| 卵子提供で子どもをもった立場から …岡野朋子さん(仮名)
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聞き手・文/白井千晶 (インタビュー2011年2月)
岡野さんはティーンエイジャーの頃から、婦人科に通院して生理を起こしていました。
それは、将来像や異性関係に大きな影響を与えます。
結婚してもつらいことになるかもしれない、仕事をしていこう、経済力を身につけなければ、と、少女の頃から思ってきたそうです。
仕事に没頭してきたのですが、40歳を過ぎて、実は気持ちを押し込めてきたけれど、自分は小さな頃から、ママになる夢しか持っていなかった、という事実に向き合うことになります。
思春期の頃からコンプレックスを抱えていた
最初から生理がおかしくて、高校生になったぐらいから、婦人科に通院していました。
その年代で婦人科に通院するというのは、予備知識もないし、初めての内診台はショックでした。注射を打ったりして、生理を定期的に起こして、様子を見ましょうという感じでした。病院を転々としながら血液検査、染色体検査、何から何まで検査しました。
当初から、コンプレックスを抱えていました。
とくに異性関係に影響を与えたと思います。
普通に結婚したら、子どもを期待されて、できなかった時につらい目にあいますよね。
だから、この人とつきあったら、早く結婚するかもしれないと思うと、遠ざけてしまう感じでした。
母にもほとんど相談できませんでした。
結婚はしたいけれども、子どもがいないと嫁としてつらい立場になるだろうと、子どもの頃から感じてきました。
そうなっても生きていけるように、仕事だけはしていこう、経済力を身につけるようにしなければと思ってきました。
不安を持ちながらも一人で生きていけるほど強くはなくて、また、本当に妊娠できないのかどうか、決定的な診断もなかったので、結婚することにしました。
結婚して3年たった頃でしょうか、大学病院で卵巣組織をとって調べた時に、原始卵胞がもうないといわれました。
もうまったく見込みがないことがわかったんです。
なぜ。と思いました。大きな病気をしたこともなく、身体が小さいわけでも大きいわけでもなく、ごくごく平凡に過ごしてきましたから。
医師からは、親になる方法の選択肢が示されるとか、そういうことよりも、骨粗鬆症などを予防するために定期的にホルモン治療を受けて、とにかく私自身が健康でいるようにして下さいと医学的な説明を受けました。
子ども、なんて言い出せる雰囲気ではなかったです。
もう治療や努力ではどうにもならないので、夫には悪いと思いました。
それが原因で離婚することになっても仕方ないので、貴方自身も良く考えてほしいと、夫に伝えました。
卵子提供との出会い
はじめ、海外での卵子提供というのは、小さなお子さんが寄付を募って心臓移植で渡米するニュースのように、とてつもない、自分からかけ離れたすごい治療だという印象がありました。
それよりも、仕事で自己実現して満足するしかないと思って、仕事やそのための勉強に没頭して、数年間が過ぎていきました。夫に卵子提供という方法がある、と話した時に即答で「そんなことまでして子どもなんか欲しくない」と断言されたこともあって。
結局、頭の片隅にありながらも、何も行動しませんでした。
それが、40歳を過ぎて、自分はやっぱり子どもがほしいんだと、強烈に気づいてしまったんですね。
家の外に出ると、息さえできないと思うような気持ちでした。
それまではディンクスって、ちょっと気楽で余裕があって綺麗にしてて、というイメージで生きていけたんですけど、急に孤独感を感じるようになりました。
それより何より、私は、自分の気持ちを押し込めて仕事仕事って言ってきたけど、思い返せば、自分の夢って、ママになる夢しか思い描いたことがなかったんですよ。
ふとした時に、爆発したように夫に伝えました。
夫も、本当は子ども好きの人なのに、彼なりにたぶん葛藤があって、夫婦ふたりの生活でいくんだと、決めてきたみたいなんですね。
なので、非常に驚いていましたが、卵子提供をやってみようということになりました。
エージェンシー選びとドナーの決定、移植
出生に関わる重要なことをするのですから、エージェンシー選びは、その会社が信用できるかどうかということが一番でした。
子宮の状態を整えるために国内で行った施設は、エージェンシー提携先の医療施設でしたので、自分の身体のことも、卵子提供の希望も、何も隠さず行けました。その点がすごくよかったと思います。
提供者については、日本人であるということと、血液型だけ、希望しました。
子どもが自分に似ないのは当たり前のことなんですけど、どこか似ていたらいいなという気持ちはありました。
写真や手書きの20ページ以上あるようなプロフィールがあって、人柄がよくわかるように思いました。フィーリングの合う方がすぐに決められました。
実は、駄目だったらこれであきらめられるわという気持ちもあったんです。
でも、あんなにコンプレックスを持っていたのに、子宮の状態がとてもよいと言われて、途中から、もしかしたらこれはうまくいくかもしれないと希望が持てるようになりました。
移植をしたドクターは、胚盤胞の状態がいいし、あなたの子宮の状態もいいから、移植は1個でいいと思うと言われました。
まさか1個とは思わなかったので驚きましたが、信頼して1個だけ移植しました。
妊娠すればよいという感じのクリニックではなくて、双胎もリスクの一つと考えて、できるだけ避けていくような、安全性重視のクリニックでした。
