WHO Environmental Health Criteria 237: Principles for Evaluating Health Risks in Children Associated with Exposure to Chemicals
これまで、広範囲の化学物質をはじめとして騒音、電磁波、放射線物質が人の健康や環境へ与える影響について世界中の専門家による評価をまとめてきました。『環境健康基準』の最新刊が「低周波電磁界」(第238巻)であり、今回紹介するのが8月2日に発刊された、その一つ手前の第237巻「化学物質への暴露に関連した子どもの健康リスク評価の原則」です。
18カ国から集まった24人の科学者からなる諮問委員会が草稿を作り、100人を超える専門家からコメントをもらって仕上げたものです。全体で300ページを超え、精査した文献は900本以上という、子どもの化学物質曝露のリスクを論じたものとしてはこれまででもっとも包括的な文書です。
!読み解きのポイント
1.子どもには、大人にはない化学物質の感受性や脆弱性がある
2.「曝露の程度」と同じくらい「曝露の時期」が大切
3.因果関係が完全にはわからなくても、
国家、国際レベルでの子どものための対策は必要
子どもは小さな大人ではない
babycomの「
子ども環境問題」で常々強調してきたのが、「子どもは小さな大人ではない」「子どもの感受性や脆弱性に即したリスクのとらえなおしが必要」という点ですが、この報告書が焦点をあてているのもまさにその問題です。
現在、およそ数万種類にのぼる人工化学物質が総計数億トンの規模で生産されていますが、それらの中には環境と健康の観点から使用の規制が必要なものがたくさんあります。農薬や殺虫剤などに含まれるの有機塩素化合物、発達や生殖に影響する“環境ホルモン”(内分泌攪乱物質)、鉛や水銀やカドミウムなどの重金属類、あるいはホルムアルデヒドやベンゼンなどのシックハウス関連の有機溶剤や揮発性有機化合物……こうした化学物質の中にはいくつかの法律によって、生産や排出や使用に関して規制がかけられているものがあります(ただし、
「化審法」などでこれまでに毒性試験まで実施されたものは数百種類にすぎませんが)。
ところが、驚いたことに、こうした規制はほとんどすべてが大人(成人)を基準にしたものであって、胎児、新生児、乳幼児、学童期の子ども、思春期の子どもなどへの配慮はありません。つまり、「子どもはサイズの小さな大人」とみなされているわけで、「子どもは大人と違う病気にかかることがあるし、かかりやすさも違うことがある」という誰もが経験的に知っていることが、反映されていないのです。
たとえば「 国民の35.9%が目鼻、喉、皮膚のアレルギー症状で、特に5〜9歳の男児では45.8%で最も多い」(厚労省:平成15年保健福祉動向調査)や「学習障害(LD)、行動障害(ADHD)、高機能自閉症児が増加し、学童の6.3%に達している」(文科省:平成14年度調査)といった現状があるにもかかわらず、子どもを基準にした化学物質の曝露の本格的な調査や対策が不在だとすれば、これは本当に由々しき問題だと言わざるを得ません。
子どもの病気の原因は、30%以上が環境的要因!?
『環境健康基準』第237巻は、冒頭部分の「要約」で、「世界中の子どもの病気の原因の30%以上が環境的要因であると推定している」と述べ、「子ども時代の暴露の全体の影響は成人のデータからは予測することができな い」と明確に指摘しています。さらに文書の各所で、いくつかの新しい証拠を示しながら「成人のある疾病のリスクが、子どもの頃に環境中のある化学物質への暴露したことがその原因の一部であり得ること」にも言及しています。
改めて考えてみれば、成長過程にある子どもが化学物質の曝露とその影響の出方に関して、大人とかなり違った条件に置かれていることは、容易に想像がつきます。たとえば、
・母胎内や母乳を通じて曝露するという特殊な経路があること
・体重1キログラムあたりの水分・食物・空気の摂取量が多いだろうこと
・ハイハイしたり、何でも口に入れたりするといった行動上の特徴があること
・代謝経路(たとえば解毒作用)が未発達だったり、異なっていたりすること
などです。
こうした条件の違いから生じるものを、どう定量的にとらえ、あるいはまた化学物質のふるまいとしてどう正確に追跡できるかが、因果関係を探る上での鍵になります。
着床前から未成年期まで、暴露の時期で異なるリスク
化学物質の健康リスクを推し量る上で「曝露の程度」を知ることが必要なのは当然ですが、子どもへのリスクを考える上では「曝露の時期」も同じくらい重要です。この文書では、まず、「着床前の時期」「胎児期」「新生児期」「学童期」「未成年(少年・少女)期」と大きく分けています。そしてさらに、注目する身体の器官や機能に応じてこれらの時期を細かく分けて、これまでに得られた曝露と疾患に関する疫学や動物実験のデータを整理しています。こうした時期の中には、たとえば殺虫剤に曝露することで神経に起因する行動異変、パーキンソン病、免疫毒性、呼吸器疾患のリスクがとりわけ高くなってしまう、それぞれの決定的なタイミングがありそうだ、といったことが示されています。
複雑さはそれだけではありません。文書は次のように述べています。「
環境中の同じ化学物質を曝露しても、大人と子どもでは非常に異なる健康影響をもたらす事例がある。中には生涯を通じて体内に残留するものがある。さらに、異なる器官は異なる速さで成熟するので、発達の期間が違ってきて、同じ量の化学物質の曝露が非常に異なる結果をもたらすことがある。暴露とその影響との間に長い潜伏期間があることもあり、影響は後々の人生まで現れないこともあり得る」。
これまでに子どもの発達の時期に特徴的な健康影響として、流産、死産、低出生体重、先天性奇形(胎児期および出生時)や幼児死亡、喘息、神経行動や免疫の障害(幼児期)や早熟や成熟遅延(思春期)などが知られていますが、今後は、もっと様々な疾患が子どものそれぞれの発達段階・時期での化学物質曝露とどう関連するかが明らかになってくると思われます。
ただし、この文書が強調してやまないように、こうした異なる発達段階・時期ごとに暴露の影響を調べた研究は、まだ非常に数が少ないのです。「因果関係の完全な証明が得られていないからといって、暴露を減らすための措置や予防戦略の実施が妨げられてはならない」という姿勢こそが、化学物質の規制・生産・使用に関わるすべての関係者に求められている、と言えるのではないでしょうか。「すべての子どもに安全な環境を用意し、環境中の危険因子への暴露を削減することは、あらゆる国家、国際レベルや国レベルの組織の優先事項でなければならない」--この観点から化学物質に対する取り組みを総点検する必要があるのです。
(文/上田昌文)