World report Micronesia
ミクロネシア:Part1 「神話のような島〜ウォレアイ島」
平洋のまん中に、ポツンとごまみたいに浮かぶ島、ウォレアイ島。ミクロネシアの島々のひとつだ。
そこに「産小屋がある」と聞いたのは、1998年の秋だった。現存する産小屋! めまいのするようなその言葉の響き。産小屋など、もうこの日本ではお目にかかれないから、ぜひこの目で見、拝んでみたかった。
私はその島へ行くという冒険家の高野孝子さんに頼みこんで、つれていっていただくことになった。しかし、島へ入るのは簡単なことではない。ビザは基本的にはないのだけれど、酋長の許可が必要なのだった。観光地ではないから、お願いして泊まるところを確保してもらわなければならない。その酋長の許可は、島の掟を守れるかどうかが決め手になるという。
まず、写真は許可なく撮らない、商業的な目的で使用しない。女は禁酒。メンズ・ハウスに近づかない。漁をしてはならない。そしてもうひとつの条件として、裸で生活すること! この島の人々は、トップレスで生活しているのだった。
多少不安もあったけれど、産小屋が見られるのならと「すべてOKです」と答える。女も男もラバラバ(腰巻き)1枚である。当然、私もラバラバ生活(誤解のないようにつけ加えると、この島には小中学校と高校があり、教師たちはコンピュータを使っている。ビデオや冷蔵庫のある家もある。洋服を着ない生活は、この島の決まりとして島の人々が意識的に選択したものだ)。
初めはちょっぴり恥ずかしかった裸生活も、日々快適になっていった。ついた日にシャツを脱いで裸になり、次の日にパンツを脱ぎ、3日目には手で食事を食べ、4日目に時計を捨てた。
宿泊施設はないので、私にはビーチに建てられたヤシの葉で葺いた小屋が提供された。屋根も壁もみんなヤシの葉。10畳ほどのワンルームだ。
この小屋が実は、有事の際に産小屋になるのだった。なーんのことはない、赤ちゃんと母親のための『お産の家』は、ただの小屋だったのだ。しかし、産小屋での宿泊とはなんとラッキー。この小屋は、普段はみんなの休憩室として使われているようで、住人はいない。私の食事はお世話してくださる一家のお母さんがつくってくれ、3人の女性たちが特別にいっしょに寝泊りしてくれることになった。
●神話のようなお産
私が行く3週間ほど前に、となり村の女性が出産していた。その村のやはり同じような小屋に彼女は陣痛が始まってから、ゆっくりと赴き、子どもを産んだ。介助したのは、産婦の母親と親戚のおばあさん。ふたりとも立派な産婆である。この島は人口が600人なのに、産婆と呼ばれているおばあさんはなんと6人もいるそうだ。もちろん助産婦としての教育は受けていない伝統的な産婆だが、彼女たちは何がしかの衛生教育は受けているらしく、産婆として島の人々に認識されている。
出産は、小屋の中で仰臥位に寝て産む。小屋とはいえ、床なんぞないので、ヤシの葉を敷いた上に赤ちゃんを産み、悪露や羊水は砂に染み込む。からだが汚れた分は、産婦が出産直後に目の前の海に入って、自分で洗い流す。「とても清潔でしょう」と、その産婦は言っていた。
裸の生活で、パンツもはかないのだから、悪露や生理はどうするのだろう、と思っていたら、1日に何度も海に入るので、パッドなど必要ないのだった(後日、ほかの国での昔の話を聞いた。生理パッドもパンツもない時代、女たちは月経血の排泄は自分でわかったのだという。血液が出そうになると、トイレのようなところへ行って血液を出す。だから、足を汚したりはしない。そういう感覚が女には備わっていたらしい)。彼らにとって、海は日常生活にはかかせないものだ。珊瑚礁の環礁なので、まったく波のない穏やかな海は、風呂でもあり、トイレでもある。
胎盤はヤシの葉に包んで、ビーチに埋める。それでお産はおしまい。産後10日間、産婦はその小屋で過ごす。夫は漁に出て魚を採るが、その小屋は女たちだけの空間だ。親戚の女たちが集まって、小屋の周りに簡易のキッチンをつくって、そこで煮炊きをする。産婦は10日間、赤ちゃんといっしょに蜜月のときをビーチで過ごす。毎日、いっしょに何度も海の水浴びをしながら。この水浴びのことを「テューテュー」といって、島の人たちは老若男女、朝起きるとテューテュー、夕食前にテューテューというぐあいに海に入る。
そんな海と一体の島だから、私は元祖水中出産があるのでは?と、何人もの人に「昔、海の中で出産した人のことを聞いたことはありませんか?」と尋ねてみたのだけれど、期待に反して答えはNO。もし陣痛が海の中で始まった場合は、ただちに陸へ上がると断言していた。こんなに海と密接に生活している島の人がそう言うのだから、やはり水中出産というのは、近年にかなり意図的に始まったものと言わざるをえないのではないかなあ、と思うのでした。
しかし、出産は海からほんの10メートルほどのところで行われているし、彼女たちは波の音を聞きながら、海を眺めながら産み、出産直後海に入る。「水を使う出産」という広義の水中出産の定義には十分入る範疇だ。
海岸のヤシの葉で葺いた小屋で、助産婦に見守られながら子どもを産む。夜には松明を焚いたことだろう。まるで日本書記の神話のような、自然に抱かれたお産だ。
1999年 きくちさかえ記