女性のからだと社会システム
不妊治療やそれにまつわる問題についても、ロスマン教授は、女性の立場に立った視点から発言をしている。
「不妊治療を受ける場合、男性と女性がいっしょに検査を受け、治療を受けることもありますが、妊娠し、出産をするという点で、ほとんどが女性のからだに起こることです。子どもを産むということにおいては、男性ではなく、女性が健康面でのリスクを負うことになる。それは考慮されなければいけないことです」
不妊は、ひとりの女性の個人的な問題である一方で、社会的な背景の中で女性が置かれた立場が、ひとりひとりの女性たちを追い込んでいる面もあると言う。
「“女性”は、地域、国、地球など、それぞれのレベルで子どもを産むことを期待されている存在です。私たちは、子どもを産んで育てることが、女性らしさを体験できる道であると、教えられてきました。けれど私は、女性は個人としての女性自身であると考えます。からだはすべてその女性の持ち物でし、母親になることも国のためではなく、すべて個人的なこと。不妊治療も、女性自身の責任において選択されるべきだと思います」
不妊治療は、女性のからだを治療するという医学的な側面に留まらず、生殖テクノロジーの発達によって、受精卵や卵へその技術が応用され、配偶者間だけでない他人をも含めた子づくりが展開されるようになってきた。ここにも、かつてなかった新しい“母性”のあり方が生まれている。それをどう受け止めるか、女性たちはまた選択を迫られているのだ。
「生殖テクノロジーの発達はある意味では福音でしょう。私はテクノロジーそのものを否定する立場ではありません。しかし、問題も隠されています。
アメリカでは受精卵の売買は禁止されています。卵も寄付はできるけれど、売ることはできないことになっている。アメリカはご存じのとおり階級差がある国です。お金持ちはたくさんいますし、すべて自分の欲しいものは手に入れるようになってきている。一方、貧しい階級の女性たちは、法律で禁止されていても、お金のために卵やからだを売ることもあります。中国やロシアでは、アメリカに養子縁組みに出すために、自分の子どもでさえ売ってしまうという事実もあります。
もちろん、どんな方法であれ、不妊が解決できればいいと思う人はいるでしょうし、卵を提供したり、おなかを貸すことに抵抗のない女性たちはいます。しかし、私はそこには、資本主義と父権制、テクノロジー至上主義という社会的な側面が背景にあるということを忘れてはならないと思います。
所得によって階級の南北格差が生まれ、お金もちが貧しい女性の卵やからだを使う。そして技術的にそれが容易にできる世の中になっているからこそ、そのテクノロジーを使うのは当然とされる。しかし、不妊の問題の根幹には、女性が子どもを産む性として期待される父権制的なイデオロギーが存在しています。
女性たちは、お金持ちであろうと、貧しい階級であろうと、こうした社会システムの中にあり、そうした中で選択肢を与えられ、システムにのっとった選択を迫られているのです」
代理母.....妊娠はサービスか?
ロスマン教授は、アメリカでベビーM事件が起こったころから、フェミニストとして代理母について、あるいは生殖医療について意見を求められる場にたくさん出席してきた。フェミニストとひと口に言っても、さまざまな意見があるが、ロスマン教授は代理母に反対を唱える立場を貫いている。
「私が代理母に反対する理由のひとつは、妊娠中の母と子の関係性を重視しているからです。たとえその女性の卵でなく、遺伝的なつながりをもっていないとしても、妊娠期間をともに過したということは、母親と子どもに深い絆が生まれると、私は考えています。おなかの中の赤ちゃんを思いやって散歩をしたり、寝る姿勢を変えてみたり、声をかけたり、生活したり。胎児は母親のものであり、だれかに頼まれておなかを貸しているだけという関係ではないはずです。
もちろん私は、『母性本能』という議論には警戒しています。産んだ女性がかならずしも育てることを望むとはかぎりませんし、赤ちゃんを養子に出すこともある。けれどそれは、その女性自身の選択です。出産した母親だけが子どもを育てる能力があるわけではありません。人は性別に限らず、愛情ある子育てをすることはできるのですから。
もうひとつ反対する根拠は、女性のからだは彼女自身のものであり、自己コントロールすべきものだということです。これに対しては、妊娠に関する自己決定をするのだからおなかを貸してもいい、という議論を持ち出されることがあります。しかしこうした議論は、女性を単なる子どもを宿す容器にすぎないと見下した考え方であり、妊娠を胎児と女性の関係としてではなく、女性が他人に与えるサービスとしてとらえていることになります」
babycom の取材では、代理母を体験した女性は、子どもをいない人を助けるために自分にできることをしたと答えてくれた。
「もちろん、子どもがいない人の力になりたいと思う人はいるでしょう。困っている人をどうやって助けたらいいのか、悩むところです。たとえば歩けない人に杖を、目の見えない人に盲導犬を提供することはできる。けれど、子どもをもてないことは障害なのか、という議論をその前にしなければなりません。
女性に子どもを産んでもらい、その子どもを自分の子どもにするという今の代理母の現状は、かならずビジネスが介在し、契約の上に成り立っています。身分の南北格差もある。妊娠し、出産することは、女性の健康へのリスクが考えられますし、妊娠中に築いたおなかの中の赤ちゃんとの絆や母性の感覚を断ち切ることになる。いくら子どもが欲しいと切実に願っているカップルのためだとしても、ほかに解決する方法はあるはずです」
取材:きくちさかえ(2004年2月)