた人との関わり、つながりなのではないでしょうか。そして、子どもの大人抜きの自由な時間。

 乳幼児期であっても、子どもを見ない時間をもつことも大事だと思います。一緒にいても母は自分の時間を、子どもも自分の時間を過ごしている。親も子どもも気分がよくてのんびりしているようなとき、同じ部屋にいても子ども対応スイッチをオフにして、子どもも母親も対面する行き詰まりから抜けられると思うのです。

 子どもはかわいいです。しかし、かわいさのあまり子どもの領域を侵害するようなことだけはしたくないと思っています。
 また、子どもに大人の親の領域を勘違いさせない厳格さも持ちたいと思いながら子どもと関わっています。
 
 私は毎日子どもに、わが身の弱さ身勝手さをあぶりだされています。子は親の鏡。親がなくても子は育つ。蛙の子は蛙。頭の中を常に走らせつつ子育てしています。


 

実際に余裕がなくなると・・・
パフェママ -- 2007年10月 2日 11:26:46

  色々な意味でパニック状態になるママさんはよく「子育てのせいで自分の時間がなくなった」という発言をしますよね。
また若くしてお子さんを出産された方も独身で好き勝手している友人と自分を比較して「自分の時間がない」といった発言をすると思います。
逆にこちらのカテに来られる方々(私を含め)の場合には「子どもが欲しくて欲しくて。。。」という気持ちが強いために「子どものためは自分のため」といった強固な意志の強さを感じます。
ですからこそ「自分の時間がなくなった」と嘆いている方に「昔と比較して・・・」と言うのはちょっとNGかな?なんて偉そうに思ってしまうわけです。
だからといって私は「乳幼児へ早期からの『諦め』を教えることは躾の一つだ」という考え方は断固として反対です。

私はWMなので子ども達は平日の日中は保育園に行っております。
そのため私と夫は自宅に子ども達と一緒にいる時間と私たちが仕事が休みの日で子ども達が起きている時間については常に「子ども時間」を優先に過ごしています。
私たち夫婦の子育ての合言葉は「子どもには(可能な限り)手と目をかけて育てていこう」です。
次男はまだおむつも取れていない1歳1ヶ月なのですが、皮膚が非常にデリケートなタイプなので保育園でも自宅でも布オムツを使用しています。
(もちろん長男もおむつ時代は同様でした)
毎日10組〜20組近いおむつを洗っています。(まぁ洗濯板で洗った後は洗濯機にぶち込んでいますが・・・)
食事も舌が肥えていると言えば聞こえがよいのですが、二人ともうるさいタイプですので離乳食時代からレトルトは一切使えずすべて素材から作った食事を食べさせています。
乳児期の主栄養はもちろん母乳です。
長男はお腹が弱い体質で食事については要注意を言われていたものの、生まれ月の関係から認可園に入園する前の半年と認可園在籍半年間(合計1年)は離乳食の弁当を毎日作って持たせていきました。
今は次男の食事については保育園にお任せ出来る環境にあり、長男も特定の食材一品を除いては普通に保育園で出される給食をおいしく食べることが出来るようになっているため弁当は行事のときくらいしか作りません。
ですが、2人分の保育園での衣類の洗濯や連絡帳の記入。家族全員の朝晩の食事と親達の昼食の弁当、自宅の掃除・・・etc
かなり手を抜いてはおりますが、連日夜は23時近くまでかかり朝は4時起きです。
7時20分に長男の手を引き次男を抱っこで2箇所の保育園に送迎をして会社に出勤しています。

こんな私の姿を見て私の後輩(MW)は「たまにはひとりでショッピングしたり映画を観にいったりしたいと思わないのですか?ご主人とデートに行ったりしないのですか?」なんて言ってきます。
要は「自分の時間が欲しいと思わないのですか?」と疑問に思うようです。
彼女は私よりも8歳年下でお子さんは次男よりも半年年上の男児が一人。
(WMとしては私の2回目の休職よりも8ヶ月前から産休を取り、職場復帰は同じときになりました)
ご主人とのデートや自分のショッピングのためによく実家に息子さんを預けて自分時間を楽しんでいるのだそうです。
ただ私にとってはひとりでショッピングに行くよりは夫や子ども達とみんなで買い物に行く方が楽しいし、映画も嫌いではなかったけどまだ小さな息子達に大音響の閉鎖空間に連れて行くリスクを考えたら一緒に水族館や動物園に行きたい」と思うのです。

恐らく価値観自体が違うのでしょうね。
一時期はそんな彼女の言動を見て「母親としての自覚が足らない」なんて憤慨していました。
ですが、最近では「人は人」「私は私」とも思うようにしています。

ちなみに子ども中心に育てている我が家の息子達ですが、非常にご近所の年配の方から可愛がっていただいています。
新宿からもすぐ近いかなりの都会に生活していますが、まわりの方もよく声をかけてくださいます。
何故かというと我が家の息子(長男)は朝「挨拶をすることが大好き」なんですよ。
ですから朝の7時過ぎに玄関前を掃除している年配の方ととても仲良くなるのですね。
「手前味噌」ですが、長男はかなりしっかりしていると近所でも評判が良いです。
でも添い寝はまだしっかりやっていますよ。

先日のレスですが私も衝撃を受けました。(別途レスをする予定ですが・・・)
恐らく「甘えの享受」と「甘やかし」というものが区別出来ずにいるための内容ではないかと推察します。
私の二人目の母は教員(昨年度末に定年退職したWMとしては大先輩)です。
この母の持論ですが「母親は常にどんなときでも子どもの味方である存在でいるべき」である。というものがあります。
ただ勘違いして欲しくないのが、これは「子どもを甘やかせ」と言っているわけではありません。

