ベビー・フレンドリー・ホスピタル
大阪府の一番南、和歌山県にほど近い阪南市。海に面したその市の住宅街に、笠松産婦人科・小児科はあります。
この産院は、1996年にBFH(ベビー・フレンドリー・ホスピタル)としてユニセフに認定されました。BFHというのは、ユニセフとWHOが発表した「母乳育児を成功させるための10ケ条」*をもとに、それを実践している施設が認定されるもの。2003年までに、日本で認定されている施設は30施設。笠松産婦人科・小児科は、日本で6番目に認定されたBFHの中でも老舗といえる産院です。
玄関を入るとまず目につくのが、BFHの認定証ともいうべきピカソの母子像の版画。そのとなりには、お母さんが授乳している彫像がおかれ、母乳を支援している産院であることが一目でわかります。
そんな産院ですから、母乳に関するさまざまなとり組みが随所に見られます。まず、妊娠中から母乳のよさを伝えるためのクラスがいくつかあります。出産直後には赤ちゃんを胸に抱くカンガルーケア。それに続いて、生後30分以内に授乳をはじめます。
入院室はすべて個室で、出産直後から完全母子同室。いつでも母乳をあげることができます。はじめての授乳は戸惑うことが多いもの。授乳をうまくすすめるためには、専門のスタッフの援助が不可欠です。この施設では、多くのスタッフが専門の知識と技術を備え、授乳がうまくできるように援助してくれます。
笠松産婦人科・小児科では、退院するときの母乳率は96〜98%と高い確率。2002年の統計によれば、退院時98%、1ケ月後92.2%、2ケ月後でも90.2%の人が母乳育児を行っているという結果が出ています。
こうしたことは、この産院が退院後の母子健診、母乳育児相談、乳房外来、母乳育児サークルなどの母乳育児支援に力を入れている成果のあらわれ。入院中は指導があるのでなんとか母乳だけで頑張れた人も、退院すると病院や地域でのフォローがなく、だんだんと母乳だけでは心配という母親は多いもの。母乳で育てたいという希望をもっている人は、母乳を支援してくれるこうした産院で出産すると、産後も安心です。
お産も自然に
笠松産婦人科・小児科では、1996年ころからフリースタイル出産をとり入れるようになりました。2階の分娩室の片隅には、バースコーナーという一角が設けられています。
畳み2畳分ほどのそのスペースは、壁に囲まれたベッドのような落ち着いた空間。そこで、陣痛期を過し、赤ちゃんが生まれるときは自分にあった姿勢で出産することができます。現在では、約半数の人がこのバースコーナーで出産しているそうです。
分娩室には従来の分娩台がありますが、分娩台には乗らずに、フロアーで出産する人も3割ほどいるとか。
「分娩台のほうが落ち着くという人も中にはいますが、現在では80〜85%の人がフリースタイル出産をしています」と、院長の笠松先生はにこやかに話してくれました。産婦が産みたい場所で、自分に合った姿勢で産むというのがこの産院の基本姿勢のようです。
妊娠中に配られるパンフレットには、「自然出産とは、人工的なもの(医療介入)がないか、少ないこと。生理的であること。出産のとき女性は考え方や行動が自由で、主体的であることが望まれ、医療側にはその自由を保証する環境を準備することが求められることになります」と記され、WHOの『正常産のケア59ケ条』*も掲載されています。
WHOの『正常産のケア59ケ条』というのは、世界中のいろいろなデータを元に、産科医療の中で行われている数々の医療的な処置の見直しを提言しているものですが、一般に行われている医療の産科的処置の中には、すべての出産には必要のないことが多いと記されています。たとえば、浣腸、剃毛、点滴、会陰切開、人工破膜、おなかを上から押すなど。
こうしたことは、一般にはあまり知られていないので、産院を選ぶときに気にしていない人が多いのですが、浣腸や剃毛、会陰切開などの医療的な処置が慣例的に行われている病院はあんがい多いのも事実。この産院では、医療者のほうから、そうした不必要な介入をしないことを女性たちに提示しているのです。
