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AIDで生まれるということ
〜加藤英明さんに聞く〜
Part1 AIDについて考える【2】
2012年 9月、光塾COMMON CONTACT並木町にて行われた加藤英明さんの講演会の模様を連載します。
シリーズ「語る+聞く リプロダクションのいま」第2回
AIDで生まれるということ〜加藤英明さんに聞く〜
日時:2012年 9月22日(土)光塾COMMON CONTACT並木町
主催:NPO法人市民科学研究室・生命操作研究会+babycom+リプロダクション研究会
加藤 英明 さん プロフィール
1973年生まれ38歳。AID(DI:非配偶者間人工授精)で生まれた立場から当事者活動をおこなっている。非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループDOG(Donor Offspring Group)メンバー。2002年、横浜市立大学医学部5年生の時に血液を調べる実習で、父親と遺伝的つながりがないことを知る。かつて父親が無精子症のため、慶應義塾大学付属病院で医学部学生から精子提供を受けたことを母親から告白される。以来、遺伝的父親を捜している。2011年より実名を公表して発言している。現在横浜市立大学附属病院 感染症内科医。
DOGサイト http://blog.canpan.info/dog/
Part1 AIDについて考える【2】
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2. 事実を知るまでの経緯 |
血液検査
私の話を簡単にしますが、お恥ずかしいのであまり見ないでください(笑)。私は医師になって10年目ですけれども、医学部5年生の頃に、各病棟を回って実習していました。内科があったり、外科の中でも心臓の外科があったりお腹の外科があったり、耳鼻科だったり眼科だったり、そういった小さい科も含め10いくつかのセクションを1個1個ローテーションしていくんですが、その時に輸血部と臨床検査部という所がありました。皆さんが病院に行って血液を採るわけです、で、おしっこの検査をしましょうね、と言うと、実際は検査室に行って、検査の技師さんと検査の先生がデータを見たり、あと輸血の際の血液型の判定なんかもそういったところでしています。
僕は当時血液内科の白血病の治療に興味がありました。このポスター…そう、本田美奈子のポスターですね、この方も白血病で亡くなったんですが、白血病の根治的な治療のひとつに、骨髄移植というのがあり、兄弟間とか親子間で移植をするんです。HLAという、血液型の一種のものがあるのですが、それが兄弟間だと4分の1の確率で一致します。もし白血病の人がいて、骨髄移植をしましょうっていった場合には、家族の血液を全員採って、遺伝子型を全部調べるんですね。僕そんなところに、偶然興味を持っていました。
ある日技師さんが、「興味があるんだったらうちの病院の検査を自分で実習してみない?」という言われて、「是非やりたいです」と言って、家に採血管を持って帰って、両親から採血しました。純粋に検査をやってみたいなぁと思って、採血したものを試験管から移し検査機械にかけ、そうやって一緒に判断してみましょう、という内容でした。1週間位した頃で、技師さんが「結果が出ましたよ」って呼んでくれました。
血液型はABO、さらにプラスマイナスがありますが、白血球の血液型HLAには血液型は実は1万位あります。ここにAとかCとかありますけども、これがある程度一致しないと、骨髄移植はできません。家族の中の全員を調べて、できるだけ近い人のものを移植するというのが前提になってます。私は一人っ子なものですから兄弟がいないので、父親、母親、自分の3人の血液を採って見てもらった所、技師さんが結果をポンッと渡してくれないんです。「何か加藤先生おかしいですよね…」って見せてもらったところ、僕もちょっと眺めてから、「うん、おかしいなぁ…」って確かに思いました。例えばこの、Aのところの、26と31というのが血液型ですが、母親は31っていう数字を持っていて、それが僕に遺伝したわけです。ただ、父親は2と24っていう組み合わせですが、どちらも僕に遺伝していません。で、もう1つDRっていうタイプは、僕が持っている4が父親にはありません。ここまで違うと、これは親子じゃないよね?と、誰にでもすぐわかるんです。技師さんも「たまにあるんです、こういうこと…養子の方とかが偶然いらして、話してらっしゃらなかったりするんですよ」「あ、そうなんですか…」って言いながら、僕は結果を家に持って帰りました。まぁ、これを見たときは変な話だけども、「僕も養子なんじゃないかな」とか、あと、親戚の付き合いがすごく多かったので、「あの叔父さんの子供だったらいいな」とか思ってあまり気にしてなかったんです。
ある日、母に事実を聞くある日、母に事実を聞く
これはやっぱりお母さんに聞かなくちゃと思って…ある日、家に帰ってみたら町内会の飲み会で父親が出かけていて、お母さんが家でテレビを見ていました。「これは丁度いいな」と、「お母さん、どうなってんの」って聞いたら、突然黙り込んでしまって、ぼそぼそっと言い出したのが、こんなことでした。
