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山下みらいちゃんを救いたい! トマトの気持ち  -- 2006/06/09 ..
こんにちはみなさん。

前回はナナミチャンの臓器移植の為の募金を呼びかけましたが、本日はみらいちゃんの臓器移植の為の募金を呼びかけさせてください。

「山下みらいちゃんを救う会」が発足です。
山下みらいちゃんは平成18年3月6日に生まれ、「全結腸型ヒルシュスプルング病(Hirschsprung's Disease)」という、全結腸に渡り腸壁内の神経節細胞が欠如し排便の為の収縮運動が出来なくなる為に排便不能に陥る等の症状を伴う難病で現在愛知県コロニー中央病院に入院中です。
 生後2日で、排便が出来ないという異常が判明し、その後人工肛門を作る手術を受けましたが排便することが出来ません。
 このままでは生命が維持出来ず、唯一助かる手段は全ての腸移植しかありません。
米国マイアミ大学ジャクソン記念病院に受け入れの予定になっております。
そのために約1億2,500万円の募金を目標に頑張っています。

5月15日現在 まだ70万円しか集まっていません!!
どうか趣旨にご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、募金をお願いします

募金お振込み先
郵便局 (振替口座) 00840-1-204714
名古屋銀行 (本店) 普通3788689
三菱東京UFJ銀行 (名古屋営業部) 普通6765294
口座名は郵便局を除き「山下みらいちゃんをすくう会 会長 住友隆介(ヤマシタミライチャンヲスクウカイ カイチョウ スミトモリュウスケ)」
郵便局のみ「山下みらいちゃんをすくう会(ヤマシタミライチャンヲスクウカイ)」になります。


スレッドタイトルに実名を載せるのは危険です   匿名で失礼します
アメリカのこと。   にゃご
ベリーさん、たんぽぽさんへ   トマトの気持ち
もう一千万ですか。すごいですね。   べりー
会計報告   たんぽぽ
選択の医療を選ぶ その2   トマトの気持ち
選択の医療を選ぶ その1   トマトの気持ち
なんでだろ   今回は匿名で
追記   トマトの気持ち
もう、よしましょう   匿名3.3
その2   トマトの気持ち
その1   トマトの気持ち
順番やぶり。。。   涙
懐疑的になりました   連ぼ
トマトの気持ちさんの気持ちを支持します   未久
人それぞれに考えがありますね。   たんぽぽ
想像力   カイアナイト
失った命をドナーとして生かしたい親御さんのためにも・・・   私も今回匿名で・・・
臓器移植について   ハスの花
困っているみなさんを救いたいけど限界が…   今回は匿名でごめんなさい
その2 続きです   トマトの気持ち
みなさん、貴重な意見ありがとうございます。   トマトの気持ち
1人の親理解できるのですが、   さとさと
臓器移植   sachi
気持ちはひとつ。   anomi
通りすがりのものですが・・・   雨上がり
難しい問題ですが・・・   なおこ
違和感   カイアナイト
18年前のこと思い出しました    スアロキン
アメリカに住んでいるので・・・   シュー
がんばれ、みらいちゃん   サリー紫
トマトの気持ちさんのお気持ちもわかりますが・・・   HAPPY
こんばんは。   ちかあき
募金の収支   けい
う~ん   今回は匿名で
ここに書いた方がいいと思います。   アメンボ
けいさん、ぶぅさん、そしてミヤマへ   トマトの気持ち
トマトの気持ちさんへ   ぶう。
トマトの気持ちさんへ   けい
みんな元気でいてほしい   ミヤマ
匿名様、けい様Resありがとうございます。そして出来れば臓器移植については別スレでお願いいたします。   トマトの気持ち
子供の臓器移植   けい
臓器移植   匿名




 

   >>> スレッドタイトルに実名を載せるのは危険です 匿名で失礼します   -- 2006/05/29..
 
トマトの気持ちさんはすでに気付かれていると思いますが
今回のようにタイトルに実名を載せて、臓器移植に反対の意見が出た場合
なんの罪もないその方が「晒された」ような状態になってしまいます。
ならば議論は別スレッドで・・とのことですが、トマトの気持ちさん以外
新規にスレッドを立ててまでこの問題に対して議論しようという人は
いないように思います。

このVOICEは臓器移植を議論するに相応しい・・とのことですが
それは、トマトの気持ちさんは「高齢出産」というこの広場の趣旨の中では
高齢出産を経験されたいわばOBの方で、今は育児中であっても
多少心にゆとりがあるからそう思われるのではないでしょうか?
でも、ここに集う多数の方は高齢出産に向けて現在進行形です。
お金のかかる不妊治療、妊娠や流産の不安など、目の前の問題と直面している最中に臓器移植にご協力をと言われても、私には正直なところ余力がないです

でもこれが仮にトマトの気持ちさん自身、あるいはお子様に臓器移植が必要に
なった、ご協力を!というのであれば、何をおいてもすぐに協力すると
思います。

少し冷静になって考えてみてください。

 





   >>> アメリカのこと。 にゃご   -- 2006/05/29..
 
本題の主旨からは外れてしまいます。ごめんなさい。

近藤誠さんが体験し、著していたことです。
移植先進国のアメリカで、ドナーカードを所持している方が死亡した場合、「脳死」であることは伝えないのだそうです。
「脳死」であることを伝えると、家族が混乱して取れる臓器も取れなくなるからだそうです。
アメリカですら、公明正大とはいかないようです。

 





   >>> ベリーさん、たんぽぽさんへ トマトの気持ち   -- 2006/05/29..
 
〆にしますって言ってから、何度もレスをつけること、ごめんなさい。

ベリーさんへ
臓器移植に対する意見の相違の部分は、ほんとに個人的な判断の部分なので、私はその考えを否定するつもりはまったくありません。
そして、その後の部分、
>食料やワクチンの寄付に、もっとたくさんの人の協力があればなあと思っています。
そうなんです。本当にそこにも目をむけなければっ!!と何回思ったことか・・・・
わたしに出来ることは、せいぜいこちらでのクリック募金というものの紹介くらいでした。
出来るだけ日課にしてクリックするようにしているのですが、それでも、ほんの少し本当にミクロ・マイクロの単位のようなものですが、せめてこれくらいはやらなきゃと思ってやっています。

もし、他にもこんな簡単なことだけどこういうのがるよとか、こういういいものがあるよというものがあったら、ぜひ教えてください。

たんぽぽさんへ

やさしいことば、まっすぐな言葉、本当にありがとうございます。

もし、このテーマにもう少し、関心を寄せていただけるのなら、
「臓器移植法改正を考える」というHPをご覧いただけるとありがたいです。
その中の「日本の「脳死」法は世界の最先端 森岡正博」という記述の中に、「二つの選択」という項目があり、そこを読む限りでは日本とアメリカでは宗教的背景が違うというのは本当なのかな?という疑問が出てくる記述があります。本当は、さほど差が無いのかもしれないと・・・。
なので、これはシステムの問題、脳死判定に対する疑問、そして他国におんぶに抱っこの日本という現状…。そんなことを考えなければいけないと思っているのです。
また、その他のHPとして、「がんばれ陽佑!」というHPの「移植医療について思う事」というコラム、ハードカバー本ですが「移植病棟24時」加藤友朗著 (集英社)なども、関心を寄せていただければと思います。
臓器移植の是非、立場の違い、意見の違いこそあれ、ぜひ、知っていただけたら・・・と思います。

 





   >>> もう一千万ですか。すごいですね。 べりー   -- 2006/05/27..
 
すでに一千万円も集まっているのですか!すごいですね。
臓器移植がどうのということ抜きにして、それだけのお金があったら途上国の子供たち何人、何万人?に予防接種がしてあげられるだろうに、とか思ってしまいます。
目の前にある危機に手を差し伸べることを悪いこととは思いません、が、もっともっと大変な危機の子供たちがいます。目の前だけでなく広く世界を見つめた時に、個人のためにしかも臓器移植のために募金することは私には出来ません。
私個人としては、臓器移植などすることなくたとえ短い命でも、それをまっとうすることが人間としての尊い生だと考えています。
そういう意味では、臓器移植ではなく、食料やワクチンの寄付に、もっとたくさんの人の協力があればなあと思っています。
 





   >>> 会計報告 たんぽぽ   -- 2006/05/27..
 
