36才で不妊治療
36才で不妊治療をはじめました。検査を受け、両方の卵管がつまっていることと、右の卵巣から排卵がないということがわかりました。左の卵管を通す手術を受ける選択肢もありましたが、卵管を通す手術をしても、1年くらいでまた元に戻ってしまう可能性があること、また夫の精子の数がとても少なかったということもあり、医師、夫と話しあって、体外受精の治療に踏み切ることにしました。
不妊に関する本を何冊も読み、インターネットでも検索して、不妊治療はどのようなことをするのか、副作用はないのかなどを調べました。排卵誘発剤を毎日注射しなければならない治療法には抵抗感があったので、薬を多用しない、自然排卵法をすすめている不妊専門のクリニックを選択。はじめのうちは仕事を続けていましたが、排卵がいつくるかわからないし、排卵当日にクリニックに行かなければならないなど、仕事との両立が難しくなって、仕事をやめて治療に専念。治療は結局1年間続きました。
胚を戻す前に、受精卵を見せてもらうのですが、卵の分割がだんだんきれいになり、卵自体もふっくらと元気になっているのがわかりました。目で見て実感できたというのは、励みになりましたね。卵のグレードは1〜3まであって、最初に採取した卵はグレードが3以下で、戻すこともできなかったほどです。 通常は、左右8個くらいづつの卵を採取するのですが、私の場合は、クロミッドだけの排卵誘発なので、自然な排卵より1〜2個多い程度。それでも卵の質は変わらないとのことでした。
結局、1年間のうちに採卵を5回、体外受精を4回行ないました。最初の2回は失敗し、次からは受精卵を5日間培養して胚盤胞(はいばんほう)にしました。採卵した卵を冷凍し、3回目は冷凍のまま戻して失敗。 4回目は、冷凍卵を解凍して戻しました。胚盤胞は1回に1つの卵しか戻せないので、このとき取ったほかの卵は冷凍保存に。胚埴したあとも、毎日通い、血液検査をしてホルモン値を調べ、3日目くらいに妊娠であることが判明しました。これで最後だと思っていたときに妊娠したので、ほんとうにラッキーだったと思います。まだ冷凍されている卵が残されていますが、治療は精神的にひじょうにきつかったので、今のことろ次の子どものことは考えていません。
私の場合は、ふつうよりハイペースだと思います。年齢的に38才前にと思っていたので、早めに進めたかった。はじめのうちは2年くらい続けようと考えていましたが、2〜3回失敗すると、これ以上無理だと思うようになりました。私の場合は1年が限界だったと思います。卵を戻せば妊娠すると思っていたので、妊娠していないとわかったときのショックは大きかったですね。女性としての機能に欠けているのではないか。精神的に不安定になり、あまり人とも合わなくなって、ささいなことで夫とけんかしました。 人によっては、体外受精のことをまるで原発かなにかのように、まっこうから反対したり、拒絶したりする人がいます。そんなことまでして子どもをつくらなくても、という目で見られてしまう。今なら気にならないことですが、治療中はひじょうにナーバスになっていました。
2回目の胚盤胞のときは、自分ではもう疲れていてやめたいと思っていたのですが、医師が絶対にだいじょうぶだからと言ったので、踏み切りました。でも、これでだめでもまだ1個卵が残っているのだから、それがなくなるまでやり続けるのだろうなあ、とどこかで思っていた。いつまでたったらやめられるんだろう、そんな思いが頭をかすめました。経済的な限界はもしかしたら、必要なのかもしれません。閉経か経済破綻か、やめる理由がないとやめられないんです。「60才の女性が妊娠」などというニュースが流れると、励みになる一方で辛さも感じました。科学が希望をつなげてくれる面もありますが、それによって治療がどこまでも続く恐さも感じます。