VOICE(掲示板)
高齢出産VOICE

高齢出産の悩みや心配事、そして生んでよかったこと。

【妊娠出産】不妊・妊娠・絶望
しぃ子 -- 2007年09月 6日 07:39:02

はじめまして。
私は39歳、不妊治療で子供を授かり現在妊娠14週目です。
11週目に後頸部に浮腫5.4mmが見つかり、12週目には6.0mmになり、
ダウン症や染色体異常の可能性も考慮して羊水検査を勧められていました。
しかし今では浮腫はどんどんと大きく広がってしまい、赤ちゃんの身体全体を覆い尽くし、
超音波画像では、まるで身体を包む透明なオーラのように見えています。
胎児水腫と診断されました。
「20週まで育たないかも。もし出産しても1年以内に死んでしまう」と宣告されました。
医師はA.経過を見て子宮内死亡するのを待つかB.人工死産するか、道は2つだと言いました。
A.の場合いつ(死亡)になるかわからず先が見えないので勧められない、とも言いました。
しかし私も主人もB.の人工死産を選択できずに戸惑っています。
赤ちゃんはまだ生きているんです。

主人は私より11歳年上で今年50歳になりました。
私は来年40歳になります。主人の両親は80代です。
私には本当に良くしてくれた優しい義両親で、生きているうちに初孫の顔を見せてあげたくて、
思い切って不妊治療を始めた経緯があります。
そんな我が家にやっと訪れた赤ちゃんで、みんなで嬉し泣きして喜んだものです。
医師はそのような状況を考慮してか、早目に始末して次の子に期待しましょう、という感じです。
もう時間も余り残されていない状況なのはわかっているのですが、
浮腫が見つかってから3週間、涙が枯れることなく泣いて過ごしましたが未だ決断できません。
義両親はそんな私を見て、早く楽になって欲しいと願っているようです。

それでも今お腹の中で生きている子を人工死産する決断もできず、
かと言って、この世を見ることも望めない赤ちゃんをお腹に抱えて生活するには、
何を心の支えにすればいいのかさえ、もうわかりません。
日一日と過ぎる中で、私自身がもう壊れてしまいそうです。
外見は幸せそうな妊婦の姿ですが、内側は絶望しか感じていない砂を噛むような毎日です。

主人の悲しみようも見ていて痛いほどで、誰にも今の気持ちをぶつけることができないままです。
同じような症状の人は周囲には誰も居ませんし、こんな状態では友人にも会いたくなく、
恐らく今の私に何て言葉を掛けていいのか困ってしまうと思います。
どんなご意見でも構いません。
どなたか似たような状況になられた方がいらっしゃれば・・・と思い書き込みをしています。
この先私はこの子とどう過ごせばいいのか、何を選択すればいいのか、
小さなことでも、すごく参考になると思います。よろしくお願いします。


しぃ子さんへ
チョコチップ -- 2007年09月21日 20:06:34

  しぃ子さん お返事を有り難うございました。

しぃ子さんは、退院されましたか?
私は25日に入院となりました。
まだ現実が受け止められていませんし涙は止まりません。
私の過去の言動や、食事や冷えや・・・何が悪かったのか?
やっぱり高齢だから子供をこんなめに合わせてしまった・・・?と後悔だけが渦巻いています。
もう二度と、幸せな気持ちになれない気もして絶望感で一杯です。

でも、ただひとつここ数日で分かった事があります。
私のこの子は、本当に最高に可愛いいい子であったという事です。

しぃ子さんの大変な時にパニックになって頼ってしまってごめんなさい。有り難う。

しぃ子さんのご回復を心からお祈りしています。



うまく言葉にできないのですが・・・。
おかよ@泣いて笑って -- 2007年09月17日 14:22:02

  VOICEのみなさん、しぃ子さん、こんにちは。
こちらへ先日書き込みさせていただいた後、やっぱり書き込まないほうがよかったかも・・・と、悩んでおりました。
人工死産経験者のためのサイトを運営している者が書き込みすることで「縁起でもない」と思われるのではないか・・・などと思っていました。

今、また、しぃ子さんからチョコチップさんへのコメントを拝見して・・・涙が止まりません。
しぃ子さんの言葉一つ一つが、胸に迫ります。

私はお空へ還してしまった娘への懺悔のつもりで、サイトを運営しているのかもしれません。
「私のような思いをしたママたちのために何かできないか」という大義名分の下、結局は自分がこれ以上苦しみたくなくて、娘への言い訳のつもりで、自己満足のために、何かやらなくてはいけない思いに突き動かされ、ただただサイトの運営を続けているのかもしれません。。。

時々、白昼夢を見ます。

真っ白い霧がかかった雲の上のような場所で、私は一生懸命レンガを積み上げ階段を作っているのですが、ふと上を見上げるとどこまでも青空は見えず白く煙ったままで・・・また下を見ても、今まで自分が積み上げてきたはずの階段は無くなっているのか、ただ霧で見えなくなっているだけなのかわからず、足元が見えなくて怖くなって・・・そこで作業の手を止めてしまうんです。

私も、まだもがいているのかもしれません。
それとも新たにそして無意識に、また自分で引き寄せているのかもしれません。

ただ、今の私は・・・娘を人工死産という形で見送って9年という月日が経ちましたが、娘無しには到底考えられなかった人生を歩んできました。
娘を失ったからこそ、この9年間を歩いてこれました。

解放されたくて 
解放されたくなくて
それでもきっと意味があるはずと、自分自身に何度も何度も言い聞かせ、やっとここまで来たように思います。

当時残したメモ帳を読み返し、すっかり抜け落ちている記憶もあり、そうしなければ生きていけなかった、またそうすることで生きていかなければならなかったのだろうと我が身のことながら、人間の強さを垣間見たような気になったり・・・。

授かったおなかの中の愛しい命を失うということ。。。
それは、今まで生きてきた中で最大の悲しみでした。

今、さまざまな想いがこみ上げ、しかしそれを言葉にして組み立てることができません。

しぃ子さんの悲しみと、溢れる母性・・・
そして皆さんの想い・・・

いつにも増して、心に響き
いつにも増して、泣けてきます。

ブリヤさん
しぃ子 -- 2007年09月17日 12:56:14

  ブリヤさん
こんにちは。入院を明日に控えて今日は静かに家で過ごしています。
私も最初は浮腫から始まったので、トリソミーだったらどうしようと考えていました。
ですが答えが出ないまま浮腫がいつしか水腫になってしまい、ブリヤさんと同じケースだったので、
どれほどブリヤさんの体験談や感じられた事が参考になったかお礼は尽きません。
失礼な文面など一つもありません、どうぞそんな風に思わないで下さい。
決められない自分に苛立ちすら覚え、誰かを頼ってこちらに相談に来たのです。
特に赤ちゃんが20週から痛みを感じると知り、結論出すなら期限はそこまでだと気が付きました。
結果的には、優柔不断で選択する間もなく赤ちゃんに引導を渡されたんだと今は思っています。
今となっては、どうお別れするか、どう供養してあげられるか、それだけです。
ブリヤさんのお話はとても参考になり、読まなかったら今頃、赤ちゃんとどう対面するかさえ戸惑っていたはずです。
お会いしたことも顔も知らない皆さんに、ここで身内以上に支えられました。
本当にありがとうございました。
赤ちゃんが私に宿って良かったなって思えるよう、最後くらい私に出来る精一杯のことをしてあげたいと思っています。

どんな言葉をおかけしたらよいのか。。。
プリヤ -- 2007年09月17日 07:15:57

  しぃ子さんのスレッドに今まで2度投稿させていただいたプリヤです。その後しぃ子さんはどうされているだろうと気をもんでおりました。今、しぃ子さんにどんな言葉をおかけしたらよいのか分りません。。。

赤ちゃんは亡くなるまでお母さんのお腹にいられてお幸せだったのではと思います。私も去年、本当にそうしてやれば良かったです。。。

赤ちゃんがお生まれになった後もとてもお辛いことかと思います。しぃ子さんのお身体が1日も早く回復されますように願っております。

そしてしぃ子さんの赤ちゃんが生まれ変わってしぃ子さんのお腹にまたすぐ戻って来てくれますように。。。

私も、去年人工死産をしたその子が生まれ変わって、私のお腹に戻って来てくれることを望みに今までやってきております。。。

どうかどうかお身体ご自愛ください。

末筆ながら、私の3度の投稿の中で、失礼な文面がありました場合はどうぞお許しください。

チョコチップさん
しぃ子 -- 2007年09月17日 06:44:48

  チョコチップさん
お気持ちお察しします、どんなにお辛いか・・。
待望の赤ちゃんを授かってこのうえない喜びの最中の突然の事でどうしていいのか、もうわからなくて、戸惑いひたすら悲しかったのを覚えています。
私はまだ途中で、全てが終わった訳ではないので、自分のやっている事が正しいのか後悔しないのかさえ今は判りませんが、もしチョコチップさんの参考になればと、長くなりますが書いてみます。

