地球とわたしの快適性-2
[対談]中村幸代 vs 上田昌文
思い込みエネルギー消費の螺旋から
抜け出してみよう!
水をひとつ例に挙げてみましょう。
20年前はペットボトル入りの水なんて、だれも飲んでいなかったと思いませんか?でも今は日常的に利用していますよね。どうしてかっていえば、みんな飲んでいるから、みんなコレに慣れちゃったから、でしょう?
どうしてもコレじゃなくてはいけない!ということではないですよね。お店へ足を運びお金を払って、処理がやっかいなプラスティックのゴミとなるペットボトル入りの水を買う…。昔ならお金もかからないしゴミにもならないところなのに。おかしいと思いませんか?
なるほど!よく考えるとあれ?と思いますね。価値観の再発見。
少し前なら、飲み物を持ち歩くには水筒を使っていたでしょう?ゴミにもならず、何度も使える。自分で好きなデザインを選べるし、コップまでついている。魔法瓶タイプを選べば温かい飲み物を長時間落ち歩ける、なんとも便利なアイテムです。つまり、必ずしもペットボトルでなくてはならないというわけではないはずです。現代はそんなことが山ほどあります。
そのペットボトルが普及していなかった20年前…1980年代のエネルギー消費レベルを見てみれば、今よりも3割ほども低い。でも生活が当時よりも格段に便利になった、という実感は少ないのではないしょうか?当時だってそんなに不便を感じていなかったと思いますよ。それなのにエネルギー消費は大幅に上がっている。
今の生活のなかで、本当に必要なモノやエネルギーなのかどうかひとつひとつ自分に問いただしてみると面白いですね。
根拠もはっきりしないのに「必要だ」と思いこんでいるもの、思い込まされているものは非常に多いと思いますよ。思い込みの消費の悪循環を一度断ち切って、そこから抜け出して欲しいと思うんです。
たとえばこれは忙しいお母さんたちには難しいかもしれないけど、私は冷蔵庫を1年のほんの一時期しか使っていないんです。冬は戸外が冷蔵庫になりますし、家にはあるけどコンセントはほとんど抜きっぱなし(笑)。でも食生活は決して貧しくないですよ。味噌もヨーグルトも自家製。材料を使い切る工夫をしたり、生ものの買いだめはしないからいつも新鮮なものを食べている。作り置きもできないから一度に食べる量しか作らない。その都度作る必要があるから、調理も手早くなる…など、電気を使わない生活は工夫を生むわけです。
ひとつひとつの食材を大切にする気持ちにもつながりますね。私はよく食材を冷蔵庫に入れたまま忘れて、ごめんなさい!と処分することが多くて…。
なるほど。では、たとえば家族でひと月だけ、冷蔵庫なしの生活を試してみるのもいいと思います。冷蔵庫がないから不便、じゃなくて、それがない中でどう食を豊かにすることができるか?をゲーム感覚で考えてみると楽しい。
そういう生活の楽しみを発見してゆくといいですね。
自分にとっての快適性を
見つめ直す
自分自身の生活の感覚を育てることは、子どもたちにとっても大切だと思いますよ。生活の工夫がなくなり、機械任せの過度に人工的な環境で育つことで、何が自分の身体にとっていいのかがわからなくなってくる。生の自分自身の感覚が育たなくなってきます。
たとえば私たちはエアコンをつけて、○度に設定すれば快適、という考えに縛られていると思いませんか?
でもそうじゃない。人間が感じる快適さとは気温だけではなくて、湿度、風の流れ(気流)、放射熱、そして肌に触れるものの感触などで大きく変わってくるわけです。今のシステムがあまりに機械の都合を優先するものだから、快適な環境をつくるためには、むしろエネルギーの消費を落とした方がいいという逆説的なことが起こる。
そうですよね。夏の冷房病なんておかしな話だと思います。その結果がヒートアイランドですし。
そう。それは決して賢いとはいえない。本当の意味での快適さを生むために、できる工夫はたくさんある。夏なら日差しを遮る簾をつけたり、風通しをよくしたり、風鈴をさげたり、スイカやきゅうりを食べて身体の熱を内側から冷ます食べ物をとったり…冬もまた同じ。衣食住のなかで、改善の余地はいっぱいある。それを発見することです。
地球環境問題の大きさにあえいだり悩んだりするよりも、そうした生活の知恵を再発見することのほうがずっと面白いですよ。
発見することを楽しみにすると、しめたものですね!
家族や仲間うちでやってみると楽しそう。
そうそう! 私はね、買い物をするときに麻の布バックを使っているんですけど、最初は「かっこ悪いかな」と思っていたんです。でも使い始めてみると大きさも下げたときの長さもちょうどいいし、軽くて丈夫。それに、今はレジ袋をもらわないとサービススタンプが余計についたりするでしょう(笑)。
企業も環境に配慮し始めていますからね。自分だけこんなことをして恥ずかしいな、と思うよりも「そのうち広まるぞ、きっと」と考えると楽しい気持ちになってきたんですよ。
マイバックで買い物をしている男性を見かけたら、私は「知的な人なんだな」と感じると思う(笑)。先を見ているなあ!と。
私は子どもにも、そういった環境に対して配慮するセンスを育てたいと思うんです。親がマイバックで買い物をしたり、環境配慮型の商品を選んだり…そして買ったものを大切に使い切る姿を見せてあげれば、自然と養われてゆくでしょうね。
そうですね。小さいころから親といっしょに環境に対する配慮を身につけたり、自分自身が環境のなかでどういう位置づけにあるのかを感じたりできるようになることは大切なことだと思います。
さっきの環境の問題と同じように「ねばならない」と考えると苦しくなるんです。生き方も貧しくなってくる。子育てにしても、ロハスな生活にしても、自分自身の個性、感性としっくりあったものであることが大切だと思います。これはできないけど、これはできる、というのがそれぞれあるでしょう。選択、スタートラインは違っていていい。環境に対する工夫も個性があっていいんです。
自分に無理がある方法だと脱落しがちですけど、何が自分にできるのかを見極めてはじめれば続けられますよね。
しかもそれが楽しかったら尚いいでしょうし。
そう、何が自分にとって快適なのか。
じっくりイメージして見つめなおしてみることから、新しいロハスな工夫を発見して、
それを楽しんで欲しいと思います。