母性の構造改革
第4回、「
メンタル・ケア」の中でもご紹介した、「世界不妊月間ジャパンプログラム『レッツ・トーク・不妊!』」というイベントの会議の中で、女性たちは口々に声を上げていました。それは、子どもを願っているのに、なかなか赤ちゃんが授からないという悲しみでもありましたが、子どもがいない女性であるということが、今の日本の社会の中で、崖のふちに立たされているような気分にさせられる、という訴えのようにも聞こえます。
babycomはこれまで、妊娠をした女性たちの声を聞いてきたサイトです。私自身、マタニティ・コーディネーターという仕事を通して、多くの妊婦や母親と出会ってきましたが、気がついてみれば、不妊の女性たちには、これまでほとんど出会う機会がありませんでした。
それは、子どもをもつ女性と、もたない女性の接点があまりにも少なかったことを示しています。子どもをもった女性たちは、もたない女性たちと出会うことがほとんどなくて、出会ったとしても、そのことについて深い話しをせずに過ごしてきたのです。
その理由のひとつは、子どもをもった女性たちが、もたない女性たちの立場を理解できていなかったことにあると思います。不妊治療に通う女性たちの何人かから、「子どもをもった女性から、お子さんは?と聞かれる。いないと答えると、同情的な表情が返ってくる。私は同情をもらたいわけではないのに」という意見を聞きました。「子もちの女性とは率直に言って、話しをしたくない。産婦人科でおなかの大きい女性を見るだけで心苦しくなった」という話もありました。10年間、不妊治療を続けている48才の女性は「産んだ女性には治療のことは理解してもらえないと思う」と心を打ち明けてくれました。
イベントの最後に、大日向雅美氏(恵泉女学園大学人間環境学科教授)による「不妊と母性」という講演がありました。大日向さんは、長年、母親たちの意見を聞く仕事をされ、さらにここ10年ほど、不妊治療を受けている女性たちの話を聞いてこられた方です。「子どもをもった母親の話からは、育児に悩む姿が浮き彫りになってくる。虐待一歩手前のグレーゾーンの母親たち、孤独なまま子どもと向き合い悩んでいる母親のどんなに多いことか。虐待のニュースを聞くたびに、不妊の女性たちは『私だったらあんな母親にはならないのに。なぜ、あの母親には子どもがいて、私には授からないのかと思う』と言うのです」
大日向氏は、社会の中にある『母性信仰』が母親も子どもができない女性たちをも苦しめている、と指摘します。女性にあてはめられる「母性」というレッテルが、多くの女性にとって負担になっているというのです。
私自身、幼い子どもと向き合い、悲痛な叫びを上げていた母親のひとりです。子どもをもつということ、親になるということがどういうことかわからないまま、気づいたら、子どもがわが乳にくらいついていました。母であることが、苦しかった。それは、社会あるいは嫁いだ先の家族が、私に母親や母性を押し付けてきたからでもあります。当時の私には、まだ母親になる準備ができていませんでした。言われるままに妊娠し、子どもを産んだような気がします。結婚したら、子どもを産むのが当然だと、まるで強要されるように。さらに、ひとり産めば「ふたりめは?」と言われる。子どもは3才までは、母親の手で育てるべき。だから20代を専業主婦として過ごしました。外に出られないいらだちは、子どもに向けられます。
そんな私の過去の叫びは、イベントに来ていた女性たち、そして話を聞かせてくれた多くの女性たちの言葉と重なります。「子どもは?」「まだ?」と悪気のない挨拶が度重なる。田舎の夫の実家へ足が遠のいてしまう、など。
子どもがいてもいなくても、女性だからと母親という役割を押し付けられ、それを演じようとしなければならない。それまで男も女も平等と聞かされてきた女性にとって、それは、子どもを産むという機能をこのからだがもっていることを知らされることでもあります。でもそれは、たまたま備わっている機能。絶対に発揮しなければならないわけではないはずなのに、その点が社会の中で明確にされることはありません。
人は人を産んで、種をつなげていく。いのちはあたたかく、かけがえのないものです。でも、ステレオタイプの母性信仰は、ときとして女性につき刺さってきます。女性だってひとりひとり違うし、子どもを育てる社会も、昔とは格段に違ってきています。子育てのしにくい都会的な社会の中で、子どもを産むことを不安に思う女性たちもいます。 女性は産むことがあたりまえと考えられてきたこれまでは、「なんで子どもを産むんだろう」ということはなにも考えられてはきませんでした。だから「母性」も、女性にぺったりとひっついて、なんの不思議もなかったのです。でも今、産まない選択があり、産めない状況があり、産むことも選択できる時代に、「なんで子どもを産むんだろう」ということを真剣に考えることができるように、やっとなったというわけです。
一方で、生まれてくるそれこそ次世代をになう子どもたちにとって、いったい何がいいんだろう、と考えなければなりません。彼らにとって「母性」は環境です。そう考えると、単に産めばいい、というわけではありません。「母性」という環境を、個人の母親だけでなく、社会全体が担えると、いいのになあと思います。
少子化対策は、どうか「母性」環境の構築から。これは一個人の女性の「母性」保護ではありません。社会全体を母性的に改革することでしょうか。母性のレッテルは社会に貼りましょう。