もう助からない、人工死産するか、死ぬのを待つかと宣告された時は、赤ちゃんのことより、まず自分の選択をどうするべきかで混乱してしまいました。
けれど結局最後まで決めることが出来ず、時間は過ぎていくだけで・・。
決断できない自分が情けなくてこんな親で、赤ちゃんが可哀想になってしまいました。
こちらに相談して皆さんの意見を拝見し、「親として今、精一杯の何ができるか」を考えようと変わりました。
皆さんの意見を参考に、自分なりに出来る事はいろいろしてみました。
まだ見ぬ子ですが、なんとなく息子じゃないかと思うので、男の子の好きそうなアニメ番組を観たり、海を見たことがないからと、病院の帰りに海まで車で行ってお腹に話しかけたり、夜空を見上げてどの星が好きかなと聞いてみたり、とにかく赤ちゃんには沢山話しかけました。
近所のお地蔵さんから嫁ぎ先のお墓や実家のお墓など、あらゆる拝める所は何度も参ったり・・。
でも赤ちゃんからもご先祖様からも何も返事はなく、込み上げて来るのは抑え切れなくなった自分の涙と悲しみだけで。

今もそうですが、言葉にするならば真っ暗闇です。
何も望めない何も聞こえない何も見えない状態が続いています。
そのうち気が変になりそうになり、このままでは自分が壊れていくんじゃないかと怖くなりました。
私の医師はぶっきらぼうですが的確な発言をする人で、「次だよ、早く処置して次に期待しなさい」とはっきり言います。姑は「あんたに未練が残ったら赤ちゃんが成仏できないから、心を強くもって割り切りなさい」と言います。
辛くなって自分が折れそうになったら、医師や姑のきつい言葉を思い出したりしました。
そこから逃れるためだったんだと思います。
そんな、しばらくは何も言わない赤ちゃんに話しかける日々が続きましたが、そのうち白いガーゼやタオル地を買ってきて、自分で型紙を作り服を縫い始めるようになりました。
その心境の変化が、今でもよくわからないのです。
今思えばそれが赤ちゃんが死んだ頃なんじゃないかなあ、と漠然と感じています。
見よう見真似で作り始めた服でしたが、1着2着と作るうちに上達し、胎児水腫は綺麗な形で赤ちゃんが出て来るとは限らないと聞いていましたので、赤ちゃんが恥かしがらないようフードを付けたり、ショールで隠せるようにしたり色々な小技を工夫するようになり、夢中で一日縫い物をするようになりました。
一針一針と赤ちゃんに気持ちを込めて縫っていくと自分の心も静まっていきました。
数着作った中でこれなら大丈夫、と思える2着が出来上がりました。

余談ですが、大学病院へ行く途中、主人の車のラジオで聞いた、
「本当の意味で、絶望なんてのは無いんだ。絶望の中の絶望の淵で、
それでも空を見上げ、光を探そうと立ち上がる姿に、希望は宿るんだ。」
という詩か何かの一節がずっと忘れられません。
結局その数時間後、赤ちゃんが亡くなっていると知ったのですが・・。
あとは葬儀屋さんとお寺さんに行き、家族だけで送る準備をお願いしてきました。
義両親の家から出棺させてくれると姑が言ってくれたのが私としてはとても嬉しかったです。
多分私は術後でまだ入院していると思うので主人だけの葬儀では赤ちゃんが寂しいんじゃないかと心配していたのですが、みんなに見守られて出棺するのなら赤ちゃんも幸せだろうと思います。
まだ小さいので遺骨ではなく遺灰になることも今回初めて知り、供養のお地蔵さんの手配もひと段落終えた今、あとは入院して早く出してあげることだけが残っています。
まだ経験していませんが、おそらく、これから先の道のりはもっと悲しいんだと思います。

親として出来る限りのことがしたい、なのに、もう助けてあげれない守ってやれないのなら、赤ちゃんが天国に行けるよう最善を尽くすことしか残されていない気がします。
だけどその反面、もしかしたら全てが過ぎ去った後で、悲しみと引き換えに、私は悔いの無いだけやった、という満足感が欲しいのかも知れません。
後悔が自分を襲って来ないように防衛しているだけなのかも知れないです。
冒頭でも書きましたが、今は自分のやっている事が正しいのか後悔しないのかさえ判りませんが、
他に何も出来ませんし、こうして悲しみを少しでも紛らわし、なんとか自分をコントロールできています。
私はこちらの皆さんの体験談やご意見がとても心の支えになったので、チョコチップさんのような方の参考に少しでもなれたらなあと長文で読み難いでしょうが書いてみました。

パラダイスさん、さんごみずきさん
しぃ子 -- 2007年09月17日 05:01:03

  パラダイスさん
お返事ありがとうございます。
赤ちゃんが私のところに来てくれた意味、まだわからずにいます。
こんな母でごめんね、だけど本当にありがとう、を繰り返していますが、
赤ちゃんにしてみたらどう思っているのかもわかりません。
きっといつか、なにか答えが見えてくればいいなあと思っています。
今は赤ちゃんがここよりも、私の元よりも、
もっと幸せになれる場所に行けることを願うばかりです。
赤ちゃんが着る服と言っても、実は死装束なのです。
裸では可哀想なので、と思ってこしらえましたがサイズがわからず数着作りました。
こんなことくらいしか親らしいことが出来ないことが情けないですが、
今しか出来ないことを出来る限りしてあげたいなあと思っています。


さんごみずきさん
不快だなんてとんでもないです、とても感謝しているのです。
さんごみずきさんの体験談は、不安で仕方ない私の支えに本当になったくれました。
何もかも初めての経験で、ただただ混乱の中で時間が過ぎ去ってしまい、全てが終わった後で「ああすれば良かった」と悲しみの中で後悔し続けるのは本当に辛いと思います。
さんごみずきさんの投稿は私が今すべき事、今考える事が何なのかを教えて下さいました。
それでもまだ後悔すると思いますが、私なりに今親として出来る事を淡々とこなしています。
こうやって過ごしていると、これが前に仰っていた「最適」を目指しクリアできる「満足」なのかな、と冷静に思う時があります。
この先も簡単には悲しみは癒えないけれど、ただ、やみくもに悲しいよりもずっといいと思っています。
本当のことを言うと明日から入院で医師に「前置胎盤だから出血がひどいかも」とちょっと言われただけで怖くて逃げ出してしまいそうなんです。
それでもこちらの皆さんの意見を読んで「皆さんも通った道だから」と自分を叱咤し、
赤ちゃんのほうがもっと悲しいし痛かったんだから、私しっかりしろ、と奮い立たせています。
早く出してあげてちゃんと供養してあげなきゃなりません。
今はそれしかわからず、まだそれから先の事は全く見えないけれど、
皆さんのご意見を胸の支えに、後は少しずつ立ち直って行くんだろうなと思っています。

苦悩しています
チョコチップ -- 2007年09月16日 12:12:42

  しぃ子さん
もう閉じてしまった所をごめんなさい。
どうしても、お話させて頂きたくて・・・

昨日、10週5日の胎児の様子を見て貰った所、心拍が通常の半分、大きさも半分と診断されました。
医師に
近いうちに心停止します。掻爬手術をしますので、準備しておいてください。と言われました。

ICSI連続7回撃沈でさじを投げられ、KLCに転院準備中の奇跡の自然妊娠でした。42歳です。

あと短い時間、私はこの子の為に何ができるのでしょうか?

