擬産という通過儀礼
出産は女性にとって、人類学では通過儀礼と言われている。
通過儀礼とは、本人が自分のそれまでのアイデンティティーを卒業して、新しいアイデンティティーを獲得するためのものでもあり、周囲にそのことを知らしめるためのものでもある。そうした儀式を通して、自分もまた周りも「この人は母になった」と自覚するためのもの。
さて、父親に通過儀礼はないのだろうか。
カリブの民族、アカワイオや、ほかの未文化の民族には、父親にもちょっとした通過儀礼があった。たとえば、アカワイオ族では、産後9日間(へその緒がとれるまで)、産婦ばかりでなく、夫もまた、禁止事項がたくさんある。夫は仕事をせず、1日中火を焚き続ける。ナイフや斧、銃を使うのも禁止。森へ入ってもいけない。食事にも禁止がある。子どもが病弱な場合には、9日間という期間はさらに延ばされる。
おもしろいのは、こうした禁忌が夫婦双方にあるということ。これは、出産が女性だけの通過儀礼だけでなく、父親にとっても通過儀礼としているのだ。こうした儀式を通して、妻だけでなく、夫も父親として自覚していくのだ。
日本でも、昔は各地にこうした産の禁忌があった。こうした禁忌は、お産が不浄であるため、お産をした妻の夫も不浄だと考えられていたから、とされているけれど、実はこれも通過儀礼だったのだろう。
サンカ(山か)
日本にはかつて、山野を移動して生活していたサンカという人々がいた。昭和20年代ころまで、関東の山間部に生活していた人々が少数いたとも言われている。
サンカでは女性が月経を迎え、男性がにきびができると、結婚適齢期になるという。娘が月経を迎えると、母親は結婚、妊娠、出産など性についてのことを教える。少年には、赤ちゃんのへその緒の切り方や赤ちゃんの産湯のつかい方などを教える。さらに、男女とも親が性器をチェックするという。
女性たちは、妊娠を特別なこととは考えないけれど、健康法をもっていた。腹帯を巻き、ふだん裸足なので、夕方になると薬草で足湯をする。
サンカは移動生活のため産婆が存在しない。出産はすべて自分たちで処理した。へその緒は、竹でつくったナイフで切る。夫がいるときには、夫が助産するが、移動中にお産が始まるときもあって、そのときには、戸外(山の中や川辺)でひとりで出産した。立った姿勢やしゃがんだ姿勢で産んだのではないかと言われている。
胎盤が出ると、へその緒を切って、歩いて川などに行って、赤ちゃんを洗う。そのまま布に包んで、懐に入れて、母親は自分の体を洗う。
サンカには出産に不浄感はなかったという。お産の伝承が親から子へなされ、妊娠中にもからだをよく動かしていたので、お産は無難なことが多かったと言われている。
参考文献/出産の文化人類学』松岡悦子著 海鳴社
文/きくちさかえ 掲載:1996年 更新:1999年 2005年
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