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ジャーナリストへのインタビュー Part1
『代理出産ー生殖ビジネスと命の尊厳』の著者である国際ジャーナリスト、大野和基さん。代理出産、DIの家族への取材経験から、日本にいま必要なことは何かを伺った。
大野和基(おおの・かずもと)さん
1955年兵庫県西宮市生まれ。東京外語大英米学科卒業後、1979年渡米。コーネル大学で化学、ニューヨーク医科大学で基礎医学を学んだ後、ジャーナリストの道に進む。
「AID出生者の苦悩『ドキュメント・AID(非配偶者間人工授精』」が、G2に掲載。「私はいったい何者なのか」人工授精で出生し、遺伝上の父を探す現役医師の実名告白。
| Part1 代理出産、DIの家族が抱える問題とは? |
取材をはじめた動機について by大野和基
昔から、生と死に関する諸問題に関心がありました。死については、死ぬ権利、尊厳死、安楽死についてかなり取材して、発表してきました。生についても関心がありましたが、1987年の「べビーM裁判」が行われた裁判所がたまたま住んでいたNJ州の家のすぐそばだったので、毎日のように取材していました。あまりにも衝撃的な事件だったので、これが契機となり、「生」に関心を持つようになったのです。お金で人の子宮を借りることは今でも受け入れられませんが、「ベビーM事件」は起こるべくして起きた事件だと思います。
卵子提供は最近のことですが、それは卵子凍結が技術的に難しかったからです。アメリカでは日本人留学生が、卵子を提供して8千ドルくらい謝礼をもらっております。それで授業料を払ったり、クレジットカードの支払いをしたりしています。そこから新しい生命が生まれることまで考えていないと思います。精子提供は日本でも1948年から行われていますが、提供する側の男性もちょっとした小遣いがもらえると思ってやるだけで、自分と遺伝的なつながりのある子どもがあちこちにできて、お互いに知らない兄弟がたくさんできるという意識もないと思います。生まれてくる子どもからすれば、出自が普通ではないということがどれほど苦痛の種になるか、親は理解していないと思います。だから、ますますこの問題に関心を持つようになりました。
卵子提供型の代理出産:マーケル家の人々
『代理出産』の中で、大野さんが取りあげるのは、第1子は、代理で出産する女性の卵子で生まれ、第2子・3子(双子)は、依頼者の女性の卵子を使って代理出産で生まれたマーケル家。前者はサロゲート・マザー(Surrogate MotherまたはTraditional Surrogacy)、後者はホスト・マザー(Host MotherまたはGestational Surrogacy)とも呼ばれています。前者のサロゲート・マザーは、依頼者夫婦の男性の精子を代理出産する女性の子宮に人工授精する方法なので、代理出産であり、なおかつ本特集で扱う卵子提供でもあります。
このマーケル家の長男(ブラッド)は、夫(グレン)の精子を代理母(ホーリー)の子宮に人工授精させて生まれました。母(リンダ)と遺伝的つながりはありません。下の双子の兄妹ブレントとキンバリーは、マーケル夫妻の受精卵を代理母(キャシー)の子宮に移植して生まれています。大野さんは、マーケル一家、最初の代理母ホーリー、二回目の代理母リンダのすべてに取材しています。そこからみえてくるのは、代理母の葛藤と生まれた子たちが抱える不安定さだといいます。
ホーリーは代理母を引き受けたことで、実姉や母親に関係を断絶されてしまい、娘は弟を取られると思いこんでしまったそうです。さらにその後産んだ自身の息子は病死してしまったのです。ホーリーは、ブラッドが自分が彼を捨てたと思っているだろう、ホーリーのことが嫌いで恨んでいるだろうと、会う勇気がなかったそうです。
ブラッドは、メディアでマーケル家の代理出産が放映されるたびに、お前の家には本当の母親がいないとからかわれました。初めてホーリーに会ったのは17歳の時だが、その時、同じ形の親指を見て、遺伝的つながりを確信したそうです。取材の時にはうつむきがちで、答えようとするたびにリンダが先に口をはさんで、大野さんは両者の複雑な心境を感じたとのこと。