未だに「添い寝」をしている長男ですが、スーパーなどで「あれ買って!!」などとごねた事は一度もありません。
我が家では買い物をするときに「今は○○を買いに行くよ」と買い物の目的をきちんと長男に説明してから行くことと衝動買いをしないことを意識しているために起こらないのだと思います。
お菓子などについても色々と制約を未だに課しています(飴・ガム・グミ・チョコなどはママが嫌いだから食べないのと息子には説明しています)
ですから病院の診察のあとに配られている飴も食べません。
本人は「僕は飴は食べないとママと約束しているからいらないの」と言っています。
おもちゃもクリスマスと(自分の)誕生日だけおじいちゃん達からもらえる。他のときは買わない。
一つ一つ手間でしたが、きちんと対等に話をして説明をすることで本人は納得しています。

「赤ちゃんでも人として尊重して・・・」と言っていた方が「諦める」ことを子どもに教えることを薦め「説明すること」を薦めないことに疑問を感じました。躾を論ずるならば「説明すること」を薦めるべきですよね。
非常に手がかかった乳児期を越えて幼児期に突入した長男を見ていると余計に「甘えの享受」の重要性を感じます。

余談ですが、昨日長男は日本脳炎の予防接種をしました。
事前に「今日はこの前やった(2回目なので)注射をしに行くよ。痛いけど病気にならないようにがんばろうね」というと息子は「ママ、痛いから泣いても良い?」と聞いてきました。
「そうだね。注射は痛いから泣いてもいいよ。ママも実は注射は痛いから大嫌いなんだ」と話をしました。
実際に注射をするときに「がんばった」と長男を抱きしめて上げられるように次男をおんぶして注射に挑みました。
もちろん注射をして号泣。
ぎゅっと抱きしめて「よくがんばったね。これで病気にならずに済むね」と絶賛しました。
少しの時間ですがしっかり泣かせたあと「痛いの痛いのパパのところに飛んでいけ」と言って「よし、もう痛いのはパパに飛んでいった」と言うとピタッと泣き止みました。
そばで見ていた小児科の先生(かかりつけではなくワクチンの関係から以前お世話になった2年ぶりの受診の先生)は「相変わらず良い親子関係が出来ているわね。○ちゃんの顔を見ていると良い子育てをしているのがわかるわ」とお褒めの言葉をいただきました。
この先生ですが「子どもの心相談医」もされている方なので最高の誉め言葉でした。

働くお母さん
sachi -- 2007年10月 2日 00:32:48

  日本のお母さんは自分野時間をもてずにくたくたになっている、とのことですが私はアメリカで育児をするお母さんですが、やはりくたくたになっていました。

私は少し趣味程度で働くだけで普段は専業主婦なのですがずーと子どもと一緒というのは疲れるんです。
いいお母さんをしなきゃ、と思えば思うほど疲れるのです。
働くおかあさんは子どもと接していない時間があるからこそ育児の時間を楽しいと思えるのです。
そんな人は思いっきり添い寝を楽しめばいいと思います。

四六時中子どもと一緒のお母さんは子どもが寝てるときくらい一人になりたいと思うのです。
育児についていろんな方法がいろんな形で流れていますが理想論があるとそれに添えないお母さんは非常に窮屈です。
母乳ができればすればいい、したくなければしなければいい。
添い寝したければすればいい、できない、したく状況ならしなければいい。
基本は愛です。
愛があればきびしくしつけてもいい。
べたべたした愛だけが愛じゃあないということをどなたかはいいたかったのではないでしょうか。

いろいろあっていい!!
rayuko -- 2007年10月 2日 00:01:56

  こんにちは。rayukoと申します。久々にのぞいてみて一言言いたくなったんで出てきました。
私は、現在44歳で中学生と三才の子供を持つものです。
結論から言えば添い寝だっておっぱいだってまた母親が自由になりたい!!と思うことだってその親子それぞれでいいのではないでしょうか?

仕事に没頭することが自分の時間である人もいれば、ショッピングや映画、食事にでかけるのがそうである人、24時間の子育ての中でそれを感じる人それぞれではないでしょうか?その家庭家庭にいろんな形があって私はいいと思います。何より大切なのは子供にとっての母親はわたしたちでしかないということ・・楽しい時にはともに楽しみ、子どもが不安や悲しみを発信している時にいち早く察知して寄り添ってあげれる・・それが母親ではないかなと三人の子育てを通して今感じています。母親が何かで煮詰まってしまっていてはそれはできないですよね。そういう意味で自分の時間・・・リフレッシュできる時間って人それぞれあっていいと思うのです。

添い寝に関して言えば上二人も10年ぶりの次男も寝る前は本を読んで一緒にお布団に入るのが私のやり方です。別にそう私がしたいからしている事で何かのすすめがあったからしているわけではありません。本能みたいなものでしょうか?忙しくて構えなかった日、私の虫の居所が悪く理不尽な叱り方をしてしまった日・・・いろいろあってもこの時間はすべてをリセットしてくれるように思います。本を読んでいる時の楽しそうな目寝付く前に投げかけてくれる安心しきったまなざし・・・私にとっては至福の時です。

育児に正しいやり方はこれというものはありません。だからと言って育児書やネットの情報が間違っているわけでもなく、保健師さんや先輩ママの意見も参考になる場合もあります。いろいろな意見知識を知りかつ自分の育児にはうまく取捨選択していくことが大切ではないかなあと思います。

とにかくどんな方法でもすべてのママが気持よく楽しく育児に取り組めること・・・ママが幸せな気持ちであれば子どもたちも幸せな気分になれる・・そう思います。そして安心できる心の基地があれば一歩一歩自立していけるんじゃあないでしょうか?