 「○○ちゃんを救う会」の会計報告を検索してみると、きちんと報告しているところも結構ありましたよ。

 残金については、本人の治療のため三年間は凍結して、その後は国際移植者組織トリオ・ジャパンに寄付するというものが多かったように思います。ほかの「○○ちゃんを救う会」に寄付しているという報告も結構ありました。

 きちんと調べたわけではありませんが、「死ぬ死ぬ詐欺」などという言葉もあり、不信感をもっていましたが、きちんとしているところはしているようです。もちろん個人差があるでしょうが、すべてを詐欺のようにいってしまうことには問題があると思います。

 臓器移植については、やはり日本とアメリカでは宗教的背景が違うことを認識しなければいけないと思います。日本では全て自然に任せるのが普通の感覚ですが、自分の子供のこととなるとどうしても助けたくなってしまうので、そのギャップが大きいのでしょう。
 キリスト教徒は、キリストの犠牲によって救われていると考えますので、自らも他者のために犠牲となることを厭わないところがあります。神の栄光をこの世に実現しようという使命感など、キリスト教徒ではない日本人には分からない感覚ではないでしょうか。肉体に対する執着心も違います。
 親が子供の臓器を他の子供のために差し出す場合も、本人自身がそう望むだろうという確信をもって行動しているはずです。

 数年前、アメリカのコロンバイン高校で高校生が銃を乱射し多数の犠牲者がでるという事件がありました。当時留学していた著名な学者から聞いた話ですが、犠牲者だけではなく犯人の少年たちも同じように慰霊されているそうです。遺族である犠牲者の親たちが、自分の子供がそう望むだろうという意見をもっていたそうです。
 今の日本では考えられないことでしょう。JR福知山線の事故では、運転者は遺族の反対を受けて慰霊の対象とはなっていないそうです。子供を殺された親は、犯人に「極刑以上の刑」を望むことが多いように思います。犯人の魂の救済のために祈るなどということは考えられないことのように思います。

 私は見解を異にしますが、臓器移植の問題についても、単純に貰うのはいいがあげるのは嫌だろう、などと考えるだけではいけないように思います。生命そのものをどう考えるか、真の救済をどういうものだと考えるか、背景となる思想・宗教が違うと認識した上で、臓器提供をしようとする人々から学ぶべきこともあると思います。

 今回は、トマトの気持ちさんへの批判が多かったようですが、私は、純粋な善意や他者への思いやりなどは、揶揄されるべきではないと思います。ちょっとしたやさしさや共感、親切などがなければ人は生きていけないからです。
 トマトの気持ちさん、トマトの気持ちさんのもっている美点、親切心を大切になさってくださいね。
 
 





   >>> 選択の医療を選ぶ その2 トマトの気持ち   -- 2006/05/27..
 
 自国で臓器移植が活発にならない理由の一つとして、システムのあり方の問題もあるとおもうのです。意思表示が出来る私達側の意志(つまり、ドナーになりたいという意思表明)も、親族の意志が尊重され止められてしまうという現実もあるのではないでしょうか?。ただ、そこに横たわる脳死の問題、日本の脳死判定を正しいと信頼しきれない、そして、出来れば何も死んでまでもボロボロにされたくないという親族の想い、それゆえに親族が止めてしまうということが起こっているというのも、現実なのではないでしょうか?

 お金を出せば・・・なんとでもなる日本人的発想に横柄さを感じるのならば、ぜひ、自国のあり方に目をむけていきませんか?
わが国ではこういう胸をはれる制度があり、代理母でも卵子提供でも望む意志があれば、きちんとそれに答える制度があり、「選択の自由がある」といえる国になるように、他国におんぶに抱っこする国ではなくなるように、見つめてみませんか?どちらを、そして、どんな医療を受けるか受けないかの選択の自由が認められる方がいいと、このスレットや、その他のスレットで色々考え、ディスカッションさせていただいた結果、私は思うようになりつつあります。

----戦争のことは、また、だいぶ違う話だと思うので...憲法9条の事とか色々ありすぎで、まだまだ私には何とも、臓器移植以上に勉強不足すぎで、意見といえるようなことは、まったく書けません。------

 病気は、折り合いをつけていけるものと、戦わなければならないもの(本人もそして家族も)があると私は思っています。亡くなったら敗者なのか?との問いに、私はそんな風には思っていませんとしか、言い様が有りません。
たしかに、配慮の足りない言葉なのかもしれません。しかし、臓器移植を望まれて、この選択をしたということは、本人もご家族にも、すでに充分な戦いなのではないかと思うのです。亡くなったら負けではなく、臓器移植を選択した時点で、ご家族、ご本人たちにとっては、亡くなった後でもこの選択できる医療を推進することが戦いに勝つことだと、私は思っています。文章だけで表現するのは本当に難しいことだと痛感しています。


 





   >>> 選択の医療を選ぶ その1 トマトの気持ち   -- 2006/05/27..
 
もし、小さな命を救う=募金、募金しない人はその子を見殺しにする、というような気持ちにさせられて、しまったのでしたら、申し訳ない思いでいっぱいです。
でも、先に書いたレスのように、別スレットでお願いしたのは、反論に対してそれはしないで欲しいという意味ではありません。名指しのスレットタイトルの場なので配慮願ったまでです。そこのところはご理解いただけたのではないかと思うのですが・・・・。

 日本で禁止される臓器移植というのはすばらしいことなのか?との問いは、今までしてきたレスで言っているように、私の中にも?マークはあります。
 ただ、移植手術を受け入れてくれる場所があった、だから希望し選択され頑張っていること、その医療を選んで頑張っていることに対して、わたしは応援したいと思ったのです。なぜなら、もし、自分の子がそうであったなら、私も藁にもすがると思うから。まず最初に、受け入れてもらえるから、だから募金の呼びかけがあるのではないでしょうか?

 そして、莫大な金額は、USAの保険は日本人には適用されていないからだと思うのですが?その部分がなくなるだけでも相当費用は違うはずです。
 もし、日本で日本の保険制度に入ってない方が移植医療以外でも高度医療を受ければ、とてつもない額が請求されるのといっしょだと私は思っています。なので、数は少ないですが、海外から日本へと医療技術を求めて来日される方達もいらっしゃいますよね?人道的支援の名目で募金や寄付、援助などがあったこと、記憶しています。

 >もし臓器移植で助かる小さな命が助かることを望むならみらいちゃんだけでなく臓器移植を望むすべての子どもたち、または新しい医療の研究に募金するべきなのではないでしょうか?
 もし、臓器移植で助かる全ての小さな命が助かることを望むなら、募金等ではなく、まず、自国の法改正や賛成、反対をしている方達の意見をしっかりと見るべきだと思っています。
そしてそれに纏わる色々な問題点をやはりきちんと解りたいと思っています。
その上で、自分はどう考えるかが出てくると思うのです。私は藁にもすがるほうの選択をする親であると思います。では、ドナーになるのか?との問いに、今の日本の現状では、本当にそれを選んで大丈夫なのか?との疑問は別レスに書いたとおり、有ります。ただ、きちんとした明確なものになり、納得できるものになれば、私は何一つ惜しまずドナーになります。もし、今現状の日本の法の中でなら、死(自分で確認は出来ないけれど、脳死が納得のいく脳死であるか、心臓死である場合)、その時点で間に合う臓器や皮膚、角膜、なんでも提供するでしょう。我が子の死、それが確認されたなら(脳死が納得のいく脳死で可能であれば、または心臓死である場合)提供すると思います。とはいえ、あまり考えたくないことですね。それが普通だと思います。
この1週間あまり、いろいろ考えすぎて心臓が痛いくらいですから。


 





   >>> なんでだろ 今回は匿名で   -- 2006/05/26..
 
トマトの気持ちさんはとても親切な方ですし押し付けがましく募金をつのったわけでもありません。 
でもなぜか今回のトピックは読んでいる者としていやな気持ちが残りました。なぜだろう、と考えたのですが最後の匿名3.3さんの意見を読んでなんとなくすっきりしました。
子どもを持つ親の立場のこのサイトに人に小さな命を救う=募金、募金しない人はその子を見殺しにする、というような気持ちにさせられて、でもはたして日本で禁止される臓器移植というのはすばらしいことなのか?の疑問に対してそのレスは他でやってくれとトマトさんから言われたから批判が広がったのではないでしょうか?
アメリカで移植を待つ子どもたちも山下みらいちゃんも同じ大事な命です。
みらいちゃんを助けたい気持ちも大事ですがなぜみらいちゃん? 
それは日本人だからではないでしょうか?
もし臓器移植で助かる小さな命が助かることを望むならみらいちゃんだけでなく臓器移植を望むすべての子どもたち、または新しい医療の研究に募金するべきなのではないでしょうか?
戦争でも代理母でも卵子提供でも、お金をだせばなんとかなるという日本人の考えは命をはって犠牲になる命に対して横柄に感じられるのです。
その気持ちが私をいやな気持ちにしているように思います。
トマトさんも支援するからには自分の臓器もお子さんの臓器もドナーになる心構えで支援して欲しいものです。トマトさんのおかげで寄付も1千万を超えているようです。
でもみらいちゃんに“勝利を勝ち取って欲しい”とレスしたトマトさんに“亡くなったら敗者なのか”と訴えられたぶうさんの気持ちに胸がいたくなりました。
 





   >>> 追記 トマトの気持ち   -- 2006/05/25..
 
