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凍結卵は生命か?それとも? リズム  -- 2006/05/02 ..
ちょっと前に「43歳です。凍結卵を戻そうか考えています」を投稿した者です。そちらもあわせてご覧ください。

私はどうしても凍結卵を破棄するのがイヤなんですね。
回答してくださった方の中にも、破棄したことを思い出すと「気持ちがちくっとする」とおっしゃった方がいます。

この「いや」「チクッ」はなぜなんでしょうか?

「凍結卵」は「破棄」出来るわけですから「生命」が誕生しているとはみなされていないわけですよね。
でも微妙な存在ですよね。この存在をどう考えたらいいでしょうか?
皆さんのご意見をお聞かせください。

ちなみにこれは破棄された方を非難するとかそういうトビではありません。
むしろ破棄したことによって、もしかするとその女性だけがその重い気持ちを生涯引きずっているのではないかという危惧から投稿してみました。
皆さんどう思われますか?


ありがとうございます。   リズム
自分にとって大事なものなのだから   葉子
追記:トマトの感覚   トマトの気持ち
凄く難しい 疑問符 ですよね。。。   トマトの気持ち
知人の話ですが・・   ハニー★
私も‥。   まいっぺ
答は自分の中に   エリス




 

   >>> ありがとうございます。 リズム   -- 2006/05/02..
 
エリスさん、まいっぺさん、ハニー★さん、トマトの気持ちさん、葉子さん。
ほんとうにありがとうございます。
暖かいお言葉、専門的知識に裏打ちされた助言、心から感謝します。

葉子さんの「保管を中止して廃棄というような状況になれば、心情的にとても切ないと思いますが、「廃棄」も責任ある決断であり、粗末にしているとは私は思いません。」には気持ちがふっと軽くなるような気がしました。
悩みは一つだけではなくそのウチの一つに光が見えたような気がしました。
やはり後ろめたさというのでしょうか?そういうものがありました。
トマトの気持ちさんがおっしゃっていたように「個々の感情での本当に個人的な判断は、社会という枠組みでどういう倫理観を形成されることになるのでしょうか??」・・・社会のみんなで考えて倫理観を形成していかなければならない問題なのに、それが一個人にゆだねられている「重み」がつらいです。
そんなに私は強くないんです。なにか救われる言葉や論理がほしいんですね。

一つの問題が少し解決して、随分すっきりしました。でもその上でなおももう1人子供がほしいとおもう気持ちが、この貧乏状態&健康状態でも執着してしまいます。自分にも兄弟がいたので、子供に兄弟を作ってあげたいという思いはあるのですがそれだけではない気がします。
この問題に関して、また新たにトビ「一人っ子はかわいそうか」を作ります。
どうかご意見をお願いします。
 





   >>> 自分にとって大事なものなのだから 葉子   -- 2006/05/02..
 
リズムさんへ
 体外受精で治療中のものです。

 受精卵は、子どもになる可能性を持つ細胞です。しかし、それは受精卵が即「人の生命」であることを意味しません。世の中には、体外受精で出来た受精卵を子宮に戻せば全てが子どもになると思っている人が多いですが、悲しいかな、受精卵がヒトまで育つ確率はたいへん低いものです。それが予想以上に低いことは、体外受精を2、3回受けてうまくいかなかった者が実感することです。
 ところが、世の多くの人々が受精卵は子宮に戻せば育つものという前提で話しておられるので、そこにかなりギャップがあり、「卵の廃棄」と言うと生命軽視と受け取られるおそれもあります。体外受精を受ける者としては、受精卵の可能性と限界、自分にとって大事なものだということを、よく認識しておく必要があると思っています。

 受精卵の命ある状態とは、魂が入ったかどうかではなく、細胞として生きて卵割している状態です。受精卵自体に異常があれば生きられないことに加え、体外受精の場合には、培養操作をしないと、受精卵は死んでしまいます。凍結保存の場合にも、液体窒素の補充や保管装置の維持管理がなければ、保存中に死んでしまいます。病院に受精卵を預けるというのは、保存の意志を明確にして費用を払い、管理をお願いしている状態です。
 ここで言う、「卵が生きている」という言葉と、法治国家の「人間の生命」とを、混同されるべきではありません。当事者にとっての受精卵の大切さとは別に、私たちの社会では、ヒトの受精卵と胎児とでは、扱いが明確に異なります。「受精卵の廃棄」と、「胎児の中絶」と、「人の命を奪うこと」とでは、社会生活上はそれぞれが全く次元の異なる問題です。

 体外受精の患者にとっては、受精卵は、血と汗と涙の結晶です。何しろ、副作用を我慢しながら注射や内服薬を何日も続け、痛い思いをして採卵を受け、期待と落胆を繰り返してようやく出来た受精卵です。「モノ扱い」したくないのは、誰よりも私たち当事者です。私のように子どものいない者にとっては、自分たちの命の次に大事です。でも、子どもが1人あるいは2人授かると、病院に保管された凍結受精卵よりも、目の前に生きている子どもの方が大切になって当然です。病院に預けた受精卵の処遇は、それぞれの家庭の事情に応じて当事者が決めることです。とはいえ、保管を中止して廃棄というような状況になれば、心情的にとても切ないと思いますが、「廃棄」も責任ある決断であり、粗末にしているとは私は思いません。