ご意見、ありがとうございます。
マンゴぷりん -- 2007年10月 1日 23:13:29

  ごめんなさい、ちょっと言葉が足りなかったかな?

提題の意味は、「自分の時間が欲しい」・・・と思うことが母としてマイナスだということではなく、「子供がいる間は、たとえ子供が周りにいない場合・時間であっても、母として常に子供を思う気持ちがあるかどうか」を問いたかったのです。
だって、自分が美容院にいても子供が保育園にいても、子供のことは「どうしてるかな〜、って気になる」いつでも「大丈夫かな?ちょっと心配...」じゃありませんか?
もしそうなら物理的に子供と離れていても、それはもはや「自分だけの時間」ではありませんよ。
そういう母親の心の問題を提言したつもりでした。

なおゆうぎさんが「添い寝をしてあげてほしい」と、公務員母さんが「プラス志向で行きましょうよ」と、ちびいぬさんの「ものは考えよう。産んだからこそ、楽しみが増えたんですから」と、rinさんの「息子が愛しい」と、まいやさんの「この子がいるから頑張れるんだよ」と、サリー紫さん(お久しぶりです、こちらこそ!)が「楽しい!かわいがらせてくれ〜」と、りお☆さんが「母の喜び」だと...。そうなのです。私が表現したかった「母親としての時間」の意味が、まさに!これらなのです。

「どれだけ子どもに関わる時間があるかどうか」その時間の長短や、実際に「'子供に長時間かかわれるか」「'母子密着’の状態にある(いつも子供と隣り合わせにいる)かどうか」という、物理的な定義ではないのです。

母親が家族のために昼夜働き、たとえ家族とずっと会えなくても、その思いが通じるような精神的つながりがある親子関係なら、物理的に離れていても、お互いの思いやりは通じるし強いものだと思うのです。
子供は賢い。親の背中の意味を、親の不在の意味を、親がどういう感情でいるかを、彼らなりに理解します。

一方で、お金や物に溢れてその価値や人間としての質が分からなくなった人の結末のほとんどが、昨今の死傷事件や醜い争い事で終わるケースのなんと多いことか!
そしてその中で幼い命が犠牲になったり脅かされるたびに憤り、いたたまれません。

また「しつけをしない」(rinさんがおっしゃっていた、沖縄の野放状態の話に通じます)ことも、私は一種の立派な子供への虐待と考えます。
子供への虐待はその父親・母親だけの責任ではなく、その親が育った環境・周りの大人を含むその社会全体とも決して無縁ではないのです。たとえ逆ギレされても、'見てみぬふり'ができないのです。

余談ですが、私は子供にたっぷり「貧乏、でも品良く、面白く!」「'もったいない'はすばらしい」(アフリカのマータイさん?は良いことをいいました!)を教えてあげたいと思っています。
実際に貧乏なので、そう難しくないかもしれません(笑)。
本当にそれはりっぱな'日本の美学'だと思うのです!そこから工夫し学び取る力を養ってほしい、という母の勝手な思い込みですが...。

多分。
kumako -- 2007年10月 1日 22:43:09

  >日本の母親は自分の時間を持つことができず、くたくたになっている
というのは、仕事と家事がほとんど母であり妻である人の仕事であるのに加えて子育てが加わり、自分の時間がないのではなくて、子供と接する時間さえないのでくたくたになっているという事ではないかと思います。

昔の女性は確かに家電がなく仕事も多かったですが、子育てに関していえば、多世代家族で一人で背負う事ではなかったので、その辺りが今とは違っていたのだと思います。

子供といる時間がどれだけ幸せかという事が分かるのは、子供を授かった経緯や、子育ての環境にもよると思います。

私は、長男を21歳で、長女を24歳で出産しましたが、その時は確かに可愛かったですが、周りに独身の友達しかいなかったので、何となく孤独感があり、母も若くバリバリに仕事をしていて、主人も会社の同僚に誘われて毎週のように飲みに行ったり、休みの日も遊びに行ったりしていた事がうらやましくて仕方なかったです。

その時は、若かったし、いつか自分にも自由な時間が訪れて、好きな事ができるようになるなんて思えなかったし、両家の初孫である長男をしっかり育てなければと自分を追い込んでいて、可愛い子供も時には悪魔に見えた事もあります。

そして生まれた次男は現在1歳3ヶ月。
再び子育てに入る事に抵抗はありましたが、なんと可愛い事。
なかば孫なのでしょうか?
何をやっても、「これももう少しすれば見れなくなる」と、どんな仕草も見逃してなるものかと思ってしまいます。
今は柔らかいスベスベの肌も、やがてはいろんな毛が生えて来てしまううっと、全身触りまくっていますが、それが「タッチセラピー」だったり、加えて娘が手伝ってくれたり、主人も出かけるのをセーブして一緒に子育てにつき合ってくれるので楽しさも倍増です。
周りの友達もあまり年の離れていない子供がいるので話も会うし、今更ながら、「子育ては結構楽しいな」と思っています。

添い寝は、飛んでくる子供達のパンチとキックで夜中に「うっ」となる事が増えたらやめるようにしています。
私は結構神経質で、子供の事が気になると目が覚めてしまうので、手が届くところに
いないと起き上がって行かなければならず、余計大変なのでそういう事にしました。