しつこいと思われる方、そして、もういいじゃないかと思われる方、おそらくいっぱいいるだろうなぁと思いつつ、最後にこれだけは書かせてください。

臓器移植の実績をあげているアメリカに渡米し臓器移植、臓器提供を受けるということは、アメリカで臓器移植を待っている方の間に割り込み、結果、助かるはずの子の命が失われることもありえるのではないか?
いわばこういう活動の裏にはそういう事も含まれているのではないか?というような疑問のレスがありました。

私にはどこまでが正確なことなのかは断言は出来ませんが、受け入れられる=待機者リストに名前を連ねることが出来るが正確な表現のように思います。
その待機者リストは臓器別にランクがあるようです。
当然、それによって1人後ろに動く方がいます、でも、それは米国国内からそういう方が発生してもまったく同じなんですよね。
アメリカという(こういうことに対しては)多種多様な人種から形成されている社会での、認められたからには公平にその基準にのっとって、えこひいきも差別もなく、そこに組み込まれる、懐の深い部分を垣間見る想いです。
もっともその数も相当数に達しているようで、ご指摘のようにやはり問題になりつつあるようです。日本政府も(問題になりそうだから?)その人数、病状などの調査をはじめています。

まず最初に、受け入れてもらえるから、だから募金の呼びかけがある。
のではないでしょうか?


募金の収支計算、そのお金の使い道にも疑問符が出ています。
確かに、いったいあのお金はどうなったの???というような形で消えてしまったそういう会もあるようです。
ただ、どの程度のきちんとした会計報告をすればいいのかも、私にはわかりません。NPO日本移植支援協会などのHPをみれば、書き方こそ違えど会計報告が載っています。そして、それを出さないところに対しても当然のことですが、勧告をしています。
私個人としては、さほど気になる事ではないのが正直なところなんですが…、命を救おうと必死な時に、もしとても細かい精度を求めるとすれば、帳簿ほどの細かさでつけること事体が難しいように感じています。

そして、報道の仕方・・・・。
確かにTVや新聞などのものは、感情に訴えるものになっていると私も思います。トマトはほんの端っこですが以前の仕事は広告関係でした。
なので、いろんな報道の仕方にその思惑を勘ぐることは多々有ります。

こういった報道の仕方は端的に言ってしまえば、手っ取り早く効果的な方法といえると思います。

色んなことをこのスレットで重く長ったらしく書いてしまった私ですが、何も募金をする、しないに対して、こんな、見方によっては何をそこまで考える必要があるのか?とさえ見えるようなことを考えてから、募金する方は、、、少数なのではないでしょうか??
普段からずーーと答えの出づらい事ばかりを考えつづけて毎日生活をしていたら、眉根にしわを寄せ、苦悩の表情が定着したような、人物像になりかねません。それは自分としてはあまり好きではないです。
もっと単純に目にとまった募金活動に対して、したい時、したいと思った募金に気軽にできる小額を入れる。これが一番だと思うのです。
そういう意味ではTVなどの報道の仕方は、そういうターゲットなのでしょう。
それでいいように感じました。


今回、最初の自分としてはこういう風にはしたくなかったのですが、
結果として個人としては、とても有意義に感じています。
みなさんのレスに感謝します。

私は私で機会を見つけては考えていきます。
自分なりの何かを得られればいいと思っています。
命を考えることはわたしの子育ての原点です。

このスレットを機に、もし、臓器移植についていい部分でも問題な部分でも関心を持つ方が増えたとしたら、、、、
このスレットの意義は一つの呼びかけから、もう少し意味深いものになれたのではないかと思います。

ここVOICEで知り合え、そして私個人を心配していただいたみなさん。
ありがとうございました。
大丈夫です。私、苦しかったけれど、めげては居ません。
時にたびたび暴走特急トマト号になる私ですが、
どうか、このまま広い心で受けとめていてくださいね。
よろしくお願いします。

ここに集い、賛否両論を頂いた皆様、本当にありがとうございました。

みらいちゃんを救う会の方がこのスレットを目に留めたとき、どうか、私達はみらいちゃんが良くなることを望んでいる中での真剣な考えの一つ一つとご理解いただければと思っています。


このスレットもだいぶ下に下がりました。
これで〆に出来ればと思います。
また、皆さんと真剣に考える機会があれば、今度は名前の冠無しのきちんとしたスレットを立てたいと思います。
その時はまたよろしくお願いいたします。
 





   >>> もう、よしましょう 匿名3.3   -- 2006/05/24..
 
個人や団体を批判しても意味がありません。

一言苦言を言えば、
「親兄弟が後先考えずに身内を助けてくれと叫ぶ」
「何らかの事業に賛同して、個人として寄付をする」
「何らかの事業に賛同して個人として寄付をするに止まらず、他の人に寄付を呼びかける」

この3つは全然違うということです。 
他人に寄付を求めるということは、その活動に責任を負うということです。
もし、その責任を果たすことができないのであれば、
公共の場で安易に寄付を求めるべきではありません。

しかし、実際に困っている人がいる。だからその人に対して、
辛辣なコメントを書いて苦しめるようなことを公共の場でするべきではないと考えます。

米国や豪州の話をすれば、
移植では、家族は、結果の良し悪しに関係なく、いかなる場面でも
臓器を提供してくれた人への感謝を真っ先に、最大の謝辞をもって述べます。
(天に召された子の魂の救済を祈ります。)
次に医療スタッフの労をねぎらい
その次に、資金などを援助してくれた方々への感謝を述べ
最後に、自分の家族の話をします。

まして、他国の善意にすがるしかないわけですから、この順番を間違えたら
海外での印象は最悪といってよいでしょう。所詮お金はお金です。
「1億円のお金より、命の贈り物のほうが圧倒的に価値がある。」

賛同して寄付するのも個人の自由・寄付しないのも個人の自由
寄付したからといって自慢することではないし、寄付しなかったからといって
言い訳をする必要も無い。
 





   >>> その2 トマトの気持ち   -- 2006/05/24..
 
更に、もし、自分が本当に脳死の状態になったとしたら、提供したいとの気持ちももちろんあります。
この辺の気持ちは、レスを頂いた皆さんにも同じ方がいらっしゃいますね。

ただ、自分が移植すれば助かるかも?という状態だとしたら、私はどうするかは、気持ちは定まっていません。

ただし、今現在の国内での脳死判定やその手順、そしていやらしいかんじのする、何ともいえない色んな事への嫌悪感から、その脳死判定を信頼しきれていない自分も居ます。
一歩間違えば、まだ生きつづけたい自分を、生きつづけられるかもしれない最愛の人の命を、なんの守るすべも無い状態で殺されてしまうことになるのです、慎重にならざるをえません。
脳死そのものについても、この1,2年でいろんな疑問符が上がっているのもまた事実です。もし、これが覆れば、脳死→移植医療は無くなるのは当然の事です。ただ、その時に、ドナーとなった方、ドナーとなった我が子の提供をした親、臓器提供を受けた全ての人を責めることだけは絶対にしてはいけないと、私は思います。
なぜなら、似て非なるものと思う方もいるかと思いますが、日本では堕胎を認めている国だからです。また、不妊治療の初期には、たくさんの着床した胎児が居た場合、母体と生まれる子の保護のために、生まれない子としての堕胎もあったと私は聞いたことがあります。
移植医療もまだまだ初期の段階といっていい治療法のひとつではないでしょうか?
いったいいつまでの胎児ならば、堕胎しても苦しまない、辞めてくれと願う心が無いと断言できる方がいるのでしょうか?
生まれる前と生まれた後の違いだけであって、そのしている行為はあまり差が無いように思うのはわたしだけの感覚でしょうか?