いくらいい治療でも、フィフティフィフティだとして、1回駄目だったら、2回やればいいという心づもりでした。
高齢出産で何が不安かというと、将来的な経済力ですよね。
双子なら仕事も継続できないだろう。
それらの点からも、移植が1個というのはよかったと思います。
移植した時から良い直感があり、妊娠がわかった時は、やっぱり、と思いました。
2人目の妊娠
最初から子どもが2人ほしいと思っていたわけではありません。
でも、子どもってかわいくって、生まれてみたら、もっとかわいくって。
最初の移植が1個だったので、凍結している受精胚がありました。
凍結している卵のことを思うと、いても立ってもいられない気持ちになりました。
年齢のこともあるので、生んでから早い時期に、またクリニックに通って、移植の準備に入りました。
移植に行った時は、凍結卵を迎えに行くような気持ちです。
凍結してあるのを1つ蘇生して、駄目なら次を蘇生して、というスタイルだったんですが、状態がいいので、また移植数は1つでと提案されました。
また1つしか移植していませんし、2回目はうまくいくはずがないと思ったんですが、驚いたことに妊娠しました。
私なんてまともに生理もなくて、小さい頃からコンプレックスのかたまりで、普通の人の何分の何分の一しか生理を経験していない子宮なのに、自分の身体がうまく機能したということが、ものすごく嬉しかったです。
はじめて、女性として誇らしく思うことができました。
子育て
周りの人は、パパそっくりって言ってくださるんですけど、私は、パパよりドナーさんに似てると思うんです。
生まれてすぐはもっとそっくりで、「ママ、わたしはなんでも知ってるよ」って言われているような気がするくらい似ててドキドキしました。
成長してくると、身のこなしとか、口癖とか、そういうのが似てきますし、周りの方も似ているところを探しますので顔が似ていないことは気にしていません。
ドナーさんに対する気持ち・子への告知
ドナーさんには、心から感謝しています。
そして、ドナーさんを決める時からそうなんですが、ドナーさんにすごく好感をもっているんですね。
こんなにかわいい子どもに恵まれるきっかけになってくださった方を大切に思っていて、お会いして、頭を下げて、お礼を言いたいぐらいです。彼女の幸せを祈っています。
エージェンシーさんに、ドナーさんに手紙を書いてあげてくださいと言われて、手紙を渡して頂きました。
ドナーさんの写真はもっています。プロフィールなども。
将来、子どもに見せるつもりで保管しています。
ただ、お互いに名前はわかりません。お会いしたいんですけどね。
ドナーさんはプロフィールも写真も詳しく公開するのに、私たちのことは一切出さないんですよ。
このアンバランスさは、いいんだろうかという気もします。
もし自分がドナーで、自分も子どもを産んだとしたら、異父きょうだいがいることになりますよね。
血のつながりなんて、という話をしましたけれど、やっぱり、異父きょうだいがいるとなると、知らなくては過ごせない気がします。
まだいつ頃いうかは決めていないのでわからないんですけど、テリングするつもりです。子どもは一時的にはショックを受けて、ぎくしゃくするかもしれないとも思います。
でも、ママにならせてくれてありがとう、って思います。
私は本当に幸せになれました。
遺伝子がどうのとか、血のつながりがどうのとかいいますけど、私は、血のつながりがないとは思えないんですね。
そもそも遺伝子なんてたいしたことないんじゃないのと思いますし、
私の子宮に着床して、私の血液で大きくなって、胎動を感じたり、私も妊娠中に気を使ったり、お腹の中と会話している感じもありますし、そうやって生まれた子どもが、血のつながりがないなんて、思えないです。
すべての卵子と精子は命として生まれることを目指して遺伝子が配列されて。
本当に奇跡みたいな確率で人間として成り立って、世に出るわけで、それを喜べなくてどうするんだと思います。
宿 題
実は、凍結卵が残っています。
自分では、もう妊娠は無理だと思います。
2人目を妊娠・出産した時に、これで最後のつもりでした。
受精卵が凍結されている、私の施術をしたクリニックでは、売買は一切やっていないんですね。
選択肢としてあるのは、破棄もしくは匿名・無償で譲渡。
あげた場合、誰にあげたか、その結果妊娠・出産したか、一切情報はもらえないんです。やっぱり…、生まれてしまうと、破棄なんかできないです。
でも、まったく知らないところで、結果もわからず、他の子が生まれていいんだろうかという問題も。
でも、どなたかもらって下さる方がいたら…とも思うし、決められずにいます。
卵子提供を考えている人に
子どもがいない人生に絶望して、生きるのがつまらなくなるよりは、思いきって挑戦した方がいいと思います。子どもがいると毎日が楽しいです。また、子育ては私にとっては修行のようなところもあり、私自身が成長できると思っています。
それから、卵子提供を、悲劇だと思わないでほしいです。誰の卵子か、なんて子育てに比べたら大した問題ではないと思います。
補足 (白井千晶)
岡野さんは、エージェンシーとの契約から移植までは、8ヶ月かかっています。
渡航したり、子宮を何周期かかかって整えたりすることは、短い時間ではすみません。
卵子提供には、長い時間がかかることが少なくありません。
凍結受精卵については、提供卵子、提供精子に限らず、自己精子、自己卵子の場合も、育児をしながら、課題として抱えている人は少なくありません。
ほとんどの場合は、凍結してある施設から移動ができませんので、その施設の方針や選択肢にも依ります。