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卵子提供を受けた方へのインタビュー【1】
卵子提供を経験して
それぞれの思いは、いま…
| 現在、卵子提供を試みている立場から …山田花子さん(仮名)
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聞き手・文/白井千晶 (インタビュー2011年2月)
医学辞典によれば、早発閉経(POF)は「正常の閉経は48〜50歳頃にもっとも多いが、その時期が異常に早く、40歳までに閉経することをいう。卵巣の早期老化(原始細胞の消失)、性中枢異常などによる」とされています[以上『最新医学大辞典』]。
現在、一般的には、40歳未満で卵巣手術,癌化学療法,放射線照射などに起因しない続発性無月経で血中FSH 値40mIU/ml 以上を呈する症例を指し、広義には染色体異常を有する症例も含めるとされています。
また、原因はさまざまで、根本的な治療はなく、排卵誘発の成功は稀だけれども、長期的な観察によって、卵胞の発育が見られることもあるとされています(石塚ら2002)。
Coulamらの調査によれば、30歳までで1000人に1人、40歳までで100人に1人といわれています。
石塚文平ほか「早発閉経の病態と取り扱い」『日本産科婦人科学会誌』54(9),pp.N252-N255,2002年
Coulam CB, Admson SC, et al. Incidence of premature ovarian failure. Obstetrics
& Gynecology 1986 ; 67 : 604—606
早発閉経と診断されて
初経の時から、生理不順でした。しかし、10代でしたので、詳しい検査は受けませんでした。病院でお薬をいただいて、それで生理が起きたので、重大なこととは誰も思っていなかったと思います。
20歳になったとき、生殖医療に力を入れている病院に行きました。そこでFSH[補足:卵巣刺激ホルモン・エストラジオール(エストロゲン)を計測する血液検査で卵巣の機能を示す]というものを測りました。その結果、担当医から「妊娠はほぼ無理」と言われました。排卵するかどうか試したいと言ったんですが、「(未婚の)今しても、お金と卵がもったいないだけ」と言われて、ホルモン補充をして、生理を起こしていくことになりました。
診断を受けた時は、ショックでした。初めて血の気が引く感覚を味わいました。「どうして私なんだろう」と思いました。
日本は結婚=子どもという考え方が強いので、私自身も、結婚できないかもしれないと思いました。一生一人かもしれないという不安や孤独がじわじわと襲ってきました。
周りの女性に対して劣等感のようなものも芽生えました。自分は女性としての役割を果たせていないような気がしていました。自分自身でも気持ちの整理が出来ていなかったので、最初は親にも言えませんでした。
医師は、「絶対」という言葉は使わないんです。ただ、私の場合は「限りなくゼロに近い」という言い方をされました。もしかしたら奇跡的に排卵が起こる可能性も無きにしも非ずだから、ホルモン補充で子宮のケアは続けていきましょう、という結論でした。
診断を受けてからは、自分の子宮だけでも守ろう。これからは仕事でキャリアを作って生きていこう、と考えるようにしました。
男性とお付き合いもしましたが、子どもが出来ないことを告げると、関係が終わりました。それ以来、男性とのお付き合いにもためらうようになりました。
卵子提供を受けることを決めるまで
数年間は誰ともお付き合いをする気になれませんでしたが、ある時、とても素敵な人に出会いました。人間的に尊敬できるひとだったので、もし別れることになっても、納得のいく別れ方が出来ると思い、お付き合いを決めました。長い時間を過ごすうち、いつしか結婚の方向へ話が向かっていきました。そこまで真剣なら・・と、早発閉経の事を打ち明けました。
彼は、自分の遺伝子を受け継いだ子どもを育ててみたい、という思いがある、と言っていました。自分の遺伝子を残したいというのは、動物の本能だと思います。私も、子どもを持てない悲しみはよくわかっていたので、可能性がある彼に、自分が原因で子どもを諦めさせるのは残酷だと思いました。私1人だけで結論の出せることならば、養子や子どもを持たない人生というのも選択肢にあったのかもしれません。