話が少々脳死移植とそれますが、
心臓死を迎えご臨終ですとの言葉とともに、大変気を使っていただきながらも、大学病院で死を迎えた義父に検体をお願いできないかとの申し出を受けた時、その悲しみの中、驚きとともに、即答で首を振った自分。
自分の父を訳あって結果、孤独死をさせてしまい、その時に臨床医から正確な死因を特定したいのであれば、解剖しますが?どうされますか?との問いに、即答でお断りした自分。
この2つの死での自分の行動には、やはり身内の体を出来るだけそのままの状態で荼毘にとの気持ちがあったことも紛れも無い事実です。

なんの考えもしていない時に、例え完全な死を迎えたであろう身内に対してでも、こんな風な対応が、ある種ごくごく普通の反応なのではないかと、私は思っています。

そんな経験と考えを踏まえて思うことは・・・。
真剣に考え、あまり見つめたくないものもしっかりと見据えた上での、個々がそれぞれの結論(ドナーになる、移植を受ける側になる、もしくは、ドナーになりたくない、最愛の人もドナーにはしない、移植は受けたくない、最愛の人にも移植は受けて欲しくない)を持てるように、
そして、その個々の思い、考えが尊重されるようなシステムであり、そのシステムが信頼できる形で運営されるようになれるように・・・・です。

そのためには、しっかりと今の政治も見つめなければいけないのではないか。
移植医療の行方、また、着床前診断の行方、現状の羊水検査のあり方・・・。
また、障害児者(好きな言い方では有りませんが)に対する私達のあり方・・・。
行政の対応、不備等等・・・・。
どれも根幹は同じところにあるように思えてなりません。

これ以上のこと(もしくは、もうこの領域は)は、それこそ自分のHPで主張するべきことのように思います。
ただ、もう1,2点だけ、お返事を頂いたことで、追記したいことがあります。

 





   >>> その1 トマトの気持ち   -- 2006/05/24..
 
頭が痛くなりそうな、この大きな問題に誠意のこもったレスをいっぱい頂き、ありがとうございます。
私自身、本当にこうだと思うと言い切れない部分だらけなのですが、一生懸命私なりのコメントを書かせていただきます。
ただ今回の書き込み、私的なことも含まれ、相当躊躇もし…、解りづらいかもしれません。
不快な思いをされる方もいると思うので、申し訳なく思います。ごめんなさい。

私がこういった個人的な募金にも募金したいと思ったのには、一人の母親として、その子供を助けたい。その想いのみでの行動です。と明記しました。

そして、その背景には、本来なら国内で移植が可能な国であるのに、それをストップしている壁が日本にはあり、その壁はいわば私達国民一人一人が、あまりにも大きな難しい問題だからこそ、実は無意識にでも見ないようにしている、考えないようにしているという事が大きくかぶさっているからなのではないか?との気持ちがあるからです。

もしそうであるならば、せめて藁をもすがる思いと、何もかもかなぐり捨ててでも助けたいとの思いと、勇気で、他国に(無責任というか、これも何とも酷い言い方だと思います)行ってでも、どんななじりを受けようとも、助けたい、ただその思いのみで行動を起こした方に、その行動に対して、何もしないからこその壁となっている自分だからこそ、せめて募金を・・・という感覚がわたしにはあることに皆さんの投稿を頂いてから、より鮮明に、そういう思いが自分にあることに気付きを頂きました。

実際、臓器移植という大きなくくりを考えると、どうしても提供側に立ったときの自分や最愛の人を差し出すという感覚に、嫌悪感が付きまとう。
そんなことはしたくない・・・・。さらにはそんな辛すぎる瞬間は考えたくも無いという拒絶感、想像すらしたくないことなんだと思うのです。
ただ、少々違う角度ですが私は1度それを考えたことがあります。
羊水検査のことを考えたときです。
(過去ログ7にその時の思いが載っています)
そのとき、私の書いた言葉の抜粋です。堕胎に対してわたしはこう考えています。今でもその気持ちはあまり変わりがありません。

>奇跡の可能性にかけ、困難を克服し、たとえ生存し大人になる可能性が0%だと医師に告げられようとも、挑戦するのが正しい命のありかただとおっしゃるなら、それは人それぞれの考えだと思います。
わたしは、まだ、ほとんどの事をわからない状態の子を失う事のほうが、耐えることが出来ると思うのです。
生まれてなお、絶望的な戦いに挑ませ、計り知れない苦痛を味わわせ、その結果植物状態で生存したとしたら、それでも生きているとしたら、耐えられません。おそらく、本当に殺人を犯す人になるでしょう。

ただ、この言葉を綴ったとき、本当に私は我が子を殺した重罪な殺人犯に成ってしまうだろうという気持ちと、それでもなお、呼吸し機械に管理され、寝ている我が子を本当に殺せるだろうか?その時になってみなければ、自分がどうなるのか?ひょっとしたら、自分も同じようになるような自殺を図るほうが先かもしれないと、ずっと思っていたんです。
さらには、0%ではなく、5%なら?10%なら?50%なら???
わたしはどうするだろうか?と問いつづけていました。
(そのときのレスには皆さんやさしいので、そういう酷な突っ込みはどなたもされてこなかったので、正直、ほっとしていた事もここに告白させていただきます。)

もし、その時に、我が子が植物状態から脳死へと移行したとしたら・・・・私は、その後に知った臓器移植ということについての、ほんのわずかな知識を頼りに、自分の救いのために、我が子の欠片であったとしても、生きていてくれるんだとの救いのために、提供するのではないだろうか。

逆に移植を受ければ助かる側に居たとしたら、おそらく、何もかもかなぐり捨ててでも命がけでその臓器移植を受けるための努力をするだろうという思いが、今はあるのです。


 





   >>> 順番やぶり。。。   -- 2006/05/23..
 
世の中には臓器移植しか助かる方法がない子供達が沢山います。
費用を捻出できないために、良いドナーが見つかるまで移植の順番を必死に耐えて待っている子供達が沢山居ます。

募金での臓器移植は順番待ちをしている他の子供達の列に横入りし、優先的に臓器を受け取って手術を受ける事になるのです。

確かにななみちゃんは善意の募金で渡米し移植を受けて救われるかもしれません。それは素晴らしい事ですが、その一方では順番がまわってこないうちに
短い一生を終えるざるえない子供達も大勢いるのです。

ななみちゃんのご両親は妊娠中に臓器移植が必要な胎児であることを知った上で出産しています。
しかもホームページを見る限り、ななみちゃんのご両親は「募金のみ」を使って移植を行うと意思表明があります。

私はこういう「救う会」の存在自体は素晴らしい事だと思います。
ただ、お金で優先順位を買うような行為を美談としてだけ取り上げるのも問題だと思います。 

 





   >>> 懐疑的になりました 連ぼ   -- 2006/05/23..
 
TVや新聞で取り上げられている時は、美談だと思いました。
トマトの気持ちさんの意見を読んで、見ず知らずのためにこんなに一生懸命になっている方もいらっしゃるんだと、敬服しました。
その後、、自分なりにネットで「救う会」についての評判を調べてみて、どうも信用しきれないというか、懐疑的になってしまいました。疑問や批判が多くよせられていますが、回答もないですし。
物事はひとつの側面からの判断ではいけないということを感じました。

 





   >>> トマトの気持ちさんの気持ちを支持します 未久   -- 2006/05/22..
 
難しい問題でもあったので、大好きなトマトさんの立てられたスレッドでしたが、
中々レスが出来ませんでした。そして私自身、前回のナナミチャンの時には賛同して募金を
致しましたが、今回は控えさせて頂きました。
理由はとっても情けないのですが、今は自分の子供の事で精一杯で、人を救うというところの
気持ちが向かわなかったからです。
臓器移植の是非については、移植する本人が自分の意志でドナーとなるのであれば、
私は良いのではないかと考えます。では家族としてそれが大切な人の身体を亡くなる事を
前提に提供出来るかといえば、私には出来ません。でも大切な人の身体の一部が誰かの役に
立って、生き続けるという思いは充分理解出来ます。
しかし父を亡くして、今なんとしても守りたい命が側にあると、また気持ちは大きく
動きます。もし父が癌ではなくて臓器移植で治る道があったとしたら、もし娘が同じ立場に
なったとしたら、倫理も社会問題もおかまい無しで、藁をも縋って臓器移植の道を模索する
と思います。
とりとめも無いレスとなりましたが、小さな命を助けたいというトマトさんの気持ち、
そしてそれを少しでも多くの方に伝えて共鳴してもらいたいという気持ちは、大いに指示します。そしてそれに反対、違和感を持つ方も間違ってはいないと思いますが、批判ではなく意見として
述べられる事で宜しいのではないでしょうか。
命の問題は皆重要に思うからこそ意見が飛び交います。素晴らしい事だと思います。
出来ればそれは誰かを傷つけない様に出来ると良いですね。もちろん私も含めてです。
 





   >>> 人それぞれに考えがありますね。 たんぽぽ   -- 2006/05/22..
 