心停止する時、苦しまないのでしょうか?とても、可哀想で。

しぃ子さんの赤ちゃんと同じ天国へ旅だっていこうとしている我が子を思い、昨夜は一睡もできませんでした。

人知の及ばない、仕方のない事なのだと、頭では分かっていても、心がお願いだからお母さんの所にいてちょうだい!と叫んでいます。

どうしていいのか分かりません。

無事を祈っています。
さんごみずき -- 2007年09月16日 10:57:04

  あまりにも突然で、どのような言葉をかけるべきかわからないほどです。
今、自分本位の視点でこのようなことを書いていいものか迷ったのですが・・・。もし、不快な気分にさせてしまったら本当にごめんなさい。許してください。
実はここ数日、自分自身もある意思決定をしました。しい子さんと赤ちゃんに思いを馳せながら、自分が過ごしてきた2年の月日をたどり、また、ここに集まった皆さんの意見によって多くのことを学べたおかげです。しい子さんがとてもつらい思いで書きこまれたトピに、私の方が支えられていたようです。私の赤ちゃんも今週「お誕生日」を迎えます。2つ違いになるしい子さんの赤ちゃんは私にとっても忘れられないでしょう。見ず知らずの人に意思決定の力を与えてくれた赤ちゃん。「ありがとう」と伝えて欲しいのです。

それと、先日、「処置は痛い」と書きましたが、痛みには我慢しなければならないものと、我慢する必要のないものがあります。痛みがひどいときには医師、看護師に伝え、適切な処置をしてもらってください。我慢する必要のない痛みであれば、鎮痛剤も処方してもらえます。また、眠れないようであれば睡眠導入剤の利用も考えてください。薬の力を借りることは決して悪いことではありません。小さいとはいえ分娩ですから、リスクも伴います。なので、しい子さん自身、体を大事にして万全の態勢で臨んでいただければと思います。

無事に出産されることを祈っています。そして、しい子さんが納得いくお見送りができ、その後はあせらず、自分のペースで回復していけますよう。

なんと言えばよいのか、、、
パラダイス -- 2007年09月15日 22:32:28

  お慰めの言葉もないと思いながらも自分と重ねてしまいました。

しぃ子さん、お辛かったですね。本当によくここまで
頑張ってこられましたね。
 
赤ちゃん、しぃ子さんのお腹に来てくれた意味がきっと
あったんではないかと思います。

こんなに優しいママのところに来たかったんですね。天使
ちゃんはきっとしい子さんのところに来てとっても幸せ
だったと思いますよ。

赤ちゃんのお洋服なんて、私も泣いてしまいました。
赤ちゃんはきっときっと素晴らしいところにいかれると思います。

どうぞ、どうぞ、ご自愛くださいね。

みなさまお返事ありがとうございます
しぃ子 -- 2007年09月15日 06:08:56

  みなさまお返事ありがとうございます。
あれから一週間経ちました。
混乱していてネットに繋ぐことができず、お返事が遅れてしまってごめんなさい。

こちらの方の勧めもあって、
大学病院でセカンドオピニオンを受けてきました。
そしたら赤ちゃんが動いていない、心音もないと、
水腫による心不全か何かで亡くなったのでは、とのことです。
もう15週なのに13週の大きさしかないそうです。
おそらく14週の検診あと(こちらに相談にきた頃)すぐに死んだのかも知れないねと言われました。
私が一番迷っていた頃、赤ちゃんの命が止まっていたのかと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいです。
私があんまり迷っているから困らせたくなかったのかな、と思うと申し訳なくて・・。

これを書いている今もお腹の中にまだいます。
来週週明けに入院予定です。
葬儀の手配やお寺さんと打ち合わせも済みました。
2着ほどですが、赤ちゃんが着る服も手作りしてみました。
なんだか涙も枯れ果てたのか淡々と過ごしていますが、
時折、一人になるとうわっと泣いて泣き止んで、の繰り返しです。

みなさまの暖かい投稿を読んで、気が付きました。
自分の身、心、が痛んで傷ついたからこそ、乗り越えた先には、人に暖かくできるのだと。
こちらの方々のご意見がどれだけ私の心の支えになったか・・。
本当にみなさまありがとうございました。

我が家の天使
エリ -- 2007年09月15日 03:20:54

  しぃこさん、今どうされているでしょうか?
辛いお気持ち、本当にお察しいたします。

実は私も三年前に、第二子を胎児水腫と診断され20週で人工流産しました。  
長女が5歳になったときに、不妊治療の末やっと授かった尊い命でした。
娘は、ようやく自分もお姉ちゃんになれるんだと張り切って、動き出したお腹の赤ちゃんに毎日話し掛けてくれていた矢先の宣告でした。
目の前が真っ暗になりました。胎児水腫なんて言葉を、耳にしたこともなかったし、第一に周りの友達は不妊の辛さも無くみんな元気な赤ちゃんを生んでいるのに、どうして私の赤ちゃんだけこんな思いをしなきゃならないの・・・、どうして私だけ・・・という思いで一杯になりました。  そんな複雑な思いをもちつつ、このままお腹の中で天使になるのを待つのか、それとも人工流産をするのかという選択をしなければならず、娘の前では平静を装い、隠れては涙していました。  二週間で4箇所の病院をまわり、四人の医師からは皆同じ事を言い渡されました。 夫と共に悩んで悩んで出した結果が、人工流産でした。 夫は母体である私の体と、たとえ生まれる事が出来たとしても長くは生きられない赤ちゃんの姿を見たときの娘のことを考えての決断だったようです。
お腹の中で動き回る赤ちゃんは、愛しいばかりです。でも、私は今目の前にいる娘の母であり、その娘をこれからも育てて守るためにも私は生きていかなければいけない。 そのためには、そのまま多大な不安を抱えたままの妊娠生活を続けることは、できませんでした。

妊娠前に、テレビで障害を持った子供さんのお母さんが、「この子は、私たち夫婦を親に選んでくれたんですよ。私たちならどんな逆境も乗り越えていける親だとと選んでくれたんです」と、嬉しそうに幸せそうに話されているのを見て、涙が止まりませんでした。
そして、辛い宣告されてからそのお母さんの言葉が、唯一私の心の救いとなって思い出されました。
私たち家族は、選ばれたんだと・・・いえ、選んでくれたんだと・・・。 お腹の中の子は、自分のことをわかっていて、この家族なら短い命でも大事に、そして自分のことを誰よりもいっぱいいっぱい愛してくれると思ったんだと思います。

「永璃」えり・・・とよみます。
パパ似のかわいい女の子でした。「永遠に私たちの宝」という思いをこめて、我が家の天使につけた名前です。
一晩だけでしたが我が家で、一緒にご飯を食べて、絵本を読んだり、子守唄を歌ったり、おじいちゃんおばあちゃんにもいっぱい抱っこしてもらい過ごしました。 (唯一お姉ちゃんに会わせてあげられなかったのが心残りですが、会わないほうがいいと親として判断しました)そしてお姉ちゃんには、内緒で三人で川の字になって寝ました。 
本当に天使のように穏やかな顔でした。

現在8歳になった娘には、一度も会ったことのない妹の記憶がある様で、娘は「ママのお腹にきた赤ちゃん」とよんで時々話しをしてくれます。  娘がもう少し大きくなったら、この世に生まれてくることは出来なかったけど、永璃が私たち家族を選んでくれた話を、きちんとしたいと思っています。

永璃を亡くした後も、立ち直りたくて半年後に治療を再開しその後再び三人の天使がきてくれましたが、いまだに娘はお姉ちゃんとよばれることはありません。 私は39歳になりましたが、きっと必ずまた新しい家族を迎えられると信じながら、今も治療を続けています。
こういう風に書き込みをしたり、友達にあの時の話ができるようになったのは、つい最近です。 ようやく、気持ちに整理がついてきました。 
しぃこさん、どんな結果を選んだとしても、自分を責めないでくださいね。 自分を責めると、赤ちゃんが、「ママごめんね。悲しい辛い思いをさせて」って言ってるような気がします。 ご夫婦がどの道を選んだとしても、赤ちゃんはしぃこさん家族に一番愛されると選んできたんですから、わかってくれると思います。
 

 「ママのお腹に宿った命のことは、決して忘れられない、それは今もこれからもずっと愛しているから・・・。 ママのお腹に来てくれてありがとう、ほんとうにありがとう」
            私が永璃に話し掛けた最後の言葉です。

気を悪くさせるところがあったらごめんなさい。 私もあの時同じ思いをわかってくれる人と話がしたかったので、ついついこんなに長く書いてしまいました。
どうか最後のお別れまでいっぱいいっぱい愛してあげてくださいね。 

