妊娠・出産・育児

バックナンバー3〜2004年8月

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父の介護ができませんでした こぶたの母  -- 2004/01/31 ..
暗い話ですみません。
私の中のもやもやをかかせてください。
育児休暇に入って5ヶ月目の時に、父が脳梗塞で倒れました。要介護5度、意思の疎通なしです。子供を病弱な母に預け、病院で1日中付き添いました。毎日一緒にいる私にだけ、父の意思がわかりました。ずっと一緒に居たかった。(私がいない間は、病院の人手不足ということで手足をベッドの柵に括られていました。)
育児休暇が明けたとき、続けて介護休暇を申請したかったのですが、経済的に無理でした。育児休暇中の補助金は、復職後半年働いたらもらえる制度です。介護休暇は補助がありません。
父はひとり、ベッドにくくられたまま、亡くなりました。
残念です。

子供を看て、親を看て、会社以外でもやらなくてはいけない仕事がたくさんあります。


ありがとう、ありがとう   こぶたの母
同じような状況です   ぼよ
辛かったですね   芽衣
こんなことしか言えないですが、、、   双子MAMA
元気をだして!   りんご
大変だったんですね・・・   こばやん




 

   >>> ありがとう、ありがとう こぶたの母   -- 2004/01/31..
 
どうもありがとうございました。
今の気持ちを分かってもらえる仲間がいる、そのことがとても心強いです。このサイトがあって良かったと、本当に思います。
 いろんな事を犠牲にして通っている会社だから、もう何があっても辞めてやらない、しがみついてやる!という気分です。会社の「濡れ落ち葉」になろうと思います。
 





   >>> 同じような状況です ぼよ   -- 2004/01/28..
 
 私の父も、去年、突然の脳梗塞で倒れました。今もリハビリの病院に入院していますが、右半身完全麻痺に、全失語となり、とても悲しい状況です。でも意識はしっかりしているので、本人が少しでも前向きにリハビリに取り組めるように、家族で励ましています。といっても、実は私は海外に住んでいて、父が倒れた後、何度か一時帰国した以外は、ひたすら手紙やメールを送ったり、孫(2歳の息子)の写真を送ったりしている位しかできずにいます。
 こちらでは共働きで、私もずっとやりたかったような仕事に就けてこれからキャリアを積もう、という段階なので、本当に今後の事が悩ましいです。仕事の内容的には、海外、特に途上国にばかりいくような仕事です。本当なら、兄弟は兄と二人だけですし、帰国して親と同居または近居して少しでも孝行(恩返し)したい、と思います。でも、一時帰国中もそうでしたが、2歳の息子は声も大きく人一倍の暴れん坊で、病院に見舞っても、大騒ぎであまり長居もできませんし、家にいても目を離せず、家事のサポートもあまりできません。母はフルタイムで比較的責任のある仕事をしているのですが、仕事と看病とでもう限界なようで、退院の目処がついたら仕事を辞めようかと話しています。
 色々なことを考えると悩ましく、解決方法が分からずに毎日悶々と悩んでしまいます。いつか後悔する事になるのでは、とやはり仕事を諦めて帰国しようかとか、でも帰っても子どもは手がかかるし、仕事は見つからないだろうし、見つかっても拘束時間が長くて育児も介護もできないだろうし、などなど。
 





   >>> 辛かったですね 芽衣   -- 2004/01/19..
 
