涙 | 涙 -- 2003/11/07 .. | ||
この秋、妊娠30週で死産を経験しました。38歳の、初産でした。突然胎動が無いのに気づいて深夜に病院へかけこみ、「赤ちゃんが弱っている」との理由で即入院。その時は、すでに赤ちゃんは亡くなっていました。ショックを急に与えないようにという、医者の配慮でした。事実を知らされた翌朝の衝撃は、忘れられません。悲しみに浸る間もなく、お産に向けて様々な処置が即刻始まりました。陣痛促進剤の激痛は、数秒間隔でまる2日休みなく続きました。なかなか子宮の入り口が開かず、薬を変えたり風船を挿入したり...。体の痛みと赤ちゃんを亡くした悲しみで、入院中と退院後に流した涙は他人の一生分より多いかもしれません。胎内死亡の原因は、不明でした。気力を無くしてしまい、呆然とする毎日です。皆さんの投稿を拝見させていただけるおかげで、気持ちが慰められます。泣き暮れる毎日から早く立ち直ってしっかりしなきゃいけないと、背中を優しく押してもらえる気がします。 | |||
赤ちゃんのご冥福をお祈りしています。 なるまん | |||
ゆっくりと・・。 まるぼうず | |||
私も同じ気持ちです。 りるにゃ | |||
涙さんへ ナッツ | |||
いつか… mayamama | |||
ゆっくりと立ち直ってくださいね。 芽衣 | |||
我慢しないで ヴィヴィアン | |||
何と言っていいか まみ | |||
分かります。 りゅう | |||
感謝 涙 | |||
今は悲しんで...、又歩みましょう。 バンビ | |||
どうしたらいいのでしょう? ミカン | |||
悲しいです。 sachi | |||
私も同じ経験をしました ひこうき雲 | |||
同じです ナナ | |||
癒されることはないかもしれません 健 | |||
ゆっくり頑張って… jane | |||
同じです nonnon | |||
>>> 赤ちゃんのご冥福をお祈りしています。 | なるまん
-- 2003/11/07.. | ||
悲しい出来事でしたね。 そして、これからも悲しい事が沢山あります。ささいなことでも悲しくてなりますが ご主人と二人でゆっくり ゆっくり乗り越えてください。 弟か妹が欲しい・・・ と心から思えるようになったら 前に進んでね。 涙さんの赤ちゃんと 私の娘たちが天国で仲良く 過ごしているよう願っています。 | |||
>>> ゆっくりと・・。 | まるぼうず
-- 2003/11/05.. | ||
はじめまして。あまりに辛い出来事でレスしてもどう言葉をつづったらいいのかわからず、皆さんのレスを読ませていただいていました。 私も3回の初期流産を経験しています。赤ちゃんの姿がみえないのです。その度にショックは大きくなり、何を見てもどこへいっても「涙」で景色がかすんでいました。何年もくすぶった心で世の中を見ていたんです。 涙さん、辛いですね。苦しいですね。私は自分の気持ちを誰かに聞いてほしかった、話したかった、分かち合いたかった。 でも、1人で心にふたをして、主人にも言いませんでした。 今思うのは、やっぱり同じ思いの方と心を開いて話がしたいということです。ココの皆さんもきっと同じだと思うんです。 私は今でも話したいって感じてます。 涙さん、心が少しでも軽くなるように・・。祈っています。 赤ちゃん、きっと涙さんのお腹の中で「しあわせ」だったと思います。 | |||
>>> 私も同じ気持ちです。 | りるにゃ
-- 2003/11/04.. | ||