 余計なことかもしれませんが、不妊治療の受精卵をES細胞など再生医学の研究に使う場合には、少なくとも今の日本では、目的外使用に関するインフォームドコンセントや譲渡承諾書などの手続が必要です。これは、廃棄とはまた別の問題であり、譲渡の意志がある人は提供すればよいし、嫌なら断るまでのことです。ただ、不妊治療の余剰胚に関しては、体外受精を受ける人は30代以降が多く、最も良い受精卵を移植して残りを凍結した場合が多いので、おそらくES細胞にはほとんど使えないのでは。

 





   >>> 追記:トマトの感覚 トマトの気持ち   -- 2006/05/01..
 
前投稿は、なんか難しそうなことを羅列しただけで変な文章になってしまって、ごめんなさい。
色々考えていて、自分の中でも消化不良しちゃっています(^^;

ただ、私の中では一つだけ、思うところが有ります。

最後に…の前に入れるつもりだった文章が下記のものです。
それを入れずに返信ボタン押しちゃったので、追記させてくださいね。


これはトマトの勝手な感覚の部分なのですが、
卵子と精子が出会って受精卵になったところでは、まだ、細胞なんじゃないかなぁ~と、正直なところ漠然とでは有りますが思っています。

それで、細胞分裂を繰り返して一つの命になる為の旅をするのです。

それではいつ生命になるのか?というと、
お母さんの子宮の中に着床して、初めて「トクン」と鼓動を打ったときなんじゃないかなぁ?と思っています。
その鼓動を打つ瞬間に初めて「心」がその「細胞郡の器、人間の元」(受精卵)にストンって入って、生物に大変身するの。
その心はもちろん、人間の心です。だから、その時に「人間の元」じゃなくて、人間になるんじゃないかなぁ?と・・・・。
この器がいい、このママとパパの子供になりたいと思ってくれた「心」(天使ちゃんかも?)が、「人間の元」に入り込んでくれて、融合してくれて、がんばって大きくなって新生児としてこの世に生まれてくるんじゃないかしらん?
器の部分がトラブルを起こせば、時に流産したり、ハンデを持って生まれてくる。なんか、そんな風に考えると、わたしは妙に納得出来ちゃったりします。

そんな風な考えではダメでしょうか??
ちょっと宗教的な考えかもしれませんね。(^^;



 





   >>> 凄く難しい 疑問符 ですよね。。。 トマトの気持ち   -- 2006/04/30..
 
リズムさん、こんにちは。
前回のスレットでもレスをしたのですが、もうちょっと突っ込んだところでの疑問符なので、私の個人的な経験も踏まえてもう一度レスさせてくださいね。

エリスさんのおっしゃるように、「思うに、こういうことに正しい答えなんてないんじゃないでしょうか。」と私も個人的な感覚では思っています。

ただ、この問題、実は考えれば考えるほど、中味が大きくなってしまうと私は考えています。

私もこの問いをずっと以前から持っています。
きっかけは、自分の場合、卵巣嚢腫をやったことにさかのぼります。
ご存知でしょうか?卵巣って、不思議な臓器で、受精もしていないのに、ある日突然、暴走することがあるんです。
勝手に「歯」のようなもの、「髪の毛」、「塊」などが出来てしまうのです。
卵巣嚢腫自体は、水溶性のおできみたいなものだけの場合もありますが、上記のような固体を伴うこともしばしばあります。
余談ですが、ブラックジャックという手塚さんの漫画に出てくるピノコちゃんは、この卵子だけから、出来上がったというような設定ですが、何かに変化しちゃう臓器(細胞)だけに、みょうに納得できる設定だなと思っていました。

さて、そんな卵子と精子が受精卵になるというのは、どういうことなのでしょうか?
私はあまり科学に精通していないので、ちょっとあいまいな表現ですが、卵子も精子もその元の人間の半分の遺伝子を持っています。半分といっても、凄くランダムに半分にしているので、1個1個の卵子、精子も全部違う組み合わせの遺伝子をもった卵たちなんですよね。なので、その無数にある組み合わせのたった1パターンの組み合わせで成り立ったものが受精卵だと思います。
えっと、簡単に言うと、兄弟でも顔立ちも性格も、同じ親から生まれてるのに違いますよね?
そういう個性をもった人間になるかもしれない可能性を持った「人間の元」、それが受精卵なのではないかな?と私は理解しています。
(表現など、それ、ちがうよーー!とご指摘がありましたら、ぜひ、詳しい方、教えてくださいませm(__)m)

はたして、「人間の元」は人間でしょうか?
それとも、「人間の元」は「命の元」で生き物になるかもしれないけど、人間ではないのでしょうか??
では、どこからが、人間??どこからが命??
考えれば考えるほど、うーーーん、、、とうなってしまいそうな疑問符です。