卵子提供をすることは、婚前に決まっていました。話し合いに話し合いを重ねての結論です。卵子提供なら、夫は自分の遺伝子をもった子どもを持つことができ、私も好きな人の子どもの母親になることが出来るからです。いくつかの選択肢の中で、2人の希望を満たすには、卵子提供しかないと思いました。
自己卵との決別
自己卵との決別はとても辛かったです。
早発閉経の診断は早い時分に下されましたが、不妊治療をしたことが無かったので、結婚1年目は不妊治療をすることになりました。
AMH[補足:卵巣予備機能の指標となる数値の検査]の結果、卵巣がほぼ機能していないことが分かりました。エコーを見ても、卵巣は映りませんでした。恐らく、委縮してしまったのだろう、ということでした。
行った病院すべてで、「妊娠は無理」「方法はありません」といわれました。
また、ある病院では、遺伝子検査を勧められました。そこで、自分に遺伝子異常があることが判明しました。それが早発閉経の原因ではないか、とのことでした。
ほぼ可能性のないことに希望を持ち続けるのは、正直、辛かったです。医師に「先生は、個人的にどう思われますか?」と聞くと、「おそらく自己卵での挙児は無理だと思います」と言われました。しかし、私としては、ハッキリ言ってくださったおかげで、解放された思いがしました。
ただ女性として、どんなに不可能だと言われても、淡い期待はいつも抱いてしまいます。
ドナーさんは私に雰囲気が似ている人
夫も私も、何の抵抗もなく卵子提供という結論に辿りついたわけではありません。長い間話し合うことで、お互いの希望をすり合わせた結果でした。
エージェンシーは、あちこちコンタクトをとりました。アジア圏と米国の両方を視野に入れていましたが、最終的にはアメリカの現地の会社に直接連絡しました。アジアのエージェンシーから送られてきた写真は、どれもモデルのように綺麗な方々ばかりでしたが、バーのような所で写されたものや、明らかに営利目的のものもあって(学歴詐称)、生理的に受け付けませんでした。
ドナー選びについて、最初は国籍にはこだわりませんでした。子どもには、ドナー選びの基準として、私たちが尊敬できる人を選んだ、と言いたかったので、国籍では選びませんでした。しかし夫と熟考した結果、ドナーさんは外見において、日本人との差異が小さい方に決まりました。子どもに向けられる好奇の目を懸念しての結論です。また周囲の心ない言葉に、子どもや家族全体が苦しむ事を避けるためです。必要であれば、インターナショナルスクールも検討しています。
ドナーさんは、私たちが尊敬でき、私に雰囲気が似ている人で、夫が好感を持てる人ということで決めました。探し始めた当初は、ドナーさんと夫との子どもという見方が自分の中で強く、不快感にも似たものを感じていましたが、納得がいくドナーさんを見つけた時、感じ方も変わりました。私は、今巡り合ったドナーさんに、すごく好感を持っています。
自分の卵子にあこがれを抱くように、彼女の卵子にあこがれを抱いています。
子どものアイデンティティ・クライシスについて勉強したい
アイデンティティクライシスについては、個人的にもっと勉強しておきたいと思っています。シングルファーザー・シングルマザー・養子・精子提供・卵子提供、感じ方もそれぞれ違うと思うし、アイデンティティクライシスにも種類や度合いがあるのではないかと思います。
身近に養子の方もいます。普通の親子と変わりなく、それ以上の強い絆を感じました。人生を形成する上で必要なことは、愛されている事実だと思います。ただ、自分のルーツを知りたいと思う気持ちは、当然湧いてくるものだと予想されます。その情報がどれだけあれば、アイデンティティクライシスを避けられるのか、これは私と夫の今後の課題でもあります。私たちが現在持っている、ドナーさんに関する資料は、十分な量であると思っていますが、もっと多くの詳細を集められるなら、という思いから、ドナーさんに会うことも検討しています。
私は、周囲の人に、卵子提供を受けたことを話しています。周囲の反応は様々です。日本人に話した時の反応と、欧米の方に話した時の反応は違いました。日本人はみな「つらかったわね」「大変ね」「悲しいね」と、同情を示して下さいました。欧米人はみな「強いわね」「素晴らしいわね」「本当の親子だわ」等、前向きに応援して下さいました。どちらも私に対して支持はしてくださっているのですが、考え方に開きがあると感じました。
私は子どもを「申し訳ない」「かわいそう」という同情的な態度で育てたくありません。前向きに考えることで、人生も変わると自分の経験を通して学びました。