辛いですね,辛すぎますよね。何でこんな人生なんだ,と嘆き悲しむ気持ち,痛いほどよく分かります。 私も33歳で第二子を生後6カ月で亡くし,37歳で第三子を流産,そして第四子を33週で死産しました。私は帝王切開でした。それから半年経ち,生活は普段通りに戻っていますが,気持ちは暗いトンネルから抜け出せません。生きていくことがこんなにも苦しいなんて若いときには想像もつきませんでした。子供を三人も死なせておいて何故今私は生きているのだろうと,毎日自問自答しています。私に生きている価値はあるのかと,答えのでない疑問を自分に投げかけています。 でも私は,苦しいのは自分だけではないと思っています。私が,苦しんでいるのは子供を死なせてしまったことですが,どんな人も何らかの苦しみを持って生きていると思うのです。それはパートナーの浮気であったり,暴力であったり,または借金であったり,生活苦であったり,それぞれ同じ尺度でははかることのできない,種類の違う苦しみを持っているのではないかと思うのです。 私は今38歳,高齢ですしこれまでの妊娠の経緯から考えますと次また挑戦します,とはなかなか言えません。これからどんな人生になるかは分かりませんが,きっとおばあさんになるまで子供を死なせたという苦しみは,続くのでは,と思っています。 涙さん,とにかく今は体も心もよく休めて,急がないでゆっくりと歩いていきましょう。立ち止まっても良いし,後ろを振り向いても良いと思います。時が,少しずつ心をときほぐしてくれるのではないでしょうか。 私も偉そうなことは言えないんですけど・・・ | |||
>>> 涙さんへ | ナッツ
-- 2003/11/04.. | ||
私が、お腹の赤ちゃんを失って、 身体が溶けてしまうくらい泣いている時、 友人がくれた言葉があります。 私には効いたのですが、人の心は様々なので、 却って苦しい思いをなさるのではないかと迷いました。 もし、お気に障ったら記憶から削除してください。 「赤ちゃんの魂は、自分で別な道を見つけて、 必ずあなたの所へ戻って来るよ。」です。 アメリカの精神科医が書いた本の中にあったそうです。 言葉・宗教・音楽・知識、なんでもいいからこの世の何かが、 涙さんの心に届いて、傷を癒す一助になりますように。 今は泣いて、泣き寝入りに眠って、一日をやり過ごしましょう。 涙さんは充分頑張ったので、今はもう頑張らなくていいんです 悲しみの仕事をきっちりしないと、後から揺り返しが来ます。 ご家族やお友達が全身全霊をかけて、涙さんを守ってくださいますように。 逆縁の悲しみを私も知っていますよ。 火葬場で小さいお骨を拾ったのが、一番辛かったです。 何も出来ない、宗教も持たない私ですが、 赤ちゃんのご冥福をお祈りさせてください。 | |||
>>> いつか… | mayamama
-- 2003/11/04.. | ||
慰めの言葉はないのではないかと思い知らされます。 私は繋留流産の経験しかありませんが、それでもかなり落ち込んだのですが、死産の経験は本当に当事者でないとわからないと思います。 流産の後に慰めてるつもりなのでしょう、他人からよく言われたのが「月齢が進んでなくて良かったね。形があったらもっとつらいじゃない?」という言葉でした。 月齢が低かったら傷が浅いの?妊娠初期なら立ち直りが早いと言うのだろうか?とショックでした。 きっと精一杯の慰めだったのかもしれませんが…。 それから、不思議な事に妊婦さんや赤ちゃんばかり目が行ってしまい、かなり精神的にもまいりました。 少し落ち着いた頃、供養する為に訪れたお寺で、ものすごい数のお札や、石像に圧倒され、そして訪れているたくさんの女性達の一生懸命花を供える姿を見て涙があふれて止まりませんでした。 その時、私だけじゃないんだという気持になりました。 月齢がどうだろうと亡くしてしまったあの子は私の子に変わりはなかった。 縁がなかった、運がなかったと言われても、ほんの数週間しかいなかったけど、確かに授かったと信じたかったのです。 そしていつか…またきっと会えると。帰って来てくれると。 お寺のお堂で、祈りながら改めて自分の気持がわかったような瞬間でした。 経験がない私があれこれ言えないのですが、今は無理に立ち直ろうとせずに、悲しんでいていいのだと思います。 我慢して、頑張ってしまうと後でもっとつらくなるかもしれません。 今はご自身のお身体をどうか大切にして下さい。 そして、きっといつか…きっと。 そう信じて…。 | |||