同じ体験をしました
ベル -- 2007年09月10日 23:30:13

  しぃ子さん、こんにちは。ベルともうします。5年前に同じ経験をしました。現在の心中を察すると、本当にお辛いことと思います。
私の場合9週のときに頸部浮腫を指摘され、だんだんと浮腫がふくらみ、最後には全身と内臓にも水がたまっていました。
16週で人工死産を選びました。浮腫がではじめてからはとても辛い妊娠期間でした。何をしても気が晴れず、一人でいるのも怖く、泣いてばかり。。。当時38歳で、不妊治療の末に授かった命でした。人工死産と選んだあとも、ブリヤさんと同じく、自分で赤ちゃんの命を止めてしまった罪の意識は強く、とても後悔しました。生きて生まれる可能性が1%もあったんじゃないだろうか。同じ死ぬなら、暖かいお腹の中で死なせてあげれば良かったんじゃないだろうかと毎日泣きました。その気持ちはその後子供に恵まれました今も、命の時間を自ら決めてしまった罪の意識はずっと一生背負っていくのではないかと思います。
その当時、まだ可能性があるなら、とそちらを優先してしまった。生まれてくることがない赤ちゃんをお腹に入れておく強さが私にはなかった。もし万が一生まれても、いろいろな障害があるだろうと考えられる子を育てていく勇気が無かった。こんな私は親になる資格がない、と思いました。。もしまた妊娠出来たときは、また同じことになったら、今度は最後までお腹の中で、、、と考えていました。
翌年妊娠し、運良く生まれてくれましたが、本当に同じことになったら、その時、そういう選択ができたかは分かりません。精神的にぎりぎりの選択ですよね。その時友達に言われて救いになったのは「本当に悩んで悩んで出した結論なら、赤ちゃんは受け入れていくれるよ」また、入院中泣いている私に「亡くなった赤ちゃんはお母さんがずっと悲しんでいると悲しむよ」って。どれも、自分の気持ちにぴったりとした言葉でなかったけど、自分の思うように理由をつけて人間生きていくしかないのではないか、と思いました。うまく言えないけど、どちらにしても、お体大切にして、少しでも心が落ち着くことができることを祈っています。

すみません。補足させてください。
さんごみずき -- 2007年09月 9日 21:03:42

  前の投稿で、罪とか罰とかって書いてしまったのだけど、私の場合、意思決定をした事情がしい子さんとはかなり異なりますし、しかも2回もなので、その辺は留意して読んでいただければありがたいです。

それと、立ち直れたとは思っていないのですが、普通に生活できていますので安心してください。不妊治療も迷った末、2回目の人工死産から4ヵ月後に再開しています。

からだは大事にしてね。
さんごみずき -- 2007年09月 8日 17:01:14

  >さんごみずきさんは悲しい時、どう過ごされていましたか。
実は2回とも、人工死産を決めるまでは「つらい」という感情はありましたが、「悲しい」という感情は不思議と起こってきませんでしたし、涙も流れてきませんでした。「どのような理由で、どちらの選択をするのかを赤ちゃんにもきちんと説明できるようにする」との思いが強かったです。その後も医師や病院スタッフが最善を尽くしてくれている中で、「きちんと赤ちゃんを産む役割を果たさなければいけない」との気持ちでいっぱいでした。感情を押し殺していたわけではないのですが、そう考えていました。もしかしたら感情が麻痺してしまっていたのかもしれません。

「悲しい」という感情が押し寄せてきたのは、2回とも退院の朝です。それからは、1回目は1ヶ月、2回目は2ヶ月、毎日泣き続けました。今でも悲しいことにはかわりなく、時々泣いていますし、立ち直れたとも思っていません。でも、自分のしたことを考えればむしろこれが当然で、「背負って歩く強さを持てばいいだけだ」と最近は思っています。

私の選択は正しかったのかどうかはわからないけれど、少なくとも間違った選択はしていないと思っています。後悔もしていません。その時に得られる情報から、自分でできるかぎりの意思決定をしたと思えるので。
これは経営学でよく言われることなのですが、意思決定は限られた時間、限られた情報の中でしか行うことができないのです。私たちは神様ではないのですから、すべてを見通した「最適」を目指すことはできません。何かあることを目標として、それをクリアできる「満足」を目指すことしかできないのです。1回目に医師から人工死産を提案されたとき、私は「安全」と「赤ちゃんがきれいなままでいること」を目標とし、そのかわり罪の意識を背負う代償を払いました。何を目標とするかはその人によって違います。絶対的に正しいということはありえないのです。

>死産の手術もとても痛いと聞きましたが
確かに痛かったです。でもこの痛みは分娩までの限られた時間の痛みです。それと、もし、痛みを伴わずに赤ちゃんにお別れしてしまったら、気持ちがもっと痛かったのではないかと思えます。私には自分への罰として痛みが与えられたことに感謝すらしたいです。

しい子さん、泣きたいときは泣いていいんですよ。ご主人にだって、甘えてください。ご主人も一緒に泣きたい気持ちかもしれません。それと、ご飯、食べられていますか? とにかく、体力だけはしっかり維持するようにしてくださいね。 
あと、私の経験は何回か投稿していますので、過去ログもあわせて見ていただければ、とも思います。

人工死産経験者のサイトを運営している者です
おかよ@泣いて笑って -- 2007年09月 8日 13:44:34

  VOICEの皆様 はじめまして。

ここ数日、私が運営する人工死産経験者のためのサイト「泣いて笑って」へのアクセスが、キーワードが“人工死産”でも“死産”でもなく“泣いて笑って”で、数十件あることがわかり、どこかで人工死産の選択を前に苦しんでいらっしゃる方がいらっしゃるのではないかと気になりあちこち訪問しておりました。
そしてこちらの掲示板に辿り着きました。皆さんの声を拝見して・・・黙って立ち去ることもできず、今こうして書き込みすることをお許しください。

胎児水腫という状態について、私はもう何度も何度も多くのママたちからメールをいただいてまいりました。
おなかの中にいるときに胎児水腫が判明し、人工死産なさった方、赤ちゃんが生まれてくる日まで待った方(この場合、死産になった場合と生産になった場合とがあります)、本当に様々です。

いつもお世話になっている当サイトの相談役である助産師さんによると

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

初期からの胎児水腫の場合、
エコーで見てもはっきりと、
普通の胎児とは違い、死産後も面会をためらう程
(ひと目で生存不可能とわかるほど)、
変形していることがほとんどです。
胎児水腫が発症する時期は4週から32週と幅が広く、
初期の発症では生存可能な週数になる前に、
お空に帰ってしまうことが多いです。

けれど発症が遅いものでは、
当然ですが発症するまではエコーでも赤ちゃんの形は普通です。
胎児水腫は様々な原因で、
腹水や胸水が溜まったり、全身の浮腫に至ったりという、
病態の総称です。
突然赤ちゃんに水が溜まるわけではなく、徐々に溜まるのですが、
発症して水が溜まるまではエコーではわからないのです。
明らかな羊水過多や羊水過少があって、
エコー上でも明らかにあかちゃんに変形があった、
というのでなければ、
出生前診断は出来なかったと思います。
できたとしても、
人工死産が可能な週数を過ぎてからの発症であれば、
選択肢は非常に限られます。
それから腎臓が機能しないために尿が出ない、
というのは、
何らかの理由で、
腎臓や膀胱や尿管に問題があった可能性が考えられます。

また、出生後すぐに胎児水腫の処置をしていれば、
何の問題もなく育ったか?
というと非常に難しく、
胎児水腫の原因になった疾患そのもの(多くの場合原因不明)が、
治療できる種類のものだったか、
ということも関係してきます。
そして胎児水腫そのものの出生後の適切な処置、というのはなく
原因が免疫性胎児水腫だった場合に、
胎児のうちに輸血をする、という治療法があるのですが、
非常に特殊です。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

と、以前教えていただいたことがあります。

実は昨日、胎児水腫で赤ちゃんが空に還られたママから葉書が届きました。
不妊治療を経て妊娠を希望なさっていたけれど授からず、治療は中断なさっていました。そして自然妊娠で今回の赤ちゃんを授かったのです。

ですが19週のときに水腫が判明。

20週以前に胸水が溜まり始めた赤ちゃんの肺は、水に圧迫されて
正常な成長を遂げることができない、外に出た時点で呼吸ができなくて亡くなってしまう、と再び詳しい説明を受けたそうですが、毎日考えが変わる中、私とメールのやり取りをさせていただき、彼女は赤ちゃんがその時を決めるまで待つという決心をなさいました。

実は彼女は過去にも、同じ胎児水腫で死産されています。(人工死産ではありません。子宮内で赤ちゃんが亡くなりました。)
おそらく遺伝的要因があるのだろうということでした。

