もっとも、(a)の本人の選好は、(b)(c)(d)と完全に独立しているわけではありません。本人の選好は(b)本人の状況、(c)人間関係、(d)制度の条件を反映して形づくられる面もあります。例えば、不妊治療による妊娠・出産の確率が限りなく低かったり、妊娠・出産によって母体に危険が生じたりするような場合は、「不妊治療はしたくない」という選好が形づくられることもありえますし、養子制度が課す条件をみて、「そんな条件があるなら養子縁組をしたくない」という選好が形づくられることもありえます。
さらに、(b)本人の状況や(c)人間関係については時間の経過とともに変化することが考えられます。それに伴って、本人の選好も変化することが考えられます。
(2)これから求められること--不足している社会資源
では、これから何が求められるのでしょうか。上述したように、不妊という状態に対処する際には、必ずしも自分の選好通りの選択肢に進めるわけではありません。しかし、自分の選好通りではないとしても、ある程度納得できる選択をすることが必要ではないでしょうか。そのためには、何が必要なのでしょうか。
社会学者の江原由美子氏は、「産みたい/産みたくないという女性の自己決定」を実現するためには、自己決定に必要とされる「十分な情報を提供し、本人が理解できたかどうかを確認し、強制や脅迫や誘導がない状況を作り、それらがないと確認する」(江原 2002: 218)という要件だけでは不十分で、さらに自己決定を支援する社会関係や社会組織を新たに形成する必要があると論じています(江原 2002: 236)。
では、不妊の対処についてはどうでしょうか。ここでは、インタビュー調査を通して浮かび上がってきた1.情報の提供、2.社会からの承認について考えてみたいと思います。
(a)情報提供の内容と方法
現状の情報提供の問題点は、第一に、社会的に選択肢が複数存在していても、そのこと自体が社会で十分認識されていないこと、さらには複数の選択肢間の関係が社会で十分認識されていないことではないでしょうか。ここでは養子縁組を例に取って考えてみます。
近年では、未婚化・晩婚化が進行し、共働き夫婦が増加しています。このことによって、法律婚、年齢制限、専業主婦(主夫)のような制度の条件は利用者に厳しく作用します。また、不妊治療の開始年齢も終了年齢も若かった時代は不妊治療後に養子縁組というパターンも可能でした。例えば、インタビュー調査中に語られたように、結婚後10年間不妊治療をしたり、子どものいない人生を考えたりしていて、その後に養子縁組を考えて申し込みをしても、養子縁組あっせん機関が課す年齢制限には引っかかりませんでした。しかし、現在は結婚する年齢、そして不妊治療の開始年齢も終了年齢も遅くなっているため、不妊治療と養子縁組は競合する選択肢になってしまうケースもあります。しかし、このような点についても社会で十分認識されているとはいえないように思います。
問題点の第二は、各選択肢に進んだ当事者のリアリティが十分に紹介されていない点ではないでしょうか。不妊治療中のある当事者は「(養子縁組の手続きについては)ネットとかで区のサイトとかでも見られると思うんですよ、今は。それの他に、実際育てている人が養子ということで、幼稚園のママたちとかに養子という風に言っているのかどうかとか、普通の小さい疑問がいっぱいありますね。友達とかもそうですけど、妊娠してないって知っているじゃないですか。突然2歳の子とかが来るみたいな。それに対してどういう反応だったのとか。おじいちゃんおばあちゃんの反応はどうとか。そんな普通のことが知りたいですね。区のサイトにはないような、実際育てていてどうかというか。周りの反応とか、カミングアウトしているのかとか」と語っていましたが、不妊治療、子どものいない人生、養子縁組、里親というすべての選択肢について、当事者のリアリティを不妊当事者はもとより当事者の周囲にいる人たちにもっと広く周知する必要があるのではないでしょうか。「避妊だけではなく、不妊についても義務教育で教えてほしい」という不妊当事者の訴えがあったように、今後は不妊や不妊の対応策について義務教育で扱うことが望まれるのかもしれません。
(b)社会による承認
もうひとつの課題は社会による承認でしょう。どの選択をした人も自分たちの現状について「社会にもっと理解して欲しい」「社会にもっと受け入れて欲しい」と訴えていました。社会が多様な生き方を承認するためには、不妊当事者だけではなく、不妊当事者をとりまく周囲の人たちが多様な生き方について理解を深めることが必要です。そして、それと同時に、異なる選好や価値をそのまま受け入れることの困難さを自覚することも必要であると考えます。例えば、ある選択肢を承認することは他の選択肢に進んだ人にも間接的に波及します。より具体的にいえば、ある選択肢の価値を高めることは、他の選択肢の価値を低めると感じられる場合もあるということです。
例えば、子どものいない人生に進んだある当事者は「私はすごく反発があったんですね。子どもがいなくて、これから不妊治療はしませんと言った時に、“あ、養子という選択もあるし”と軽くみなさん言われることに気づいて。とてもそういう人が多いですよね。すぐ“養子をもらえばいい”と言う人。ああ、この人たちの価値観って、やっぱり子どもを持つことが正常だったり普通だったり。子どもを持つことがやっぱりすばらしいという価値観なんだなと。全然不妊を認めて言っているわけじゃないことに関して、すごく反発があった時期があったんです」と語っていましたが、私はこの語りを通じて養子縁組という選択肢の強調が子どものいない人生に進んだ人に抑圧的に響く可能性があることに気付かされました。
ある選択肢の価値を高め、同時に他の選択肢の価値を低めない、多様な生き方を承認するそのような方法について今後もっと議論を深めていく必要があるでしょう。
[引用文献]
江原由美子、2002、『自己決定権とジェンダー』岩波書店。
柘植あづみ、1999、『文化としての生殖技術--不妊治療にたずさわる医師の語り』 松籟社
謝 辞
取材に応じてくださった41名の方々、本調査にご協力いただいたbabycomさま、フィンレージの会さま、NPO法人Fineさま、環の会さま、アン基金さま、調査に当たって助成してくださった家計経済研究所さまには記して深謝申し上げます。
※本調査は家計経済研究所の2010年度の研究助成を受けて行われました。