>>> ゆっくりと立ち直ってくださいね。 | 芽衣
-- 2003/11/04.. | ||
涙さんお体のほうはいかがでしょうか。あなたの今の悲しみをおしはかりようもありません。今は本当に体も心も辛い辛いときでしょうが、どうぞゆっくりといたわってくださいね。 以前から産み月が近くなった方の死産のお話や、誕生後間もない赤ちゃんの死亡のお話に衝撃を受けていました。そんな私も涙さんよりずっと週数の少ない14週でしたが、4月に双子を死産しました。やはり陣痛促進剤などを使って苦しんだ末のお産でした。お腹が軽くなると気持も虚しくなって、涙さんのように呆然とした状態でしばらくいました。 ですが不思議なもので、わずかずつですが、体の立ち直りに合わせるかのように段々と気持も浮かび上がって来たのを覚えています。ここのサイトでずいぶん励ましていただきました。そのときにいただいた言葉で今一番心に浮かぶのは「未来永劫あの子達は私の子供」というものでした。 私は39歳で一人出産しましたがその前に流産もしているので、双子とあわせると4冊の母子手帳が手元にあります。でも使われているのは1冊だけ。。。3冊はすぐには目に付かないところにしまい込んでありますが、心の中でいつも名前で呼びかけています。 涙さんも天国に行かれた赤ちゃんにお話しされているでしょう?赤ちゃんもきっと涙さんが立ち直られるのを見守っていてくれます。今は先のことを考えられないでしょうけれど、段々と立ち直って行かれると心も体もまた赤ちゃんを迎えられるような日がきます。これから授かられるだろうお子さんも、天国にいるお子さんも、未来永劫涙さんのお子さんです。 ゆっくりゆっくり元気になって下さいね。 | |||
>>> 我慢しないで | ヴィヴィアン
-- 2003/11/04.. | ||
涙さん、 私も流産を2回経験しました。とにかく深い悲しみと悔しさと後悔と、半年ほどは毎日毎日泣いておりました。今までの人生で一番涙を流しました。まだ数週の浅い流産ですら、悲しみは深いですから、30週の死産、どんなにお辛いか・・・心が痛みます。どんな言葉をお掛けしたら良いかわかりません。 涙を我慢しないで、泣きたいだけ泣いて下さい。涙が枯れるまで泣いたら、またがんばらなきゃ、という気持ちが湧いてきます。自分の経験ですが、周りを心配させたくなくて強がって涙を我慢していた時は、もっともっと辛くて悲しみが癒えるまでに時間がかかったような気がいたします。 今はお体の回復も第一に大切な事ですから、我慢は回復に大敵です。お気持ちが落ち着かれるまで、時間はかかるかもしれませんが、ゆっくりお元気になって下さいね♪赤ちゃんのご冥福をお祈りしています。 | |||
>>> 何と言っていいか | まみ
-- 2003/11/04.. | ||
涙さん、すごく辛かった事と思います。 でもご自分を責めないで下さいね。 ご主人と支えあって乗り越えられる日が来ますように | |||
>>> 分かります。 | りゅう
-- 2003/11/04.. | ||