上2人が大きいので、小さい頃に、時にはシングルベッドに無理矢理3人で寝て、笑いすぎて余計に眠れなかったときの思い出話をしたりと、19歳になって今ではすっかりオヤジ臭くなった息子と話が盛り上がる事も度々です。

上の子供達がそこそこ親離れを始めた今、やっと「子育てってこういうことか」と思うこの頃です。

子供との関わり方っていろいろです。
どの子もそれぞれに個性があり、母親でもどの子も初めて育てる子供です。
子供を楽しんで育てられる家族を作る事が大事かなと思います。

私は離婚経験者です。
今の家族での楽しさは、前夫では考えられませんでした。
私に楽しい家族をくれた主人にも感謝です。

スレから離れてしまってすみません。
ちなみに私は子供の鼻水は吸えます。長男のときは風邪のときはいつもそうしていました。
どんな器具を使うよりもしっかりと吸えます。

ちょいと話の趣旨がずれますが
姫 -- 2007年10月 1日 22:13:27

  こんにちは。

マンゴさんのスレ読みながらそうだそうだ!と頷く私ですが中学もロクに行っていない馬鹿な私でもよく考えるのは
今は豊かすぎて感謝・ありがたみの気持ちが少なくなってしまったな〜って事です。

身近では携帯電話は初めは電話が持ち歩けることに驚きましたが、今やネットに写真にテレビまでついても驚きもないですね。でもそこまでして見たいテレビもないし私は携帯は話せれば十分。

子供のころアパートの外の共同ボットン便所に共同風呂。当たり前に思ってたので嫌とも思わなかったけど。

離婚した当初は子供だけ連れて家を出て、テレビも冷蔵庫も洗濯機もなくクーラーボックスにスーパーでもらってきた氷をいれ、百均の洗濯板で洗って。本当に貧乏でも今の生活が恵まれていることに感謝しています。

「子供の時間=自分の時間」

素敵だなっておもいます。
うちは現在2LDKに7人暮らしなので6畳の部屋に長男以外6人で雑魚寝状態ですが、添い寝しようとチビ2人を呼んでも来てくれません(TT)

毎晩兄弟で布団で暴れまくりながらそのうち適当な場所で寝てしまうパターンです。

今長男が高校2年ですが、次男中2、長女次女小6の4人までの子育ては、今思うと凄く適当にというと言葉が悪いのですが、無知で無謀でした。

三男年中・四男年少は、上と間があいたので上4人の手助けと自分も歳をとって少しは利口になったのかものすごく気持ちに余裕が持てて子育てが楽しくて仕方ありません。

上の子たちの時には必死で気がつかなかった発見がたくさんあります。

3年前に親が名古屋から九州に引っ越してしまったときに、私がまともに家にいたのは14年間くらいでそのうち保育園に行ってる時間、学校に行ってる時間、遊びに行ってる時間、寝てる時間を引いたら親と接した時間がほんのわずかしかなかったことに初めて気づいて後悔しました。

子供と過ごす時間は人生のほんの一時でしかもまだ幼児のカワイイ手がかかる時期なんてアッという間に過ぎて行ってしまいます。

仕事にも連れて行きたいくらい可愛いです^^
でも私って根が面倒臭がりなのでいくら可愛いとはいえ離乳食を作ったりしたことないんです。哺乳瓶も使ったらすぐゆすいで伏せてまた使うときにもう一回かるくゆすいで使って消毒なんてしたことないです。なんだか消毒液のほうが体に悪い気がしてどうも・・・
その他いっぱい手抜きしてます。
友人から「原始的子育て」と言われています。


やることは手抜きでも、物は無くとも愛情はたくさん与えてるつもりです。
母子なので父親の分も!と頑張っても仲良し夫婦の家族にはやっぱり1人では及ばないかもしれませんけどね。。。

なんだか支離滅裂馬鹿丸出しの文章で申し訳ないですが

マンゴぷりんさんの

「子供との時間=自分の時間の1部」
という思いがあれば子育ても楽しいのではないでしょうか。



いろいろですね!
じぇん -- 2007年10月 1日 22:07:03

  マンゴプリンさん!お久しぶりです。
お元気でいらっしゃいましたか。うちの娘もはや9ヶ月となり、時の経つのの速さを身にしみています。

マンゴぷりんさんのスレッドを読んで、私って自己中なのかなって思ってしまい反省しました。すごく性格のいい娘なのに、(普段は気を使ってくれているのか、一人遊びを結構してくれていますが)ぐずったりしたら、もお〜〜って思ってしまったりします。せっかく仕事しようと思ったのにって。なんという母親でしょうね。

だめ母からは優れた子供(というか独立した子供)が育つと聞いたことがありますが、うちなんて、もっと小さいときから、一緒におねんねしようね〜とか言っても、嫌がって、一人ベビーベッドに寝かして、大好きなモビールをかけたら、喜んで寝てくれます。いまだに一人で寝るのが好きな変わった赤ちゃんです。(でも、そのおかげですごく助かっています)

あんなに大変だった妊娠中もしっかり育ってくれて、あんなにリスクが大きかった出産なのに、しっかり産まれてくれた、だめママとは正反対の理想的な娘です。

マンゴぷりんさんの投稿を読んで、こんな娘に感謝しなければ、もっと大事にしなければ、とつくづく思いました。ほんとうにありがとう!!!

メール交換したいなぁ〜〜〜。いかがでしょう?!

