妊娠・出産・育児

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2003年11月〜2003年12月8日の投稿バックナンバー


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障害をもったおこさんを産むことについて ぴこぴこ  -- 2003/12/07 ..
こんにちは。
私は35歳、流産経験があり、今妊娠に向けて頑張っているところです。
今回は、自分のことではなく、このサイトでたびたび話題になっている「障害をもったお子さんをもつことについて」ちょっとお話したく、書き込みしました。
高齢出産では、障害をもったお子さんが生まれるリスクが高くなりますよね。皆さんもその心配を抱えながら、人によっては羊水検査を受けられる方もいらっしゃると思います。そして、そのことについての是非がしばしば論じられていますよね。
わたしは、仕事で障害者の方とかかわりがあります。その中で、障害を持った方が羊水検査について言っていることがあります。
「自分はこの世に生まれてきて幸せだ。でも、確かに今の世の中は障害をもっている人に生きづらくできている。こういう世の中である限り、障害をもった子供を産むことを望まない母親がいても仕方ないと思う。」
わたしもほんとうにそうだと思うんです。障害をもった人が生きやすい世の中であれば、産むことを悩む必要もないのにって。
だから、羊水検査を受けようとする人個人を責めてもしょうがない、って思うんです。もっとみんなで、障害をもった人も生きやすい世の中にしていきましょうよ!
このサイトに参加してらっしゃるみなさんは、人生経験も豊かで、子育てについても熱心な方が多いですよね。そういった方が世の中を変えようと思ってくれたら、ほんとうに変わっていくと思うんです・・・。


大切なこと   めるも
障害者と健常者とのギャップ   りりちゃん
もう一度、簡潔に!   なおゆうぎ
ご意見、ありがとうございます。   ぴこぴこ
個人の力   めるも
私も同感です。   たんぽぽ
同感です   まり
淘汰される者はどう思うか   匿名
「障害」という言葉にも偏見を感じます。   なおゆうぎ
生きづらい世の中   匿名




 

   >>> 大切なこと めるも   -- 2003/12/06..
 
再度投稿させていただきます。

本当に大切なこと できること

言葉を云々することから始まる運動もあるでしょう。それは否めません。と同時にこうも考えられます。過去に繰り返してきたように、言葉をタブー視することで参加者の門戸を狭めてしまうこと。人は非難を浴びたと感じるとき、またそれを目撃したとき、萎縮してしまうものです。障害を持つ人たちに自分自身ができること、ファーストステップを今一度、考えたいと思います。
 





   >>> 障害者と健常者とのギャップ りりちゃん   -- 2003/12/04..
 
私の実父は20年ほど前に身体障害者になりました。本人もそうですが、家族も悲惨でした。父はまだ43歳で私の大学受験の時に倒れてしまい志望校の変更を迫られました。親戚にも「女の癖に4年制大学に行くのか」とののしられ辛い思いをしました。(父は4年生を希望していました)弟もまだ小学生で今思えば寂しい思いをさせていました。(母と私とで交代で病院に行ってたので一人でいる時間がかなりありました)

今は状態も落ち着いていますが、それ以降全く働くことは出来ませんでした。自営業なので母が切り盛りして何とか生計を立てていました。この障害が自分の子供にあったらどれだけ辛いだろうかと思います。

私が障害者になってからの父から学んだことがあります。それはこちら(健常者)の思いと障害者の思いが違うと言うことです。
右手が思うように使えず食事が不自由になっり私はご飯はおにぎりなどのほうが食べやすいのではないかと提案しました。(お茶碗とお箸は使いにくいので)しかし、父は拒みました。お茶碗とお箸で食べたいといいました。(今は左を使っています)こちらが良かれと思ったことが必ずしも障害者の方にとって良いことではないことがわかりました。これは障害者とじかに接してみないとなかなか気がつかないことと実感しました。

今は健常者でも障害を持っ方でも生活しにくいことは事実です。でも実際障害を持った方が全く一人暮らしで野垂れ死にしたって事あるのでしょうか。本当はそのようなことが日常的にあるけどニュースにならないだけなのでしょうか。必ずしも親のみが障害児を育てているのでしょうか。社会の協力はないのでしょうか。(少ないとは思いますが・・・)

私は障害者=生活が難しいとおもうこと事態が偏見のように感じます。障害者の方でもたくましい人もいます。健常者の勝手な思い上がりの親切ではなく障害者の方達の立場になって考えていく必要があるように思います。

 





   >>> もう一度、簡潔に! なおゆうぎ   -- 2003/12/03..
 