涙さん、私も、初産で37週1日に原因不明の胎内死亡で亡くしました。突然のことで、本当に落ち込みました。町へ出れば知らない赤ちゃんや妊婦さんに腹が立ち、蹴飛ばして暴れまわってやりたい衝動にかられました。当然のように出産記者会見をする芸能人や、オムツのCMにも腹が立ちました。どうしてこんな不幸が自分にふりかかったんだろうと、泣いて泣いて泣きまくり、死んだほうがましだと真剣に考えたりしました。なので、涙さんの気持ちが分かるつもりでいます。私の場合は、とにかく荒れまくっていました。 先に同じような体験をした者として、涙さんの力になれればと思い、私自身が少しずつ回復できていった経緯を書きますね。(あくまで私の場合) ★陣痛促進剤で静かな出産でしたが、するりと出てきた時に、「またいいことあるよ。」という声が聞こえました。(ダンナには聞こえなかったらしいので、空耳かもしれませんが。) それを信じていました。 ★産休と言う腹立たしい名前の休暇の後に仕事復帰しましたが、家にこもっているよりは気持ちが紛れてよかったように思います。 ★でも、「子どもを亡くす」というあまりにも大きな衝撃を受けたからには、なかなか「普通の自分」に戻れません。私も、人前でもけっこう泣いたり、ぶすっと不機嫌そうにしてたり、そんなだったと思います。 ★前に書かれていた方がありましたが、「誕生死」という本を知り、同じ経験をした人がいるんだということに励まされました。 SIDSの会に入会し、ミーティングで実際に同じ痛みを話し合えたのは、気持ちが前向きに切り替わるきっかけになった気がします。「自分だけではない」、これは大きいです。 ★ダンナのあり方も大きいです。うちは、本当に優しく、強くあってくれたと思います。同じ時期に親戚の子が生まれたのですが、その子らに会うと情緒不安定になってしまうために、ずっと会わずに過ごしてました。 ★仕事が多忙になって、赤ちゃんのことが頭から少し離れた頃に、幸運にも妊娠できました。不安でいっぱいでしたし、いろいろあって入院したりもしましたが、違う産院で出産しました。病院を変えて正解でした。つらい思い出しかない産院へは、どうも足が向きません。 ★近くに住んでいれば、行って一緒に泣きたいくらい、涙さんのことを心配しています。 赤ちゃんは、いつも涙さんの近くにいます。 そしてまた、妹や弟を連れてきてくれると思います。 | |||
>>> 感謝 | 涙
-- 2003/11/04.. | ||
皆さんの返信投稿を拝見して、またまた涙が止まりませんでした。嬉し涙です。励ましのお言葉に、心から感謝します。同じような経験をした者同士だけしか分かりあえないことって、あるんですね。主人や家族や身近な友達の慰め以上に、手ごたえと重いものを感じました。 主人はアメリカ人で、お産のため3ヶ月間一人日本に滞在していました。1ヶ月検診後に、再び渡米したばかりです。妊娠4ヶ月の時、切迫流産で入院を経験していました。その時医者には、「コンピューターの仕事は、妊婦の流産と因果関係が無いとは言えないデータがある」と言われていました。でも、生まれてくる子供のために少しでも貯金をしたくて、胎動の無いのに気づいた日まで必死に働いていました。アメリカに住んでいる主人にも、私のお勤めは内緒でした。誕生を心待ちにしてくれていた彼や二人の両親に、申し訳ない懺悔の気持ちでいっぱいです。「死産の原因は、激務か婚姻前の中絶が元に違いない」という後悔の念もあります。 子供の遺骨は、周りにわからないようにして入院中もずっと枕もとに隠し持っていました。アメリカに発つ前に近所の寺に預けて、遺骨を包んでいたハンカチだけはアメリカに持ってきました。ベットのわきに、ぬいぐるみや焼香グッズとともに大事に置いてあります。 でも、後悔や反省ばかりして一生を終わるわけにはいきませんものね。次の妊娠に向けて、努力したいです。亡くなった子供の分まで、自分の人生を大切に、もっともっと人に優しく生きていきたいです。同じような経験をされた皆さんの体験記や励ましを拝見できたおかげで、今日は気持ちが大変軽やかです。本当に有難うございました。 | |||
>>> 今は悲しんで...、又歩みましょう。 | バンビ
-- 2003/11/03.. | ||