トマトの気持ちさん、こんにちは。

 人それぞれに考えがありますが、このような問題をこのサイトで取り上げることが間違っているとは思いません。なぜなら、このサイトは、管理されているからです。管理している方が問題があると考えれば、掲載はされません。スレッドとして立ち上げていいかどうかは、管理者が決めることで、投稿することに問題があるとは、思いません。

 私自身は、臓器移植には賛成ではありません。人それぞれ寿命というものがあるし、死につつある命は静かに見送ってあげることが大切だと、個人的には思います。日本とアメリカでは宗教的背景が違うので、死に際して望むことも違って当然です。

 日本人は、基本的に輪廻を信じていて、体を傷つけることを嫌います。日本人には、子供が死にかけているときに、臓器提供を勧められることは非常に苦痛であることが多いでしょう。

 知人が蜘蛛膜下出血でほぼ脳死状態になったとき、ご家族は臓器提供を勧められたそうです。しかし、知人は蘇生しました。いわゆる臨死体験もしたということですが、知人は臓器提供なんてとんでもないと怒っていました。

 そういうこともありますが、私としては、家族の死は、安らかに迎えさせたいと思います。死を受け入れるということを重要なことだと考えるのです。それは、自分が病気になった場合でも同じで、臓器移植を望むことはないでしょう。

 しかし、こういう呼びかけに応じて寄付をする人が多いということは、決して悪いことだとは思いません。災害などに多額の寄付が寄せられることに、希望を見出します。他者の痛みに共感し、何らかの手助けをしたいと考えることは悪いことではないと思います。

 トマトの気持ちさんは、ご自身の信念を貫かれればよいのではないでしょうか。反対意見があったとしても、トマトの気持ちさんのメッセージを受け取っている人もいます。

 他者の苦しみに思いを馳せることは、大切なことだと思います。私は立場を異にしますが、トマトの気持ちさんがなさっていることには共感します。

 
 





   >>> 想像力 カイアナイト   -- 2006/05/22..
 
少なくとも、募金をする方は、ご自分のドナカードを携帯し、臓器の提供意思をYESとすることは最低限のルールだと思います。臓器移植は お金だけで救える命ではないことに心を駆せてください。
 





   >>> 失った命をドナーとして生かしたい親御さんのためにも・・・ 私も今回匿名で・・・   -- 2006/05/22..
 
違和感、複雑な思い、私自身、確かにあります。ここで皆さんの意見を読み、胃が痛くなり、でも何か言わせて頂きたくて・・・

私の兄は白血病で他界しました。骨髄移植しか助かる道はありませんでした。
ドナーが見つかりましたがそのときはもう、体が弱っていて移植に耐えられる状態ではありませんでした。もっと早くドナーが見つかってたら・・・との思いは捨てられません。

医学の発達した現代だからこそ、出来ることがあり、救える命があります。
でもそれについていけない私たちの感情があり、悩み、苦しむのだと思います。
スアロキンさんのお話、かなり、ショックです。何というか、胃がひっくりかえりそうな思いで気分が悪くなりました。
また、小さなお子さんの場合、自分の意思のないまま、ドナーになってしまうというのには気持ちがふさぎます。心苦しい思いです。

ですが、ドナー提供する親御さんはお子さんの命が体の一部を提供しての第2の生きる道を選んでいると思いたいのです・・・
臓器移植しか助かる道がないお子さんを助けるために、失った命をどこかで生かしたいと思ってくださる方の善意にすがるしかない親御さんのことを思うとき、やはり、わたしは少しでも力になりたいと思います。


 





   >>> 臓器移植について ハスの花   -- 2006/05/22..
 
自分の思うことが上手く文章に書けずに投稿が遅くなりました。

先月でしょうか、NHKで臓器移植についての特集があり見ていました。
娘は年内に左の腎臓の摘出手術を受ける予定です。
肝臓にも問題があり予断が出来ない状態です。
夫は熱心なキリスト教の家に生まれた米国人です。今は無宗教ですが。
実はワタシも臓器移植については、結論が出ない一人です。

そんな状況の我が家で、夫と幼児子供の臓器移植について話し合いました。

私は「万が一娘が死んだ場合、臓器移植出来るか?出来ない」と答えました。
だから万が一移植が必要になった時、自分の臓器ならいくらでもあげられるけど、他の人からはもらえないと答えました。

夫は「自分は娘の臓器を提供出来る。」と言いました。
彼は自分の臓器提供も希望している人ですが、何より可愛がっている娘の臓器をも提供出来るのかと問いただしました。
娘の目や心臓、肺など無くなっても良いの?と。
私には耐えられないと思ったのです。

が、夫は「死んだら燃やしちゃうんだよ。だったら、燃やす前に人に役立てた方が良い。」と。

私は思いました、これは宗教観の違いなんだと。
アメリカで子供の臓器提供が行われているのは、宗教的に「人助けの精神」「死んだら体は器で魂は天に行く」というのが頭に組み込まれているのだと感じました。

夫の言葉は私の心に響きました。でも、まだ私自身の頭の中は結論が出ていません。

トマトの気持ちさんは、人を助けたい時に自分の力だけではどうにもならないので、他の人にもとにかく知って欲しいと言う気持ちでこの掲示板に書かれたのだと思います。
現に去年の暮れでしたか、七海ちゃんの事をこちらでスレッドをたて何人もが応援や募金に答えるレスがついていましたよね。

私が思うに、こういう事に感心のある人は既に知っているのではと思います。
現に私はネットで既に知っていました。

トマトの気持ちさん、どうかこの事で落ち込まないで下さい。
あなたと同じ気持ちの人は沢山います。
臓器移植や羊水検査、卵子提供、養子縁組、体外受精・・・などなど必ず賛否両論あります。
実際人の考えは容易には変わらないし、臓器移植に反対な人、募金したくない人に力説しても難しいんですよね。

なんか結局まとまりのない話となってしまいました。
失礼しました。



 





   >>> 困っているみなさんを救いたいけど限界が… 今回は匿名でごめんなさい   -- 2006/05/21..
 
上手く考えがまとまらず投稿を迷っていたのですが、トマトの気持ちさんの純粋な気持ちを理解したうえで、また、みなさんの投稿を読ませてもらって、それぞれの方がおっしゃりたいこと、とても良く理解することが出来ました。

幼い子の命を助けたい、というのは誰でも思うことです。
違和感がある、複雑な心境だ、と書かれた方、みなさん、どなたも他人とはいえ、幼い子が死んで平気だ、と思われる方はいらっしゃいませんから…。
けれども、こういったスレッドがこの場で立てられた限りは、臓器移植が何故日本において実施されていないのか、という点を考えることの重要性と、マスコミがニュースとして取り上げ、善意を促す(ある種ドラマチックな)部分ではなく、もっと地に足をつけた議論と検証を各自がする必要があることも必要である、ということを、トマトの気持ちさんが理解していただけて、その上で、誠実な回答をして、賛同と理解を受けるのが最善の方法だと思います。

我が子が同じ立場だったら助けるために私自身どんなことでもすると思いますし、臓器提供を望まれる家族の方が、マスコミやHPを通じて限られた期限の中で資金集めをされている努力もよく分かります。けれども他の方が言われていたように、自分の子供が生きるチャンスを得ることと同時に、死んでいかなければならない命があること、ましてやそれを待つ(願う)形になることは、どうしても違和感を感じずにはいられない、ということですよね。
私自身はドナー提供希望していますが、自分の子供の臓器を提供する、ということには、やはり、相当な葛藤があると思います。

募金活動については、目にする全ての助けを必要とする人にお金を、と思うのですが、現実はなかなか難しいですね…。道を歩いていて、募金をされている方がいたら、たいてい募金します。ホームレスの人を見かけても、つい見過ごせず、食べ物や毛布などを上げてしまいます。たまに詐欺まがいの慈善団体にも募金してしまうこともあり、主人に怒られます(汗)。基本的には信頼できる団体で、難病治療や自然災害援助、発展途上国の子供達への教育を支援する団体に定期的に募金しており、その団体から必ず6ヶ月に一度、いくらのお金が何に使われたか等データが知らされる形なので、安心できます。

以下の文章はトマトの気持ちさんに向けたものではなく、自分自身に問いかけている言葉ですが、時々思うんです。自分の自己満足や偽善なのだろうか…と。募金をして自分が悲しい気持ち苦しい気持ちから解放される為?それに比べて自分はなんと幸せなんだろう…という気持ちから?あるいは、理想的で美しい世界を願うあまり、奉仕や善意は汚い部分、辛い現実から目をそむける為の手段なのか…と。

自分の助けを必要としている人は、意外に近くにもいるのかもしれませんね。
募金や慈善奉仕をする時に、人が見ているから、自分の気持ちが良くなるから、ではなくて、人の痛みを共に感じ、誰にも分からないように(公言せずに)、または匿名で、誰にも評価されること無く、感謝されることも望まず、ひっそりと活動することに本当の価値があるように思うのは私だけでしょうか…。それが本当の慈善であり、奉仕の精神だと思います。

このスレッドは決して無駄ではないと思います。
ここまでの数の方が反応されていることや、臓器提供について、色々な見解を伺えて、私自身とても勉強になりました。色々と考えさせてくださって、トマトの気持ちさん、みなさん、ありがとうございます。
 





   >>> その2 続きです トマトの気持ち   -- 2006/05/21..
 