たぶん・・・
うずら -- 2007年10月 1日 17:41:25

  よく言われてる「自分の時間」というのは本当は「子供と離れたい時間」なのかもしれません。私も産後9ヶ月から月に何日か仕事を入れましたが、お化粧をしたりスーツを着たり、電車に乗ったりがとても新鮮で仕事も楽しく感じました。帰ってきたときに見た子供の笑顔も格別でした。いくら親子と言えど24間365日密着しているのはキツイと思います。働いていない専業主婦にとって美容院や買い物に行きたいというのが唯一周囲に預けられる理由なのかもしれません。では「働けば?」と言われるかもしれませんがこれも人それぞれ働けない理由があると思います。

私の周辺のお母さんを見ていると子供が大好きでいつも一緒にいたいと言っている方はいい意味で手を抜いたり泣いてもあまり気にしないおおらかなタイプが多い気がします。私は変に生真面目なところがあり部屋もいつも清潔にし哺乳瓶も1年たっても消毒してたりと神経質なところがあり今思えば真面目にやりすぎて子供との時間が楽しめなくなっていたと思います。

「自分の時間が欲しい」と言っている方は周囲に知り合いや親がいなくて旦那様も出張がちで帰ってくるのも遅く、一人にならないと気分転換がしにくいのかもしれません。専業主婦の方は子育てがきつく感じてもまわりからは気楽で贅沢といわれて追い詰められることもあるかもしれないです。それぞれの置かれた環境で育児のあり方は変えていいのではないでしょうか?子供に笑顔で接していられる母でいられるように。

個人的意見ですが・・・。
いちまま -- 2007年10月 1日 15:20:36

  マンゴぷりんさん、こんにちは!

難しいトピックですね。トピを読んで、子育ての時間が自分の時間と思える人は心に余裕があるんだろうなと個人的には思いました。

昔は、電化製品などもあまりなく、母親は家事にもっと時間をかけなければならず、大変だっただろうと思います。が、今とは環境が違うかなとも思います。昔は核家族は少なかったですからね。おじいちゃん、おばあちゃんが助けてくれて、子供も多かったので上の子が下の子の面倒をみて、近所の人が声を掛け合い、母親一人の肩に重荷が乗っかっているような現代の状況ではなかったような気がします。

今は父親は仕事で遅い。おばあちゃんは遠方。子供は一人か二人。近所づきあいもあまりなし。情報が氾濫していて子育てはこうしたほうがいい、子供にたっぷり愛情をかけましょうなど、母親にばかり負担がいっているような気もします。子供と向き合おう、向き合おう、とがんばりすぎて疲れている人が結構いるんじゃないでしょうか。

私は子供との時間=自分の時間とまでは言えないですが、子育ては楽しいですし、子供の成長や子供の喜びは私の喜びでもあります。
仕事をしているので、子供と離れている時間もあるからそう思える部分もあるのかなと思っています。保育園の先生に助けられ、私は結構近所づきあいもしているので、近所の方に助けられ、おじいちゃん、おばあちゃんも近くに住んでいるわけではありませんが、かわいがってくれます。主人も休みの日は助けてくれます。いろいろな人に支えられているから、子供がかわいいと思える余裕があるんだと思います。

もっと他人も巻き込んでみんなで子育てするように心がければ、子供と関わる時間=自分の時間と思える人が増えるのかな?と個人的意見ですが、そう思いました。

ご自分をよく振り返ってみていただきたいです
えんじぇる -- 2007年10月 1日 11:52:06

  まいやさん以外の皆さんは、かなり厳しいご意見をお持ちのようですが、いっぱいいっぱいのお母さんは、こうしてパソコンに向かう「ゆとりの時間(はっきりいって自分の世界に引きこもっているかなり贅沢な時間だと思います)はないのではないでしょうか。
そういったご自分達のありのままの姿も認識されてから、「自分の時間」というものについて考えていただきたいと思います。

添い寝の楽しさも
りお☆ -- 2007年10月 1日 10:50:51

  うちは年末に4歳になります(息子)が、まだまだ添い寝は続きそうです。
確かに、1歳半頃の、おっぱいでもなかな寝てくれず、大変だった時期もありますが、今くらいの添い寝は楽しみも結構ありますよ。
最近よく、「今日は○○のお話しよう♪」といって、2人で並んで寝ながら、順番に話しながら1つのストーリーをつくっていくのですが、それはもう単純に、
「○○(息子)は、あんぱんを選びました。ハイ、ママ?」
「ママは、クリームパンを選びました」
のようなお話なのですが、暗い中で、息子の可愛い声を相手に一文ずつキャッチボールをし、最後に「おーしーまい」といって、眠り体勢にはいる(「とんとんして〜」と手をつかんできますが)、その満足そうに眠りにつく姿は、母の喜びでもあるなあと思います。
一人で布団にいく子も、独立心旺盛でいいと思うし、各家庭様々かな〜と思います。