涙さん、本当に何とお言葉をかけてよいのかすぐに見つかりませんでしたが....ついこの間の出来事でしょう、今は旅立ったベビーちゃんの為に一杯涙を流してもいいと思います。そして思いっきり泣いて泣いて、涙が枯れたら、また1からスタートしてください。まだ38才です....。 私も38才の時に一度目の流産をしましたが、今また頑張っています。涙さんのお腹のベビーちゃん、きっとまた舞い戻って来るに違い無いですよ!無理に立ち直る必要は無いと思います。どうか今は悲しみを味わって(それも生きて行く糧では大事なことと思いますよ。できるなら味わいたく無いのですが...) 立ち直る時が来たらまた頑張りましょう。神様はゆっくりゆっくり、涙さんの心を癒して行ってくれるはずです。30週という手が屆きどうな所で召されたことはとっても心が痛みます。どうか、涙さんのお体も大切にして、心の整理がつくまで休んで下さい。かげながら応援しています。 | |||
>>> どうしたらいいのでしょう? | ミカン
-- 2003/11/03.. | ||
こんにちは、ミカンと申します。 42歳、三人目を先月12週の検診で、赤ちゃんが見えなくなっていて、掻ハ手術をしました。 私もまだ精神的にも肉体的にも立ち直れずにいます。 8週で赤ちゃんの心臓の動きを確認し、写真をいただいてきたのに ・・・・!ショックでした。 涙さんのショックは、きっと私以上だと察します。 どうしてこうなってしまったのか? どうしてもっと早く気づかなかったのか? 自分を責めたりして落ちこんでいます。 だから、涙さんの気持ち十分理解できると思います。 でも、泣きたい時は泣いて下さい。私達女にしか分からない、肉体的・精神的痛みなんだと思います。 そうして、また、頑張りましょう! もう一度、この子を抱く為に・・!今度は、ママもっと頑張るからね!だから安心して生まれて来てね! 涙さんも頑張って・・・! お互い、がわいい天使を抱くために、早く立ち直ろうね! あまり励ましになってなくて、ごめんなさい! | |||
>>> 悲しいです。 | sachi
-- 2003/11/03.. | ||
私の友人にも赤ちゃんを2人出産してすぐ亡くした人、8ヶ月で死産したひとがいます。心臓に障害があったようです。 その話をきいたときはものすごく悲しかったけど今自分が妊娠32週にはいり想像しただけで胸がはりさけそうです。 なんといってなぐさめていいかわかりません。 胎動を感じ、赤ちゃんのものもそろえてからの死産。 お辛いでしょうが今は涙さんのお体と心が一日も早く癒えることが一番大事です。流産の経験がある私は赤ちゃんのものを買っても産まれるまで袋から取り出すことができなくています。 38歳、まだまだお若い・・・この次の赤ちゃんはきっと元気に産まれますよ。早くお元気になってください。 赤ちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。 | |||
>>> 私も同じ経験をしました | ひこうき雲
-- 2003/11/03.. | ||
私も38歳、30週、初産でした。 赤ちゃんの元気がないということで入院し、 早めに外へ出そうということになり出産。 しかし、出産後4日でなくなりました。 この夏のことです。 一生ぶんの涙をながしました。 涙さんの気持ち、よくわかります。 誕生死というHPがあります。 大勢の人が同じような経験をしています。 よかったら見てみてください。 | |||
>>> 同じです | ナナ
-- 2003/11/03.. | ||
同じなんです。40才で初産死産を経験しました。 あの心身の痛みはよくわかります。 健康な赤ちゃんを産む痛みと違うその、持って行き場のない 辛さ、カーテンを隔てた隣では生まれたての赤ちゃんの泣き声。 可哀想に。楽天家の私でも立ち直るのには1ヶ月かかりました。 何を見ても涙がとまりませんでした。 涙さんなら大丈夫。まだまだ可能性はありますよ。 2〜3ヶ月後からまた妊娠の可能性が待っているんです。 何ごともなく一度で健康に産む人もいるけど、皆何かしら 過去に辛いを思いをして今の子供を持つ事が出来たと言う 人も多いです。私もこの経験を人に話したあとに、「実は 私も今の子は一度目じゃないのよ」と話してくれる友達の 多い事。未来に向けて頑張りましょう!大事なのは強い意志 強い母に向けて頑張ろうね。 | |||