 こぶたの母さん本当にお辛かったですね。さぞご無念だろうとお気持ちを思うと涙が出ます。
 私も状況は少し違いますが、父の介護と仕事の板挟みで苦しみました。2年前父が余命1年ほどと宣告された頃、私は育休後復帰半年で短縮勤務中でした。介護休業を願い出ようとしたら退職勧告を受けました。結局介護休業はとらず、週末の見舞いしかできない辛い日々が続きました。その後夫の転勤に伴い実家に同居して父と暮らせる見通しが経ち、せっせと引越準備をしている矢先に父が急死してしまいました。仕事なんてさっさと辞めれば良かった。当時2歳前だった息子を義母に預けてでも(母も他界しているので)ずっと父の傍らにいるべきだったと未だに自分を責めています。
 働く女性は時々幾重にも重い試練を与えられるものですね。辛いですね。でもいつか乗り越えていけるのではないでしょう。一緒に頑張りたいです。
 お父様はきっとこぶたの母さんを見守っていらっしゃる。今はもう苦しい病気から解き放たれてあなたのご一家の幸福を願っていることでしょう。私も私の家族と幸せに生きていくことが、今できる亡き両親への親孝行だと思っています。そうですよね。りんごさん。
 





   >>> こんなことしか言えないですが、、、 双子MAMA   -- 2004/01/19..
 
こんにちは。私は5年前に父を亡くしました。
その頃の私は平日フルタイムで働いてたから実家で介護できるのは、土・日・祝でした。
平日はヘルパーさんのお世話になって、こちらは限られた時間で一生懸命してたはずなんだけど、亡くなって日がたてば経つほど後悔ばがり、、、自問自答の日々ですね。
父が亡くなったと同時に介護休暇もできて「何で今からなの?」と、あの時は悔しい思いもしました。けど仕方ないですよね。
施行の時期もあるし。
今でもあれでよかったのかな。と、病院がテーマの番組みると、ついつい父の事を思い出して号泣することも現在でも多々です。
あの時あれしかできなかったけど、でも、あれで精一杯だったから。と自分に言い聞かせるようにしてます。
元来 子供を作らない予定の夫婦でしたが、父の死をきっかけに家族を作ることを決めました。現在、双子の子供がおります。
父の血を受け継いだ事を誇りに思うようにしてます。
私自身阪神大震災を経験し、父の死後そして震災後は「私達は、日々生かされてることを感謝して生活しなければ」と思ようになりました。
こぶたの母さん!身も心もすりへって、、、頭の中の許容範囲も一杯、一杯だと思いますが、どうか今現在 できることを着々とできるものだけをこなしてくださいね。
あんまり先のことを考えずに今できることだけをどうぞ考えてくださいね。こんなことしか言えなくてごめんなさい。
お父様のご冥福を心よりお祈りします。では、では。
 





   >>> 元気をだして! りんご   -- 2004/01/18..
 
とても辛い思いをされたおもいます。お悔やみ申し上げます。
でもお父様はあなたがそばで世話をやいてくれたこと、きっと感謝してると思います。
本当はもっとそばにいてあげたかったでしょうが、どんな亡くなり方ををされても残された方は悔いが残るものです。
私は母親を13歳で、父親を23歳の時亡くしました。
母親の時は私はまだ幼く、現実を受け止める事が出来ず、お見舞いにもろくに行かず、母親は最後まで私に会いたがっていたそうです。私は病院に行くのが怖かった。
そして父親の時は出来るかぎり病院に足を運びました。しかし父親を助けられなかった。
最後は見ているのが辛いくらい苦しそうにしていました。
今でも思うのが、どうかその時もう意識がなく苦しいと感じていなかったと。願います。
私は両親に何一つ親孝行をしてあげられなかったと今でも、歳を重ねるごとに大きく思いがつのります。
今私も一児の母になり思います。勝手かもしれないけど、子供が一生懸命立派に幸せに生きること。両親の愛を忘れず子供を愛する事、それが私に出来る唯一の親孝行です。
 





   >>> 大変だったんですね・・・ こばやん   -- 2004/01/18..
 
こぶたの母さん、大変だったんですね・・・。
私は昨年妹を不慮の事故で亡くし、こぶたの母さんと状況は違うけれど、
なんと言ったらいいのか・・・無念なお気持ちは理解できます。
でも、お父さまはきっと、こぶたの母さんに感謝していると思いますよ。

上司も理解がなくて大変ですね。
その上司とやらにとび蹴りしてやりたい気持ちです。

悲しいけれど、悲しんでばかりもいられない・・・。
お互い頑張りましょうね!