| アメリカ在住、卵子提供で2人の子をもって …松田翔子さん(仮名)
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聞き手・文/白井千晶 (インタビュー2011年7月)
ここでご紹介する松田翔子さんは、アメリカで不妊治療をするか、日本で不妊治療をするか、悩みに悩みました。アメリカでは、一部の保険は不妊治療をカバーするけれども、自費の場合は、日本の約3倍の費用だったとか。また、卵子提供の選択肢があるので、子をもつ可能性と、“コストパフォーマンス”の点から、医師もあっさりと卵子提供を勧めるのだそうです。
日・米の複数の医師にセカンドオピニオンを求める中で、「アメリカにいるんだから、卵子提供が受けやすいという事実をもっと肯定的に受け止めよう」と、卵子提供を決意するに至りました。
卵子提供という特殊な状況からこの世に生まれた子どもに、どうしても同じ境遇の弟妹を親として用意してあげたかったという理由から、松田さんは、卵子提供で2子をもちました。
日本で生まれ育ち、アメリカという環境で生きている松田さんのライフストーリー・インタビューをご紹介します。
辛かったアメリカでの不妊治療体験
アメリカの大学に留学して以来、アメリカに住んでいます。
20代後半の時、アメリカ人と結婚しました。
数年してそろそろ子供が欲しいと思うようになりましたが、不妊の可能性があるかもしれないと思い、産婦人科に行きました。
まずは男性側からと言われ、検査をしたところ、精液検査の結果がよくなく、また、睾丸にガンらしき腫瘍が発見され、睾丸を摘出することになりました。もう片方の睾丸があるので、手術後、精子の量が増えるだろうと言われましたが、精子の状態にほとんど変化はありませんでした。
不妊治療専門のクリックを紹介され、人工授精を2回、顕微受精を1回しました。
治療開始時は普通だった私のFSH値が治療を終える度にどんどん上がっていき、卵巣機能予備能力消失(DOR)なので、これ以上顕微授精を繰り返しても成功率はかなり低いからと、卵子提供を勧められました。
アメリカの体外受精は高額です。治療費もそうですが注射などの薬剤費も高いです。
稀に不妊治療をカバーするような医療保険に入っている方もいますが、そうでなければ、全額自己負担で、日本より高額です。2004年に顕微授精をした時は、その頃で既に1回1万5000ドルでした。(2004年は平均1ドル105円前後で、日本円にして157万5千円)。
私の場合、顕微授精を始める際に、体外受精用の保険に加入しました。3回の体外受精または顕微授精、そのほか3回の移植を保険でカバーし、卵子提供利用の場合は移植回数無制限にカバー、挙児に至らなければ、掛け金の70%が払い戻されるという保険です。
ところが顕微授精を終えてから、「条件に満たない」と保険を解約されてしまいました。
高額な顕微授精を、成功の見通しも立たないまま、全額負担しながら続けるような経済力は私たち夫婦にはありませんでした。クリニックの治療成績にひびくから、成功率の低い自分に卵子提供を勧めたに違いない等とも考えました。
卵子提供を勧められショックだった一方、自分自身の遺伝子に対するこだわりは意外や意外、それほどありませんでした。それよりも肉体的、精神的、経済的に負担がかかり、なおかつ成功率が低く、先の見通しの立たない顕微受精を繰り返すほうが私にとっては苦痛でした。
劣等感と正面から向き合うことで前向きに
しばらく、精神的に辛い時期が続きました。スーパーで子連れや妊娠中の見知らぬ女性を見かけては悲しくなり、ひどい時は買い物カゴを放り出したまま、車に戻って大声で泣く始末でした。無駄を承知で、基礎体温を測ったり鍼にも通いました。本気で自然妊娠しようと試みていたというよりは、何かしていないと心の平静が保てないように感じたからです。
精神的にとても辛い時期でしたが、自分についてある大事なことに気付いた時期でもありました。私は「母として自分の遺伝子を受け継いだ子供が持てない」ということより「女性として自然に妊娠できない」ということに大きな劣等感を感じていたのです。この劣等感と正面から向き合うことが、前向きに行動できるようになるための一歩でした。
その後、金銭的にあと2回アメリカで顕微授精を続けるか、日本に移って顕微授精を受けるか(その頃の日本の顕微授精治療費はアメリカの約3分の1でした)、卵子提供を受けるか、夫と検討しました。
顕微授精については、アメリカで4箇所、日本で4箇所、医師のセカンドオピニオンを求めました。その結果、自分の卵子での成功の見通しについて、アメリカの先生は「非常に難しいからやめておいた方が懸命」とおっしゃり、日本の先生は「難しいけれど、挑戦してみる価値はある」とおっしゃりました。それは不妊治療技術の水準による見解の違いというよりは、卵子提供という次のステップが用意されているか否かの環境の違いが、ドクターの見方に影響を及ぼしているように思いました。
ただ、日本は自分の卵子で不妊治療を続行するのが前提になりますから、必然的に個人のトライアルの回数が増え、その分、失敗から得られる工夫もその後の治療に生かされていくのではないかとも感じました。アメリカのドクターに尋ねてみたところ、(患者にとっての)コストパフォーマンスが悪いからほとんどやらないというような答えが返ってきました。