依頼人のリンダもまた、困難に遭遇したといいます。ブラッドは学校での出来事をストレートにリンダに伝えて責めることもあり、リンダは自らの正当性と子どもが見せるアイデンティティの混乱との間で、葛藤を感じていました。また、二人目の代理母キャシーは妊娠中、お腹の赤ちゃんに愛着を感じると、理性を保つためにリンダに電話をし、電話口で泣きじゃくったそうです。リンダはキャシーが気が済むまで話を聞き、代理母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになったとのこと。
双子の兄妹のブレントも、学校で友人どころか教師も代理出産を理解してくれず、ブレントの母親は、産んだキャシーだと言われたそうです。
マーケル家の取材で象徴的だったのは、写真撮影だ。マーケル一家に「家族の写真を」と求めると、母リンダと遺伝的つながりのない長男ブラッドは席を外し、4人で写真におさまったのです。さらにリンダは、下の双子は遺伝的につながっているから音楽を愛しアートにたけていると誇らしげに話し、一方ブラッドはホーリーの家系に似たために軍隊や銃に夢中だと話しました。そういうリンダは、ブラッドのために、ホーリーと一家の交流を今でも続けているのだそうです。
子どもにとって、非配偶者間人工授精で生まれることとは
大野さんは、非配偶者間人工授精(DIまたはAIDと呼ばれる)で生まれた方、複数にインタビューをしています。その一部は『正論』2010年12月号に書かれています。
アラーナ・スチュワートさん(24歳):父は死んだと嘘をついた
アメリカ人、5歳の時DIで生まれたことを知る。7歳の時、親は離婚。
「父親が私と生物学的につながっていなくて、母親だけがつながっていることが常に緊張感を生じさせ、それが離婚につながったと思います」
「私たちの文化では、精子提供者と言われた場合、reference point(基準点)がないので、周囲の友達を不快にさせ、そこで会話は突然終わります。でももし父親は亡くなったと嘘をつけば、みんな同情してくれるので、ときどき嘘をついていました」
そしてアラーナさんは思春期にまったく勉強が手につかなくなった時、セラピストに『あなたが自分のアイデンティティがわからないから』だと指摘されたそうです。
ボーイフレンドに隠し事をすることがためらわれ、DIで生まれた事実を伝えると、ボーイフレンドは静かに去っていきました。
「親にすれば(精子提供を受けることは)人生の一大決心に違いなかったけれども、どうして自分のアイデンティティの半分がわからない状態に、意図的に子どもを置くことができるのかわかりません」とアラーナさんは話しています。
トム・エリスさん(27歳):母に対する怒り
イギリス人、21歳の時DIで生まれたことを知る。
母親がセラピストに伝えたからですが、母親は「もうわかった。私は間違ったことをしたことを認めるから、もうそのことは忘れよう。これ以上考えるのはやめよう」と遮ってしまいました。トムさんは、母親に対する怒りを、今も収められません。
「もしも自分の出自を知る能力を子どもに与えないのならば、新しい生命の創造にかかわらない責任が人間にはある。私はすべての人に子供を持つ権利があるとは思わない。… 卵子を提供する側と受け入れる側の同意の問題ではない。生まれてくる子供は同意するはずだという前提で実行することは無効だ。その子供の人生が、親が取った行為で著しく侵害されるからだ」とトムさんは主張しています。
クリスティーン・ウィップさん(55歳):感謝の気持ちはない
41歳でDIで生まれたことを知る。
父親(育ての父親)は、6歳で病死。母が再婚した父は、クリスティーンさんがDIで生まれたことを知らなかったと思っています。
子どもの時、遺伝の授業で父親は本当の父親ではないのではないかと思い、母に問いただしたけれども、「まだ言えない秘密がある」と言われただけだったそうです。そして41歳の時、母から突然手紙が来ました。それ以来、母には会っていません。
「欲されてこの世に生を授かったのだから、感謝すべきである」という意見に対して、クリスティーンさんは「私には感謝の気持ちはまったくありません。父親、祖父母、その親戚たちとの関係を持つ機会を失って、どうして感謝する気持ちがわいてくるのでしょう」と答えています。