期間限定! 今だけのお楽しみ
サリー紫 -- 2007年09月30日 23:55:58

  マンゴぷりんさん、おひさしぶり、お元気そうで何よりです。
もちろん、人それぞれで正解なんてないんでしょうが、
私の場合に限っていえば「子供に費やす時間=自分の時間」です。
だって、たのしいんだもん。
私はうちのちびさんに逢えるのを楽しみに午前中仕事をこなし、
昼休みには託児所にかけつけます。最近はママがわかるようになったので、
私をみるとにこ〜〜〜っっと笑ってくれます。
午後も、早めのお迎えを目指して、がんばって仕事をこなします。
夜は、おんぶが大好きな子なので、おんぶして、持ち帰り仕事や家事をします。
ちょっと腰が痛かったりしますが、ちびさんと一緒にいられてうれしいです。
夜も添い寝です。「子供は子供部屋で一人で寝る」のが常識の米国で、
私は私のやり方を通してます。だって赤ちゃんの時期なんて、ほんのわずか。
こんな期間限定の特別な時期は、できるだけできるだけ、一緒にすごしたいですもん。
また添い寝の方が夜中の授乳、その他の対応に楽っていうのもあります。
横でむずがってたら、はい、お好きなだけお飲みください、ってお出しして(笑)
またがーーっと眠りに戻って。
レストランも映画も一緒につれていきます。大抵はおりこうさんにしててくれますが、
騒いじゃう時にはすぐに外にでて、気が済むまで抱っこして歩きまわります。
私の甥っ子なんてこないだまで赤ちゃんだったのに、今年は大学生になりました。
子供の成長なんて、ほんとにあっという間ですね。
うちの子もすぐに大きくなっちゃって、親離れしちゃうんだろうな。
私も今から「子離れ」の心づもり、しておかなきゃな、と思いながらも、
あと数年は、べったりこのかわいい時期かわいがらせてくれーーーーっと思ってます。
今、レスしているこの瞬間は横でお昼寝してます。あぁ、かわいい、かわいい。

それぞれの子育て
まいや -- 2007年09月30日 17:04:48

  45歳。自然妊娠で42歳で授かった3歳の元気な男児の母です。
うちは自営業(酪農+乳製品製造)で365日休みはない生活です、息子は去年から地元の保育園に通っています。年はとっていますが義母も育児協力をしてくれます。夕方は今は私は息子に食事を作って遊んで牛舎は義母が手伝ってくれています。ただ乳製品の販売の営業も事務も昼間に間に合わない分は子供を傍らに夕方頑張っています。土日は保育園は休みだし、子供がいて仕事に集中できなくて困ることもありますが、息子は可愛いし日々賢くなって「この子が
いるから頑張れるんだよ」と思います。
でも「自分の時間を持ちたい」という発想は私はわがままとも思いません。保育園でやはり自営のお母さんは口々に「仕事に集中したいんだよね。(笑)でも可愛いから睡眠不足になって夜中に伝票書いてもなんとかやれるんだよね」と言っていました。子育てはある意味一生続くもの。きっと息子が成人してもいろいろ気をもんだりすると思います。だから私は「弱音を吐いたっていいじゃない」「自分の時間を持ちたくてたまには他の家族にお世話になってもいいじゃない」とあえて気楽に構えています。でも息子のトトロ好きにも同じ目線で楽しんでいる自分もいてそういう自分を「可愛い」と思ったり。子供の笑顔と元気な成長はどのお母さんにとっても子育てがそれなりにうまくいっているという回答だと思っています。
むしろ幼児虐待に走ったり育児ノイローゼになるお母さんの中には
「よき母」であろうと愚痴一つ吐かなかったかたもいるようです。
「自分の時間が欲しい」と愚痴くらい私はいいと思いますよ。
急ぎの仕事をやっている傍らで「ママ、一緒にアンパンマンの数のおけいこしよう」「ママ、おしっこいきたい」などと甘える息子に
こちらも笑顔でですが「たのむよ-」と言ったら満面の笑顔で息子も真似して「たのむよー」(笑)。それが我が家流かな。
それぞれの子育てがあっていいんじゃないかと私は思います。

全く同じ
rin -- 2007年09月30日 14:25:44

  こんにちは、
私のスレにいつもレスをして頂いて有難うございます。
マンゴぷりんさんの書かれている事に、いちいち激しく首を縦に振って読んだ私です。
確か私の息子と一緒くらいの時期の出産でしたよね。私の息子も1才7ヶ月になって、もう本当に目が離せなくなってくたくたです(笑)

本当はこの投稿を私のスレに送って欲しかったのですが、何故マンゴぷりんさんが新たにスレを立てられたのかが解るだけに、改めてマンゴぷりんさんが心細やかな人なのだなぁ〜と認識しました。

さて、本題ですが、私も育児は自分の時間の一部だと考えています。18年振りの妊娠だったので、勿論子育てをほぼ完了間際(上の子二人)の私の生活リズムは一変しました。仕事と自分の趣味だけに費やしていた時間割が、すべては赤ちゃんが生まれて来る為、出産後は育てる為へと変化しました。

体力的にも正直辛いです。車高の低い車ではチャイルドシートに子供を乗せるだけでも腰痛になります。ですので最近はガソリンも高いので軽自動車の車高の高い車へと乗り換えました。

夜中まで仕事をしているので毎日の私の就寝時間はほぼ朝方。
眠って2〜3時間すると子供が起き出すので、私は未だに寝不足です。シングルマザーなので頼れる家族は19歳の娘だけ。しかし彼女にも彼女の時間は必要なので、余り無理は言えません。

それでも私は今育児が大変楽しく思います。若かった昔よりも、悪魔のように動き回り、ドキドキ、ハラハラさせる息子が愛しいと感じます。

ただ、私の場合はシングルなので、デートとか、恋愛の時間は欲しいなぁ〜とは思いますね。現在は全く男ッ気がありません(淋)

「添い寝」は人間の原始時代からの自然な行為だと考えます。日本や欧米と言う括りは、その後の文明の発達の差異での結果ではないでしょうか?
マンゴぷりんさんが言われるように、たかだか数年の「添い寝で」小難しい事を並べて良い悪いを論じること自体が不自然だと考えます。