彼女は人工死産で赤ちゃんを亡くすということがどういうことなのか、私とのやりとりで理解されていました。そして人工死産経験者の私は、悩み抜き出した答えならそれがベストな答えだと伝えました。

欧米では【胎児の緩和ケア】という概念が生まれ、重い障害がわかった後も“母体へのリスクが切迫”したものでなければ妊娠を継続し、出産後は積極的な治療はせずに安らかにみとる、という取り組みも始まっているそうです。おなかの中にいる時間も大切な親子としての時間であり、人工死産(中絶)による親の罪悪感を回避することもできるそうです。

重い障害や奇形がわかると、まるで得体の知れないモンスターがおなかに棲んでいるようで一刻も早くそんな状態から逃げ出したくなることもあるかもしれません。しかし、そう思うのはほんの一時期です。私たちは知っています。たとえどんな赤ちゃんでも、それが我が子なら、産まれて対面したとき、心から愛しく可愛くてたまらなくなることを。

日本では“自然に任せる”“赤ちゃんがその時を決めるまで待つ”ということがなかなかできないかもしれません。ですが医師とよく相談して、本当に人工死産させるしかないのか、それがベストな方法なのか、何度でも納得がいくまで話し合われることをお勧めします。

最後に・・・
彼女は26週で帝王切開にて出産されました。
そして間もなくしてお空に還っていかれたそうです。

出産後、まだ傷も痛む中、病院のベッドの上で私宛に書いてくださった1枚の葉書。受け取って拝見した昨夕、その場で泣き崩れました。

ですが彼女の決断を支えた家族と医師やスタッフたちがいたからこそ、彼女は愛しい赤ちゃんとこのようなお別れをすることができたのでしょうね。

しぃ子さんの赤ちゃんが、今後、どのように生き抜いていかれるのか・・・私もこうして導かれ出会わせていただいた以上、陰ながら見守りどのような決断をされても応援させていただきたいと思います。

つけたしです。。。
プリヤ -- 2007年09月 8日 04:43:31

  先日、投稿させていただきましたプリヤです。少しつけたさせてください。再度、私の場合ということで、お話させてください。

私は、もしも人工死産をせずにお腹の中で生きられるだけ生きさせてやれば、後になって「運命だった」と心の整理がついたのではないかと思うのです。本当に悲しいことには変わりありませんが、後になって心の整理ができたのではないかと思うのです。でも、私は人工死産をしたので「生きている我が子を殺してしまった」と自責の念と罪悪感に苦しんみ、いつまでも心の整理がつかず、1年以上経った今でも立ち直れていません。しぃ子さんが、まだもしも「今お腹の中で生きている子を人工死産する決断もできず。。。」と思っておられるのでしたら人工死産を選択されると後悔されるかもしれません。

とても変な言い方なのですが、私の場合、あと数週間お腹において亡くなるまで待ってやったとしても次の妊娠への可能性に与える悪影響はほとんどなかったと思います。(私は去年の5月の人工死産の後、再度妊娠したいと頑張っていますが、去年の12月に初期流産をし、それ以降は妊娠していません。)それよりも、人工死産をしたことによる罪悪感・自責の念がその後の心や精神状態に与える悪影響の方がはるかに大きかったと思います。今でも自分の罪悪感をなくそうと、自分の人工死産を正当化する理由や情報を心のどこかで探していますが、生きている赤ちゃんの命を奪った限り、私の場合、自分の中で100%正当化出来ることはないのではないかと思います。

また、「義両親はそんな私を見て、早く楽になって欲しいと願っているようです」とお書きになっていますが、私もどうすれば良いか悩んでいる時「早く楽になりたい。人工死産をすればもう過去のこととして少しは楽になれるかも」と思いました。でも、人工死産をした後は楽になるどころか、同じ苦しみ・悲しみに加え、それ以上のもの(罪悪感・自責の念)が待っていました。ですから、私は人工死産をして妊娠を終わりにすれば今より楽になるとは思えません。私の場合も回り(両親、義両親)は皆、人工死産を暗に勧めていました。でも回りは「実際に今お腹の中で生きている子の命を絶つ」ということがどういうことか、本当には分からないのかもしれません。

私達夫婦の経験で、こうして良かったと思う点もあるので、書かせてください。私達は悲しみと苦悩の中にあっても、行動しました。何人もの医師に意見を聞き、また自分達でも胎児水腫やダウン症について出来るだけ調べました。専門家のセカンドオピニオンを聞かれることはとても助けになると思います。大病院では胎内治療などの可能性もあるかもしれません。胎児水腫になった赤ちゃんの水を抜く治療というのも読んだことがあります。またもっと出来る検査(羊水検査など)があるのならそれも判断の助けになるかもしれません。医学的・科学的情報はあればある程助けになると思いますので、出来るだけ情報を集められた上でお考えになることをおすすめ致します。また妊娠を継続されるのでしたら、母体のことも考えてお医者様に頻繁に診てもらうと良いのではないかと思います。また、生きている赤ちゃんに沢山話しかけてあげてください。「ありがとう」や「ごめんね」も。また、不謹慎な言い方で申し訳ありませんが、もしも人工死産や胎内死亡になって赤ちゃんがお生まれになった場合、抱っこしてあげる、しばらく一緒に過ごす、写真を取る、手形足型を取る、洋服やオムツやおもちゃをそばにおいてあげる、遺灰を残すなど思い出作りを出来るだけなさってください。人工死産をした人のウェッブサイトを読むとそうしなかったことを後悔している方が沢山おられます。

今、本当に大変な毎日だと思います。私も本当にそうでした。本当にお辛い毎日のことと思いますが、出来るだけの情報を得られた上で、どうか回りに流されずに、しぃ子さんの心の本当の底からのお気持ちでお決めになってくださいね。

過去ログを
たんぽぽ -- 2007年09月 7日 22:44:09

   しぃ子さん、こんにちは。

 お辛いですね。本当に、言葉もありません。私のように、一度も妊娠をしたこともない人間には、何も言うことができません。

 ただ、かつて、同じような状況におられた方が、このVOICEにおられました。それをお伝えした方がいいかと思いました。

 当時、私たちは、彼女と共に悩み、彼女と共に生きました。もちろん、悲しみも苦しみも、そして喜びも、全て彼女と彼女の御主人のものです。私たちに、何ができた訳でもなく、何の力になれた訳でもありません。むしろ、彼女を傷つけ、葛藤し、悩んだだけだったといえます。

 しかし、ここで共に語り合ったことで、私たちの間には友情が生まれました。私たち、当時語り合った仲間は、最近彼女に会いました。私は彼女を尊敬していますので、なんだか年上の方のように思っていましたが、ちょうどしぃ子さんと同じくらいの年齢の、若く美しい人でした。

 彼女の強さ、頑張りは、理想的なものでしたので、彼女が選んだ道は、誰かに勧められるようなものではありません。私には、彼女のような強さも優しさもありません。自分がもし彼女なら、あんな風に、事実を受け止めて行動することはできないでしょう。ただ、彼女は、あまりにも立派でした。こういう道もあると知ることは、返って辛いことかもしれませんが、やはり、同じVOICEの仲間として、お知らせした方がいいように思いました。

 2004年9月19日の「胎児浮腫と羊水検査」というスレッドを検索してみてください。誰が、「彼女」なのか、わかると思います。同じハンドルネームを使っている別の方もいらっしゃいますが、それも分かるでしょう。

 こういうことを言っていいのかどうか、とても悩みましたが、ここに立てられたスレッド、ここで交わされた言葉は、ここに集う方々の財産だと思います。

 今のしぃ子さんの状況は、私の想像を絶するものです。どれほどお辛いことか、私には想像することもできません。失礼があればお許しください。

お返事ありがとうございます。
しぃ子 -- 2007年09月 7日 19:48:52

  たんぼさん
私も9週目に切迫流産で入院しました。何としてでもあなたを守って産んでみせるからね、
と赤ちゃんに話し掛けていた頃が遠い昔のようです。
やっと退院できて安定期に入って安心して暮らせるかなと思った矢先の出来事でした。
出産予定日は来年3月だったのですが、早く春が来ないかなあと待ち望んだものです。
現在、医師は「春には不妊治療も再開して来年の夏には上手くいけば赤ちゃんが戻ってくるよ」と言います。
私はその頃には40歳になっています。
本当に次に妊娠ができるのかもわからないです。
お腹の中の子が私の最後の子供になるかも知れないと考えたら、二の足を踏まずにいられません。
今泣いているわけにはいかない、立ち止まったらいけない、と頭ではわかっているのですが・・・。
決断するには強い信念がいるし、それが優しさでもあると思っています。
早くここから抜け出して、希望を持てる生活を取り戻したいのですが、
お腹の中の子と離れるのが辛い、自分で決断を下せない、後悔のないよう今出来る限りのことをしてあげたい、色んな気持ちがあふれています。
でも、たんぼさんのように悲しい経験から立ち上がって通院を再開されているお話を読むと、
私何やってんだろう、頑張らなきゃと焦りに近い感情も出てしまいます。
私もいつか立ち直ってたんぼさんのようにこちらでアドバイスできる日が来ることを願います。
治療、上手くいって赤ちゃんが戻ってきたらいいですね、頑張ってください。
たんぼさんのような方がいらっしゃることが、今の私にとって何よりの励みになります。