なぜそう思うのか?それは、「子供の命」「私達の命」を扱うテーマであり、また、移植医療は多くの方が体験している不妊治療と同様、羊水検査を受ける受けないでご意見が割れることと同様、着床前診断の話と同様、「選択の医療である」というところに非常に共通点があり、さらには、これから赤ちゃんを望まれる方にも、そして授かったものにも、そして自分自身、さらには両親も含め、いつ、受ける側になるかもしれない、いつドナーになるかもしれない医療だと私は思っています。けして他人事ではなく、いつ当事者になってもおかしくないところにある事と感じているからなのです。ただ、みつめるには勇気のいることのように思えます。
それでもここには相応しくないテーマでしょうか?

今現在の臓器移植法は「臓器移植できないぞ法」と揶揄されるような状況の中、改正のいろいろな案が出てきています。その中には15歳以下の移植についても様様な意見が出ています。そして出来る方向へと動こうとしているように私には見えます。そうなった場合、成人だけではなく、その子供にも対象は広がり、その決定権は私達に託されるということになります。
親である、これから親になるに当たって、熟慮せざるを得ない状況が目前に迫ってきているのではないでしょうか?

アメンボさんのおっしゃるように、「何十人という、渡米しようにもできずに悲しい思いをされている家族もいる」という現実はどうすればいいのでしょうか?
渡米せずとも国内で移植数が上がることがあれば、救われる命は増えます。
その一方で、それはけいさんのおっしゃる「外国の小さなお子さんの「死」をどこか待つような(本当に心苦しい表現ですが、臓器移植ってそういう残酷な部分があります)感じ」が今度は国内へ持ち込まれるという側面があるという事実、その時、私達がドナーとなったとき、ドナーとなりえる子の親になったとき、どう向き合うべきなのでしょうか?

さらには、ドナーになるには、脳死の問題もクリアしていかなければならないし、今の日本の脳死判定を含めてその手続きはなんともあいまいで複雑で、なぜかお粗末に感じてしまう。そんな状況の中、本当に法案だけで、そのシステムがUSAのようにきちんとした形で果たして日本という国で動くのだろうか?との疑問も、わたしは思いっきり持っています。法案の中には親族優先なんていう更に複雑になるようなことまで提案が出てきたりしているようです。いろんな特例が複雑怪奇にまざりそうで・・・・なんて思っています。
脳死のことだけでも考え、調べると私の頭では頭痛をとおりこしてパニックになりそうなくらい難しいことが出てきます。感情面でもどう整理していいのかさえ、戸惑いを覚えるのが今の自分です。(ドナーとは違いますが、検体のお話を頂いたことがあり、その時の気持ちと近いものがあります。)

今の体制のままであった場合、海外へそのドナーとなるお子さんを求めている日本という国。それに批判があったとしても、当然です。そんなレッテルを貼られることは本意ではないはずです。技術力も設備的な力も日本にはあるはずです。
また、過去には生体間移植を含め、いろいろと実験的な(と言っていいと思います)移植が日本でも行われていたという事実もあり、どうも日本で移植に拒絶反応があるのはこの過去のせいもあるような・・・・と勘繰ってみたり…。

こんな言葉を聞いたことがあります。(正確な文言ではなくてすいません)
年間何千人という助かるはずの赤ちゃんをそのままにして、ドナーの提供は拒む国、年間何千人という赤ちゃんをドナーとして提供する国。どちらがより、子に対してやさしい国なのだろう?

正直なところ、臓器移植というものに触れると、ドナー側に自分を置いてみる、提供される側に自分を置いてみるという圧倒的に違う場所からみるとその感情はまったく違うところに行き着いてしまう自分が居ます。
ただ、こうも思うのです。そのどちらかになるのは本当に紙一重の違いのようにも。私にも何が正しいのか?果たして臓器移植は?脳死は本当に自分が死の状態なのか?まったく答えが出ません。
本当に日本人的な感情の移行と日本人的な発想しか持ち合わせていないんだなと感じます。でも、考えなければならない事、感じなければならない事であると思います。

そんな中で、それでもやはり我が子を救いたいと勇気を振り絞り立ち上がった方に私はエールと微力だけれど何かしたい、しなければ・・・・と感じます。
だからこのスレットを作ったのです。私の気持ちはほぼなおこさんが代弁してくださっているように感じました。ありがとうございます。本当にそれだけの想いです。
だから、今回のこのスレは一人の母親として、その子供を助けたい。
その想いのみでの行動でしかないのです。

なんともまとまりの無い文章で、本当にすいません。
でも、今の私に綴れる精一杯です。

最後に、anomiさん、サリー紫さん、ありがとう。

 





   >>> みなさん、貴重な意見ありがとうございます。 トマトの気持ち   -- 2006/05/21..
 
本題に入る前に、ミヤマさん、敬称がタイトルのところで抜け落ちてしまい、大変失礼致しました。ごめんなさい。

救う会を立ち上げた方達のもとへは、正直なところ、もっと辛らつな意見、心無い罵倒なども寄せられることもあるという事を聞いたことが有り、当然、会を立ち上げるに当たって、そういうものにも立ち向かっていく心構えももちろん、もっていらっしゃるとは思うのですが、一個人が個人的な事で矢面に立つならまだしも、多くの矛盾と疑問と、国のシステムによってやもをえずそうせざるをえない所に居る方に、その背景や経緯を背負えというのは、あまりにも酷なことなのではないでしょうか。目標に向かうためにそういったものに力を吸い取られて欲しくない、少なくとも、いろんな課題を一身に背負って矢面に立つ必要はないと私は思っていました。
なのでそういうご意見は別スレで第三者の立場に居るものがそれぞれの思い、感想、意見を書くべきで、名前が冠にあるスレットではするべきではないと私は思っています。そのくらいの配慮はできるのではないかと思っていたのです。
ましてや、トマトの気持ちなんて言うどこぞの人の勝手に建てたスレで話題紛糾では・・・・やるせない、切ないと感じ、別スレを提案していました。
しかしながら、ここまでスレットが伸びてしまった以上、雨上がりさんのおっしゃるように、「色々な意見がありますが、その一つ一つの意見に真摯に回答されることで、今まで募金に興味がなかった人たちも協力しようと思われる事もあるかもしれません。」に同意させていただきます。
ただ、ひとつひとつというよりは、重複するレスになってしまうので、真摯に回答というところに重点を絞って、書きたいと思います。

こんなにいろいろなご意見が上がること事体、臓器移植に対して注目が集まっているということなのでしょう・・・。

そして最初に、私のアピールの仕方がまずかった。
ちかあきさんをはじめ皆さんのご指摘のとおりだと思います。
山下みらいちゃんのHPを関心のある方はご覧下さいだけで充分なことでした。
その点については、VOICEの皆様へも、そして救う会の皆様へも、申し訳ありませんでしたと声を大にして言わせてください。

ただ、私がこのスレットで臓器移植についてのいろいろな問題点、疑問点、賛否、ご意見を問うスレにはしたくなかったのは、自分の意見の賛同だけを求め、それ以外の意見は受け付けませんという意味では断じてありません。

正直なところ考えれば考えるほど、調べれば調べるほど、いろいろな問題が色々な角度から山盛りあり、難題が積み上げられているということは、みなさんのご指摘どおり、つたない頭ですが、認識しているつもりです。
だからこそ、自分はこう思うという確固とした意見はなかなか出てきません。
皆様から寄せられた言葉にうなずく自分と首を振る自分が同居しています。

また、ここVOICEには相応しくないスレとのご指摘も頂いておりますが、それについては私はそうは思えません。
むしろ、VOICEだからこそ一生懸命考えていかなければいけないテーマではないかと思っています。

その2につづきます。
 





   >>> 1人の親理解できるのですが、 さとさと   -- 2006/05/20..
 
私もトマトの気持ちさんの思いは1人の親として人間として理解できるのですが、別のところで発言をされるほうが価値あるものとなるような気がします。個人的には、子供の臓器移植それ自体、そしてあまり報道されない金銭面でのことなど、やはり違和感を感じざるを得ません。私個人は、寄付により不特定多数の命のためになるものなら、募金をしたいと考えています。
 





   >>> 臓器移植 sachi   -- 2006/05/20..
 