どなたかが言われていたことと関与しますが、「子供の鼻水を自分の口で吸い取る事は出来ますか?」と言う質問をあえて本当は投げかけてみたいと思うことが有ります。何でも「抗菌」時代です。哺乳瓶に異常なほどの殺菌に時間を費やす事よりも、もっと大事な母子のやり取りが有っても良いと感じます。

昔の人は子育てがどうこうだと言う前に、やるべき事の多さにひたすら働き、子供もその状況の中で自然に自分の役割や、我慢を身に付けていったように思います。

そして貧乏長屋では薄汚い布団が敷き詰められ、それでも愛情だけは金品の貧しさとは反比例して存在した「家族」と言うものがもっと存在していたように思います。

自分の時間って・・・
ちびいぬ -- 2007年09月30日 12:06:42

  42歳、2歳3ヶ月の息子がいる、ちびいぬです。
久々にここに来てみて、rinさんあてのレスも読んでみました。

「自分の時間」って何なんでしょうね。
私は妊娠を機に退社したため専業主婦なのですが、組織に所属してない時間という点では
まるまる一日、自分の時間だと思っています。
共働きでも、一人で暮らしていても、掃除、洗濯、炊事は生きていく上で必要です。
なのでこれは、家族のためにやっているという意識は無し。
子育てっていうけど、努力してやってます!って感じじゃないし。
生まれて2年3ヶ月の人間と、母親になって2年3ヶ月の私。
どちらもまだまだ新人で、お互いにわからないことだらけですが、
よろしくねといった感じです。

会社では、おいおいそりゃないよと突っ込みを入れてもどうにもならない後輩や
ボタンひとつで資料を消してしまう上司のめんどうをみてきたことを思えば、
どんなに大変でも、息子のかわいいことといったら!!!

考えようじゃないですかね。
一日、自分で時間配分も出来て、息子と遊び放題遊べるって、まさに今はパラダイス!
反抗期で、これでもかという程いたずらを次から次へと繰り出す息子に叱ることもありますが
内心では、よくもいろいろ考えつくものだと感心してもいます。

家族を離れ、大好きなライブに、友人と行くこともあります。
そんな時は息子のことは全く頭にありません。
離れると心配で・・・とよく言う人がいますが、パパの頑張りでどうにかなるさと思って
もう、めちゃくちゃノリまくって楽しんできちゃいます。

どんな時でも私は私。
子供がいるからとか、何かを出来ない、しない、言い訳にしたくないと思ってます。
だって、産んだからこそ、楽しみが増えたんですから。

「添い寝」に関しては、そんなに神経質にならなくてもって思います。
だって、ずーっとお母さんと一緒じゃなきゃ寝られない人なんていないと思いませんか?
その子なりの時期がくれば、一人で寝ると思います。
息子なので、私はクソババアの悪口を言われる日を覚悟して、少しでもママ〜と言ってるうちに
いい思いを貯めておこうと考えてます。

みんな情報に振り回されたり、人と比べたり、より大変な状況を作ってるのは
自分自身なんじゃないかなぁと思います。
占いと一諸で、いいとこ取りでいいんじゃない?

こんな気楽なことを言ってると、さぞいい息子なんだろうと思われるかもしれませんが
なんのなんの、ワンパク大将そのもので、保健所では育てにくいでしょう?と
尋ねられたのも一度や二度じゃありません。
一人しか産んでないから、育てにくいとかがよくわからないだけでして。
まっ、こんなもんなのかなぁと思っているだけなんです。
自分の大雑把なところが、今や最大の武器になっています。

私も…
公務員母 -- 2007年09月30日 10:06:18

  そう思うことがあります。テレビや雑誌で「自分の時間が欲しい」とか「我慢ばかりしている」等お母さん方の意見がよく取り上げられています。でもよーくみかけるお母さん方はお化粧完璧、茶髪の方(美容院行ってんじゃない)がいたり、ステキな洋服を着てるし(いつ買い物行ってるんだろう?)、実家(近くにあるんだ)でご飯食べてたり、したいことできてるのになんでストレスたまるのかなぁ、ちょっと変じゃない?と思ってしまいます。しかも今どきは便利な家電がほとんど。家事の時間は昔に比べるとあきらかに短くなっているはず。いろんな情報がネットやテレビで氾濫しているからでしょうか。子育ても立派な女性の仕事、マイナス面ばかりとらえないでプラス志向で行きましょうよ。私も外での仕事をしていますので、通勤は大変だし、朝は早いし夜も遅い。保育園の送迎も駆け足で毎日クタクタ。でも子供の成長とともに得るものもたくさんあるんですよ。

ちょっと考えてみて…
かあなし -- 2007年09月30日 06:20:39

  >>「学校にいけるだけで幸せ」「将来大きな家を建てて、お嫁さんと2人の子供。そしてお父さんとお母さんの面倒をみてあげるんだ」と目を輝かせる、アジアの貧しい農村や漁村の子供たち。

と、ありましたが、そんな子ども達を育てているお母さん達は、一日のうちにどれだけ子どもにかかわっているとおもいますか?

私は専門家ではないし、ましてや、忙しくてテレビもあまり見ないのでそいうった子ども達の映像をほとんどみることがないので憶測だけですが、そんな子ども達のいる社会のなかでは、親たちは、多分一日の起きているほとんどの時間を「食べるため、食べさせるため、生きるため」に費やしているのではないでしょうか。
それって、「子どもに関わる時間」があまりないんじゃないんですかねぇ?
そういった貧困地区(???)の子供の方が生き生きとしている、ってことは、答えが出ているじゃん!!!
あまり母子密着してはいけないんじゃん!!!