私は「障害者」という言い方が嫌いです。 胃腸障害など、〜障害・・というならば、それはスムーズな進行を妨げるものという考えが当てはまります。 しかし人自身に対して障害と使われる言葉は、その人に対してとの意味になります。 また、このように疑問に思い、それを訴えていくのも、そういうことに関心を持つ大きいことと私は信じています。 現に昔は普通に使っていた、今にしたら偏見を生む言葉が、教科書から消え、マスコミから消え、日常会話にすら出してはいけない雰囲気になっているものが、いくつもあります。  人それぞれです。もしかしたら当人でも何にも不快に思わない人もいるかもしれません。 しかし私を含め、この言葉に不快さを感じ、将来的にこれに変わる言葉ができ、健常者との間にほんの少しずつでも、隔たりがとれることを望んでいる人もいます。 健常者の方たちも、この言葉から良きにしても、悪しきにしても、偏見を感じている方が沢山いると思います。

こういうことに、今までの人生経験などで、関心を持つ人は、人それぞれいろんな角度から良くしていくには・・・と考えます。
経験したからこそ、思ったからこそ、関心もったからこそ、出した私の気持ちです。  こういう問題は、個人宛に訴えているのではありません。  その人たちの立場でないと、それぞれ考えることすら出来ない分野があります。 

それらの考えを尊重しつつ、成長させなければ何も生まれません。頭からご自分の意見で打ち消していたのでは、何事にもそこで止まってしまいます。 疑問からはじまるのも、私たち小さな一人の人間の出来る一歩ではないでしょうか。 
 





   >>> ご意見、ありがとうございます。 ぴこぴこ   -- 2003/12/03..
 
稚拙な文面にも係わらず、皆様から返信をいただいて、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
私自身、流産後の体の回復をまって、年明けからまた子作りにチャレンジするつもりでいます。
自分のことを言えば、羊水検査は受けないと思います。
また、障害をもった子をもったとしたら、もちろん受け入れるのに時間はかかると思いますが、精一杯その子を愛し、育てていくつもりでいます。
ただ、思ったのは、今の世の中では、障害をもったお子さんのご両親に、必要以上の負担をしいているのではないか、ということなのです。もちろん、健康なお子さんでも、育てるのは大変だと思います。でも、障害をもったお子さんの場合、育てるだけでももっと大変なのに、それプラス、世間の偏見とか、受け入れてくれる保育園・幼稚園を探すのが大変だとか、地元の小学校に通えずに親が車で送り迎えしないといけないとかいろいろあるんですよね。
流産してすごく思ったんですけど、流産することも、障害児を生むことも、確率の問題で誰にでもおこりえるのに、その結果の負担は全部個人に押し付けられてるんじゃないかなって・・。
だから、皆さんで、「ボランティア」ということでなくても、
例えば障害をもったお子さんが周りにいたら、
その子のお母さんに声をかけるとか、
自分の子供とか兄弟が、障害のある人またはその兄弟と結婚したい、というときに変な偏見で反対しない、とか
そういうことはできると思うし、していきたいなぁと思います。
また、一歩進んで、ボランティアをしてくださる方がいたら、
ぜひ地元の区・市役所、町役場の障害者施策担当課にご相談ください。
「ボランティアをしたいんだけど、適当な社会福祉施設はないか」
と聞いていただくといいと思います。
また、なおゆうぎさんのご意見にもあったように、「障害」という言葉に抵抗を持つ方も多く、言葉の見直し意見が福祉の現場で多くあがっている現状があります。私も、ここでは皆さんに伝えるために「障害」という言葉を使いましたが、もっと違う言葉があるといいなあと思います。
 





   >>> 個人の力 めるも   -- 2003/12/02..
 