様々な検討を重ねた結果、私はそこまでして自分の遺伝子にこだわらないと気づきました。
これでやっと自分の卵子に対する諦めがつき、「自分は日本人だけど、アメリカに居るんだから、卵子提供が受けやすいという事実をもっと肯定的に受け止めよう」と前向きになることができました。せめて主人の遺伝子は子供に受け継いでもらいたいという気持ちが強かったので、養子縁組は選択肢に入っていませんでした。
ドナーさんとの出会い、そして1回で妊娠
卵子提供を受けることを決め、クリニック、ドナー・エージェンシー、弁護士のそれぞれからまずは日本人ドナーさんを探しましたが、その頃は登録数が圧倒的に少なく、希望に沿うようなドナーさんは見つかりませんでした。調べる対象を広げましたが、見つからず、結局自分が通っていたクリニックに登録していたアジアの女性に決めました。
笑顔がとても素敵な方でした。将来的な希望に応じて子供との面会を承諾して下さっていたり、産まれてくる子供の雰囲気を私たち夫婦が想像しやすいように、自分の2人の子供の写真も添えて下さっていました。
ただその方は養子として育てられたので、血縁者の病歴がわかりませんでした。それから、東南アジア人にときどき見られるという遺伝性の血液病、サラセミアの保因者でもありました。
でも卵子提供を進めていこうと、生理を止める皮下注射まで始めていたのに、そのドナーさんが(サラセミアとは別の)血液検査で急に卵子提供できないことになってしまったのです。諦めるより仕方がありませんでした。やっと見つけたドナーさんだったので、途方にくれ、「だから卵子提供は辞めておきなさい」という天からの戒めのメッセージかもしれないと思ったりもしました。
再度ドナーさんを探したところ、遠隔のクリニックでしたが、昔の私の面影があるだけでなく、私のきょうだいに似ているドナーさんが見つかりました。日本人留学生でした。ただ、個人情報だということで、ドナーさんの医学的情報については書面ではもらえず、ドクターからの口頭説明のみでした。
そのような感じではありましたが、結果は成功で、一度目で妊娠しました。
産まれてきた子は主人に似ていました。というより、元気に産まれてきてくれただけで、この上なく幸せでした。子どもはすくすく育ちました。口元がドナーさんにそっくりで、かわいくてたまりませんでした。何度か私にはあまり似ていないと言われましたが、見た目どちらの両親にも似ていない子供は世の中いくらでもいますから、別に気になりませんでした。
二人目の準備
一年半を過ぎた頃から、そろそろ二人目の準備をしなければと、重い腰を上げました。
卵子提供という特殊な状況からこの世に生まれた子どもに、どうしても同じ境遇のきょうだいを親として用意してあげたかったのです。親には言いにくいことでも、同じ身の上同士なら、将来お互い良き相談相手になれるのではないかと思いました。そしてできれば、同じドナーさんの遺伝子を受け継いだきょうだいにしてあげたいと思ったのです。
お世話になったドナーさんはそのクリニック専属の方だったので、再度クリニックに連絡をとったところ、私たちのあとにも卵子提供をされ、前回をもってドナーを引退したいとの希望をだされていることがわかりました。
クリニックが連絡を取ってくれたところ、承諾して下さいました。(ご自身に子供が産まれたらどんな感じになるのかと思い)私の子どもの写真を見たいとのこと、ドナーさんの存在が、急に身近に感じられ、とても嬉しかったのを覚えています。
(補足:そのクリニックでは、ドナーさんには生まれてくる子供の性別と生年月日のみ伝えるそうです。ドナーさん自身が将来子供を持ち、その子供が結婚する際に、異父きょうだい間での結婚が回避できるはずだからだそうです。)
もしあの時承諾して下さらなかったら、下の子には恵まれなかったと思うと、ドナーさんには本当に感謝しています。一方、仮に断られていたとしても、きっと他のドナーさんを新たに探していたと思います。大切なのは、遺伝的に繋がりのない母親に育てられたという境遇を、子供達が共有できるようにすることだったので、生物学的な母親が違っていてもさほど影響はないはずと信じていたからです。
親として常に子どもに正直でいたい
子どもへの告知は個別に時期をみながら序々にするつもりでいますし、親として常に子供に正直でいるつもりです。いつの日か子供達には、事実をありのままに理解し受け止めるようになってほしいと願っています。
私自身、卵子提供を受けたことに対して、できるだけオープンでいるようにしたいと思っています。常に堂々としている母親を見て育つのが、コンプレックスを植え付けない一番良い方法なのではないでしょうか。もちろん、子供たち自身がドナー・チャイルドであることを隠したいのであれば、それは尊重し、母親として全面的にサポートするつもりです。
アメリカでは卵子提供に関する親子のグループがありますが、このような集まりに参加できる機会があると、親にとっては少数派ではあるけれども社会の一員として認められているという安心感が生じ、また子供にとっては自尊心の向上に繋がるのではないかと思います。