母親と赤ちゃんにやさしいお産の環境づくり
院長の笠松先生は、いわゆる団塊の世代。医学生時代は学生運動が盛んな時期で、自らデモ隊の最前線に立った経験をもっていらっしゃるとか。当時の魂や志を医師として今でも失わないように心がけているとのこと。
小児科を担当されているのは、院長先生のパートナーである笠松範子先生。小児科医であり、母親でもある範子先生が、母乳のよさを強調していたことも、母乳育児を積極的にとり入れるきっかけになったとか。母親にとっても、小児科医によるフォローアップは安心です。
「母乳育児とフリースタイル出産は、自分にとってライフワークになりました。それまではごく一般的な産科医療をやっていましたが、故山内逸郎先生(国立岡山病院名誉院長)と出会ったの大きなきっかけとなりました。その後『いいお産の日』のシーラ・キッツィンガー氏(文化人類学者・イギリス)の講演、レナート・リグハート先生(小児科医・スウェーデン)のビデオ、また日本マタニティ・ヨーガ協会の森田先生、森先生との出会いもあって、女性や生まれた赤ちゃんの自然な力を尊重した、生理的な母乳育児や出産について学ぶことができました。それにより、私たちの施設のケアが変わっていきました。そうした出会いがあったことを幸せだと感じています」
フリースタイル出産にとり組み、医療介入をできるだけ少なくしていった結果、帝王切開率は近年明らかに下がってきたと言います。それまで、8〜10%あった帝王切開(日本の平均は10〜13%ほど)が、2001年には5.2%、2002年は4.8%にまで減少。その理由としては、外回転術などで逆子のお産が少なくなったこと、前回帝王切開のVBAC希望の人の出産も約半数で可能となっていること、そして妊娠中の健康管理を徹底することで緊急に帝王切開が必要になる人が少なくなったことなどがあげられます。
医療介入率は、薬剤(誘発剤、促進剤)投与、会陰切開を合わせて(吸引分娩やおなかを押して出す方法は10年以上、硬膜外麻酔分娩は開院以来使用していない)も、2001年は13.2%、2002年には9.7%まで下がっているとのこと。
「自然出産や母乳育児へのとり組みは、思えば私にとって長い道のり、長い戦いとなりました」
『戦い』とは、いかにも団塊の世代らしい表現だけれど、今の産科医療の中ではあたりまえにとり入れられてるとは言えない母乳育児や医療介入の少ないお産を、医師の立場から、産む人はもちろんのこと医療者へも啓蒙していこうとしている先生の意気込みを感じさせる一言でした。
母乳育児成功のための10ケ条
-- 笠松産婦人科小児科のパンフレットより--
From: Protecting,Promoting and Supporting Breast - feeding : The Special Role of Maternity Services
A Joint WHO / UNICEF Statement
1)母乳育児の方針を文書にして、すべての保健要員に定期的に伝達する。
2)この方針を実施するうえで必要な知識と技術について、すべての関係職員を訓練する。
3)妊婦に母乳育児の利点やその方法を知らせる。
4)母親を助けて出産後30分以内に母乳育児を始めさせる。
5)母親に母乳育児の指導をし、もし母子を別室に収容する必要がある場合でも母親に母乳の分泌を維持する方法を教える。
6) 医学的に必要でない限り、新生児に母乳以外の栄養や水分を与えない。
7)一日24時間、母子同室を実施する。
8)乳児の要求に応じていつでも母乳を与える。
9)母乳育児中の乳児にゴムの乳首やおしゃぶりなどを与えない。
10) 母乳支援グループを育成し、母親が病院や診療所を退院するときに、それらを紹介する。
取材/きくちさかえ 2004.3月掲載 2006.4月更新