僕は両親が44歳のときの子供なので、両親はもう80歳なんですけど、両親とも30代で結婚したけれども、しばらく子供が出来なかった。で、母親は勤務先の病院の先生に「子供が出来ないんだけど」って言ったら、「じゃあ、調べてあげるよ」と、簡単に言われて調べてもらったら、お父さんの方にすごく精子が少ない、男性の方には一定の確率である無精子症でした。不妊の原因ってどうしても女性に思われがちなんですが、3~4割は実は男性側にあるんですね。女性の問題が5~6割、男性が3~4割、その他両者の問題というか、免疫の異常などが1割と言われていまして、実は男性の不妊ってすごく多いんです。
その相談した産婦人科の先生は、「これはお父さん側の問題だよ、でも、そしたら慶応大学というところがすごくよく診てくれている病院なので、そこに行ったらどうだい」って言って、紹介状をサラサラッと書いて渡してくれたっていうことなんです。そして受診したのがこの飯塚理八先生ですね、数年前にもう亡くなってしまいましたけども、日本の産婦人科学会の会長まで務めた、大御所中の大御所です。彼は「他人の精子を使った治療をやります」と説明し、慶応の医学生の精子で、匿名で名前や身元は教えられない、生まれてきた子供にはAIDのことは教えないほうがいいと言われて、更にお父さんの精子と提供者の精子を混ぜて使うので、生まれたらどっちの子供かわからないから気にしなくて良い、ということでした。
母親はかれこれ2年位通って妊娠しました。母親はもう慶応なんか通いたくないっていうのがあったようで、もう慶応には通わないようにした、病院の職員ですから、地元の病院に戻って、「普通に妊娠しました」と普通に妊娠の経過を追ってもらって、39週6日で僕が生まれたということだったんですね。病院の先生も普通に「満期産」って書いて終わり、普通に小児科の先生も「生まれました」で終わり。何も周りに気づかれることもなかったということです。
飯塚先生に後日、もらった同意書っていうのがこれなんですけども、精子提供者の同意書と、こっちが治療を受ける方の同意書ですが、よくよく読んでみると、提供者の情報とかについては、一切教えられません、隠しておいてください、というような事が書かれています。同意書だと思ってサラサラッと書いておくと、あなたはこれに同意しましたよね、ということになってしまいます。飯塚先生なり、今の後継者である吉村先生あたりが、きっと金庫か何かに管理しているんだと思いますが表には一切提供者の情報は出てきません。僕は、家に帰って母親に聞いた時点では、何とか叔父さんの子供だったらいいな、とか、適当なことを考えていたわけです。実際は「そんなことは聞いていないよ!」という結果になりました。
浮遊感...
自分の作られてきたピラミッドの、下が崩れていくような…よく浮遊感というか、浮いている感じを表現する子供が多いんですけども、自分のこれまでの人生を作ってきた、根本にあるところが崩れていくような感じ、というのを受けました。
私はさすがに母親に、慶応に何年位行ったんだとか、どういう人を提供者に選んでたんだとか、こう色々聞いたんですけども、母親はその辺りもう、答える気もない。かと言ってきちんと説明を受けているわけでもない、だから、母親に聞いても「そんなの知らない、私は興味ない」の一点張りで、途中からは「あんたうるさい」「あんたが勝手に調べたからいけない」って言い出してしまいました。
これはどうしようもない、と1人で部屋に戻って風呂入って、ボーッとして、天井見て「しょうがない」と、ポカーンとしていました。さすがにどうしたもんかな、とすごく困りましたね。
父親が一緒に写っている写真とか思い出すと、私の父親って44歳離れているので、僕が小学生なのに、おじいちゃんなんです。まだ1970年代生まれって、まだ子供が3~4人、2人いて当然の世代で、他のお父さんとか見てると、小学校の父兄サッカー大会なんかでも「○○君のお父さんシュート決めてスゲェ!」とか言われているのに、うちの父親はボテボテッと走っているだけですね。で、なんか海水浴とかに行っても、おじいちゃんに見えちゃうんですよ。それで、なんか悔しいなぁとは思ってたんですけど、それでも父親だよ、って思ってたのが、違うんだなって思われると、ちょっと切ないですね…。やっぱ自分が思っていた父親って何なんだろう…ってずっと思うようになりました。
母親は性格が非常に僕と近いですね。母親は短距離型なんです。あっという間にやって、あっという間に決めて、あっという間に終わりってなるんです。その代わり、怒ると怖い。父親はいつまでたっても決まらないし、あれこれあれこれやる。持久力はあるんだけど、あまり僕と似てないなぁって思っていたんです。父親のほうが保守的なんですが、僕はあんまりそういう感じじゃないなぁと思ってたんですが、親戚なんかに会うとみんな、お父さんに似てるわよ似てるわよって言うんですよね。…皆さん言ったことありますよねきっと。実際に背が高いのはお父さん譲りよね、とか言われるんですよね。そうすると、「似てないよなぁ…でも、似てるよなぁ?」って思って、それで20何年間かやってきたんです。でも、開けてみたら違っていたじゃん!っていうびっくりだったんです。
これは親戚一同ですが、従兄弟とか父方のこの親戚だと思っていたこの人たちも、血が繋がっていないことになりました。僕が知って3ヶ月くらいして親戚のところに遊びに行ったときに、「実はあなたたちと血が繋がっていないんですよ」いいました。「あらそうなの」みたいに、びっくりはされましたが、「あなたのお母さんなら、そういった医療も受けるわよね」と、なんか納得されてしまいました。今でもよく話は聞いてくれます。ただ、母親はもう何もDIに関しては話をしてくれません。