以前、早発閉経と診断を受けて、とても落ち込みました。そして自分の事を、悲観的に考えていました。その時に、ニュージーランドの方とお話する機会があったのですが、その方は私の病気の話を聞いても「あら、そう」という態度でした。私自身に「自分は不幸だ」という思いがあったからか、同情されるものと思い込んでいたのか、その方の返答を聞いて、少し拍子抜けしました。その方は「そんな人、いっぱいいるわよ。みんないろいろな事情を抱えて生きているのだから、くよくよしないの。私だって全員養子よ」と笑っていました。最初は「結局は他人事」と腹を立てました。でも世界を見渡せば、自分よりも過酷な状況下で生きていらっしゃる方が山のようにいます。今日の自分の悩みが、世界ではちっぽけなものかもしれません。それ以来、永久不妊のことで、自分を哀れむことはなくなりました。そして、物事は肯定的に受け取る方が良いと考えるようになりました。
子どもは、「かわいそう」とか「申し訳ない」という同情的な思いではなく「救われた」「ありがたい」という感謝の思いで育てたいと思います。そして子どもには、自分の人生に対して悲観的な考えを持たないで欲しいと思います。また、それも親の教育次第で、いかようにも変化するものだと思うのです。肯定的な考え方が出来るように、私たち夫婦は、教育方針を定めていく必要があると感じています。
私が初めての移植で渡米したとき、卵子提供を教える絵本を購入しました。小さいころからの教育で、物事を肯定的にとらえる力を育てたいのです。あまり絵本や教材がないので、個人でも作ろうと思っています。
子どもと接する機会のある周囲にも、私たちの考えを伝えています。モノの考え方はひとそれぞれです。卵子提供に対して悲観的に受け止めている人もいます。私の両親が最初はそうでした。しかし、私たちの考えを伝えていくうちに、卵子提供で生まれてくる子どもたちに対して、どれほど望まれて生まれてきたかを伝えたい、と笑顔で言ってくれるようになりました。親にも友人達にも親戚にも、例え感謝の気持ちや喜びの感情であっても、卵子提供について口に出すときは、子どもの前で決して泣かないようにお願いしています。
死産を経験して
残念ながら今回は死産でした。今はだいぶ落ち着いてきています。
子どもを失ったとき、自分の中で、とても大きな存在になっていたことを知りました。例え、他人の卵子でも、胸をはって、自分の子どもだと言えると感じました。
現在凍結している受精卵は1つ。もし迎えに行けない場合は、今後の医療に役立ててもらうか、破棄をする、ということでサインをしています。
現時点では、迎えに行きたいと考えています。その場合は、兄弟姉妹を作りたいので、もう一度同じドナーさんに採卵をお願いします。ただ、そのドナーさんがいつまで登録しているのかは分からないので、凍結卵を移植すると決まった時点で、次回の為の採卵をお願いしようと考えています。
検討中の方へのメッセージ
賛否両論ある現状での妊娠・出産・子育ては、孤独な戦いです。(人それぞれ異なった)様々な面での葛藤も出てくるかもしれません。そのたびに、常に夫婦の話し合いと、提供に対する理解と、お互いの協力が必要になります。また子どもが生まれたあとも(告知を前提として)子どもの精神面に留意した告知が必要となってきます。全てにおいて、自己責任になるので(物事は全てそうですが)相当な覚悟が必要になります。私が言われたことは、人生は決断の連続だけれど、大事なことは、1度決意したら振り向かないこと、です。
社会に対して願う点は、全ての方たちが生きやすい、また開けた未来でありますように、ということです。
補足 (白井千晶)
2003年に出された厚生労働省の審議会でまとめられた報告書では、「卵子の提供を受けることができる医学的な理由」として、「卵子が存在しないか、または卵子に受精能力がないことを明確に判断できる」(卵巣形成不全、卵巣性無月経、両側卵巣摘出術後、放射線・抗がん剤などの外因による卵巣機能の廃絶)または、「受精能力がないことが推定される」(顕微授精を相当数実施したが夫側に原因がなく妊娠に至らない、受精卵が得られない)という2つがあげられ、加齢により妊娠できない夫婦は対象とはならない(医師の裁量だが50歳が目安)とされています。
また、同報告書では、提供に対する対価の授受の禁止、匿名性の保持、出自を知る権利を認める、カウンセリングの実施、などが条件とされています。