お返事ありがとうございます。
しぃ子 -- 2007年09月 7日 19:47:27

  プリヤさん
赤ちゃんが16週位から刺激に反応し始める話、初めて知り、私もプリヤさんと同じ気持ちになりました。手術するなら痛みだけは感じさせたくない・・・。
実は82歳になる義父の体調が思わしくなく、彼が生きているうちに孫を見せてあげたかったのです。
プリヤさんは人工死産の選択を悔いていらっしゃるようですが、私はどちらを選択しても悲しみと自責の念は変わらないような気がするのです。
赤ちゃんが苦しい痛い思いをするかも知れないのなら、痛みの感じないうちに楽にさせてあげるという優しさも選択肢の一つだと思います。
私も今の段階から沢山自分に対して言い訳を探しています。
もう育たないのだから赤ちゃんを楽にさせてあげたい、でも赤ちゃんが本当にそれを望んでいるかしら?誰にもわからない。まだ生きているのに自分の手で終わらせるなんてできない、でもそれは優柔不断、綺麗事、むしろ残酷で自分のエゴなんじゃないか?義父が生きているうちに孫が見せたい、義父が先に死んでしまったら?この世に生まれない赤ちゃんをお腹に入れておいても仕方ないのもわかっている。だけど自分が楽になりたいから言い訳をしているんじゃないのか?今が辛いから早く終わらせたくて言い訳探しているんじゃないのか?
等など考えていたらキリがないくらい自分を責めています。
私もベストの選択を探しています。いや、ベストの選択だった、と思える言い訳を探しているんだと思います。だけどきっと、どちらを選択しても後悔すると思います。もうどうしていいか・・・。
考えて泣いて悩んで変になりそうになって、を繰り返す日々ですが、これは何かの試練なのかなあと最近思うようになりました。
ここから逃げてもまた同じような試練はいつか巡ってくるのかな、だったら今とことん向き合ってみよう、なんて思いながら、もしかしたら気が付かないだけで、少しずつ自分は壊れていってるんじゃないかとも感じています。


KAZUSAさん
同じです、私も赤ちゃんの命の時間を止める決断ができない理由がそこにあります。
でもご主人やご家族が反対されたのももっともだと思います。
産まれてくる楽しみがあるからお腹が大きいのも苦労も耐えられるんだよ、と義母に言われました。
ただ悲しみだけでお腹に持っておいたら、私が壊れる、それを見て主人が壊れる、みんな辛いと。
もっともな意見だと思いました。
でもその反面、私の子は不妊治療で作った子です。
自分達夫婦が欲しいからと自然ではなく作った子を、不都合だからと命を終わらすことが許されるわけない。倫理とか道徳とかどうなの、この先も妊娠を望み、人の親になりたいのならこれは許されない行為じゃないんだろうか。
そう考えて、ずるずると手術するのをためらって生活しています。

主人も同じような考えを持っているのですが、現実生活をすると日々ただ辛いだけで希望はなく代わりに絶望だけが延々と続いています。
朝主人が出勤した後は夕方まで家に閉じこもってひたすら泣き、疲れたら寝るとも起きるともわからない生活です。夕方買い物に出ますがスーパーで子供が目に付き、話しかけたい触ってみたい気持ちを抑えて逃げるように帰ります。気晴らしをしようにも、何をしても気が晴れることがないので今ではTVもほとんど観ません。今回の件を知らない友人から電話があっても会話はほとんど上の空ですし、とても会える状態ではないです。唯一今回の件を知っている親友にさえも、毎回私の湿っぽい話に付き合わせるのもどうかと気を使ってしまいます。
夜帰宅した主人にさえ気を使ってしまいます。
一日外で働いて帰ってくるのに私が毎夜泣いていたら、もっと辛いだろうし仕事に差し障りがあると思います。本当は沢山話し合いたいんだけれど、勝手に涙が出て言葉が途切れ途切れになってしまいます。二人で悲しんでいてはせっかくのお夕飯も台無しだし、家でくつろげる気分でもないんじゃないかと。主人は嫌な顔もせず付き合ってくれるのですが、私の心のどこかに申し訳ない気持ちが広がっていくのです。今日よりも明日が良くなるわけではなく、何も期待できない廃人みたいな日々が続いています。
こんな毎日はとても耐えがたく、でも人工死産も決心できないままです。
私がKAZUSAさんの家族なら、こんな生活を続けさせるくらいなら同じように反対したことでしょう。
「泣いて笑って」実は病院の助産婦さんから先日教えてもらったばかりです。
今はmixi内にあるらしいのですが、非公開なのでまだ承認をもらっていません。
近々参加させてもらおうかと思っていました、勧めてくださってありがとうございます。

お返事ありがとうございます。
しぃ子 -- 2007年09月 7日 19:35:42

  うささん
今日医師にセカンドオピニオンの紹介状をお願いしました。
投稿を読ませて頂きました、うささんもセカンドオピニオンされたのでしょうか。
私は今回まったくの初めてで、その医師を信頼していて言い難かったのですが、いま赤ちゃんに何かしてやれることを、一つずつこなして行こうと思いました。
けれど(もしかしたら誰かに背中を押してもらいたくて・・・)と心が揺れています。
どの医者にみせてもだめだった、できることは全部やった、
と自分が納得したいためだけなんじゃないか?という考えが自分を責めるんです。
頭では人工死産するべきだと答えが出ているのですが、心は真逆で葛藤しています。
医師には「決断さえすればすぐにでも(人工死産の)入院の手続きを」と勧められましたが、セカンドオピニオンの日まで時間稼ぎができる、なんて考えたり、そのうち赤ちゃんの命が終わってしまって、運命を決めてもらうことになりかねません。
命が終わる最後まで看取ってやる覚悟をするか、人工死産の決断をする強さをもつか、中途半端な気持ちのまま赤ちゃんが死ぬよりも、親としてどちらかを選択したいのです。
なのに私は弱い人間です。
どちらを選んでも苦しいことがわかっているから選べないまま時が過ぎています。

さんごみずきさん
2度もこんな悲しい経験なさっていると知り、胸が詰まる思いです。
さんごみずきさんは悲しい時、どう過ごされていましたか。
私は一人きりだとふさぎこんで泣いているのですが、主人が帰宅すると我慢しています。
人前に出ると不快な思いをさせたくなくて気を使って、なるべく普通を装っています。
仕事で疲れて帰宅してるのに、私がメソメソしてたらいけないんじゃないかと・・・。主人とは毎夜この件ついて話し合っていますが、泣いたところで問題が解決するわけじゃないので泣かない努力をしています。
でも我慢している分、家族が寝静まったらずっと朝まで時間も忘れて泣いています。
いろいろ赤ちゃんに話し掛けながら泣いてみるのですが、なんにも答えが戻ってきません。
まだ赤ちゃんは生きているのに今からこんな調子なのですごく怖いです。
死産の手術もとても痛いと聞きましたが、その後の心の動揺を考えると怖くて仕方ないんです。
経験された方のお話は今の私には何にも勝る救いだと思っています。ありがとうございました。

同じ経験をしました。
たんぼ -- 2007年09月 7日 10:31:01

  読んでいて、涙がでました。そして、昨年の私を思い出しました。
私には6年半の不妊治療で出来た7歳の娘がいます。
その子が1歳になると同時に二人目が欲しくて治療を再開しました。
そして、同じ病院での治療が行き詰まり県外の有名な病院へ転院。そこでやっと妊娠したのです。その時41歳でした。
妊娠初期は切迫流産で安静の日が続きましたが、無事に生まれるなら!!と主人や娘にもガマンをしてもらいました。

