海外在住・不妊・流産・孤独 | すかい -- 2005/02/25 .. | ||
海外在住38歳子なし結婚7年目になる者です。 不妊治療後妊娠、切迫流産の為会社を辞め自宅で安静していましたが流産、その後も2回流産を繰り返してます。 最後の流産からは3ヶ月経ちました 最近徐々に海外生活が嫌に感じてきてます 仲の良い友人は同じ時期に妊娠出産した人が多くて、会いたくないので誰にも会ってません 会うとどんな言葉も刺さる気がして怖いんです。家に居ると孤独感を感じるのですが、何もしたくないのです。妊娠、流産のことを知らない知人から電話があり「子供も居ないんだし働けば」などど言われ適当にその場は交わすのですが、後で気分はどんよりです。病院のシステムには理解し難いものがありましたが慣れてきたもののまだ不満はあるし、日本に帰ろうかなっておもうものの検査がすぐ始まるので今は行けません 海外在住のかたでこんな気持ちになったことってありますか? 読んでくださってありがとうございます。 |
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私の友人 sachi | |||
みなさん ありがとうございます。 すかい | |||
同じ境遇です。 Shatzi | |||
お返事いただけて嬉しいです。 すかい | |||
頑張ってください。 Silkey | |||
大人になるって辛いですよね。 sachi | |||
sachiさん 凛 | |||
私も孤独でした ぽて子 | |||
うまくいえないけど sachi | |||
>>> 私の友人 | sachi
-- 2005/02/25.. | ||
私の友人には9回目の妊娠でやっと授かった人がいます。 8回も流産を経験するのは並大抵の精神力ではないとおもいますがあきらめなかった彼女はもうすぐ孫を抱くことができるそうです。 可能性のあるうちはあきらめないでスカイさんもがんばってほしいなとおもいます。 夢がかないますように私も祈っています。 | |||
>>> みなさん ありがとうございます。 | すかい
-- 2005/02/24.. | ||
このサイトにきて気持ちが本当に楽になりました。 毎日悶々と過ごしてたんですが、同じような境遇の方もいらして「私だけじゃないんだ」っておもうと救われました。 流産は14週17週20週で3度目は、管理入院をしてそれでもだめだったので、その入院中の気持ちを思い出すと悲しくてまだ次の妊娠にはいけないのですが、子供を持ちたい気持ちもあるので、いつかがんばろうっておもえたらまた不妊科に行こうとおもいます。流産の原因を調べる検査もおもったより早くできそうなので、落ち着いたら日本へ行こうと夫と話してます。みなさんありがとうございました そして妊娠に向かって進んでいる方頑張ってください。 | |||
>>> 同じ境遇です。 | Shatzi
-- 2005/02/21.. | ||
私も豪州に来てもうすぐ9年になろうとしています。年はすかいさんより少し上です。私の治療暦はラパロ→タイミング→顕微授精です。 4度目の顕微授精で妊娠しましたが11週で流産。まさに天国から地獄でした。治療を行っている病院ではカウンセラーがいて、私は流産後何度かカウンセルを受けました。 心の奥にあって、夫にも出せないものを、引き出してもらえ、カウンセルを受ける度に、心が楽になりました。その時に言われたのが、ストレスになるような事はしなくて良い!でした。人に会いたくない、人の子供の話や、ましてや妊娠中の人の経過報告など聞きたくない、どこに出掛けてもお腹の大きい人が目に入って悲しくなるなど、少しでも自分に負担のかかることには、かかわらなくて良い!でした。 今の時期、我慢する必要もないし、何のストレスも感じないように出来ればして下さい。自分に正直に過ごして下さい。ゆっくりゆっくり、自分のペースで歩いたり立ち止まったり座り込んだりして下さい。少しずつ、時間が解決してくれます。 少しお金はかかるけど、検査を1周期のばして、思い切って日本に帰るのも良い方法だとも思います。家族と日本食がすかいさんの心を癒してくれるでしょう。 遠い異国の地で、同じように悩み苦しんでいる同士がここにもいる事を、覚えていて下さいね。 | |||
>>> お返事いただけて嬉しいです。 | すかい
-- 2005/02/17.. | ||
