二人目の出産、生れて初めて味わった圧倒的な幸福感
二人目を授かったとき、とても嬉しかったのですが、どこで産むかということに悩みました。病院で産むということは賭けであることを身をもって体験していたからです。今、「心から求めれば与えられる」その言葉が素直に信じられます。ある週刊誌の「ブランド出産」の記事を読んでいて、最後にちょこっと出てきた自宅出産を扱う産婦人科医をみつけ、話を聞きに行くことにしました。当時、病院の普通の勤務医であった私は、いろいろな処置がされないことにむしろ不安を感じましたが、頭で納得するよりも先に「この人についていこう」と心が決まりました。その先生は、自分の出産体験からの「こんなお産ではないはずだ」との思いから、医学部を受けなおし産科医になった人でした。妊婦健診は、先生とそのパートナーである助産婦さんとの信頼関係を築く期間でした。
その医師は、自宅での出産を選ぶ以上は、自然に出産できるように妊娠期の健康管理を徹底しようという方針でした。とくに体重管理には厳しく、私も妊娠中期に太ってしまって真剣に叱られました。自然に産むということは、医療に頼る以上に自分に対して厳しい姿勢が要求されます。
自分なりに体重管理をして運動をしたおかげで、出産の時の自信につながっていきました。予定日間近になり、定期的な張りと痛みが夜中にあり、時計と睨めっこで一晩、ところが、早朝に先生が来てくださったときには、もうその張りは遠のいていました。出産の経過はその時々で違うんですね。生まれそう、と毎日いってはみんなに相手にされない日が一週間以上続きました(「陣痛おばさん」といわれてました)。
でもそうした日々は、子どもが最後にくれた貴重なプレゼントでした。前駆陣痛を感じながらゆっくり散歩した幸せな日々の自然の美しさ。緑の木々にも、風や光にも、小さな生き物にも「いのち」を感じ、私を守ってくれる「自然のちから」を感じました。その一週間は最後の覚悟をつけるために必要な時間だったのでしょう。子どもは一番いい時間を選んで生まれてきてくれました。
信頼できる二人の介助者と家族に支えられて見守られる中、やってきた赤ちゃんに会えた時、安堵とともに感謝の気持ちが溢れてきました。暖かく支えてくれた家族に、介助者の二人に、そして二人の子ども達に。それから、私達を守ってくれる自然に。
自然で幸せな納得できるお産の後、自然な母性感情が健やかに育って行くのには自分でもびっくりするほどでした。同じ人間が子どもを産むということには何も変わりがないのに、ケアの違いでこれほどに感情が変わってくるのかと。そんなお産の後では、子どもの生きていく力強さが信じられるのだとよくわかりました。生れて初めて味わった圧倒的な幸福感。生れてきてよかった、女性でよかった、と初めて心から思いました。
幸せな出産、その後の育児
全てを引き受ける覚悟を持って全力で向かった、納得できる幸せなお産の後の育児は、まさに一人目の育児と両極端にあるものでした。
同じおっぱいをあげるという行為が一人目の時は、「大変、この束縛、早くおっぱいを卒業して・・・」という思いでしたが、二人目では幸せの一言。新生児の顔つきや動きのひとつひとつが心配だったのに、なんてかわいいと思え、うっとうしかった世話も今回はずーっと抱いていたい・・・に。
二人目の子どもを幸せ一杯で抱きながら、同時に一人目の子どもがかわいそうで、当時の自分がかわいそうで、随分泣きました。そして、早くこの子と離れて自由になりたい、自分を取り戻したい、仕事をしたいと思っていた一人目の育児中とは全く逆で、この子となるべく一緒にいたい、他人に託すのはいやだ、と考えました。
そのくせ、病院のお産や育児相談に疑問を持ち、戻ったらこんなことをしたい、お母さんの役に立つにはどうしたらいいのかを考えたりしてました。
復帰後の疑問
産後は、5ヶ月で復帰(希望者のどれほどの割合の人が育児休暇をもらえるのでしょう。実際はもらえていないことが多いのではないか、と思います)。そして、現実を思い知ることになりました。仕事場と家は近く、実家のサポートもある、母乳哺育もなんとかなると思っていたのですが、仕事をはじめてみると両立は難しい・・・と思い知りました。なにより、一番辛かったのが、母乳育児というものに小児科医が理解がないということ。「どうしてそれほどこだわるのか」と。自分の育児が、小児科という職場の中で周囲に受け入れられないことは辛いことでした。でも、誰もが自分の生活を抱えて必死でやりくりをして、私の産休育休を乗り切ってくれたのだということもわかります。六人が働く職場で、一人減ると仕事量は単純にいうと2割増しになります。人員の補充がない職場で、出産を支えてくれていた上司や同僚に文句を言えるはずありません。
仕事は私にとって、とても大切なもの。お産に傷つき、育児にとことん悩んだ私だからこそできる仕事があると初めて思え、やっと小児科医としての道が見えてきた矢先でした。けれど自分のしたい育児は、他人に代わってもらえるものでなく、時間も体力もいるものだっただけに、復帰の条件が月4回以上の当直をこなすこと、と言われたとき辞める決意をしました。育児を部分的に諦め、仕事を続けるという選択もありましたが、やっと納得できる育児に出会えたのに、自分の都合であきらめるのはその時の私にはできませんでした。また、疲労しきってギリギリで働く自分の医療の質が下がるのもいやでした。組織で働くということがどういうことかということも思い知りました。病院は「私」でなくてもいいんだ、問題を起こさず働ける医者なら誰でもいいのだ、と。納得できる自分自身の育児をきちんとすること、子どもとしっかり向き合うこと、それは小児科医の私にとって今は回り道であろうと、きっとキャリアになる、そう確信して勤務医を退職する決心をしました。
子育ては修行・・・そして、それがキャリアになる
どんな職業についていても、また働くお母さんでなくても、子育てというのは、自分というものに向き合う修行になります。子どもとの暮らしの中で得た知恵や忍耐力は、小さい弱い立場に添う心、新しい世界を知ること。
私は教育、医療、福祉、政治などの場にこそ、しっかり子どもと向き合ってきた人に活躍してもらいたいな、と思います。育児を体験したあとで、再就職の道がもっと開けるといいですね。小児科医の場合には、子育てはそのまま仕事に生かされるのはもちろんですが、どんな職業であっても子育てはキャリアになると私は信じています。
子どもを産み、育てる中で、大人の社会の中では忘れられているものが見えてくる。それは子どもたちの意志や、子どもたちの視点です。それを知って受け止めて、いっしょに育くんでいく。こうした作業は、資格やデータなどに置き換えて評価することはできませんが、大きな実績であることには変わりありません。
子育ての実績は、仕事にも生き方にもかならず生かすことができる、そう思いませんか。