ところが、安定期となる5ヶ月検診の時に主治医の「あれ?」という言葉に不安を感じながら、紹介状をもらい総合病院の受診を勧められました。

早速次の日には県立病院、その翌週には大学病院と自分たちの子どもを守る為に毎日のように病院へ。
ところが、病院を変わるたびに赤ちゃんの状態が日に日に悪いことを知らされました。

胎児水腫・水痘症・四肢短指。
胎動も感じられましたが、やはり弱っていくのを実感しました。

私も最後まで諦められないと泣いていましたが、姉のひと言で人工的に流産させる事を決めました。
「二人目を望むのなら、年齢的に早いほうが良い。」と言われました。
不妊治療をして授かった我が子を亡くすなんて考えられませんでした。

そして現在、また二人目が欲しいと思い通院を再開しています。
年齢的に40を過ぎると難しいと言われます。
しぃ子さん、今は辛いと思いますが、妊娠できる可能性はまだあります。そして、今はどの言葉かけも耳に入らないと思いますが、将来のことを考えて後悔の無いように決断してください。

同じでした
KAZUSA -- 2007年09月 7日 08:11:25

  はじめまして。
私も昨年5月25日に、胎児水腫で15週の息子を人工死産しました。
息子は14週の検診時にはすでに、体の輪郭がわからなくなるほど水腫で覆われていました。
絶句するようなエコーの写真でした。

先生は、亡くなるまで、お腹に入れていてもいいんだよっていってくれましたが、家族が全員反対し、15週で人工死産になりました。

私はその決断を下すとき、すでに思考回路は停止し、周りに流されるように、その日を迎えました。
でも、入院する前日、正気に戻って、「お腹に亡くなるまでいれていたい」と頼みましたが、主人は背中を向けて眠ってしまいました。
誰にも、助けてもらえず、痛みに一人で耐え、息子を産みました。

お腹の中の息子は、痛みと戦っていたのだろうか?
そうであれば、その苦痛からは早く開放してあげたい。
でも、何も感じていないなら・・・。
私が勝手に命の時間を決めてしまった。
私が殺してしまった。
もし人工死産しなかったら、もしかして助かっていたかも・・・。
答えのでない、苦しい思いを今も持ったままです。
自分を許す事が出来ません。
この気持ちと罪悪感は一生背負って生きていくのでしょうね。

きっと、人工死産を選んでも、お腹の中に居られるだけ居させて上げる事も両方共、辛く、苦しく、大変だと思います。
私の願いは、夫婦でよく話し合ってください。
我が家のように、一方的ではなく・・・。

お互い支えあわないと、たぶん、この先辛いです。

そして最後に、「泣いて笑って」のサイトをみてください。
私が、人工死産前に、見ておけばよかったと思ったので。
どうするにしても、とても参考になると思うので。

私も同じ経験をしました。人工死産を後悔しています。
プリヤ -- 2007年09月 7日 02:45:21

  いつもこのサイトを読ませていただくだけでしたが、私も同じような経験をしましたので少しでもしぃ子さんのご参考になればと投稿させていただくことにしました。

昨年1月、41歳で第2子を妊娠し、妊娠11週の超音波検査で頸部浮腫(4−5mmでした)を指摘され、絨毛検査を受けたところトリソミー21(ダウン症)の赤ちゃんだと分かりました。妊娠継続か、人工死産か、夫と共に悩みに悩みましたがどうしても結論が出ませんでした。本当に気が狂いそうでした。妊娠17週程でまた超音波で見てもらったところ、赤ちゃんの全身がパンパンにむくんでおり、胎児水腫と診断されました。そしてお医者さんに「赤ちゃんはあと1−2週間で亡くなってしまうでしょう。妊娠20週までもたないと思います。この子が生まれてこられる可能性はゼロでしょう。おそらく心臓に奇形があるのではないかと思います」と言われました。夫が調べたところ、赤ちゃんは妊娠16週位から刺激に反応し始め、妊娠20週位からは痛みを感じるようになるらしいということでした。それではもう仕方がない、亡くなってしまうのなら赤ちゃんが痛みを感じないうち、苦しまないうちの方がいい、また早いうちの方が母体にも負担が少ないだろうと、妊娠18週で悲しい悲しい人工死産をしました。赤ちゃんは体長20cm位、体重250g位で、手も足も指も目も鼻も口ももうちゃんとそろった女の赤ちゃんでした。赤ちゃんを抱っこをしてあげて、写真も沢山撮り、手形足型も取り、一晩一緒に過ごした後、火葬にしました。遺灰は家においてあり、今でも毎日話しかけています。

人工死産をした理由も、正当そうに見えますし、赤ちゃんが出てきた後も抱っこをしたり写真を撮ったりして思い出も沢山作ったり、遺灰もあって、一見ベストの道を選んだように見えるかもしれません。今も私が悲しんでいると夫や回りも「少なくとも赤ちゃんにベストの方法を取ってあげたんだから」と言います。でも、私は本当に心の底からはそう思えず、今ある意味で人工死産を後悔しています。赤ちゃんがトリソミー21と分かってから、本当に気が狂いそうな毎日で、人工死産をする前は「今はこんなに悲しく苦しいけれど、妊娠を終わりにすれば、悲しみ、苦しみも少なくなって楽になるかもしれない」と思っていましたが、全くそんなことはなく、ある意味で悲しみ苦しみは人工死産をした後の方がものすごかったです。「少なくともまだその時お腹の中で生きていた赤ちゃんの命を止めてしまった。可能性はゼロと言われても親だったら何故そのゼロの可能性にかけてやらなかったのか」「本当はダウン症の子を持つのがイヤだったから色々と理由をつけて人工死産したのではないか」と気が狂いそうな自責の念にかられました。そして1年以上経った今でも「もしどうせ亡くなってしまうのであっても、最後まで生きさせてやればよかった。それが人としての道ではなかったか。またそうすれば自分も少なくともこんなに激しい自責の念で苦しむことはなかった」と感じます。今でもこの子のことを忘れる日はありませんし、悲しみと自責の念の毎日です。

もし時間を戻すことが出来てもう一度やり直せるのだったら、私は人工死産をせずに、例え亡くなってしまうにしてもその日を待って、生きられるだけ生きさせてやろうと思います。私がそう言うと、夫や回りは「いや、そんなことはない。悲しいけれど、自分達がしたのは正しい選択だった」と言っていますが、これが私の正直な気持ちです。これは私のケースであって人それぞれに思いは違うと思います。大切なのは「これが正しい選択だった」と“心の底から”思える選択をなさることだと思います。そうなされますようにお祈りしております。

お返事ありがとうございます
しぃ子 -- 2007年09月 7日 01:11:01

  読みながら今夜も涙が止まりませんでした。
あんまりメソメソ泣いてばかりでも赤ちゃんが困惑するかな?と思って、
泣かないように頑張っているのですが、まだ感情の波を上手にコントロールできない日々です。
だけど今夜の涙はちょっと違います。本当にここに書き込んで良かったです。

バンビさん
決して失礼な文面や不謹慎な発言だなんて思いません。本当に嬉しかったです。
今の私にとって、胸を打つ、泣けて仕方ないお言葉でした。
子宮内死亡をただ待つのも、人工死産を決意するのも、
どちらも間違った選択ではないけれど、どちらを選んでも後悔する気もします。
主人も私もどうすればいいのか迷い、選べず、ただ過ごしていますが、
今の中途半端な気持ちのままで赤ちゃんが死んでしまったら、大変後悔すると思うのです。
私たちは最後まで何もしてやれなかった、親として何も決めれず、ただオドオドしていただけだ、と。
情けないです。
担当の医師はちょっときつい話し方をする人なのですが、バンビさんの、
「とても愛情のある先生だとも思います」を読んで確かにそうだと気が付きました。
あの医師の勧めが無ければ、迷うことなく赤ちゃんの命が終わるのをずっと待っていたと思います。
何が赤ちゃんにとって、そして私たちにとって最良なのか、もしこの世に神がいるのなら、
きっと未熟な私達夫婦にはまだまだ考え続ける日々が必要、ってことなのかなと思ってみたりです。