最後に・…
今、私たちの生きている社会は、この受精卵を「モノ」と考えているむきが有ります。破棄された受精卵はどうなっていくのでしょう?
ただ、捨てられるだけだと思っていらっしゃる方が多いかもしれませんが、
一つは、ES細胞の研究などに利用されている事実も、しっかりと知っておく必要があります。
子宮に戻されずに所有権を放棄(って言うのかな…モノ扱いなので)された受精卵は将来的には、ひょっとしたら、今生きているほかの方の臓器に変身(カスタマイズ?)され、再利用される時代が目の前にあります。
つい最近のニュースで韓国の教授がクローン胚が出来たの出来ないのという研究で、実は出来たといったことがウソだったというニュースが大きく報道されましたよね?これにも、この凍結受精卵はものすごく密接なところにあると思います。また、最近、ここVoiceでもスレットの提供があった、着床前検査にも凄く密接なところに有り、更に、医療という目でみれば、ES細胞の可能性から、自分のスペアパーツを作るなんていうことも、ほんの少し先の未来には密接に関係してくる事に、間違いなくなります。さらには、これは、今行われている「移植医療」にも関連してくること(スペアパーツが出来るようになればあまり必要なくなる医療行為ですよね?)になると、私は考えているのですが、皆さんはどんな風に思われますか?
今ある人間の命を助けるために、人間の元がある意味では犠牲にされている。。これは殺人?それとも医療?それとも科学??
個々の感情での本当に個人的な判断は、社会という枠組みでどういう倫理観を形成されることになるのでしょうか??
そう言った観点からも、この「受精卵は生命か?」という議題は考える必要があると私は思います。

参考HP 「受精卵は人か否か」
 





   >>> 知人の話ですが・・ ハニー★   -- 2006/04/30..
 
私は39歳。前夫との息子を9歳で亡くし、縁あって今の主人と再婚しました。
主人は31歳と若く、子供を抱かせてあげたい思いから不妊クリニックの門をくぐり顕微授精にトライするもまだ成功しておりません。
次周期にまた4度目のETにチャレンジします。
と、ここまでは私の話です・・・凍結胚の破棄についてですが、
私の知人は持病と年齢の事からETをあきらめて夫婦ふたりの生活を選択しなければなりませんでした。
病院に眠っている凍結された3個の受精卵。彼女は病院へ、その受精卵を迎えに行きました。
先生からは「迎えに来た方はあなた方がはじめてです」と、おっしゃったそうです。
彼女はその受精卵たちを自分達がいずれ入ることになるであろうお墓のそばに埋葬したそうです。
こんな方もいるのです。
もし、おなかに戻す事が不可能でしたらお迎えにいってあげてはいかがでしょうか。
私もきっと・・お迎えにいってあげると思います。わたしにとっては生命なんですね。
 





   >>> 私も‥。 まいっぺ   -- 2006/04/30..
 
リズムさん、はじめまして。
私も娘が出来た時の凍結卵があと3個、残っています。
本当は早くお腹に戻したいけれど、経済的な問題で今は無理です。
41歳なので1日も早く戻したほうがいいのかも‥とも思いますし
もしかしたら、このまま戻せる日が来ずに終わるかもしれない、と思うと
卵たちに申し訳ない気がしてしまいます。
年間の凍結保存料が5万円かかりますが、私は大事な子ども達を預かっていただいていると思って5万円は払ってきています。
まさに、私は「命」だという感覚ですね。
3個の卵たちを迎えに行くために、2歳の娘を保育園に預けて働きだしたところです。
同級の友人がまだ子どもに恵まれず、体外受精をくりかえしていますが、
彼女はなかなか卵が育たず、やっと出来て1個か2個。彼女はいつも
「まいっぺの凍結卵をもらいたい位」
と言います。それくらい貴重なもの。もちろん私にとっても。
きっと私がもう子どもの数が満足していても、
凍結卵を破棄することって簡単じゃない気がします。
ほんとうに微妙ですね‥
 





   >>> 答は自分の中に エリス   -- 2006/04/30..
 
私は現在第二子妊娠中ですが、4個の凍結卵があります。
しかし、無事出産できたら、凍結卵は破棄することになると思います。
生命かどうか、とっても難しい問題ですし、私も抵抗が全く無いとは
いえません。
でも、どこかで線引きする覚悟です。
思うに、こういうことに正しい答えなんてないんじゃないでしょうか。
この掲示板でも羊水検査についてはさまざまな意見があり、
誰が正しいとも言えない議論だとかねてから思っておりましたが、
結局は自分の心に聞いてみるしかないと思います。
ですからリズムさんの心の中の「いや」とか「チクッ」が
どれほど大きなものなのか、を自分で決めるしかないのではないでしょうか。
人生のほかの局面でも、自分なりのものさしを持つしかないことが
たくさんあると思います。これもそんなことのひとつだと思います。