こんにちは

私も色々と考えさせていただきました。意見交換の場に参加させてくださいね。

先ごろのニュースで、福祉先進国と言われるフランスで一人暮らしの老人の相次ぐ孤独死が問題になっていました。北欧に住む友人の話では、日本で云々されているほど行政としての福祉は発達しておらず、個人の力、つまりボランティアなどに依存する部分も大きいそうです。

日本でも阪神淡路大震災の時に、ボランティアの参加人口は一気に増えました。誰かが不特定の誰かの力になることをごく自然に受け入れられる土壌が出来つつあるのかと期待していました。が、それもやや下火状態。

どこに問題があるのかといえば、それは幼い頃からの「教育」に他ならないと思います。しつけは親が教えるものであり、誰かの手助けをすることで得られる満足感を教えるのも親の役目。ボランティアはギブアンドテイクではありません。ギブアンドギブです。学校は社会を体験する場であり、協調性を育てる実践の場です。親が過剰な期待を学校にしてはいけません。ウェットな国民性は残るものの、排他的個人主義は増すばかりです。大学生にはボランティアをして単位の取得に繋がるなどを考慮すべきではと考えます。

障害、という言葉は不適当では、という発言がありましたね。語意通りにスムーズな進行を妨げるもの、と捉えればさして問題なく思いますが・・・。日本人は言葉の持つ意味に敏感です。障害 = マイナスイメージ に考えているから不適当だと思うのではないでしょうか。

障害者と健常者の間に垣根を作らない社会・・・どこかの政治家の、選挙対策用スローガン的な言葉に期待しても埒が明きませんよね。当たり前のことを当たり前に、システマティックにことを勧められない指導者を持つ日本なのですから行政に頼ることは出来ません。税金面においても、国は弱者に対してサポートするどころか、反対に目に見えない負荷は増していく一方です。障害を持つものにとって生きていきやすい社会は、行政を頼る限り訪れないものと覚悟したほうがいいかもしれません。

行政の不備を嘆くより、個人の力を集める働きかけを民間レベルで行政と連携を取り促進することが、てっとり早い福祉国家への道筋ではないかと思います。

ぴこぴこさんへ
こうした問題提起をする場合、出来ましたら、各々の持てる情報など(ボランティアに参加しているとしたらその内容、または窓口)を書いてくださると身近に感じられるのではないでしょうか。障害者と節点のある仕事をされているそうなので、具体的な情報をいただけると嬉しいです。
 





   >>> 私も同感です。 たんぽぽ   -- 2003/12/01..
 
 わたしもぴこぴこさに同感します。
 本当に、障害(今のところ心身に不自由を抱えている方を総称しようとしたらこの言葉しか思い浮かびません。)を持っていても幸せに生きられる社会にしていきたいと思います。少しでも、何等かのお役に立ちたいと思います。

 高齢で妊娠すると、どうしても子供の障害が気になります。匿名さんがおっしゃるように誰にでも生きづらい世の中なら、どうしてこれほど望んだ子供に羊水検査をするのでしょうか。障害があることが辛いからではないのですか。

 親が先に亡くなっても大丈夫だといえない限り、羊水検査を受ける人を責めることなどできないと思います。しかし、障害があるからといって何が悪いのでしょうか。

 高齢で妊娠して、子供の障害が気になったのなら、ただ怖れるだけではなく、また検査が陰性だったから安心するというだけではなく、心に浮かんだその子供さんを「幸せにしたい」という願いをもつことも大切だと思います。

 障害があっても生きやすい世の中にしていきたいですね。そのためにできることはしていきたいと思っています。
 
 





   >>> 同感です まり   -- 2003/11/30..
 