ワッフルさん
何もせず手をこまねいて日々が過ぎていくくらいなら、セカンドオピニオンを受けてみようかと、
思っていたところなのです。
どうせ他の医師に聞いても返ってくる答えは同じなのは、わかっているのですが、
それでも何かが変わるかも知れない、前に1歩進めるかも知れないと思いました。
ワッフルさんも同じお気持ちだったのでしょうか。
体験談が聞けて心強い限りです。
同じ経験をしたワッフルさんのお話を読んで、自分の死産後の、
何もなくなったお腹のことを考えると辛くて震えてしまいます。
家に居ても、マタニティ用品や赤ちゃんのために買った沢山の物や本の中で、
ひとつずつ、あきらめていく作業は私にとってかなり残酷な仕打ちだなあと近頃感じています。
姑から「時には心を鬼にすることも必要」と今回の件で言われました。
家族や自分の未来に希望の持てる生活をしたいのならば・・・と、
理屈ではわかっているのですが、なかなか鬼になれそうもないです。
待ち焦がれていた赤ちゃんと暮らせた、たった14週間ですが、
本当に本当に目に映る世界がすべて変わってしまったかのような、楽しい日々でした。
つわりもなく、妊娠がどんなに素晴らしいことか赤ちゃんに沢山教えてもらいました。
なにひとつ恩返しもしてないのに、自分の手で終わらせる決断がどうしても出来ないです。
私も苦しいけれど、こんな状況で赤ちゃんはもっと苦しいんじゃないかな?とか、
できれば何も感じていなければいいのにな、などと妄想の世界に浸っております。
どこかで線を引いて・・・乗り越えていくしかないんでしょうね。

胎児水腫ではありませんが・・
さんごみずき -- 2007年09月 6日 22:26:02

  状況が異なりますが、不妊治療の末に授かった子を2度人工死産しています。少し長くなりますが、経験を書いてみます。

1度目は胎児異常です。赤ちゃんのおなかに水が溜まりました。胎内で特殊な治療を施せば生まれる可能性もあったのですが(治療しなければ不可能ということ)、そうして生まれたとしても臓器移植が必要なほど状況が悪いことが予測されました。どんどん水で膨らんでいく赤ちゃんのおなかを見て、これから先ずっと「がんばれ、がんばれ」と言い続けなければならないことに耐えられず、治療を受けないことを選択しました。その結果、医師からは「自然のままにしておけばいずれ流産するが、どのような状況でおこるかわからないので非常に危険である」と、人工死産を提案され、それを受け入れました。

13週だったのでとても小さかったのですが、大きな目が印象的なかわいい子でした。私の場合には流産まで待ってしまうと、羊膜が赤ちゃんに絡みついて手足が萎縮した状態になることが予測されただけに、きれいな状態で生まれてきてくれただけでも救いとなりました。他の人から見れば、あの日は赤ちゃんの命日ということになりますが、私にとっては赤ちゃんが生まれてきてくれた大事なお誕生日です。
でも、このとき心残りだったのが、お棺に何も入れてあげずに見送ってしまったことです。そこまで考える余裕がありませんでした。

2度目は染色体異常です。人工死産を決めてから入院するまでの間に、赤ちゃんのための洋服とぬいぐるみを縫いました。もちろん、2人分です。お菓子とお花もいっぱいにして、そのときに自分でできる精一杯のことをしたつもりです。

あの日からもうすぐ2年が経ちますが、この子たちとはいつも一緒に生きていると思っています。

しい子さん、私は胎児水腫については何も知識はありませんが、とてもつらい状況にあること、2年前のちょうど今頃の自分を見る思いがします・・・。

私もよく似た経験しました
うさ -- 2007年09月 6日 20:35:48

   しぃ子様はじめまして。

今どれほど苦しい思いをされていることでしょう。

しぃ子様の置かれている状況、精神状態からして
人工死産を決断した方がよいのかと思います。
ただ、決断する前に念の為、セカンドオピニオンは
きいておくべきかと思います。

赤ちゃんはまだ生きています。
でもひょっとしたら今おなかの中で
痛い思い、苦しい思いをしているのかもしれません。
(つらい言い方をしてしまってごめんなさい・・・)

去年私も不妊治療で授かった子が無脳症だった為、
17週で人工死産させました。
(無脳症のことはしぃ子様のような状況の方ならおそらく
ご存じかと思います。)
無脳症の子の救命は不可能だった為、私の場合妊娠の
継続の選択の余地はありませんでした。

とはいえそれを考えなかった訳ではありません。
でもとても耐えられることではない・・・。
生存することのない子をおなかで大きくしていくこと。
想像することなんてまずできない大きな苦しみです。
しかも次の妊娠のために残された時間のことも
考えてしまいます。

ご主人がとても悲しまれているとのこと。
でも、やっぱり一番つらいのはしぃ子様です。
お義父様、お義母がおっしゃるとおり、しぃ子様が
早く楽になることを優先して下さいね。

こんな言い方、今のしぃ子様にとって残酷かもしれませんが、
次こそきっと元気な赤ちゃんを授かります。
年齢だってまだまだ大丈夫ですよ!



同じ経験をしました
ワッフル -- 2007年09月 6日 15:05:15

  しい子さんと同じ状況を経験したため、参考になればと
投稿しています。
私も胎児水腫が突然、15週で見つかり、大学病院でのセカンドオピニオンを経て、「1〜2週間の間にも胎内で死亡するだろう」と
言われ、ショックでした。胎児水腫の赤ちゃんはほぼ生まれて
これることはないそうです。しかも生まれても1年どころか、1日、2日の命というのが一般的です。
日本中の有名な病院に訪ねあたりましたが、胎児水腫は
助からないという結論でした。
やはり、次の子を迎えるためにも、人工死産を決意するしか
ないと思います。
赤ちゃんが大きくなればなるだけ、母体にも負担がかかります。
私は16週で死産しましたが、かわいらしいまぶた、小さな
指の先の爪…どうして、どうして…と泣き暮らしました。
死産後は、次の妊娠の準備にも時間がかかります(半年ほど)。
遺灰に毎日語りかけ、亡くなったわが子をいとしく思っています。

お別れは悲しいけれど、宿ってくれた命に感謝し、
そしてお迎えの準備をしましょう。
しい子さんのお腹で今生きている赤ちゃんに、いっぱい
話しかけてあげてくださいね。
大事な命、胸に抱き続けて、忘れないでいてあげれば。

経験者ではないのですが。
バンビ -- 2007年09月 6日 14:09:29

  しぃ子さん、はじめまして。読ませていただき、もう何と言ってよいか、わからないまま投稿させていただきました。失礼な文面がありましたらお許しください。

どなたか読んでも悲しく辛いお気持ち、お察しすると思います。
その次の気持ちにここで踏みこんでよいのか迷いましたが、私なら・・・と考えました。本当に涙が出続けると思いますが、私はその子がお腹の中で死んでしまうのを共に待つかもしれません。それは本当に強靭な精神でいないと母体も心も回復するのに時間がかかると思います。けれど、もうひとつの考えは本当にその子が生まれてもなお人生の選択の余地がなく死を待つだけの短い命であり、またお腹でもいつ死ぬかわからないのなら、人工死産を選ぶかも知れません・・・。それは、しぃ子さん、あなたのことを優先してです。
あなたはまだ39歳、本音余裕の歳ではないですが、まだまだ可能性は十二分にあります!!私は最初の妊娠が38歳、その後流産を繰り返し、また高齢のための治療もしまして42歳で出産できました。まだお腹に命ある赤ちゃんが居るのに、このようなことを申し上げるのは望むところではありませんし、不謹慎な発言だと思います、お許しください。でも、でも、しぃ子さんのことを先に考えると人工死産もまた間違えた選択ではありません。おそらく先生もそのようにお考えだと思います。

ただ、お腹の赤ちゃんに生まれてありがとうを言ってから次回の妊娠に挑戦されても遅くはないと思いますが、きっと先生はご年齢のことも考慮してそのようにおっしゃったんだと思います。一見厳しい意見のように感じますが、とても愛情のある先生だとも思います。

とても深刻な内容だと思いますが、どうかご主人とも前向きに話し合いをしてください。そしてしぃ子さんの心が早く癒えますようにお祈りしたいと思います。今は、お体いたわって下さいね。

 
  • ご利用に際してのルールとお願いを読む
  • 名前、ハンドルネーム、タイトル、投稿文には、半角カタカナ・半角記号を使用しないで下さい。
    正常に送信されない場合があります。
  • メールアドレスは必ず半角英数字をご使用下さい。
  • お名前、メールアドレスは掲載されません。

bc-community

babycomメンバーズ
コミュニティはこちらから