私の娘が臓器移植しか助かる道がないのなら是非受けさせたいと奔走することでしょう。山下みらいちゃんのご両親やそれをサポートしたいというトマトの気持ちさんのお気持ちも理解できます。こういうところでも意見をいって賛同する方々が集ればいいと思います。 その反面、臓器移植に対して反対の意見を持つ方が意見をあげるのも間違ってはいないと思います。 私の娘が不慮の病や事故で脳死を宣告されたとしたら私は臓器移植を進呈する気にはなれません。他の人の命を助けるためでもうちの娘の最期はきれいなまま逝かせてやりたいと思う気持ちは間違いでしょうか? 私自身移植が必要になったとしても誰かの死を待つ人生はもちたくありません。どう生きるかに焦点を当てて残りの人生を生きていきたいです。
もちろんドナーになることはすばらしいことです。一人でも多くの方が賛同されるといいですね。日本で禁止されているのは残念なことであり反面なんでもOKになってしまう医学に不安もあります。
 





   >>> 気持ちはひとつ。 anomi   -- 2006/05/20..
 
小さな命を救いたい気持ちは同じですよね。ここで向き合うのでは無く、同じ先の光を見ませんか。募金はする、しないは個人の意志ですが要は気持ちは一つですからね。トマトの気持ちさん、大丈夫ですよ。皆さんは見守ってます。
 





   >>> 通りすがりのものですが・・・ 雨上がり   -- 2006/05/20..
 
私も感じたことを書かせていただいてもよろしいでしょうか・・・。

最近こちらを知り、いろいろな方の書き込みを読ませていただいて元気をいただいたり、勉強させていただいております。
以前にもトマトの気持ちさんの募金の呼びかけの書き込みを読ませていただいて、私は違和感を感じました(批判するつもりではないのですが、私の率直な意見です。不愉快な思いをされるかもしれませんがごめんなさい)。

別スレに・・・、というお考えやお気持ちもわかるのですが、やはりこちらは皆さんで利用される場でもありますので、トマトの気持ちさんに賛同される方のみ書き込みの限定にしてほしいというのはどうかなぁとも思います。そもそもこちらは高齢出産VOICEでもありますし、臓器移植は非常に複雑で繊細な問題でもあると思います。色々な意見がありますが、その一つ一つの意見に真摯に回答されることで、今まで募金に興味がなかった人たちも協力しようと思われる事もあるかもしれません。同調される方のみの書き込みを希望されるのでしたが、やはりご自身のサイトなどでされるのがいいのかもしれませんね・・・。
 





   >>> 難しい問題ですが・・・ なおこ   -- 2006/05/19..
 
私は、小さい子供の親だからこそ応援したい気持があります。
現在の医学の力をもってすれば助かる命ならば、助かって欲しい・・・そう思うからです。
私の子供も、先天性の心臓病があり、生後1ヶ月で手術をしました。
幸いな事に今は元気に成長していますが、もし手術しなければ生後6ヵ月ぐらいまでしか生きられないでしょうと言われました。

確かに、臓器移植には、別の命の犠牲があります。そして、本人の意思確認も出来ません。
でも、移植する事を選択した親御さん、提供する事を選択した親御さん、それぞれの思いがあり、責任を持って選択しています。

そういう場がきちんとあって、あとは資金だけ・・・って時に、こういう呼びかけがあれば、私は、これからも応援したいと思います。
 





   >>> 違和感 カイアナイト   -- 2006/05/19..
 
見知らぬこのくにの女の子の無事を祈る心のある人が何故、臓器を提供してくれた異国の子供のことには思いをはせないのだろう。
 





   >>> 18年前のこと思い出しました スアロキン   -- 2006/05/19..
 
 来月18歳になる息子を出産した病院に夫(当時)が私が定期購読していた科学雑誌Newtonを届けてくれて、いつもは忙しくて半分も読めないけど暇にまかせ一気に読みました。たしか、その中の記事に、外国での話題で、無脳児を妊娠した女性が、医師から中絶せず、臓器移植目的で出産まで妊娠を継続するよう要請されたといった主旨の文章が載っていて、ものすごい違和感を感じたのを思い出しました。
 無脳児は胎内では成長できるが、出産後長く生存することはできない。しかし心臓、腎臓といった臓器には異常がない場合が多く、移植に利用できるといった意味のことが書かれていたと思います。科学者、医師の立場では無脳児は人ではなく、臓器なのか? じゃあそもそも胎児は人ではないのか? 横に眠るつい数日前まで胎児だった息子を見て感じた疑問を投稿したら、何号かあとのNewtonの読者コーナーに採用されました。今も押入れのどこかに当時のNewtonがあると思うので、帰宅したら探してみますが。
 だけど、今ならそれほどの違和感は感じないような気もします。その時は出産直後だったせいか、もう、体中の毛が逆立つほどの違和感を感じたんですよね。言葉であらわせないくらいに。
だから、その人が置かれた立場によって、感じ方が違うのは仕方ないことと思います。
 私としては、助かる方法があるのなら、それにすがりたい親御さんの気持ちもわかるし、応援したい気持ちもあります。ただ、あのとき感じたすごい違和感だけは今も思い出すと・・・ちょっともう感じたくない感情でしたね。
 





   >>> アメリカに住んでいるので・・・ シュー   -- 2006/05/19..
 
もし体外受精が上手く行かなかった時,選択肢に養子縁組って考えられますか?それも2回か3回上手くいかないだけで・・・
私は考えた事もありません。卵子のドナーまでは考えますが・・・
費用は養子縁組が一番かかるんです(養子縁組も人身売買って言われるかな)
そのお金があれば何回かまだ挑戦したいと私なら考えてしまいます。
ここに来る人は皆 子供が欲しい人ばかりですよね?しかも残された時間が少ないという高齢の方ばかりのはず。どうですか養子縁組って選択肢にありますか?日本人には,その選択肢のない人の方が多いのではないでしょうか?
がっアメリカ人は躊躇せずに養子縁組を選択するんです。
主人の知り合いにも2人,この近所だけでも毎日の様に(当たり前の様に)何組もの養子縁組だろう親子を見ます。
日本人とアメリカ人(アメリカで移殖ですよね)は違うと思うんです。
アメリカ人は人の為に嫌な事なんてしませんよ。
アメリカに臓器があるということは,子供の臓器を生かしたいと考える親がいるからではないでしょうか?
死ぬのを待つとか そういうのは日本人的ものの考え方かな?って思います。
がっここは日本人,(確かに日本では子供の臓器移植は認められていませんし)しかも色々な精神状態の人が見ている所なので
難病の山下みらいちゃんを救う会が発足 詳しい事は何処何処までって
別のところを使う方がいいかなとも思います。
 





   >>> がんばれ、みらいちゃん サリー紫   -- 2006/05/19..
 
トマトの気持ちさん、こんにちは。

トマトの気持ちさんの「一人の母として、一人の子供を救いたい」という
尊いお気持ちよくわかります。
そして、その子に臓器を提供する側になった方のお母さんも、
助かる子を通して自分の子供の「命」がつながっていく、という
慰めと希望と癒しが与えられるのではないかな、と思いました。

この世で私の一番大切な人、それはうちのだんなです。
万が一、万が一ですよ、うちのだんなに何かあったとして、
彼の魂が肉体を離れなければならないとします。(書いてるだけで
悲しくなってきました)

もし、彼の肉体の一部を使い、生き延びてくれる人があれば、
私は、その人を通して、新たな命を生きている、彼を、
感じようとするのではないかな、と思います。

ところで、米国では論理委員会・医師会・FDAなどの規約規則が
それはそれは厳しく、万が一医師が身元の怪しい(=発展途上国の誘拐
された子供の臓器)等を使えば、間違いなく、医師免許の剥奪、そして、
刑事責任も問われます。
また臓器移植ができるほどの設備がある病院でしたら、それは
ある程度、大きな規模の病院になります。
ですから、違法の医師がそこからでたとしたら、病院の組織自体も
ひどくたたかれるでしょう。
ですから、まかり間違っても、医師免許を持った医師であれば、
まずは、そんなあぶない橋を渡る人はいないと思うのですが。

みらいちゃん、がんばれ。
 





   >>> トマトの気持ちさんのお気持ちもわかりますが・・・ HAPPY   -- 2006/05/18..
 
>今回のこのスレは一人の母親として、その子供を助けたい。
>その想いのみでの行動です。
>高齢出産と関係ないわと思う方もいらっしゃったかもしれないなと・・・。

わたしも、けいさんと、匿名さん、ぷうさんと同じ意見です
トマトの気持ちさんのお気持ちもわかりますが、
できればもっとふさわしい場所で活動されてこそ、
その価値が増すのではないでしょうか?
勝手なことをいうようでもうしわけありませんが、
一度この場所がどういう趣旨なのかをお考えいただければと
切に願います。
 





   >>> こんばんは。 ちかあき   -- 2006/05/18..
 