「もっとみんなで、障害をもった人も生きやすい世の中にしていきましょうよ!」というぴこぴこさんの意見に賛成です。
ボランティアで施設の子どもと出会ってますが、発達の遅れがあっても、ピュアな彼らに本当に心が洗われます。でも、同時に将来が心配で胸が痛くなります。

個人で攻撃しあっていても何も変わらないと思います。福祉のあり方、税金の使い方、年金のことなど変えていかなければ、北欧のようにはなりません。

また、ぴこぴこさんの意見の前向きな部分を受け取らず、言葉の運びを匿名で批判する意見の方に伺います、皆さんは、この社会にどのような未来を描かれているのでしょうか?
 





   >>> 淘汰される者はどう思うか 匿名   -- 2003/11/27..
 
 ぴこぴこさんが紹介されているのは、身体障害者の言葉だと
思うのですが。
 羊水検査で淘汰されるダウン症などの知的障害者、その他の
染色体異常者も果たしてそう思うでしょうか。
 身体障害者がダウン症者のことまで考えて、そのような発言をしているなら、身体障害者の「奢り」ではないかと、私は思います。
 ぴこぴこさんの知り合いの障害者は、自分の障害が羊水検査の対象でないからそう言うのではないですか。

 羊水検査の対象として代表格にされているダウン症児・者の立場にすれば、「生まれて幸せだった。私達のような子どもも産んでほしい」と言うような気がします。

 障害者の言葉によらず、ぴこぴこさんが高齢出産する立場だったらどうしますか。
 





   >>> 「障害」という言葉にも偏見を感じます。 なおゆうぎ   -- 2003/11/22..
 
私は11歳の息子を小児癌で亡くしました。入院生活を送る中で、私自身も、我が子も様々な子達を見てきましたした。
まず「障害」という言葉が私は嫌いです。ハンデイキャップなどとも言っていますが、このような人は「障害」とまずひとくぐりに出来ないと思います。眼鏡要などのように、車椅子要、自閉症、ダウン症などなど。ハンデイを抱えている部分や内容がそれぞれ違います。 まず色々な立場の子達がいて、それを当たり前と思う世の中とすることが第一。 そのような教育を小さいころからまず教えていくべきですね。
その子達を可愛そうに思うのではなく、その子たちを認める世の中が理想ですね。

実際もし自分の子がと考えてみます。 私は息子が車椅子になってしまったとき、それも出来なくなってしまったとき、初めは受け入れることさえ、出来ませんでしたが、どんな形であれ生きていて欲しかったです。今でもその気持ちが残っています。 その反面、たとえば寝たきりであったら息子は辛い思いをしただろうか・・
世の中どうのではなく、体の不自由な子やその親は心身ともに
大変です。 これはいくら周りで見ていらしても、親子でなければ
わからないことでした 
どんな世の中になろうとも、子を受け入れるということは、よほどの強い覚悟がなくてはいけないと思うんです。
それ故、悩まれて羊水検査を受けられるのもそうだと思うし、受けないと決断すればそれも正しいと思います。

自分の子を決断するときは、世の中が良くなっても、悪くても、母の強い覚悟と意志で決めるべきです。
世の中として見るときは、あらゆる子達の立場を普通に認めてあげることですね。
でも、最近はだんだんと教育面でも触れていますし、駅や公共トイレなどでも改善されていたり、様々なボランティア団体も増えて、一昔よりは良くはなってきていると思います。 あともう一歩ですね・・・。
また、私は、ぴこぴこさんのように、このような関わりを持っている方に、どんどん世の中に、ハンデイを抱えた方々の交流を推進していって欲しいです。 身近に感じることが、感じさせろことが、
理解も生みますから。
 





   >>> 生きづらい世の中 匿名   -- 2003/11/22..
 
私は障害をもっていないので何とも言えませんが、今は誰もが生きづらい世の中ではないでしょうか?

「自分はこの世に生まれてきて幸せだ。でも、確かに今の世の中は障害をもっている人に生きづらくできている。こういう世の中である限り、障害をもった子供を産むことを望まない母親がいても仕方ないと思う。」

この言葉から「障害をもった」という言葉を除いてみても納得できそうです。生きづらい世の中だからこそ、その中でそれぞれがんばっているんです。障害があるから生きづらいというのは、少し違うと思います。