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自宅で助産婦の助けで出産する時代から、病院での出産が普通になる過渡期の昭和30年〜40年代。次々と生まれてくる新生児を看護婦が取り違え、母に違う赤ちゃんを渡してしまうと言う「赤ちゃん取り違え」事件が起きていた。
だから、今は生まれてすぐに、赤ちゃんの足と母の手に、ネームタグがつけられています。
取り違え数がデータになっているものは32件、成長の過程で血液型の不一致で発見されました。でも、血液型等に問題がなくそのまま判らずにいるであろうケースは、この数の何倍かあったのではないかと言われています。
取り違えが6年後に判って、子供を血縁の親の元へと交換した二組の家族のルポが本になっています。
「昨日まで我が子と信じて疑っても見なかった子が実は赤の他人だった」
「親が血のつながりにも拘っているのに対して、6歳の子どもにはそんな頓着はありません」
「他人としか思えない実の親との対面、そして交換。『お家に帰りたいよう』子供たちの叫び」「取り替えなくても良かったんじゃないか」
一方で、40代になってから、自分が取り違えられたという事が判った人の発言は、「『取り違え』をはっきりさせて、本当の親に会ってみたい、このままでは一生引きずってしまう。同時にこれまで以上に(育ての)両親を大切にしたい」。
一方、その両親の人たちは、「46年間育ててきたのだから、(親子関係は)全然揺るがない」と。
以前、他のスレッドでも紹介させていただいた、赤ちゃん取り違え事件は、「親子とは何か」「生み親と育て親」「ルーツを知るということは何か」ということを、いろいろと静かに考えさせられるテーマだと思い、書かせていただきました。
「育てる・育てられる」という体温の通った行為こそが、親子の感情を育みます。しかし一方で、血縁やルーツへのこだわりという観念も重要なのが人間という存在です。この人間のあり方への結論は一つには集約できないと私は思います。
なので討論をしたいのでは全く全くありません。
新生児という、それなりの大きさをもった動く生命でも、取り違いは起きていました。受精卵というミクロの生命の場合はどうか。
神の代わりに、受精を人間が行っているIVF治療をうける場合において、「万が一」を恐れるのは人間の思い上がりかもしれないと私は思います。授かる命への慈しみはいつでもあるでしょう。
(卵子提供の是非などについて、また過去に起きた受精卵取り違え事件について、論議したいとは、全く全く思っていません。念のため。)
高度生殖医療とは何か、親子とは何かについて、時には多角的に静かに、そして優しく、考えてみるのもいいかもしれないと、書かせていただきました。
また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。
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