今年の2月に亡くなった息子もヒルシュスプルング病でした。
昨年大腸の全てと小腸の1部を取りました。
大腸と回腸がないため、必要なミネラルや水分を吸収できずに、
1日数十回の下痢と体重がなかなか増えない、下痢とともに
腸液もでて、おしりはいつもただれていました。
今は天国でその苦しみから解放されていますが・・・
臓器移植で助かる命、息子の様に手術もできず急性脳症で亡くなる命、
臓器を提供するドナーの方の命・・・
命の重みをとても感じました。
トマトの気持ちさんのお気持ちもわかります。
(山下みらいちゃんのHPを関心のある方はご覧下さい)
でよかったのでは・・・?と思いました。
 





   >>> 募金の収支 けい   -- 2006/05/18..
 
たびたびすみません。病気のお子さんには罪はないのですが、改めていろいろなHPでこういう「救う会」に集まった億単位のお金の収支報告が問題になっています。あえてかきませんが、心無い、だけど無下にできない収支報告に関する厳しい意見もあります。またアメリカでは移植待機の患者が、多額の寄付金に支えられている日本人の患者に順番を越されて批判の声が上がっている、という報道も目にしました。
やはり寄付といえどお金のからむ問題です。「いつまでに渡米して手術しないと死亡」と感情的になって煽ることに抵抗をもつ人々もふえているようです。
私が感じた「子供の臓器移植」への抵抗感のなかにはこういう収支報告をすることで、善意を下さった方々へ誠意をみせるべきでは、という不透明な部分へのひっかかりもあることを付け加えさせていただきます。
 





   >>> う~ん 今回は匿名で   -- 2006/05/18..
 
トマトの気持ちさんが「何かしないではいられない」というお気持ちになるのはわかりますし、それを行動に移されていることは立派だと思いますが、
ご自身も書かれている通り、こちらの掲示板の趣旨とは本来外れていること、また複雑な気持ちを抱かれる方が多い可能性があるにもかかわらず、あえてスレをたてる必要があるのかちょっと疑問です。

もちろんトマトの気持ちさんの投稿がアップされているという段階で
全くNGな話題ではないという解釈もありますが、やはり私も違和感を感じます。

今回のみらいちゃんのニュースにも、また残念な結果になってしまった彩花ちゃんのニュースにも「どうにかしてあげたい」という気持ちは私も同じですが。

私の心が狭いのでしょうか・・・。
その掲示板のカラーにある程度沿った投稿を、というのが正直な気持ちです。
 





   >>> ここに書いた方がいいと思います。 アメンボ   -- 2006/05/18..
 
私も匿名さん、けいさんと同意見です。
けいさんが私の言いたいことを端的に表現してくれているので重複するのであえて書きませんが、私も「個人」の臓器移植の募金には抵抗があります。
あくまで私の偏った考えです。募金は、難病の子どもの協会宛とか、小児国立病院の宿泊施設へ、とか行ってきました。微々たる力ですが、役立てて欲しいと思っています。ただ、臓器移植のため渡米、募金のキャンペーン、毎回マスコミなどでも大きく取り上げられていますが、そういう報道される子どもの
影には、何十人という、渡米しようにもできずに悲しい思いをされている家族もいることと思い胸が痛みます。うまく表現できずすみません。。

 





   >>> けいさん、ぶぅさん、そしてミヤマへ トマトの気持ち   -- 2006/05/18..
 
けいさん、ぶぅさん、レスをありがとうございます。

私は、子供の臓器移植に抵抗があることは悪いこととは思っていません。

ただ、別スレでとお願いいたしましたのは、今回のスレはあくまでも、趣旨に賛同いただければとのお願いです。

このスレットは、臓器移植に対する賛否を問うスレにはしたくないだけなのです。


ミヤマさま、次男は幸いにして、その後容態が改善して、今は元気ですとのこと、良かったですね。本当に良かった!!
おそらく、計り知れない葛藤がおありになったことと思います。
そして、趣旨に賛同いただき、ありがとうございます。
私は、山下みらいちゃんとはなんの縁もゆかりも無いのですが、やはり他人事には思えない(自分にもありえる状況だと思える)だけで、スレットを立ち上げました。

この情報を目にされた方で、募金してみようと思っていただける方が1人でも増えればいいと願っています。

 





   >>> トマトの気持ちさんへ ぶう。   -- 2006/05/18..
 
匿名さんとけいさんの意見は、ここに書いてこそ意味があるのではないかと思います。

私の意見も匿名さんとけいさんとほぼ同じなので書きませんが・・・。
 





   >>> トマトの気持ちさんへ けい   -- 2006/05/18..
 
トマトの気持ちさんへ。お気持ちはわかりますが、赤ちゃんを望んでおられるママの多いこのボイスです。また子供の臓器移植は国内で認められていませんし、小さい子供を持つママも見ることの多いこのコーナーです。
子供の臓器移植に抵抗があることは悪いことでしょうか。
 





   >>> みんな元気でいてほしい ミヤマ   -- 2006/05/18..
 
私は臓器移植を待つ子供たちを見るにつけ、
人事とは思えず、しんとした気持ちになってしまいます。

私の次男は生後半年で、胆道の病気を経験しました。
術後の経過がよくなく(出るはずの胆汁が出ない)、
医師から、再手術を行う、それでもうまくいかないときは「生体肝移植」の
適用になる、と聞いたときは何とも言えない気持ちになりました。
それでも肝臓がうまく機能しなかったら・・・。
実際、両親どちらかからの生体肝移植を受けたにも関わらず、病気が再発し、日々悪くなっていく肝臓で、病気と必死に戦っている子供がいます。
私は次男の病気ではじめて、そういう子供たちの存在を知りました。

(次男は幸いにして、その後容態が改善して、今は元気です)

脳死からの臓器移植には、さまざまな意見があることは理解できます。
でも、自明のことかもしれませんが、その立場にならないとわからない
ことはあると思います。誰だって、臓器移植を受ける人生なんて想定外
なのです。
臓器移植のために渡米するのも、苦渋の選択ではないでしょうか。

また、こういうニュースで、抜け落ちている視点だと思うのですが

渡米する子供もいれば、渡米できない、あるいは渡米すること、
手術することを「選択しない」(それは緩やかな死を受け入れることです)
家族もいます。
私にはどちらがどうとは言えません。どちらも辛い。
ドナーのご両親の辛さも、いかばかりか・・・。

ただ、私はこういった募金の趣意には賛同し、協力したいと思っています。
ごめんなさい。まとまりのない文章を書いてしまいました。
なんていうのかな、子供を持つことは喜びだけど、
かけがえのないものを持ってしまった重さ、哀しさってある気がします。




 





   >>> 匿名様、けい様Resありがとうございます。そして出来れば臓器移植については別スレでお願いいたします。 トマトの気持ち   -- 2006/05/18..
 
匿名様、けい様、レスをありがとうございます。
私も前回の呼びかけ同様、臓器移植については、いろいろ考えさせられる事、思い、あります。
ですが、下記の文章のように、どうかご理解いただければと思っています。

これは、前回に書いた文章です。追記として入れさせてくださいませ。
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きちんと追記しておかなければと思いました。

それは、臓器移植についてのいろんな方向からの賛否両論があるということ。
このスレットを見て、不快に思った方もいるのではないか?ということです。
今回のこのスレは一人の母親として、その子供を助けたい。
その想いのみでの行動です。
高齢出産と関係ないわと思う方もいらっしゃったかもしれないなと・・・。
どうかご容赦くださいませ。m(__)m
臓器移植のそのお話について、いろんな考え、知識を持っていらっしゃる方がおられましたら、別スレでお願いいたします。
わたしも真剣に考えていかなければならない問題であると思っています。
ぜひ、そういう言葉もお聞かせいただければと思っています。
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今回の文章もまったく同じ気持ちです。

 





   >>> 子供の臓器移植 けい   -- 2006/05/18..
 
はじめまして。私には1歳8ヶ月の息子がいます。子供を持ってから「日本では子供の臓器移植ができない」ことにむしろ安堵感を覚えています。
自分の子供が元気だから、といってしまうとそうですが、やはり難病のお子さんが助かるために、外国の小さなお子さんの「死」をどこか待つような(本当に心苦しい表現ですが、臓器移植ってそういう残酷な部分があります)感じがあって、私は「救う会」にカンパをしたりする気になれないのです。
同じ移植でも成人が自分の意志でドナーになることをきちんと示していればまだ抵抗がないのですが、小さな子供の場合、「自分の意志」のないままドナーになる、という部分はあると思います。
子供を持って子供の臓器移植の影の部分に敏感になってしまいました。
 





   >>> 臓器移植 匿名   -- 2006/05/18..
 
 目の前にある幼い命を救いたいという気持ちもわかる一方、どうしても臓器移植には違和感をもってしまいます。
 臓器移植がうまくいきますようにと願うことは、別の小さな命がタイミングよく脳死になることを祈っていることに他ならないからです。
 臓器移植のために発展途上国の幼い子供が誘拐されている問題にも心が痛みます。