出生前検査について今あらためて考えるPart2-2
4.「新型出生前検査」へ至る流れ
ダウンによる「発見」は、知的障がいのある人を隔離する政策、「人種」という分類概念、及びこの概 念を用いて人の集団を分類する学術的意義の存在していたことという、ダウンの生きた時代背景に導か れたものであったと言える。しかし、分類の発見は、分類を対象とした研究を、時代を超えて可能にした。発見以降、「ダウン症」の特徴や原因に関する研究が研究者等によって受け継がれ、ルジュン等によ る染色体の同定へとつながっていく。母体血中のDNA断片の量から、胎児の染色体の数を測定する出生前検査の技術は、知的障がい者を社会から隔離し分類することをはじまりとする、この流れの延長線上 にある。
5.障がい者をめぐる社会の変化
しかし一方で、羊水検査技術が広まりはじめた1960年代から70年代以降、社会にはもう一つの流れが存在してきた。それは、障がい者の生活の場を、隔離された施設から地域へと移行することを目指す「脱施設化」の流れである。北欧ではじまった「ノーマライゼーション運動」を発端とするこの流 れの中で、かつては生まれてすぐ施設に預けられることが常であったダウン症のある子どもたちも、家庭の中で育てられるようになった。以後、世界各地で、ダウン症のある人とその家族は、時間をかけて、学校で学ぶ機会、就労の機会、社会の中で自立する機会を獲得してきた。現在では、カップルどうしの 同棲や結婚も選択肢の中に含まれてきている。(図3)
(x)
2011年に米国のスコトコー等が、ダウン症のある人本人を対象に行なった調査では、ダウン症のある人のうち99%が人生は幸せで、家族を愛していると答え、97%が自分自身を好きだと答えた。
(xi)また、ダウン症のある子を持つ親を対象とした調査では99%がダウン症のある息子/娘を愛している と答えた。
(xii)ダウン症のある人の障がいの重篤度には幅があり、家族の想いも様々なので、スコトコー 等によるこれら一連の調査は、「幸せだ」あるいは「家族を愛している」と答えられる人が回答した調査 なのではないかという指摘も確かにあり得る。しかし重要な点は、今私たちの生きる社会では、「染色体21番のトリソミー」として括られる人が、自分自身や家族についてこうした感情を持ち、それを表現する可能性を持っている、ということではないだろうか。この可能性は、出生前検査が発達してきたのと同じ1960年代以降、社会において達成された重要な成果である。
6.今何が問われているのか
胎児の染色体21番の数を確認するという行為は、知的障がいのある人を社会から隔離し分類したこ とをはじまりとして、染色体21番のトリソミーをめぐる遺伝医学の流れの中で生み出されてきた一つの文化であると言える。しかし、遺伝医学の外の社会では、知的障がいのある人の生活の場を、隔離された環境から地域社会へと広げていくもう一つの流れが、大きな成果を達成してきた。染色体21番の トリソミーのある娘を育てる写真家のベイリーは、作品の中で、現代社会では、「彼らが結婚してはいけない理由はなく、彼らが通常の学校に通い、さらに教育を受けない理由はなく、彼らが何らかの楽しみ を持って、社会に彼らなりの貢献をしない理由はないのです。彼らが幸福で意味のある生活を、彼らを愛する人に囲まれて過ごせない理由はありません」と述べている。xiii 染色体21番のトリソミーを持つということが、社会の中でその他の成員と同じように幸福を目指して生きることを阻まれる理由とはな らない21世紀の社会において、私たちは、未だに、19世紀のまなざしを乗り越えることができないまま、新たな技術を開発し、胎児の染色体21番の数を確認する行為をさらに一般化させようとしている。たとえ、どんなに多くの妊婦やその家族がそれを「望んでいる」のだとしても、それは「悲しい」現状と言うべきなのではないか。
最後に、染色体21番のトリソミーのある人とその家族を支援する日本ダウン症協会が報道に傷付くダウン症のある人本人のために公開している文章の中の、次のような一文を紹介したい。
「…こうしたニュースなどを見たり聞いたりすると『ダウン症』は生まれてくると困ると言っているように思えます。
それで、『ぼくは(わたしは)生まれてこないほうがよかったの?』とわたしたちに聞いた人もいます。
いいえ、けっしてそんなことはありません!
わたしたちは、みなさんが生まれてきたことに心から『おめでとう』と言います。
みなさんがわたしたちの家族や友だちとしてそばにいてくれることに心から『ありがとう』と言います。
みなさんは、勉強が苦手だったり、仕事が上手にできなかったりすることがあるかもしれません。
でも、それは、どんな人にもあることです。
みなさんは、『ダウン症』のない人と同じように、泣いたり、笑ったりしながら、家族や友だちと暮 らしていますね。...」 (xiv)
集団の中で少数の人しか持たない特徴を持たずに生まれてくる人は、実はいない。それらの特徴のために困難を抱えてはいても、あるいは抱えているからこそ、多数派と異なっているがために「生まれてこないほうがよかったの?」あるいは「生まない方がよかったの?」と聞かなければいけないことの悲しさには、誰もが共感し得るのではないだろうか。
出生前検査を、その対象となる「分類」に属する人たちとその家族にそうした悲しみを喚起する技術としないためには、どうすればよいのか。隔離し、分類する流れの延長線上に登場した「新しい出生前 検査」を前に、今、私たちが問い、取り組まなければならないことは、そのことなのではないだろうか。 新たな流れを模索することが求められている。
ix 浦野茂「類型から集団へ」酒井泰斗, 浦野茂, 前田泰樹,中村和生編『概念分析の社会学—社会的経験と人間 の科学』ナカニシヤ出版,2009.
x Shifting Perspectives [www.shiftingperspectives.org] (最終閲覧日:2013年5月20日)
xii Skotko, BG. , Levine, SP., Goldstein, R. (2011b) ‘Having a Son or Daughter with Down Syndrome: Perspectives from Mothers and Fathers’. American Journal of Medical Genetics. 155: 2335-2347.
xiii Bailey, R. (2013) ‘Here We Are’ 『ダウン症—家族のまなざし大阪展 Shifting Perspectives 2013-3.16-24 梅田スカイビル[空中庭園展望台ギャラリー]パンフレット』5.
xiv 日本ダウン症協会『ダウン症のある人たちへのメッセージ』[http://www.jdss.or.jp/project/05_03.html] (最終閲覧日2013年5月20日)