私は豪州に住んで8年目になります。夫はいろいろ気を遣ってくれて家に居るので仕事が終わるとカフェに行ったり連れ出してもらってます。時々、感情の起伏が激しくて自分でも嫌になるので、流産後病院から紹介してもらったサイコロジストに会って今は時々電話で話を聞いてもらう時もあります でも、どうしても人と話すとき頑張ってしまって疲れるんです。sachiさんと同じで、大丈夫なふりをしてしまって そう「かわいそうな人」とおもわれたくないんです。流産のサイトももちろん救われるときもありますが、 少し今の私には重たすぎると感じるのでいろいろ探してたらここにきました。みなさん温かいですよね ぽて子さんやsachiさんみたいに過去のことを思い出しながら励ましてくれてる優しさは本当に嬉しいです 私にはできないかも。お返事を頂いてから少し元気が出てきて、今日髪を切りに行って帰りに友達とランチをしてきました。髪を切って気分もいいし友達とのおしゃべりも楽しくできたしいい時間でした。またいろいろ考えると暗くなるんですが、楽しい時間も持つように心がけようとおもいます。また話したくなるとここにも来るとおもいます そのときはまたよろしくおねがいします。 | |||
>>> 頑張ってください。 | Silkey
-- 2005/02/17.. | ||
私も、結婚で渡米して6年目を迎える40歳の主婦です。 2.3日前の2/14に2度目の流産を経験しました。 確かに流産はつらいですが、私は初期段階(7w)で終わったので仕方ないと諦める事にしました。 私も両親や仲の良い友達は皆日本ですが、こちらで不妊治療を続けているといろいろなネットワークが広がります。 私の場合、地元で不妊治療をSuppportしているグループを見つけて参加したり、針の治療に通っている先生にいろいろ相談したり、太極拳で気分をコントロールしたりしています。 すかいさんはどこにお住まいかわかりませんが、アメリカでCONCEIVEという雑誌がありますが、大変役に立っています。 とにかく私のモットーはストレスをためない事、今後も妊娠する事を期待して進むしかないじゃないですか? 私が流産していろいろな人から頂いた何よりの励ましの言葉は ”流産に終わってしまったけれどあなたは妊娠したのだから”と言われた事です。希望をもって頑張りましょう。 | |||
>>> 大人になるって辛いですよね。 | sachi
-- 2005/02/16.. | ||
凛さん、お返事くださってありがとうございました。 私が一番辛かったのは友人と会うと自分は大丈夫なふりをしなければいけないことでした。 大人なんだしあんまり愚痴ったりできないとおもってしまうわけです。元気にしてるふりをしているだけなのに不妊治療の相談をされたり妊娠の経過を報告されたり流産した人からはお互いに慰めあいましょう的な話をされたり。 私の心の闇はどうしたら解決できるのかわからずにもんもんとしていました。 誰にも私の心の底は話したくなかった。 かわいそうだなんて思われたくなかった。 だからあなたのこともかわいそうだなんて思いません。 あなたはあなたの道を見つけられる人だと思います。 冷たいようだけどおおいに悩み、もがいてください。 目をそらさないで現実に目をむけて闇と戦ってください。 あなたにはまだ時間があります。 またいつでも吐き出しにきてね。 | |||
>>> sachiさん | 凛
-- 2005/02/16.. | ||
ありがとうございます。 私の文章は読み返すと自分でも何を言いたいのか?わかりづらいのによく気持ちを理解してくださって嬉しく思います。・・・そうなんですよね こういう時期って学びのときだとおもうんです 今の段階では、この先不妊治療に戻るかまだ決め兼ねているんですが、 後悔をすることを考えるともう一度だけトライするのもいいかも?とおもえるようになった気持ちもあるんです ただ今の自分は自然の流れに沿って無理せずいようとおもうんです そのうち気が向いたら何かはじめようかとおもってます。ここに来て本当に良かったとおもいます ありがとうございましたそれとこれからもよろしくおねがいします。私も、いつかあの時はいい勉強をしたとおもえるようになればいいなぁ。 | |||
>>> 私も孤独でした | ぽて子
-- 2005/02/15.. | ||