「子どもに関わる時間」……私は、母親がほぼ100%子どもに添っているのはせいぜい生後1ヶ月で、後は、すこしづつ離れていかないと子どもにとってはいい迷惑なんじゃないかなと思っています。

子どもの"身体的・精神的な原因を考え、子どもの側に立ってその根本を取り除いてあげるような観察や努力が必須"なのもせいぜい2〜3才までで、徐々に、親が手や口を挟むのをやめていかないと、
子どもが自分で動き、自分の頭で考えなくなってしまうかもしれない、ということを頭において子育てしています!

痛み止めのくすりのコマーシャルで、女の子が頭の痛いお母さんに代わって孤軍奮闘するっていうのがありますよね〜
あの子は自分で考え、辛い状況の母のために何かしたい、とおもったわけですよね〜〜
あれっていいじゃんね、
あの子もあのまま大きくなっていってほしいね!

人間だって、動物よ!!
獅子の親が子を谷に突き落とすように、
我が子がこの複雑、多様な人間の社会の中で生き抜いていく
「知恵」や「勇気」、「希望」を植えつけてあげる、それが子育て、シンプルにそれでいいんじゃないかな〜

あっ、「子の親が子を谷に突き落とす」なんて書くと
「虐待!!!」とおもわれる……………?????(思わない思わない!!!)

ちなみに私は、添い寝はしていま〜〜〜す!
いい、悪いの区別ではなくて、
ただ、家が狭いんで〜〜〜す(きゃはは・苦笑)

ほぼ同意見です。
なおゆうぎ -- 2007年09月30日 05:59:03

   rinさんの投稿の主旨がずれてしまうので、あの場でのレスをもう控えていましたが、こちらにマンゴぷりんさんがスレをたてて下さったので、またおじゃまします。

添い寝に関して言えば、私個人的な考えから言わせて頂くなら、してあげてほしいと思います。
昔の生活はそれこそ添い寝をしている時間さえなかったのでしょう。それでも兄弟の多いご家庭では上の子が下の子の世話をしたり。寝かせてあげたり、まだ一人のご家庭であるなら、いつもお母さんの背中におんぶされていたり、母親の目の届くところにいたりと、子供は決して一人ではありませんでした。

添い寝をしてあげたい一番の理由はやはり安全面から。
子供は段階的ではありますが、そのそれぞれの段階において未発達です。母親はどんなに熟睡していても傍に寝ている子供をおしつぶすことはないそうです。それは本能であって子供を守る力が母親には備わっています。眠る格好なので胸を圧迫したり、布団から落ちてしまうこともあります。次の瞬間何があるかわからない乳幼児を一人きりで寝かせるのは危険だと判断します。

欧米でうつ伏せ寝がいいからと、頭の形がいいからと、上の子達の時代でとても流行りました。結婚して最初の10年社宅で暮らした時、半数くらいの人がそうさせていました。
私は胸の圧迫が恐くて断固しませんでしたし、まわりの人たちにその旨いつも話ししていました。
結果、何年かして、乳幼児突然死症候群と関係があることが疑われ、今度はうつ伏せ寝はやめようという動きになってきました。

それだけ未発達な乳幼児の一人寝はかなり危険だと思います。

また幼児の精神面からも寄り添ってあげてほしいと思います。
これは20年以上保育士として働いている私の友人が言っておりました・・子供は眠りに入るときと排便をするとき、ものすごく不安感に襲われるそうです。特に眠りに入るとき。排便をするときも不安があるから最初はしばらく一緒になって手を取り合ったりして近くにいてあげると安心すると。眠りに至ってはもっと不安感があるようです。暗闇で一人で眠ろうとする子供を想像するだけで胸が痛みます。

子供は順応性だけはあると思うので、いつかは慣れるのでしょう。
交通ルールや社会性などは慣れることは、発達段階において必要なことでしょう・・でも不安感に慣れさせることに意味があるのでしょうか・・?大きくなったときに影響はどうなのでしょうか・・?

つのつく(ひとつ、ふたつ・・・・ここのつ)までの年齢は段階に応じた成長の一区切りだとされています。
本当に不思議と子供は小学校3年生ころから、親から自然に離れていきます。その後も次の段階、思春期に入ると違った意味での子供との接触が出てきます。
幼児期はその長い成長の基本だと考えます。

特に幼児期のスキンシップ、特に眠る時は私は重要だと子供を育てる度に感じていますし、母親の本能としても添い寝をしたいとも感じます。

実際子育てをしていると、かわいい子供でも例えばその反抗の最中などはいらいらもします。でもその時々で試行錯誤して考えればいいことですし、必ず次の段階、次の段階と子供の成長は変わります。 それをわかっていれば良いことだと思います。

上の19歳の娘が面白いことを言いました。
今までで虐待のニュースを観ると、どうしてこんなに酷いことをするのだろう・・と思っていたけれど、虐待はもちろんしてはいけないけれど、子育ての大変さもとてもよくわかったから、その母親の気持ちも少しは理解出来ると。
今は姉の立場だけれど、実際子供を育てるのは大変だよと。

3歳近くのチビを毎日、ずっと成長をみているからこそ言える事だな〜と思いました。
でもこんなにかわいい子に暴力やご飯をあげないなんて絶対できないけど・・と目を細めてチビを見ながら言っています。

私が言えることは子供は様々、千差万別、マニュアルや統計などに拘らず、その子供の様子を見て、お母さんも段階ごとに悩んでいいのだと思います。

 
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