>>> 癒されることはないかもしれません | 健
-- 2003/11/03.. | ||
涙さん、はじめまして。私も今年2月に出産予定日の3日前に胎内死亡を経験しました。臍帯が巻き付いていたのです。涙さんと同じく難産で陣痛促進剤も使い、最後には私の希望で無痛分娩できる病院へ転院。無痛と言っても最後は麻酔を切るので痛みは何ら変わりありませんでした。痛みと亡くなった子供への辛さ、悲しみだけが今も鮮明に残っています。産んで、子供の顔をみて親になった私達に心が癒されること今もありません。立ち直ろうと思っても一歩外にでると元気な赤ちゃんをいっぱい見ます。 その度に辛さが引き戻され、海辺にいったりきたりする波と同じです。一生癒されることのない事実から私は逃げられないし、逃げてはいけないと今も自分に言い聞かせています。34才で稽留流産、35才で胎内死亡。辛いです。しかも旦那は医者、私は看護婦でした。自分の子供が守れなかった悔しさは人並み以上です。涙さん、私は誕生死という本を読み自分だけではないと言い聞かせました。涙さん、私達の為にあるような本です。いつか機会があったらお読みになってみて下さい。うまく言えない私達の気持ちがきちんとそこにありますから。 | |||
>>> ゆっくり頑張って… | jane
-- 2003/11/03.. | ||
涙さん、心からお腹の赤ちゃんのご冥福をお祈りします。 私も42週で死産を経験しています。周りに何を言われても、元気になるには時間がかかりました。もう4年が経ちます。昼間のテレビのCMに泣き、買い物に行って赤ちゃんを見て泣き、姉の懐妊に泣き、勤め始めた会社で『お子さんは?』と言われて泣き、電車に乗って誇らしげにお子さんをあやしているお母さんを見て泣き、泣きっぱなしでしたよ…初めて迎えるクリスマスの時、初めて主人の涙を見ました。泣けました。友達からは子供が生まれたら忘れられると言われました。4年近くかかりましたが、今年の4月に息子を授かり今はとても幸せですが、やはり亡くなった子が生きていたらどんなんだったかなあと、思わない日はありません。 頑張って下さい。それしか言えませんが、お母さんになる為の試練だと思って乗り越えてください。 | |||
>>> 同じです | nonnon
-- 2003/11/03.. | ||
涙さん、はじめまして。大変でしたね。 お身体の方は大丈夫ですか。 私も今年7月に35週で死産しました。年も同じ38歳です。 14歳と11歳の子供がいますが、再婚後初めての久々の妊娠でした。 私も胎動がないので、病院に行ったら、超音波で見ていた医師が 「赤ちゃんの心臓動いてないね〜」頭が真っ白になりました。 死産出産してから、分かったのですが臍の緒が4週も赤ちゃんの首に巻きついていて、一箇所結束されていたそうです。 三人目でも、1ヶ月は泣きどおしでした。4ヶ月経とうとしている今でも他の赤ちゃんを見たりすると、かなり落ち込んでいる自分に気づくときがあります。 涙さんの悲しみは私以上のものだと思います。無理に元気になろうとすると、どんどん落ち込みます。 泣きたいだけ泣いていいんですよ。ゆっくり元気になりましょう。 頑張らなくていいんです。ゆっくり、ゆっくり・・・ 私もやっと身体も心も元気になり、次の妊娠に向けて頑張っています。高齢出産でいろいろ心配ですが・・・ 子供が同級生になったりして・・・ お互いに頑張りましょう (頑張るなと言ったり、頑張れと言ったり、良く分からないレスになってごめんなさい。) | |||