こんにちは。 私は不妊治療をしたことがないので、その苦労についてはここで皆さんのお話を読んで知識として持っているにすぎませんが、 海外に7年間、子供なしで住んでいたときに孤独感はつきものでしたので、少しすかいさんと共通点があるかなと思い 書いてみます。 私が住んでいたのはヨーロッパで、女性は仕事をして当たり前、子供ができたら保育園かシッターさんに預けてどんどん復帰して いました。だから、日本人の友達(駐在員の奥さんで専業)が出産すると、昼間の公園にいる人はシッターさんばかり、と よく聞かされていました。私はそうなる以前に、まず子供なしで家にいるのも苦痛でした。当時30歳直前でしたが、その 年齢では専業主婦をしている現地の女性はまずおらず、 昼間会えるのは日本人の駐在妻のかたばかり。後は学校に通っても自分より若い人が多く、既婚の私とは立場が違うので それもしっくりこなくて、ホームシックから鬱になりました。 特にこれといって問題もなくても、当時の私が鬱になったように、海外で一人家にこもっていると苦しくなると思います。 すかいさんは海外生活を始めてどれくらいですか? 私は、少し生活に慣れた2年目くらいから鬱が悪化しました。 最初は必死で順応しようとして、しばらくして「私、ここで何をやっているんだろう?」とあせりはじめたのが きっかけのような気がします。もう10年近く前のことなので、記憶があいまいになっていますが・・・。 すかいさんのお友達も「働けば?」とおっしゃるかたがいるようですが、仕事ならアルバイト程度ならなんとかあるのでは? 特に生活を支える必要がないのなら、通院に差し支えない程度で外に出る機会が増えて、お小遣いができればいいや、 くらいでも定期的に家から出る用事を作ると気分がかなり違います。 私は日系企業でアルバイトして、いつもとは別のタイプの日本人のお友達ができて気晴らしになりましたよ。 もちろんボランティアでも、勉強でも、すかいさんのご興味のあることをされればいいと思います。 もし本当に何もする気になれないとか、家から出られないという気分になったら鬱の可能性が高いので、無理せずに ご主人と専門家に相談なさったほうがいいと思います。 そこまででなければ、ゆっくりと自分が外に出たくなる、他人とかかわりたくなるまで休養される手もあります。 気分には波があって、自分が飲み込まれる前に冷静に観察していると、意外とまた上昇してくるものです。 がんばりすぎないでくださいね。 | |||
>>> うまくいえないけど | sachi
-- 2005/02/15.. | ||
どんなふうに話したらいいかわかりませんがスカイさんの気持ち私はわかるような気がします。 私は流産後、娘を産んでいますので私からの言葉はスカイさんの胸にささってしまうかもしれません。不愉快だったらお許しください。私はアメリカ在住で子供をもつつもりはありませんでしたが妊娠し流産。子供を望んでいなかった主人なので流産したということは子供のいない人生を歩くということを意味しました。 でも一度妊娠して子供のいる生活を思い描いた私にはほかにしたいこともみつからず友人が妊娠するのをみるのも辛く孤独な時間をすごしました。子供がいなくて不妊治療の友人からいろんな話を聞くのも子供の話しばっかりでいや、と思ったものです。 私のベストフレンドであるべきの夫にもこの気持ちはわからないんだろうなと悲しく思いました。自分が年をとったときに悲しい人生だったなんて思いたくない、子供がいないから私は不幸な人間だなんて思いたくない、プライドだけで生きていたように思います。 自分が一番望むこと、できること、できないことをノートにしたためてせめていくつかでもできることを実行したいと考えていました。スカイさんは38歳、まだお若いし時間はまだあります。 お友達と連絡をとりたくないならそれもよし。孤独の中で見つかる答えもあるかもしれません。 できれば悩みなんて持ちたくないけどあのときの私の心の闇は私の後の人生の中で非常にいい経験だったと思っています。仕事や旅行もいいことだけど治療中でそれもままならないようでしたらボランテイァとかで外にでていろんな人にあうのもいいんじゃあないでしょうか。 私は自分の悩みを友人とシェアできなかったのでこのサイトのみなさんといろんな意見交換をしたことが私にとって救いとなりました。またもんもんとしたら気持ちを吐き出しにここにきてください。あなたの望みがかないますように。 “しあわせはいつもじぶんのこころがきめる” あいだみつを | |||